「富士 (列車)」の版間の差分
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'''富士'''(ふじ)とは、[[九州旅客鉄道]](JR九州)が[[東京駅]] - [[大分駅]]間を[[東海道本線]]・[[山陽本線]]・[[日豊本線]]経由で運行する[[寝台列車|寝台]][[特別急行列車|特急列車]]([[ブルートレイン (日本)|ブルートレイン]])。
== 概要 ==
[[2005年]][[3月1日]]の[[ダイヤグラム|ダイヤ改正]]に伴い、使用車両等が変更された。また、東京駅 - [[門司駅]]間は「[[はやぶさ (列車)|はやぶさ]]」と併結運転となる。
なお、[[列車番号]]は、1・2と運転線区等で変更がない。下り=1、上り=2となる。
*また[[
=== 停車駅 ===▼
▲===停車駅===
:●:停車。
:↓・↑:通過(矢印方向に運行)。
:(運):[[ダイヤグラム#運転停車|運転停車]]。
* 下りの下松駅
{| class="wikitable" style="float: right; margin:0 auto; text-align:center"
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|-
|[[品川駅]]
|(<ref name="shinagawa">品川駅の場合、大幅な遅延など不測の事態などによる停車が主体で、一般的ではない。同駅止まりになるケースが殆ど。その場合、品川駅
|(<ref name="shinagawa">品川駅の場合、大幅な遅延など不測の事態などによる停車が主体で、一般的ではない。同駅止まりになるケースが殆ど。その場合、品川駅
|-
|[[横浜駅]]
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|[[尼崎駅 (JR西日本)|尼崎駅]]
|(<ref>尼崎駅は大阪駅の工事で[[北方貨物線]]を経由する場合に限り大阪駅の代わりに停車。</ref>)
|(<ref>尼崎駅は大阪駅の工事で
|-
|[[岡山駅]]
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|[[中津駅 (大分県)|中津駅]]
|style="background:#fc9"|●
|●<ref>九州内では電車特急に比べ速度が
|-
|[[宇佐駅]]
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|-
|[[杵築駅]]
|style="background:#fc9"|(<ref>九州内では電車特急に比べ速度が
|↑
|-
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|}
=== 客車編成 ===
{{Fuji+Hayabusa 2005}}
=== 牽引機関車 ===
: なお、[[運転士]]は各旅客会社が自社区間を担当する。▼
===
▲:; [[東京駅|東京]] - [[下関駅|下関]]間
▲:: [[西日本旅客鉄道|JR西日本]][[下関地域鉄道部]][[下関地域鉄道部下関車両管理室|下関車両管理室]][[国鉄EF66形電気機関車|EF66形電気機関車]]
▲:; 下関 - [[門司駅|門司]]間
▲:: JR九州[[大分鉄道事業部大分運輸センター]][[国鉄EF81形電気機関車|EF81形電気機関車]]
▲:; 門司 - [[大分駅|大分]]間
▲:: JR九州[[大分鉄道事業部大分運輸センター]][[国鉄ED76形電気機関車|ED76形電気機関車]]
▲: なお、運転士は各旅客会社が自社区間を担当する。
▲*[[東京駅|東京]] - [[下関駅]]間:JR西日本[[下関地域鉄道部#下関乗務員センター|下関乗務員センター]]
▲*下関 - [[大分駅]]間:JR九州[[大分鉄道事業部#大分車掌センター|大分車掌センター]]
== 沿革 ==
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=== 寝台特急以前の「富士」 ===
==== 戦前・日本初 特別急行1・2列車「富士」 ====
*[[1912年]]([[明治]]45年)6月 [[東海道本線]]・[[山陽本線]]の[[新橋駅]]
*[[1914年]]([[大正]]3年)12月 [[東京駅]]開業に伴い、東京方始発・終着駅を同駅とする。
*[[1929年]]([[昭和]]4年)9月 特急1・2列車に「富士」と命名。同時に[[1923年]](大正12年)7月から運行していた特急3・4列車にも「[[さくら (列車)|櫻]]」と命名している。これは日本初の[[列車愛称]]であった。
*:「富士」は[[戦前]]の日本を代表する列車となった。この当時は1・2列車は一等・二等車のみ、そして特急3・4列車は[[普通車 (鉄道車両)|三等車]]のみの編成であった。最後尾の一等展望車には同年11月から[[方向幕#ヘッドマーク|テールマーク]]が取り付けられている。
*:またこの当時は、「富士」の終着駅であった下関から当時日本領であった[[日本統治時代の朝鮮|朝鮮]]の[[釜山広域市|釜山]]へ、[[日本国有鉄道|国鉄]](当時の呼称は[[鉄道省]])による[[鉄道連絡船]]の[[関釜連絡船|関釜航路]]が運航されており、そこから先の鉄道・航路と連絡し、朝鮮、[[満州]]、[[中国]]、さらには[[シベリア鉄道]]を経由して[[パリ]]([[フランス]])、[[ロンドン]]([[イギリス]])に至るまでの[[連絡運輸#国際連絡運輸|国際連絡運輸]]が行われていた。「富士」はその一翼を担う
*:列車名の由来は、日本を代表する山「[[富士山]]」からとされるが、一般からの公募によって決められた。この時の公募については[[列車愛称]]の項目も参照。
*[[1934年]](昭和9年)12月 [[丹那トンネル]]開通に伴うダイヤ改正で、「富士」にも三等車が連結される
*[[1935年]](昭和10年)7月 「富士」に[[シャワー]]室を連結。
*[[1942年]](昭和17年)11月 [[関門鉄道トンネル|関門トンネル]]開通に伴い、「富士」は運行区間を東京駅
*[[1943年]](昭和18年)7月 それまでの特急列車を「第一種急行」、急行列車を「第二種急行」とする。「特急列車」の呼称は、制度上からはここで消滅した。
*[[1943年]](昭和18年)10月 運転区間を、東京駅
*[[1944年]](昭和19年)4月 [[太平洋戦争]]の激化により運行中止。
==== 戦後・「富士」の変遷 ====
[[戦後]]、「富士」の列車愛称は、戦前に日本を代表する列車名称であったことから「それにふさわしい列車が出るまでは」と使用に慎重な姿勢が続いた。例えば、「[[こだま (列車)|こだま]]」の名称公募の際も「富士」は将来別途使用の計画があるという理由で投票対象から除外された。結局、[[1961年]]10月のダイヤ改正で列車の増発により東海道本線の電車特急に使用されたが、「機会を逸した」との意見も少なからずあったとされる。しかし、[[1950年]](昭和25年)頃には、[[新宿駅]]
*[[1961年]](昭和36年)10月1日 [[東京駅]]
**設定当時、「四国特急」の仮称があったとされる東京駅
**なお、東京駅
*[[1964年]](昭和39年)
*
*
=== 東京
1964年(昭和39年)以降、「富士」は日豊本線の寝台特急となり、それ以前から既に運行されていた東京
==== 東京
*[[1951年]](昭和26年)11月 東京駅
*:東京駅
*[[1952年]](昭和27年)11月 501・502列車に「'''たかちほ'''」と命名。同時に31・32列車には「阿蘇」(あそ)の愛称が与えられる。
*[[1954年]](昭和29年)10月 「たかちほ」は併結列車を東京駅
*[[1956年]](昭和31年)11月 「高千穂」は併結を取りやめて全区間単独運転となり、運行距離を延長して東京駅
*:この時から日本最長距離を走る列車となり、全区間走破には31時間28分を要した。しかし東京・大阪から鹿児島へは[[鹿児島本線]]経由が一般的であったため、同列車を全区間乗り通す客はそれほどいなかったといわれている。
*[[1961年]](昭和36年)10月 東京駅
*[[1963年]](昭和38年)6月 寝台特急「[[はやぶさ (列車)|みずほ]]」に
==== 最長九州特急「富士」と最長夜行急行「高千穂」 ====
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*[[1965年]](昭和40年)10月 このときのダイヤ改正により、以下のように変更。
*#特急「富士」、運行区間を[[日豊本線]]経由で西鹿児島駅まで延長。
*#:東京駅
*#「九州観光列車」の名称を「'''九州第1観光号'''」に変更。また、大分駅発の上りのみ運行となる。
*[[1967年]](昭和42年)10月 「九州第1観光号」の名称を行き先毎に変更し、同列車の長崎駅編成に「五島」(ごとう)、大分駅編成に「'''くにさき'''」の名称が与えられる。
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*#「高千穂」は、鹿児島本線経由の急行「[[はやぶさ (列車)|霧島]]」との併結列車となる。
*#*同時に「高千穂」の編成からは寝台車・食堂車廃止。
*#「くにさき」運行区間を新大阪駅・大阪駅
*[[1970年]](昭和45年)10月 「高千穂」に併結される鹿児島本線急行列車の名称を「桜島」(さくらじま)に変更。
*[[1972年]](昭和47年)3月 「桜島」から食堂車の連結を廃止。
*1975年3月 [[山陽新幹線]]博多駅乗り入れに伴う[[1975年3月10日国鉄ダイヤ改正|ダイヤ改正]]により、以下のように変更。
*#「富士」、使用車両を[[国鉄24系客車|24系24形客車]]に変更。
*#急行「高千穂」、名古屋駅
==== 九州寝台特急凋落の時代と「富士」 ====
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*:食堂車は増備しない方針であったため、運行時間が丸一日となる「富士」「はやぶさ」の食堂車を途中駅折り返しとすることで東京に戻る日を一日早めることとし、「あさかぜ」への充当が可能となった。
*[[1980年]](昭和55年)[[10月1日]] [[1980年10月1日国鉄ダイヤ改正|ダイヤ改正]]に伴い、利用者の減少により、運行区間を[[宮崎駅]]までに短縮。この時、日本最長距離特急の座を「はやぶさ」に譲る。
*[[1984年]](昭和59年)[[2月1日]] 廃止されていた九州内の[[方向幕#ヘッドマーク|ヘッドマーク]]取り付けが復活。
*1984年[[10月19日]] [[西明石駅]]を通過中の上り「富士」が脱線して[[プラットホーム|ホーム]]に激突、32名が負傷する事故発生。[[西明石駅列車脱線事故]]を参照。
*[[1985年]](昭和60年)3月 東京駅
*[[1986年]](昭和61年)春から「富士」に4人用B個室寝台「カルテット」(オハネ24形700番台)を連結。
*1986年[[11月1日]] [[1986年11月1日国鉄ダイヤ改正|このときのダイヤ改正]]に伴い、「富士」の客車の受持ちを[[品川運転所]]から[[鹿児島総合車両所|鹿児島運転所]](基本編成)、[[熊本鉄道事業部#熊本車両センター|熊本運転所]](付属編成)へ変更。「はやぶさ」と共通編成となり、[[ロビーカー]]を連結開始。「カルテット」は「あさかぜ1・4号」へ変更。
*[[1989年]](平成元年)3月 「富士」に1人用B個室寝台「ソロ」(オハネ25形1000番台)を連結。
*[[1990年]](平成2年)3月 「富士」[[南宮崎駅]]まで運行区間を1駅延長。
*1991年(平成3年)3月
*[[1993年]](平成5年)3月 「富士」食堂車が営業を終了。
*[[1997年]](平成9年)11月 「富士」運行区間を大分駅までに短縮。また、食堂車であったオシ24形の連結終了。
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*[[2002年]](平成14年)[[3月23日]] 「さくら」の開放式B寝台を1両、「はやぶさ」は2両減車。「さくら」は5両編成とし、「はやぶさ」は7両編成となり、「富士」は12両編成での運行となる。
{{Hidden|2002年より2005年までの編成図|{{Kyushu Limited From Tokyo 2002-2005}}}}
*[[2004年]](平成16年)2月 [[九州新幹線]]開業に伴い西鹿児島駅が鹿児島中央駅に改称するのを記念し、東京(品川)→西鹿児島駅間を下り列車のみ[[団体専用列車]]『懐かしの富士号』として復活運転。なお、通常通りのダイヤで定期列車も運行されていた。{{右|[[画像:fuji.jpg|thumb|none|right|200px|併結運転開始間近の「富士」]]}}
*[[2005年]](平成17年)3月 この時のダイヤ改正で「はやぶさ」に併結していた「さくら」が廃止、同時に「富士」は「はやぶさ」との併結列車になり、使用車両は全車[[国鉄14系客車|14系客車]]となった。これに伴い「ロビーカー」の連結
**改正に先立ち、オロネ25形をオロネ15形3000番台に改造するため、下りは1月12日
**車掌の乗務区間が1999年に変更され当時の大分車掌区が一時外れたが、2008年現在は九州内のみを担当している。
*:また、運行変更に伴う車両回送列車は、以下のような手順で行われた。
*:*2005年3月1日定刻に東京駅到着後、[[田町車両センター]]へ回送し、旧「さくら・はやぶさ」、旧「富士」の14系客車を分割後、2編成併結の上、下り「富士・はやぶさ」となった。24系客車については3月2日発で品川から熊本へ2編成併結で返却回送された。3月1日着下り「富士」の24系客車については大分駅で分割後熊本へ回送された。
*[[2009年]](平成21年)[[3月]] このダイヤ改正を
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[さくら (列車)|さくら]]
* [[はやぶさ (列車)|はやぶさ]]
* [[あさかぜ (列車)|あさかぜ]]
* [[東海道本線優等列車沿革]]
* [[山陽本線優等列車沿革]]
* [[急行高千穂号事件]]
== 外部リンク ==
* [http://www.jr-odekake.net/train/hayabusa_fuji/ JRおでかけネット : 車両案内 : はやぶさ・富士 14系・24系]
[[Category:国鉄・JRの列車愛称|ふし]]
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