清水雲窩

江戸時代後期の儒学者

清水 雲窩(しみず うんか、寛政12年4月(1800年) - 明治2年12月(1870年))は、江戸時代後期の儒学者、教育者。名は勝従。(あざな)は義卿[1]。幼名は安太郎。通称は十三郎、致仕後に撫松。は雲窩、酔石[2]

経歴 編集

福岡藩士として筑前国に生まれる[1]

奥山遊春に学び、藩校修猷館の教職となる[2]

剣術にもすぐれた[1]

出典 編集

  1. ^ a b c 『日本人名大辞典』(講談社、2001年)938頁
  2. ^ a b 『福岡県先賢人名辞典』(文照堂書店、1933年)30頁