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== 連結器の機能 ==
連結器に要求される機能は、おおよそ次の通りである。
*引張力の伝達・連結の確実さ :- [[機関車]]が先頭で多数の[[客車]]が続くモデルで考えると、機関車の引張力を順次後の客車に伝達することが基本的な機能である。このとき、機関車と次の客車の間に最大の引張力がかかり、上り勾配、加速中にはさらに大きな力がかかるのでこれに耐えねばならない。また車両が絶対離れないように連結することが必要で、例えば上り勾配で連結が切れると、後の客車は自重で後退し大事故の危険がある。従って充分な強度を持つだけでなく、一部の部品が壊れても連結自体は外れないようなものが望ましい。
*容易に連結・解放できる :- 車両をつなぐときには、なるべく容易に、かつ確実に連結できなくてはならない。逆に連結をはずすときにも、同様に容易かつ確実であることが必要である。
*推進力・衝撃を受ける :- 下り勾配、減速中、また上記と逆に機関車が最後尾で多数の客車を押す形では推進(圧縮)する力を受けねばならない。その他に車両の連結の際や運転中に生ずる衝撃による前後動を吸収したり<ref>客車では乗り心地の向上、貨車では荷崩れの防止などに必要である。</ref>、さらに車体が押されて持ち上がったりしないようにする必要もあるが、このために[[#緩衝装置|緩衝装置]]が設けられる。
*左右・上下方向の動きに追随 :- 列車が曲線、[[分岐器|ポイント]]などを通過する際には、前後の車両が互いに各方向に傾き、また上下動や荷重による車体の沈み具合によって高さが食い違うので、これらに追随する必要もある。
 
== 連結器の種類・用途等 ==
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また連環連結器には上に述べた、ねじ式(螺旋連結器)、ピン・リンク式の他に、狭義の連環連結器がある。日本で「螺旋連結器」と(狭義の)「連環連結器」を区別する場合は、前者はねじ式のもの、後者は大きな鎖のようなリンクを掛けるだけのものを指す。
 
日本では[[1900年]]([[明治]]33年)1010月の鉄道建設規定で、列車の連結は特別の場合を除いて、複式連結とし、一方から螺旋連結器を掛け渡して締めつけたあと、さらにその上から他方の連環連結器を掛けることとなっている<ref>ただしこれがそれ以前から行われていたことは、当時の客車の写真の多くが、一方に螺旋連結器、他方に連環連結器を装備していることからも明らかである。この方式は万一螺旋連結器が破損しても、連環連結器により列車分離事故を防ぐことができることができ、このため単独の連結器の強度を非常時に合わせて高めなくとも、常用の最大強度ですませ、リンクの重量の増大による連結作業の困難を回避する意味もある。ただし作業は二度手間になる。</ref><ref name="sima">青木 1966、島安次郎 1908。</ref>。またこれをまとめて螺旋連環連結器とも呼ぶ。
 
このように日本の幹線鉄道では螺旋連結器は単独では使用されず、連環連結器と併用されるのが原則であったが、輸送単位の小さな地方私鉄では、螺旋連結器を装備していても連結解放作業の手間を省いて連環連結器だけをフックに引っかけて使用する(当然ながら遊間が大きくなり、乗り心地に影響する)、あるいは螺旋連結器装備で認可を得ても実際には連環連結器だけ装着して使用する、といった手抜きを行うケースが少なからず存在した<ref>日本における連結器種別、特に地方私鉄のそれに関する公文書記述の信頼性が低い背景には、このような使用実態が大きく影響していた。</ref>。
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さらにはこれの亜種として、車端中央部にバッファーを1基設け、その直上を支点として、バッファーの伸縮軸線と直交するように左右枕木方向に釣り合い梁を伸ばし、その両端で各1本のリンクを接続するタイプの物がドイツなどで使用されていた。これはリンク1本使用での牽引定数の不足を補い、かつリンクを単純に2本使用することによる曲線通過時の各リンク間の引っ張り力の不均等を防ぐべく考案されたもので、低規格ではあるが一定以上の輸送力を求められる野戦軍用軽便鉄道を中心に普及し、日本でもドイツ流の野戦軍用軽便鉄道システムをそのまま輸入して使用した[[鉄道連隊]]が採用した。
 
その後[[1925年]]([[大正]]15年)に全国一斉に自動連結器への交換が実施されたため(詳細は下記[[#日本での自動連結器化]])、ねじ式連結器はほとんど見ることができない。国鉄等で標準的に採用されていたバッファを左右に装着するタイプのものは、[[博物館明治村]]に動態保存されている明治時代の[[蒸気機関車]]・客車で、現役の姿を見ることができる。<ref>[[2001年]]([[平成]]13年)に伊予鉄道が開業時の蒸気機関車と客車を模した、「[[坊っちゃん列車]]」の運行を開始した際に、車端中央部に1基のみ緩衝器を備えるタイプが復活し、国土交通省が本連結器に関する各種規定項目の復活に追われるという「事件」が発生した。</ref>
 
<!--連結器としての実用的な性能は自動連結器に劣るが、緩衝器を持つため発車時や停止時の衝撃が自動連結器に比べると小さく、乗り心地の面では優れている。 ←ロシアなどのように自動連結器を用いていてもバッファー併設の国も多いので、これは単純化しすぎな記述ではないかと思われます。また発車時の衝撃は、ねじを過剰に締めていないと防ぎきれません。ねじ式時代のお召し列車ではがちがちに締め上げて発車時のショックを押さえたと言いますが、これをやると今度は圧縮時の減衰能力が損なわれるので、普通に用いられる手法ではありませんでした-->
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また日本では、出所不明<ref>採用路線の来歴などから大日本軌道の関与が指摘されている。</ref>ながら車端中央の緩衝器の下に可動式で先端がフォーク状になったアームを伸ばし、車両の連結時に双方から伸びたアームの固定穴の位置を合わせ、ボルトを水平方向に通してナットで固定することで2本のアームを固定し牽引力の伝達を可能とする、特異かつ非効率的な構造の連結器が[[鞆鉄道]]や[[湘南軌道]]などで使用されていたことが確認されている。
 
21世紀初頭の時点では、軽便鉄道そのものが日本からほとんど消滅したため、営業路線でこのタイプの連結器が現存するのは[[黒部峡谷鉄道]]のみである。[[近畿日本鉄道]]特殊狭軌線(およびそれを継承した[[三岐鉄道]]北勢線)でも使用されていたが、現在はCSC91と呼ばれる通常の3/4サイズの自動連結器に交換されている。
<br style="clear:both" />
 
=== 自動連結器 ===
従来型の連結器では、連結手の負傷事故が絶えなかった(日本の統計は下記[[#背景]]を参照)。これを憂えた発明家のイーライ・ジャニー ([[:en:Eli H. Janney|Eli Hamilton Janney]]) によって、[[1868年]]に人の手と手を組み合わせた形をヒントに考案され、その後[[1873年]]に特許が取得された、自動ロック機構を備える連結器である。
 
開発当時、アメリカでは原始的なピン・リンク式連結器と手ブレーキが使用されていたが、1880年代にまず[[アリゾナ州]]が安全性確保の見地から、その州法によりこの自動連結器と[[自動空気ブレーキ]]の採用を義務化して以降、アメリカでは急速にこの2つの機構が普及し、最終的には[[1893年]]、当時の[[ベンジャミン・ハリソン|ハリソン]][[アメリカ合衆国大統領|大統領]]がこれらの装着を義務づける法案に署名を行って連結器とブレーキシステムの統一が完了した。
 
自動連結器はアメリカ・カナダ・ロシア<ref>但し、ロシアで標準的に使用されているSA3形連結器はアメリカなどの各国で標準的に使用されているAAR([[:en:Association of American Railroads|Association of American Railroads]])規格のジャニー式に由来する自動連結器とは異なり、ナックル部分の可動しないウィリソン式連結器 (Willison Coupler) の一種であり、自動連結器ではあるがその機構は全く異なっていて相互の互換性もない。なお、ウィリソン式連結器は日本では[[日立製作所]]がパテントの利用権を取得して製造販売し、[[越後交通栃尾線]]や[[日本鉱業佐賀関鉄道]]などの軽便鉄道や工事用トロッコで使用されている。</ref>・中国などで一般的に用いられている。日本では[[機関車]]・[[客車]]・[[貨車]]などで広く用いられている。略して'''自連'''(じれん)と呼ぶこともある。
 
連結器同士を接触させるだけで自動的に連結され、解放の場合も解放てこを動かすだけで簡単に解放できる。取り扱いが容易であり、単純な構造で大きな牽引力に耐える実用的な方式である。
[[画像:Knuckle coupler, lower type and upper type.jpg|thumb|200px|right|自動連結器の2形態。左側客車が下作用式([[国鉄オハ35系客車|オハ35 206]])、右側機関車が上作用式([[国鉄ED11形電気機関車|ED11 2]])。[[佐久間レールパーク]]にて]]
連結器のナックル(先端部分)が、ナックルピンを軸にして外側に開くようになっている。錠と解放てこの位置の違いにより、上作用式と下作用式がある。一般的に機関車・貨車は、てこの取り回しがしやすい上作用式が、また客車など旅客車両では、貫通路に抵触しない下作用式が多く用いられる。上作用式と下作用式は相互の連結が可能である。
 
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;錠掛け位置:連結中ナックルが閉じて錠が入り固定されている状態。運転中の振動にも決して連結が外れてはならないので、自ら錠が上がることがないようにされている。
;錠控え位置:車両が連結されている状態から解放てこを操作する事により、錠が解除されて、ナックルはフリーになり、車両の切り離しが可能となる。これが錠控え位置で、錠が落ちずにとまった状態になり、そのまま切り離しができる<ref>突放の場合などは切り離しの瞬間に人が持ち上げていることはできないのでこの状態が保持されることが不可欠である。</ref>。
;ナックル開き位置:ナックルが開いて連結可能な状態。連結作業時はてこを一番上にして錠をはずすとともにナックルが開く機構になっている。一方または両方の連結器をこの状態で押しつけると、自動的に連結器内部で錠が落ちて、錠掛け位置となる。
 
以下の写真では、後述する並自動連結器(上作用式)を例として、自動連結器の各状態を示す。 錠控え位置・ナックル開き位置では、連結器根元の上部に錠揚が飛び出しており、錠が解除されている事が確認できる。
{|
|[[画像:kake.jpg|thumb|200px|錠掛け位置]]
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ただし、一部の軽便鉄道向けなどの特殊な事例を除き、全てAAR規格準拠のナックル部形状・寸法が採用されており、原則的に相互の連結が可能なよう配慮されている。
 
===== 並自動連結器 =====
[[画像:jidou.jpg|thumb|200px|right|並自動連結器<br />(下作用式)]]
[[画像:TX-2000-2151.jpg|thumb|200px|right|首都圏新都市鉄道<br />つくばエクスプレス線<br />TX-2000系電車]]
1925年7月の一斉交換以降から現在まで、[[機関車]]・一般型[[客車]]・[[貨車]]などで広く使用されている。このため、日本で単に「自動連結器」という場合、並自動連結器を指す場合が多い。また、後述の「密自連」に対して「'''並自連'''」(なみじれん)と略す場合もある。
 
連結器は水平面上での首振りが可能で、垂直方向のずれは連結器の連結面によってある程度許容する<ref>複数の連結器高さの車両が混在した一部の私鉄では、高さの異なる連結器を備える各車の併結を可能とするため、自動連結器のナックル部を上下に延長してずれを吸収する手段が取られるケースが存在した。</ref>。このため連結面にはグリースを塗布しておく必要がある。緩衝装置は連結器胴と車体取付部の間にある。
 
一般的には、引張力と圧縮力は緩衝装置を挟んで車体に伝わる。連結面で22mmの遊間(遊び)があることから、加減速時に衝撃が出やすい弱点がある。ただし遊間があることは、小さい牽引力で重量列車を引き出すには利点もある。客車や貨車に用いられる軸受の特性は起動時の抵抗が大きく一旦動き始めると抵抗は比較的小さくなる。列車の発車時に例えば全ての貨車が同時に動き出すとなると引出しのために大きな牽引力を必要とするが、遊間がある場合、前の車両が動き出して若干の遅れをもって後の車両が動き出すことで、相対的に小さい牽引力で列車を引き出せることになる。このため牽引力の小さい蒸気機関車が主流だった時期は並自動連結器が有利であった<ref>久保田博『鉄道工学ハンドブック』グランプリ出版、1997年、Pp.219。なお上り勾配のようなより厳しい条件で引出しを行なうには、貨車に標準的に用いられていた平軸受の起動抵抗やK三動弁の動作遅延、機関車の自弁と単弁という2系統のブレーキシステム、それに各連結器に備わった緩衝装置のばねによる緩衝作用を複合的に活用して行われる圧縮引出法や、動いている軸受の抵抗が小さい特性を用いた勾配引出法なども用いられ、これらの手法は乗務員のマニュアルに掲載もされ訓練も行なわれていた。(椎橋俊之『「SL甲組」の肖像 (3) 』ネコ・パブリッシング 、2008年、Pp.127, 184参照。)</ref>。
 
日本への導入当初は、アメリカ製のシャロン式やアライアンス式などの輸入品が用いられたが、その後、鉄道省技師の坂田栄吉がシャロン式を基本に開発した坂田式が採用された。さらに1920年代後半には同じく鉄道省技師の柴田兵衛がアライアンス式の欠点を改良した柴田式も出現し、これがその後の日本における標準型となった。これらは相互に連結可能である。
 
国鉄電車には1920年代から一時使用されたが、加減速が頻繁な電車では遊間による衝撃・動揺の弊害が大きいため、1930年代に密着連結器に取って代わられた。大手私鉄でも採用されたが、同じ理由でほとんどが小型密着自動連結器や密着連結器に移行している。大手私鉄から譲渡された旧型電車を使用している中小私鉄などでは、現在でも並自動連結器を使用している会社がある。一方、[[東急5000系電車 (2代)|東急2代目5000系電車]]や[[首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス|首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス線]]の車両のように、固定編成両端(先頭車)の連結器はあくまでも非常時の救援目的のみに使用するという前提で、導入当初から並自動連結器を採用している例も一部に存在する。
<br style="clear:both" />
 
===== 密着自動連結器 =====
[[画像:mitsuji1.jpg|thumb|200px|right|密着自動連結器]]
連結器の形状を改良して精密な機械加工を施すほか、内部の機構を変更して連結時の遊間をなくしたもので、運転中の衝撃が緩和されている。<!-- とはいえ、ねじ式連結器や密着連結器、緩衝装置付き自動連結器などと比べると衝撃は大きい。(ねじ式はともかく、他とは?)-->「'''密着自連'''」(みっちゃくじれん)、あるいは「'''密自連'''」(みつじれん)と略される。
 
[[国鉄14系客車|14系]]・[[国鉄24系客車|24系]]などの固定編成を組む客車や、[[1976年]]([[昭和]]51年)より量産が開始した[[国鉄50系客車|50系客車]]では、乗り心地を重視したためこの連結器を採用している。ツメ部分先端が尖っており、このツメ部分を受け止めるガイド枠がナックルピンの横にあって、並自動連結器との外観上の大きな差異となっている。この構造により、結合された連結器同士が上下方向にずれる事を防止している。垂直方向のずれは、車体側緩衝装置を垂直のずれにも対応させて吸収している。
 
自動連結器とも連結可能である。
 
: 密着自動連結器は、かつて高速貨物列車に用いられていた[[国鉄EF65形電気機関車|EF65形]](F形)・[[国鉄EF66形電気機関車|EF66形]]などの[[電気機関車]]や[[国鉄10000系貨車|10000系貨車]]にも採用されている。[[国鉄10000系貨車|10000系貨車]]は電磁指令式自動空気ブレーキ(CLEブレーキ)を採用していたが、そのブレーキホース接続作業を省力化する目的で空気管(MR・BP管)を同時に接続する特殊な密着自動連結器が使用された<ref>現在は[[国鉄10000系貨車|10000系貨車]]の全廃により、機関車側の密着自動連結器に内蔵されていた空気管は撤去されている。</ref>。
 
下の左写真は[[国鉄EF65形電気機関車|EF65形]](F形)に装備されていた連結器である。連結器を正面から見ると、ブレーキ用配管を接続するための空気管が四隅に配置されていることが確認できる。
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<gallery>
画像:kukikan.jpg|密着自動連結器(空気管付)
画像:DSCF2974.JPG|左の[[国鉄EF65形電気機関車|EF65形]](F形)と同じ仕組みの[[国鉄EF66形電気機関車|EF66形]]の密着自動連結器。
画像:DSCF2637.JPG|並自動連結器(左)と密着自動連結器(右)との連結の様子
</gallery>
 
===== 小型密着自動連結器 =====
[[画像:kogata.jpg|thumb|200px|right|小型密着自動連結器]]
[[気動車]]の標準的な連結器。[[日本製鋼所]]の手で開発され、同社の型番ではNCB-IIと呼称される。
 
1953年(昭和28年)の[[京阪1700系電車|京阪電鉄1700系]]第3次車および[[国鉄キハ10系気動車|国鉄キハ10系]]以降、一般的に使用されている。また密着連結器を採用していない一部の私鉄(例 : [[東京急行電鉄]]・[[京成電鉄]]・[[相模鉄道]]・[[名古屋鉄道]]・[[京阪電気鉄道|京阪電鉄]]等)などでも使用されている。採用の背景として、いずれも本来なら密着連結器の方が適する用途であるが、従来保有する在来型車両等で自動連結器が多数使われ、それらとの相互連結を配慮した結果の策という一面がある。
 
機能・構造は密着自動連結器と同一だが、電車・気動車のような動力分散方式の鉄道車両では、連結器に大きな牽引力が掛かることがほとんどないため、連結器の肉厚を薄くして軽量化され、全体的に小型になっている。
 
===== 簡易連結器 =====
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簡易連結器は、自動連結器から「自動連結・解放」の機能を省略した特殊な連結器である。このため厳密には自動連結器の範疇から外れるが、自動連結器との併用を目的としたものであるため、本項目で記述する。
 
外見は自動連結器と似ているが、ナックル部などの各部寸法を並自動連結器と連結可能な範囲で可能な限り縮小し、かつ自動ロック機構を省略、落とし込み式のピンでナックルを固定することで、軽量化を実現したものである。つまり、開放には係員の手で一々ピンの抜き差しを行う必要があり、この連結器を装着した車両同士の連結時には、あらかじめ一方のピンを抜いてナックルを開放状態にしておかねば破損する恐れがあった。
 
この連結器は1920年代末期に[[日本車輌製造]](日車)が、当時のエンジン出力の貧弱さから徹底した自重軽減を要した気動車用に開発したもので<ref>当時、日本の気動車メーカー各社はいずれもこの問題に取り組んでおり、ストレートに「連結器省略」として非常時のみ連結器を装着する、という方策を採ったメーカーも存在した。</ref>、[[1928年]](昭和3年)頃から研究が進められていたことが当時の同社カタログなどから判明している。[[1929年]](昭和4年)製造の小浜鉄道カハ1に装着された「緩衝連結器」以降、その開発と実用化が本格化し、緩衝機構などについて順次改良を重ねつつ同社製気動車の多くに装着して出荷された。
 
「日車式連結器」と称されるようになったこの連結器は、日車のみならず他の気動車メーカー各社にも多数採用され、戦前の日本における気動車用連結器の事実上の標準規格となった。後には鉄道建設規定に適合するよう一部修正を加えたものが、鉄道省の[[国鉄キハ04形気動車|キハ41000形]]、[[国鉄キハ40000形気動車|キハ40000形]]、それに[[国鉄キハ07形気動車|キハ42000形]]の3形式に制式採用されるまでに至った。
 
重量は通常の並自動連結器が1両分で約0.5tなのに対し、簡易連結器は1/3の170kg程度で済み、当時の非力な気動車の軽量化には大きな効果があった。しかし、その連結強度は低く、破壊試験の結果25t前後が上限とされたため、例えば鉄道省では気動車の無動力回送について、列車最後尾への連結を厳守するよう通達を出していた。
 
簡易連結器は大型気動車への適用が困難であることから、日本車輌は続けて自動連結器の機能を維持したままでの軽量化に取り組み、[[1931年]](昭和6年)には開発者である水津長吉の名を冠した「水津式自動連結器」として軽量型の自動連結器を完成した。だが、より軽量な簡易連結器のメリットは捨てがたく、戦前期においては自動の水津式開発後も継続採用された。
 
簡易連結器は戦後、気動車の大型化とエンジン出力の向上、液体式変速機実用化による連結・解放の頻度増加などに伴って、小型密着自動連結器などに取って代わられ、その歴史的役割を終えた。
 
しかし、加藤車輌製作所が軽便鉄道向けとして寸法を縮小して設計したものを採用していた[[下津井電鉄]]では、電車化した気動車に採用されていたこの連結器を電化後の新造車にも採用し続け、同社最後の新造車となった[[下津井電鉄線#最後の新造電車|2000系「メリーベル」]]([[1988年]](昭和63年)竣工)にも在庫品流用でこの連結器が両先頭車に装着<ref>編成中の各車間は棒連結器で連結されていた。</ref>されていた。
 
つまり、日本の鉄道で営業運転に実用目的で使用された最後の簡易連結器は、ねじ式連結器の場合と同様、この下津井電鉄のもの<ref>同社は前述の通り、開業以来のねじ式連結器とこの簡易連結器の他に、棒連結器(電化後の2・3両固定編成車)およびピン・リンク式連結器(カハ5およびホジ3)、と車籍の有無は別にして最大4種の連結器を同時に併用した。</ref>であった。
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[[画像:Schaku 612.JPG|thumb|200px|right|ドイツのシャルフェンベルク式連結器]]
 
JRの[[電車]]や多くの私鉄電車で使用されている連結器。密着自動連結器と名前が似ているが、全くの別物である。略して'''密連'''(みつれん)と呼ぶこともある。JRなどで使用されているものは、正式には'''柴田式密着連結器'''と呼び、ロック機構の特徴から「廻り子式密着連結器」とも呼ばれる。開発者は[[柴田衛]]([[柴田兵衛]]の実弟)である。
 
密着連結器のルーツは[[1903年]](明治36年)にドイツのカール・シャルフェンベルク (Karl Scharfenberg) が発明したシャルフェンベルク式連結器([[:en:Coupling (railway)#Scharfenberg_coupler|Scharfenberg coupler]])にさかのぼり、これを模倣あるいは改良することで様々な方式が開発されてきた。
 
密着連結器には他にトムリンソン式、バンドン式、それにウェスティングハウス式などいくつかの種類が存在するが、日本国内では使用されている密着連結器のほとんどが柴田式であるため、日本で単に密着連結器と言えば柴田式を指す場合が多い<ref>但し、世界的には密着連結器として最も普及しているのはシャルフェンベルク式とその亜種で、柴田式はローカルな存在であるに過ぎない。</ref>。
 
日本には1920年代にまず私鉄電車に輸入品が導入され、1930年代には国鉄電車でも柴田式が開発されて自動連結器からの交換が行われ、標準となった<ref>柴田式密着連結器は1929年から試作され、当初は[[横須賀線]]用[[国鉄32系電車|32系電車]]の一部編成で試験された。実用面で好成績を収めたため、1933年(昭和8年)の東海道・山陽線[[吹田駅|吹田]] - [[須磨駅|須磨]]電化時の[[国鉄42系電車|42系電車]]新製車には当初から装備、東京地区の国電にも同年以降路線単位で順次装備して、原則として1937年(昭和12年)までに省線電車の柴田式密着連結器化を完了した。なお柴田は、電気連結器が密着連結器との併用に適していることに着目し、1930年代後期には新たに下部取付型の電気連結器の試作も行っていたが、戦時体制の激化により頓挫した。</ref>。
 
自動連結器同様、連結は相互の接触のみで行われ、解放も解放レバーを動かすだけで可能である。構造は自動連結器より複雑で、牽引力など強度の面では自動式に劣るが、遊間が皆無な文字通りの「密着」構造であるため、遊間に起因する衝撃は生じない。電車など加減速の頻繁な旅客車両に適している。また、この「密着」構造とゴムパッキンを組み合わせることで気密性が確保され、ブレーキ用の各種空気管を連結と同時に自動接続することが可能となっている。
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遊間がないため、曲線および勾配の通過に支障が無いように、取り付け部分に上下左右に可動する自在継手が使用されているのも特徴の一つである。
 
柴田式の場合、連結器正面より見ると正方形の穴と箱の突起がある形をしており、通常空気管は必要な管種が最も多いHSC[[電磁直通ブレーキ]]搭載車の場合、上中央(ブレーキ (BP) (BP)管)、上左右(直通 (SAP) (SAP)管)、下中央(元空気溜 (MR) (MR)管)の3系統が引き通されている。その他のブレーキ方式では必要に応じていずれかの管が省略される場合があり、例えば[[電気指令式ブレーキ]]搭載車でHSCブレーキ搭載車との併結を考慮しない場合には、下中央のMR管のみが実装されることになる。
 
1990年代以降は、外側の枠部分が削られて小型化された密着連結器が多くなってきている。<ref>この手法は、1960年代に[[大阪市交通局]]が地下鉄用の[[大阪市交通局50系電車|50系電車]]を開発する際に実験を行い、不要部の削除による軽量化を試みたことに端を発している。大阪市交通局の実験は、走行する列車を停止した車両に対して衝突させ、衝撃による連結器破損状況確認を繰り返して、限界強度を見極めるという、いささか乱暴な手法であった。1980年代以降は解析技術の飛躍的発達によって、このような実車衝突試験は要さなくなっている。しかし、これに追随する動きは遅れた。これは、通常連結開放を要しない車両間への棒連結器等の採用が先行したことと、大阪市交通局の密着連結器は日本の他の鉄道で一般的な柴田式でなく、やや特殊な形状のものであるため、他社ではその実験結果をそのまま援用できなかったことが原因である。その後、1980年代以降の技術向上で連結器の軽量化設計が容易になったことなどから、現在では外枠の小型化された密着連結器は広く普及している。</ref>
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===== 新幹線用密着連結器 =====
[[画像:新幹線用連結器.jpg|thumb|200px|right|新幹線用密着連結器<br />(連結器上部は電気連結器)]]
[[1964年]](昭和39年)に開業した[[東海道新幹線]]にあわせて開発された密着連結器。基本的な構造は柴田式密着連結器と変わらないが、連結器の突起部が丸くなっているのが特徴である。
 
新幹線電車の場合、中間の連結面間は外幌などによって隠されるため、また先頭部についても開業当時は緊急時の救援目的等に使用され、使用時は前頭部カバーを外して連結器本体を引き出して使用する構造となっていたため、営業運転中に一般乗客が目撃する機会はなかった。しかし、[[1992年]](平成4年)の東京- 山形間での新在直通運転([[ミニ新幹線]])開始以降、営業運転中の新幹線列車が途中駅<ref>2007年(平成19年)44月現在、[[山形新幹線]]では[[福島駅 (福島県)|福島駅]]、[[秋田新幹線]]では[[盛岡駅]]にて、それぞれ分割・併合を行っている。</ref>で分割・併合を行うこととなったため、現在では一般乗客が容易に連結器や連結作業を観察することが可能である。
 
なお、営業運転で分割・併合を行うためには、乗務員室内の遠隔操作にて連結器の解結操作や連結器カバーの開閉を行う分割併合装置が必要となる。そのため新製時には未搭載であった[[新幹線200系電車|200系]]には、分割併合装置取付改造を実施した。[[新幹線400系電車|400系]]・[[新幹線E2系電車|E2系]](J編成およびN21編成)・[[新幹線E3系電車|E3系]]・[[新幹線E4系電車|E4系]]では、新製時から分割併合装置を搭載している。その後E4系のように、営業運転中に分割・併合を行なわずに2編成連結で運行したり、新在直通運転以外の列車であっても途中駅で編成を[[増解結]]する列車も登場した。
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===== トムリンソン式密着連結器 =====
[[画像:tomlinso.jpg|thumb|200px|right|トムリンソン式密着連結器]]
アメリカのトムリンソン (Tomlinson) 社 が1910年代に開発<ref>United States Patent 1223222(1917年(大正6年)44月取得)。</ref>した密着連結器。日本国内では現在、[[東京地下鉄銀座線|東京メトロ銀座線]]・[[東京地下鉄丸ノ内線|東京メトロ丸ノ内線]]・[[西日本鉄道]]([[西鉄貝塚線|貝塚線]]および[[西鉄6000形電車|6000形]]以降に製造された車両を除く)・[[銚子電気鉄道]]デハ1001/デハ1002・[[京福電鉄]]嵐山線([[嵐電]])などで採用されている。
 
日本においては[[阪神電気鉄道]]が1921年(大正10年)製造の[[阪神301形電車|331形]]で採用したのが最初の採用例であり、同社は1965年(昭和40年)の[[阪神1001形電車|1000番台小型車]]淘汰まで、急行用車と各停用車でシステムが異なり、相互の併結が困難であったこともあって、後述のバンドン式密着連結器とこのトムリンソン式密着連結器を併用し続けた。
 
また、かつては[[日立電鉄]](現在は廃止)でも、営団地下鉄(現・[[東京地下鉄]])から譲渡された車両を使用していたため、本連結器を採用していた。
236行目:
===== バンドン式密着連結器 =====
[[画像:hanshin.jpg|thumb|200px|right|バンドン式密着連結器]]
アメリカのヴァン・ドーン (Van Dorn) 社が開発した密着連結器。日本国内にてこの連結器を採用していた鉄道は、[[阪神電気鉄道]]のみである。
 
柴田式よりも薄型で、ブレーキ用空気管が連結器内部(斜めに取り付け)に配置されている事が特徴である。バンドン式は日本では[[1971年]](昭和46年)に製造が停止され、現在はストック品のみしか存在しない<ref>一般鉄道用の連結器は強い力が掛かることから、鋼材を元に鋳造・鍛造・研削などの加工を受けて頑丈に製作される。このため装置としての寿命は長く、廃車から新車に転用する場合でも強度上の問題は少ない。</ref>。[[日本工業規格]] (JIS) (JIS)からも[[1994年]](平成6年)の改訂時に削除された。
 
阪神電鉄は2009年(平成21年)に開始された[[近畿日本鉄道]]との相互直通運転にあわせて、全車両の連結器を近鉄と同じ廻り子式密着連結器に交換し、従来からのバンドン式連結器を基本的に廃した。同時に連結器高さを840mmに上げている(近鉄車は880mm)。従前の阪神電鉄の車両は連結器が特殊であるだけではなく、連結面高さも標準的な高さよりも約235mmほど低かった (645mm) (645mm)
 
なお阪神電鉄は[[神戸高速鉄道]]を介して[[山陽電気鉄道]](小型密着自動連結器を採用)と[[相互直通運転]]を行っているが、山陽車とバンドン式装備の阪神車とは連結器に互換性がなく、そのままでは車両故障などの救援時に支障が生じるため、非常時に備えて主要駅には重くて複雑な中間連結器(偏差アダプター)を配備したほか、[[直通特急 (阪神・山陽)|直通特急]]に使用される[[阪神9300系電車|9300系]]・[[阪神9000系電車|9000系]]・[[阪神8000系電車|8000系]]・[[山陽電気鉄道5000系電車|山陽5000系・5030系]]には編成あたり1両の床下に偏差アダプターを積載した。
(詳細はこちらを参照→[http://www.hanshin.co.jp/railfan/9209.htm 阪神電車の連結器])
 
バンドン式には対・山陽電鉄直通だけでもこのように互換性問題があったが、廻り子式連結器標準の近鉄直通が現実化すると、3方式併存では互換性欠如が更に深刻となるため、阪神はこの機会に廻り子式連結器への切り替えを図った。これに先立ち、近鉄直通用に[[2006年]](平成18年)より製作されている[[阪神1000系電車]]は製造時より廻り子式密着連結器を採用している。
 
===== ウェスティングハウス式密着連結器 =====
[[画像:Westinghouse type copular.JPG|thumb|200px|right|ウェスティングハウス式密着連結器]]
アメリカの[[ウェスティングハウス・エレクトリック]] (WH) 社が開発した密着連結器の一種である。
 
機構的には、中央部に19接点の電気連結器コネクターが、下部に2本の自動空気ブレーキ用空気管(ブレーキ管および元空気溜管)が、それぞれ内蔵されていることが特徴である。
 
日本においては既に廃れた方式である。採用例の最初は[[1926年]]の連結運転開始に備えて[[京浜急行電鉄|京浜電鉄]]が輸入品のK-1-Aを導入し、京浜電鉄およびその子会社の湘南電鉄で使用された。それらは後に車両の大型化に合わせてより大型で強い牽引力に耐えられるK-2-A(WH社の日本における提携先であった[[三菱電機]]製)に置き換えられ、更に[[都営地下鉄浅草線]]乗り入れ開始に伴う3社乗り入れ協定で[[1960年]](昭和35年)にNCB-6密着自動連結器へ交換されるまで34年にわたって使用された。
 
また、これとは別に[[山陽電気鉄道]]が[[1956年]](昭和31年)に初の[[WN平行カルダン駆動方式|WNドライブ]]車である[[山陽電気鉄道2000系電車|2000系]]を製造する際に、2両の電動車で主制御器を同期動作させる特殊な設計としたために連結面間のジャンパ線引き通しが煩雑になったことから、三菱電機の推奨で同社製K-2-Bを採用した<ref>但し、電動車の運転台寄りは密着自動連結器ないしは並自動連結器を装着した。</ref>。
<br style="clear:both" />
 
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[[画像:chukan.jpg|thumb|200px|right|中間連結器を装着した車両1<br />(キヤE991)]]
[[画像:chouden.jpg|thumb|200px|right|中間連結器を装着した車両2<br />(銚子電鉄デハ1002)]]
中間連結器とは、[[電車]]の故障などで[[機関車]]による救援が必要である場合に、自動連結器と密着連結器を連結するために密着連結器側に取り付けるアダプター。これを装着すると自動連結器を装備する[[機関車]]等と連結可能となるが、速度制限 (70km/h) がかけられる。ナックル部分は固定されているため、中間連結器同士や双頭連結器とは連結することはできない。
 
[[京浜急行電鉄]]の車両は密着連結器を採用しているが、小型密着自動連結器を採用している社局([[東京都交通局]]・[[京成電鉄]]・[[北総鉄道]])と相互[[直通運転]]を行っているため、非常時に備えて車両に中間連結器が搭載されている。
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=== 双頭型両用連結器 ===
[[画像:soutou.jpg|thumb|200px|right|双頭連結器(EF63形)]]
[[画像:EF63-Soutou-kirikae8308062.jpg|thumb|200px|right|EF63形双頭連結器の切替作業(1983(1983(昭和58年)88月6日、軽井沢駅にて)]]
[[画像:EF63-115.jpg|thumb|200px|right|双頭連結器と密着連結器が連結したところ(EF63形と115系電車)]]
<!--ヤードマン必携 関西鉄道学園東京北局運転部構内作業研究会編(交友社)という本には両用連結器と-->
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自動連結器側のナックル部分は固定されているため、他の双頭連結器や中間連結器の自動連結器側同士とは連結することができない。<ref>双頭連結器はナックルが固定されているため、自動連結器の錠に相当する部分は存在しない。解放てこに接続されているのは錠ではなく、自動連結器または密着連結器に切り換えた後の状態を保持するための固定ピンに接続されている。</ref>また、密着連結器側の解放レバーは通常取り付けられていないため、解放時は相手側の解放レバーを操作するか、脱着式の解放レバーを取り付けて操作する必要がある。
 
この形式の連結器を装備していた機関車としてもっとも著名な例は[[国鉄EF63形電気機関車|EF63形電気機関車]]である。[[1997年]](平成9年)に廃止された[[信越本線]][[横川駅 (群馬県)|横川駅]] - [[軽井沢駅]]間の[[補助機関車|補機]]として運用されていたが、密着連結器装備の電車との連結のため、坂上方の軽井沢駅側車端に、この連結器が装備されていた。
 
2007年5月現在、機関車では、[[新津車両製作所]]での製造と[[長野総合車両センター]]への[[電車]]配給回送列車を受け持つ[[電気機関車]][[国鉄EF64形電気機関車#電車牽引用特殊装備の設置|EF64 1030, 1031, 1032号機]]、[[青森車両センター]]・[[郡山総合車両センター]]への電車配給回送列車を受け持つ電気機関車[[国鉄EF81形電気機関車|EF81 136, 139号機]]、主に[[大宮総合車両センター]]で入換を担当する[[ディーゼル機関車]][[国鉄DE10形ディーゼル機関車|DE10 1099号機]]・[[国鉄DE11形ディーゼル機関車|DE11 1031, 1035号機]]に装備されている。
 
また、気動車としては「[[ハウステンボス (列車)|オランダ村特急]]」として[[国鉄485系電車|485系電車]]特急「[[有明 (列車)|有明]]」との協調運転が行われていた[[国鉄キハ183系気動車|キハ183系1000番台車]]の先頭部に装備されている。当該車両は[[2006年]]現在「[[ゆふ (列車)|ゆふDX]]」として運用されており、電車との連結運転を行っていないが、連結器はこの形式のままである。
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=== 棒連結器(永久連結器)・半永久連結器 ===
ともに、[[動力車]](2両1ユニット式の電車、2車体永久連結式の電気機関車等)の組み合わせなど、固定編成を組む車両を最小の単位で組成する場合、[[車両基地]]での整備等で組み合わせを解除しないことを前提に使用される連結器である。
 
棒連結器は連結器自体を外さないと編成を分割することができないが、半永久連結器は互いを締結しているボルト・ナットを外す事により編成を分割する事が可能である。
313行目:
緩衝装置(かんしょうそうち)は、連結器と車体の間に介在して車両間の衝撃・動揺を緩和する装置である。<!-- バッファーの緩衝器と区別-->
 
引張力・圧縮力の両方に対応させるのが標準であるが、圧縮力のみに対応するものもある。さまざまな原理が用いられ、日本では金属のコイルばねによる単純ばね式、クサビの摩擦力でエネルギーを放出させる引張摩擦装置、軽量で大きな力を受けられる輪ばねによる輪ばね式、油圧を利用する油圧緩衝装置などを経て、ゴムによるゴム緩衝装置がよく用いられている<ref> 久保田博1997、Pp.256-258。</ref>。
 
連結時の衝撃を吸収するほか、発車・停車時、運転中の加減速時などに発生する車両間の圧縮、引張を吸収して車両の前後動を緩和する働きもある。
 
なお、日本の鉄道(特に客車)の車両間の衝撃が大きいことが、ヨーロッパのようなねじ式連結器および緩衝器の方式が自動連結器よりも優位であることの論拠とされることもあるが、同様の自動連結器を採用するアメリカ、オーストラリアに比較しても日本の状況は悪く、実際には緩衝装置の水準が低いためとされる<ref>曽根悟「鉄道車両の居住性――総論」RP506 Pp.14-15。</ref>
 
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[[鉄道車両]]には上記で記載している機械的な連結器とは別に、車両同士の電気的結合を目的とした電気連結器が使用される場合が多い。多くは連結器直下(新幹線は直上)に取り付けられており、連結されていない状態では電極保護のためカバーが掛かっている。連結時にはお互いのカバーを開く棒が押し込まれて自動的に電極が接触する。<!--これらは[[JR東日本E231系]](常磐快速用)などがある。←この記載はE231系以外にも多数採用されている電気連結器の状況をわかりにくくするため、不要な記載だと思われます。-->
 
電気連結器は通常、遊間のない密着連結器と併用されるが、自動連結器を標準としていた[[名古屋鉄道]]ではM式[[自動解結装置]]と称して小型密着自動連結器と電気連結器を併用し、密着自動連結器の連結後に電気連結器本体を迫り出して連結させることで連結時の接点破損を防止するシステムを[[1975年]](昭和50年)に開発し、[[1976年]]以降実用化している。ブレーキ用内蔵空気管を持たない密着自動連結器のため、改良型では空気管の自動解結機能も追加されている。
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|[[画像:denki-renketsuki1.jpg|thumb|200px|電気連結器付き密着連結器(解放時)]]
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これは連結器の遊間衝動を吸収する緩衝装置ではなく、車体の動きを抑える減衰器である。「車端」というのは取り付け位置に由来する呼称であり、力の伝わり方や働きから見ると「車体間ロールダンパ」である。
 
国鉄時代の高速車両(特急)等で最初に採用された。オイルダンパ([[ショックアブソーバー|油圧式ダンパー]])本体は車両の妻面上部に取り付けられる。ダンパ本体の取付位置は車両によって異なる<ref>例 : 直流電車は向かって右側・交直流電車は向かって左側に取り付けられている。</ref>。
 
自動車のカンチレバー式ショックアブソーバーと同じ構造で、ダンパボディーからは左右に動くアームが上方向に出ている。アームに外力が加わると、それにつながったダンパ内部の[[ピストン]]の動きで油が移動し、その油がオリフィス(絞り弁)を通過する際に発生する抵抗で減衰力を発生する仕組みである。隣の車両のダンパとは、[[幌|貫通幌]]の上部の連結棒で結ばれているが、ダンパアームの回転面に対し斜めにつながれているため、アームには抵抗となるレール方向(前後方向)の力も若干発生する。
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== 日本での自動連結器化 ==
===背景===
日本では19世紀の鉄道開業時に[[イギリス]]の技術を導入したことにより、ねじ式連結器が[[明治]]から[[大正]]末期まで標準として使用されていた。ただし[[北海道]]のみは[[アメリカ合衆国|アメリカ]]からの技術供与を受けて鉄道が発展したため、当初からシャロン式やアライアンス式、あるいはクライマックス式といったアメリカ製の自動連結器を多数採用しており、一部存在したねじ式連結器装備車も[[1909年]](明治42年)までに自動連結器化されている。
 
ねじ式連結器は、連結・解放作業に手間と時間がかかった。また、狭い場所での作業となることや、車両が転動することにより、連結手が圧死・轢死するなど、死傷事故が多発した<ref>特に狭軌の日本の鉄道においてはバッファー間隔が狭く、非常時の逃げ場がないことが死傷事故の被害を拡大した。1916年(大正5年)頃ごろの調査でも年間527名の死傷者が出て(RP308 (RP308 Pp.15) 15)、かつそのほとんどが死亡であったという(RP308 (RP308 Pp.11) 11)。</ref>。加えて連結器の強度が低く、良質の材料によるフック・リングを用いても重量級列車の編成には制約がつきまとい、列車の輸送量を増やす妨げともなっていた。さらに[[#日本における呼称と使用|上述]]のような複式連結を用いていたため一方に螺旋、他方に連環連結器が向かい合わせでないと連結できないが、車両の運用経過によって同じ連結器が向かい合った場合には連結ができなくなり、車両を転向するか連結器の付替をしなければならず大変な手間がかかった<ref name="sima" /><ref>1916年の調査でも連結器の付替が月間平均93530件にのぼった。(RP308 (RP308 Pp.11) 11)。</ref>。
 
===実施===
[[ファイル:Japanese railway coupler conversion.jpg|thumb|right|250px|連結器交換作業の様子]]
これらの弊害を克服するため、日本の[[鉄道省|鉄道院]]は[[1919年]](大正8年)から全国の機関車・客貨車の自動連結器化を計画した。5年に渡って綿密な準備作業や交換練習が重ねられ、作業チーム1組が毎時2両分の連結器交換をできるまでになった。また車両の台枠端部には定期的な修繕の機会を利用して強化改造が施され、全国を常に移動する貨車については、前後2個分の自動連結器を台枠下に取り付けた木枠にぶら下げて、全国どこにいても連結器交換が可能な態勢を整えた。
 
統計上、年間で最も輸送需要が少ない時期が交換日に選ばれた。[[1925年]](大正14年)7月初旬から予備車・固定編成車両を中心に交換が始まったが、大多数の車両は特定の一日を一斉交換日とした。本州が主に7月17日、九州が7月20日である。
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交換日当日、連結器未交換の機関車・客車はその日の終着駅で交換工事を施した。両数が膨大な貨車については、交換日当日に貨物列車を24時間全面運休させるという異例の特別措置が採られた。総動員された鉄道関係者らの手で、夜明けから日没までの間に突貫作業が進められ、ねじ式連結器は一斉に自動連結器に交換された。
 
この時連結器交換を受けた車両は、機関車が約3,200両、客車が約9,000両、貨車に至っては約46,000両に上る。これらの車両が装備する、計10万個以上の連結器を、半月ほどの間に全交換することに成功したのであった<ref>アメリカの技術指導で開業したため、当初より自動連結器を標準採用してきた北海道の国鉄線に関しては、取付高さの本州並み調整のみ[[1924年]](大正13年)に済ませており、本州の連結器交換によって[[青函連絡船]]での車両航送による貨車直通が実現した。これに対し、四国の国鉄線については当時は孤立路線のため、[[1926年]] - [[1927年]](昭和2年)まで交換が繰り延べられた。</ref>。
 
===他国との比較===
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===私鉄での状況===
多くの私鉄線車両についても自動連結器化の対象となり、国鉄直通車は国鉄とほぼ同時に交換、その他の車両も1927年頃までに交換が行われた。しかし、国鉄線との直通自体がない路線では後年までねじ式連結器を用いた例も少数残存した<ref>国鉄線でも、私鉄の新宮鉄道買収線で孤立した路線の[[紀勢本線|紀勢中線(現・紀勢本線の一部)]]は1940年(昭和15年)の紀勢西線連絡までねじ式連結器を用いていた。</ref>。日本の一般営業路線で最も遅くまでねじ式連結器を用いた例は762mm軌間の[[軽便鉄道]]であった[[下津井電鉄]]で、1990年(平成2年)の同線廃止まで用いられた電車の1両であるモハ1001号は、簡易式連結器(後述)の下部に、開業以来の保線用貨車を牽引するため、ねじ式連結器<ref>下津井では開業の時点で2基のバッファーを備えるねじ式連結器を採用しており、貨車については電化後もねじ式のまま全線廃止まで維持された。ただし、同社では連環連結器と螺旋連結器を併用するのが正規の連結手順であったが、路線短縮後は貨車の使用が保線用に限られたためもあってか、ほとんどの場合連環連結器のみを使用して螺旋連結器を使用しなかった。また、下津井は1927年の[[単端式気動車]]導入時にピン・リンク式連結器を気動車専用(軽量化の必要から、バッファーが重いねじ式は忌避された)として導入し、さらに1930年代に入り2軸ボギー式大型ガソリンカーを導入した際には簡易式連結器を導入してピン・リンク式連結器を駆逐、これを気動車→電車の標準連結器として路線全廃まで使用している。</ref>を併設していた。
 
== 脚注 ==
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==参考文献==
*電気車研究会『鉄道ピクトリアル』1975年7月号 No.308 特集 自動連結器一斉取替記念号(同誌は必要に応じ、注において略号RPと通巻、頁で指示する。)
*青木栄一「わが国の鉄道における初期の客車の変遷について」、都留文科大学研究紀要 第3集 (1966) P.20 - 64
*久保田博『鉄道工学ハンドブック』グランプリ出版、1997年
*島安次郎「本邦鉄道車両の牽引及緩衝装置」、帝国鉄道協会会報、9巻 (1908) P.100 - 157 (青木 1966に所引)
 
== 関連項目 ==