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その後の他地域の史料の中には、黒人が登場するものがいくつかあり、弥助以外にもたくさんの黒人が来日していた。フロイスの『[[フロイス日本史|日本史]]』の[[沖田畷の戦い]]には、[[有馬氏|有馬]]方に大砲を扱える黒人がいるとの記述がある。[[慶長]]10年([[1605年]])頃に描かれた『相撲遊楽図屏風』には、肌の黒い男と髷を結った[[力士]]が相撲を取る様子が描かれている。
 
== ロックリー・トーマス氏の「信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍」について ==
ロックリー・トーマス氏の著作「信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍」は、弥助が信長に仕えた1年の資料が数が少なかったため、<ref>信長と弥助――本能寺を生き延びた黒人侍―― p.45</ref>{{Primary source inline|date=2024年5月}}著者が判明している史実を分析し、まったく知られていない部分を他の文献から推理して、空白のピースを埋めた物語形式で描かれ<ref>信長と弥助――本能寺を生き延びた黒人侍―― p.9</ref>{{Primary source inline|date=2024年5月}}、著者による仮説が多分に含まれる。著書の中で、ある出来事に弥助が関わったどうか不明な場合には、信長一族が関わっていた史実のうち、弥助はどのような出来事に参加する可能性が高いかという視点で判断したと書かれている。<ref>信長と弥助――本能寺を生き延びた黒人侍―― p.47</ref>{{Primary source inline|date=2024年5月}}
また、様々な仮説を立て、「弥助は信長のそば近くに置かれていた」「弥助は、高貴な人々との会談や軍事戦略には参加しなかった」「弥助は小姓衆とともに、鷹狩りや遠乗りといった信長が好む武芸をからめた遊びに参加していた」<ref>信長と弥助――本能寺を生き延びた黒人侍―― p.48</ref>{{Primary source inline|date=2024年5月}}などを想定して弥助の人生の再現を試みた著書である。<ref>信長と弥助――本能寺を生き延びた黒人侍―― p.49</ref>{{Primary source inline|date=2024年5月}}
 
==信長のデスマスク==
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* {{Citation |和書 |last =クラツセ|first =ジアン|author-link=|year=1925| volume=上|title =日本西教史|publisher =太陽堂書店|url={{NDLDC|971162/207}} 国立国会図書館デジタルコレクション|pages=384-385}}
* {{Citation |和書|last =岡田|first=正人|year=1999|title=織田信長総合事典|publisher=雄山閣出版|pages=420-421|isbn=4639016328}}
* {{Citation|和書|author=ロックリー・トーマス|translator=不二淑子|date=2017-02|title=信長と弥助――本能寺を生き延びた黒人侍――|publisher=[[太田出版]]|isbn=978-4-7783-1556-6 |ref={{SfnRef|トーマス|2017}} }}
 
== 関連項目 ==