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-分割提案(陸奥国 (1868-)を分割)
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{{分割提案|陸奥国 (明治時代)|}}
[[令制国一覧]] > [[東山道]] > '''陸奥国'''
 
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[[image:Japan prov map mutsu.png|thumb|250px|none|鎌倉時代から1868年までの陸奥国]]
}}
'''陸奥国'''(むつのくに)は、[[明治]]以前の日本の地方区分である[[令制国|国]]の一つである。'''奥州'''(おうしゅう)とも呼ばれた。[[延喜式]]での格は[[国司#国等級区分|大国]]、遠国。

範囲は本州の北東端にあたる今日の[[福島県]]、[[宮城県]]、[[岩手県]]、[[青森県]]と、[[秋田県]]北東の[[鹿角市]]と[[小坂町]]にあたるが、[[明治時代]]初期元年([[1868年]])に行われた分割によって青森県と岩手県[[二戸郡]]にかけての地域に縮小された。'''奥州'''(おうしゅう)とも呼ばれた。[[延喜式]]での格は[[国司#国等級区分|大国]]、遠国
 
''分割後の陸奥国については[[陸奥国 (1868-)]]を参照''
 
== 沿革 ==
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[[明治維新]]の折、[[明治政府]]による[[天皇]]を中心とした[[中央集権]]体制が敷かれる過程で、[[江戸時代]]の各藩の領国支配と異なった単位での地方支配体制が求められ、令制国をもとにした地方区分が試みられた。
 
その際、面積が広い陸奥国と出羽国は分割されることになり、明治元年([[1868(1868]])12月に陸奥国は、陸奥国・[[陸中国]]・[[陸前国]]・[[岩代国]]・[[磐城国]]の五つに分割された。分割後の陸奥国は、現在の[[青森県]]に[[岩手県]]西北の[[二戸郡]]を加えた範囲となり、初期の陸奥国から300kmも離れた土地になった。
 
明治政府の地方支配体制は、その後の[[廃藩置県]]によって実現されたため、明治元年の陸奥国分割は、政治的にも地域圏・文化圏成立にもほとんど意味を成さなかった。ただし、分割後の国名は、鉄道の駅名や[[陸前高田市]]などに利用されている。また、陸奥・陸中・陸前の三国を総称した「三陸」の呼称は[[三陸海岸]]を始め現在も定着している。
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* [[江刺郡]]
 
=== 明治期<!--;分割後の陸奥国の郡 ===-->
* [[津軽郡]]
* [[北郡]]
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* [[1846年]](弘化3年) - 160万7881人
* [[1872年]](明治5年) - 229万4915人(旧陸奥国5国合計)
* [[1872年]](明治5年) - 47万3244人(分割後の陸奥国)
 
内閣統計局・編、速水融・復刻版監修解題、『国勢調査以前日本人口統計集成』巻1(1992年)及び別巻1(1993年)、東洋書林。