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二十数人の志士に対し、当初踏み込んだのは[[近藤勇]]、[[沖田総司]]、[[永倉新八]]、[[藤堂平助]]の四名であった。近藤隊の総数は十名で残りは屋外を固めた。[[土方歳三]]が率いた人数は二十四名で、探索前は土方らの向かう四国屋(丹虎)が怪しいと踏んで土方隊に人数をさいた。総数三十四名(異説あり)。やがて、土方隊も応援に駆けつけ、大戦果を上げた。(尊攘志士 九名を討ち取り、四名捕縛。続く翌朝の市中掃討で会津、桑名藩らと連携し二十余名捕縛)
 
御所焼き討ち計画を未然に防ぐ事に成功した新撰組の名は天下に轟いた。逆に尊皇攘夷派は[[吉田稔麿]]、[[北添佶摩]]、[[宮部鼎蔵]]、[[大高又次郎]]、[[石川潤次郎]]、[[杉山松助]]、[[松田重助]]らが戦死、大打撃を受ける。(彼らは俗に「殉難七士」と呼ばれる)
 
この事件をきっかけに、長州藩は強硬派に引きずられる形で挙兵、上洛し、七月十九日の[[禁門の変]]を引き起こす。