「伊豆箱根鉄道駿豆線」の版間の差分

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m 伊豆箱根鉄道 2012年1月13日 17:42(UTC)版から一部記述転記
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*三島田町駅(当時は三島町):軌道線 - 1914年まで別線、1919年から1949年まで三島広小路から乗り入れ。
 
== 関連作品・記述 ==
*; 「豆相鉄道唱歌」(1900年10月)
*: 同年5月に発表された「[[鉄道唱歌]]」に倣って製作されたもので、当時の開業区間であった三島駅(現・下土狩駅) - 大仁駅間を全30番で歌っている。2001年5月に[[コンパクトディスク|CD]]も販売された。
; 尾崎紅葉
: 1902年(明治35年)5月の[[尾崎紅葉]]の日記で、当時の豆相鉄道の記述があり、「汽車を見るに軽微にして粗鹵(ソロ)、其(そ)の来るや狸の化けたる者の如く、煙突の小なるむしろ噴飯すべし、車六輛を列ねて軒輊(ケンチ)して去る」との記述がある。
; 芥川龍之介
: 1925年(大正14年)4月21日に、[[芥川龍之介]]が修善寺温泉の新井旅館に行くために、東海道線三島駅から駿豆線三島駅へ乗り換える様子を伝える手紙があり、「…(東京から汽車で、午後4時39分に)三島についたらプラットホームの向う側に修善寺行きの軽便(豆相鉄道)がついているゆえ、それへ乗れば六時には修善寺につく。修善寺駅から新井までは乗合自動車、人力車荷でもある。時間がわかれば僕が迎えに出る。切符は東京駅より修善寺駅まで買ったほうがよし。(三島まで買うとまた買わねばならないから面倒くさい。東京駅で修善寺駅まで売っている)」との記述がある。
 
== PASMOについて ==