「カルロス (アストゥリアス公)」の版間の差分

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==概要==
当時のボヘミア大使の手紙によると「カルロスは肩の高さが違い、右足が左足より長く、頭が大きすぎる。胸はくぼみ、背中にコブがある。まるで子供のように愚かしい質問ばかりする。高尚な事に興味を示したことはなく、食べることにしか感心がない。際限なく食べ続けているので、よくいろいろな病気にかかり、顔色はひどく悪く、長生きはできないだろう」とある。
[[フランス王国|フランス]]国王[[アンリ2世 (フランス王)|アンリ2世]]の娘[[エリザベート・ド・ヴァロワ]]と婚約したが、彼女は父王の3度目の王妃となった。幼児期から精神錯乱を引き起こしていたといわれ、フェリペに幽閉され牢死した。齢24。
 
父に反逆してネーデルランドに行こうとして逮捕監禁され、牢死した。享年24。
 
[[フランス王国|フランス]]国王[[アンリ2世 (フランス王)|アンリ2世]]の娘[[エリザベート・ド・ヴァロワ]]と婚約していたが、彼女はカルロスが亡くなったため父王フェリペ2世の3度目の王妃となった。幼児期から精神錯乱を引き起こしていたといわれ、フェリペに幽閉され牢死した。齢24
 
独立戦争中の[[ネーデルラント]]への逃亡など、歴史的には実証されていないが、[[フリードリヒ・フォン・シラー|シラー]]の戯曲や[[ジュゼッペ・ヴェルディ|ヴェルディ]]のオペラ『[[ドン・カルロ]]』で、エリザベートへの悲恋というフィクションが作り上げられ、悲劇的人物として知られる。
 
[[ファイル:Don Carlos Spanien.jpg|thumb|right|若きドン・カルロス・デ・アウストリア]]
 
==関連項目==
*[[スペイン・ハプスブルク家]]