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[[File:Black sumo wrestler in 17th century.jpg|180px|thumb|左側の力士は、黒い肌に髷を結っていないざんばら髪、高い鼻など、明らかにそれ以外の人物とは異なる人種的特徴で描かれている。相撲遊楽図屏風の一部([[堺市博物館]]所蔵)]]
弥助の出自については、フランソワ・ソリエが[[1627年]]に記した『日本教会史』第一巻に記述がある。[[イエズス会]]の[[イタリア人]][[宣教師|巡察師(伴天連)]][[アレッサンドロ・ヴァリニャーノ]]が来日した際、[[インド]]から連れてきた使用人<ref name="p384">{{Harvnb|クラツセ|1925|loc=p.384}}</ref>で、出身地は[[ポルトガル領東アフリカ]](現[[モザンビーク]])であると記されている<ref name=solier>{{cite book|url=https://books.google.co.jp/books?ei=eJjFUe3tK4SEkgXlxoGICQ&hl=ja&id=pQE_AAAAcAAJ&dq=&jtp=444#v=onepage&q&f=false |title=Histoire Ecclesiastique Des Isles Et Royaumes Du Japon|volume=1 |page=444 |author=François Solier |publisher= |date=2019-04-23}}</ref>。
 
戦国時代、[[ポルトガル王国|ポルトガル]]や[[スペイン帝国|スペイン]]など[[ヨーロッパ]]人が日本を訪れるようになり、[[アフリカ]]出身の者たちも、従者または[[奴隷]]として連れてこられていた。その数は決して少ないものではなく、弥助もそのような一人で宣教師の護衛をしていたとされる。護衛として武術の訓練も受けていたと見られるため[[解放奴隷]]や自由人との説もあり見解が分れている<ref>{{Cite web|和書|date= |url=https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/14/2.html|title=アフリカの日本、日本のアフリカ 第2章 日本に渡ったアフリカ人|publisher=[[国立国会図書館]] |accessdate=2019-10-21}}</ref><ref name=bbc /><ref name=rfi />。
 
ヴァリニャーノは日本に来る前にモザンビークに寄港した{{sfn|クラツセ|1925|pp=427-430}}後インドに長く滞在していた経験があり、弥助が直接ヴァリニャーノによってモザンビークから連れてこられたのか、それとも先行してインドに渡っていたのかはこの文章からは不明である。