「Wikipedia:井戸端/history20111114」の版間の差分

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山間部 (会話 | 投稿記録)
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::直前直後の話題の配列で印象が変わってしまうような文章は、文章自体が百科事典的ではない可能性が高いと思います。事実の適時に基づく研究は読者がすべきことであって編集者が与えるものになってしまってはいけません。出典を使った3段論法の構成については、本来信頼度が異る出典を勝手に同格に扱って合成している点で許容できません。また、同一の書籍にある記述の合成であったとしても、その著者が意図したものと異る論理を構築すれば、それは独自研究に相当するでしょう。たとえば、ある書籍の主題と異る瑣末な記述と、その書籍が本題としている記述を合成すれば、トンデモ理論を構成できてしまう可能性さえあります。
::ある文献における特定の生物種についての記述をもって、その上位分類の記述に「〜という特徴をもった種もいる」という記述がなされることがありますが、こういうのも独自研究の一形態だと思います。--[[利用者:山間部|山間部]] 2010年9月16日 (木) 11:10 (UTC)
 
:「特定の観点を推進するような発表済みの情報の合成」が禁止されているのは、それがWikipedian自身の「独自の研究」だからであり、合成に論理的な欠陥があるからではありません。問題にすべきポイントは「誰がそれを言っているのか」であり、「そこに論理的な誤謬があるかどうか」ではありません。その意味で、「充填された語」のような概念を持ち込むのは分かりにくいし、ミスリーディングだと思います。
:例えば、太郎さんが「A>B」と言っており、花子さんが「B>C」と言っている場合、両者が正しいとすれば、論理的には当然「A>C」となり、「太郎さんと花子さんによれば『A>C』だ」で何ら問題はありません。
:しかし、「A>C」について世間に複数の見解が存在し、単純に「両者が正しい」と言い切ることができない状況なら、判断が違ってくるかもしれません。そういう場合には、例えば太郎さんの意見が「C>A>B」である可能性や、花子さんの意見が「B>C>A」である可能性も考慮すべきであり、単純に「太郎さんと花子さんによれば『A>C』だ」とは言えなくなるのです。
:つまり、ここでの判断基準は、「その問題について世間に複数の見解・観点が存在し、その記述がそのうちの特定の観点をすいしんしているかどうか」だと思います。--[[利用者:Dwy|Dwy]] 2010年9月16日 (木) 16:04 (UTC)