清河長公主(せいかちょうこうしゅ、生没年不詳)は、中国三国時代長公主[1]。父は曹操。母は劉夫人。同母兄弟は曹昂曹鑠。異母兄弟は曹丕曹植曹節(献穆皇后)ら。

清河長公主
続柄 文帝

称号 清河長公主
身位 長公主
配偶者 夏侯楙
父親 武帝
母親 劉夫人
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生涯編集

以下の記述は裴松之が注に引用する『魏略』の記述による。

曹操が娘の婿候補を捜した時、旧友である丁沖の子の丁儀が聡明で、人望もあるとの評判を聞き、曹丕に相談した。しかし曹丕は「丁儀は眇(すがめ、隻眼のような容貌)なので、そんな醜い男ではあなたの愛娘は喜ばれないでしょう」と答え、さらに「嫁ぎ先は伏波将軍(夏侯惇)の子である子林(夏侯楙の事、曹丕の親類で友人)が最適でしょう」と言った。そこで曹操は丁儀との婚姻を取り消して、彼女を夏侯楙に嫁がせた。しかし後に、曹操は丁儀と対面して彼の聡明さを改めて知り、やはり丁儀が娘婿に相応しかったと後悔し「息子が私を誤らせた」と言ったという。これ以来、丁儀は曹丕を怨むようになり、弟の丁廙とともに曹丕の同母弟の曹植に荷担し、彼を太子に推薦するようになったという。

後に曹植が上京して、曹丕に謝罪する際に彼女に仲介を依頼した。ところが関所の役人がそのことを奏上したため、曹丕は人を派遣して迎えさせたが、突然曹植の行方がわからなくなったために、生母の卞太后は彼が自殺したのでないかと、心配して泣き出した。間もなく曹植は生きたまま顔を出して、首を差し出して兄に対して謝罪した[2]

夫の夏侯楙はケチな上に好色で、多くの愛妾を囲っていたため、夫婦の仲が険悪だった。後に夏侯楙は、弟の夏侯子臧夏侯子江らの礼に外れた行いを叱責した。弟たちは自分たちに災いが及ぶのを恐れ、夏侯楙の罪をでっち上げて嫂である公主を抱き込み、彼女を通じて彼女の甥の曹叡(明帝)に讒訴させた。曹叡自身も夏侯楙を嫌っていたので、これを処刑しようとした。しかし段黙が夏侯楙を弁護したので、再度の調査が行われた。その結果、公主や弟らのでっち上げだったという事実が判明したという。

脚注編集

  1. ^ 「長公主」とは、皇帝の姉妹や娘の中で尊崇を受けた者につけられた封号、後に皇帝の姉妹を指すようになる。
  2. ^ 「魏志」陳思王植伝が引く『魏略』より。