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*[[1972年]] ガス自殺。遺書はなかったが、理由として交遊の深かった[[三島由紀夫]]の割腹自殺などによる強度の精神的動揺があげられる
*[[1985年]] [[茨木市立川端康成文学館]]開館
 
==エピソード==
太宰治などの作家・文豪にありがちなことだが、川端も借金の名手であった。といっても生来無口であったので、言い訳をしたり頼み込んだりはしない。ただじっと黙って待っているだけなのだ。
 
ある日、[[菊池寛]]が自宅で将棋をさしていると、ふらっと川端がやってきた。菊池の部屋に通されると、菊池の後ろに腰を下ろし、一言も口を聞かない。ただ、そのミミズクのように大きな目でじっと菊池を見ているだけである。3時間ほどして、さすがに菊池も気味が悪いと思い始めると、川端がぼそっと「20円いるんです」。菊池が「20円?で、いつ?」と応じると、「今」。菊池はしぶしぶ財布から10円札を2枚取り出し川端に渡すと、川端は礼も言わずまたふらっと帰っていった。
 
こんな調子だから金銭感覚もなかったらしい。1968(昭和43)年、ノーベル文学賞を受賞すると、その当時のノーベル賞の賞金が1000万円だとわかっているのに、高価な壺や屏風を買い、3000万円ほど使ってしまった。当然借金取りがひっきりなしに訪れるが、何しろ相手はノーベル賞受賞者である。そうそう強いことも言えず、「先生、お願いですから何とか返していただけませんかね?」と頼むと、「ないものはない。いずれ返します」という言葉を繰り返した。しかし、川端は借金を抱えたまま、4年後、謎のガス自殺を遂げる。
 
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