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日本の[[アニメーション]]を黎明期から支えてきた演出家であり、「[[アルプスの少女ハイジ (アニメ)|アルプスの少女ハイジ]]」「[[母をたずねて三千里]]」「[[赤毛のアン (アニメ)|赤毛のアン]]」「[[じゃりン子チエ]]」「[[火垂るの墓]]」「[[平成狸合戦ぽんぽこ]]」などの演出、監督などで知られる。別名義にテレビ版「じゃりン子チエ」の演出時に使った武元哲(たけもと てつ)がある。
 
== 人物・概要来歴 ==
=== 生い立ち ===
三重県宇治山田市(のちの伊勢市)出身。父は、岡山県の教育制度発展に尽力し、第4代[[日本経済団体連合会|経団連]]会長[[土光敏夫]]らと共に岡山県で初めての[[名誉県民]]に選ばれた元岡山県教育長・高畑浅次郎で[http://www.pref.okayama.jp/soshiki/detail.html?lif_id=1778]、7人兄弟の末っ子。
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高畑は現在の二人の立場の違いを「ジブリは宮崎駿のスタジオ。彼は役員だが僕は違うし…」と語っている。<ref>[[こどもの城]](渋谷)での講演における発言<!--せめて日時を明らかにしてください-->{{要出典|date=2009年4月}}</ref>
 
高畑は「[[となりのトトロ]]」について、「子供たちは森にトトロがいる可能性を感じられるようになった」と評価している。また、宮崎が基本設計した「[[三鷹の森ジブリ美術館]]」を激賞し、その建築的意義を称えている。また、宮崎は、その三鷹の森ジブリ美術館で開催された「[[アルプスの少女ハイジ (アニメ)|アルプスの少女ハイジ]]展」で、高畑の演出を評価しながら詳細な解説を行ったり、「[[千と千尋の神隠し]]」の制作の際には、視点がずっと千尋を追うことに対し「パクさん(高畑)に怒られるな」とぼやいていたという。これは演出に際し、そういうことだけは絶対にやるなと高畑に教わったためである<ref>「宮崎駿の世界」竹書房、2004年、p.14</ref>。鈴木敏夫によると、宮崎は高畑を未だに演出の先生だと思っているそうである。
 
== 仕事 ==
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== 人物 ==
血液型O型。[[宮崎駿]]やプロデューサーの[[鈴木敏夫]]、元同僚の人びとから呼ばれる愛称「パクさん」は、東映動画時代に高畑がよく遅刻して食パンをパクパク食べていたことからついたニックネーム。趣味は音楽鑑賞と勉強。特に音楽に関しては造詣が深く、ピアノ演奏や読譜も出来るが、大塚康生によるとあまりその事を表に出さないと言う<ref>大塚康生・森遊机「大塚康生インタビュー」実業之日本社、2006年、p.255</ref>。かつては宮崎駿や鈴木敏夫と同じく愛煙家だったが、今はタバコをやめている。
 
== 略歴 ==
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*[[大塚康生]]『作画汗まみれ 増補改訂版』(ISBN 4198613613)
*大塚康生『リトル・ニモの野望』(ISBN 4198618909)
*大塚康生『大塚康生インタビュー』(ISBN 4408612553)
 
== 脚注 ==