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'''大本神諭'''(おおもとしんゆ)はお筆先を編集した文書集[[新宗教]][[大本]]の[[聖典|教典]]。
 
== 概要 ==
[[1892年]]([[明治]]25年)、現在の住居表示で言うところの京都府綾部市本宮町に住む女性、[[出口なお]]に、[[艮の金神]]という男性の神格を表す高次の神霊が神懸りし、出口なおに筆と紙をもたせ、その神霊が出口なおの身体を駆使して文字を記していくという現象[[オートマティスム|自動書記]]があったと伝えられている。その量は膨大であり、半紙にて5万枚以上にも及んだと伝えられている。
明治時代後期、大本の開祖[[出口なお|出口直(なお)]](以下'''直'''と漢字表記)は[[日本神話]]の創造神[[国之常立神|国常立尊]]の[[憑依|神懸かり]]を起こすと、[[1918年]](大正7年)に逝去するまでの約27年間、[[オートマティスム|自動書記]]により「お筆先」と呼ばれる一連の文章を残した<ref>[[#女という経験]]33頁、[[#金光と大本]]79-80頁</ref>。これを娘婿にして大本聖師の[[出口王仁三郎]](以下'''王仁三郎'''と漢字表記)が編集・体系化して発表したものが『'''大本神諭'''』である<ref>[[#スサノオと王仁三郎]]123頁。霊界物語第7巻総説。</ref>。「神のお告げ」による[[啓示]]系の教典である<ref>[[#金光と大本]]85-86.140頁</ref>。現代文明に対する強烈な批判と、国常立尊の復活に伴う[[終末論|終末と再生]]を[[預言]]した<ref>[[#日本の10大新宗教]]59-60頁、[[#金光と大本]]110-111頁</ref>。大本において『大本神諭』は、直の死後に発表された王仁三郎の『[[霊界物語]]』と併せ、[[万葉集]]・[[古事記]]と共に大本三大聖典の一つとして扱われる。大本は万葉集や古事記も伝統的に聖典として扱う。
当時、行政当局により宗教法人設立が厳しく監視され制限されていたので、出口なおは一時同じく神道であるところの金光教の地方教会の世話になり、名を借りて活動を進めていた時代があったと記録されている。その後、上田喜三郎(後の出口王仁三郎)が活動を補佐するようになって組織的に発展していった。
 
== 内容 ==
宗教法人大本(以下、大本と略す)では、このとき書かれたものを'''[[お筆先]]'''と称して、大本の最高聖典となって残されている。
大本神諭は『三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世になりたぞよ。神が表に現れて三千世界の立替え立直しを致すぞよ』という宣言を機軸とする<ref>[[#ミロク信仰の研究(2010)]]235-236頁、[[#金光と大本]]87頁、[[#神界のフィールドワーク]]376-378頁、「霊界物語」第1巻総説。</ref><ref group="注">明治25年旧正月『三ぜん世界一度に開く梅の花、艮の金神の世に成りたぞよ。梅で開いて松で治める、神国の世になりたぞよ。日本は神道、神が構はな行けぬ国であるぞよ。外国は獣類の世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの国であるぞよ。日本も獣の世になりて居るぞよ。外国人にばかされて、尻の毛まで抜かれて居りても、未だ眼が覚めん暗がりの世になりて居るぞよ。是では、国は立ちては行かんから、神が表に現はれて、三千世界の立替へ立直しを致すぞよ。』</ref>。神の名前や啓示そのものは、当時の直が置かれた極貧生活や明治時代という社会情勢、信奉していた[[金光教]]や[[九鬼家]]の影響が見られるが、それだけで解釈できない点もある<ref>[[#金光と大本]]90頁、[[#人間解放の福祉論]]20頁、[[#神界のフィールドワーク]]235-236.413頁</ref>。王仁三郎は、艮の金神の正体を[[古事記]]や[[日本書紀]]で国祖神とされる[[国之常立神|国之常立神(国常立尊)]]と審神した<ref>[[#人間解放の福祉論]]23頁</ref>。国祖神の治世は厳格を極めたため、不満を募らせた[[神 (神道)|八百万の神々]]により国常立尊は[[鬼門]]に封印されて「艮の金神」となり、妻神[[トヨクモノ|豊雲野尊]]は[[坤|坤の方角]]にこもって「坤の金神」となったという<ref>[[#人間解放の福祉論]]73-74頁、[[#周縁性の歴史学]]60頁</ref><ref group="注">明治33年4月7日『艮の金神は、この世を始めた神なれど、あまり我が強うて、丑虎へ三千年と五十年押し込められており、蔭から構うておりたが、蔭からの守護はそれだけのこと、神の威徳はチットも人民に判らんから、表に現れて神の威勢の光を出して、世界を救けるぞよ。』</ref>。神諭は、[[節分]]、[[鏡餅]]、[[門松]]など日本の多くの宗教的儀式に国常立尊を調伏・呪詛する目的が隠されていると指摘する<ref>[[#人間解放の福祉論]]78-79頁、[[#スサノオと王仁三郎]]103頁</ref>。だが国常立尊が再び現れる日は迫っており、それにともない体主霊従の文明から霊主体従の文明へと、価値観が大転換すると説く<ref>[[#金光と大本]]119-120頁、[[#スサノオと王仁三郎]]106頁</ref>。変革が行われたあとに到来する理想世界は[[弥勒菩薩|ミロクの世]]とされる<ref>[[#村上2007新宗教]]151-152頁、[[#金光と大本]]111-113頁</ref>。「水晶の神世」「松の世」とも表現される<ref>[[#女という経験]]69頁、[[#宗教の可能性]]107-108頁</ref>。独特の神話観と、個人的利益・救済の域を超えた強烈な終末論・[[千年王国|千年王国思想]]は従来日本宗教の中でも特徴的である<ref>[[#民衆の宗教・大本]]143.147.197頁</ref>。
 
お筆先は「神掛かりした啓示」、直の体験を通じてまとめた「経歴の神諭」、開祖の和歌(道歌)という3部分からなる<ref>[[#金光と大本]]91頁</ref>。神懸かりしてから大正7年6月の最後の筆先まで約27年間、半紙20枚綴りで約1万冊を記述したが、二度の[[宗教弾圧]]([[大本事件]])により多くが散逸した<ref>[[#新宗教の世界Ⅳ]]35頁</ref>。基本的に[[ひらがな]]のみで構成されるが、神の意志によりその様に記述されることが筆先の中に記されている。一つには、とかく学問に縁遠い当時の婦女子にも読めるようにという事において、二つには物質文明を支える知識学識万能主義に対する警告として、である。しかし句読点も漢字も当てられていないので、通読はしてもその意味は何通りにでも理解出来てしまい、王仁三郎以前の大本幹部達はその内容を整理できず教義を確立できなかった<ref>[[#周縁性の歴史学]]192頁</ref>。書体は明治26年から大正7年(直の逝去)までほとんど変化がなく、[[書家]]が認めるほどの風格を備える<ref>[[#金光と大本]]137頁</ref>。断定的な表現と独特の文体は読者に強い印象を与えた<ref>[[#金光と大本]]137頁、[[#神界のフィールドワーク]]378頁、[[#新宗教時代(1)]]37頁</ref>。歴史家[[松本健一]]は、神諭の文体は王仁三郎の文章と比較して非常に厳しく男性的であり、「変性男子」にふさわしいと評している<ref>[[#屹立するカリスマ]]45-46頁</ref>。
大本神諭はお筆先を編集した文書集であって、大本ではお筆先とほとんど同一であると見なされており、出口王仁三郎の[[霊界物語]]と対をなし、万葉集、古事記と並んで大本の三大聖典の一つとされている。(大本では万葉集、古事記をも聖典として伝統的に扱っている)
 
王仁三郎は[[大石凝真素美]]らを始めとする国学者らから習得した[[言霊学]]と[[古神道]]の知識を持っていた<ref>[[#周縁性の歴史学]]202頁</ref>。彼は古事記の新解釈によってこの筆先に句読点と漢字を当て、かくして編纂した独特の神話『大本神諭』が誕生した<ref>[[#村上2007新宗教]]141頁</ref>。以前から筆先は[[綾部市|綾部町]]の大本本部に参拝した信者達に読み聞かせるという形で公開されていたが、教団機関誌「神霊界」[[1917年]](大正6年)2月号に始めて『大本神諭』として掲載され、[[1919年]](大正8年)11月25日に『大本神諭・天の巻』が、[[1920年]](大正9年)7月28日に『大本神諭・火の巻』が発刊された<ref>[[#金光と大本]]174頁。発行は皇道大本大日本修斎会。</ref>。ところが神諭の社会的影響力の強さを憂慮した政府により、同年8月5日に「火の巻」を不敬と認定、[[発禁]]となった<ref>[[#金光と大本]]139頁</ref>。神諭には[[アメリカ]]との戦争の予言や[[天皇]]への批判といった文面があり、治安当局に警戒されていたという事情がある<ref>[[#金光と大本]]177頁</ref>。露骨に[[天皇制]]の滅亡を予言した箇所もあり、各所の伏字は秘密めいた[[異端|異端説]]として終末観的期待を増幅させた<ref>[[#周縁性の歴史学]]208頁</ref>。当局は第一次大本事件でも、神諭は天皇の尊厳を冒涜するものと認定すると、[[不敬罪]]で追求している<ref>[[#村上2007新宗教]]143頁、[[#屹立するカリスマ]]148頁</ref>
出口なおと並んで大本の二大開祖の一人である出口王仁三郎は、後の著書[[道の大本]]にあるように、[[厳の御霊]](出口なお)を'''[[審神者]]'''(さにわ)できる者は[[瑞の御霊]]である自分しかいない。と述べて出口なおに面会し、信頼を得た。その後次第に両者は一つの大きな神意のもとに動かされていることを相互に実感し、一つの路線を歩むようになったと伝えられている。
 
== 歴史 ==
この筆先はひらがなばかりの文字であるが、神の意志によりその様に記述されることが筆先の中に記されている。その意志とは、一つには、とかく学問に縁遠い当時の婦女子にも読めるようにという事において、二つには物質文明を支える知識学識万能主義に対する警告として、であると現在では理解されている。しかしながら句読点も漢字も当てられていないので、通読はしてもその意味は何通りにでも理解出来てしまい、出口王仁三郎出現以前は正確な判読が困難と考えられていた。
[[1892年]](明治25年)[[2月3日]]、京都府綾部市本宮町で極貧生活を送る無名の女性、[[出口なお|出口直]]に、「[[金神|艮の金神]]」と名乗る[[祟り神]]の神懸かり現象が起きた<ref>[[#民衆の宗教・大本]]4頁、[[#新宗教の精神構造]]177頁</ref>。当初、周囲は直が発狂したと判断して大目にみていたが、放火犯と誤認逮捕されたことがきっかけとなり、長女宅の[[座敷牢]]に押し込める<ref>[[#新宗教の世界Ⅳ]]10頁、[[#屹立するカリスマ]]65頁</ref>。この時、[[文盲]]の直が牢内で釘をつかって文字を刻んだのが「お筆先」の原型となった<ref>[[#村上2007新宗教]]135頁、[[#スサノオと王仁三郎]]107頁</ref>。現存する最も古い筆先は明治26年旧7月12日付であるが、さらに古いものがあった可能性もある<ref>[[#金光と大本]]136頁</ref>。当時、行政当局により宗教法人設立は厳しく監視され制限されていた<ref>[[#屹立するカリスマ]]71頁</ref>。そこで[[金光教]]の傘下で活動したが、直はあくまで艮の金神を重要視し、同時に神の正体を見極めることを望んだ<ref>[[#屹立するカリスマ]]66頁</ref>。現実社会における信仰を説く金光教と、現世を「獣類の世」「利己主義(われよし)の世」と定義して終末論的な立替え立直しを訴える直/艮の金神は、根本的な神学が異なったのである<ref>[[#周縁性の歴史学]]194頁</ref>。
 
[[1898年]](明治31年)10月と翌年7月、[[古神道]]の知識に長けた上田喜三郎が直を訪問する<ref>[[#民衆の宗教・大本]]10頁</ref>。憑霊状態が高次の神霊で、かつ善神によるものなのか、神格はどの程度なのか、などを審理・判断する能力を有するものを[[審神者]](さにわ)という<ref>[[#周縁性の歴史学]]199頁、[[#屹立するカリスマ]]18頁、[[#神界のフィールドワーク]]397頁</ref>。従来の[[神道]]や[[仏教]]、[[天理教]]や[[金光教]]といった[[新宗教]]ですら艮の金神の正体を判別できず、審神者のエキスパートであった喜三郎の知識と能力が必要とされていたのである<ref>[[#周縁性の歴史学]]203頁、[[#屹立するカリスマ]]67-68頁</ref>。喜三郎は「艮の金神」を「国常立尊」と審神したが、これには土着神(祟り神)を日本の伝統的な[[神道|神道体系]]に取り込もうとした意図も指摘される<ref>[[#屹立するカリスマ]]73.92-93頁</ref>。直の教団に加わった喜三郎は、直の末子で後継者と決められていた[[出口すみ|出口澄]]と養子婿結婚して[[出口王仁三郎]]と改名した<ref>[[#スサノオと王仁三郎]]107頁</ref>。
出口王仁三郎は[[大石凝真澄]](オオイシゴリマスミ)らを始めとする国学者らから習得した[[言霊学]](コトタマガク)と、古事記の新解釈によってこの筆先に句読点と漢字を当て、かくして編纂した大本神諭が生まれ、全編にわたって読みやすくなった。
 
直と王仁三郎の関係は複雑である。筆先によれば、直の守護神は「艮の金神」で厳霊(女性の肉体に男霊が宿った変性男子、[[天照大神]])、王仁三郎の守護神は「坤の金神」で瑞霊(男性の肉体に女霊が宿った変性女子、[[スサノオ]])であり、宗教上の夫婦関係は現実において養母・養子婿だった<ref>[[#日本人と宗教]]193-195頁、[[#屹立するカリスマ]]114-116頁</ref>。非合法は覚悟で活動しようとする直と、公認宗教の下部組織として警察の干渉を避けようとする王仁三郎は対立する<ref>[[#屹立するカリスマ]]95頁</ref>。これに従来幹部の権力争いが加わり、彼らは王仁三郎を厳しく攻撃した<ref>[[#新宗教の世界Ⅳ]]15頁、[[#人間解放の福祉論]]27頁</ref>。王仁三郎は[[日露戦争]]終結後に一度教団を離れるが、[[教派神道]]の知識を身につけると再び綾部に戻り、教団の発展に尽力する<ref>[[#民衆の宗教・大本]]14頁、[[#村上2007新宗教]]139-140頁</ref>。彼の守護神とされる「坤の金神」を公式に祭ったことで直との宗教的対立は終息した<ref>[[#人間解放の福祉論]]28頁、[[#新宗教時代(1)]]30頁</ref>。[[1916年]](大正5年)、直の筆先に「王仁三郎こそ[[弥勒菩薩|みろく大神]]」という啓示があり、初対面から18年後、直は王仁三郎の優位性を認めた<ref>[[#人間解放の福祉論]]29頁、[[#スサノオと王仁三郎]]120-121頁</ref>。これにより神聖とされた筆先を、王仁三郎の手で編集することが可能となった。
一節には出口なおに懸かる神霊が、艮の金神に限らず国武彦命他、多数の憑依霊もあった、とされているが現在ではこれは誤りであり、単に当時の風説に過ぎなかったことが認められている。しかし当時の状況下では、出口なおの筆先が、高次の神霊であるところの艮の金神の真性のものであるかを審査する基準が無かった事は、伝えられる通り事実であろうと推測できる。
 
憑霊状態が高次の神霊で、かつ善神によるものなのか、などを審理する能力を有するものを[[審神者]](さにわ)という。その様な背景の中、当時、審神者のエキスパートであった出口王仁三郎の審神力が必要とされていた。
以前より大本の実質的指導者は王仁三郎だったが、新たな啓示により、宗教的な主導権も王仁三郎に移った。[[1918年]](大正7年)11月、開祖・直が死去<ref>[[#民衆の宗教・大本]]22頁</ref>。末子の[[出口すみ|出口澄]]が二代教主、夫の王仁三郎が二代教主輔に就任する。大本は[[大正日日新聞]]を買収してメディア展開を開始<ref>[[#民衆の宗教・大本]]24頁</ref>。社会構造の変化や都市化を背景に、京都府綾部・丹波の地方民間宗教団体から全国規模の教団へと飛躍する<ref>[[#屹立するカリスマ]]137頁</ref>。同時に、大本の中で王仁三郎と新幹部[[浅野和三郎]]の間で対立が生じた<ref>[[#屹立するカリスマ]]149-151頁</ref>。浅野を中心とした派閥は大本神諭を重要視する。なかでも「大正十年立替説」(明治五十五年の立替え)という[[終末論]]を強く主張する<ref>[[#ミロク信仰の研究(2010)]]241-242頁、[[#大本襲撃]]120-121頁</ref>。[[第一次世界大戦]]や[[ロシア革命]]といった歴史的転換点の中で終末観は多くの人々の心を捉え<ref>[[#村上2007新宗教]]141頁、[[#神界のフィールドワーク]]379頁</ref>、[[秋山真之]]海軍少将も大本を訪れている<ref>[[#金光と大本]]175頁、[[#屹立するカリスマ]]139頁</ref>。教団本拠地である綾部や亀岡には神諭の終末論を信じた人々が続々と移住したが、彼らの思想と見通しは[[太平洋戦争]]の展開と驚くほど合致する<ref>[[#周縁性の歴史学]]210-211頁</ref><ref group="注">『早晩日米戦ハ開カレル。日本ハ如何ニ防禦スルモ一時敗軍シ[[尼港事件|尼港]]以上ノ惨状ヲ呈シ、東京ハ勿論大阪等ノ大都市ハ何レモ焼野原トナリ、天皇陛下ハ綾部ニ遁レ給フ事トナリ、約四十ヶ月ハ米国ノ政治ノ下ニ吾人等ハ支配セラルゝコトゝトナル。其時出口大先生ガ言霊ヲ奏上セラレ、米軍ヲ追イ退ケ、始メテ日本ガ世界ヲ統一スルコトトナル。オ筆先ノ梅デ開テ松デ治メルトアルハ此ノ事デアル。』</ref>。大本が[[大日本帝国陸軍]]・[[大日本帝国海軍]]・[[華族]]への影響力を強めていたことに危機感を抱いた[[大日本帝国]]は、[[1921年]](大正10年)2月に[[不敬罪]]と[[新聞紙法|新聞紙法違反]]を罪状に王仁三郎や浅野を逮捕して弾圧を加えた([[大本事件#第一次大本事件|第一次大本事件]])<ref>[[#日本人と宗教]]200頁、[[#大本襲撃]]122頁</ref>。
 
保釈された王仁三郎は同年10月18日より、新たな教典『[[霊界物語]]』の口述筆記に着手する<ref>[[#民衆の宗教・大本]]29頁、[[#日本の10大新宗教]]63頁</ref>。自らの権威で『大本神諭』を克服すると、大本内での主導権を確立する意図もあったと指摘される<ref>[[#帝国時代のカリスマ]]149頁</ref>。また直の「筆先/大本神諭」は強烈であるが具体性と論理性に乏しく、その内容([[ユートピア]])を具体的に教義として確立させたものが王仁三郎の活動であり『霊界物語』とも言える<ref>[[#ミロク信仰の研究(2010)]]243-244.254頁、[[#日本人と宗教]]206頁、[[#女という経験]]34頁</ref>。神諭が発禁となったため新教典が必要となったという切迫した事情もあった<ref>[[#屹立するカリスマ]]155-156頁</ref>。王仁三郎の手法に失望した多くの幹部や信者が教団を去り、浅野は[[心霊科学研究会]]を、[[谷口雅春]]は[[生長の家]]を、[[友清歓真]](友清の離脱は1919年)は[[神道天行居]]を設立した<ref>[[#帝国時代のカリスマ]]150頁、[[#神界のフィールドワーク]]440頁</ref>。第一次大本事件の後、王仁三郎は自らのカリスマと新教典『霊界物語』を中核に新たな展開を行なう<ref>[[#金光と大本]]179頁、[[#屹立するカリスマ]]154頁</ref>。
 
== 大本神諭の正当性 ==
『大本神諭』は開祖・直の「お筆先」を王仁三郎が編集したものであり、原文そのままではない<ref>[[#女という経験]]36頁、[[#周縁性の歴史学]]193頁</ref>。筆先にあった土俗性や神仏習合といった混沌が整理され、伝統的な日本神道への接近が意図されている<ref>[[#新宗教の精神構造]]180頁</ref>。筆先を書かせた神は「艮の金神=国常立尊」の他にも天照皇大神、金勝要之神、竜宮の乙姫など複数存在した<ref>[[#新宗教の世界Ⅳ]]37-38頁</ref>。「艮の金神」についても、綾部藩主[[九鬼家]]に伝わる『九鬼文書-鬼門呪詞』の主神「宇志採羅根真大神(ウシトラノコンジン)」に由来するという説もある<ref>[[#九鬼文書の謎]]226-227頁</ref>。直の死後、王仁三郎が[[九鬼隆治]]([[子爵]]、第21代)に宛てた書簡からもうかがえる<ref>[[#九鬼文書の謎]]229頁</ref><ref group="注">『大本教の神示に就いては貴家と最も深き因縁これある様、故教祖より毎日聞き及び居り候得者、何れ、機熟する時は、閣下の御世話に頼らねば成らぬ事之有り候に付き、向後宣敷く御願い申上げ奉り候(以下略)』</ref>。さらに『天理、金光、黒住、妙霊先り、とどめに艮の金神現れて、世の立替えを致すぞよ』という表現もあり、直が先行した民衆宗教の影響を受けていることを示す<ref>[[#屹立するカリスマ]]61頁、[[#周縁性の歴史学]]182頁</ref>。一方で、神諭の表現は立教の年代順と異なる<ref>[[#金光と大本]]82.110頁、[[#新宗教の精神構造]]177頁</ref>。これは教義の親縁性による順の可能性があり、王仁三郎も大本神諭を[[天理教#文献|天理教神諭]]を比較して両者の関係を考察した<ref>[[#神界のフィールドワーク]]401-402頁</ref><ref group="注">機関誌「神霊」大正7年5月号『私は大本開祖二十七年間の神諭の中から抜粋して今度天理教同志会の編集に関わる「御筆先分類研究」と相酷似せる点のみを年月順次に依らず、茲に選り出しまして両教研究者の便に供すると、一は以て神界の深き御経綸を発表する事に致しました。』</ref>。
大本神諭は非常に疑問の多い文書である。この文書は実際、出口王仁三郎のみにしか、筆先の編集作成は出来ないとされていたにも関わらず、海軍出身の[[浅野和三郎]]が筆先から神諭への編纂に携わったという逸話もあり、その真偽が問われている。浅野和三郎が編纂した箇所がどの部分で、どれだけの量、またはどれだけのパーセンテージで編纂したのかは正確に判明していない。つまり、それは大本神諭が艮の金神を含めた神霊たちのそれであるという確証は薄らいでくることを意味している。
 
王仁三郎のみにしか筆先の編集作成は出来ないとされていたにも関わらず、[[浅野和三郎]]が筆先から神諭への編纂に携わったという逸話がある。[[1916年]](大正5年)12月に入信した浅野が編纂した箇所がどの部分で、どれだけの量、またはどれだけのパーセンテージで編纂したのかも正確に判明していない。ただ浅野が「皇道大本」の教義形成に尽力し、神諭の研究に没頭していたという事実はある<ref>[[#神界のフィールドワーク]]421頁</ref>。また王仁三郎が筆先から神諭へと編纂したと言われているが、当事者である王仁三郎も京都府警に対し『年月日と組立等を、開祖なおに尋ね乍ら書いたのであるから、誌上の稿になったものと同じお筆先は実際にはありません」』と大正8年に発言している。第一次大本事件における当局の追及に対しては、「筆先は神霊現象で人間に責任はなく、皇道大本に不敬の意図はない」と釈明している<ref>[[#屹立するカリスマ]]149頁</ref>。
また、出口王仁三郎が筆先から神諭へと編纂したと言われているが、当事者である出口王仁三郎も疑問に満ちたことを発言している。
『年月日と組立等を、開祖なおに尋(たず)ね乍(なが)ら書いたのであるから、誌上の稿になったものと同じお筆先は実際にはありません」』
 
王仁三郎は、開祖・直(厳霊)の役割を[[洗礼者ヨハネ]]、自身(瑞霊)を[[スサノオ]]/[[メシア|救世主]]と位置づけている<ref>[[#人間解放の福祉論]]91頁、[[#新宗教時代(1)]]32頁</ref>。[[1935年]](昭和10年)の[[大本事件#第二次大本事件|第二次大本事件]]を回顧した歌集(1942年10月)では「筆先は 神々教祖に 懸かられて しるし玉ひし 神言なりけり」「御神諭は 毛筋の横幅も 違はぬと 月座の教祖(王仁三郎)は 宣らせ給ひぬ」「人皆を 昔の神の 大道に 改めたまふ 神諭の主意なり」「善心で 読めば善なり 悪神で 読めば怪しく 見ゆる筆先」と詠う<ref>[[#朝嵐]]79頁</ref>。新教典『[[霊界物語]]』第7巻総説では筆先について「1916年の神島開き(みろく神啓示)前の筆先は御修行中の産物であり、未完成品」と述べ、12巻序文で「筆先は[[忠臣蔵]]の台詞書。霊界物語は全脚本。筆先は純然たる教典ではない」としている<ref>[[#新宗教時代(1)]]23-24.32頁</ref>。第36巻序文においても、国常立尊は「大海の潮水」であり神諭は「手桶に汲み上げられた潮水」「神の演劇の台詞書のみを抜き出したもの」と定義する<ref>[[#人間解放の福祉論]]91頁</ref>。平仮名のみの卑近な言であっても「神様の意志表示に就ては毫末も差支ないものである」とした上で、霊界物語は神諭を補完するものと述べている<ref group="注">私は世人の見て、最も不可解なる筆先の台詞を茲に纏めて、嘗て神霊界を探険して見聞したる神劇に合せて、教祖の筆先の出所や、いかなる神の台詞なるやを明かにせむため、この物語を口述したのであります。この神幽二界の出来事を一巻の書物に綴つたのが霊界物語である。霊界の幾分なりとも消息が通じない人の眼を以て教祖の筆先を批評するのは、実に愚の至りであります。</ref>。直や王仁三郎の魂が国常立尊や[[スサノオ]]そのものではないことも明かした<ref group="注">ただ今まで出口教祖の身魂を、全艮の金神、全国常立尊そのままの顕現と信じてゐた人の小言に過ぎないのであります。それ故、筆先にも女子の身魂が克く調べてくれと断つてある所以であります。(中略)変性女子そのものも、決して瑞の御魂の全体ではない。矢張大海の潮水を手桶に汲みあげたその一部分であります。</ref>。
ということを大正8年、京都府警に発言しているが、この発言自体が物議を醸している。
 
王仁三郎は2つの和歌を残した<ref>[[#神の活哲学]]19頁</ref>。
神諭は筆先がベースであるとは公然として発表されることでありながらも、この発言内容をみると出口王仁三郎の創作であるという可能性も浮上してきており、大本にとっては大本神諭の存在意義そのものが疑問視される。
:「みな人の 眠りにつける 真夜中に 醒めよと来なく 山ほととぎす」
:「梅の花 一度に開く 時来ぬと 叫び給いし 御祖畏し(みおやかしこし)」
 
== 大本神諭と予言 ==
『大本神諭』は「神の申した事は、一分一厘違はんぞよ。毛筋の横巾ほども間違いはないぞよ。これが違ふたら、神は此の世に居らんぞよ」「大本は世界の鏡の出る処であるから、世界に在る実地正味が、皆にさして見せてあるから」と主張する<ref>[[#新宗教の世界Ⅳ]]26.33頁</ref>。神懸かり初期の直は周囲から「発狂した」「狐か狸がついた」と見られていたが、「綾部の金神さん」という評価を得るに至ったのは[[日清戦争]]の予言だった<ref>[[#村上(1973)]]70頁、[[#新宗教の世界Ⅳ]]27頁</ref><ref group="注">明治25年旧正月『からと日本の戦ひがあるぞよ。此いくさは勝ち軍、神が蔭から、仕組が致してあるぞよ。神が表に現れて、日本へ手柄致すさすぞよ。露国から始りて、モウ一と戦があるぞよ。あとは世界の大たたかひで、是から段々判りて来るぞよ。』</ref>。他にも[[関東大震災]]や[[太平洋戦争]]を示唆する表現もある<ref>[[#新宗教の世界Ⅳ]]31頁</ref><ref group="注">大正7年12月25日『唐土の鳥は羽が強ふて口嘴が長く鋭いぞよ。脚も長いし数も沢山あるぞよ。日本の鳥は余程しっかりと神力がないと、天空から蹴り落とされる様な事が出来いたすぞよ。』 明治34年2月7日『東の国へはるばると都に致す心淋しき東の国はもとの昔の薄野になるぞよ』</ref>。特に[[1923年]](大正12年)の[[関東大震災]]で東京が甚大な被害を受けると多くの人々が「神諭の予言が的中した」と受け取り、第一次大本事件により大打撃を受けていた大本は一転して熱烈な支持を受けることになった<ref>[[#村上(1973)]]157頁</ref>。
 
この後、1930年代の大本は王仁三郎の指導下で爆発的に発展すると、革命を起こしかねない危険勢力として[[1935年]](昭和10年)12月に日本政府([[岡田内閣]])の徹底的な弾圧を受けた([[大本事件#第二次大本事件|第二次大本事件]])<ref>[[#屹立するカリスマ]]211-212頁</ref>。綾部と亀岡の本部は焼け野原状態となり、1942年8月に保釈された王仁三郎は廃墟となった[[亀山城 (丹波国)|亀岡城(大本聖地)]]を見て「このように日本はなるのや、亀岡は東京で、綾部は[[伊勢神宮]]や」と語ったとされる<ref>[[#屹立するカリスマ]]225頁</ref>。[[松本健一]]は王仁三郎の発言について、直の「東京は元の薄野に成るぞよ。永うは続かんぞよ。東の国は、一晴れの後は暗がり。これに気の附く人民はないぞよ」という筆先を下敷きにしていると指摘した<ref>[[#屹立するカリスマ]]226頁</ref>。
 
== 関連項目 ==
*[[啓示]]
*[[聖典]]
*[[霊界物語]]
 
== 関連著書 ==
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*大本神諭 火の巻 出口なお (村上重良 校注)東洋文庫348 平凡社
 
== 注釈 ==
<references group="注" />
 
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
*{{Cite book|和書|author=[[大本]]、[[創価学会]]、[[真如苑]]、[[浄土真宗親鸞会]]|year=1997|month=2|title=新宗教時代1|publisher=[[大蔵出版]]|isbn=4-8043-5206-6|ref=新宗教時代(1)}}<br/> 出口三平「大本-王仁三郎の切り開いた世界」
*{{Cite book|和書|author=[[鎌田東二]]|year=1999|month=8|title=神界のフィールドワーク {{small|霊学と民族学の生成}}|publisher=[[筑摩書房]]|isbn=4-480-08498-3|ref=神界のフィールドワーク}}
*{{Cite book|和書|author=[[佐治芳彦]]|year=2003|month=2|title=九鬼文書の謎 {{small|禁断の古代古伝}}|publisher=[[経済界]]|isbn=4-7667-1006-1|ref=九鬼文書の謎}}<br/> 第七章「天掛ける夢、大本教と九鬼文書」
*{{Cite book|和書|author=[[島田裕巳]]|year=2007|month=11|title=日本の10大新宗教|publisher=幻冬舎新書|isbn=978-4-344-98060-0|ref=日本の10大新宗教}}
*{{Cite book|和書|author=[[ナンシー・K・ストーカー]]著|coauthors=[[井上順孝]]監修、[[岩坂彰]]翻訳|year=2009|month=6|title=出口王仁三郎 {{small|帝国の時代のカリスマ}}|publisher=[[原書房]]|isbn=978-4-562-04292-0|ref=帝国時代のカリスマ}}
*{{Cite book|和書|author=[[津島佑子]]|year=2006|month=1|title={{small|問いの再生4}} 女という経験|publisher=[[平凡社]]|isbn=4-582-83310-1|ref=女という経験}}
*{{Cite book|和書|author=[[出口栄二]]監修|year=1970|month=3|title=写真図説 民衆の宗教・大本|publisher=[[学燈社]]|ref=民衆の宗教・大本}}
*{{Cite book|和書|author=出口栄ニ・[[梅原正紀]]・[[清水雅人]]|year=1978|month=12|title=新宗教の世界Ⅳ|publisher=[[大蔵出版]]|isbn=4-8043-5204-x|ref=新宗教の世界Ⅳ}}<br/> 出口栄二『大本-予言と弾圧の歴史』
*{{Cite book|和書|author=[[出口王仁三郎]]|year=1997|month=10|title={{small|第二次大本事件回顧歌}} 朝嵐|publisher=[[あいぜん出版]]|isbn=4-900-441-43-0|ref=朝嵐}}
*{{Cite book|和書|author=[[出口和明]]|year=1995|month=9|title=スサノオと出口王仁三郎|publisher=[[八幡書店]]|isbn=4-89350-181-x|ref=スサノオと王仁三郎}}
*{{Cite book|和書|author=[[十和田龍]]|year=1986|month=12|title={{small|出口王仁三郎の}}神の活哲学 {{small|血肉となって魂を活かし人生に光}}|publisher=[[御茶の水書房]]|isbn=4-275-00721-2|ref=神の活哲学}}
*{{Cite book|和書|author=[[羽仁礼]]|year=1996|month=3|title=伯家神道の聖予言 {{small|宮中祭祀を司った名家に伝わる秘録が今明らかになる!}}|publisher=[[たま出版]]|isbn=4-88481-447-9|ref=伯家神道の聖予言}}
*{{Cite book|和書|author=[[早瀬圭一]]|year=2007|month=5|title=大本襲撃 {{small|出口すみとその時代}}|publisher=毎日新聞社|isbn=978-4-620-31814-1|ref=大本襲撃}}
*{{Cite book|和書|author=[[松本健一]]|year=1986|month=12|title=出口王仁三郎 {{small|屹立するカリスマ}}|publisher=[[リブロポート]]|isbn=4-8457-0244-4|ref=屹立するカリスマ}}
*{{Cite book|和書|author=[[丸山照雄]]|year=1986|month=7|title=現代人の宗教3 金光と大本 {{small|教典その心と読み方}}|publisher=[[御茶の水書房]]|isbn=4-275-00686-0|ref=金光と大本}}<br/> 出口栄二『お筆先と霊界物語 {{small|その心と読み方}}』
*{{Cite book|和書|author=[[丸山照雄]]編|year=1986|month=8|title=現代人の宗教10 宗教の可能性|publisher=[[御茶の水書房]]|isbn=4-275-00693-3|ref=宗教の可能性}}<br/> 出口栄ニ『大本の立替え立直し』
*{{Cite book|和書|author=[[宮田登]]|year=1975|month=12|title=ミロク信仰の研究 新訂版|publisher=[[未來社]]|isbn=978-4-624-10013-1|ref=ミロク信仰の研究(2010)}}第六章「大本教とミロク」
*{{Cite book|和書|author=[[宮田登]]|year=1999|month=1|title={{small|日本の50年日本の200年}} 日本人と宗教|publisher=[[岩波書店]]|isbn=4-00-026311-0|ref=日本人と宗教}}<br/> 第七章『民衆宗教の系譜 「世直し」と大本教』
*{{Cite book|和書|author=[[村上重良]]|year=1973|month=7|title=出口王仁三郎|publisher=[[新人物往来社]]|isbn=|ref=村上(1973)}}
*{{Cite book|和書|author=[[村上重良]]|year=2007|month=2|title=新宗教 その行動と思想|publisher=[[岩波書店]]|isbn=978-4-00-600170-4|ref=村上2007新宗教}}
*{{Cite book|和書|author=[[安丸良夫]]|year=1999|month=10|title=一揆・監獄・コスモロジー {{small|周縁性の歴史学}}|publisher=[[朝日新聞社]]|isbn=4-02-257433-x|ref=周縁性の歴史学}}<br/> 第Ⅲ章「大本教の千年王国主義的救済思想」
*{{Cite book|和書|author=[[吉田司]]|year=2003|month=9|title=新宗教の精神構造|publisher=[[角川書店]]|isbn=4-04-883845-8|ref=新宗教の精神構造}}
 
== 外部リンク ==
* [http://www.oomoto.or.jp/Japanese/about/gaiyou/shinyu.html 大本による神諭解説]
* [http://www.omt.gr.jp/modules/pico/index.php?content_id=72 大本信徒連合会による神諭解説]
 
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[[Category:大本|しんゆ]]