「ノート:徳宿村一家9人毒殺放火事件」の版間の差分

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::::** {{追記}} Tarkoekoe氏は「徳宿村一家9人毒殺放火事件」などへの改名に反対する理由として「徳宿村」が既に現存しない地名であることを挙げていますが、これは果たして妥当なものなのでしょうか。[[:Category:昭和時代戦後の殺人事件]]にざっと目を通してみたところ、例えば[[小島事件]]や[[幸浦事件]]が見当たりました。この両事件はともに[[静岡県]]で発生した法学者の間では著名な冤罪事件ですが、「[[小島村 (静岡県)|小島]]」「[[幸浦村|幸浦]]」という自治体名はいずれも現存しません。それぞれ現行自治体名は[[静岡市]][[清水区]]と[[袋井市]]です。[[八海事件]]に至っては事件発生時の市町村名ですらありません([[山口県]][[熊毛郡 (山口県)|熊毛郡]][[麻郷村]]八海=現在の[[田布施町]]八海で発生した事件)。またこの事件と同じ茨城県で発生した殺人事件の中にも[[波崎事件]]がありますが、同事件の舞台となった[[波崎町]]も現在は合併で[[神栖市]]の一部になっております。これらの事件はいずれも冤罪(および疑惑のある)事件としては有名でしょうが、事件史や法学などについて何の知識もない、かつ事件発生現場近くで生まれ育ったわけでもない人がこれらの名前を聞いたところで、その名前からいつどこで発生したどんな事件かなんてわからないでしょう。これらのような事件こそ、まさに「異質で難解な事例」そのものではないのでしょうか。しかしいずれも判例を扱った文献などで(それこそ日本語版ウィキペディアが設立される前、それどころかインターネットが発明されるよりずっと前から)それらの呼称が使われ続けており、故にウィキペディアでもそれらの情報源に従ってそういう命名がされているはずです。なお、この記事が作成された2019年1月の時点で閲覧されていたであろう[[大量殺人]]の当時の版([[特別:差分/70803612|参照]])に「戦後日本の大量殺人事件」というタイトルの一覧表がありますが、その表には既にこの記事への赤リンクが貼られていました。おそらく初版立項者はこの赤リンクを踏んで記事を作成したものと思われますが、当該版ではこの事件の記述(というより一覧表に収録されている事件のほとんど)に対し出典の紐づけは一切なされておらず、そもそも一覧表で用いられていた事件名自体が独自研究であったと言わざるを得ないでしょう。--<span id="要塞騎士"><span id="&#123;&#123;User2&#124;要塞騎士&#125;&#125;">[[{{ns:2}}:要塞騎士]]<span class="plainlinks" style="font-size:smaller">([[{{ns:3}}:要塞騎士|{{int:talkpagelinktext}}]] / [[特別:投稿記録/要塞騎士|{{int:contribslink}}]] / [{{fullurl:Special:Log|page=User:{{urlencode:要塞騎士}}}} {{int:sp-contributions-logs}}])</span></span></span> 2024年5月21日 (火) 11:21 (UTC)
::::::::*"[[特別:差分/100309023|過去のコメント①]]議論撹乱を目的としたコメント、および実在事件の被害者の名誉尊厳を不当に傷つける事実と異なる発言がなされたため除去。当該利用者は目的外利用者と判断、管理者伝言板へ報告済み([[特別:差分/100308898|参照]])"、[[特別:差分/100308898|過去のコメント②]]"ノート:茨城・徳宿村精米業一家殺害事件で意味不明な揚げ足取り。特にこちらが例示したJT女性社員逆恨み殺人事件については事実と異なる、かつ被害者の名誉尊厳を傷つけるような発言もしております"[[特別:差分/100315724|過去のコメント③]]"当該利用者は言動からして[[LTA:SHINJU]]もしくはその模倣の可能性がありますが、そうでないにしても目的外利用者であることは明らかであると確信しております"これら過去のコメント①における私に対する誤解釈を及ぼすであろうコメントおよび打消し線。過去のコメント②における私に対する誤解釈を及ぼすであろうコメント。過去のコメント③における私がLTA:SHINJUであるかのような誤解釈を及ぼすであろうコメント等がそれぞれ閲覧可能な状態なのですが残されたそれぞれのコメントについて今後どうなさるおつもりでしょうか。"「実在事件に関して〜」云々はこちらの認識違いでした、失礼いたしました。"とのことですのでご認識違いでなされた私のコメントへの改竄の取り消しや、ご自身がご認識違いでなされたそれぞれのコメントの修正または除去などのご対応は、大変お手数かと存じますがなさって頂けますのでしょうか。ご自身がご認識違いでなされたこれらのコメントがそのまま閲覧可能な現状に、当方は精神衛生上不安を感じておる次第でございます。--[[利用者:Tarkoekoe|Tarkoekoe]]([[利用者‐会話:Tarkoekoe|会話]]) 2024年5月23日 (木) 08:13 (UTC)
::::::::*:LTA扱いは根拠がないので不適切ですが、Tarkoekoeさんの反対理由は実際意味不明ですし、「起こされた」に訂正したとはいえ「起こした」が「事実と異なる、かつ被害者の名誉尊厳を傷つけるような発言」であることは事実であり認識違いではないと思います。問題のないコメントまで除去や打ち消しをしたのはやりすぎですが。--[[利用者:フューチャー|フューチャー]]([[利用者‐会話:フューチャー|会話]]) 2024年5月23日 (木) 11:54 (UTC)
** {{追記}} 『読売新聞』『朝日新聞』でも、「一家九人毒殺事件」<ref>『朝日新聞』1954年11月7日東京朝刊第12版第一社会面7頁「【水戸発】茨城の一家九人毒殺事件 容疑者を全国指名手配」(朝日新聞東京本社)</ref>「一家九人殺し」<ref>『読売新聞』1954年10月13日東京朝刊第9版(茨城讀賣B版)8頁「一家九人殺し容疑者に二説 長男と白衣の男」「毒殺は10日夜8時 薬品関係の捜査に焦点」「火災直後水戸方面へ 白衣の男 同夕奥谷辻で降りる」(読売新聞東京本社・水戸支局)</ref><ref>『読売新聞』1954年10月14日東京朝刊7頁「【水戸発】茨城の一家九人殺し 父親からも青酸検出」(読売新聞東京本社)</ref>などの用例が確認できました。また本文中でも「鹿島郡徳宿村一家九人毒殺放火事件」<ref>『読売新聞』1954年11月8日東京朝刊第9版(茨城讀賣B版)8頁「九人殺し28日目に終止符 全村民ホッと安心 徳宿村 被害者の霊前に報告」(読売新聞東京本社・水戸支局)</ref>「徳宿村の一家九人毒殺放火事件」<ref>『朝日新聞』1954年11月8日東京朝刊茨城版8頁「自殺した毒殺放火容疑者 Yシャツから糸口 犯行手段は遂にナゾか」(朝日新聞東京本社・水戸支局)</ref>という呼称例が確認できます。--<span id="要塞騎士"><span id="&#123;&#123;User2&#124;要塞騎士&#125;&#125;">[[{{ns:2}}:要塞騎士]]<span class="plainlinks" style="font-size:smaller">([[{{ns:3}}:要塞騎士|{{int:talkpagelinktext}}]] / [[特別:投稿記録/要塞騎士|{{int:contribslink}}]] / [{{fullurl:Special:Log|page=User:{{urlencode:要塞騎士}}}} {{int:sp-contributions-logs}}])</span></span></span> 2024年5月10日 (金) 09:33 (UTC)<small>追加。--<span id="要塞騎士"><span id="&#123;&#123;User2&#124;要塞騎士&#125;&#125;">[[{{ns:2}}:要塞騎士]]<span class="plainlinks" style="font-size:smaller">([[{{ns:3}}:要塞騎士|{{int:talkpagelinktext}}]] / [[特別:投稿記録/要塞騎士|{{int:contribslink}}]] / [{{fullurl:Special:Log|page=User:{{urlencode:要塞騎士}}}} {{int:sp-contributions-logs}}])</span></span></span> 2024年5月10日 (金) 09:38 (UTC)</small>
** {{追記}} さらに『いはらき』(現在の『[[茨城新聞]]』)について調査しましたが、見出しで「一家九人毒殺放火事件」として言及した記事<ref>『いはらき』1954年10月13日第4版3頁「一家九人毒殺放火事件 凶行は白衣の男 搜査當局ほぼ斷定 犯行後水戶に現る 警察署前で悠々飮食」(茨城新聞社)</ref>、また本文中で「鉾田郡德宿村の一家九人毒殺放火事件」<ref>『いはらき』1954年10月14日第4版3頁「一家九人毒殺放火魔 常磐線上りで高飛び? “白衣の男”を必死で追及」「乘捨てた自轉車發見 現場から二里半 沼前村駒場地內で」「飯食べずに靑酸反應 巧妙極まる毒殺の手口」(茨城新聞社)</ref>「鹿島郡德宿村に發生した一家九人靑酸加里毒殺放火事件」<ref name="いはらき19541225"/>として言及した記事が確認できます。また国会図書館のデジタルコレクションで館外からも閲覧できる『[[朝日年鑑]]』『[[時事年鑑]]』なども調べましたが、前者は事件概略で「精米業」なる言葉が全く出てこず単に「一家9人」として言及しており<ref>{{Cite book|和書 |title=朝日年鑑 昭和31年版 |publisher=[[朝日新聞社]] |date=1955-02-28 |page=464 |editor=朝日新聞社 |quote=10月11日 茨城県鹿島郡徳宿村,○○○○さん方から出火,その焼跡から一家9人の焼死体が発見され,死体解剖の結果,死因は青酸性毒物と断定され,犯人×××は逮捕されたが青酸カリで自殺 |id={{NDLJP|2994801/235}}}}</ref>、後者も「鹿島郡徳宿村の一家九人殺し放火事件」として言及しております<ref>{{Cite book|和書 |title=時事年鑑 昭和30年版(1955年版) |publisher=[[時事通信社]] |date=1955-10-01 |page=545 |editor=時事通信社 |quote=鹿島郡徳宿村の一家九人殺し放火事件(五四年十月十日) |id={{NDLJP|3032429/292}}}}</ref>。さらに『刑事警察論集』(警察庁刑事部調査統計課)でも「徳宿村一家毒殺放火事件」として言及がなされております<ref>{{Cite book|和書 |title=刑事警察論集 |publisher=[[東京法令出版]] |date=1956-10-10 |page=252 |editor=[[警察庁]]刑事部調査統計課 |quote=徳宿村一家毒殺放火事件 |id={{NDLJP|2978746/133}}}}</ref>。さらに茨城から遠く離れた高知県の『[[高知新聞]]』が発汗していた年鑑でも「茨城県徳宿村農業○○○○さん一家九人を毒殺、放火」という形でこの事件について言及がされてはおりますが、「精米業」という単語は一切出てきておりません<ref>{{Cite book|和書 |title=高知年鑑 昭和31年版(1956年) |publisher=[[高知新聞|高知新聞社]] |date=1950-09-15 |pages=75-76 |editor= |quote=毒殺して放火 二十九年十月一日〔注:十日の誤りと思われる〕未明茨城県徳宿村農業○○○○さん一家九人を毒殺、放火 |id={{NDLJP|2975696/47}}}}</ref>。--<span id="要塞騎士"><span id="&#123;&#123;User2&#124;要塞騎士&#125;&#125;">[[{{ns:2}}:要塞騎士]]<span class="plainlinks" style="font-size:smaller">([[{{ns:3}}:要塞騎士|{{int:talkpagelinktext}}]] / [[特別:投稿記録/要塞騎士|{{int:contribslink}}]] / [{{fullurl:Special:Log|page=User:{{urlencode:要塞騎士}}}} {{int:sp-contributions-logs}}])</span></span></span> 2024年5月14日 (火) 14:13 (UTC)
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