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== 人物 ==
; 漢字廃止を建議
[[1866年]](慶応2年)に、前島密は「[[漢字御廃止之議]]」という建議書を将軍[[徳川慶喜]]に提出した。これは、国民の間に学問を広めるためには、難しい漢字の使用をやめるべきだという趣旨のもので、我が国日本の国語国字問題について言文一致を提言した歴史的な文献である。前島は青年時代、江戸から帰省したとき、土産の絵草紙と三字経を甥に教えてみて、漢字教育の難しさを痛感し、漢字廃止を思い立ったのに加えて、[[1862年]](文久2年)長崎で[[チャニング・ウィリアムズ]]([[立教大学]]創設者)から英学の教えを受ける中で、後述の郵便制度に加え、漢字廃止論もウィリアムズから示唆を受けたのである<ref>[https://web.archive.org/web/20221101063456/https://rikkyo-hs-ob.com/pdf/suzukake2019.pdf ウィリアムズ主教の生涯と同師をめぐる人々]</ref>。
 
前島はその後も、国語調査委員としてこの問題に取り組んでいる。郵便制度にも「切手(きって)」「はがき」「手紙(てがみ)」「小包(こづつみ)」「為替(かわせ)」「書留(かきとめ)」など[[やまとことば]]を導入した<ref>[https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/181028/ 郵便用語は「やまとことば」ばかり!日本郵便の父・前島密がこだわった理由とは | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!]</ref>。
 
; 江戸遷都を建言
明治政府は新しい[[首都]]をどこにするか検討している中、前島密は、[[1868年]](慶応4年)に[[大久保利通]]の大阪遷都論を読んで、これに対し、[[遷都]]の地は我が国の中央にあたる江戸でなければならないと大久保に建言した。この意見は大久保を動かし、実現することとなる。この年7月江戸は[[東京市|東京]]と改められ、9月に[[天皇]]は東京へ行幸になり、[[江戸城]]派皇居となった。
 
; 鉄道敷設の立案