「ノート:徳宿村一家9人毒殺放火事件」の版間の差分

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*{{賛成}} 用例が複数あり、より事件の内容がわかる[[徳宿村一家9人毒殺放火事件]]が最も適当ではないかと思います。「御宿村」がどこにあるのかは地元の人を除いて少ないとは思いますが、だからといって出典にない「茨城」を冒頭に冠さなければならない理由はないと思いますし、「精米業一家殺害事件」という名称が資料に用いられていないのならば、改名するのが妥当です。--[[利用者:灰色の海|灰色の海]]([[利用者‐会話:灰色の海|会話]]) 2024年5月14日 (火) 10:02 (UTC)
** {{返信|[[利用者:灰色の海|灰色の海]]さん}} コメントおよび投票ありがとうございます。「精米業一家…」という事件名で言及がなされている事例について調べたところ、村野薫『日本の大量殺人総覧』 (2002) で「茨城・徳宿村の精米業一家9人毒殺事件」として紹介されている事例が確認できました{{Sfn|村野薫|2002|p=30}}。ただこの書籍は参考文献で用いている[[斎藤充功]]氏の著書のように個々の事件について個別に調査を行って詳述しているわけではなく、ただ単に概略を紹介しているだけといった方が適切な本であり、この事件についても2ページしかありませんでした。この事件は茨城県内では「[[帝銀事件]]の蒸し返し」と恐れられたそうで、実際に『いはらき』(現在の『茨城新聞』)では同年の県内10大ニュースを決めるなら間違いなくトップになるだろうと評されていますが<ref name="いはらき19541225">『いはらき』1954年12月25日第4版3頁「あれはどうなった 75日以後(5) 一家九人殺し “安住“得ぬ×の遺骨 家繼ぎ決つた○○家」(茨城新聞社)</ref>、その同紙ですら同年の国内10大ニュースには含めておらず<ref>『いはらき』1954年12月13日第4版3頁「1954年度 國內 國外十大ニュース」(茨城新聞社)</ref>、帝銀事件など戦後史に残る大量殺人事件と比べてもそう全国的に知名度が高い事件であるとは言えないでしょう([[特別:差分/71420233|2019年1月に無出典で立項されて]]以降、現時点までほとんどスタブ状態のままなのもそれだけ知名度や社会的関心が低いことが一因かと)。茨城県外の機関から発行された文献での言及例も複数探してみてはいますが、これだけ県外での知名度が低ければ県内の機関から発行された文献以外で言及が少ないのは仕方のないことかと思います。--<span id="要塞騎士"><span id="&#123;&#123;User2&#124;要塞騎士&#125;&#125;">[[{{ns:2}}:要塞騎士]]<span class="plainlinks" style="font-size:smaller">([[{{ns:3}}:要塞騎士|{{int:talkpagelinktext}}]] / [[特別:投稿記録/要塞騎士|{{int:contribslink}}]] / [{{fullurl:Special:Log|page=User:{{urlencode:要塞騎士}}}} {{int:sp-contributions-logs}}])</span></span></span> 2024年5月14日 (火) 14:13 (UTC)
*{{賛成}} 岡山・津山事件、千葉・市川一家4人殺害事件、大阪・附属池田小事件、東京・秋葉原通り魔事件、神奈川・相模原障害者施設殺傷事件などとなっていないのであれば、このページのタイトルも「茨城」を冠する意義は薄いと思います。もし当事件が「茨城・徳宿村精米業一家殺害事件」と広く報道されていた、もしくは捜査機関がそのような事件名を名付けていたのでないならば「茨城」を冠する必要はないと考えます。その上で、改名提案された2案について、同じ使用頻度と考えるとよりフォーマルな「徳宿村一家9人毒殺放火事件」の方がよいのではないかと思います。(もし「徳宿の一家9人殺し」の方が「徳宿村一家9人毒殺放火事件」よりも使用頻度が明らかに高いならばこの限りではない。)--[[特別:投稿記録/2001:240:299F:2400:7D3B:3610:41F5:455A|2001:240:299F:2400:7D3B:3610:41F5:455A]] 2024年5月14日 (火) 14:26 (UTC)
 
=== 脚注 ===
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