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* その一方で、大勲位の勲章を授与された後、養父である吉田健三の墓の前で「(養父の)財産は使い果たしてしまったが、その代わり(天皇)陛下から最高の勲章を戴いたので許して欲しい」と詫びたと言うエピソードも残している。
* 名ヴァイオリニストの[[ユーディ・メニューイン]]が来日公演を行った際、[[日比谷公会堂]]で演奏を聴き終えた吉田は感想を聞かれ、'''「大変立派なピアノ演奏でした」'''と答えたために、周囲からは「吉田は音楽がわからない」等と批判されたが、その日の演奏会は主役のメニューインの演奏の出来が実際に良いとは言えず、逆に伴奏のピアノ演奏の方が立派であったと言う。
 
==暴言放言==
吉田は外交官出身であり、駐英大使時代にイギリス流の生活様式に慣れ、貴族趣味に浸って帰国した。そのため、官僚以外の人間、共産党員や党人などを見下すところがあった。その彼のワンマンぶりがよく表れているのが、彼の言い放った暴言の数々である。
 
*戦後、GHQにより公認された[[共産党]]が、ストや反吉田闘争を繰り広げていたとき、吉田は「'''あのような曲学阿世の徒が、国民の大多数を占めるとは私は考えていない'''」と言い放った。
*保安隊が改組され[[自衛隊]]=[[防衛庁]]が発足された際、野党は「自衛隊の存在は[[違憲]]ではないのか」「自衛隊は軍隊となんら変わらない」と、吉田を追及した。それに対し、吉田は「'''自衛隊は軍隊といっても差し支えない。しかし戦力ではない'''」と答弁した。
*最も有名なのがこれ。サンフランシスコ講和条約に関する条項の審議を国会で行っていた際、野党・[[社会党]]の議員の追及にあった。それに対し、吉田は「チャーチルやアイゼンハワーもこの意見に賛成している」と答弁。それに対し、社会党議員は「外人の意見ではなく、首相自身の意見が聞きたい」と食い下がった。「これは私個人の意見でもある。無礼なことを言わないで頂きたい」と吉田。「無礼者とは何だ」と議員。そしてついに「'''バカヤロー'''」と吉田がキレて、吉田自由党は解散総選挙に打って出ることとなった。これが世に言う「[[バカヤロー解散]]」である。
 
== 内閣 ==