渡辺 幸太郎(渡邊、わたなべ こうたろう、1888年10月23日[1] - 1985年8月17日[2])は、日本の政治家衆議院議員(1期)。

経歴

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新潟県出身[2]1905年新潟商業学校卒。陸軍に入り、歩兵中尉となる[2]亀田町長、同町議、新潟県議国勢調査員、小作調停委員、帝国在郷軍人会亀田町分会長、新潟時事新聞社理事となる[2]

1932年第18回衆議院議員総選挙において新潟2区(当時)から立憲政友会公認で立候補して当選[3]1936年第19回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。1969年亀田町名誉町民[4]。1985年死去。

脚注

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  1. ^ 衆議院『第六十一回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1932年、8頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』588頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』100頁。
  4. ^ 名誉市民 - 合併した市町村の名誉市町村民”. 新潟市. 2022年7月25日閲覧。

参考文献

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  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。