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自らの芸によって生活する芸妓は、明治以降一種のあこがれの存在としてとらえられることも多く、雑誌で人気投票が行われたり、絵葉書が好評を博したこともあった。
 
== 旦那 ==
芸妓の世界にはかつてこの旦那が不可欠だった。芸妓が存在する土地には旦那の存在があり、いわゆるパトロンやスポンサーといったような人物である。しかし、適度に援助したり協力する程度のものではなく、芸妓一人を見出し決めるとほとんど生涯にわたり世話をしてくれる。芸妓が若手見習いから一人前になるまでには多額の費用がかかる。この旦那は着物から持ち物、装飾品や生活費まで数百万円~数千万円負担する。なかには数億円出すことも珍しくはない。
 
この莫大な費用からしてみてもだれでも旦那になれるわけではなく、必然的にその土地の財界人やトップクラスの企業の経営者などで、多額の金銭をポケットマネーでまかなえる人物であった。一方の芸妓も芸妓になれば誰でも旦那がつくわけではなく、美貌と卓越した芸などが備わった芸妓である。若手の時に旦那がつけばいわゆる[[水揚げ (花街)|水揚げ]]となり、ある程度歳を重ねていても旦那様はつく。
 
芸妓はその旦那につくことになり、旦那はその芸妓の一番のひいきになり面倒を見て信頼関係が構築される。
芸妓には目に見えてのメリットがある。しかし旦那は通常家庭を持っていたりするため、ある程度割り切った生活でこれといってメリットはない。無論、所詮男女なのでそのようなこともあるが、建前は健全な協力である。旦那のメリットは「男の甲斐性」である。「あの芸妓にこれだけのことをしてやった」「こんなに金を出した」という粋なはからい。また各土地の屈指の金持ちであるから、まわりへの財力のアピールにもなる。通常は家庭と芸妓の両立が原則だが、中には芸妓にのめりこみすぎたり、悪い芸妓に利用されたりと破産する者もいる。
 
後述にも触れられているように、現在ではこの旦那は皆無に近い状態である。それは時代にそぐわない制度と内容であるからである。不況や、そのような粋なことをする男性が少なくなったり、また娯楽の多様化や家庭重視、金銭的な問題等から芸妓にそれだけのことをする意味がないなど、複数の要因がある。
 
しかし、現在でも京都などの大都市には、わずかながら旦那が存在する。
一方の芸妓にも意識の変化があり、仮に申し込んだ場合に断り通常の生活や結婚を望むという芸妓もおり、やはり時代の変化と言える。
このような旦那側、芸妓側、また時代の変化により芸妓文化のある地方ではこの「旦那」は見られなくなった。
 
== 現状 ==