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== 歴史 ==
メタンフェタミンは、1893年に薬学者・[[長井長義]]と[[三浦謹之助]]が[[エフェドリン]]から合成したもので、シナプス小胞からドーパミン類を排出させることで、疲労をなくし活力が増大したように感じさせる効果がある。1941年に大日本製薬(現在の[[大日本住友製薬]])から「ヒロポン」として販売が開始されると、[[第二次世界大戦]]中に生産性を上げるべく、政府が軍需工場の作業員に配布したり、夜間の監視任務を負った戦闘員に使用させていた。夜間戦闘機の搭乗員に、「夜間視力向上用」として渡した場合もあった。いわゆる'''吶喊錠'''・'''突撃錠'''・'''猫目錠'''である。また第二次世界大戦末期には、[[特別攻撃隊|特攻隊]]向け出陣の前も使わ「特攻錠」として支給さていた。いずれの錠剤もヒロポンにお茶の粉末を混ぜたものである。戦後、軍部所蔵していた注射用アンプルも錠剤もどっと流れて、[[闇市]]でカストリ一杯より安い値段で1回分前に「特攻アンプルや剤も入手できたので、芸人や作家やバンドマンいった寸暇を惜んで働く者たちから、興味半分で始めた若者まで瞬く間に広がっ支給され乱用者が増加していった。戦後も、ある時期また[[1943年]]から[[1950年]]まで薬局で一般に販売は印鑑え持っていたためけばヒロポンのアンプルでも錠剤でも誰でも購入可能で、[[タクシー]]の運転手や夜間勤務の工場作業員など、長時間労働が要求される職種の人々に好んで利用されていた。その疲労回復力から大変重宝され、当時た。だが実際『注射時代』と即効性の高うフレーズを掲げらアンプルは常に闇に流た看板も出された程て常に品不足状態であった{{要出典}}。この結果日本薬局ではメタンフェタミンが社会に蔓延錠剤多数の依存症患者を生み出す事とか入手できったことが、[[1949年]]の新聞で報道されている
 
精神科医の中村希明が、受験勉強のため、錠剤のヒロポンを薬局で購入して飲んだところ、目がやたらと冴えて眠れず、恐ろしい薬だと実感したことや、含有量の少ない錠剤ではなくアンプルを注射していたらどうなっていただろうと思うとゾッとすると、著書に貴重な経験談を書いている。
戦時中は、日本のみならず[[アメリカ合衆国|アメリカ]]、[[イギリス]]、[[ドイツ]]などでも上記と同様の目的で利用されていたが、これらの国々で戦後に覚せい剤が蔓延したという記録は寡聞にして聞かない{{要出典}}。製薬会社と一部の研究者や官僚が結託し、非加熱血液製剤の販売を続けさせたことによりエイズが蔓延した事件が過去にあったが([[薬害エイズ事件]])、覚せい剤に関しても同様の構図が読み取れると指摘する者もいる。戦時中に大量生産し在庫の処分に困っていた製薬会社を助けるために危険性を承知しながら販売を黙認していたとの説である。ただし、戦後の混乱のために法規制が後手に回ってしまっただけであるとの考え方が一般的である。社会問題化するようになり、簡単に服用可能な錠剤から、比較的抵抗感のある注射するタイプのアンプルに切り替えられたが、皮下注射によりかえって効力を増強しただけであった。
 
当時は『注射時代』というフレーズを掲げられた看板も出された程であった{{要出典}}。この結果、日本ではメタンフェタミンが社会に蔓延し多数の依存症患者を生み出す事となった。
 
戦時中、日本のみならず[[ドイツ]]、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]、[[イギリス]]などでも上記と同様の目的で利用されていたが、ドイツだけ早くから弊害に気づいて1941年には危険薬物に指定している。いずれの国も日本ほど覚せい剤乱用者が出なかったのは、覚せい剤より多くの麻薬が闇で容易に入手できる環境であったことが大きく影響している。
 
戦時中は、日本のみならず[[アメリカ合衆国|アメリカ]]、[[イギリス]]、[[ドイツ]]などでも上記と同様の目的で利用されていたが、これらの国々で戦後に覚せい剤が蔓延したという記録は寡聞にして聞かない{{要出典}}。製薬会社と一部の研究者や官僚が結託し、非加熱血液製剤の販売を続けさせたことによりエイズが蔓延した事件が過去にあったが([[薬害エイズ事件]])、覚せい剤に関しても同様の構図が読み取れると指摘する者もいる。戦時中に大量生産し在庫の処分に困っていた製薬会社を助けるために危険性を承知しながら販売を黙認していたとの説である。ただし、戦後の混乱のために法規制が後手に回ってしまっただけであるとの考え方が一般的である。社会問題化するようになり、簡単に服用可能な錠剤から、比較的抵抗感のある注射するタイプのアンプルに切り替えられたが、皮下注射によりかえって効力を増強しただけであった。
 
禁止されるまでに発売されていた主な製品として、メタンフェタミン製剤である「ヒロポン」(大日本製薬・現在の[[大日本住友製薬]])、アンフェタミン製剤「ゼドリン」([[武田薬品工業]])があった。ヒロポンは現在でも、法律で許可された特定の医療機関に対して販売されている。
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覚せい剤自体は非常に安価に製造できるが、取引が非合法化されているため闇ルートでの流通となり、末端価格(小売価格)は数百倍にも跳ね上がる。このため、密輸や密売があとを絶たない。近年では、北朝鮮からの密輸も相当量あるといわれ、同国の外貨獲得手段となっていると指摘されている。
 
中学生・高校生が栄養剤感覚や痩せ薬感覚で手を出したり主婦がセックスドラッグと騙されて服用するケースも増加し、[[社会問題]]になっている。2005年には元[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]所属で前衆議院議員の[[小林憲司]]が覚せい剤所持で逮捕され、衆議院議員在職中にも覚せい剤を使用していたことが判明し国民に大きな衝撃を与えた。
 
近年、デザイナーアンフェタミンなどと呼ばれるMDMA、MDEAなどが若年者を中心に新たな蔓延を起こしているが、これらの薬剤にも濫用により大きな副作用があり、しばしば死亡例もある。取り締まり強化とともに、副作用についての教育が重要視されている。
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近年、麻薬取引の世界では、メキシコの[[犯罪組織]]が急速に台頭していて、[[麻薬取締局|米国の麻薬取締局]]DEAもメキシコの犯罪組織に対し、重大な懸念を表明している。世界中に10万人以上のメンバーがいると見られている、中南米系の犯罪組織である[[MS-13]]も米国内で急速に勢力を拡大している。
 
== 参考文献 ==
*中村希明 『薬物依存―ドラッグでつづる文化風俗史 』 講談社、1993年 ISBN 4061329723
 
 
[[Category:医薬品|かくせいさい]]