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ロックリー・トーマス氏の書籍の信頼性の議論を移転
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この英雄は武士ではなかったと人々は書いています。 彼がそうだったということはアフリカの口承で伝えられており、それを否定するのは人種差別的である。 当時、私たちには大学がありませんでした、これが私たちの歴史をどのように保存したか、そしてそれは尊重されるべきです--[[利用者:WakandaScholar|WakandaScholar]]([[利用者‐会話:WakandaScholar|会話]]) 2024年5月16日 (木) 08:54 (UTC)
 
== ロックリー・トーマス氏の「信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍」について ==
ロックリー・トーマス氏の著作「信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍」は、弥助が信長に仕えた1年の資料が数が少なかったため、<ref>信長と弥助――本能寺を生き延びた黒人侍―― p.45</ref>{{Primary source inline|date=2024年5月}}著者が判明している史実を分析し、まったく知られていない部分を他の文献から推理して、空白のピースを埋めた物語形式で描かれ<ref>信長と弥助――本能寺を生き延びた黒人侍―― p.9</ref>{{Primary source inline|date=2024年5月}}、著者による仮説が多分に含まれる。著書の中で、ある出来事に弥助が関わったどうか不明な場合には、信長一族が関わっていた史実のうち、弥助はどのような出来事に参加する可能性が高いかという視点で判断したと書かれている。<ref>信長と弥助――本能寺を生き延びた黒人侍―― p.47</ref>{{Primary source inline|date=2024年5月}}
また、様々な仮説を立て、「弥助は信長のそば近くに置かれていた」「弥助は、高貴な人々との会談や軍事戦略には参加しなかった」「弥助は小姓衆とともに、鷹狩りや遠乗りといった信長が好む武芸をからめた遊びに参加していた」<ref>信長と弥助――本能寺を生き延びた黒人侍―― p.48</ref>{{Primary source inline|date=2024年5月}}などを想定して弥助の人生の再現を試みた著書である。<ref>信長と弥助――本能寺を生き延びた黒人侍―― p.49</ref>{{Primary source inline|date=2024年5月}}
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