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海軍予備炭山(かいぐんよびたんざん)は、大日本帝国海軍によって石炭の保存と炭鉱の温存を目的として指定された炭山。
日本国内の主要炭田に平時に坑内坑道や生産施設を整備し、有事には採掘員の集合から採掘の着手、石炭の精製(ボタをより分け製品化する過程)、輸送までを迅速に実施することが目的であった。
国内に指定された海軍予備炭山で、実際に海軍炭鉱になったのは、戦後に日本国有鉄道志免鉱業所となった新原採炭所だけである。新原が、日本では大嶺炭田と並ぶ数少ない無煙炭産地であったことが要因だった。
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- 海軍炭鉱五十年史編集委員会『海軍炭鉱五十年史』第四海軍燃料廠、1941年(文献出版より1976年に復刻版の出版有り)
- 阿世賀輝雄、他「海軍新原炭鉱の歴史」『須恵町誌』[要文献特定詳細情報]
- 山田大隆・大石道義・長渡隆一「志免炭鉱の歴史と技術」『国際鉱山ヒストリー会議赤平大会論文集2003年』[要文献特定詳細情報]
- 斎藤和美・平島勇夫・大石道義・徳永博文・長渡隆一.「志免炭鉱が遺した物」『産業考古学92号』[要文献特定詳細情報]