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{{Otheruses|給食設備を有する[[鉄道車両]]|給食設備を有する[[自動車]]|食堂自動車}}
[[ファイル:Hokutoseishokudou.jpg|thumb|200px|[[北斗星 (列車)|北斗星]]の食堂車。日本の定期列車に連結される食堂車は今や貴重な存在である。]]
[[ファイル:Dining car italy.jpg|thumb|200px|食堂車からの車窓</br>2007年 イタリア]]
[[ファイル:Via Rail "The Canadian" Dining Car.jpg|thumb|200px|カナダの長距離列車「[[VIA鉄道#路線|カナディアン号]]」の食堂車]]
'''食堂車'''(しょくどうしゃ)とは、[[鉄道]]の[[客車]]([[鉄道車両]])の一種で、広義には車内に[[調理]]を含む供食設備を設けているものをいう。
 
[[日本国有鉄道]](旧・国鉄)では[[1970年代]](昭和50年代前半)までは、ほとんどの長距離[[列車]]に食堂車が連結されていたが、列車の速度向上や長距離列車の廃止等により運転時間が短縮されてきたことから、食堂車を連結する列車は減少の一途をたどり、現状では[[本州]] - [[北海道]]を結ぶごく少数の[[夜行列車]]に限られている。
 
== 日本世界の食堂車 ==
=== 北米 ===
日本の場合、日本全土に建設・運営を行ってきた国鉄→[[JR]]各社に連なる私営鉄道・官営鉄道によるものと[[地方鉄道法]]・[[軌道法]]による都市間ないしは観光鉄道が起源とした20世紀後半以降現在に連なる[[私鉄|私鉄・民鉄]]によるものが挙げられる。この車種を乗客が必要とする長距離列車の運行は主に前者が行うが、後者でも乗客サービスのために設ける場合もある。
[[ファイル:Luxury on wheels.jpg|thumb|200px|米国・アルトン鉄道の1885年の食堂車]]
==== 歴史 ====
アメリカで本格的な食堂車が登場したのは1860年代である。それ以前にも供食設備を持つ客車は存在し、列車内における食事の提供は1830年代から行われていたようだが、継続的なサービスに繋がっていなかった。この時代、[[鉄道駅|駅]]や車内では物売りが果物や軽食を販売し、食事時には[[食堂]]のある停車駅で食事のための停車時間がとられていたので、車内での飲食を望む優等旅客はそれほど多くなかった。
 
このような事情から、初期の食堂車のほとんどは、客車の一部を食堂とした小規模なものであった。[[寝台車 (鉄道)|寝台車]]サービスで有名なプルマン社は1868年に全室食堂車「デルモニコ」を建造したが、これは例外的な存在であった。プルマン社は優等旅客への供食サービスにも力を入れていたが、その主役はホテル・カーと呼ばれる[[厨房]]付きの寝台車で、食事時には座席にテーブルが据え付けられ食事が提供された。
=== 食堂車とビュフェ ===
[[ファイル:Harvey-uniform.JPG|thumb|150px|right|フレッド・ハービー社ウェイトレスの制服]]
狭義での食堂車・ダイニングカーは、市中の[[レストラン]]並みに労力のかかる本格的な料理の調理・供給が可能な[[台所|調理設備]]と接客に充分なテーブル席を備える本格的なものを指し、簡易食堂車であり一般の座席車との合造となっている場合も多い「ビュフェ(車)」を含まないが、広義にはビュフェもまた食堂車に含められる。旧国鉄・JR[[在来線]]における車両記号は、食堂車・ビュフェとも「シ」で表記される(詳細は下記の構造の節を参照)。
 
全室食堂車が流行したのは1870年代後半で、東部や中西部の鉄道会社はこぞって食堂車を建造し、コース料理の提供をはじめた。この傾向は貫通路が開発され、車両間の移動が簡単になったことで加速し、19世紀の終わりには長距離列車には食堂車の連結が当たり前となった。
国鉄・[[JR]]各社の用語では「[[ビュッフェ|ビュフェ]]」と表記されるが、車内の案内放送では車掌や食堂会社従業員が「[[ビュッフェ]]」と発音することがある。
 
アメリカの食堂車は慢性的に赤字であった。優等旅客を対象とすることからメニューは[[フランス料理]]や[[クレオール料理]]のコースが主流で、客単価も高かったのだが、一流レストランと同等以上のサービスを提供するために多数の要員を必要とし、それ以上の費用を要した。このため、プルマン社は波動輸送用の数十両を除けば全室食堂車を経営することはなく、各鉄道会社は自社で食堂車を経営し、旅客誘致の目玉としてサービスや味を競いあった。全盛期の1920年代には60の鉄道会社が1000両以上の食堂車を運営していた。なお、食堂車運営にあたっては個々のサービスの向上は勿論の事、経営主体が同じであれば、列車が異なっても同質のサービスを提供することが重視され、食器やウェイター、ウェイトレスの制服の統一が図られた。左図のフレッド・ハービー社([[アッチソン・トピカ・サンタフェ鉄道]]で食堂車を受託経営)の制服はその典型的な例で、この制服をまとった女性従業員「ハービー・ガール」は中西部から西海岸にいたる広大な営業エリアで提供された均質で高いサービスの象徴として好評を博した。
ビュフェでは調理設備が本格的な食堂車に比べて簡略化されており、人員も少ないことから、本格的な調理を行なうことは少なく、比較的簡単に労力をかけずに調理できる[[軽食]]や[[飲料]]、調理済みの[[冷凍食品]]や冷蔵食品を[[電子レンジ]]で再加熱して利用者に供するのみとなっている。また、ビュフェではカウンターに[[椅子]]すら用意されていない[[立ち食い|立食]]スタイルが一般的で、カウンター席があってもテーブル席がないか、テーブル席があってもその数は極少なくなっている。
(なお、使われた[[食器]]が一級品で、鉄道会社独自のデザインが反映されたものであったために、これらを「レイルウェイ・チャイナ」と総称し、コレクションする趣味がアメリカでは盛んである)。
 
[[ファイル:Service Galley Santa Fe 1474 Cochiti.jpg|thumb|200px|right|旧[[サンタフェ鉄道]]の食堂車厨房ワイングラスを散見できる</br>2004年</br>]]
=== 国鉄・JR ===
全盛期のアメリカの鉄道では、食堂車のほか、ビュフェやカフェ・カー、ランチ・カウンター・カーといった簡単な厨房を持つ車両で供食サービスを提供するケースも多かった。その目的は、コース料理を必要としない普通旅客に対する安価な食事の提供と、優等旅客の軽食や喫茶の需要に応えることにあり、長距離列車では目的に応じてこういった設備を持つ車両が数両連結されるのが通常であった。
==== 構造 ====
日本の鉄道では、食堂車は1両の一部でも給食設備を備えているものを指し、構造上1両の半分(実際には2/3程度)がそのようなスペースを持つものを'''ビュフェ'''(ビュッフェ・ビッフェ)と称し、それを備える車両であるから'''ビュフェ車'''(ビッフェ車・ビュッフェ車)ということもある。JR[[在来線]]における車両記号は「シ」である。
 
上記のようにアメリカの食堂車は1920年代から40年代にかけて全盛を極めたが、それ以降は急速に衰退する。優等旅客は[[航空機]]に、普通旅客は[[高速バス|長距離バス]]([[グレイハウンド (バス)|グレイハウンド]])にシェアを奪われ、旅客は大幅に減少、多数の要員を必要とする食堂車の経営は成り立たなくなってしまった。多くの場合、食堂車は列車の廃止とともに消滅したが、食堂車サービスのみ削減し、車内販売に置き換えるケースも散見される。[[サザン・パシフィック鉄道]]では大陸横断の長距離列車でも[[自動販売機]]による軽食販売に置き換えるケースなどがあり、その劣悪なサービスが[[アムトラック]]成立の後押しをしたとも言われている。
食堂車の構造として、1951年に登場しそれ以降食堂車の標準とされた[[国鉄マシ35形客車|マシ35形]]の場合、客席は[[複層固定窓]]と[[エア・コンディショナー|冷房装置]]を備え、4人席と2人席を備え定員は30名とした。厨房内の調理設備は[[石炭]][[レンジ]]と氷[[冷蔵庫]]であり、後に[[国鉄10系客車|10系客車]]のオシ17形では車体幅が拡張されたために客席のテーブルを4人掛けとした。
 
その後、アメリカの長距離旅客列車の多くは1971年にアムトラックに移行し、食堂車もアムトラックの経営となり、現在に至っている。
 
==== 現状 ====
アメリカの[[アムトラック]]の列車のほとんどは供食設備を備えている。[[夜行列車]]のほとんどは、コース料理を提供する食堂車を連結しており、中距離列車もカウンターとテーブル席を備え、[[ホットドッグ]]や[[サンドウィッチ]]を提供するカフェ・カー(ビュッフェ)を連結している。運転時間が長大であることと、駅構内の売店が少ないことなどがその理由である。[[カナダ]]の旅客列車を運行する[[VIA鉄道]]においても事情は似たようなものであるが、中距離列車では、供食車両を設ける代わりに、飛行機の[[機内食]]同様の食事のシートサービスが行われている。
<br clear="all" />
 
=== ヨーロッパ ===
{{Vertical_images_list
|幅= 200px
| 1=Nashi20-24Talgo_restaurant.JPGjpg
| 2=スペイン・タルゴの食堂車</br>2006年
| 2=ナシ20形
| 3=JNR sashi489-4Talgo_bar.jpg
| 4=スペイン・タルゴのバー車
| 4=サシ489形
}}
[[西ヨーロッパ]]では日本と同様、食堂車は減少・簡略化傾向にあるが、その様相は国ごとに異なる。
マシ35形の姉妹形式として電気レンジや電気冷蔵庫を装備したカシ36形が登場したが、電化調理設備に故障が多かったことから調理設備マシ35形と同等物へ変更し、マシ35形にを編入された。調理設備を電化した食堂車が再び登場するのは[[客車]]としては[[国鉄20系客車|20系客車]]のナシ20形の登場からとなる。また、これ以降新造される車両も大部分の設備の基本的なものはこれを踏襲している。
 
[[フランス]]では、かつて「ル・ミストラル」などの[[優等列車]]では[[フルコース]]の[[フランス料理]]が提供されていたが、夜行列車を含めて[[サンドウィッチ]]程度の軽食を提供するビュッフェ車以外は全廃されている。[[ドイツ]]、[[イタリア]]、[[スペイン]]などに向かう国際列車の中には料理を提供する食堂車を連結するものがあるが、これらはすべて乗り入れ先の国側の鉄道事業者が運営<!--鉄道事業者が経営しているわけではない-->するものである。[[ユーロスター]]など一部の[[高速列車]]では狭義の食堂車は連結されていないが、二等車乗客向けにビュフェ車が連結されており、一等車の乗客には座席に[[飛行機]]の[[機内食]]同様の配膳サービスが行なわれている。
[[電車]]では、[[特急形車両]]もしくは[[急行形車両]]として製造された。完全電化のため大量に電力を消費をすることから、自車に大容量の[[電動発電機]](MG)を搭載。特急形車両の完全食堂車では[[操縦席|簡易運転台]]を設けるなど車両運用上の要とされる事例が見受けられた。食堂車が営業されない事例が増えた[[1980年代]]前半までも[[車内販売]]の基地としての機能連結され続けた<ref>松本運転所(現・[[松本車両センター]])のサハシ165形では、同車に搭載されたMGが他車の冷房電源を賄う事情から、また[[国鉄583系電車|583系電車]]では編成全体の圧縮空気容量の関係からサシ581形の空気[[圧縮機]](CP)も必要であった事情から、編成から外せない理由もあった。</ref>。
 
ドイツでは、食堂車の慢性的な経営難により、国際列車や夜行列車を除く本格的な食堂車のビュフェ車(ビストロ)への改装が進められている。但し、ドイツのビュフェ車のメニューは他国の同種の車両に比べると豊富で、経営規模も比較的大きい。
{{Double image aside|right|JNR PC oshi24-101.jpg|200|JR PC sushi24-504.jpg|200|オシ24 101<ref>当初はオシ14 5として製造されたが、24系編入改造が行われ改番された。</ref><br>当初から客車として製造された食堂車|スシ24 504<br>当初は電車として製造され客車化改造された食堂車}}
{{CURRENTYEAR}}年現在運行されているものでは、「北斗星」・「トワイライトエクスプレス」に連結されているスシ24形がナシ20形の電化調理設備と客席を基本的に踏襲している。スシ24形はもともと24系客車に存在したオシ24形とは全く別の車両で、電車特急である[[国鉄485系電車|485系]]のサシ481形・489形を改造して組み入れたものであり、寝台車特有の高い屋根から一転して低屋根にAU13形(JR西日本所属のスシ24 1・2はAU12形)[[分散式冷房装置]]の並んだスタイルのほか裾絞りの車体など異彩を放っている。
 
一方、イタリアや[[スイス]]・[[スペイン]]では昼行列車の食堂車のてこ入れが積極的に行われている。[[ユーロスター・イタリア]]の食堂車は本格的な[[厨房設備]]を擁する。スイスでは[[ファストフード]]店に似た供食設備を持った車両の試みも行われているほか、一部私鉄の列車にも食堂車が連結され、例えば大手私鉄の[[レーティッシュ鉄道]]では[[レーティッシュ鉄道の食堂車|十数両の食堂車]]を保有し、[[氷河急行]]などの特別列車のほか通常の急行列車の一部にも食堂車が連結される。スペインでは、国内の長距離列車・国際列車などでのフルコースメニューを中心としたサービスが継続されている。
:スシ24形の中で特筆すべき車両としてスシ24 506があげられる。
:同車は1974年にサシ489-12として落成、1978年にサシ481-83へ改造、さらに1982年にサシ489に再改造されるも番号は12にもどらずそのまま83を継承、「北斗星」増発時にまたもや改造されスシ24 506となった(詳細は[[国鉄485系電車#サシ489形|こちら]]を参照のこと)。
 
西ヨーロッパの夜行列車の個室寝台車では、簡単な[[朝食]]のサービスを行う列車が多く、朝食料金は寝台料金に含まれている場合が多い。夜行列車の[[夕食]]・朝食時刻は前夜指定するのが通例だが、客席まで朝食が届けられる場合と、夕食同様に指定した時刻に食堂車へ客が赴く場合と二通りがある。
なお、分割民営化後に[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)と[[九州旅客鉄道]](JR九州)で食堂車が新造されている。
 
=== 中華人民共和国 ===
{{Vertical_images_list
|幅= 200px
| 1=Chinese dining car,china railway,Xinjiang,china.jpg
| 1=オシ25-901.JPG
| 2=中国の食堂車</br>2001年
| 2=24系客車「夢空間」ダイニングカー</br>オシ24 901
| 3=JR-KMongolian 787-buffet1Dining Car.jpg
| 4=[[モンゴルの鉄道|モンゴル鉄道]]の食堂車</br>2004年
| 4=JR九州787系電車ビュフェ</br>サハシ787形</br>2002年
| 5=JRE PC26 msE26 20071020 001.jpg
| 8=マシE26-1
}}
;オシ24 901
1989年にJR東日本が、次世代寝台列車用車両の方向性を検討するため[[国鉄24系客車|24系夢空間]]のダイニングカーとして[[東急車輛製造]]で製造させた試作車両。展望室を有していたために列車の最後尾に連結された。一般の24系客車とともに編成を組成され「北斗星」系統をはじめとする臨時列車や団体専用列車で運用されたが、2008年3月で営業運転を終了し廃車。現在では、[[埼玉県]][[三郷市]]の[[ショッピングセンター]]「[[ららぽーと新三郷]]」で展示されている。
 
[[中華人民共和国]]の場合、広大な国土である上に長距離[[高速鉄道|高速列車]]が存在しないため、現在でも24時間以上(最も長い[[広州市|広州]] - [[ラサ市|ラサ]]間列車は55時間以上)かけて走破する列車が多数有り、[[寝台列車|寝台特急]]等の長距離列車には大抵食堂車が連結されている。
;サハシ787-1 - 14
1992年にJR九州が製造した[[JR九州787系電車|787系電車]]に連結されていたビュフェ車。[[九州新幹線]]開業による運用距離・時間の短縮に伴い[[2003年]]に営業を終了し、現在では全車サハ787形200番台に改造されている。
 
[[中国語]]では「餐車」(餐车:ツァンチョー cānchē)という。[[中華料理]]は地方によって味付けがかなり違い、特色があるが、食堂車も所属管理局によって味付けに多少地方色がある。朝食は[[麺]]料理のみの場合が多い。最近では、[[車内販売|車内売り]]の[[弁当]]も食堂車で[[調理]]している。短距離の特急の場合は、車内の売店で弁当、[[カップ麺]]、[[フルーツ]]の盛り合わせ、菓子などを用意して販売しているだけの場合が多い。
;マシE26-1
1999年にJR東日本が製造した[[JR東日本E26系客車|E26系客車]]の食堂車。編成全体が[[2階建車両]]として設計・製造されたことから、1階が編成中の通り抜け廊下と従業員用寝台、2階が客席、上野寄り車端部(いわゆる「平屋部分」<ref>「平屋」とは[[2階建車両]]の構造上、[[鉄道車両の台車|台車]]を乗せる部分をさす。<!--通例[[連接車体]]でも存在しうるが、この部分については車両限界のうち台車にかかる下の部分が当然ながらなく、また、上部については連結部分で支障がある機材を乗せる場合があり、かつ他車との連結に供するためのアプローチとなるため、-->通常の車両と同じ車両高さ・幅となる部分。</ref>)に厨房を設置している。「カシオペア」で現在も運用されている。
 
=== 韓国 ===
なお、JR九州が運行する「ゆふいんの森」で運用される[[JR九州キハ71系気動車|キハ71系]]・[[JR九州キハ72系気動車|キハ72系]]にはビュフェが設置されているが、食堂車を示す車両記号「シ」は使用しておらず、全室普通車の「キハ」となっている。
[[大韓民国|韓国]]では、[[セマウル号]]を中心にソウルプラザホテル運営の食堂車を連結し、車内で[[韓国料理]]の提供を行うなどしていたが、ソウルプラザホテルが運営から撤退し、その後[[アシアナ航空]]の機内食を担当しているランチベル社が事業を引き継ぎ運営していたが、2008年9月をもって撤退。現在は食堂車を改造し、軽食を中心とした「カフェ客車」として運用されている。過去には、車内でハンバーガーを提供する[[ロッテリア]]運営の食堂車も存在した。2004年3月開業の[[韓国高速鉄道]](KTX)には食堂車・ビュフェ車ともに連結されていない。
 
=== 台湾 ===
1980年代に「[[キョ光号|莒光号]]」に[[洋食]]を提供する食堂車、2000年代に[[自強号]]に半室ビュフェ車が連結されたことがあったがいずれも短期間で終わっている。
 
=== その他 ===
この他、長時間走行を行う列車が存在する国や地域においては何らかの供食設備を持つ事が普通である。[[東ヨーロッパ]]や[[ロシア]]などの長距離列車は食堂車を連結し、[[インド]]の長距離列車は調理設備を持つ車両を連結し、調製した料理の客席へのサービスを行っている。
 
== 日本の食堂車 ==
日本の場合、日本全土に建設・運営を行ってきた国鉄→[[JR]]各社に連なる私営鉄道・官営鉄道によるものと[[地方鉄道法]]・[[軌道法]]による都市間ないしは観光鉄道が起源とした20世紀後半以降現在に連なる[[私鉄|私鉄・民鉄]]によるものが挙げられる。この車種を乗客が必要とする長距離列車の運行は主に前者が行うが、後者でも乗客サービスのために設ける場合もある。
 
[[File:100 V restaurant car 19990714.jpg|thumb|200px|新幹線100系V編成[[グランドひかり]]の食堂車]]
[[File:Shinkansen 200buffet.JPG|thumb|200px|新幹線200系・237形のビュフェ]]
=== 食堂車とビュフェ ===
 
狭義での食堂車・ダイニングカーは、市中の[[レストラン]]並みに労力のかかる本格的な料理の調理・供給が可能な[[台所|調理設備]]と接客に充分なテーブル席を備える本格的なものを指し、簡易食堂車であり一般の座席車との合造となっている場合も多い「ビュフェ(車)」を含まないが、広義にはビュフェもまた食堂車に含められる。旧国鉄・JR[[在来線]]における車両記号は、食堂車・ビュフェとも「シ」で表記される(詳細は下記の構造の節を参照)。
 
国鉄・[[JR]]各社の用語では「[[ビュッフェ|ビュフェ]]」と表記されるが、車内の案内放送では車掌や食堂会社従業員が「[[ビュッフェ]]」と発音することがある。
 
ビュフェでは調理設備が本格的な食堂車に比べて簡略化されており、人員も少ないことから、本格的な調理を行なうことは少なく、比較的簡単に労力をかけずに調理できる[[軽食]]や[[飲料]]、調理済みの[[冷凍食品]]や冷蔵食品を[[電子レンジ]]で再加熱して利用者に供するのみとなっている。また、ビュフェではカウンターに[[椅子]]すら用意されていない[[立ち食い|立食]]スタイルが一般的で、カウンター席があってもテーブル席がないか、テーブル席があってもその数は極少なくなっている。
 
=== 国鉄・JR ===
==== 歴史 ====
===== 在来線 =====
[[File:Dining car -Sanyo Tetsudo.jpg|thumb|200px|山陽鉄道の食堂付一等車]]
日本初の食堂車は、[[1899年]][[5月25日]]に[[私鉄]]の[[山陽鉄道]](現在の[[山陽本線]])が運行した[[日本国有鉄道|官設鉄道]][[京都駅|京都]]~山陽鉄道三田尻(現・[[防府駅|防府]])間の列車に連結した食堂付[[一等車]]である。当初は瀬戸内海航路への対抗とともに一等車の付随施設の側面が大きかった。なおこの時の車両は、山陽1227 - 1229号、国有後のホイシ9180形と考えられている<ref>長船友則『山陽鉄道物語―先駆的な営業施策を数多く導入した輝しい足跡』、JTBパブリッシング、2008年、144頁。なお同所載の図によれば当初は長手方向に置かれた大テーブルの両側の席に旅客が着席する形だったようである。</ref>。官営鉄道(国鉄)では[[1901年]][[12月15日]]<ref>長船、146頁。</ref>に、[[日本鉄道]]では[[1903年]]に導入された<ref name="RP761">『鉄道ピクトリアル』No.761 p.9。</ref><ref>この他国有化された鉄道では[[関西鉄道]]・[[讃岐鉄道]]・[[成田鉄道 (初代)|成田鉄道]]の例がある。</ref>。
 
この時は[[一等車|1等]]・[[二等車|2等車]]の客しか使用できず、官営鉄道・日本鉄道でも同様の措置をとっていた<ref name="RP761"/>。3等車の客には当時行儀の悪い者が多かったため、一等客に不愉快な気持ちを抱かせないようにする配慮、あるいは本来の座席より良い車両で漫然と時間をすごすことの防止<ref>長船、143頁。</ref>であったとされる。その後、[[1903年]]10月から山陽鉄道では閑散時間帯には3等客への部分開放を行ったが、3等車から1・2等車を通って食堂車へ来るのは禁じられ、駅に停車している時に車両の外を移動することと身なりを整えることが求められたという。鉄道院でも、1919年8月から「一部食堂車に改造を加え、あるいはその連結位置を変更」して列車全体の旅客に開放した<ref>『大正8年度鉄道院年報』1921(大正10)年、33頁。</ref>。なお、食堂車を挟んで1等・2等車と3等車を分ける施策は、[[戦後]]の初期まで続けられた。詳細については、[[#連結位置について|下記]]も参照。
 
[[File:JGR Dining car.JPG|thumb|200px|鉄道省時代の食堂車。[[1935年]]頃。]]
当初は上級旅客の利用が前提であったことや[[和食]]より[[洋食]]が調理加工の幅が単純である為にどの食堂車もいわゆる洋食を専門に供給していた「洋食堂車」が連結していたが、1901年より[[第二次世界大戦]]前にかけて、鉄道利用の大衆化が進んだこともあり一部の列車においては洋食以外にも和食を給する「和食堂車」を連結するものも現れた。例として、[[1929年]]に愛称が付けられた[[特別急行列車]]「[[富士 (列車)|富士]]」は1等・2等車のみで編成された関係で洋食を給していたが、[[普通車 (鉄道車両)|3等車]]のみで編成されていた「[[さくら (列車)|櫻]]」(さくら)では和食を給していた。そして[[1934年]]以降になると洋食を提供する食堂車は、「富士」と[[1930年]]に運転を開始した「[[つばめ (列車)|燕]]」(つばめ)、更に山陽本線(京都 - [[下関駅|下関]]間、なお[[1935年]]からは呉線経由となる)において1等[[展望車]]を連結するなど格式の高かった[[急行列車#急行列車の黄金期|急行7・8列車]]、更に[[東京駅|東京]] - [[神戸駅 (兵庫県)|神戸]]間運転で1・2等車のみによって組成された[[寝台列車#寝台専用列車以前|急行17・18列車]](いわゆる「名士列車」)の4往復と[[1937年]]に運転を開始した「[[かもめ (列車)|鷗]]」(かもめ)のみになり、他はすべて和食堂車になった<ref>洋食堂車は、あくまでも洋食専門としており、和食堂車は、和食の他に比較的安価でかつ一般にも馴染み深い洋食となりつつあったライスカレーや[[コロッケ]]などの揚げ物は勿論、[[ビーフステーキ]]など洋食堂車でも扱う料理は取り扱っていた。戦後以後の食堂車は、この「和食堂車」から継承されていく。</ref>。
 
大戦前は特別急行列車・[[急行列車]]に限らず、山陽本線・[[東北本線]]・[[日光線]]・[[参宮線]]、[[日豊本線]]・[[根室本線]]などの[[準急列車]]や[[普通列車]]にまで和食堂車が連結されていた<ref>ただし、普通列車では長距離・観光用のものに限られた。[[直行 (列車)|直行列車]]も参照のこと。</ref>。
 
[[日中戦争]]や[[太平洋戦争]]による運行統制により、特急列車や一部の長距離の急行列車を除いて定食が簡素化し、単品の料理も一人一品の制限や[[テーブルクロス]]の廃止など風当たりの強い物となり、[[1944年]]4月に一時的に中断。戦後は、占領軍の支配下により[[1945年]]から占領軍専用列車の食堂車の営業から再開した。その後、[[1949年]]9月の特急列車「へいわ」復活と同時に、同列車と東京~[[鹿児島]]間の急行1・2列車(戦前の「櫻」→急行7・8列車、後の「[[霧島 (列車)|霧島]]」)に連結・営業を復活させ、以後順次拡大していったが、[[1960年代]]頃より普通列車・急行列車が徐々に[[客車]]から[[電車]]・[[気動車]]化される際に、気動車では特急用車両を除き食堂車が製造されなかったこともあり、食堂車連結・営業は客車による[[夜行列車]]ないしは、特急列車が中心になっていった。
{{Vertical_images_list
|幅= 200px
| 1=Syokudousya 80-20 01.jpg
| 2=[[国鉄キハ80系気動車|キハ80系特急]]の食堂車</br>キシ80 2020)の食堂内</br>[[1985年]]
| 3=Kisashi180 syanai.jpg
| 4=[[キハ181系気動車|キハ181系特急]]の食堂車</br>キサシ180形)の食堂内</br>[[1982年]]
}}
[[日中戦争]]や[[太平洋戦争]]による運行統制により、特急列車や一部の長距離の急行列車を除いて定食が簡素化し、単品の料理も一人一品の制限や[[テーブルクロス]]の廃止など風当たりの強い物となり、[[1944年]]4月に一時的に中断。戦後は、占領軍の支配下により[[1945年]]から占領軍専用列車の食堂車の営業から再開した。その後、[[1949年]]9月の特急列車「へいわ」復活と同時に、同列車と東京~[[鹿児島]]間の急行1・2列車(戦前の「櫻」→急行7・8列車、後の「[[霧島 (列車)|霧島]]」)に連結・営業を復活させ、以後順次拡大していったが、[[1960年代]]頃より普通列車・急行列車が徐々に[[客車]]から[[電車]]・[[気動車]]化される際に、気動車では特急用車両を除き食堂車が製造されなかったこともあり、食堂車連結・営業は客車による[[夜行列車]]ないしは、特急列車が中心になっていった。
 
最初の電車特急列車として[[国鉄181系電車|151系電車]]を用いて運行を開始した[[こだま (列車)|「こだま」号]]は「ビジネス列車」として運行されたことや試作的な要素があったため、当初は簡易食堂車であるビュフェ車(モハシ20→モハシ150→モハシ180)のみであった。これが簡易食堂車を「ビュフェ」と呼ぶことの初出とされる。このため、[[国鉄10系客車|10系客車]]で夜行・[[寝台列車|寝台]]急行列車に用いるために製造されたオシ16形は全室ながら「ビュフェ」の扱いを受けた<ref>現在の[[ロビーカー]]に相当する扱い(当時は「サロンカー」と称した)ともされる。</ref>。これは寝台設営・解体の際の避難場所と言う位置づけもあったため「フリースペース」に準ずる扱いから来ている。
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*
*[[1999年]]12月ダイヤ改正で「さくら」は「はやぶさ」との統合により売店営業の食堂車が外され、サービスもこの時点で終了する。なお、売店営業休止後も食堂車が連結されていた列車は「フリースペース」として[[2006年]]に列車廃止するまで残存された。
 
====== 連結位置について ======
{{seealso|編成_(鉄道)}}
長らく日本の列車編成は、食堂車で等級を区分してかつ上の等級の車両を下の等級の乗客が、また寝台車を座席の利用者が極力通り抜けないように、1等車+[[A寝台|2等寝台車]]+2等[[座席車]]+食堂車+[[普通車 (鉄道車両)|3等車]]+[[B寝台|3等寝台車]] のように編成するのがいわば「常識」となり、戦後になっても踏襲されていた。
*[[1956年]]登場の[[寝台列車|寝台]][[特別急行列車|特急]][[あさかぜ (列車)#19561119|「あさかぜ」の車両編成]]を参照のこと。<!--「あさかぜ」の場合20系になったときに緩急車を3等座席車にしたため、3等座席・寝台に関してはこの原則が守られなくなった。 意味不明瞭。[[あさかぜ_(列車)#登場時・在来形客車による編成]]を参照すればわかるが、20系登場以前より緩急寝台車がないことからなし崩し的に崩れている。ただし、たとえば[[国鉄キハ80系気動車]]の「キハ81形」のように[[売店]]を設置することで優等車両への通り抜けを防止する方策はあったが。-->
<!--なお、この原則は同時期の[[こだま_(列車)#東海道本線電車特急「こだま」号 |「こだま」の登場時]]でもほぼ当てはまる形で編成された。-->
 
===== 新幹線 =====
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| 1=0-shokudo.jpg
| 2=[[新幹線0系電車|0系]]食堂車</br>36形入口表示
| 3=
| 3=Shinkansen 200buffet.JPG
| 4=</br>
| 4=[[新幹線200系電車|200系]]ビュフェ</br>237形車内
| 5=Shinkansen 168-9001.JPG
| 6=100系食堂車 168形</br>168-9001(試作車)
| 7=
| 7=100 V restaurant car 19990714.jpg
| 8=
| 8=100系V編成[[グランドひかり]]</br>食堂車車内
| 9=100Cafe2.jpg
| 10=100系G編成のカフェテリア</br>148形車内
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なお最盛期には、日本食堂・ビュフェとうきょう(ジェイアール東海パッセンジャーズジェイダイナー東海→[[ジェイアール東海パッセンジャーズ]])・帝国ホテル列車食堂・都ホテル列車食堂、山陽新幹線内の「[[ウエストひかり]]」ビュフェのみ参入の[[丸玉給食]]・にっしょく西日本(→Jウェストラン→現・[[ジェイアール西日本フードサービスネット]])、上越新幹線ビュフェのみ参入の聚楽の各業者<!--7社?-->が参入した。当時の時刻表には列車ごとに担当の業者が記載されており<ref>業者によって若干メニューが変わるためであり、乗客の中にはわざわざ好みの業者が営業している列車に乗るというケースも見られた。</ref>、また業者によっては[[ステーキ]]など一部の特化メニューで営業を行う事例も見受けられた。
 
===== 連結位置について =====
{{seealso|編成_(鉄道)}}
長らく日本の列車編成は、食堂車で等級を区分してかつ上の等級の車両を下の等級の乗客が、また寝台車を座席の利用者が極力通り抜けないように、1等車+[[A寝台|2等寝台車]]+2等[[座席車]]+食堂車+[[普通車 (鉄道車両)|3等車]]+[[B寝台|3等寝台車]] のように編成するのがいわば「常識」となり、戦後になっても踏襲されていた。
*[[1956年]]登場の[[寝台列車|寝台]][[特別急行列車|特急]][[あさかぜ (列車)#19561119|「あさかぜ」の車両編成]]を参照のこと。<!--「あさかぜ」の場合20系になったときに緩急車を3等座席車にしたため、3等座席・寝台に関してはこの原則が守られなくなった。 意味不明瞭。[[あさかぜ_(列車)#登場時・在来形客車による編成]]を参照すればわかるが、20系登場以前より緩急寝台車がないことからなし崩し的に崩れている。ただし、たとえば[[国鉄キハ80系気動車]]の「キハ81形」のように[[売店]]を設置することで優等車両への通り抜けを防止する方策はあったが。-->
<!--なお、この原則は同時期の[[こだま_(列車)#東海道本線電車特急「こだま」号 |「こだま」の登場時]]でもほぼ当てはまる形で編成された。-->
 
====== 東海道・山陽新幹線での食堂車連結位置 ======
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==== 現状 ====
21世紀初頭の現在の日本の鉄道では、夜行列車の「[[北斗星 (列車)|北斗星]]」・「[[カシオペア (列車)|カシオペア]]」・「[[トワイライトエクスプレス]]」にのみ狭義の本格的な食堂車が営業している。
 
ビュフェは、[[九州旅客鉄道|JR九州]]の[[久大本線]]を走る「[[由布 (列車)|ゆふいんの森]]」と、[[肥薩線]]を走る「[[SL人吉]]」のみで連結・営業されている。
 
===== 北斗星・カシオペア =====
{{Vertical_images_list
|幅= 200px
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| 4=「北斗星」食堂車</br>「グランシャリオ」</br>JR東日本所属車
}}
21世紀初頭の現在の日本の鉄道では、夜行列車の「[[北斗星 (列車)|北斗星]]」・「[[カシオペア (列車)|カシオペア]]」・「[[トワイライトエクスプレス]]」にのみ狭義の本格的な食堂車が営業している。
 
ビュフェは、[[九州旅客鉄道|JR九州]]の[[久大本線]]を走る「[[由布 (列車)|ゆふいんの森]]」と、[[肥薩線]]を走る「[[SL人吉]]」のみで連結・営業されている。
 
===== 北斗星・カシオペア =====
「[[北斗星 (列車)|北斗星]]」(グランシャリオ)・「カシオペア」(ダイニングカー)の両食堂車は、出発時より21時すぎまでの間は「ディナータイム」として和洋食ともコース料理のみの予約制営業である。ディナータイム終了後、21時30分頃(利用状況により変動あり)から23時(オーダーストップは22時30分頃)までは「パブタイム」となり、列車利用者であれば予約なしでも利用できる。ハンバーグステーキやビーフシチュー(単品・定食)・スパゲッティ・カレーライス・ビール・ワイン等のドリンク類などが用意される。ただし、[[食材]]は[[上野駅|上野]]でしか積み込まないため、上りの[[札幌駅|札幌]]発では売り切れか売り切れ間近となっていることも多い。
 
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「[[ゆふ (列車)|ゆふいんの森]]」の場合はビュフェであるが、目的地の[[由布院駅|由布院]]まで[[博多駅|博多]]からでも2時間程度のため、移動中の[[喫茶店]]としての側面が強く、食事らしい食事は[[駅弁]]を除き提供されていない。かつては[[カレーライス]]や[[スパゲッティ]]などフード関係も充実していたが、現状は[[地ビール]]などのドリンク類やおつまみ程度に限られており、食事と見做せるものは「[[やきそば|あんかけ堅焼きそば]]」のみとなっている。
 
==== 構造 ====
日本の鉄道では、食堂車は1両の一部でも給食設備を備えているものを指し、構造上1両の半分(実際には2/3程度)がそのようなスペースを持つものを'''ビュフェ'''(ビュッフェ・ビッフェ)と称し、それを備える車両であるから'''ビュフェ車'''(ビッフェ車・ビュッフェ車)ということもある。JR[[在来線]]における車両記号は「シ」である。
 
食堂車の構造として、1951年に登場しそれ以降食堂車の標準とされた[[国鉄マシ35形客車|マシ35形]]の場合、客席は[[複層固定窓]]と[[エア・コンディショナー|冷房装置]]を備え、4人席と2人席を備え定員は30名とした。厨房内の調理設備は[[石炭]][[レンジ]]と氷[[冷蔵庫]]であり、後に[[国鉄10系客車|10系客車]]のオシ17形では車体幅が拡張されたために客席のテーブルを4人掛けとした。
 
マシ35形の姉妹形式として電気レンジや電気冷蔵庫を装備したカシ36形が登場したが、電化調理設備に故障が多かったことから調理設備マシ35形と同等物へ変更し、マシ35形にを編入された。調理設備を電化した食堂車が再び登場するのは[[客車]]としては[[国鉄20系客車|20系客車]]のナシ20形の登場からとなる。また、これ以降新造される車両も大部分の設備の基本的なものはこれを踏襲している。
 
[[電車]]では、[[特急形車両]]もしくは[[急行形車両]]として製造された。完全電化のため大量に電力を消費をすることから、自車に大容量の[[電動発電機]](MG)を搭載。特急形車両の完全食堂車では[[操縦席|簡易運転台]]を設けるなど車両運用上の要とされる事例が見受けられた。食堂車が営業されない事例が増えた[[1980年代]]前半までも[[車内販売]]の基地としての機能連結され続けた<ref>松本運転所(現・[[松本車両センター]])のサハシ165形では、同車に搭載されたMGが他車の冷房電源を賄う事情から、また[[国鉄583系電車|583系電車]]では編成全体の圧縮空気容量の関係からサシ581形の空気[[圧縮機]](CP)も必要であった事情から、編成から外せない理由もあった。</ref>。
{{Vertical_images_list
|幅= 200px
| 1=JNR PC oshi24-101.jpg
| 2=オシ24 101。当初から客車として製造された食堂車<ref>当初はオシ14 5として製造されたが、24系編入改造が行われ改番された。</ref>
| 3=JR PC sushi24-504.jpg
| 4=スシ24 504。当初は電車として製造され客車化改造された食堂車
}}
{{CURRENTYEAR}}年現在運行されているものでは、「北斗星」・「トワイライトエクスプレス」に連結されているスシ24形がナシ20形の電化調理設備と客席を基本的に踏襲している。スシ24形はもともと24系客車に存在したオシ24形とは全く別の車両で、電車特急である[[国鉄485系電車|485系]]のサシ481形・489形を改造して組み入れたものであり、寝台車特有の高い屋根から一転して低屋根にAU13形(JR西日本所属のスシ24 1・2はAU12形)[[分散式冷房装置]]の並んだスタイルのほか裾絞りの車体など異彩を放っている。
 
:スシ24形の中で特筆すべき車両としてスシ24 506があげられる。
:同車は1974年にサシ489-12として落成、1978年にサシ481-83へ改造、さらに1982年にサシ489に再改造されるも番号は12にもどらずそのまま83を継承、「北斗星」増発時にまたもや改造されスシ24 506となった(詳細は[[国鉄485系電車#サシ489形|こちら]]を参照のこと)。
 
なお、分割民営化後に[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)と[[九州旅客鉄道]](JR九州)で食堂車が新造されている。
 
;オシ24 901
1989年にJR東日本が、次世代寝台列車用車両の方向性を検討するため[[国鉄24系客車|24系夢空間]]のダイニングカーとして[[東急車輛製造]]で製造させた試作車両。展望室を有していたために列車の最後尾に連結された。一般の24系客車とともに編成を組成され「北斗星」系統をはじめとする臨時列車や団体専用列車で運用されたが、2008年3月で営業運転を終了し廃車。現在では、[[埼玉県]][[三郷市]]の[[ショッピングセンター]]「[[ららぽーと新三郷]]」で展示されている。
 
;サハシ787-1 - 14
1992年にJR九州が製造した[[JR九州787系電車|787系電車]]に連結されていたビュフェ車。[[九州新幹線]]開業による運用距離・時間の短縮に伴い[[2003年]]に営業を終了し、現在では全車サハ787形200番台に改造されている。
 
;マシE26-1
1999年にJR東日本が製造した[[JR東日本E26系客車|E26系客車]]の食堂車。編成全体が[[2階建車両]]として設計・製造されたことから、1階が編成中の通り抜け廊下と従業員用寝台、2階が客席、上野寄り車端部(いわゆる「平屋部分」<ref>「平屋」とは[[2階建車両]]の構造上、[[鉄道車両の台車|台車]]を乗せる部分をさす。<!--通例[[連接車体]]でも存在しうるが、この部分については車両限界のうち台車にかかる下の部分が当然ながらなく、また、上部については連結部分で支障がある機材を乗せる場合があり、かつ他車との連結に供するためのアプローチとなるため、-->通常の車両と同じ車両高さ・幅となる部分。</ref>)に厨房を設置している。「カシオペア」で現在も運用されている。
 
なお、JR九州が運行する「ゆふいんの森」で運用される[[JR九州キハ71系気動車|キハ71系]]・[[JR九州キハ72系気動車|キハ72系]]にはビュフェが設置されているが、食堂車を示す車両記号「シ」は使用しておらず、全室普通車の「キハ」となっている。
 
<gallery widths="100px" heights="70px" perrow="5">
File:Nashi20-24.JPG|ナシ20形
File:JNR sashi489-4.jpg|サシ489形
File:オシ25-901.JPG|24系客車「夢空間」ダイニングカー</br>オシ24 901
File:JR-K 787-buffet1.jpg|JR九州787系電車ビュフェ</br>サハシ787形</br>2002年
File:JRE PC26 msE26 20071020 001.jpg|マシE26-1
</gallery>
=== 私鉄 ===
==== 歴史 ====
233 ⟶ 302行目:
しかし、[[小田急30000形電車|30000形「EXE」]]の増備により[[小田急3100形電車|3100形「NSE」]]が廃車。同時にドアの開閉要員でもあったシートサービス要員が減少。これにより、一時期シートサービスを中止し、車両販売が代替する結果となったが、「ロマンスカーの復権」を合い言葉に[[2005年]]にデビューした[[小田急50000形電車|50000形「VSE」]]ではこれらのサービスが復活することとなった。
* [[小田急ロマンスカー]]も参照。
 
== 日本以外の食堂車 ==
=== アメリカ ===
==== 歴史 ====
[[ファイル:Luxury on wheels.jpg|thumb|200px|米国・アルトン鉄道の1885年の食堂車]]
アメリカで本格的な食堂車が登場したのは1860年代である。それ以前にも供食設備を持つ客車は存在し、列車内における食事の提供は1830年代から行われていたようだが、継続的なサービスに繋がっていなかった。この時代、[[鉄道駅|駅]]や車内では物売りが果物や軽食を販売し、食事時には[[食堂]]のある停車駅で食事のための停車時間がとられていたので、車内での飲食を望む優等旅客はそれほど多くなかった。
 
このような事情から、初期の食堂車のほとんどは、客車の一部を食堂とした小規模なものであった。[[寝台車 (鉄道)|寝台車]]サービスで有名なプルマン社は1868年に全室食堂車「デルモニコ」を建造したが、これは例外的な存在であった。プルマン社は優等旅客への供食サービスにも力を入れていたが、その主役はホテル・カーと呼ばれる[[厨房]]付きの寝台車で、食事時には座席にテーブルが据え付けられ食事が提供された。
 
全室食堂車が流行したのは1870年代後半で、東部や中西部の鉄道会社はこぞって食堂車を建造し、コース料理の提供をはじめた。この傾向は貫通路が開発され、車両間の移動が簡単になったことで加速し、19世紀の終わりには長距離列車には食堂車の連結が当たり前となった。
 
[[ファイル:Harvey-uniform.JPG|thumb|150px|left|フレッド・ハービー社ウェイトレスの制服]]アメリカの食堂車は慢性的に赤字であった。優等旅客を対象とすることからメニューは[[フランス料理]]や[[クレオール料理]]のコースが主流で、客単価も高かったのだが、一流レストランと同等以上のサービスを提供するために多数の要員を必要とし、それ以上の費用を要した。このため、プルマン社は波動輸送用の数十両を除けば全室食堂車を経営することはなく、各鉄道会社は自社で食堂車を経営し、旅客誘致の目玉としてサービスや味を競いあった。全盛期の1920年代には60の鉄道会社が1000両以上の食堂車を運営していた。なお、食堂車運営にあたっては個々のサービスの向上は勿論の事、経営主体が同じであれば、列車が異なっても同質のサービスを提供することが重視され、食器やウェイター、ウェイトレスの制服の統一が図られた。左図のフレッド・ハービー社([[アッチソン・トピカ・サンタフェ鉄道]]で食堂車を受託経営)の制服はその典型的な例で、この制服をまとった女性従業員「ハービー・ガール」は中西部から西海岸にいたる広大な営業エリアで提供された均質で高いサービスの象徴として好評を博した。
(なお、使われた[[食器]]が一級品で、鉄道会社独自のデザインが反映されたものであったために、これらを「レイルウェイ・チャイナ」と総称し、コレクションする趣味がアメリカでは盛んである)。
 
[[ファイル:Service Galley Santa Fe 1474 Cochiti.jpg|thumb|200px|right|旧[[サンタフェ鉄道]]の食堂車厨房ワイングラスを散見できる</br>2004年</br>]]
全盛期のアメリカの鉄道では、食堂車のほか、ビュフェやカフェ・カー、ランチ・カウンター・カーといった簡単な厨房を持つ車両で供食サービスを提供するケースも多かった。その目的は、コース料理を必要としない普通旅客に対する安価な食事の提供と、優等旅客の軽食や喫茶の需要に応えることにあり、長距離列車では目的に応じてこういった設備を持つ車両が数両連結されるのが通常であった。
 
上記のようにアメリカの食堂車は1920年代から40年代にかけて全盛を極めたが、それ以降は急速に衰退する。優等旅客は[[航空機]]に、普通旅客は[[高速バス|長距離バス]]([[グレイハウンド (バス)|グレイハウンド]])にシェアを奪われ、旅客は大幅に減少、多数の要員を必要とする食堂車の経営は成り立たなくなってしまった。多くの場合、食堂車は列車の廃止とともに消滅したが、食堂車サービスのみ削減し、車内販売に置き換えるケースも散見される。[[サザン・パシフィック鉄道]]では大陸横断の長距離列車でも[[自動販売機]]による軽食販売に置き換えるケースなどがあり、その劣悪なサービスが[[アムトラック]]成立の後押しをしたとも言われている。
 
その後、アメリカの長距離旅客列車の多くは1971年にアムトラックに移行し、食堂車もアムトラックの経営となり、現在に至っている。
 
==== 現状 ====
[[ファイル:Via Rail "The Canadian" Dining Car.jpg|thumb|200px|カナダの長距離列車「[[VIA鉄道#路線|カナディアン号]]」の食堂車]]
アメリカの[[アムトラック]]の列車のほとんどは供食設備を備えている。[[夜行列車]]のほとんどは、コース料理を提供する食堂車を連結しており、中距離列車もカウンターとテーブル席を備え、[[ホットドッグ]]や[[サンドウィッチ]]を提供するカフェ・カー(ビュッフェ)を連結している。運転時間が長大であることと、駅構内の売店が少ないことなどがその理由である。[[カナダ]]の旅客列車を運行する[[VIA鉄道]]においても事情は似たようなものであるが、中距離列車では、供食車両を設ける代わりに、飛行機の[[機内食]]同様の食事のシートサービスが行われている。
<br clear="all" />
 
=== ヨーロッパ ===
{{Vertical_images_list
|幅= 200px
| 1=Talgo_restaurant.jpg
| 2=スペイン・タルゴの食堂車</br>2006年
| 3=Talgo_bar.jpg
| 4=スペイン・タルゴのバー車
}}
[[西ヨーロッパ]]では日本と同様、食堂車は減少・簡略化傾向にあるが、その様相は国ごとに異なる。
 
[[フランス]]では、かつて「ル・ミストラル」などの[[優等列車]]では[[フルコース]]の[[フランス料理]]が提供されていたが、夜行列車を含めて[[サンドウィッチ]]程度の軽食を提供するビュッフェ車以外は全廃されている。[[ドイツ]]、[[イタリア]]、[[スペイン]]などに向かう国際列車の中には料理を提供する食堂車を連結するものがあるが、これらはすべて乗り入れ先の国側の鉄道事業者が運営<!--鉄道事業者が経営しているわけではない-->するものである。[[ユーロスター]]など一部の[[高速列車]]では狭義の食堂車は連結されていないが、二等車乗客向けにビュフェ車が連結されており、一等車の乗客には座席に[[飛行機]]の[[機内食]]同様の配膳サービスが行なわれている。
 
ドイツでは、食堂車の慢性的な経営難により、国際列車や夜行列車を除く本格的な食堂車のビュフェ車(ビストロ)への改装が進められている。但し、ドイツのビュフェ車のメニューは他国の同種の車両に比べると豊富で、経営規模も比較的大きい。
 
一方、イタリアや[[スイス]]・[[スペイン]]では昼行列車の食堂車のてこ入れが積極的に行われている。[[ユーロスター・イタリア]]の食堂車は本格的な[[厨房設備]]を擁する。スイスでは[[ファストフード]]店に似た供食設備を持った車両の試みも行われているほか、一部私鉄の列車にも食堂車が連結され、例えば大手私鉄の[[レーティッシュ鉄道]]では[[レーティッシュ鉄道の食堂車|十数両の食堂車]]を保有し、[[氷河急行]]などの特別列車のほか通常の急行列車の一部にも食堂車が連結される。スペインでは、国内の長距離列車・国際列車などでのフルコースメニューを中心としたサービスが継続されている。
 
西ヨーロッパの夜行列車の個室寝台車では、簡単な[[朝食]]のサービスを行う列車が多く、朝食料金は寝台料金に含まれている場合が多い。夜行列車の[[夕食]]・朝食時刻は前夜指定するのが通例だが、客席まで朝食が届けられる場合と、夕食同様に指定した時刻に食堂車へ客が赴く場合と二通りがある。
 
=== 中華人民共和国 ===
{{Vertical_images_list
|幅= 200px
| 1=Chinese dining car,china railway,Xinjiang,china.jpg
| 2=中国の食堂車</br>2001年
| 3=Mongolian Dining Car.jpg
| 4=[[モンゴルの鉄道|モンゴル鉄道]]の食堂車</br>2004年
}}
 
[[中華人民共和国]]の場合、広大な国土である上に長距離[[高速鉄道|高速列車]]が存在しないため、現在でも24時間以上(最も長い[[広州市|広州]] - [[ラサ市|ラサ]]間列車は55時間以上)かけて走破する列車が多数有り、[[寝台列車|寝台特急]]等の長距離列車には大抵食堂車が連結されている。
 
[[中国語]]では「餐車」(餐车:ツァンチョー cānchē)という。[[中華料理]]は地方によって味付けがかなり違い、特色があるが、食堂車も所属管理局によって味付けに多少地方色がある。朝食は[[麺]]料理のみの場合が多い。最近では、[[車内販売|車内売り]]の[[弁当]]も食堂車で[[調理]]している。短距離の特急の場合は、車内の売店で弁当、[[カップ麺]]、[[フルーツ]]の盛り合わせ、菓子などを用意して販売しているだけの場合が多い。
 
=== 韓国 ===
[[大韓民国|韓国]]では、[[セマウル号]]を中心にソウルプラザホテル運営の食堂車を連結し、車内で[[韓国料理]]の提供を行うなどしていたが、ソウルプラザホテルが運営から撤退し、その後[[アシアナ航空]]の機内食を担当しているランチベル社が事業を引き継ぎ運営していたが、2008年9月をもって撤退。現在は食堂車を改造し、軽食を中心とした「カフェ客車」として運用されている。過去には、車内でハンバーガーを提供する[[ロッテリア]]運営の食堂車も存在した。2004年3月開業の[[韓国高速鉄道]](KTX)には食堂車・ビュフェ車ともに連結されていない。
 
=== 台湾 ===
1980年代に「[[キョ光号|莒光号]]」に[[洋食]]を提供する食堂車、2000年代に[[自強号]]に半室ビュフェ車が連結されたことがあったがいずれも短期間で終わっている。
 
=== その他 ===
この他、長時間走行を行う列車が存在する国や地域においては何らかの供食設備を持つ事が普通である。[[東ヨーロッパ]]や[[ロシア]]などの長距離列車は食堂車を連結し、[[インド]]の長距離列車は調理設備を持つ車両を連結し、調製した料理の客席へのサービスを行っている。
 
== 脚注 ==