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{{Otheruses|ロシア連邦の地方区分の一つであるサハリン州|サハリン島とその歴史|樺太|クリル諸島とその歴史|千島列島}}
{{基礎情報 ロシアの連邦構成主体
|日本語名称 =サハリン州
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|面積順位 =
|面積大きさ =1 E10
|面積値 =87,1008万7100
|面積追記 =
|人口出典 =2002年国勢調査
|人口順位 =
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|人口密度値 =6.3
|都市人口率 =86.7%
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|注記 =
}}
'''サハリン州'''({{Lang|ru|Сахалинская область}}, {{en|Sakhalinskaja oblast'ȉ}})は、[[ロシア|ロシア連邦]]の[[ロシア連邦の地方区分|連邦構成主体]]のひとつ。[[サハリン島]](樺太島)と[[クリル諸島]](千島列島)を管轄し、[[極東連邦管区]]に属する。州都は[[ユジノサハリンスク]]。面積は87,100km²8万7100[[平方キロメートル|km{{sup|2}}]]、南北の距離広がりが約900km900[[キロメートル|km]]、人口は546,69554万6695人([[2002年]])。
 
== 概要 ==
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[[宗谷海峡]]、[[オホーツク海]]を挟んで[[日本]]の[[北海道]]に接しており、日本との経済的な結びつきが強い。主な付属島嶼にモネロン島(日本名は海馬島)があり、[[1983年]][[9月1日]]に発生した[[大韓航空機撃墜事件]]のあった舞台としても有名である。サハリン島の南部(南樺太)およびクリル諸島(千島列島)全域は、[[第二次世界大戦]]以前は[[日本]]領であった地域であり、当時、未だ有効期間中であった[[日ソ中立条約]]を破棄して[[ソビエト連邦]]が侵攻した。現在でもロシア連邦が[[実効支配]]している。そのうち、南クリル(南千島、「[[北方領土]]」)については、日本政府は日本固有の領土であるとして返還を強く求めており[[領有権]]を巡って係争となっている。その他日本が領有権を放棄した地域については日本政府は「[[ソビエト連邦|ソ連]]・[[ロシア]]が[[日本国との平和条約|条約]]に調印していないため[[国際法]]上は所属未定」<ref>これに関して、国際連合は正式にロシア領との見解を示している。</ref>との立場を取っている。なお、日本政府による積極的な返還要求が南千島のみであるのに対し、[[日本共産党]]は、[[樺太・千島交換条約]]によって合法的に日本の領土とされていた歴史的経緯を根拠に、北千島を含む千島列島全域を、[[維新政党・新風]]は南樺太も含めて<ref>[http://sokuho.sblo.jp/article/26074042.html <維新政党・新風>声明: 北方領土にてロシアの要求を拒否せよ!] 2009年1月29日付</ref>返還を主張すべきという立場を取っている。またサハリンはモスクワからとてつもなく離れた僻地の島であるためか、レーニン像が未だに残っており、施設の老朽化が進んでおり、経済発展によりロシア本土へ移住が進み過疎化している。鉄道も大陸からのお古のロシア客車が使用されている。
 
== 州を構成する島々 ==
=== サハリン(樺太) ===
* サハリン島…日本名は[[樺太島]]。[[宗谷海峡]]([[ロシア語]] {{lang|ru|Пролив Лаперуза}})で隔てられた、北海道の[[宗谷岬]]と、樺太(サハリン)の[[西能登呂岬]](クリリオン岬)の間は、わずか約42kmである。宗谷海峡のロシア語の海峡名「ラ・ペルーズ海峡」(英語:La {{en|La Pérouse Strait)Strait}})は、[[1787年]]にここを通過した[[フランス]]の探検家[[ラ・ペルーズ]]の名に由来する。
* カーメニアパースナスチ島…日本名は[[二丈岩]]。
* モネロン島…日本名は[[海馬島 (樺太)|海馬島]]。
* チュレーニー島…日本名は[[海豹島]]。
 
=== 小千島クリル列島({{lang|ru|Малая Курильская гряда}})() ===
歯舞群島、色丹島) ===
 
* シコタン島({{lang|ru|Остров Шикотан}})…日本名は[[色丹島]]。人口3222人(2004年1月1日現在、ロシア統計より)。
* シコタン島({{ru|Остров Шикотан}})…日本名は[[色丹島]]。人口3222人(2004年1月1日現在、ロシア統計より)。
* ハボマイ諸島({{lang|ru|Острова Хабомай}})…日本名は[[歯舞群島]]。いずれの島も現在は一般人の定住のない[[無人島]]であるが、志発島に夏のみ少数のロシア漁民が移住する。また主な各島には[[ロシア国境軍|ロシア沿岸警備隊]]が配置されている。
** パローンスキー島({{lang|ru|Остров Полонского}})…日本名は[[多楽島]]。現在は無人島で、ロシア沿岸警備隊が常駐。
** ゼリョーヌイ島({{lang|ru|Остров Зелёный}})…日本名は[[志発島]]。ロシア沿岸警備隊が常駐。無人島であるが、夏になると昆布を採りに来る漁民が季節移住し、季節営業の食堂もあり活況を呈する。
** ユーリ島…日本名は[[勇留島]]。
** アヌーチナ島…日本名は[[秋勇留島]]。
** タンフィーリエフ島…日本名は[[水晶島]]。[[納沙布岬]]から珸瑤瑁(ごようまい)水道(ロシア名:ソビエト海{{lang|ru|Пролив Советский}})を隔ててわずか7kmの距離。ロシア沿岸警備隊が常駐している。
** シグナーリヌイ島({{lang|ru|Остров Сигнальный}}=灯台島の意)…日本名は[[貝殻島]]。珸瑤瑁(ごようまい)水道(ロシア名 ソビエツキー海峡{{lang|ru|Пролив Советский}})のほぼ中間地点。[[1957年]]に、当時ソ連[[ソビエト社会主義共和国連邦閣僚評議会付属国家保安委員会|KGB]]の一機関であったソ連国境警備隊が実力で占拠した。その時、日本は[[日米安全保障条約]]により米国によって防衛されることになっていたが、米軍は一切出動しなかった。この島の灯台は長らく点灯していなかったが、近年ロシア当局により修理された。しかしその後も点灯と消灯を繰り返している。この島と納沙布岬との中間にロシア側の主張する「[[国境|国境線]]」があり、それを示す[[浮き|ブイ]]が設置されている。
 
=== 大クリル列島 ===
国後島から占守島まで
 
* クナシル島…日本名は[[国後島]]。北海道とは[[根室海峡]](ロシア名:クナシルスキー海峡)で隔てられている。根室海峡の最狭部は野付水道(ロシア名 イズメナ海峡 {{ru|Пролив Измены}})と呼ぶ。ロシアでは、アイヌ語でクナシルと言い、ロシア人も国際標記もこれに従っている({{ru|Остров Кунашир}})としている。主な山に爺爺岳(ロシア名 チャチャ山 {{ru|Вулкан Тятя}})がある。人口6622人(2004年1月1日現在、ロシア統計より)。
=== 大千島列島(国後島から占守島まで) ===
* クナシイトゥープ({{ru|Остров Итуруп}})…日本名は[[国後択捉島]]。北海国後水とは[[根室海峡]](ロシア名:クナシルスキ エカチェリ海峡)で隔てられている。根室海峡の最狭部は野付水道(ロシア名:イズメナ海峡 {{lang|ru|Пролив ИзменыЕкатерины}})と呼ぶを隔てて国後島の北東に並列する。ロシアでは、アイヌ語でクナシイトゥープと言い、ロシア人も国際標記もこれアイヌ語に従っている(ロシア語 {{lang|ru|Остров КунаширИтуруп}})と言われている。主な山に爺爺岳(同:チャチャ山 {{lang|ru|Вулкан Тятя}})がある。人口6,622人(2004年1月1日現在、島の南部や北部は自然保護区域として地元のロシア統計より)人でさえも立入を制限されている
* イトゥループ島({{lang|ru|Остров ИтурупУруп}})…日本名は[[択捉得撫島]]。国後[[択捉水道]](ロシア名:エカチェリー海峡 {{lang|ru|Пролив ЕкатериныФуриза}})を隔てて国後択捉の北東に並列と相対る。ロシアでは、アイヌ語でイトゥループと言い、ロシア人も国際標記もアイヌ語に従っている(ロシア語:{{lang|ru|Остров Итуруп}})と言われている。島の南部や北部は自然保護区域として地元のロシア人でさえも立入を制限されている。
* ウループ島({{lang|ru|Остров Уруп}})…日本名は[[得撫島]]。[[択捉水道]](ロシア名:フリーズ海峡 {{lang|ru|Пролив Фуриза}})を隔てて択捉島と相対する。
* ブラット・チェルポエフ島…日本名は[[知理保以南島]]。
* チェルポイ島…日本名は[[知理保以島]]。
* ブロウトナ島({{lang|ru|Остров Броутона}})…日本名は[[武魯頓島]]。
* シムシル島…日本名は[[新知島]]。
* ケトイ島…日本名は[[計吐夷島]]。
* ウシシル島…日本名は[[宇志知島]]。
* スレドネワ島({{lang|ru|Остров Среднего}})…日本名は[[摺手岩]](スレドネヴォ島、スリェドニェヴァ島ともいう)。「スレドネヴァ」海峡(日本名は摺手海峡)の中間にある。
* ラスシュア島({{lang|ru|Остров Расшуа}})又はラスシュヤ島({{lang|ru|Остров Расшя}})…日本名は[[羅処和島]]。幌茶登山(ロシア名 ラスシュア山 {{lang|ru|Вулкан Расшуа}})がある。
* マトゥア島…日本名は[[松輪島]]。
* ライコケ島…日本名は[[雷公計島]]。北東方約9海里には、間に牟知列岩(ロシア名 ロヴシュキ列岩 {{lang|ru|Скалы Ловушки}})を挟んでシアシュコタン島がある。
* シアシュコタン島({{lang|ru|Остров Шиашкотан}})…日本名は[[捨子古丹島]]。[[黒岳]](ロシア名:シナルカ山 {{lang|ru|Вулкан Синарка}})がある。
* チリンコタン島…日本名は[[知林古丹島]]。
* エカルマ島…日本名は[[越渇磨島]]。越渇磨海峡(ロシア名:エカルマ海峡 {{lang|ru|Пролив Экарма}})を挟む南東方、約5海里にシアシュコタン島がある。黒岳(ロシア名:シナルカ山 {{lang|ru|Вулкан Синарка}})が座している。
* ハリムコタン島({{lang|ru|Остров Харимкотан}})…日本名は[[春牟古丹島]]。捨子古丹島の北東方、捨子古丹海峡(ロシア名セヴェルギナ海峡 {{lang|ru|Пролив Севергина}})を挟んだおよそ16浬にある。春牟古丹岳(ロシア名:セヴェルギナ山 {{lang|ru|Вулкан Севергина}})が座していて、有史以来度々爆発、[[噴火]]をみている。
* オネコタン島…日本名は[[温禰古丹島]]。
* マカンルシ島({{lang|ru|Остров Маканруши}})…日本名は[[磨勘留島]]。西方、約11浬にアボスと呼ばれる三角形の裸岩がある。ロシア名アヴォシ岩({{lang|ru|скала Авось}})。
* アンツィフェロヴァ島({{lang|ru|Остров Анциферова}})…日本名は[[志林規島]]。幌筵島南西端の西方、志林規海峡(ロシア名 ルジナ海峡 {{lang|ru|Пролив Лужина}})の沖8浬半に位置する。
* パラムシル島({{lang|ru|Остров Парамушир}})…日本名は[[幌筵島]]。南の温禰古丹島とはオンネコタン海峡(ロシア名 第4クリル海峡 ({{lang|ru|Четвертый Курильский Пролив}}) )によって隔てられている。千倉岳(ロシア名 チクラチキ山 {{lang|ru|Вулкан Чикурачки}})の標高1,817mをはじめ、後鏃岳(同:ロシア名 フッサ山 {{lang|ru|Вулкан Фусса}})、白煙山(同:ロシア名 カルピンスキー山 {{lang|ru|Вулкан Карпинского}})、千島硫黄山(同:ロシア名 エベコ山 {{lang|ru|Вулкан Эбеко}})など、1000メートル級の山々が座している。
* アトラソヴァ島…日本名は[[阿頼度島]]。親子場山(ロシア名 アライト山 {{lang|ru|Вулкан Алаид}})が聳える。なお、旧ソ連、及びロシアでの呼び名は、18世紀の探検家、ヴラジーミル・ヴァシーリヴィチ・アトラソフの名にちなむ。
* シュムシュ島({{lang|ru|Остров Шумшу}})…日本名は[[占守島]]。北の[[カムチャツカ半島]]とは[[千島海峡]](ロシア名 第1クリル海峡 ({{lang|ru|Первый Курильский Пролив}}) )で、南の[[幌筵島]]とはパラムシル海峡(ロシア名 第2クリル海峡({{lang|ru|Второй Курильский Пролив}}))で隔てられている。
 
==その他の地形==
== 主な山 ==
=== サハリン島(樺太) ===
* チェーホフ山('''{{lang|ru|пик Чехова}}''')…サハリン島。日本名は[[鈴谷岳]]。
* マトロソヴォスカヤ山…サハリン島。日本名は[[幌登岳]]。最寄駅はマトロソヴォ駅([[初問駅]])。
<!--ロシア名の分からないものは削除-->
 
=== 半島 ===
* クリリオンスキー半島…日本名は能登呂半島。南の宗谷海峡に対しては、西側に位置する。
* トニノ・アニフスキー半島…日本名は中知床半島。南の宗谷海峡に対しては、東側に位置する。
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* シュミット半島
 
=== 岬 ===
* クリリオン岬…日本名は西能登呂岬。
* アニワ岬…日本名は中知床岬。
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* エリザベート岬…日本名は鵞小門(ガオト)岬。
 
=== 湾 ===
* アニワ湾…日本名は亜庭湾。
* テルペニア湾…日本名は多来加湾。
* [[サハリン湾]]
 
=== 湖 ===
*トゥチャナイ湖…砂州によって[[オホーツク海]]と隔てられた湖。
*ネフスコエ湖({{lang|ru|Озеро Невское}})…日本名は多来加湖。
 
==行政区画==
== 主な都市・町村 ==
===管区・地区===
=== サハリン島(樺太) ===
管区・地区等とその人口。人口は2002年。「市町村」は行政中心の戦前の日本の市町村での所在。
* [[ユジノサハリンスク]]({{lang|ru|Южно-Сахалинск}})…ユジノサハリンスクとは、「南サハリンの町」というロシア語に由来する、サハリン最大の都市。日本名は豊原市。豊原とユジノサハリンスク市との間には制度上の連続性はなく、区域も一致していない。豊原の範囲は、[[ロシア|ロシア連邦]]の行政区域では[[ユジノサハリンスク]]市の一部及び[[アニワ地区]]の一部に相当する。
{|class="wikitable"
* [[ドリンスク]]({{lang|ru|Долинск}})…日本名は落合。2004年現在の人口は16,000人である。ユジノサハリンスクとは鉄道及び自動車で約1時間の距離にある。ソコル(日本名は大谷)の飛行場はソ連時代になっても使用されており、1983年の大韓航空機撃墜事件ではこの場所からソ連軍機が飛び立ったことが知られている。
! 管区 !! ロシア語 !! 行政中心 !! 旧市町村 !! 島 !! 総人口
* [[コルサコフ (サハリン州)|コルサコフ]]({{lang|ru|Корсаков}})…日本名は[[大泊町|大泊]]。[[ロシア帝国|帝政ロシア]]時代に、この地を'''コルサコフ'''と呼び、この名称は現在のロシア連邦でも引き継がれている。
|-
|ユジノサハリンスク || {{interlang|ru|Южно-Сахалинск}} || [[ユジノサハリンスク]] || [[豊原市]] || サハリン島 || 182142
|-
|アレクサンドロフスク・サハリンスキー地区 || {{interlang|ru|Александровск-Сахалинский район}} || [[アレクサンドロフスク・サハリンスキー]] || (北樺太) || サハリン島 || {{0}}17509
|-
|アニワ都市管区 || {{interlang|ru|Анивский городской округ}} || [[アニワ]] || [[留多加町]] || サハリン島 || {{0}}15275
|-
|ドリンスク都市管区 || {{interlang|ru|Долинский городской округ}} || [[ドリンスク]] || [[落合町 (樺太)|落合町]] || サハリン島 || {{0}}28268
|-
|コルサコフ都市管区 || {{interlang|ru|Корсаковский городской округ}} || [[コルサコフ (サハリン州)|コルサコフ]] || [[大泊町]] || サハリン島 || {{0}}17509
|-
|クリル都市管区 || {{interlang|ru|Курильский городской округ}} || [[クリリスク]] || [[留別村]] || [[択捉島]]・[[得撫島]]・[[新知島]] || {{0}}{{0}}7104
|-
|マカロフ都市管区 || {{interlang|ru|Макаровский городской округ}} || [[マカロフ (サハリン州)|マカロフ]] || [[知取町]] || サハリン島 || {{0}}{{0}}9802
|-
|ネベリ自治地区 || {{interlang|ru|Невельский муниципальный район}} || [[ネベリスク]] || [[本斗町]] || サハリン島 || {{0}}26873
|-
|都市管区ノグリキ || {{interlang|ru|Городской округ Ногликский}} || [[ノグリキ]] || (北樺太) || サハリン島 || {{0}}13594
|-
|オハ都市管区 || {{interlang|ru|Охинский городской округ}} || [[オハ]] || (北樺太) || サハリン島 || {{0}}33533
|-
|ポロナイスク都市管区 || {{interlang|ru|Поронайский городской округ}} || [[ポロナイスク]] || [[敷香町]] || サハリン島 || {{0}}28859
|-
|セヴェロ(北)クリル都市管区 || {{interlang|ru|Северо-Курильский городской округ}} || [[セベロクリリスク]] || [[柏原 (幌筵島)|柏原]] || [[占守島]]~[[計吐夷島]] || {{0}}{{0}}2595
|-
|スミルヌイフ都市管区 || {{interlang|ru|Смирныховский городской округ}} || [[スミルヌイフ]] || 敷香町([[気屯駅|気屯]])|| サハリン島 || {{0}}{{0}}1504
|-
|トマリ都市管区 || {{interlang|ru|Томаринский городской округ}} || [[トマリ]] || [[泊居町]] || サハリン島 || {{0}}11669
|-
|ツイモフスコエ都市管区 || {{interlang|ru|Тымовский городской округ}} || [[ツイモフスコエ]] || (北樺太) || サハリン島 || {{0}}19109
|-
|ウグレゴルスク自治地区 || {{interlang|ru|Углегорский муниципальный район}} || [[ウグレゴルスク]] || [[恵須取町]] || サハリン島 || {{0}}30208
|-
|ホルムスク都市管区 || {{interlang|ru|Холмский городской округ}} || [[ホルムスク]] || [[真岡町]] || サハリン島 || {{0}}49848
|-
|ユジノ(南)クリル都市管区 || {{interlang|ru|Южно-Курильский городской округ}} || [[ユジノクリリスク]] || [[古釜布]] || [[国後島]]・[[色丹島]]・[[歯舞諸島]] || {{0}}{{0}}9702
|-
|計 || || || || || 546481
|}
 
=== 主な都市・村落 ===
==== サハリン島(樺太) ====
* [[ユジノサハリンスク]]({{ru|Южно‐Сахалинск}})…ユジノサハリンスクとは、「南サハリンの町」というロシア語に由来する、サハリン最大の都市。日本名は豊原市。豊原とユジノサハリンスク市との間には制度上の連続性はなく、区域も一致していない。豊原の範囲は、[[ロシア|ロシア連邦]]の行政区域では[[ユジノサハリンスク]]市の一部及び[[アニワ地区]]の一部に相当する。
* [[ドリンスク]]({{ru|Долинск}})…日本名は落合。人口は1万6000人(2004年)である。ユジノサハリンスクとは鉄道及び自動車で約1時間の距離にある。ソコル(日本名は大谷)の飛行場はソ連時代になっても使用されており、1983年の大韓航空機撃墜事件ではこの場所からソ連軍機が飛び立ったことが知られている。
* [[コルサコフ (サハリン州)|コルサコフ]]({{ru|Корсаков}})…日本名は[[大泊町|大泊]]。[[ロシア帝国|帝政ロシア]]時代に、この地をコルサコフと呼び、この名称は現在のロシア連邦でも引き継がれている。
* [[オジョルスキー|オジョルスキー村]]…日本名は長浜。
* [[チェプラノオ|チェプラノオ村]]…日本名は瑞穂。
* [[ネベリスク]]({{lang|ru|Невельск}})…日本名は本斗。ネベリスク市及びネベリスク地区と呼ばれている。[[2004年]]度の人口は24,0002万4000(2004年度)である。市の南東には[[大韓航空機撃墜事件]]の犠牲者を悼む「祈りの碑」がある。昆布の名産地である。
* [[ホルムスク]]({{lang|ru|Холмск}})…ホルムスクとは「丘の町」というロシア語に由来する。真岡とホルムスク市との間に制度上の連続性はなく、区域も一致していない。[[2002年]]現在、人口は35,1413万5141(2002年)である。
* [[チェーホフ (サハリン州)|チェーホフ]]({{lang|ru|Чехов}})…チェーホフとは、かつて樺太を訪れた[[ロシア]]の文豪[[アントン・チェーホフ|チェーホフ]]に由来するが、実際にチェーホフがこの地を訪れたというわけではない。日本名は野田。
* [[トマリ]]({{lang|ru|Томари}})…日本名は泊居。[[北海道]][[天塩郡]][[天塩町]]と[[姉妹都市]]となっている。
* [[ウグレゴルスク]]({{lang|ru|Углегорск}})…ウグレゴルスクとは「炭鉱の町」というロシア語に由来する。日本名は恵須取。人口は18,5001万8500人である。タタール海峡([[間宮海峡]])に注ぐウグレゴルカ川(恵須取川)河口に位置する。
* [[ポロナイスク]]({{lang|ru|Поронайск}})…ポロナイスクとはポロナイ川(幌内川)の河口に位置することに由来する。[[2004年]]現在、市の人口は25,0002万5000(2004年)である。なお、行政区画としての敷香とポロナイスク市との間に連続性はなく、その範囲も一致してはいない。友好都市は[[北海道]][[北見市]]。
* [[レオニードヴォ]]…日本名は上敷香。
* [[ネフチェゴルスク (サハリン州)|ネフチェゴルスク]]
* [[オハ]]({{lang|ru|Оха}})
* [[アレクサンドロフスク・サハリンスキー]]…日本名は'''落石'''(おっちし)。
* [[スタロドゥプスコエ]]…[[ユジノサハリンスク]]から北に約50キロのオホーツク海沿いの村。琥珀が取れる海岸があることで有名。宮沢賢治もかつて訪れ、銀河鉄道の夜のモチーフにしたと言われる。
 
==== 色丹島(サハリン州南クリル管区 ====
* マロークリリスク({{lang|ru|Малокурильск}}=「小千島の町」の意)とクラバザヴォーツク({{lang|ru|Крабозаводск}} = 「カニ工場の町」の意)…色丹島。日本名は斜古丹と穴澗。シコタン島({{lang|ru|Остров Шикотан}})(日本名 色丹島)の2大集落。中心地はマロークリリスク。「小千島」とは、根室半島に連なる歯舞群島と色丹島の列島を、ロシア側は「小千島列島」({{lang|ru|Малая Курильская гряда}})と呼んでいることに由来する。穴澗には日本の拿捕漁船乗組員の収容所がある。[[1945年]][[8月]]、[[ソビエト連邦]]によって[[占領]]され、連邦崩壊後は、それを継承した[[ロシア連邦]]が[[占領]]・[[実効支配]]している。面積255.12平方km12km{{sup|2}}。人口3,1953195([[2005(2005]]現在)。
* ゴロヴニノ({{ru|Головнино}})…国後島。日本名は泊。[[ロシア連邦]]による[[占領]]・[[実効支配]]が続いている。人口は350人(1992年)。ゴロヴニノとは「ゴロヴニンの町」という意味である。ゴロヴニンとは、日本では一般には「ゴローニン」として知られている人物である。詳細は[[ゴローニン事件]]を参照されたい。
 
* ユージノクリリスク({{ru|Южно-Курильск}}=「南千島の町」の意)…戦後ソ連によって新たな中心都市が、ソ連軍侵攻前の漁村であった古釜布(ふるかまっぷ)を望むほぼ無人であった高台に建設された。人口6300人(1992年)。現在は中心地の古釜布を除き廃村状態。
=== 国後島(サハリン州南クリル管区) ===
<!--
* ゴロヴニノ({{lang|ru|Головнино}})…日本名は泊。[[ロシア連邦]]による[[占領]]・[[実効支配]]が続いている。人口は350人([[1992年]])。ゴロヴニノとは「ゴロヴニンの町」という意味である。ゴロヴニンとは、日本では一般には「ゴローニン」として知られている人物である。詳細は[[ゴローニン事件]]を参照されたい。
* ユージノクリリスク({{lang|ru|Южно-Курильск}}=「南千島の町」の意)…戦後ソ連によって新たな中心都市が、ソ連軍侵攻前の漁村であった古釜布(ふるかまっぷ)を望むほぼ無人であった高台に建設された(人口6,300人([[1992年]]))。ソ連邦崩壊後は[[ロシア連邦]]が[[占領]]・[[実効支配]]している。現在は中心地の古釜布を除き廃村状態。
 
;国後島が見える街
対岸に位置する標津町、羅臼町からは国後島(泊村を間近に見ることができる。ただし、国後島の北岸側には居住エリアはほとんど無く、対岸に人家らしい影はほとんど見ることができない。夜間に時折、[[自動車]]の[[ヘッドライト]]を見ることができる程度である。
--><!--国後の都市と関係ない-->
 
==== クリル管区 ====
* ブレヴェスニク({{ru|Буревестник}})…択捉島。日本名は天寧。6500人(1992年)が住むのみで、かつての中心地である留別(ロシア名 クイビシェフ {{ru|Куйбышев}})やドブロエ({{ru|Доброе}})日本名・内保等、他の集落は廃村状態。島唯一の軍民併用空港である[[ブレヴェスニク空港|天寧空港]]([[ブレヴェスニク空港]])があり、サハリンの[[ホムトヴォ空港|ユジノサハリンスク空港]]との間に便がある。週3~4便の定期便は、有視界飛行が前提のため欠航が多い。このため、隣接する紗那村のクリリスク郊外に新飛行場が建設されており、完成時には廃港されるとの観測もある。
* クリリスク({{ru|Курильск}}=「千島の町」の意)…択捉島。日本名は紗那。人口2700人(1992年)。なお、中心地・紗那から北東約14kmにレイドヴォ({{ru|Рейдово}})日本名・別飛があり、産業の中心地である。人口は1700人(1992年)。隣接する留別村、蘂取村には道路が通じているが、いずれも[[舗装]]はされておらず砂利道である。留別村に向かう道路は、島唯一の空港に向かう道路でもあり、ある程度の整備はされているが、蘂取村に至る道路は寒村(ロシアが設定した自然保護区域)ということもあり、[[GoogleMaps]]でようやく観察できる程度の整備状況である。クリリスク近郊に、[[2003年]]頃から1500m級の飛行場が建設されている。全天候型の空港で、島の住民の悩みである[[ホムトヴォ空港|ユジノサハリンスク]]への定期便の欠航率が劇的に低下するものと考えられている。
* スラブノエ({{ru|Слабное}})…択捉島。日本名は蘂取。現在は村域のほとんどがロシア当局によって[[自然保護区]]に指定されており、地元のロシア人さえも立入を制限された地域である。嘗て紗那からオホーツク海側に沿っての道路があったが今では人工衛星上からも微かに見えるだけで、通行も困難となり、ヘリコプター以外で行く事は困難な、寂しい廃村となっている。
 
=== 択捉島(サハリン州=北クリル管区 ====
* [[セベロクリリスク]]({{ru|Северо-Курильск}} = セヴェロクリリスク「北千島の町」の意)…幌筵島。日本名は柏原。人口約5000人。この島を実効支配しているロシア連邦サハリン州北クリル地区の中心地であり、北千島で唯一民間人が定住している島である。また、セベロクリリスクは[[NHKラジオ第2放送]]の「[[気象通報]]」を聞いている人にはおなじみの地名でもある。現在、セベロクリリスクに渡るには[[カムチャツカ半島]]の[[ペトロパブロフスク・カムチャツキー]]から空路でシュムシュ島に渡り、そこで[[艀]]や[[ヘリコプター]]に乗り換えるか、またはサハリンの[[コルサコフ (サハリン州)|コルサコフ]]港からの船便で行くことになる。
* ブレヴェスニク({{lang|ru|Буревестник}})…日本名は天寧。6,500人([[1992年]])が住むのみで、かつての中心地である留別(ロシア名クイビシェフ {{lang|ru|Куйбышев}})やドブロエ({{lang|ru|Доброе}})日本名・内保等、他の集落は廃村状態。島唯一の軍民併用空港である[[ブレヴェスニク空港|天寧空港]]([[ブレヴェスニク空港]])があり、サハリンの[[ホムトヴォ空港|ユジノサハリンスク空港]]との間に便がある。週3~4便の定期便は、有視界飛行が前提のため欠航が多い。このため、隣接する紗那村のクリリスク郊外に新飛行場が建設されており、完成時には廃港されるとの観測もある。
* バイコーヴァ({{ru|Байково}})…占守島。日本名は片岡。現在、この集落があるのみで、民間人の人口は100人以下であり、しかも定住人口ではないという。
* クリリスク({{lang|ru|Курильск}}=「千島の町」の意)…日本名は紗那、人口2,700人([[1992年]])。なお、中心地・紗那から北東約14kmにレイドヴォ({{lang|ru|Рейдово}})日本名・別飛があり、産業の中心地である。人口は1,700人([[1992年]])。隣接する留別村、蘂取村には道路が通じているが、いずれも[[舗装]]はされておらず砂利道である。留別村に向かう道路は、島唯一の空港に向かう道路でもあり、ある程度の整備はされているが、蘂取村に至る道路は寒村(ロシアが設定した自然保護区域)ということもあり、[http://maps.google.com GoogleMaps]でようやく観察できる程度の整備状況である。クリリスク近郊に、[[2003年]]頃から1,500m級の飛行場が建設されていると伝えられる。全天候型の空港であるとされ、島の住民の悩みである[[ホムトヴォ空港|ユジノサハリンスク]]への定期便の欠航率が劇的に低下するものと考えられている。
* スラブノエ({{lang|ru|Слабное}})…日本名は蘂取。現在は村域のほとんどがロシア当局によって[[自然保護区]]に指定されており、地元のロシア人さえも立入を制限された地域である。嘗て紗那からオホーツク海側に沿っての道路があったが今では人工衛星上からも微かに見えるだけで、通行も困難となり、ヘリコプター以外で行く事は困難な、寂しい廃村となっている。
 
==住民==
=== 幌筵島(サハリン州北クリル管区) ===
{| class="wikitable"
* [[セベロクリリスク]]({{lang|ru|Северо-Курильск}}=セヴェロクリリスク「北千島の町」の意)…日本名は柏原。人口約5000人。この島を実効支配しているロシア連邦サハリン州北クリル地区の中心地であり、北千島で唯一民間人が定住している島である。また、セベロクリリスクは[[NHKラジオ第2放送]]の「[[気象通報]]」を聞いている人にはおなじみの地名でもある。現在、セベロクリリスクに渡るには[[カムチャツカ半島]]の[[ペトロパブロフスク・カムチャツキー]]から空路でシュムシュ島に渡り、そこで[[艀]]や[[ヘリコプター]]に乗り換えるか、またはサハリンの[[コルサコフ (サハリン州)|コルサコフ]]港からの船便で行くことになる。
!年 || {{年|1959}}<ref>http://demoscope.ru/weekly/ssp/rus_nac_59.php?reg=60</ref> || {{年|1970}}<ref>http://demoscope.ru/weekly/ssp/rus_nac_70.php?reg=87</ref> || {{年|1979}}<ref>http://demoscope.ru/weekly/ssp/rus_nac_79.php?reg=86</ref>|| {{年|1989}}<ref>http://demoscope.ru/weekly/ssp/rus_nac_89.php?reg=73</ref>|| {{年
|2002}}<ref>http://www.perepis2002.ru/index.html?id=17</ref>
|-
|[[ロシア人]]
|77.7 %
|80.4 %
|81.7 %
|81.6 %
|84.3 %
|-
|[[朝鮮民族|朝鮮人]]
|{{0}}6.5 %
|{{0}}5.7 %
|{{0}}5.3 %
|{{0}}5.0 %
|{{0}}5.4 %
|-
|[[ウクライナ人]]
|{{0}}7.4 %
|{{0}}6.3 %
|{{0}}6.1 %
|{{0}}6.5 %
|{{0}}4.0 %
|-
|[[タタール人]]
|{{0}}1.8 %
|{{0}}1.8 %
|{{0}}1.7 %
|{{0}}1.5 %
|{{0}}1.25 %
|-
|[[ベラルーシ人]]
|{{0}}2.1 %
|{{0}}1.9 %
|{{0}}1.7 %
|{{0}}1.6 %
|{{0}}1.0 %
|-
|[[モルドヴィン人]]
|{{0}}1.7 %
|{{0}}1.3 %
|{{0}}1.0 %
|{{0}} -
|{{0}} -
|}
 
2002年の各民族の人口
=== 占守島(サハリン州北クリル管区) ===
* [[ロシア人]] - 460778
* バイコーヴァ({{lang|ru|Байково}})…日本名は片岡。現在、この集落があるのみで、民間人の人口は100人以下であり、しかも定住人口ではないという。
* [[朝鮮民族|朝鮮人]] - 29592
* [[ウクライナ人]] - 21831
* [[タタール人]] - 6830
* [[ベラルーシ人]] - 5455
* [[モルドヴィン人]] - 2943
* [[ニヴヒ]] - 2450
* [[チュヴァシ人]] - 1300
* [[アルメニア人]] - 1144
* [[アゼルバイジャン人]] - 1138
* [[ドイツ人]] - 902
* [[モルドバ人]] - 751
* [[バシキール]] - 586
* [[カザフ人]] - 554
* 不明 - 3387
 
== 交通 ==
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戦前、南樺太には[[樺太の鉄道|日本の建設した鉄道]]があったが、終戦直前に、[[ソビエト連邦]]が侵攻を開始して[[1945年]](昭和20年)8月末には樺太全土が占領され、鉄道も接収された。その後、ソビエト連邦の情報封鎖主義によって[[サハリンの鉄道|同地の鉄道]]については詳しい情報が分からない状況が続くが、[[ミハイル・ゴルバチョフ]]による[[ペレストロイカ]]・[[グラスノスチ]]政策が進んだため、[[1989年]](平成元年)頃から[[外国人]]もサハリン州に入ることが出来るようになった。その結果、北サハリンへも路線が延伸されていたことなどが分かったのである。
 
その後、ソ連崩壊によって経済が混乱すると、鉄道の設備維持も難しくなって休線ないしは[[廃線]]となる路線も現れた。昨今では、車両は大陸で使用される物に[[狭軌]]の[[鉄道車両の台車|台車]]を履かせたものが主流となっているが、輸送力・安定性が低い上に線路の老朽化も進んでいることから、レールを徐々に大陸で使用されている1524mmの[[広軌]]のもの[[める工事軌]]が進んでいる。なお、一時期は日本の[[国鉄キハ58系気動車|キハ58系]][[気動車]]などといった車両も無償譲渡されたが、整備不良などから数年~十数年で全て廃車となった。
 
ソ連軍[[侵攻]]後から現状の詳細については、[[サハリンの鉄道]]の項目を参照。現在では、主に以下のような路線が存在する。
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=== 船舶 ===
==== 北海道からサハリン(樺太) ====
[[1995年]]5月から、北海道・稚内港とサハリン・[[コルサコフ (サハリン州)|コルサコフ]]港との間に、「平成版稚泊航路」が運航されるようになった。当初はロシア船を利用して定期フェリーが就航したが、1997年、1998年は、旅行会社のチャーター船による運航となった。1999年から日本船籍のアインス宗谷号が就航している(冬季を除き週2便の運航)。
 
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なお、このチャーター船の利用は、日ロ両政府の合意により、旧島民、その子孫、ならびに返還団体から推薦された者等に限定されている。これは日本側がロシア領であることを認めたくないため、ロシア側の正式な手続きを取らないことを提案し、ロシア側がそれを受け入れているからである。実際には日本政府に申し出れば、研修を受けた後、返還団体の推薦を得ることが出来る。つまり希望すれば誰でも「ビザなし交流」に参加できる。
 
==== サハリン(樺太)から択捉島 ====
[[コルサコフ (サハリン州)|コルサコフ]]([[大泊町|大泊]])港からは、サハリンクリル海運の貨客船「イゴール・ファルハトディノフ」号が週2便出発している。この船は、月曜日にコルサコフを出帆、火曜日に択捉島、水曜日に色丹島ならびに国後島に寄港、木曜日にコルサコフ帰着、金曜日にコルサコフ発、土曜日に国後島と色丹島、日曜日に択捉島に寄港、月曜日にコルサコフに戻るというスケジュールで、3月~12月まで運航される。
 
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=== 航空機 ===
==== サハリン(樺太)から択捉島 ====
現在の択捉島にアクセスする定期公共交通は、南サハリン(南樺太)を拠点に運航されている。[[ユジノサハリンスク]](豊原)[[ホムトヴォ空港]](大沢飛行場)からは[[サハリン航空]]が週4便(月、水、木、金、いずれも午前発)、択捉島留別村の[[ブレヴェスニク空港]](旧天寧空港)まで就航している。しかし、有視界飛行であるため、霧がかかりやすい夏季には欠航となる確率が相当に高い。また、この空港は、戦前の日本の海軍飛行場を改装したロシア軍基地と共用になっており、中心都市のクリリスクから砂利道を自動車で片道2時間半かかる不便な場所にある。
 
==== サハリン(樺太)から国後島 ====
現在の国後島にアクセスする定期公共交通は、南サハリン(南樺太)を拠点に運航されている。[[ユジノサハリンスク]](豊原)[[ホムトヴォ空港]](大沢飛行場)からは[[サハリン航空]]が週4便(月、木、土、日、いずれも午後発)、国後島[[メンデレエフ空港]]まで就航している。しかし、有視界飛行であるため、霧がかかりやすい夏季は欠航になりやすい。
 
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== 歴史 ==
{{Seealso|樺太#歴史|千島列島#歴史}}
※ソ連軍侵攻前については、[[樺太#歴史|樺太]]の項目を参照されたい。
<!--[[樺太・千島全域に及ぶ]]は日本領樺太としての歴史であり、サハリン州が成立はソ連軍侵攻後なので、戦前の記述歴史があるのは不自然でことが望まょういです-->
* [[第二次世界大戦]]中は[[日ソ中立条約]]により戦闘地域にはならなかったが、大戦終結直前の[[1945年]][[8月9日]]にソ連が条約を破棄して日本に[[宣戦布告]]、侵攻し、南樺太と千島列島の全域を占領した。ソ連は翌[[1946年]]に併合を一方的に宣言し[[南サハリン州]]を設置、[[1947年]]これらの地域をサハリン州に編入した。
* [[1945年]][[9月17日]]、ソビエト連邦により南サハリン・クリル列島住民管理局設置。
* [[1946年]][[21月2日]]、ソビエト連邦、南樺太及び千島列島(北方領土を含む)の領有を宣言する。[[南サハリン州]]設置
* [[1946年]][[2月2日]]、南樺太と千島列島に、[[南サハリン州]]設置。
* [[1947年]][[1月2日]]、[[サハリン州]]設置。南サハリン州はサハリン州へ編入される。
 
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一方、千島列島の択捉島について、ソ連崩壊後に続いたロシアの経済不振と[[1994年]]に発生した[[北海道東方沖地震]]の影響から、人口は減少傾向にあった。
 
だが、ソ連崩壊後、ユダヤ系ロシア人の[[アレクサンドル・ベルホフスキー]]が創業した水産加工の[[ギドロストロイ]] ({{lang|ru|Гидрострой}}) 社(本社はユジノサハリンスク)が、周辺の豊富な水産資源と北米の冷凍食品市場とを結びつけて、めざましい成長を示し、択捉島の経済基盤は強固なものとなった。同社は現在、別飛(ロシア名 レイドヴォ {{lang|ru|Рейдово}})に日産400tの加工が可能な大工場を持つほか、蓄積した豊富な資本を元に[[択捉銀行]] ({{lang|ru|БАНК "ИТУРУП"“ИТУРУП”}}) を設立、金融業にも乗り出した。しかし、日本政府が領土問題がらみで規制を行っているため、日本企業はこのビジネスチャンスに公式には協力できていない。
 
また、北部の茂世路岳(クドリャブイ火山)は、その[[火山ガス]]に、[[レアメタル]]である[[レニウム]]を大量に含有している。このため、[[ロシア科学アカデミー]]の[[科学者]]たちは、レニウムの世界有数の産出源になり得る[[火山]]として茂世路岳を見なしている。
232 ⟶ 343行目:
また、国後島ではソ連崩壊後に続いた経済不振と[[1994年]]に発生した[[北海道東方沖地震]]の影響から、人口は減少傾向にあったが、近年のめざましいロシアの経済成長に伴い、この島にも人口増に向けたテコ入れが始まっている。2015年を目標年次とするロシア政府のクリル開発計画では、立ち遅れているインフラ整備などに重点的な投資がなされる予定である。
 
ユージノクリリスク(古釜布)に、日本政府のロシアへの援助として建設された[[日本人とロシア人の友好の家]](通称 ムネオハウス)がある。
 
国後島では、日本の[[テレビ]]放送(テレビ北海道は映らない。カラー方式は[[NTSC]])が映り、一部の住民が日本のテレビを情報源にしている。大部分の住民は、ロシアのテレビ(カラー方式は[[SECAM]])を視聴している。[[北海道放送]](HBC)では、一時、北方領土の住民向けに天気予報の画面に[[ロシア語]]のテロップを入れていた。