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== ゲンゲ畑 ==
[[ファイル:Field of Astragalus sinicus.jpg|サムネイル|ゲンゲ畑、[[三重県]][[桑名市]]]]
[[ファイル:Wide AstragalusChinese sinicusmilk vetch field- Japan.png|サムネイル|ゲンゲ畑、[[千葉県]][[市川市]]]]
[[化学肥料]]が自由に使われるようになるまでは、空気中の[[窒素]]を固定してくれる[[根粒菌]]を利用する[[緑肥]](りょくひ = 草肥:くさごえ){{Sfn|高野昭人監修 世界文化社編|2006|p=84}}{{sfn|川原勝征|2015|p=70}}、および[[ウシ|牛]]の飼料とするため、水田裏作で9月ごろに[[イネ]]の間に種をまき、[[稲刈り]]後に生育して冬を越し、翌春に花を咲かせていた{{Sfn|角田公次|1997|p=127}}。これは'''ゲンゲ畑'''と呼ばれ、水田一面に花が咲くさまは「春の風物詩」であった。化学肥料は、20世紀に入ると生産が本格化したが、原材料が[[軍事物資]]という側面があり農業分野で大量に使用することがはばかられていた。このためゲンゲを水田や畑に[[緑肥]]として栽培することで化学肥料の使用を抑える手法が取られていた。戦後は、化学肥料の大量生産や使用が自由になったこと、また、保温折衷[[苗代]]の普及によりイネの早植えが可能になり、緑肥の生産スケジュールと被るようになったことも<ref>大山の歴史編集委員会編『大山の歴史』大山町,1990年刊,p.525</ref>、ゲンゲ畑が急速に姿を消す原因の一つとなった。一時はほとんど緑肥としての利用はなくなったが、一部では[[有機栽培]]が見直され、再び[[イネ]]の収穫期の水田にゲンゲの種子をまいて栽培するところもある{{Sfn|高野昭人監修 世界文化社編|2006|p=84}}。