瀬木博尚(せき ひろなお、嘉永5年10月6日1852年11月17日) - 昭和14年(1939年1月22日)は博報堂の創業者。富山県富山市桃井町出身。

来歴・人物

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富山藩士の瀬木博重の長男として生まれる。 富山の役人を経て、明治27年(1884年)に上京し、星亨の「めさまし新聞」に入社。

明治28年(1895年)10月に東京都日本橋本銀町に教育雑誌の広告取次店「博報堂」を開業。明治30年(1897年)、神田区末広町に移転。明治43年(1910年)、日刊『内外通信』を発刊、社名を「内外通信社」と改称する。なお、広告部門には「広告部博報堂」の名称を継続使用した。大正3年(1914年)、神田区錦町に移転。大正13年(1924年)、株式会社化し、初代取締役社長に就任。資本金50万円。

大正15年(1926年)、宮武外骨のコレクションを元にした「明治新聞雑誌文庫」を設立し、東京帝国大学に寄贈した。

瀬木博俊(元博報堂副社長)、瀬木博信(元博報堂社長)、瀬木博政(元博報堂会長)は子。