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<span style="font-size: smaller;">[[英語|英]]:'''{{lang|en|United Nations}}'''<br /><!-- 英語では通常 Organization をつけません -->
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[[画像ファイル:United Nations Members.svg|250px300px|border|thumb|加盟国]]
'''国際連合'''(こくさいれんごう、〔[[英語|英]]〕{{Lang|en|United Nations)Nations}})は、[[国際連合憲章]]の下、[[1945年]]に設立された[[国際機構である。世界の[[安全保障組織]]と[[経済]]・[[社会]]の発展のために協力することを目的とする。多くの言語第二次大戦中の[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]と呼称を同じくする。主たる活動目的は国際平和の維持([[安全保障]])、そして経済や社会などに関する国際協力の実現である。[[略語|略称]]は'''国連'''(こくれん)、'''UN'''
 
2010年現在の加盟国は192か国であり<ref name="quick facts">{{Cite web |url=http://www.un.org/en/aboutun/index.shtml |title=UN at a glance |language=英語 |publisher=the United Nations |accessdate=2010-11-02 }}</ref>、現在国際社会に存在する国際組織の中で最も広範・一般的な権限と、普遍性を有する組織である<ref>中谷ほか (2006: 7)。</ref>。
 
[[略語|略称]]は'''国連'''(こくれん)、'''UN'''。
 
== 概要 ==
[[ファイル:United Nations HQ - New York City.jpg|thumb|225px|[[ニューヨーク]]にある[[国際連合本部ビル|国連本部]]。]]
国際連合は、[[国際連盟]]の反省をふまえて[[第二次世界大戦]]時の戦勝国である[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]] (United Nations) が中心となる。[[1945年]][[10月24日]]に、[[アメリカ合衆国]]の[[カリフォルニア州]][[サンフランシスコ]]で発足した。最初の加盟国(原加盟国)は51ヵ国であった。
国際連合は、[[第二次世界大戦]] を防ぐことができなかった[[国際連盟]]の反省をふまえ、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]、[[イギリス]]、[[ソビエト連邦]]、[[中国]]([[中華民国]])などの[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]] (United Nations) が中心となって設立した。1945年4月から6月にかけてアメリカ・サンフランシスコ市で開かれた[[サンフランシスコ会議]]で[[国連憲章]]が署名され、同年[[10月24日]]に正式に発足した。最初の加盟国(原加盟国)は51か国であった。
 
国連の目的は、次の三つである(国連憲章1条)。
* 国際平和・安全の維持
* 諸国間の友好関係の発展
* 経済的・社会的・文化的・人道的な国際問題の解決のため、および[[人権]]・基本的自由の助長のための国際協力
 
2010年現在、国際連合の加盟国数は192か国。最も新しい加盟国は、[[モンテネグロ]](2006年[[6月28日]]加盟)である。国際連合の本部は、アメリカ合衆国の[[ニューヨーク市]][[マンハッタン島]]にある。
 
[[国際連合本部ビル|本部ビル]]は、[[オスカー・ニーマイヤー]]を中心とした建築家国際委員会が設計したが、現在老朽化しており、新館を[[建築家]]・[[槇文彦]]が設計予定である。ただし、国際連合の資金難により計画は滞っている。
[[2006年]]6月末現在、国際連合の加盟国数は192ヵ国。最も新しい加盟国は、[[モンテネグロ]](2006年[[6月28日]]加盟)である。国際連合の本部は、アメリカ合衆国の[[ニューヨーク市]][[マンハッタン島]]にある。
 
[[1919年]]〜[[1946年]]まで存在した国際連盟との間には、法的な継続性がないものの国際司法裁判所や国際労働機関等の機関を連盟から引き継いでいる。また、旧連盟本部施設も連盟から移管されていて部分的には継続した組織といえる。
[[国際連合本部ビル|本部ビル]]([[オスカー・ニーマイヤー]]を中心とした建築家国際委員会が設計)は老朽化しており、新館を[[建築家]]・[[槇文彦]]が設計予定。ただし、国際連合の資金難により計画は滞っている。
 
== 沿革 ==
[[ファイル:Yalta Conference (Churchill, Roosevelt, Stalin) (B&W).jpg|thumb|right|240px|国際連合の設立に主要な役割を果たした(左から)[[ウィンストン・チャーチル|チャーチル]]、[[フランクリン・ルーズベルト]]、[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]([[ヤルタ会談]]にて)。]]
[[1943年]]10月に[[モスクワ]]で開かれたアメリカ合衆国、[[イギリス]]、[[ソビエト連邦]]による外相会議で「一般的安全保障に関する四ヵ国宣言」によって第二次世界大戦後に国際的な平和機構を再建する必要性が宣言されたのを受けて[[1944年]]8〜10月にアメリカ合衆国、イギリス、中華民国、ソビエト連邦の代表が[[ワシントンD.C.]]の[[ジョージタウン (ワシントンD.C.)|ジョージタウン]]にあるダンバートン・オークス・ガーデンで会議([[ダンバートン・オークス会議]])を開き、国際連合憲章の原案(「一般的国際機構設立に関する提案」)を作成した。
国連の前身は[[国際連盟]]である<ref>国際連合広報局 (2009: 24)。</ref>。国際連盟は、1919年、国際協力を促進し、平和安寧を完成することを目的として設立された。しかし、アメリカが参加せず、[[ソビエト連邦]]も1934年まで加盟せず、一方、日本、ドイツ、イタリアが脱退するなど、有力国の参加を欠いたこともあって、十分な力を発揮することができず、第二次世界大戦を防ぐことができなかった<ref>明石 (2006: 30-31)、国際連合広報局 (2009: 24)。</ref>。
 
[[1941年]]8月、カナダ東海岸[[ニューファンドランド島]]沖の艦上で、アメリカの[[フランクリン・ルーズベルト]]大統領とイギリスの[[ウィンストン・チャーチル]]首相が会談し、[[大西洋憲章]]を提唱した。そこでは、第二次世界大戦後の世界に国際連盟に代わる国際平和機構を創設するとの構想が、抽象的にではあるが既に示されていた<ref>吉田 (2003: 40-41)。</ref>。
1945年4月25日から6月26日にかけて、[[ドイツ]]または日本に宣戦している連合国50ヵ国の代表がサンフランシスコに集まり、国際連合設立のための[[サンフランシスコ会議]]を開いた。会議では、ダンバートン・オークス会議で作成された国際連合憲章原案に基づいて国際連合憲章が採択された。
 
その後、[[コーデル・ハル]][[アメリカ合衆国国務長官|国務長官]]率いる[[アメリカ合衆国国務省|アメリカ国務省]]の内部で、戦後国際機構の構想が急速に進んだ。[[サムナー・ウェルズ]][[アメリカ合衆国国務次官|国務次官]]の下に国際機構小委員会が設置され、1942年10月作業を開始して1943年3月には「国際機構憲章草案 {{Lang|en|(Draft Constitution of International Organization)}}」がほぼ完成していた。ハル長官がこれを練り直して、同年8月「国際連合憲章 {{Lang|en|(The Charter of the United Nations)}} 草案」を完成させた。同年7月、イギリスもヨーロッパの安全保障に力点を置いた構想を策定してアメリカに提示したが、アメリカの案は、より世界的な機構とし、安全保障だけでなく経済社会問題も扱うべきだとの考えに基づいたものであった。そして、同年8月に[[ケベック (ケベック州)|ケベック]]で米英首脳会談が開かれたが、その時点で、米英中ソの4国が「すべての国の[[主権]]平等に基礎を置き、大国小国を問わずすべての国の加盟のために開放される、国際の平和と安全の維持のための一般的国際機構」を創設する必要があるとの、後のモスクワ宣言の草案が既に作成されていた<ref>最上 (2005: 70-72)。</ref>。
[[1919年]]〜[[1946年]]まで存在した[[国際連盟]]との間には、法的な継続性がないものの国際司法裁判所や国際労働機関等の機関を連盟から引き継いでいる。また、旧連盟本部施設も連盟から移管されていて部分的には継続した組織といえる。
 
[[1943年]]10月に[[モスクワ]]で開かれたアメリカ、イギリス、ソ連による外相会議で「一般的安全保障に関する4か国宣言」(モスクワ宣言)が出され、ほぼ上記草案どおりの文言で、第二次世界大戦後に国際的な平和機構を再建する必要性が訴えられた。こうして、アメリカ案に沿った国際機構の創設が連合国側の構想として公式に示されることになった<ref>最上 (2005: 71)。</ref>。同年の[[カイロ宣言]](米英中)、[[テヘラン会談|テヘラン宣言]](米英ソ)でも、米英中ソの4大国が「世界の警察官」としての役割を果たすことが合意された<ref>吉田 (2003: 41)。</ref>。
 
これを受けて、[[1944年]]8月〜10月、[[ワシントンD.C.]]の[[ジョージタウン (ワシントンD.C.)|ジョージタウン]]にあるダンバートン・オークス・ガーデンにおいて、アメリカ合衆国、イギリス、中華民国、ソ連の代表が会議を開き、国際連合憲章の原案(「一般的国際機構設立に関する提案」)を作成した([[ダンバートン・オークス会議]])。ここでは、加盟国全部を含む総会と、大国中心に構成される安全保障理事会の二つを主体とする普遍的国際機構を作ることが合意された<ref>明石 (2006: 35-36)。</ref>。
 
その後、安保理常任理事国の[[拒否権]]をどの範囲で認めるかについて、ソ連と米英との交渉が続いたが、1945年2月に開催された[[ヤルタ会談]]において、大国の拒否権は手続事項に適用されないこと、紛争の平和的解決が試みられている間は当事国は表決に加わらないとの妥協が成立した<ref>明石 (2006: 36)。</ref>。すなわち、米英中ソに、イギリスの希望によりフランスを加えた5か国が拒否権を有する安保理常任理事国となるという「5大国一致の原則」が合意された<ref>吉田 (2003: 42-43)。</ref>。
 
[[ファイル:UnitedNations.gif|thumb|left|サンフランシスコ会議の模様。]]
1945年4月25日から6月26日にかけて、[[ドイツ]]または日本に宣戦している連合国50か国の代表が[[サンフランシスコ]]に集まり、国際連合設立のための[[サンフランシスコ会議]]を開いた。ダンバートン・オークス会議で作成された憲章原案に基づき審議が行われ、6月26日、50か国が[[国際連合憲章]]に署名して会議は集結した。[[ポーランド]]は会議に代表を送っていなかったが、その後国連憲章に署名し、原加盟国51か国の一つとなった。そして、中国、フランス、ソ連、イギリス、アメリカ、およびその他の署名国の過半数が[[批准]]した1945年10月24日に、国際連合が正式に発足した<ref>明石 (2006: 37)、国際連合広報局 (2009: 24-25)。</ref>。
 
現在、[[10月24日]]は[[国際デー|国連デー]]として各国で記念されている<ref>国際連合広報局 (2009: 25)。</ref>。
 
== 名称 ==
「{{Lang|en|United Nations}}」([[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]])という言葉が初めて用いられたのは、第二次世界大戦中、日独伊の[[枢軸国]]と対戦していた26か国が[[ワシントンD.C.]]に集まり、[[1942年]]1月1日、枢軸国への対決を明らかにした「[[連合国共同宣言]](ワシントン宣言)」においてである。この名称は、前日の1941年12月31日、ルーズベルト米大統領がチャーチル英首相に提案して同意を得たとされる<ref>吉田 (2003: 45)。</ref>。戦後の国際的な平和組織の名称としては、前述のとおり1943年8月に作成されたアメリカ国務省の案の中で既に使用されていたが、その後、連合国側の構想の中で使用されるようになった。
=== 起源 ===
「United Nations」という言葉が初めて用いられたのは、[[1942年]][[1月1日]]の「[[連合国共同宣言]](ワシントン宣言)」においてであり、戦後の国際的な平和組織の名称として用いることについてはダンバートン=オークス会議において提案された。提案者である[[フランクリン・ルーズベルト]]大統領は、国際連合の設立に尽力しながらもサンフランシスコ会議における国際連合憲章調印の数週間前に死去していた。彼に対する敬意を表してこの名称を採用することが会議の出席者全員によって合意された。
 
国際連合の設立に尽力したルーズベルト大統領は、サンフランシスコ会議開幕直前である1945年4月12日に死去した。会議では、{{Lang|en|United Nations}}という英語は複数形であり国際機構を意味するものとしては不適当ではないかとの意見もあったが、彼に対する敬意を表してこの名称を採用することが合意された。しばらくは文法上の理由から{{Lang|en|United Nations Organization (UNO)}}という名称も使われたが、次第に使われなくなった<ref>吉田 (2003: 46)。</ref>。
=== 非英語圏での名称 ===
「United Nations」という語は、戦後の国際機構の名称となる以前に、第二次世界大戦において[[枢軸国]]と対立した国家連合の名称として[[:en:Allies|Allies]]と共に用いられていた。日本において「United Nations」に対しては、戦争中の国家連合の名称としては「連合国」を、戦後に設立された国際機構に対しては「国際連合」が一般に用いられてきた。
 
一方、フランス語・スペイン語では、「機構」を示す{{Lang|fr|Organisation}}を付して{{Lang|fr|ONU}}との略称を用いている<ref>吉田 (2003: 46)。</ref>。
「国際連合」という訳語が最初に用いられた時期がいつであったかについては様々な議論がある。ダンバートン=オークス会議における提案として1944年([[昭和]]19年)10月に発表された「国際連合憲章の原案(「一般的国際機構設立に関する提案」)」を同年12月に外務省が翻訳した際には(外務省条約局「条約集号外第十八号」)、既に「国際連合」という訳語が用いられている。
 
日本においては、戦争中の国家連合の名称としては「連合国」、戦後に設立された国際機構に対しては「国際連合」との訳語が一般に用いられてきた。後者を軍事同盟の連合国と区別するために「国際連合」と意訳したのは外務官僚であるとされる<ref>吉田 (2003: 39, 46)。</ref>。1944年([[昭和]]19年)10月にダンバートン・オークス会議で発表された「国際連合憲章の原案(「一般的国際機構設立に関する提案」)」を同年12月に外務省が翻訳した際には、既に「国際連合」という訳語が用いられている<ref>外務省条約局「条約集号外第18号」。</ref>。
日本と同様に漢字を使用している[[中華民国]]や[[中華人民共和国]]では、「United Nations」には「[[:zh:联合国|{{lang|zh|联合国}}]](日本で用いられている漢字に直すと連合国、または聯合国)」、戦前の諸国連合の名称としては「[[:zh:同盟国|{{lang|zh|盟国}}]]」が主に用いられている。[[大韓民国]]では、日本と同じく「[[:ko:국제 연합|{{lang|ko|國際聯合}}]]」であるが英音短縮であるUN(「ユーエン」と発音、表記は「'''유엔'''」)が用いられる場合が一般的である。
 
日本と同様に漢字を使用している[[中華民国]]や[[中華人民共和国]]では「{{lang|zh|联合国}}」(戦前の諸国連合の名称としては「{{lang|zh|盟国}}」)が主に用いられている。[[大韓民国]]では、日本と同じく「{{lang|ko|國際聯合}}」であるが、英音短縮であるUN(「ユーエン」と発音、表記は「'''유엔'''」)が用いられる場合が一般的である。
== 設立主意 ==
*国際的な「共通の課題」の達成
**平和と安全の維持(中心的な目的)
**[[人権]]の保護 など
*そのために諸国の行動の調整をすること(国際協力)
 
== 国連機関組織 ==
[[ファイル:United Nations HQ - New York City.jpg|thumb|225px|[[国際連合本部ビル|国連本部]]]]
[[ファイル:UN.PNG|thumb|right|400px|国連の機関]]
''一覧は「[[{{See also|国連機関]]」の項を参照。''}}
国際連合は、六つの主要機関と、その下に置かれた付属機関・補助機関から成る。また、国際連合と連携関係を持ち、独立した[[専門機関]]、関連機関もある。こうした諸機関を総称して'''国連システム'''(国連ファミリー)という<ref>国際連合広報局 (2009: 49)。</ref>。
 
国際連合は、六つの'''主要機関'''と主要機関の内部組織である'''補助機関'''から成る。また、国際連合と連携関係を持ち、独立した'''専門機関'''もある。
 
=== 主要機関 ===
国連憲章は、国連の主要機関として、総会、安全保障理事会、経済社会理事会、信託統治理事会、国際司法裁判所、事務局の六つの主要機関を設けている<ref>国際連合広報局 (2009: 28)。</ref>。
 
==== 総会 ====
[[ファイル:UN meeting on environment at General Assembly.jpg|thumb|225px|left|総会場]]
'''[[国際連合総会|総会]]'''は、全加盟国で構成され、国連の関与するすべての問題を討議する。各国が1票の表決権を有し、重要問題については3分の2、一般問題については過半数で決する[[多数決]]制が取られている。総会での決議は加盟国または安全保障理事会に対する勧告をすることができるにとどまり、法的拘束力を持たない。しかし、重要な国際問題に対する世界の世論を示すものであり、国際社会の道徳的な権威を備えている<ref>国際連合広報局 (2009: 28-31)。</ref>。
{{main|国際連合総会}}
全加盟国で構成され、国際連合の関与するすべての問題を討議する。各国が1票の表決権を有し、重要問題については3分の2、一般問題については過半数で決する[[多数決]]制で表決が行われる。ただし、総会での決議は加盟国または安全保障理事会に対する勧告までの効力を有するのみで、強制力・拘束力をもたない。これは、[[全会一致]]制で半ば機能不全に陥っていた国際連盟の反省を踏まえつつ、国際連合からの過度の干渉を嫌う各国の思惑にも配慮した結果である。
 
総会の会期は、毎年9月第3週目の火曜日に始まり、翌年の9月上旬まで続く。議長は、会期ごとに、五つの地域グループから持ち回りで選ばれる。会期の始めには、全体会議(プレナリー)が開かれ、そこで各国の[[元首]]・[[政府首脳]]による一般討論が行われる。その後、ほとんどの議題は分野別に次の六つの主要委員会で審議される。全体会議は決議・決定を採択した後、12月に休会に入るが、主要委員会や他の下位機関での活動は様々な形で翌年の7月ころまで続く<ref>北岡 (2007: 34-35)、国際連合広報局 (2009: 29-30)。</ref>。
補助機関として[[国際連合開発計画]] (UNDP)、[[国際連合児童基金]] (UNICEF)、国際連合地域間犯罪司法研究所 (UNICRI)、国際連合訓練調査研修所 (UNITAR) 、 [[国際連合人権理事会]] (UNHRC)、[[国際連合人権高等弁務官事務所]] (OHCHR)、[[国際連合大学]] (UNU) などがある。
{{Col-begin}}
{{Col-2}}
* 第1委員会:[[軍縮]]と国際安全保障
* 第2委員会:[[経済]]と[[金融]]
* 第3委員会:社会、[[人道]]と[[文化]]
{{Col-2}}
* 第4委員会:特別政治問題と[[非植民地化]]
* 第5委員会:[[行政]]と[[予算]]
* 第6委員会:[[法律]]
{{Col-end}}
 
==== 安全保障理事会 ====
[[ファイル:UN security council 2005.jpg|thumb|225px|安全保障理事会室]]
'''[[国際連合安全保障理事会|安全保障理事会]]'''(安保理)は、国連において国際の平和と安全に主要な責任を負う機関である。軍事参謀委員会の助言に従って[[国連軍]]を平和維持のために行使する権限がある。国際連合の主要機関の中では、安全保障理事会が決定した条項のみが、法的強制力・拘束力を持つ。'''[[常任理事国]]'''の[[拒否権]]により、法的強制力・拘束力が保障されている。常任理事国は、アメリカ、ロシア、フランス、イギリス、中国の5か国である。
{{main|国際連合安全保障理事会}}
軍事参謀委員会の助言に従って[[国連軍]]を平和維持のために行使する権限がある。国際連合の主要機関の中では、安全保障理事会が決定した条項のみが、法的強制力・拘束力を持つ。'''[[常任理事国]]'''の[[拒否権]]により、法的強制力・拘束力が保障されている。常任理事国は、アメリカ、ロシア、フランス、イギリス、中国の5か国である。
 
==== 経済社会理事会 ====
'''[[国際連合経済社会理事会|経済社会理事会]]'''(ECOSOC) は、経済的、社会的、文化的、教育的及び保健的活動を所管するが、具体的な活動は、国際労働機関 (ILO) のような専門機関が行うことが多い。経済社会理事会の構成国は54か国。任期は3年。
{{main|国際連合経済社会理事会}}
経済的、社会的、文化的、教育的及び保健的活動を所管するが、具体的な活動は、国際労働機関 (ILO) のような、経済社会理事会と連携協定を結ぶ外部の国際機関([[国際連合の専門機関|専門機関]])が行うことが多い。経済社会理事会の構成国は54ヵ国。任期は3年。
 
==== 信託統治理事会 ====
'''[[国際連合信託統治理事会|信託統治理事会]]'''は、未独立の[[信託統治]]地域が自治・[[国家の独立|独立]]に向けた準備をすることができるようにすることを目的に設立された。[[1994年]]までに、すべての信託統治地域が自治または独立を達成したことから、その任務をほぼ完了したとして活動を停止した<ref>国際連合広報局 (2009: 36-37)。</ref>。
{{main|国際連合信託統治理事会}}
未独立の地域が独立できるようにする。[[1994年]]、その任務をほぼ完了したとして活動を停止した。
 
==== 国際司法裁判所 ====
'''[[国際司法裁判所]]''' (ICJ) は、国連の主要な[[司法]]機関である。総会と安全保障理事会は、あらゆる[[法 (法学)|法]]的問題について裁判所に勧告的意見を求めることができる。裁判所は加盟国間の[[紛争]]を処理し、加盟国は[[判決]]に従う[[義務]]がある。[[裁判官]]は15人で任期は9年(3年ごとに5人を改選する)。所在地はオランダの[[デン・ハーグ|ハーグ]]である。
[[ファイル:Den Haag Peace Palace 2.jpg|thumb|225px|国際司法裁判所]]
{{main|国際司法裁判所}}
国際連合の主要[[司法]]機関として、総会と安全保障理事会は、あらゆる[[法 (法学)|法]]的問題について[[裁判所]]に勧告的意見を求めることができる。裁判所は加盟国間の[[紛争]]を処理し、加盟国は[[判決]]に従う[[義務]]がある。[[裁判官]]は15人で任期は9年(3年ごとに5人を改選する)。所在地はオランダの[[デン・ハーグ|ハーグ]]である。
 
==== 事務局 ====
[[ファイル:Bankimoon cropped.jpg|thumb|right|225px|第8代事務総長・[[潘基文]]]]
[[国際連合事務局]]は、各国の利害を離れて中立的な立場から国際連合の運営を行う機関である。事務総長が統括する。
'''[[国際連合事務局|事務局]]'''は、国連の日常業務を遂行する機関であり、他の主要機関に役務を提供するとともに、それらの機関が決定した計画・政策を実施する。[[国際連合事務総長|事務総長]]が統括する。1年以上の契約を持つ事務局職員は約2万5530人、短期契約職員は約3万0500人である。事務総長および事務局職員は、いかなる国の政府からも、国連以外のいかなる当局からも指示を受けない(国連憲章100条)<ref>国際連合広報局 (2009: 39)。</ref>。
 
事務総長は、国連の行政職員の長であるとともに(国連憲章97条)、総会、安保理、経社理、信託統治理事会から委託される任務を遂行する(同98条)。また、国際の平和・安全の維持への脅威について、安保理の注意を促すことができる権限が与えられている(同99条)。事務総長が公的または私的に行う国際紛争の「あっせん」は、最も重要な役割の一つであり、[[キプロス]]、[[東ティモール]]、[[イラク]]、[[リビア]]、[[中東]]、[[ナイジェリア]]、[[西サハラ]]などの紛争に際して行われてきた。現在の事務総長は[[韓国]]出身の[[潘基文]]である<ref>国際連合広報局 (2009: 39-40)。</ref>。
各部局:
*事務総長室 (OSG)
*内部監査部 (OIOS)
*法務部 (OLA)
*政治局 (DPA)
*軍縮局 (DDA)
*平和維持活動局 (DPKO) など
 
国連事務局には次のような部局が置かれている<ref>国際連合広報局 (2009: 50-65)。</ref>。
=== 専門機関 ===
{{Col-begin}}
政府間の協定によって設けられる各種の機関であり、上記の主要機関とは非従属の関係にある。
{{Col-3}}
* 事務総長室 (OSG)
* 内部監査部 (OIOS)
* 法務部 (OLA)
* 政治局 (DPA)
* 軍縮部 (DDA)
{{Col-3}}
* 平和維持活動局 (DPKO)
* フィールド支援局 (DFS)
* [[国際連合人道問題調整事務所|人道問題調整事務所]] (OCHA)
* 経済社会局 (DESA)
* 総会・会議管理局 (DGACM)
{{Col-3}}
* 広報局 (DPI)
* 管理局 (DM)
* 安全保安局 (DSS)
* 後発開発途上国、内陸開発途上国、小島嶼開発途上国担当上級代表事務所 (UN-OHR-LLS)
{{Col-end}}
 
国連の[[国際連合本部ビル|本部ビル]]は[[ニューヨーク]]にあるが、世界各地に事務所があり、その中で中心的な役割を担うのは[[国際連合ジュネーブ事務局|ジュネーブ事務局]] (UNOG)、[[国際連合ウィーン事務局|ウィーン事務局]] (UNOV)、[[国際連合ナイロビ事務局|ナイロビ事務局]] (UNON)である<ref>国際連合広報局 (2009: 50-51)。</ref>。
[[ファイル:Bankimoon cropped.jpg|thumb|right|225px|第8代事務総長・[[潘基文]]]]
 
=== 諸計画・基金 ===
国連システムには、次のような計画・基金が含まれる。これらは国連憲章7条2に基づいて設置された総会の補助機関であるが、それぞれ個別の予算を持っている<ref>国際連合広報局 (2009: 49, 52)。</ref>。1960年代から1970年代にかけて第三世界から多数加盟した国々が総会で多数派となった結果、総会決議によりUNDPをはじめとする開発関係の補助機関が設置された(そのうちUNIDOなど、いくつかは専門機関に移行した)。他の国連機関と活動内容が重複するものもあるが、統廃合は進んでいない<ref>吉田(2003: 121, 144)。</ref>。
{{Col-begin}}
{{Col-3}}
* [[国際連合貿易開発会議|国連貿易開発会議]] (UNCTAD)
* [[国際連合薬物犯罪事務所|国連薬物犯罪事務所]] (UNODC)
* [[国際連合環境計画|国連環境計画]] (UNEP)
* [[国際連合児童基金|国連児童基金]] (UNICEF)
{{Col-3}}
* [[国際連合開発計画|国連開発計画]] (UNDP)
* [[国際連合人口基金|国連人口基金]] (UNFPA)
* [[国際連合難民高等弁務官事務所|国連難民高等弁務官事務所]] (UNHCR)
* [[世界食糧計画]] (WFP)
{{Col-3}}
* [[国際連合パレスチナ難民救済事業機関|国連パレスチナ難民救済事業機関]] (UNRWA)
* [[国際連合人間居住計画|国連人間居住計画]] (UN-HABITAT)
{{Col-end}}
 
このほか、総会の補助機関として、いくつかの調査訓練機関や[[国際連合大学|国連大学]] (UNU) などの機関がある。
 
=== 専門機関・関連機関 ===
'''[[専門機関]]'''とは、政府間の協定によって設けられ、経済・社会等の各分野において国際的責任を有する国際組織で、かつ、国連との間で連携協定を締結しているものをいう(国連憲章57条、63条)。国連ファミリーに含まれるが、国連とは別個の国際法主体性を有する、独立した国際組織である<ref>中谷ほか (2006: 71)。</ref>。中でも、国際金融機関である世界銀行グループとIMFは最も独立色が強く、規模も国連本体に並び、次いでWHO、FAO、ILO、UNESCOの4機関の規模が大きい。これらの専門機関が力を持つ余り、経社理が形骸化して経済社会分野の国連改革が進まないとの批判もある<ref>吉田 (2003: 124-26, 142)。</ref>。
 
現在存在する専門機関は、次のとおりである<ref>国際連合広報局 (2009: 52-53)。</ref>。
*[[国際労働機関]] (ILO)
{{Col-begin}}
*[[国際連合食糧農業機関]] (FAO)
{{Col-2}}
*[[国際連合教育科学文化機関]] (UNESCO)
* [[世界保健国際労働機関]] (WHOILO)
* [[国際通貨基金連合食糧農業機関]] (IMFFAO)
* [[郵便連合教育科学文化機関]](UPU) (UNESCO)
* [[世界保健機関]] (WHO)
*[[国際電気通信連合]](ITU)
* [[世界気象機関銀行]](WMO)グループ
** [[国際連合工業復興開発機関銀行]](UNIDO)など (IBRD)
** [[国際開発協会]] (IDA)
** [[国際金融公社]] (IFC)
** [[多国間投資保証機関]] (MIGA)
** [[国際投資紛争解決センター]] (ICSID)
{{Col-2}}
* [[国際通貨基金]] (IMF)
* [[国際民間航空機関]] (ICAO)
* [[国際海事機関]] (IMO)
* [[国際電気通信連合]](ITU)
* [[万国郵便連合]](UPU)
* [[世界気象機関]](WMO)
* [[世界知的所有権機関]] (WIPO)
* [[国際農業開発基金]] (IFAD)
* [[国際連合工業開発機関]](UNIDO)
* [[世界観光機関]] (UNWTO)
{{Col-end}}
 
'''関連機関'''は、国連と関係を有するが専門機関としての連携協定を結んでいない国際組織である。国連には次の関連機関がある<ref>国際連合広報局 (2009: 52-53)、{{Cite web |url=http://www.un.org/en/aboutun/structure/index.shtml |title=Structure and Organization |author=United Nations |language=英語 |accessdate=2010-11-05 }}。</ref>。
=== 主要な役職 ===
{{Col-begin}}
*[[国際連合事務総長|事務総長]] (Secretary-General)
{{Col-2}}
*事務次長 (Undersecretary-General)
* [[世界貿易機関]] (WTO)
*事務総長特別代表 (Special Representative of the Secretary-General)
* [[国際原子力機関]] (IAEA)
*事務次長補 (Assistant Secretary-General)
{{Col-2}}
* [[包括的核実験禁止条約機関準備委員会]] (CTBTO Prep. com)
* [[化学兵器禁止機関]] (OPCW)
{{Col-end}}
 
== 公用語 ==
憲章が規定する国連の公用語は、常任理事国の言語である[[英語]]([[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[イギリス]])、[[フランス語]]([[フランス]])、[[中国語]]([[中華人民共和国|中国]])、[[ロシア語]]([[ロシア]])と、その他世界で広く用いられている[[スペイン語]]([[中南米]]地域など)である。その後、[[アラビア語]]([[中東]]地域など)が総会、安全保障理事会、経済社会理事会6言公用であるに追加された<ref>国際連合広報局 (2009: 28)</ref>。<!--公用語については[http://daccess-ods.un.org/access.nsf/Get?OpenAgent&DS=A/RES/2(I)&Lang=E&Area=RESOLUTION 総会決議2号(1946年第1回総会)](英語、フランス語、中国語、ロシア語、スペイン語)および[http://daccess-ods.un.org/access.nsf/Get?Open&DS=A/RES/3190(XXVIII)&Lang=E&Area=RESOLUTION 総会決議3190号(1973年第30回総会)](アラビア語)等で定められている。公式会合での発言は最小限これらの公用語に翻訳される。また、公式文書もこれらの公用語に翻訳される。ただし、作業言語については英語とフランス語のみである。-->
 
なお、国際連合本部は米国ニューヨーク市に置かれているが、国際連合で用いられている英語は[[イギリス英語]]で、日付が「24 October 1945」と表記されたり(米英語では 「October 24, 1945」)、単語のつづりが「organi<span style="text-decoration:underline;">s</span>ation」など英国式になったりする(米英語では「organi<span style="text-decoration:underline;">z</span>ation」)。
 
== 財政 ==
{|<div class="wikitalbe" align="rightsmall">
{| class="wikitable" align="right"
|+ 2010年の分担率上位10か国<ref>{{Cite web |url=http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jp_un/yosan.html |title=2008-10年国連通常予算分担率・分担金 |publisher=[[外務省]] |year=2010 |accessdate=2010-11-30 }}</ref>
|-
! !! 国 !! 担率 (%)
|-
| align="right" | 1 || {{USA}} || align="right" | 22.000
|-
| align="right" | 2 || {{JPN}} || align="right" | 1612.624530
|-
| align="right" | 3 || {{DEU}} || align="right" | 8.577018
|-
| align="right" | 4 || {{GBR}} || align="right" | 6.642604
|-
| align="right" | 5 || {{FRA}} || align="right" | 6.301123
|-
| align="right" | 6 || {{ITA}} || align="right" | 54.079999
|-
| align="right" | 7 || {{CAN}} || align="right" | 23.977207
|-
| align="right" | 8 || {{ESPCHN}} || align="right" | 23.968189
|-
| align="right" | 9 || {{CHNESP}} || align="right" | 23.667177
|-
| align="right" | 10 || {{MEX}} || align="right" | 2.257356
|}</div>
|-
| align="right" | 11 || {{KOR}} || align="right" | 2.173
|-
| align="right" | 12 || {{NLD}} || align="right" | 1.873
|-
| align="right" | 13 || {{AUS}} || align="right" | 1.787
|-
| align="right" | 14 || {{CHE}} || align="right" | 1.216
|-
| align="right" | 15 || {{BEL}} || align="right" | 1.102
|-
| align="right" | 16 || {{RUS}} || align="right" | 1.100
|-
| align="right" | 17 || {{SWE}} || align="right" | 1.071
|-
| align="right" | 18 || {{AUT}} || align="right" | 0.887
|-
| align="right" | 19 || {{BRA}} || align="right" | 0.876
|-
| align="right" | 20 || {{NOR}} || align="right" | 0.782
|}
 
国際連合のシステムは二つの方法で予算をまかなう。
 
国連の[[予算]]は、主に通常予算とPKO予算に分かれている<ref>北岡 (2007: 24)。</ref>。
一つは加盟国からの分担金である。分担金は、国際連合およびその専門機関によって2年毎に評価されて一般会計に繰り入れられる。国際連合は12月決算であり、分担金請求は1月に行われる。通常、30日以内の支払を義務づけられている。国際連合の場合には、総会が一般会計を承認して加盟国ごとに分担金の割合を決定する。分担金の割合は、各国の国民所得に様々な要素を加えて評価されて支払いを行う各国の相対的な負担能力に基づいて計算される。総会は、国際連合が、そのオペレーションの費用を分担するいかなる参加国にも、過度に依存してはならないという原則を決定した。したがって、どの参加国にも分担金の最大額に上限がある。[[2000年]]12月に、総会は、それらを改善するために、評価基準を現在の国際化された経済状況を踏まえて改訂することに合意した。また、下限は0.001%である。
 
通常予算は、2年が単位である。事務総長が提出し、専門家から成る行政予算問題諮問委員会が審査する。そして、総会で承認される(国連憲章17条)。2006年-07年の予算は38億ドルであった。通常予算の主な財源は加盟国からの分担金であり、分担率は専門家から成る分担金委員会の勧告に基づいて、総会が承認する。分担率は基本的に加盟国の支払能力(全世界の[[国民総生産|GNP]]に占める加盟国の割合等)を考慮して決められるが、2000年、いかなる国も分担率の上限を22%とすることが総会で決定された(なお、上限にかかるのはアメリカのみである)。2010年における上位10か国の分担率は右表のとおりである。しかし、多くの加盟国が分担金を滞納しており、国連の財政状況は不安定である。2006年末現在、財政的義務を負う191加盟国のうち分担金を全額支払った国は134か国にとどまり、滞納額は3億6200万ドルに達した<ref>国際連合広報局 (2009: 45-47)。</ref>。例えば、アメリカは、国連の組織と業務に無駄が多いとして、分担金の支払を制限している<ref>北岡 (2007: 25-28)。</ref>。
その合意の一環として、一般会計の分担金の割合の上限は25〜22パーセントに減らされた。アメリカ合衆国は、この上限値で分担金の額が評価される唯一の加盟国である。しかし、米国は数億ドルを滞納している<!--([[アメリカ合衆国]]を参照) 現時点で記述無し-->。また、日本も分担金の支払い遅れが目立つ([[#日本との関係|後述]])。ほかのすべての加盟国の分担金の算定額はそれより低くなっている。2006年に採用された評価の基準の下では、[[2007年]]~[[2009年]]の通常予算への負担国上位は表のとおり。<ref>[http://www.unic.or.jp/know/listm.htm 国連広報センター「国連加盟国と負担率」]</ref>
 
[[平和維持活動|PKO]]予算は、毎年7月1日から1年間を単位とし、総会が承認する。これも加盟国の分担金によってまかなわれるが、通常予算よりも安保理常任理事国の分担率が高く設定されている<ref>国際連合広報局 (2009: 47)。</ref>。額は1990年代以降増加傾向にあり、2009年7月から2010年6月までの1年間の平和維持活動予算は約79億ドルであった<ref>{{Cite web |url=http://unic.or.jp/information/budget/ |title=予算 |publisher=国際連合広報センター |accessdate=2010-11-15 }}</ref>。PKO予算の滞納額も、2006年末で19億ドルに達している<ref>国際連合広報局 (2009: 49)。</ref>。
滞納国は韓国、中国など他に少なくなく、国連の財政難に拍車を掛けている。
 
なお、国連児童基金(ユニセフ)、国連開発計画 (UNDP)、国連難民高等弁務官 (UNHCR) といった諸計画・基金や、専門機関は、それぞれ独立した予算を持っており、各国や個人からの拠出金によって財政をまかなっている<ref>国際連合広報局 (2009: 49)。</ref>。
一般会計に含まれない、[[国際連合児童基金]] (UNICEF)、[[国際連合開発計画]] (UNDP)、[[国際連合人口基金]] (UNFPA)、[[国際連合世界食糧計画]] (WFP) のような特別の国際連合のプログラムは、加盟国の政府からの加盟国の自発的な支払金によって賄われている。2001年には、米国からのそのような支払金がおよそ15億ドルになるだろうと推測される。この多くは、困窮する人々のために寄贈された農産物の形となっているが、大多数は資金による納入となっている。
 
== 活動 ==
=== 軍備管理平和軍備縮小安全の維持 ===
国際の平和と安全の維持は、国連の主要な目的の一つである。国連憲章は、国際の平和及び安全の維持に関する責任を安保理に負わせている(24条)。
1945年の国際連合憲章は、「世界の人間および経済資源の軍事転用の最小化」を保証する規則のシステムを思い描いた。[[核兵器]]の到来は憲章の署名後わずか数週間に来て、軍備制限と[[軍縮]]の概念に即時の推進力を供給した。実際、国際連合総会の第1回会合(1946年[[1月24日]])の第1の決議は、「[[原子力]]の発見によって提起された問題について交渉する委員会の設立」とタイトルをつけられ、「核兵器および大量破壊に繋がる他のすべての主要な武器の国家による武装からの除去」のための特定の提案を行なう委員会で扱われた。
 
国連は、ある国家が侵略等の重大な国際法違反を犯した場合に、国連加盟国が団結して終了させるという[[集団安全保障]]の理念の下に設立され、その手段として後述の国連軍を想定していた。しかし、米ソ冷戦の下、安保理常任理事国の[[拒否権]]に阻まれて国連軍の規定は発動されなかった。それに代わるものとして、[[北大西洋条約機構]] (NATO) や[[ワルシャワ条約機構]]という地域的防衛機構が、国連憲章51条により認められた[[集団的自衛権]]を行使するという集団防衛体制が生まれた。他方で、国連総会は、[[1950年]]11月3日、安保理が「その主要な責任」を果たせない場合に、総会が軍隊の使用を含む集団的措置を勧告でき、24時間以内に緊急特別総会を招集できるとする[[平和のための結集決議]]を採択した。総会決議には安保理決議と異なり拘束力はないものの、今まで度々同決議に基づいて紛争地域における平和維持活動 (PKO) が展開されてきた<ref>明石 (2006: 117-22)。</ref>。
国際連合は、多国間の[[軍縮|軍縮問題]]に取り組むためにいくつかのフォーラムを設立した。主要なものは国際連合総会および国際連合の軍縮会議の委員会であった。 協議事項には、[[核実験]]禁止、宇宙軍備制限、化学兵器を禁止する努力、核と従来の軍縮、核兵器自由地帯、軍事予算の縮小および国際的な[[安全保障]]を強化する手段の考察が含まれる。
 
冷戦が終結した1990年代以降は、後述のとおり、PKOの役割が拡大するとともに、安保理の武力行使容認決議により多国籍軍が結成されることも多く、近年では両者の役割分担・協力関係も見られる。
軍縮に関する会議は、多国間の軍備制限および軍縮協定の交渉のための国際社会によって設立された唯一のフォーラムである。それは、五つの主な核保有国(中華人民共和国、フランス、ロシア、英国および米国)を含む世界の全ての地域を代表する66人のメンバーで構成される。会議が形式的に国際連合の組織でない場合、その会議の事務局長である代理人によって国際連合に関連づけられる。国際連合総会によって採択された決議は、しばしば、特定の軍縮問題を考慮することを会議に要求する。毎年、会議は、国際連合総会にその活動について報告する。
 
==== 平和維持強制措置 ====
安保理は、「平和に対する脅威、平和の破壊、侵略行為」に対し、経済制裁等の勧告をすることができるほか(39条)、[[国際連合憲章第7章|国連憲章第7章]]の下における'''非軍事的強制措置'''として、包括的な[[経済制裁]]や[[禁輸]]措置(武器禁輸、渡航禁止、金融規制)、外交関係の断絶などの制裁をとることができる(41条)<ref>国際連合広報局 (2009: 128)、中谷ほか (2003: 323-24)。</ref>。今まで、[[ローデシア紛争|独立紛争]]に関する対[[南ローデシア]]輸出入禁止(1966年、1968年)、[[アパルトヘイト]]に関する対[[南アフリカ共和国]]武器禁輸(1977年)、クウェート侵攻に関する対イラク経済輸出入禁止(1990年)、内戦における非人道的行為に関する対[[ユーゴスラビア]]輸出入禁止(1992年)、テロ防止への非協力を理由とする対[[リビア]]航空機乗入れ禁止・武器禁輸(1992年)、民主政権移行の不履行を理由とする対[[ハイチ]]輸出入禁止(1993年)などが行われてきた<ref>中谷ほか (2003: 324)。</ref>。もっとも、経済制裁は被制裁国の弱者に大きな経済的打撃を与えるという問題があることから、個人資産の凍結や政府関係者の入国禁止など、エリート層への打撃に的を絞った「スマートな制裁」が提唱されている<ref>明石 (2006: 135-36)、国際連合広報局 (2009: 128-30)、中谷ほか (2003: 326)。</ref>。
{{see|国際連合平和維持活動}}
平和維持は、[[予防外交]]も含めた国際連合の最も重要な任務であり、憲章の冒頭である[[s:国際連合憲章#1|第1条1]]において国際連合の目的として定められている。国際連合が安全保障理事会の決定によって平和の維持・回復のために軍事的措置を含む強制力を用いることは憲章第7章によって許されているが、常任理事国である米ソの対立により冷戦中は安全保障理事会が機能せず、唯一の例外である[[朝鮮戦争]]における国連軍の結成以外、第7章が用いられることはなかった。これに代わる平和維持の手段として、紛争当事者の同意を前提とした最初の平和維持活動が国際連合総会の決議に基づいて行われており、[[1956年]]に勃発した[[第二次中東戦争]]の停戦監視を目的とした国際連合緊急軍(UNEF)の派遣である。これ以降、[[国際連合安全保障理事会|安全保障理事会]]の決議に基づく平和維持活動も行われているが、憲章が予定していた本来の国連軍の結成は依然として行われていない。
 
国連憲章第7章は、非軍事的強制措置では不十分である場合に、安保理は「必要な空軍、海軍または陸軍の行動」をとることができるとしている(42条)。すなわち、'''[[国連軍]]'''の名の下での軍事的行動をとることができる。国連軍は[[軍事参謀委員会]]の指揮下に置かれ(47条)、国連軍創設には、加盟国と国連との間に兵力提供に関する「特別協定」が締結されなければならない(43条)。しかし、現在まで特別協定が締結されたことはないため、本来の意味の国連軍が創設されたことはないといえる。[[朝鮮戦争]]の際、米国軍を中心とした「国連軍」が創設されたが、これは本来の意味の国連軍ではない<ref>中谷ほか (2006: 319-20)。</ref>。
平和維持活動は、各国の分担金によって支えられている。この分担金は通常予算と同様の評価基準によって決定されるが、安全保障理事会(全ての平和維持活動はここで承認される必要がある)の常任理事国である5ヵ国には追加資金が課される。この追加資金は、[[開発途上国|発展途上国]]の平和維持活動分担率を軽減するために用いられる。
 
現在まで、国連軍が創設されなかった代わりに、安保理による'''[[武力行使容認決議]]'''が行われてきた。1990年11月、[[イラク]]の[[クウェート侵攻]]に対し、安保理は、国連憲章第7章の下、イラクが関連諸決議を完全に履行しない場合に「クウェート政府に協力している加盟国に対して……あらゆる必要な手段を行使することを容認する」とする決議([[国際連合安全保障理事会決議678|安保理決議678]])を採択した。同決議に基づいて米国軍を中心に[[多国籍軍]]が編成され、1991年1月から戦闘に入った([[湾岸戦争]])。その後も、1994年に[[ハイチ]]軍政問題に関して、1997年に[[1997年アルバニア暴動|アルバニア暴動問題]]に関して、1999年に[[コソボ紛争]]に、同年と2006年に[[東ティモール紛争]]に、それぞれ多国籍軍の派遣が認められた。一方、2003年3月のアメリカおよびイギリスを始めとする[[有志連合]]による対イラク武力行使([[イラク戦争]])については、一連の安保理決議によって正当化されるかどうかについて各国の意見が分かれた。なお、こうした軍事行動は、参加国の管理の下に置かれるものであり、安保理が設立し事務総長の指揮の下に置かれるPKOとは異なる<ref>国際連合広報局 (2009: 131)、中谷ほか (2003: 320-21)。</ref>。
2000年12月に、国際連合は通常予算と平和維持活動予算の分担率の評価基準を変更した。平和維持活動の評価基準は半年毎に見直されることになった。<!-- and is projected to be near 27% in 2003.が訳せない…何が何の27%?-->米国はこの低減した分担率で平和維持活動分担金を支払うとしており、この分担率での支出に議会の承認を得てから滞納金に充てようとしている。
 
==== 平和維持活動 ====
平和維持活動支出総額は1994年から[[1995年]]にピークに達し、1995年には35億ドル強に及んでいた。2000年に国際連合通常予算と平和維持活動予算から負担した平和維持活動費総額は22億ドル台であった。
国連が行う'''[[国際連合平和維持活動|平和維持活動]]''' (PKO) は、地域的な紛争の悪化を防ぐため、国連の権威の下になされる軍事的活動である。主に安保理決議に基づいて行われるが、総会決議([[平和のための結集決議]])の勧告に基づいて行われることもある。国連憲章上、PKOについて明文の規定はないが、憲章に違反するものではなく、[[国際司法裁判所]]は、1962年の「ある種の経費に関する事件」勧告的意見において、第一次国連緊急軍 (UNEF1) および[[国際連合コンゴ活動|国連コンゴ活動]] (ONUC) の活動経費を国連憲章17条2項にいう「この機構の経費」に該当すると判断した上で、両活動は憲章第7章の強制行動とは性格を異にするとした。PKOは「6章半」であるという言い方をされることもある<ref>中谷ほか (2003: 327-28)。</ref>。
 
1948年、[[第一次中東戦争]]の際、[[パレスチナ]]へ[[国際連合休戦監視機構|国連休戦監視機構]] (UNTSO) が派遣されて国境や停戦ラインの監視を行い、これがPKOの先駆けとなった。続いて1956年、スエズ危機([[第二次中東戦争]])に際して、国連総会決議に基づいて[[第一次国際連合緊急軍|第一次国連緊急軍]] (UNEF I) が派遣されたのが、初の正式なPKOであった。その後もいくつものPKOが紛争地域に派遣されたが、1980年代までの[[冷戦]]下における伝統的なPKOは、軍人による軍事情勢の安定と停戦の監視を目的とするものであり、(1)当事者の合意により設立されること、(2)当事者に対して不偏性と中立を守ること、(3)武力の行使は自衛のために必要な最小限に留めること、というPKO3原則が守られてきた<ref>明石 (2006: 122-23)、国際連合広報局 (2009: 121)、中谷ほか (2003: 328)。</ref>。
[[国際連合平和維持軍]]は[[1988年]]の[[ノーベル平和賞]]を受賞した。また、国際連合も[[2001年]]に同賞を受賞した。
 
[[ファイル:East timor independence un2.jpg|thumb|right|[[東ティモール]]でのPKOに従事するオーストラリア軍兵士(2002年)。]]
様々な平和維持活動への参加に対して国際連合の合意を実現した各国の軍事要員を対象とした栄典として各種の[[国連記章]] (United Nations Medal) がある。国連記章の内、最初のものは[[国連従軍記章]] (United Nations Service Medal) であり、朝鮮戦争に参加した国連軍に与えられた。
1990年前後に米ソ冷戦が終わったころから、PKOは、和平合意が結ばれた後の暫定的期間に、治安の維持、[[選挙]]の組織・監視、[[難民]]の帰還、戦後の復旧・復興などを行うという新しい任務を負わされるようになった。軍人以外に、専門の異なる[[文民]](軍事監視員、文民警察官、行政官、選挙専門家、難民担当官、人権専門家、復旧支援担当官、国連ボランティアなど)が多数参加するようになった。1992年-93年に派遣された[[国際連合カンボジア暫定統治機構|国連カンボジア暫定統治機構]] (UNTAC) や1992年-94年の[[国際連合モザンビーク活動|国連モザンビーク活動]](ONUMOZ) は、このような第二世代PKOの代表例であり、十分な成果を挙げた<ref>明石 (2006: 124-25)、中谷ほか (2003: 329)。</ref>。
 
[[ブトロス・ガリ]]事務総長は、1992年の『[[平和への課題]]』でPKOを「平和執行部隊」として事実上の軍事的強制措置を担わせようとする構想を提案した。これを受けて、1993年-95年の[[第二次国際連合ソマリア活動|第二次国連ソマリア活動]] (UNOSOM II)、1992年-95年旧ユーゴスラビアに展開した[[国際連合保護軍|国連保護軍]] (UNPROFOR)、1993年-96年の[[国際連合ルワンダ支援団|国連ルワンダ支援団]] (UNAMIR) は、いずれも違法行為停止のため自衛を超えて武力行使を行う「戦うPKO」としての任務を負わされた(第三世代PKO)。しかし、任務に見合う予算や兵力が与えられず、また有力国の協力が得られなかった結果、[[ジェノサイド]]などの人道的惨劇を前にしながら、実効的に対処することができなかった<ref>明石 (2006: 125-27)、中谷ほか (2003: 329)。</ref>。これに対して国連内部や加盟国からの反省があり、ガリ事務総長も、1995年の『平和への課題――追補』において、現状ではこうした平和執行型PKOを意図すべきではないと軌道修正した<ref>明石 (2006: 126)。</ref>。1990年代後半からは、PKOは紛争後の後始末という本来の任務を担当し、違法行為の停止は国連憲章第7章の下の多国籍軍が担当するという役割分担が行われるようになり、PKOと多国籍軍との間で協力や任務の引き継ぎなども行われている<ref>中谷ほか (2003: 329)。</ref>。
=== 人権 ===
人権の追求は、国際連合を設立した主要な目的の一つである。第二次世界大戦が残虐行為と虐殺を引き起こしたため、このような悲劇の再発防止は新しい国際機関の任務として当初から合意されていた。初期の目的は、人権侵害の申し立てを吟味し、行動を起こすための法的な枠組みを構築することであった。
 
その後もPKOのあり方については様々な改革が提案されている。事務総長特別代表のラフダール・ブラヒミは、2000年8月の報告において、PKOが十分な抑止能力を備えるために必要な予算・兵力・装備を承認すべきこと、紛争や戦争の後の平和構築活動のために、必要な予算が含まれるべきことなど、PKOの見直しを提言した({{仮リンク|ブラヒミ報告|en|Report of the Panel on United Nations Peacekeeping}})<ref>明石 (2006: 127-29)。</ref>。また、潘基文事務総長の改革提案により、2007年6月事務局にフィールド支援局 (DFS) が設置され、PKOミッションの策定、展開、持続に責任を持つこととなった。同じ事務局にある平和維持活動局 (DPKO) は、戦略的監視や作戦上の政治的指針のような問題に集中することとなった<ref>国際連合広報局 (2009: 125)。</ref>。
国際連合憲章は、加盟国に「人権の普遍的な尊重及び遵守」を促進してこれを達成するために「共同及び個別の行動」をとる義務を課している。世界人権宣言は、法的拘束力はないものの、「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準として」が1948年に国際連合総会において採択された。総会は定期的に人権問題を取り上げている。総会の補助機関である人権理事会は、主に調査と技術的な支援を通じて人権の推進を直接担当する。国際連合人権高等弁務官は、国際連合の全ての人権に関する活動を担当する。
 
==== 軍備管理・軍縮 ====
国際連合とその下部機関は、世界人権宣言に銘記された原則を支持して実施する中心的な存在である。その一つの例は、[[民主制]]へ移行する国々への国際連合による支援である。[[自由]]で公正な[[選挙]]の実施、司法制度の改善、憲法の草案作成、人権担当官の訓練、武装勢力から政党への移行等について国際連合による技術的援助が世界における[[民主化]]に大いに貢献している。また、[[死刑]]制度に対しても否定的な立場を取っている。
国連は、設立当初は、集団安全保障体制の強化に重点を置いており、[[軍備管理]]と[[軍縮]]には消極的であった。しかし、核兵器の時代が国連創設とほぼ同時に到来したこと、集団安全保障体制が機能しなかったこともあって、否応なく対応を迫られてきた。実際、1946年に総会が最初に採択した決議は、核軍縮に関するものであった。国連憲章は、「軍備縮小及び軍備規制を律する原則」等を審議する主な責任を総会に与えている(11条)。毎年、総会の第一委員会においてすべての議題が審議され、数多くの決議が採択されているほか、その下部機関である国連軍縮委員会 (UNDC) が特定の問題を取り上げて審議している。多国間軍縮交渉の常設機関であり、後述のCWCやCTBTの交渉を成功に導いてきた[[ジュネーブ軍縮会議]] (CD) は、国連の枠組みの外にあるが、国連総会の勧告を考慮し、また毎年総会に報告を行う。このほか、国連事務局の軍縮部は、軍縮問題に関する総会の決定を実施する<ref>明石 (2006: 136-38)、国際連合広報局 (2009: 200-03)。中谷ほか (2003: 342)。</ref>。
 
国連が特に優先的な課題としてきたのは、[[大量破壊兵器]]の問題、すなわち(1)核兵器の削減と究極的な廃絶、(2)化学兵器の廃棄、(3)生物兵器禁止の強化であった<ref>国際連合広報局 (2009: 199)。</ref>。(1)'''[[核兵器]]'''の封じ込めの努力は米ソの二国間条約でもある程度進展したが、1968年に [[核拡散防止条約]] (NPT) が国連総会で採択され、最も普遍的な軍縮条約となった。締約国は、国連の関連機関である[[国際原子力機関]] (IAEA) の保障措置を受け入れるよう求められる。しかし、非締約国である[[イスラエル]]、[[インド]]、[[パキスタン]]による核開発問題や、締約国でも核開発疑惑のある[[イラン]]、脱退を表明した[[北朝鮮]]の問題など、条約の実効性が問題となっている。1996年には[[包括的核実験禁止条約]] (CTBT) が加盟国の圧倒的多数により採択され、署名のために開放されたが、まだ発効の目処が立っていない<ref>国際連合広報局 (2009: 203-07)、中谷ほか (2003: 343-45)。</ref>。(2)'''[[化学兵器]]'''に関しては、1997年に[[化学兵器禁止条約]] (CWC) が発効し、国連の関連機関である[[化学兵器禁止機関]] (OCPW) が査察を行っている。(3)'''[[生物兵器]]'''については、[[生物兵器禁止条約]] (BWC) が1972年に署名され、1975年に発効した。同条約には検証機構についての規定がなく、検証や履行確保の方法が課題となっている。2006年の再検討会議で、実施支援班を設置することが決められた<ref>国際連合広報局 (2009: 207-08)、中谷ほか (2003: 345)。</ref>。近年、2001年9月11日の[[アメリカ同時多発テロ事件]]を受けて、大量破壊兵器が非国家主体の手に落ちた場合の危険が認識されるようになり、総会は2002年、[[テロリスト]]が大量破壊兵器とその運搬方法を取得することを防止する措置に関する決議を採択した。また、安保理は、2004年、大量破壊兵器を開発、所有、利用等しようとする非国家主体に対していかなる支援も控えることを全加盟国に義務付けた([[国際連合安全保障理事会決議1540|安保理決議1540]])<ref>国際連合広報局 (2009: 199-200)。</ref>。
国際連合では、[[女性]]が国内の[[政治]]・経済・社会活動に完全に関与する[[権利]]を支援するための議論も行っている。
<!--See also: United Nations Convention on the Abolition of Slavery-->
 
一方、'''通常兵器'''に関しては、[[特定通常兵器使用禁止制限条約]](残忍兵器禁止条約)が国連で採択され1983年に発効したが<ref>{{Cite web |url= http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/arms/ccw/ccw.html |title=特定通常兵器使用禁止制限条約 |publisher=外務省 |year=2007 |accessdate=2010-11-15 }}</ref>、さらに交渉が続けられた結果、[[対人地雷の使用、貯蔵、生産及び移譲の禁止並びに廃棄に関する条約]]が1997年に採択され、1999年に発効した。これにより、[[対人地雷]]の破壊・除去が進んでいる。このほか、国連では、小型武器非合法取引の規制に向けた取組みや、国連通常兵器移転登録制度の設立を行っている<ref>国際連合広報局 (2009: 209-12)。</ref>。
== 国際連合改革 ==
現在、国際連合では安全保障理事会の拡大などの様々な改革が唱えられている。
 
=== 経済社会開発 ===
[[イラク戦争]]では、その機能を果たすことが出来なかったと言ってもいい程に大国同士の意見が分裂して国際連合が二分した。
世界の人々の経済的・社会的福祉の実現は、国連の主要な目的の一つである。そのための開発の必要性、特に[[先進国|先進工業国]]と[[開発途上国]]との格差を埋めることの重要性は、[[1961年]]に始まった数次の[[国連開発の十年]]を機に強く表明されるようになった<ref>国際連合広報局 (2009: 222)。</ref>。[[1995年]]に[[コペンハーゲン]]で行われた[[世界社会開発サミット]]で、国際社会が貧困、失業、社会の崩壊といった問題と戦う必要性が訴えられたのをはじめとして、1990年代には多くの開発関係の世界会議が開催された<ref>国際連合広報局 (2009: 262-63)。</ref>。[[2000年]]9月の特別総会(ミレニアム・サミット)で採択された[[国連ミレニアム宣言]]は、開発の問題に重点を置き、具体的な開発目標を設定した。同宣言と、1990年代の国際会議やサミットで採択された国際開発目標とを統合し、2015年までに達成すべき目標としてまとめたのが'''[[ミレニアム開発目標]]''' (MDGs) である<ref>{{Cite web |url=http://www.undp.or.jp/aboutundp/mdg/ |title=ミレニアム開発目標(MDGs) |publisher=国連開発計画 (UNDP) 東京事務所 |accessdate=2010-11-29}}</ref>。すなわち、(1)極度の貧困と[[飢餓]]を撲滅すること、(2)普遍的な[[初等教育]]を達成すること、(3)[[ジェンダー]]の平等を推進し、女性の地位向上を図ること、(4)[[乳幼児死亡率]]を下げること、(5)[[妊産婦]]の健康を改善すること、(6)[[HIV]]/[[エイズ]]、[[マラリア]]、その他の病気と戦うこと、(7)環境の持続可能性を確保すること、(8)開発のためのグローバル・パートナーシップを推進することが目標とされた<ref>国際連合広報局 (2009: 222-24)。</ref>。
 
国連機関の経済社会活動を調整する主要な機関は[[国際連合経済社会理事会|経済社会理事会]]であり、その諮問機関として、専門家から成る[[国際連合開発政策委員会|開発政策委員会]]が置かれている。事務局では、経済社会局が経済社会政策の分析・調整等を行っている。[[国際連合開発計画|国連開発計画]] (UNDP) は、開発途上国の開発を担当する機関であり、2005年に国連システムが開発援助活動に費やした金額は137億ドルであった<ref>国際連合広報局 (2009: 225-26)。</ref>。
日本やドイツ、インド、ブラジルなどは、第二次世界大戦後、変革することのなかった安全保障理事会の改革を主張し、今のままでは時代に適応していないとして発展途上国枠も設けるなど常任理事国の拡大を唱えている。しかしながら、ライバル国の常任理事国入りを警戒しているイタリアなどの国は、一連の国際連合改革に反対している。国際連合改革反対派の国々は『[[コーヒークラブ]]』と呼ばれている。
 
; [[経済開発]]
一方、カナダ等は、そもそも安全保障理事会の権限が強すぎる事に問題があるとして国際連合総会の権限強化を唱えている。現在では200ヵ国近くが加盟する国際連合の重大な方針を安全保障理事会の15ヵ国のみで決め、なおかつ、そのうちの5ヵ国に権限が集中している現状に不満を持つ国々からは一定の支持を受けている。
: 貧困の削減については、特に[[後発開発途上国]] (LDC) 50か国への経済的支援が重要な課題である。1970年、総会は[[政府開発援助]] (ODA) の目標を[[国民総生産|GNP]](後に[[国民総所得|GNI]])の0.7%と定めたが、1990年代にODAは急減し、2002年[[メキシコ]]の[[モンテレー]]で開かれた国連開発資金国際会議でこれを増加することが合意された。2006年、[[開発援助委員会]] (DAC) 加盟国におけるODA額は、GNI合計額の0.3%に当たる1039億ドルとなっている<ref>国際連合広報局 (2009: 228-29)。</ref>。国連機関の中では、[[国際連合開発計画|国連開発計画]] (UNDP) がミレニアム開発目標の達成のため各国への政策助言等を行っているほか、[[世界銀行]]グループ、[[国際通貨基金]] (IMF)、[[国際連合貿易開発会議|国連貿易開発会議]] (UNCTAD) といった諸機関が、政策アドバイス、技術提供、資金提供([[融資]]等)を行っている。
 
; 社会開発
2006年3月15日、国際連合総会は、国際連合人権委員会を再編強化した'''国際連合人権理事会'''の創設決議案を可決した。この改組案は、[[コフィー・アナン]]国際連合事務総長が国際連合改革の一環として提唱してきたものである。
: 国連は健康、教育、家族計画、住宅、衛生に関する各国政府の努力を支援してきた。飢餓との戦いでは[[国際連合食糧農業機関|国連食糧農業機関]] (FAO) や[[世界食糧計画]] (WFP)、教育に関しては[[国際連合教育科学文化機関|国連教育科学文化機関]](ユネスコ)、健康に関しては[[国際連合児童基金|国連児童基金]](ユニセフ)、[[国際連合人口基金]] (UNFPA)、[[世界保健機関]] (WHO) など、多くの機関がこの分野に関わっている。
 
; [[持続可能な開発]]
== 日本との関係 ==
: 国連は開発によってもたらされる[[環境問題]]にも取り組んでいる。[[1972年]]に[[ストックホルム]]で開かれた[[国際連合人間環境会議|国連人間環境会議]]の終了後、[[国際連合環境計画|国連環境計画]] (UNEP) が設立された。UNEPは、世界の環境状況を評価し、1983年、総会は世界環境開発委員会を設置し、同委員会は1987年の報告の中で持続可能な開発という概念を提唱した。それを踏まえた総会の要請により、[[1992年]]、[[リオデジャネイロ]]で[[環境と開発に関する国際連合会議]](地球サミット)が開かれ、地球規模の行動計画として[[アジェンダ21]]が採択された。それを受けて、総会は、同年、持続可能な開発委員会を設置した。[[2002年]]には、アジェンダの実施状況を点検するため[[ヨハネスブルク]]で[[持続可能な開発に関する世界首脳会議]]が開かれ、持続可能な開発に関するヨハネスブルク宣言が採択された。国連機関の中では、UNEPのほか、[[世界気象機関]] (WMO)、両機関が設立した[[気候変動に関する政府間パネル]] (IPCC) などが、[[地球温暖化]]、[[砂漠化]]、[[生物多様性]]、[[酸性雨]]、有害廃棄物・化学物質、海洋汚染、水資源、エネルギー、[[放射能]]など、数々の環境問題に携わっている<ref>国際連合広報局 (2009: 316-349)。</ref>。
=== 歴史 ===
日本は、[[サンフランシスコ講和条約]]が発効して主権が回復した[[1952年]]に加盟申請をした。しかし、[[冷戦]]の最中であり、[[ソビエト連邦|ソ連]]など[[社会主義]]諸国の反対によってなかなか実現しなかった。[[1956年]]10月の[[日ソ共同宣言]]とソ連との国交回復によってこの障害がなくなったため、同年12月12日の[[国際連合安全保障理事会決議121|安保理決議121]]での承認勧告の後、[[12月18日]]の総会における全会一致の承認でもって80番目の加盟国として国際連合に加盟した<ref>[http://www.archives.go.jp/ayumi/kobetsu/s32_1956_04.html 国立公文書館-国際連合憲章及び国際司法裁判所規程・御署名原本・昭和三十一年・第一五巻止・条約第二六号]</ref>。
 
=== 人権 ===
以降、経済社会理事会の理事国を[[1960年]]以来14期([[1982年]]以降は連続して再選)務めた他、安全保障理事会の[[非常任理事国]]に最多の10回選出される(10回目の任期は[[2009年]]1月から2年間)など、積極的に貢献している。
[[人権]]の国際的な保障は、国連の主要な使命の一つである。国連憲章においては、前文で「基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女……の同権とに関する信念」をうたっており、第1条でも「人種、性、言語または宗教による差別なくすべての者のために人権及び基本的自由を尊重するように助長奨励すること」を国連の設立目的の一つとしている。この目的を達成するため、加盟国は国連と協力して「共同及び個別の行動をとることを誓約」するものとされた(55条c、56条)。また、経済社会理事会の補助機関として「人権の伸長に関する委員会」を設けることとされた(68条)。これは、[[ナチス]]ドイツをはじめとする[[全体主義]]国家による人権弾圧を踏まえて、人権の国際的な保障が必要と考えられたことなどによる<ref>中谷ほか (2006: 215-16)。</ref>。
 
1946年、国連憲章68条に基づいて、経社理の補助機関として[[国際連合人権委員会|国連人権委員会]]が設立され、憲章の人権規定を具体化する作業に着手した。その結果、[[1948年]]12月10日、国連総会は、「すべての人民にとって達成すべき共通の基準」として、'''[[世界人権宣言]]'''を採択した。同宣言は30条から成り、「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利において平等である」と述べた上(1条)、各種の[[自由権]]、[[社会権]]について規定している。ただし、総会決議であるため、国家に対する法的拘束力を持たないことを前提としていたことから、国連人権委員会は続いて条約化の作業を進めた<ref>中谷ほか (2006: 216-17)。</ref>。
日本の外交の中軸は「[[日米安全保障条約]]」(いわゆる「日米同盟」)と「国際連合中心主義」の二本立てであり、国際連合を中心として多国間外交を行ってきている。日本の国際的な安全保障は、国際連合の集団安全保障体制に依存している。[[日本国憲法第9条]]に、国際連合憲章の集団安全保障と同じ概念が盛り込まれているのかについては、論議が長く続いている。
 
[[1966年]]、総会は、{{仮リンク|経済的、社会的、文化的権利に関する国際規約|en| International Covenant on Economic, Social and Cultural Rights |label=社会権規約}}、{{仮リンク|市民的、政治的権利に関する国際規約|en| International Covenant on Civil and Political Rights |label=自由権規約}}、自由権規約の選択議定書という三つの条約から成る'''[[国際人権規約]]'''を採択した。社会権規約は1976年に発効し、現在156か国が加入している。自由権規約も1976年に発効し、現在160か国が加入している<ref>国際連合広報局 (2009: 355-58)。</ref>。両規約は、[[民族自決権]]、天然の富及び資源に対する権利について規定しており(両規約1条1項、2項)、個人の人権だけを規定した世界人権宣言と異なる。また、個人の人権についても、世界人権宣言より詳細な規定を設けており、人権の国際的保障の仕組みにおいて、最も重要な役割を果たしている<ref>中谷ほか (2006: 217-19)。</ref>。1989年には、自由権規約の第二選択議定書(死刑廃止条約)が採択され、現在109か国が締約している<ref>国際連合広報局 (2009: 356)。</ref>。
日本は国際連合の中で一定の信頼を得ている。これには、<!--軍事力ではなく経済的な成功によって大国となったこと、-->大国が自国の都合で国際連合を軽視する事例がある中、協調の姿勢で国際連合を重視し、国際的な機構に多く参加して来たことや、国際連合を財政面から支えている国の一つとなっていることなどがその背景にある。
 
そのほか、国連の枠組みの中で、個別的な人権の保障を目的として、以下のものを含め約80件の条約・宣言が採択されている<ref>国際連合広報局 (2009: 358-)、中谷ほか (2006: 219)。</ref>。
現在、国際連合の通常予算のうち約16.6%が日本の負担である。この他の国際連合の機関にも日本は資金を提供している。この多額の分担金に対して、日本国内に費用(分担金)と効果(国益)の具体的な検証が必要であるという主張が根強くある。なお、国連予算の分担金には、国際連合の行動の中立性を保つため、特定の国が突出しないように上限が設けられている。詳細は「[[#財政|財政]]」の節を参照。
* [[集団殺害罪の防止および処罰に関する条約]](ジェノサイド条約、1948年)
* [[難民の地位に関する条約]](1951年)
* [[あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約]](1966年)
* [[女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約]](1979年)
* [[拷問等禁止条約|拷問およびその他の残虐な、非人道的なまたは品位を傷つける取扱いまたは刑罰を禁止する条約]](1984年)
* [[全ての移住労働者及びその家族の権利の保護に関する国際条約]](1990年)
* [[強制失踪防止条約|すべての人の強制的失踪からの保護に関する国際条約]](2006年)
* [[障害者の権利に関する条約]](2006年)
 
[[1993年]]、[[ウィーン]]で開かれた第2回[[世界人権会議]]が契機となって、長年提唱されていた'''[[国際連合人権高等弁務官事務所|国連人権高等弁務官]]'''の設置が実現した。その任務は、人権の促進・保護、助言的サービスの提供、人権侵害に対する緊急の対応、侵害予防など、広範にわたる<ref>中谷ほか (2006: 224)。</ref>。人権高等弁務官事務所 (OHCHR) は、後述の人権理事会などの人権機関の事務局を務める<ref>国際連合広報局 (2009: 366)。</ref>。
日本国内の一部には、日本の財政的な負担に比べて日本人の国連職員の割合が少ないという声がある。しかし、分担金は加盟国の経済力(GNPや国民所得など)を基に算出されるため日本人職員数とは比例しない。職員数は国連の求人に応募した人数と関係が深い。日本人職員数の少なさに関しては、国際連合職員と日本国内の公務員などとの給与の格差、日本人の語学力不足などが原因としてあげられている。
一方で、国際連合の幹部職員として活躍する日本人も少なくない。
 
また、[[2006年]]、国連人権委員会を発展させる形で'''[[国際連合人権理事会|国連人権理事会]]'''が設置された。理事会は、総合的な政策ガイダンスを提供するとともに、人権問題に関する研究、新しい国際規範の発展、人権順守の監視などを行う<ref>国際連合広報局 (2009: 363-65)。</ref>。
==== 主な日本人職員 ====
カッコ内は、歴任した主な役職。
* [[中島宏]](世界保健機関事務局長)
* [[明石康]](国際連合広報担当事務次長、同軍縮担当事務次長、カンボジア担当事務総長特別代表、旧ユーゴスラビア担当事務総長特別代表、国際連合人道問題担当事務次長など。)
* [[緒方貞子]]([[国際連合難民高等弁務官]])
* [[大島賢三]](国際連合人道問題担当事務次長)
* [[桑原幸子]]([[バーゼル条約]]事務局長)
* [[池上清子]](国連人口基金東京事務局長)
* [[吉田康彦]]([[国際原子力機関]]広報部長・世界保健機関事務局長顧問)
* [[山本草二]]([[国際海洋法裁判所]]裁判官)
* [[小和田恒]](国際司法裁判所裁判官)
* [[松浦晃一郎]]([[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]事務局長)
* [[内海善雄]]([[国際電気通信連合]]事務総局長)
* [[阿部信泰]](軍縮問題担当事務次長)
* [[長谷川祐弘]](東ティモール担当事務総長特別代表)
* [[天野之弥]] (国際原子力機関 事務総長)
 
=== 現在人道援助 ===
[[ファイル:UNHCR in Kenya.jpg|thumb|right|240px|[[ケニア]]で救援活動を行う[[国際連合難民高等弁務官事務所|UNHCR]]職員ら(2006年)。]]
<!--(常任理事国入りの問題)
[[自然災害]]や、紛争を含む人為的災害により大規模な被害が生じた場合、国連機関は緊急援助や長期援助を提供してきた。
 
人道援助の主体となるのは、主に[[国際連合児童基金|国連児童基金]](ユニセフ)、[[世界食糧計画]] (WFP)、[[国際連合難民高等弁務官事務所|国連難民高等弁務官]] (UNHCR) の3機関である。ユニセフは、水と衛生施設のような基礎サービスの再建や、学校の再開を支援し、また[[予防接種]]・医薬品の提供などを行う。2006年にユニセフは53件の緊急事態に関して人道援助を行い、その額は5億300万ドルを超えた。WFPは、国内避難民、[[難民]]、[[エイズ]]孤児、紛争や自然災害([[洪水]]、[[旱魃]]など)の犠牲者らに対して食糧等の援助を行っている。2006年には78か国で約8800万人に食糧援助を行った<ref>国際連合広報局 (2009: 389, 393-94)。</ref>。UNHCRは、[[難民の地位に関する条約]](1951年)、同議定書(1967年)に基づき、難民の基本的人権が尊重されるようにし、いかなる者も強制的に送還されないようにする。また、大量の難民の移動に伴う緊急事態の際の援助や、教育・保健・住居の援助、帰還・統合・第三国での再定住などの支援を行う。さらに、近年は条約に定められた難民だけでなく、国内避難民、元難民、[[無国籍者]]、[[庇護請求者]](難民の認定を申請したがまだ結論が出ていない人々)など、広義の難民に対する緊急人道支援も行っている<ref>国際連合広報局 (2009: 399-402)、中谷ほか (2003: 225-27)。</ref>。なお、[[パレスチナ難民]]については[[国際連合パレスチナ難民救済事業機関|国連パレスチナ救済事業機関]] (UNRWA) が支援を行っている<ref>国際連合広報局 (2009: 404)。</ref>。
-->日本は、[[2004年]]から[[2006年]]にかけて、安全保障理事会の[[常任理事国]]となることを目指して国際社会に強く働きかけたが、今後も実現の見込みは極めて難しい。
 
このほか、[[国際連合食糧農業機関|国連食糧農業機関]] (FAO) は、防災情報や世界の食料情勢に関する最新の情報を提供し、また、農業生産の回復と復興の支援を行う。[[世界保健機関]] (WHO) は、栄養・[[伝染病]]の監視、[[エイズ]]を含む[[感染症]]の予防、[[予防接種]]、薬品や医療器具の管理、性と生殖の健康、精神の健康など、被災者の保健に関する情報を収集・提供し、緊急援助計画を実施する。[[国際連合人口基金|国連人口基金]] (UNFPA) は、混乱時にしばしば発生する妊娠に関する死亡、[[性的暴力]]などに対応し、リプロダクティブ・ヘルスを保護する。[[国際連合開発計画|国連開発計画]] (UNDP) は、自然災害の緩和、予防、事前対策などの活動を調整するほか、元戦闘員の動員解除、地雷除去、難民・国内避難民の帰還と再統合、政府機関の復旧などの計画も支援する<ref>国際連合広報局 (2009: 396-98)。</ref>。
日本はかねてから常任理事国となることを望んでいた。その理由として、国際社会での発言力の強化がよく言われる。大国の一つである日本は、世界の安全保障に無関心・無責任ではいられない。それに、多くの国と経済関係を持ち、食料や原料などを輸入に頼り、工業製品などを輸出する大貿易国である日本にとって、世界の平和と安定は国民の生活や経済に直結する重要事である。また、[[非常任理事国]]は投票で決めるため、選挙の度に運動費や支持の見返りの援助などで多額の資金が必要となり、財政的に大きな負担となっている現実もある。
 
複雑な緊急事態に対しては、政府や[[非政府組織]] (NGO)、国連の諸機関が同時に対応を図ることから、これらの主体が行う援助活動を調整し、一貫した救援の仕組みを作るため、国連事務局に国連緊急援助調整官が率いる[[国際連合人道問題調整事務所|国連人道問題調整事務所]] (OCHA) が置かれている。24時間の監視警戒態勢を有し、自然災害等の緊急事態が発生すると12時間から24時間以内に国連災害評価調整チームを派遣することができる。また、OCHAは2006年、緊急事態に対する融資機構として{{仮リンク|国際連合中央緊急対応基金|en| Central Emergency Response Fund |label=国連中央緊急対応基金}}(CERF) を発足させた<ref>国際連合広報局 (2009: 389-93)。</ref>。
日本は2008年度で国連分担金の16.624%を負担しており、米国に次ぐ2位である。2000年度には20.573%に達していた。日本側は過大な負担と見ており、2001年度からは19.468%、2007年度から現行の割合になったが、それでも米国に次ぐ負担であることに変わりはない。日本は常任理事国入りが実現しなかったことを理由に2005年10月17日、[[小沢俊朗]]国連三席大使が国連総会第5委員会(行政・予算)「安全保障理事会の5常任理事国の4か国(英仏中露)を足しても、その地位を拒否された一加盟国より財政負担が少ない。こうした現状を続けることが許されるのか」と批判するなど不満を表明し、中国、ロシアなどの負担増を求めた。中国、ロシアや発展途上国などは反発したが、結局算定方法は変わらなかった。しかし、日本の経済力が落ちたためもあり、2007年度から大きく負担割合が下がった<ref>[http://www.mofa.go.jp/mofaj/comment/q_a/topic_5.html 外交政策Q&A 国連分担金]</ref>。
 
== 国際連合改革 ==
日本にも国連分担金の滞納は見られ、3~8ヶ月遅れての完納になっている。これは財政難からではなく、為替を見て支払い時期調整を行っているためと言われる。2003年度は1年2ヶ月後の翌年3月であった<ref>[[河辺一郎]] [http://www.geocities.jp/kawabe_ichiro/column/200412.html 「日本が滞納する理由」、『軍縮問題資料』2004年12月号]</ref>(ちなみに各国分担金のうち、米国は約30%、中国は約65%、韓国は約85%を滞納し続けている。各国とも支払い自体を拒否しているわけではないが、完納の目処は立っていない。)。
国連は、1945年の設立から半世紀を経過したころから、新たな時代状況に対応した国連組織の抜本的改革を求める動きが強まってきた。その中でも(1)'''[[国際連合安全保障理事会改革|安全保障理事会改革]]'''が最大の争点であり、そのほか(2)'''[[旧敵国条項]]'''の削除問題、(3)信託統治理事会の改編問題などがある<ref>中谷ほか (2006: 68)。</ref>。これらの改革には国連憲章の改正が必要である。
 
日本の課題として、憲法9条によって国外での武力行使ができないため、現在の常任理事国5国に比べ、国際紛争などへの影響力や強制力、介入の経験などが弱いという見方がある。また、戦後の日本の外交をアメリカへの追従と見なしている国もあり、「独自の態度を示せない日本が常任理事国になったところで、アメリカが常に2票持つ事になるだけ」と批判する声もある。
 
その一方、日本も平和維持活動に限定的にであるが参加しており、資金面での援助もしている。また、[[核兵器]]の不保持を国是とし、他の大国の多くと違って武力を用いない独自の姿勢が、日本への信頼に繋がっているとする意見もある。特に、紛争後に文民を派遣して当事国の政治・経済の安定を図り、経済援助や技術協力などによって安全圏のインフラの整備をするといった武力を伴わない独自の復興支援は、他の国が後手に回すことを精力的に行ってるとして高く評価されている。一方で「危険を伴う軍事面・治安面での貢献を優先することは大国の義務であるのに、日本は金を出して血は流さない卑怯なやり方」あるいは「皆で決めたことなのに治安維持を他国軍に丸投げした上に日本だけが安全圏でのみ活動を行うことは、現地の反体制派(テロリストなど)の敵意を買いたくないがゆえの責任逃れ」だと批判的に見る見解もある。
 
2004~6年の常任理事国加入運動では、日本と同様に常任理事国入りを強く望んできたドイツや、近年急速に経済力をつけてきたブラジル・インドと協力関係を築き、4国同時の加入を主張して各国へ働きかけた。しかし、これらの国の加入により自国の主張・利益を侵されることを恐れる国々は、加入阻止の[[ロビー活動]]を始めた。日本には大韓民国・中国が、ドイツにはイタリアが、ブラジルにはアルゼンチンが、インドにはパキスタンが、それぞれ強力な反対運動を展開した。アメリカは、当初どの国の加入も認めないと主張していたが、後に日本のみ加入を認めると公言した(4ヵ国の結束を崩すため、あるいはイラク戦争協力への見返りとする意見もある)。フランスはドイツの加入を応援していたが、結論が出る間際になって日本の加入も認めた(この頃はすでに4ヵ国の加入の見込みがなくなっていたため、恩を売りにきたとの見方もある)。
 
安保理は、現在、常任理事国5か国、非常任理事国10か国(発足時は6か国、1965年に増加)の合計15か国から成り、常任理事国のみ拒否権を有する。しかし、国連加盟国数が設立時の51か国から190か国以上まで増大したこと、[[日本]]の国連分担率が常任理事国である英仏ロ中の4か国合計の分担率を上回るなど財政負担の偏りが生じていることから、安保理の拡大を求める声が高まった<ref>中谷ほか (2006: 68)。</ref>。1995年、有識者から成る「グローバル・ガバナンス委員会」が[[ダボス会議]]で国連改革の提言をまとめた報告書を発表した。そこでは、5か国(先進国から2か国、発展途上国から3か国)を拒否権なしの「常勤理事国」とし、非常任理事国を3か国程度増やし、合計23か国で安保理を構成するとの案が示された。
しかし、現在は、国際連合改革の遅れによって4ヵ国の加入問題は棚上げとなっている。
 
1997年3月、総会議長{{仮リンク|ラザリ・イスマイル|en|Razali Ismail}}は、同委員会案を下敷きにしながら、常任理事国を5か国(先進国2か国、途上国3か国)、非常任理事国4か国増やし、新規の常任理事国には拒否権を与えない、旧敵国条項は廃棄するといった内容の改革案を各国に提示した('''ラザリ案''')。その新規常任理事国は、先進国からは[[日本]]と[[ドイツ]]、途上国からは[[インド]]、[[ブラジル]]及びアフリカの1国となることが暗黙の了解であった。
[[2004年]]、[[コフィー・アナン]]が国際連合の事務総長として初めて日本を訪れた。アナンは[[国会]]で演説を行ない、日本の[[自衛隊イラク派遣]]や支援策を高く評価するとともに、[[北朝鮮による日本人拉致問題]]にも言及した。これは、イラク問題において国際連合を軽視して独走するアメリカへの牽制とみられている。
 
しかし、[[イタリア]]のフルチ国連大使が、ドイツの常任理事国入りを阻止するため、[[韓国]]、[[パキスタン]]、[[インドネシア]]、[[メキシコ]]、[[アルゼンチン]]などを集めて「フルチ・コーヒークラブ」と呼ばれるグループを結成し、これに[[非同盟諸国]]も加えて、1997年12月ラザリ案を棚上げに持ち込んだ<ref>吉田 (2003: 84-86)。</ref>。2000年9月の[[ミレニアム宣言]]では、安保理改革実現のための努力の強化が記されるにとどまった<ref>中谷ほか (2006: 68)。</ref>。
なお、[[2002年]]9月に東ティモールとスイスが加盟したことにより、日本国政府が承認している国の中で未加盟なのは[[バチカン市国]]のみだった(バチカン市国は国際連合にオブザーバーを派遣している)が、2008年3月に日本政府が[[コソボ]]を国家承認したのに伴いコソボ共和国もこれに該当することとなった。
 
その後、[[コフィー・アナン|アナン]]事務総長が2003年9月に安保理改革の再開を提唱したことによりハイレベル委員会が設置された。同委員会が2004年12月に提出した報告書では、次の2案が提示された。
== 旧敵国条項 ==
* 常任理事国を6か国、非常任理事国を3か国増員して安保理構成国を24か国とする案(モデルA)
{{main|敵国条項}}
* 任期4年で再選可能な準常任理事国を8議席新設し、非常任理事国を1か国増やす案(モデルB)
国際連合憲章には、「第二次世界大戦中にこの憲章の署名国の敵であった国」を「敵国」とする、いわゆる旧敵国条項(77条、107条)があり、敵国の行動に対する署名国の行動を規定する条項(53条)がある。この「敵国」(旧敵国)が具体的にどの国にあたるのか、憲章は定めていない。この点について日本政府は、旧敵国が「日本、ドイツ、イタリア、ルーマニア、ハンガリー、ブルガリア、フィンランド」の7ヶ国、つまり51の原署名国に含まれるアメリカ・イギリス・中国・ロシア・フランス・オランダの敵であった国を指すと解している<ref>2006年(平成18年)4月6日、第164国会(通常会)の参議院外交防衛委員会における[[麻生太郎]][[外務大臣 (日本)|外務大臣]]の答弁。</ref>。
しかし、中国・韓国がモデルAに反対し、日本とアフリカ諸国との連携・調整も順調に進まなかった結果、2005年9月の総会では、安保理改革の具体案の決定は先送りされた<ref>明石 (2006: 17-18)、中谷ほか (2006: 68-69)、吉田 (2003: 86-87)。</ref>。旧敵国条項については、「国連憲章第53条、第77条および第107条における『敵国』への言及を削除することを決意する」との総会決議が採択された<ref>北岡 (2007: 61)。</ref>。また、アナン事務総長は、そのほかに総会改革、[[国際連合人権委員会|人権委員会]]の人権理事会への格上げ、{{仮リンク|平和構築委員会|en|Peacebuilding Commission}} (PBC) の設置などの機構改革を提言していたが、そのうち人権委員会と平和構築委員会の設置が2005年の総会で決定された<ref>明石 (2006: 18)、北岡 (2007: 51-52)。</ref>。
 
== 加盟国 ==
国際連合憲章は、2条で加盟国平等の原則を規定し、また4条では加盟国は平和愛好国であると規定していることから、加盟した段階で旧敵国条項の適用を受けることはなくなり、上記7ヶ国が全て加盟した段階で旧敵国条項は当然に死文化したと解釈されている。しかし、日本やドイツでは、旧敵国条項を憲章から削除すべきであると主張され、活発な外交が展開された。その結果、1995年には国際連合総会決議によって、旧敵国条項は死文化しており、その削除のための憲章改正手続を、最も至近の適当な時期に開始する旨の決定がなされた。ただ、実際の憲章改正については、常任理事国の拡大なども含めた抜本的な見直しが併せて進められたため、2008年に至るも実現していない。
{{Main|国際連合加盟国}}
国連への加盟は、[[国際連合憲章|国連憲章]]に掲げる義務を受諾し、かつ国連によってこの義務を履行する意思と能力があると認められるすべての平和愛好国に解放されている。加盟は、安保理の勧告に基づいて総会が承認する(憲章4条)。憲章には加盟国の資格停止・除名の規定があるが、これまでこれらが発動されたことはない<ref>国際連合広報局 (2009: 27)。</ref>。
 
ほとんどの加盟国が、国連における意思決定に参加するため、[[政府代表部|国連代表部]]を置いている。その長である[[外交官]]を{{仮リンク|常駐代表|en|Permanent Representative}}といい、それに次ぐ者を次席代表という<ref>北岡 (2007: 13)。</ref>。なお、[[国連大使]]は常駐代表と同義ではなく、次席代表を含め複数の外交官が大使として任命されている場合がある。アメリカは5名、日本・韓国は3名、イギリスは2名の国連大使を派遣している<ref>北岡 (2007: 14)。</ref>。
== 国際連合加盟国 ==
 
''詳細は[[国際連合=== 現在までの加盟国]]へ ===
[[ファイル:United Nations member countries world map.PNG|center|thumb|750px|加盟国の変遷]]
2010年現在、国連加盟国は192か国である<ref name="quick facts" />。設立から現在までの加盟国は以下のとおりである(常任理事国は'''太字''')<ref>国際連合広報局 (2009: 521-23)。</ref>。
(常任理事国は'''太字''')
<div class="small">
 
{| class="wikitable"
*1945年:[[アルゼンチン]]、[[オーストラリア]]、[[ベルギー]]、[[ボリビア]]、[[ブラジル]]、[[ベラルーシ]]([[白ロシア・ソビエト社会主義共和国]])、[[カナダ]]、[[チリ]]、'''[[中華民国]]'''、[[コロンビア]]、[[コスタリカ]]、[[キューバ]]、[[チェコスロバキア]](現在はなし)、[[デンマーク]]、[[ドミニカ共和国]]、[[エクアドル]]、[[エジプト]]、[[エルサルバドル]]、[[エチオピア]]、'''[[フランス]]'''、[[ギリシャ]]、[[グアテマラ]]、[[ハイチ]]、[[ホンジュラス]]、[[インド]]、[[イラン]]、[[イラク]]、[[レバノン]]、[[リベリア]]、[[ルクセンブルク]]、[[メキシコ]]、[[オランダ]]、[[ニュージーランド]]、[[ニカラグア]]、[[ノルウェー]]、[[パナマ]]、[[パラグアイ]]、[[ペルー]]、[[フィリピン]]、[[ポーランド]]、[[ロシア]]('''[[ソビエト連邦]]''')、[[サウジアラビア]]、[[南アフリカ共和国]]、[[シリア]]、[[トルコ]]、[[ウクライナ]]、'''[[イギリス]]'''、'''[[アメリカ合衆国]]'''、[[ウルグアイ]]、[[ベネズエラ]]、[[ユーゴスラビア]](現在はなし)
! 年 !! 加盟国 !! 備考 || 国数
*1946年:[[アフガニスタン]]、[[アイスランド]]、[[スウェーデン]]、[[タイ王国|タイ]]
|-
*1947年:[[パキスタン]]、[[イエメン]]
! 1945年<br/>(原加盟国)
*1948年:[[ミャンマー]](当時の呼称はビルマ)
| style="width:75%"| [[アルゼンチン]]、[[オーストラリア]]、[[ベルギー]]、[[ボリビア]]、[[ブラジル]]、[[ベラルーシ]]([[白ロシア・ソビエト社会主義共和国]])、[[カナダ]]、[[チリ]]、'''[[中華民国]]'''、[[コロンビア]]、[[コスタリカ]]、[[キューバ]]、[[チェコスロバキア]](現在はなし)、[[デンマーク]]、[[ドミニカ共和国]]、[[エクアドル]]、[[エジプト]]、[[エルサルバドル]]、[[エチオピア]]、'''[[フランス]]'''、[[ギリシャ]]、[[グアテマラ]]、[[ハイチ]]、[[ホンジュラス]]、[[インド]]、[[イラン]]、[[イラク]]、[[レバノン]]、[[リベリア]]、[[ルクセンブルク]]、[[メキシコ]]、[[オランダ]]、[[ニュージーランド]]、[[ニカラグア]]、[[ノルウェー]]、[[パナマ]]、[[パラグアイ]]、[[ペルー]]、[[フィリピン]]、[[ポーランド]]、[[ロシア]]('''[[ソビエト連邦]]''')、[[サウジアラビア]]、[[南アフリカ共和国]]、[[シリア]]、[[トルコ]]、[[ウクライナ]]、'''[[イギリス]]'''、'''[[アメリカ合衆国]]'''、[[ウルグアイ]]、[[ベネズエラ]]、[[ユーゴスラビア]](現在はなし) ||
*1949年:[[イスラエル]]
|style="text-align:right" | 51
*1950年:[[インドネシア]]
|-
*1955年:[[アルバニア]]、[[オーストリア]]、[[ブルガリア]]、[[カンボジア]]、[[フィンランド]]、[[ハンガリー]]、[[アイルランド]]、[[イタリア]]、[[ヨルダン]]、[[ラオス]]、[[リビア]]、[[ネパール]]、[[ポルトガル]]、[[ルーマニア]]、[[スペイン]]、[[スリランカ]]
! 1946年
*1956年:[[日本]]、[[モロッコ]]、[[スーダン]]、[[チュニジア]]
| [[アフガニスタン]]、[[アイスランド]]、[[スウェーデン]]、[[タイ王国|タイ]] ||
*1957年:[[ガーナ]]、[[マレーシア]]
|style="text-align:right" | 55
*1958年:[[ギニア]]
|-
*1960年:[[ベナン]]、[[ブルキナファソ]]、[[カメルーン]]、[[中央アフリカ]]、[[チャド]]、[[コンゴ共和国]]、[[コートジボワール]]、[[キプロス]]、[[ガボン]]、[[マダガスカル]]、[[マリ共和国|マリ]]、[[ニジェール]]、[[ナイジェリア]]、[[セネガル]]、[[ソマリア]]、[[トーゴ]]、[[コンゴ民主共和国]]
! 1947年
*1961年:[[モーリタニア]]、[[モンゴル国|モンゴル]]、[[シエラレオネ]]、[[タンザニア]]
| [[パキスタン]]、[[イエメン]] ||  
*1962年:[[アルジェリア]]、[[ブルンジ]]、[[ジャマイカ]]、[[ルワンダ]]、[[トリニダード・トバゴ]]、[[ウガンダ]]
|style="text-align:right" | 57
*1963年:[[ケニア]]、[[クウェート]]
|-
*1964年:[[マラウイ]]、[[マルタ]]、[[ザンビア]]
! 1948年
*1965年:[[ガンビア]]、[[モルディブ]]、[[シンガポール]]
| [[ミャンマー]](当時の呼称はビルマ) ||
*1966年:[[バルバドス]]、[[ボツワナ]]、[[ガイアナ]]、[[レソト]]、(前年に脱退したインドネシアが再加盟)
|style="text-align:right" | 58
*1967年:[[南イエメン]](現在はなし)
|-
*1968年:[[赤道ギニア]]、[[モーリシャス]]、[[スワジランド]]
! 1949年
*1970年:[[フィジー]]
| [[イスラエル]] ||  
*1971年:[[バーレーン]]、[[ブータン]]、[[オマーン]]、[[カタール]]、[[アラブ首長国連邦]]、'''[[中華人民共和国]]'''(中華民国脱退)
|style="text-align:right" | 59
*1973年:[[バハマ]]、[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]](現在はなし)、[[ドイツ]]
|-
*1974年:[[バングラデシュ]]、[[グレナダ]]、[[ギニアビサウ]]
! 1950年
*1975年:[[カーボベルデ]]、[[コモロ]]、[[モザンビーク]]、[[パプアニューギニア]]、[[サントメ・プリンシペ]]、[[スリナム]]
| [[インドネシア]] ||  
*1976年:[[アンゴラ]]、[[サモア]]、[[セーシェル]]
|style="text-align:right" | 60
*1977年:[[ジブチ]]、[[ベトナム]]
|-
*1978年:[[ドミニカ国]]、[[ソロモン諸島]]
! 1955年
*1979年:[[セントルシア]]
| [[アルバニア]]、[[オーストリア]]、[[ブルガリア]]、[[カンボジア]]、[[フィンランド]]、[[ハンガリー]]、[[アイルランド]]、[[イタリア]]、[[ヨルダン]]、[[ラオス]]、[[リビア]]、[[ネパール]]、[[ポルトガル]]、[[ルーマニア]]、[[スペイン]]、[[スリランカ]] ||
*1980年:[[セントビンセント・グレナディーン]]、[[ジンバブエ]]
|style="text-align:right" | 76
*1981年:[[アンティグア・バーブーダ]]、[[ベリーズ]]、[[バヌアツ]]
|-
*1983年:[[セントクリストファー・ネイビス]]
! 1956年
*1984年:[[ブルネイ]]
| [[日本]]、[[モロッコ]]、[[スーダン]]、[[チュニジア]] ||
*1990年:[[リヒテンシュタイン]]、[[ナミビア]]、([[ドイツ再統一|東西ドイツ統一]])
|style="text-align:right" | 80
*1991年:[[エストニア]]、[[ラトビア]]、[[リトアニア]]、[[ミクロネシア連邦]]、[[マーシャル諸島]]、[[大韓民国]]、[[朝鮮民主主義人民共和国]] ([[バルト三国]]独立)
|-
*1992年:[[アルメニア]]、[[アゼルバイジャン]]、[[ボスニア・ヘルツェゴビナ]]、[[クロアチア]]、[[グルジア]]、[[カザフスタン]]、[[キルギス]]、[[モルドバ]]、[[サンマリノ]]、[[スロベニア]]、[[タジキスタン]]、[[トルクメニスタン]]、[[ウズベキスタン]](ソビエト連邦解体)
! 1957年
*1993年:[[アンドラ]]、[[エリトリア]]、[[モナコ]]、[[チェコ]]、[[スロバキア]](「[[ビロード革命]]」により国家分立で単一加盟)、[[マケドニア共和国|マケドニア]] (91年[[ユーゴスラビア紛争]]勃発)
| [[ガーナ]]、[[マレーシア]] ||
*1994年:[[パラオ]]
|style="text-align:right" | 82
*1999年:[[キリバス]]、[[ナウル]]、[[トンガ]]
|-
*2000年:[[ツバル]]、[[セルビア]]
! 1958年
*2002年:[[スイス]]、[[東ティモール]]
| [[ギニア]] || シリアとエジプト合併。
*2006年:[[モンテネグロ]]
|style="text-align:right" | 82
|-
! 1960年
| [[ベナン]]、[[ブルキナファソ]]、[[カメルーン]]、[[中央アフリカ]]、[[チャド]]、[[コンゴ共和国]]、[[コートジボワール]]、[[キプロス]]、[[ガボン]]、[[マダガスカル]]、[[マリ共和国|マリ]]、[[ニジェール]]、[[ナイジェリア]]、[[セネガル]]、[[ソマリア]]、[[トーゴ]]、[[コンゴ民主共和国]] ||
|style="text-align:right" | 99
|-
! 1961年
| [[モーリタニア]]、[[モンゴル国|モンゴル]]、[[シエラレオネ]]、[[タンザニア]] || シリア再び独立国に。
|style="text-align:right" | 104
|-
! 1962年
| [[アルジェリア]]、[[ブルンジ]]、[[ジャマイカ]]、[[ルワンダ]]、[[トリニダード・トバゴ]]、[[ウガンダ]] ||
|style="text-align:right" | 110
|-
! 1963年
| [[ケニア]]、[[クウェート]] ||
|style="text-align:right" | 112
|-
! 1964年
| [[マラウイ]]、[[マルタ]]、[[ザンビア]] ||
|style="text-align:right" | 115
|-
! 1965年
| [[ガンビア]]、[[モルディブ]]、[[シンガポール]] || インドネシア脱退。
|style="text-align:right" | 117
|-
! 1966年
| [[バルバドス]]、[[ボツワナ]]、[[ガイアナ]]、[[レソト]] || インドネシア再加盟。
|style="text-align:right" | 122
|-
! 1967年
| [[南イエメン]](現在はなし)||
|style="text-align:right" | 123
|-
! 1968年
| [[赤道ギニア]]、[[モーリシャス]]、[[スワジランド]] ||
|style="text-align:right" | 126
|-
! 1970年
| [[フィジー]] ||
|style="text-align:right" | 127
|-
! 1971年
| [[バーレーン]]、[[ブータン]]、[[オマーン]]、[[カタール]]、[[アラブ首長国連邦]]、'''[[中華人民共和国]]'''|| 中華民国脱退。
|style="text-align:right" | 132
|-
! 1973年
| [[バハマ]]、[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]](現在はなし)、[[ドイツ]] ||
|style="text-align:right" | 135
|-
! 1974年
| [[バングラデシュ]]、[[グレナダ]]、[[ギニアビサウ]] ||
|style="text-align:right" | 138
|-
! 1975年
| [[カーボベルデ]]、[[コモロ]]、[[モザンビーク]]、[[パプアニューギニア]]、[[サントメ・プリンシペ]]、[[スリナム]] ||
|style="text-align:right" | 144
|-
! 1976年
| [[アンゴラ]]、[[サモア]]、[[セーシェル]] ||
|style="text-align:right" | 147
|-
! 1977年
| [[ジブチ]]、[[ベトナム]] ||
|style="text-align:right" | 149
|-
! 1978年
| [[ドミニカ国]]、[[ソロモン諸島]] ||
|style="text-align:right" | 151
|-
! 1979年
| [[セントルシア]] ||
|style="text-align:right" | 152
|-
! 1980年
| [[セントビンセント・グレナディーン]]、[[ジンバブエ]] ||
|style="text-align:right" | 154
|-
! 1981年
| [[アンティグア・バーブーダ]]、[[ベリーズ]]、[[バヌアツ]] ||
|style="text-align:right" | 157
|-
! 1983年
| [[セントクリストファー・ネイビス]] ||
|style="text-align:right" | 158
|-
! 1984年
| [[ブルネイ]] ||
|style="text-align:right" | 159
|-
! 1990年
| [[リヒテンシュタイン]]、[[ナミビア]] || [[ドイツ再統一|東西ドイツ統一]]。イエメン統合。
|style="text-align:right" | 159
|-
! 1991年
| [[エストニア]]、[[ラトビア]]、[[リトアニア]]、[[ミクロネシア連邦]]、[[マーシャル諸島]]、[[大韓民国]]、[[朝鮮民主主義人民共和国]] || ソ連はロシアが承継。
|style="text-align:right" | 166
|-
! 1992年
| [[アルメニア]]、[[アゼルバイジャン]]、[[ボスニア・ヘルツェゴビナ]]、[[クロアチア]]、[[グルジア]]、[[カザフスタン]]、[[キルギス]]、[[モルドバ]]、[[サンマリノ]]、[[スロベニア]]、[[タジキスタン]]、[[トルクメニスタン]]、[[ウズベキスタン]] ||
|style="text-align:right" | 179
|-
! 1993年
| [[アンドラ]]、[[エリトリア]]、[[モナコ]]、[[チェコ]]、[[スロバキア]](「[[ビロード革命]]」により国家分立で単一加盟)、[[マケドニア共和国|マケドニア]] ||
|style="text-align:right" | 184
|-
! 1994年
| [[パラオ]] ||
|style="text-align:right" | 185
|-
! 1999年
| [[キリバス]]、[[ナウル]]、[[トンガ]] ||
|style="text-align:right" | 188
|-
! 2000年
| [[ツバル]]、[[セルビア]] ||
|style="text-align:right" | 189
|-
! 2002年
| [[スイス]]、[[東ティモール]] ||
|style="text-align:right" | 191
|-
! 2006年
| [[モンテネグロ]] ||
|style="text-align:right" | 192
|}</div>
 
=== 国際連合に加盟していない国 ===
==== 中華民国 ====
{{See also|台湾問題}}
設立メンバーのひとつである[[中華民国]]は、1971年までは安全保障理事会常任理事国であった。しかし、冷戦下の東西両陣営における微妙な政治バランスの下で、[[非同盟諸国]]を中心に[[台湾]]の[[中国国民党|国民党]]政府ではなく、北京の[[中国共産党|共産党]]([[中華人民共和国]])政府を支持する声が広がった。アメリカや日本は安全保障理事会常任理事国の地位を移譲した上で一般加盟国として国際連合に残る道を国民党政府に勧めた。しかし、国民党政府の[[蒋介石]][[中華民国総統|総統]]は、「三不政策」(北京とは接触しない、話し合わない、北京に妥協しない)に沿って拒否した。
 
そのため、国際連合においての中国の代表権が中華民国から中華人民共和国に移ることとなる。これを受け、中華人民共和国が国連における「中国」の唯一合法的な代表として承認され、中華民国の代表は国連の議席から追放された(国連第2758号決議「[[アルバニア決議]]」)。
 
しかし、中華民国政府が拠点を置く「台湾」の代表権は未解決であり、中華民国政府は「台湾」名による国連新規加盟を求めている。2007年7月下旬、[[潘基文]]国連事務総長は、国連第2758号決議案を引用して陳水扁総統が提出した「台湾」名義による国連加盟を求める申請書の受理を拒否したが、2758号決議文は台湾の代表権問題を解決したものではないことや、申請書を安保理および国連総会に伝達しなければならないと定められた国連手続規則に違反しているとして批判されている{{誰2|date=2009年8月}}。
''「[[台湾問題]]」の項も参照。''
 
==== その他 ====
[[バチカン市国]]は、政治的に中立でありたいという理由でオブザーバー参加である。世界75ヵ国から国家として承認されている[[マルタ騎士団]]及び[[パレスチナ]]を国際的に代表する[[パレスチナ解放機構]] (PLO) も「[[国際連合総会オブザーバー|オブザーバーとして参加するために招待を受ける団体 (entity) あるいは国際組織]]」としてオブザーバー参加している。
 
[[コソボ]] は、2008年2月にセルビアより独立したコソボ共和国はが、独立の経緯から国連加盟に関して常任理事国のロシアが強く国連加盟に反対しているため加盟の目処は立っていない。
 
[[ニュージーランド]]との[[自由連合盟約|自由連合]]国である[[クック諸島]]と[[ニウエ]]は、「国連非加盟国」として国際連合の編纂する地図に明記されている。
 
その一方、[[ソマリランド共和国]]や[[北キプロス・トルコ共和国]]などの紛争地域における[[事実上独立した地域一覧|事実上の独立国]]は、現在のところ国家承認をしている国が皆無または極めて少ないことから加盟には至っておらず、そればかりか国家としての存在自体認められていない。[[サハラ・アラブ民主共和国]]の場合は、[[アフリカ連合]]諸国や[[中南米]]諸国を中心に多くの国が国家承認をしているにもかかわらず、正式加盟どこはもちオブザーバー参加すらでき認められていない。
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{reflist|2}}
 
== 参考文献 ==
* {{Cite book |和書 |author=[[明石康]] |title=国際連合――軌跡と展望 |publisher=岩波書店 |series=岩波新書 |year=2006(第4刷2010年) |id=ISBN 4-00-431052-0 }}
* {{Cite book |和書 |author=[[北岡伸一]] |title=国連の政治力学――日本はどこにいるのか |publisher=中央公論新社 |series=中公新書 |year=2007(再版2008年) |id=ISBN 978-4-12-101899-1 }}
* {{Cite book |和書 |author=国際連合広報局 |title=国際連合の基礎知識 |publisher=関西学院大学出版会 |year=2009 |id=ISBN 978-4-86283-042-5 }}
* {{Cite book |和書 |author=[[中谷和弘]]、植木俊哉、河野真理子、森田章夫、山本良 |title=国際法 |publisher=有斐閣 |series=有斐閣アルマ |year=2006 |id=ISBN 4-641-12277-6 }}
* {{Cite book |和書 |author=[[最上敏樹]] |title=国連とアメリカ |publisher=岩波書店 |series=岩波新書 |year=2005 |id=ISBN 4-00-430937-9 }}
* {{Cite book |和書 |author=[[吉田康彦]] |title=国連改革――「幻想」と「否定論」を超えて |publisher=集英社 |series=集英社新書 |year=2003 |id=ISBN 4-08-720224-0 }}
 
== 関連項目 ==
{{Commons&cat|United Nations – Nations Unies|United Nations}}
* [[常任理事国]]
* [[国連開発の十年]]
* [[国際連合広報センター]]
* [[国際連合寄託図書館]]
* [[国際機関]]
* [[国際連合と日本]]
* [[ビルダーバーグ会議]]
* [[外交問題評議会]]
* [[国際連合 (小惑星)]](国際連合に因んで命名された[[小惑星]] (6000))
 
== 外部リンク ==
{{Wikisource|国際連合憲章|3=日本語訳}}
{{ウィキポータルリンク|国際連合}}
* [http://www.un.org/ United Nations国際連合](国連公用六ヵ6か国語)
* [http://www.unic.or.jp/ 国際連合広報センター](日本語)
 
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{{ノーベル平和賞受賞者 (2001年-2025年)}}
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