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{{Infobox 山
|名称=御嶽山
|画像=[[Fileファイル:Ontake-air.jpg|300px|木曽町上空から望む御嶽山]]
|画像キャプション=[[木曽町]]上空から望む御嶽山
|標高=<small>最高峰</small> 剣ヶ峰 3,067<ref name="kokudo">{{Cite web |url=http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MOUNTAIN/mountain.html |title=日本の主な山岳標高(長野県の山)|publisher=[[国土地理院]] |accessdate=2011-03-24}}</ref>
|座標={{ウィキ座標2段度分秒|35|53|34|N|137|28|49|E|region:JP_type:mountain|display=inline,title}}<ref name="kokudo" />
|所在地={{JPN}}<br />[[長野県]][[木曽郡]][[木曽町]]・[[王滝村]]<br />[[岐阜県]][[下呂市]]・[[高山市]]
|山系=[[独立峰]]([[御嶽山系]])
|種類=[[成層火山]]<br />[[活火山]]ランクB<ref name="岐阜地方気象台">{{Cite web |url=http://www.jma-net.go.jp/gifu/katsukazan.html |title=岐阜県の活火山 |publisher=[[岐阜地方気象台]] |accessdate=2013-02-12}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.jma.go.jp/jma/press/0301/21a/yochiren.pdf |title=火山噴火予知連絡会による活火山の選定及び火山活動度による分類(ランク分け)について |publisher=[[気象庁]] |format=PDF |date=2003-01-21 |accessdate=2013-02-15}}</ref>、[[噴火警戒レベル]]1(平常)<ref name="御嶽山の火山活動解説資料">{{Cite web |url=http://www.seisvol.kishou.go.jp/tokyo/STOCK/monthly_v-act_doc/tokyo/13m01/312_13m01.pdf |format=PDF |title=御嶽山の火山活動解説資料(平成25 年1月) |publisher=気象庁 |date=2013-01 |accessdate=2013-02-12}}</ref>
|種類=[[成層火山]] [[活火山]]ランクB
|初登頂=([[702年]]に[[役小角]]が開山)<ref name="日本山名辞典 (1992)、116頁" />
|地図={{Embedmap|137.480222|35.892748|300}}御嶽山の位置{{日本の位置情報|35|53|34|137|28|49|御嶽山(飯田)|35.892748,137.480222|御嶽山}}}}
'''御嶽山'''<ref name="tizu-kokudo">{{Cite web |url=http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?longitude=137.47451083333&latitude=35.894789055556 |title=地図閲覧サービス・御嶽山(岐阜県下呂市)|publisher=国土地理院 |accessdate=2013-02-25}}</ref>(おんたけさん)は、[[長野県]][[木曽郡]][[木曽町]]・[[王滝村]]と[[岐阜県]][[下呂市]]・[[高山市]]にまたがり、[[東日本火山帯]]の西端に位置する[[標高]]3,067 [[メートル|m]]の複合[[成層火山]]である<ref name="日本山名辞典 (1992)、116頁">[[#日本山名辞典|日本山名辞典 (1992)、116頁]]</ref><ref name="新日本山岳誌 (2005)、972-973頁">[[#新日本山岳誌|新日本山岳誌 (2005)、972-973頁]]</ref>。大きな裾野を広げる[[独立峰]]である<ref name="深田久弥 (1982)、227-230頁">[[#深田久弥|深田久弥 (1982)、227-230頁]]</ref><ref name="地質ニュースv306">{{Cite journal ja-jp |date=1980 |url=http://www.gsj.jp/data/chishitsunews/80_02_01.pdf |title=御岳山1979年噴火 |author=曽屋龍典、近藤善教、下坂康哉 |format=PDF |journal=地質ニュース |volume=306 |issue=1980年2月号 |pages=6-13 |publisher=産業技術総合研究所 |accessdate=2013-02-13}}</ref>。
'''御嶽山'''(おんたけさん)は、[[長野県]]と[[岐阜県]]にまたがり、[[火山帯#乗鞍火山帯|乗鞍火山帯]]の最南部に位置する[[標高]]3,067 [[メートル|m]]の複合[[成層火山]]である。大きな裾野を広げる独立峰である。
 
== 概要 ==
'''木曽御嶽山''''''御嶽'''、王嶽<ref name="新日本山岳誌 (2005)、972-973頁" />、王御嶽<ref name="現代日本名山図会 (2003)、146-149頁">[[#現代日本名山図会|現代日本名山図会 (2003)、146-149頁]]</ref>とも称する。また、現代ではむしろ嶽の[[字体]][[新字体]]で表記し'''御岳山'''や、単に'''御岳'''<ref name="深田久弥 (1982)、227-230頁" />と表記されることのほうが多いもある。[[日本の山一覧 (3000m峰)|標高3,000mを超える山]]としては、[[日本]]国内で最も西に位置する。日本には[[御嶽山|同名の山(御嶽山・御岳山)]]が多数あり、その最高峰である<ref group="注釈">厳密には御嶽山の最高点である剣ヶ峰の西北に位置する外輪山に、3,053.4mの小ピークがある。(1:5,000国土基本図(火山基本図)御岳山-国土地理院発行)</ref>山頂には[[一等三角点]](3,063.<small>41</small> m、点名「御岳山」)<ref name="kijyun">{{Cite web |url=http://sokuseikagis1.gsi.go.jp/ |title=基準点成果等閲覧サービス |publisher=[[国土地理院]] |accessdate=2011-03-24}}</ref>と[[御嶽神社]]奥社がある。
 
[[Fileファイル:御嶽山三ノ池.JPG|thumb|right|200px|継子岳と三ノ池([[火口湖]])]]
古くから[[信仰]]の[[山]]として[[信者]]の畏敬を集めてきた巨峰で、いくつもの[[峰]]を連ねてそびえる[[活火山]]である。著名な[[民謡]]である[[木曽節]]にもこの山の名(では『木曽のおん御嶽夏でも寒い[[袷]]やりけさん)や[[足袋]]添えて』、伊那節では『わし心と御嶽山の胸の氷は 胸の氷はいつとける』と歌われており、神聖な信仰の山であるとともに[[木曽谷|木曽]]を代表する山として親しまれている<ref name="日本三百名山 (1997)、148頁">[[#日本百名山|日本三百名山 (1997)、148頁]]</ref name="fukada">{{Cite book|和書 |author=[[深田久弥東海地方]] 特に[[尾張]]地方ではほとんどの場所からその大きな山容を望めることから、「木曽のおんたけさん」として[[郷土富士]]のように親しまれている山である<ref>[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|year=1982 |month=7 |title=木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、125頁]]</ref>。[[日本百名山 |publisher=[[朝日新聞社]]<ref |isbnname=4-02-260871-4"深田久弥 |pages=pp.(1982)、227-230}}<頁" /ref>、[[新日本百名山]]<ref>{{Cite book|和書 |author=[[岩崎元郎]] |year=2006 |month=3 |title=#新日本百名山登山ガイド〈下〉 |publisher=新日本百名と溪谷社 |isbn=4635530477 |pages=pp.(2006)、49-51}}頁]]</ref>、[[花の百名山]]<ref name="hana花の百名山 (1997)、274-277頁">{{Cite book|和書 |author=[[田中澄江]] #花の百名山|year=1997 |month=6 |title=花の百名山 |publisher=[[文春文庫]] |isbn=4-16-352790-7 |pages=pp.(1997)、274-277}}頁]]</ref>、[[ぎふ百山]]<ref>{{Cite book|和書 |author=岐阜県[[#ぎふ百岳連盟 |year=1987 |month=7 |title=ぎふ百山 |publisher=(1987)]]</ref>のひとつに選定されている。旧[[岐阜新聞社開田村]]を代表する山として飛騨頂上、旧[[三岳村 (長野県)|pages= 三岳村]]を代表する山として[[剣ヶ峰]]が『信州ふるさと120山』のひとつに選定されている<ref>[[#信州ふるさと120山|isbn=4905958474}}信州ふるさと120山 (2011)]]</ref>。[[1927年]](昭和2年)に、[[大阪毎日新聞社]]と[[東京日日新聞社]]などにより[[日本二十五勝]]のひとつに選定されている。
 
[[国立公園]]に指定されている[[飛騨山脈]]や[[赤石山脈]]と異なり、[[木曽山脈]]とともに[[国定公園]]にさえも指定されていない。長野県の[[御岳県立自然公園]]<ref name="Nagano-shizenkouen">{{Cite web |url=http://www.pref.nagano.lg.jp/kankyo/hogo/shizenkouen/kouenitiran.pdf |title=県立自然公園 |publisher=長野県 |format=PDF |accessdate=2013-02-17}}</ref>および岐阜県の[[御嶽山県立自然公園]]<ref name="Gifu-shizenkouen">{{Cite web |url=http://www.pref.gifu.lg.jp/pref/s11124/houkishu/41190250027300000000/41190250027300000000/41190250027300000000.html |title=県立自然公園の指定(平成11年4月1日告示第273号) |publisher=岐阜県 |accessdate=2013-02-17}}</ref>には指定されているものの、国立・国定公園に指定されなかったのは、木曽[[ヒノキ]]を主とする[[林業]]の盛んな地域であるという事情がある。山腹は深い森で覆われ多くの[[]]があり、[[木曽川]][[水系]]の源流部の山であり、その下流部である[[中京圏]]の水がめとなっている。以前は[[死火山]]や[[休火山]]であると思われていた山が[[1979年]](昭和54年)[[10月28日]]に突如噴火した<ref name="地質ニュースv306" />。[[気象庁]]は[[2008年]](平成20年)3月31日に[[噴火予報]]を発表し、2013年(平成25年)1月現在御嶽山の火山活動に大きな変化はないと発表している(噴火予報で[[噴火警戒レベル]]1、平常の継続)<ref name="御嶽山の火山活動解説資料" />
 
== 山名の由来 ==
遠く[[三重県]]からも望め「王御嶽」(おんみたけ)とも呼ばれていた<ref name="御岳山霊なる山の素顔 12-14頁">[[#御岳山霊なる山の素顔|御岳山霊なる山の素顔(2010)、12-14頁]]</ref>。古くは坐す神を王嶽蔵王権現とされ<ref>[[#よみがえる木曽人の物語|よみがえる木曽人の物語 (1996)、117頁]]</ref>、修験者がこの山に対する[[尊称]]として「王の御嶽」(おうのみたけ)称して、「王嶽」(おうたけ)となった<ref name="sangakushi新日本山岳誌 (2005)、972-973頁">{{Cite book|和書 |editor=/><ref>[[日本#御岳の信仰と登の歴史|御の信仰と登山の歴史 (1988)、7頁]]</ref><ref |yearname=2005 |month=11 |title=新"いちどは行ってみたい日本山岳誌 |publisher=の聖地(2010)、36-37頁">[[ナカニシヤ出版#いちどは行ってみたい日本の聖地|いちどは行ってみたい日本の聖地(2010)、36-37頁]]</ref><ref |isbngroup=4-779-50000-1|pages=pp.972-973}}"注釈">室町時代中期に「王嶽」(おうたき)が「おんたけ」に変わったとす説がある。</ref>。その後「御嶽」に変わったとされている<ref name="hinoseiyaku">{{Cite web |url=http://hino-seiyaku.com/try/020.html |title=御嶽山整備事業 |publisher=[[日野製薬]] |accessdate=2011-10-05}}</ref>。[[修験者]]の総本山の[[金峰山|金峯山]]は「金の御嶽」(かねのみたけ)と尊称され、その流れをくむ[[甲斐駒ヶ岳|甲斐の御嶽]]、[[御岳山 (東京都)|武蔵の御嶽]]などの「みたけ」と称される山と異なり「おんたけ」と称される<ref>[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、5頁]]</ref><ref name="花かおる御嶽山 (2000)、4頁">[[#花かおる御嶽山|花かおる御嶽山 (2000)、4頁]]</ref>。日本全国で多数の山の中で、『山は[[富士山|富士]]、嶽は御嶽』と呼ばれるようになった<ref name="いちどは行ってみたい日本の聖地(2010)、36-37頁" /><ref>[[#よみがえる木曽人の物語|よみがえる木曽人の物語 (1996)、118頁]]</ref>。
 
== 火山・地勢 ==
[[Fileファイル:Mount Ontake from Nomugitoge ski resort 2008-04-25.jpg|thumb|right|240px|[[信州松本野麦峠スキー場 ]]から望む雲海に浮かぶ山頂部が広い御嶽山、右端が「日和田富士」と呼ばれる継子岳]]
日本では[[富士山]]に次いで2番目に標高が高い火山である<ref group="注釈">3番目に標高が高い火山は、[[乗鞍岳]]である。</ref>。剣ヶ峰を主峰にして、摩利支天山(2,959.2 m) 、継子岳(2,858.9 m) 、継母岳(2,867 m) などの[[カルデラ#外輪山|外輪山]]があり、南北約3.5 [[キロメートル|km]]の山頂部による[[台形]]の山容である。北端の継子岳は比較的新しい山体の成層火山で、北側山麓から見ると、他の峰が隠れて見えないためきれいな[[円錐]]形をしており、[[郷土富士]]として「日和田富士」とも呼ばれている<ref>[[#ふるさとの富士200名山|ふるさとの富士200名山 (1996)、52頁]]</ref>。なお、長野県側に[[寄生火山]]として三笠山(2,256 m)、小三笠山(2,029 m)がある。最高点の剣ヶ峰は長野県に位置し、王滝口登山道の外輪山との合流部が「王滝頂上」(標高点2,936 m)<ref>{{Cite web |url=http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?longitude=137.4825056&latitude=35.88869167 |title=地図閲覧サービス(王滝頂上) |publisher=国土地理院 |accessdate=2011-10-05}}</ref>、小坂口との合流部が「飛騨頂上」(標高2,811 m)である。[[火山灰]]の堆積した裾野は広く、長野県側の麓の傾斜地では濃い色の火山灰が耕地を覆っていて、高地の[[開田高原]]は[[蕎麦]]の産地として知られている<ref name="sangakushi新日本山岳誌 (2005)、972-973頁" />。岐阜県側の地形は長野県側と比較して複雑で、平坦地が少なく、尾根筋が屈曲している<ref name="新日本山岳誌 (2005)、972-973頁" />。2007年(平成19年)3)[[510日]]に、日本の地質百選選定委員会により「[[日本の地質百選]]」の第1期選定として全国83箇所)のひとつに選定し、された<ref>[[5月10#本列島ジオサイト地質百選|日本列島ジオサイト地質百選 (2007)、90-91頁]]に発表され、その1つに御嶽山が選ばれている</ref>
 
{| class="wikitable"
32 ⟶ 33行目:
![[三角点]]等級<br />基準点名<ref name="kijyun" />
!剣ヶ峰からの<br />方角と[[距離]]([[キロメートル|km]])
!所在地
|-
|[[File:Gonoike and Mount Mamako from Mounr Marishiten 2011-09-18.jpg|80px]]
|'''継子岳'''
|2,858.<small>93</small>
| 三等<br />「継子岳」
|{{directiondirection2|N}}北  2.7
|高山市<br />木曽町
|-
|[[File:Morishitensan from Sainokawara 2011-09-18.jpg|80px]]
|'''摩利支天山'''
|2,959.<small>24</small> 
| 三等<br />「御岳」
|{{directiondirection2|NNW}}北北西  1.4
|下呂市<br />木曽町
|- style="background-color:#ccc;"
|[[File:Ontakesan from OtakiTop 2010-8-27.JPG|80px]]
|'''[[剣ヶ峰]]'''<br /><small>(最高点)</small>
|3,067 
|(一等)<br />「御岳山」<br />(3,063.<small>41</small>m)
|{{directiondirection2|O}}  0 
|木曽町<br />王滝村
|-
|[[File:Mount Mamahaha and Mount Haku from Okunoin 2010-08-27.jpg|80px]]
55 ⟶ 60行目:
|2,867 
|&nbsp;
|{{directiondirection2|W}}西 1.4
|下呂市<br />王滝村
|-
|[[File:Mount Mikasa 2011-09-18.jpg|80px]]
|'''三笠山'''
|2,256.<small>1</small>
| 三等<br />「三笠山」
|{{directiondirection2|SE}}南東 3.2
|王滝村
|}
[[ファイル:Ontakesan from Okunoin 1995-6-25.jpg|thumb|right|200px|王滝頂上方面から望む御嶽山<br />1995年6月25日の噴煙の状況]]
[[ファイル:Mount Ontake from Otaki top 2011-09-18.jpg|thumb|right|200px|王滝頂上方面から望む御嶽山<br />2011年9月18日の噴煙の状況]]
[[ファイル:Jigokudani in Mount Ontake.jpg|thumb|right|135px|御嶽山の南面の木曽川水系王滝川の支流である赤川最上流部の地獄谷の火山ガスを噴出する噴気孔<br />2011年9月18日の噴煙の状況]]
=== 火山活動 ===
御嶽山は東日本火山帯の西端(旧区分による[[火山帯#乗鞍火山帯|乗鞍火山帯]]の最南部)に位置し、古生層と[[中生代]]の濃飛[[流紋岩]]類を基盤(基底部は17 km四方の広さ)とし、基盤からの高さが1,400-1,900 mの[[カンラン石]]、複輝石、[[安山岩]]などで構成される成層火山である<ref name="日本山名辞典 (1992)、116頁" /><ref name="地質ニュースv306" /><ref name="砂防と治水・第199巻">{{Cite journal |date=2011-03-20 |author=山岡耕春 |url=http://www.mlit.go.jp/river/sabo/series_volcano/12_ontake.pdf |title=日本の活火山(12)御嶽山 |format=PDF |journal=砂防と治水 |issue=第199巻 |pages=109-110 |publisher=[[国土交通省]] |accessdate=2013-02-15}}</ref>。各方向に[[溶岩流]]を流れ出しているが、西に流れた摩利支天山第6溶岩流は、最も延長が長く約17kmに及ぶ。末端には安山岩の大岩壁[[巌立]]がある<ref name="ganndate">{{Cite web |url=http://www.pref.gifu.lg.jp/kyoiku-bunka-sports/bunka-geijutsu/bunkazai-zuroku/bunkazai-zuroku/tenki/gerosi/ganndate.html |title=巌立 |publisher=岐阜県[[教育委員会]]社会教育文化課 |date=1957-12-19 |accessdate=2013-02-15}}</ref>。一ノ池を中心として、摩利支天山、継母岳、王滝頂上を結ぶ[[外輪山]]の内側が[[カルデラ]]であると推測され、カルデラ形成前の姿は、[[富士山]]に匹敵する高さの成層火山であったと推測される。大爆発によって崩壊した土砂は[[土石流]]となって川を流れ下った岐阜県[[各務原市]]付近の[[各務原台地]]には御嶽山の土砂が堆積しており、水流によってできた[[火山灰]][[堆積物]]が[[地層]]となっている。この大爆発によって剣ヶ峰、摩利支天山、継母岳の峰々が形成された[[火山#地形による分類|複成火山]]であり、その山容は[[アフリカ]]の[[キリマンジャロ|キリマンジャロ山]]に似ている<ref name="日本の名山 161-165頁">[[#日本の名山|日本の名山(1998)、161-165頁]]</ref><ref name="日本200名山 (1987)、166頁">[[#日本200名山|日本200名山 (1987)、166頁]]</ref>。
[[File:Mount Ontake from Otaki top 2011-09-18.jpg|thumb|right|200px|王滝頂上方面から望む御嶽山<br />2011年8月の噴煙の状況]]
[[File:Ontakesan from Okunoin 1995-6-25.jpg|thumb|right|200px|王滝頂上方面から望む御嶽山<br />1995年6月の噴煙の状況]]
御嶽山は各方向に[[溶岩流]]を流れ出しているが、西に流れた摩利支天山第6溶岩流は、最も延長が長く約17kmに及ぶ。末端には[[安山岩]]の大岩壁[[巌立]]がある。一ノ池を中心として、摩利支天山、継母岳、王滝頂上を結ぶ[[外輪山]]の内側が[[カルデラ]]であると推測され、カルデラ形成前の姿は、[[富士山]]に匹敵する高さの成層火山であったと推測される。大爆発によって崩壊した土砂は[[土石流]]となって川を流れ下ったと思われる。岐阜県[[各務原市]]付近の[[各務原台地]]は、御嶽山の土砂が堆積しており、水流によってできた[[火山灰]][[堆積物]]が[[地層]]となっている。この大爆発によって剣ヶ峰、摩利支天山、継母岳の峰々が形成された。[[火山#地形による分類|複成火山]]であり、その山容は[[アフリカ]]の[[キリマンジャロ山]]に似ている<ref name="日本の名山 p.161" />。
 
従来、最後のマグマ噴火は約2万年前で以降は水蒸気爆発と考えられていたが、[[2006年]](平成18年)に行われた岐阜県の調査および2008年(平成20年)に行われた[[国土交通省]]多治見砂防国道事務所や[[産業技術総合研究所]]の調査によれば、約5200年前の火砕流を伴う噴火を含め、2万年間に4回(約1万年前以降、約1万年前、約9000年前、約5200年前、約5000年前)の[[マグマ]]噴火を起こしている<ref name="砂防と治水・第199巻" /><ref name="kazanyochiren103">{{Cite web |url=http://www.seis.nagoya-u.ac.jp/INTRO/report/kazanyochiren/103_ontake.pdf |title=御嶽山火山噴火緊急減災対策砂防計画検討会 |publisher=御嶽山火山噴火緊急減災対策砂防計画検討会 |format=PDF |date=2011-07 |accessdate=2013-02-15}}</ref><!-- <ref>{{Cite news
長らく[[死火山]]だと思われてきたが、[[1968年]](昭和43年)から活発な噴気活動を始め、気象庁が[[1975年]](昭和50年)に刊行した『日本活火山要覧』(初版)では、[[活火山]]の当時の定義(噴火の記録のある火山及び現在活発な噴気活動のある火山)に該当する77火山のひとつとして掲載されていた。しかし、定常的な観測体制の整備は行われず、明確な前兆現象が観測されないまま、[[1979年]](昭和54年)[[10月28日]]に[[水蒸気爆発]]を起こし約1,000 mの高さまで噴煙を噴出した<ref name="kazan">{{Cite web |url=http://www.seisvol.kishou.go.jp/tokyo/312_Ontakesan/312_history.html |title=御嶽山 記録に残る火山活動 |publisher=[[気象庁]] |date=2007-06-21 |accessdate=2011-03-24}}</ref><ref>{{Cite journal |date=1984 |url=http://www.mri-jma.go.jp/Publish/Technical/DATA/VOL_12/12_172.pdf |title=御岳山の1979年噴火による降灰分布と川水のpH分布 |format=PDF |journal=気象研究所研究報告 |issue=第12号 |pages=pp.172-178 |publisher=[[気象研究所]] |accessdate=2011-03-24}}</ref>。この噴火がきっかけとなり、日本国内の死火山、[[休火山]]、活火山という定義そのものを見直すこととなった。現在では活火山以外の言葉は使われない。
|url=http://www.shinmai.co.jp/news/20091006/KT091005SJI090014000022.htm |title=御岳山、マグマ噴火は1万年で計4回 減災対策見直しも|publisher=[[信濃毎日新聞]] |date=2009-10-06 |accessdate=2009-10-07}}</ref>{{リンク切れ|date=2011年3月}} -->。[[信濃毎日新聞]]の[[2007年]](平成19年)[[4月30日]]の紙面に掲載された記事によると、[[岐阜県]]の調査によって、剣が峰北西6キロの下呂市[[小坂町 (岐阜県)|小坂町]]内において、約5200 - 6000年前の[[火砕流]]が[[堆積]]してできた地層が発見され、五ノ池火口からの噴出物と考えられる火砕流の痕跡が確認された。最近の2万年以降の活動は水蒸気爆発と限定していた岐阜県・長野県それぞれにおいて、火砕流も想定しての、[[ハザードマップ]]など防災に関する見直しが行われる可能性が指摘されている。
 
1979年以降は断続的(1991年、2007年)に小規模な噴気活動が続いている<ref name="kazan" /><ref name="及川輝樹" />。気象庁により「火山防災のために監視・観測体制の充実等が必要な火山」に指定されていて<ref>{{Cite web |url=http://www.seisvol.kishou.go.jp/tokyo/STOCK/kaisetsu/CCPVE/hyoka_houkoku.pdf |format=PDF |title=中長期的な噴火の可能性の評価について |publisher=[[火山噴火予知連絡会]]火山活動評価検討会 |pages=7 |date=2009-06 |accessdate=2013-02-12}}</ref>、山頂周辺には火山活動の観測のための[[地震計]]、空振計、[[傾斜計]]、火山ガス検知器、[[グローバル・ポジショニング・システム|GPS]]観測装置、[[監視カメラ]]などの[[観測装置|観測機器]]が設置されている<ref>{{Cite web |url=http://www.cbr.mlit.go.jp/tajimi/sabo/ontake/data/ontake_kazan05.pdf |format=PDF |title=御嶽山火山防災だよりvol.5 |publisher=国土交通省[[中部地方整備局]]多治見砂防国道事務所 |date=2011-02 |accessdate=2011-03-24}}</ref><ref name="御岳山霊なる山の素顔 58頁">[[#御岳山霊なる山の素顔|御岳山霊なる山の素顔(2010)、58頁]]</ref>。2001年から[[名古屋大学]]大学院環境学研究科が、「岐阜・長野両県における火山噴火警戒避難対策事業」として噴火の前兆現象を観測する地震計による御岳火山災害観測を行っている<ref>{{Cite web |url=http://www.seis.nagoya-u.ac.jp/INTRO/report/kazanyochiren/103_ontake.pdf |title=御嶽山近傍における地震活動の推移 |publisher=名古屋大学大学院環境学研究科 |format=PDF |date=2006-02-28 |accessdate=2013-02-15}}</ref>。1979年の水蒸気爆発の6ヶ月前の三ノ池が白濁し池の中から泡が噴き出す音が発生した現象と6時間前の火口直下での地震は、その[[噴火予知#噴火の前兆現象|前兆現象]]であったとみられている<ref name="ontake_kazan04">{{Cite web |url=http://www.cbr.mlit.go.jp/tajimi/sabo/ontake/data/ontake_kazan04.pdf |title=御嶽山火山防災だよりvol.4 |publisher=国土交通省中部地方整備局多治見砂防国道事務所 |date=2010-12 |accessdate=2013-02-15}}</ref>。[[2011年]](平成23年)7月27日に「御嶽山火山噴火緊急減災対策砂防計画検討会」が開催され、御嶽山火山噴火緊急減災対策砂防計画が策定された<ref name="kazanyochiren103" />。王滝頂上直下西面(八丁ダルミ付近)と地獄谷の噴気孔から[[硫化水素]]などの火山ガスを噴出し続けていて<ref name="Ontakesan kazan" />、噴気孔から発生する火山ガスの轟音が聴こえることがある。
従来、最後のマグマ噴火は約2万年前で以降は水蒸気爆発と考えられていたが、[[2006年]](平成18年)に行われた岐阜県の調査および2008年(平成20年)に行われた国土交通省多治見砂防国道事務所や[[産業技術総合研究所]]の調査によれば、約5200年前の火砕流を伴う噴火を含め、2万年間に4回(約1万年前以降、約1万年前、約9000年前、約5200年前、約5000年前)のマグマ噴火を起こしている<ref>{{Cite news
==== 活火山の定義を見直すきっかけとなった有史以来の1979年の水蒸気爆発 ====
|url=http://www.shinmai.co.jp/news/20091006/KT091005SJI090014000022.htm |title=御岳山、マグマ噴火は1万年で計4回 減災対策見直しも|publisher=[[信濃毎日新聞]] |date=2009-10-06 |accessdate=2009-10-07}}</ref>{{リンク切れ|date=2011年3月}}。[[信濃毎日新聞]]の[[2007年]](平成19年)[[4月30日]]の紙面に掲載された記事によると、[[岐阜県]]の調査によって、剣が峰北西6キロの下呂市[[小坂町 (岐阜県)|小坂町]]内において、約5200 - 6000年前の[[火砕流]]が[[堆積]]してできた地層が発見され、五ノ池火口からの噴出物と考えられる火砕流の痕跡が確認された。最近の2万年以降の活動は水蒸気爆発と限定していた岐阜県・長野県それぞれにおいて、火砕流も想定しての、[[ハザードマップ]]など防災に関する見直しが行われる可能性が指摘されている。
長らく死火山だと思われてきたが、[[1968年]](昭和43年)から活発な噴気活動を始め、気象庁が[[1975年]](昭和50年)に刊行した『日本活火山要覧』(初版)では、[[活火山]]の当時の定義(噴火の記録のある火山及び現在活発な噴気活動のある火山)に該当する77火山のひとつとして掲載されていた。しかし、定常的な観測体制の整備は行われず、明確な前兆現象が観測されないまま、1979年(昭和54年)10月28日に[[水蒸気爆発]]を起こし約1,000 mの高さまで噴煙を噴出した<ref name="kazan">{{Cite web |url=http://www.seisvol.kishou.go.jp/tokyo/312_Ontakesan/312_history.html |title=御嶽山 記録に残る火山活動 |publisher=[[気象庁]] |date=2007-06-21 |accessdate=2011-03-24}}</ref><ref name="気象研究所研究報告12">{{Cite journal |date=1984 |url=http://www.mri-jma.go.jp/Publish/Technical/DATA/VOL_12/12_172.pdf |title=御岳山の1979年噴火による降灰分布と川水のpH分布 |format=PDF |journal=気象研究所研究報告 |issue=第12号 |pages=172-178 |publisher=[[気象研究所]] |accessdate=2011-03-24}}</ref>。午前5時頃に発生した噴火は14時に最大となりその後衰退し、噴出物の総量は約20数万トンで北東方向に噴煙が流れ[[軽井沢]]や[[前橋市]]まで降灰した<ref name="地質ニュースv306" /><ref name="Ontakesan kazan">{{Cite web |url=http://www.seisvol.kishou.go.jp/tokyo/312_Ontakesan/312_index.html |title=火山・御嶽山 |publisher=気象庁 |accessdate=2013-02-12}}</ref><ref name="気象研究所研究報告12" /><ref>[[#中部・近畿・中国の火山|中部・近畿・中国の火山 (2000)、59頁]]</ref>。この噴火がきっかけとなり、日本国内の死火山、[[休火山]]、活火山という定義そのものを見直すこととなった<ref name="地質ニュースv306" /><ref name="及川輝樹" />。現在では活火山以外の言葉は使われない<ref>{{Cite web |url=http://www.seisvol.kishou.go.jp/tokyo/STOCK/kaisetsu/katsukazan_toha/katsukazan_toha.html |title=火山とは |publisher=気象庁 |accessdate=2013-02-15}}</ref>。
 
==== 火山史 ====
『御嶽山 地質と噴火の記録』千村出版によれば、[[774年]]と[[1892年]]に噴火活動があったとされているが、その研究によりこの2回の噴火は発生していなかったことが明らかとなっている<ref>{{Cite journal |date=2008 |url=http://www.gsj.jp/Pub/Bull_new/vol_59/59_05/59_05_01.pdf |title=御岳火山の歴史噴火記録の再検討と噴気活動の歴史記録 |format=PDF |journal=地質調査報告 |issue=第59巻、第5/6号 |pages=pp.203-210 |publisher=[[気象研究所]] |accessdate=2011-03-24}}</ref>。1979年以降は断続的(1991年、2007年)に小規模な噴気活動が続いている。山頂周辺には、火山活動の観測のための[[地震計]]、空振計、火山ガス検知器、監視カメラなどの観測機器が設置されている<ref>{{Cite web |url=http://www.cbr.mlit.go.jp/tajimi/sabo/ontake/data/ontake_kazan05.pdf |format=PDF |title=御嶽山火山防災だより |publisher=[[国土交通省]]中部地方整備局 |date=2011-02 |accessdate=2011-03-24}}</ref><ref name="御岳山霊なる山の素顔 p.58">[[#御岳山霊なる山の素顔|御岳山霊なる山の素顔(2010)、p.58]]</ref>。王滝頂上から山頂に向かう登山道の周辺では、[[硫黄]]臭がすることがあったり、噴気口から発生する火山ガスの轟音が聴こえることがある。
御嶽山の火山は、古期と新期の火山帯からなる<ref name="中部・近畿・中国の火山 (2000)、52-53頁">[[#中部・近畿・中国の火山|中部・近畿・中国の火山 (2000)、52-53頁]]</ref>。古期御嶽火山は約80-40万年前に噴出した溶岩と[[火山砕屑物]]からなる山体で、現在とほぼ同じ位置の火口からの比較的静穏な噴火により形成され、標高3,200-3,400 mほどの成層火山であった<ref name="地質ニュースv306" />。その後約10万年前まで火山活動の休止期間が続き、山体は浸食を受けて深い谷が形成された<ref name="地質ニュースv306" /><ref name="中部・近畿・中国の火山 (2000)、52-53頁" />。新期御嶽火山は約10-2万年前に噴出した火山であり<ref name="中部・近畿・中国の火山 (2000)、52-53頁" />、摩利支天火山群と西側の継母岳火山群に分類される<ref name="ontakesan-jyoukenzu">{{Cite web |url=http://www.cbr.mlit.go.jp/tajimi/sabo/ontake/gensai/ontakesan-jyoukenzu.jpg |title=火山土地条件図(御嶽山 1:25,000) |publisher=国土地理院 |format=[[JPEG]] |accessdate=2013-02-15}}</ref>。摩利支天火山群は、三ノ池火山溶岩流、ニノ池火山の成層火山斜面及び溶岩流、、一ノ池火山の成層火山斜面及び溶岩流、四ノ池火山の成層火山斜面及び溶岩流、継子岳火山の成層火山斜面及び溶岩流、摩利支天火山の前期火山群の火山帯斜面に区分される<ref name="ontakesan-jyoukenzu" />。カルデラが形成された後、ほぼ南北方向に並ぶ小火山群が、四ノ池火口(溶岩と火砕物)、一ノ池火口(溶岩と火砕物)、二ノ池火口(溶岩と火砕物)、四ノ池火口(降下[[スコリア]])、三ノ池火口(溶岩)、五ノ池火口(少量の火砕物)の順に噴火活動をした<ref name="地質ニュースv306" /><ref name="ontake_kazan11">{{Cite web |url=http://www.cbr.mlit.go.jp/tajimi/sabo/ontake/data/ontake_kazan11.pdf |format=PDF |title=御嶽山火山防災だよりvol.11 |publisher=国土交通省中部地方整備局多治見砂防国道事務所 |date=2012-03 |accessdate=2013-02-15}}</ref>。噴出量は四ノ池火口からのものが最大で、一ノ池火口と二ノ池火口は山頂の小カルデラ内に形成されたもので、現在の御嶽山の最高点の剣ヶ峰の火口丘が形成された<ref name="地質ニュースv306" />。約9,000年前に噴出した最も新しい溶岩流である三ノ池溶岩流は、ほぼそのまま残っている<ref name="地質ニュースv306" /><ref name="ontake_kazan11" /><ref name="中部・近畿・中国の火山 (2000)、63頁">[[#中部・近畿・中国の火山|中部・近畿・中国の火山 (2000)、63頁]]</ref>。その後二ノ池の北畔に東西に並ぶ小規模の爆裂火口が形成された<ref name="地質ニュースv306" />。最近1万年間で、4回のマグマ噴火と12回の水蒸気爆発が起きたことが判明している<ref name="ontake_kazan11" />。『御嶽山 地質と噴火の記録』千村出版によれば、[[774年]]と[[1892年]]に噴火活動があったとされているが、その研究によりこの2回の噴火は発生していなかったことが明らかとなっている<ref name="及川輝樹">{{Cite journal |date=2008 |author=及川輝樹 |url=http://www.gsj.jp/data/bulletin/59_05_01.pdf |title=御岳火山の歴史噴火記録の再検討と噴気活動の歴史記録 |format=PDF |journal=地質調査報告 |issue=第59巻、第5/6号 |pages=203-210 |publisher=[[気象研究所]] |accessdate=2011-03-24}}</ref>。1979年(昭和54年)10月28日に発生した水蒸気爆発では、地獄谷上部の標高2,700 m付近を西端とし東南東に並ぶ10個の火口群が形成され<ref name="地質ニュースv306" /><ref name="kazan" />、10万 [[立方メートル|m{{sup|3}}]]ほどの小規模な噴出量であった<ref name="kazanyochiren103" />。その後の火山活動はごく小規模で、1991年5月中旬と2007年の3月後半にごく少量の火山灰を噴出し<ref name="砂防と治水・第199巻" />、79火口群の一部の八丁ダルミ直下南と山頂直下南面の地獄谷の上部の噴気孔から噴気活動が続いている。
 
[[ファイル:Kuragoekogen Mount Ontake.JPG|thumb|right|200px|御嶽山の東山腹にある倉越高原。約64万年前に倉越溶岩を噴出し、周りの地層が浸食されて、堅い溶岩がレリーフ状に残り現在の倉越高原が形成された。]]
気象庁は2012年6月現在、御嶽山の火山活動に大きな変化はなく、噴火予報([[噴火警戒レベル]]1、平常)の継続を発表している<ref>{{Cite web |url=http://www.seisvol.kishou.go.jp/tokyo/STOCK/monthly_v-act_doc/tokyo/12m06/312_12m06.pdf |format=PDF |title=御嶽山の火山活動解説資料(平成24 年6月) |publisher=気象庁 |date=2012-06 |accessdate=2012-7-10}}</ref>。
[[ファイル:Gandate01.JPG|thumb|right|200px|御嶽山の西山腹にある[[巌立]]の[[柱状節理]]。約6万年前の古期御嶽火山の摩利支天溶岩から形成された絶壁。]]
* 約64万年前 - 東山腹に倉越溶岩を噴出した。周りの地層が浸食されて、堅い溶岩がレリーフ状に残り現在の倉越高原が形成された<ref name="中部・近畿・中国の火山 (2000)、63頁" />。
* 約40万年前 - 東山腹に[[安山岩]]溶岩の三笠山溶岩を噴出した<ref>[[#中部・近畿・中国の火山|中部・近畿・中国の火山 (2000)、57-58頁]]</ref>。
* 約40万年-10万年前 - 火山活動は休止していた<ref name="中部・近畿・中国の火山 (2000)、54頁">[[#中部・近畿・中国の火山|中部・近畿・中国の火山 (2000)、54頁]]</ref>。
* 約9万年前 - 爆発的な噴火により、御嶽第1軽石層などの広域[[テフラ]]を[[関東地方]]まで降らせた<ref name="中部・近畿・中国の火山 (2000)、54頁" />。
* 約6万年前 - 摩利支天溶岩を噴出した<ref>[[#中部・近畿・中国の火山山|中部・近畿・中国の火山 (2000)、61頁]]</ref>。摩利支天第6溶岩が濁河川の支流の大俣川に沿って流下して形成された[[柱状節理]]である「巌立」(所在地が下呂市小坂町落合中サキ平)は、[[1957年]](昭和32年)12月19日に岐阜県の[[天然記念物]]の指定を受けている<ref name="ganndate" />。
* 約5万年前 - 山体の一部が崩落し巨大の岩屑なだれとなって東山麓の西野川まで堆積物が下り、木曽川下流の[[愛知県]][[犬山市]]にもその泥流の堆積物が残された<ref name="中部・近畿・中国の火山 (2000)、54頁" />。
* 約3.7万-3.3万年前 - 四ノ池火口が形成された<ref name="ontake_kazan07">{{Cite web |url=http://www.cbr.mlit.go.jp/tajimi/sabo/ontake/data/ontake_kazan07.pdf |format=PDF |title=御嶽山火山防災だよりvol.7 |publisher=国土交通省中部地方整備局多治見砂防国道事務所 |date=2011-08 |accessdate=2013-02-15}}</ref>。
* 約3.1万年前 - 一ノ池火口が形成された<ref name="ontake_kazan07" />。
<!-- * 約2万年前 - 三ノ池溶岩が噴出し<ref name="中部・近畿・中国の火山 (2000)、63頁" />、現在の火山帯が形成された<ref name="中部・近畿・中国の火山 (2000)、54頁" />。 最近の研究で約約9,000年前であったことが判明。 -->
* 約1万年前 - カラ谷火砕流で1,740万 [[立方メートル|m{{sup|3}}]]の[[軽石]]を中規模に降下した<ref name="kazanyochiren103" /><ref name="ontake_kazan07" />。
* 約9,000年前 - 三ノ池溶岩で5憶 m{{sup|3}}の大規模な噴出をした<ref name="kazanyochiren103" /><ref name="ontake_kazan11" />。
* 約6,000年前 - 五ノ池火口が形成された<ref name="ontake_kazan07" />。
* 約5,200年前 - 女人堂スコリアで140万 m{{sup|3}}の小規模な噴出をした<ref name="kazanyochiren103" />。
* 約5,000年前 - 濁滝スコリアで35-75万 m{{sup|3}}の小規模な噴出をした<ref name="kazanyochiren103" />。
* 1979年(昭和54年)
** 10月28日
*** 午前5時頃 - 水蒸気爆発が起こり、王滝村役場の職員が頂上付近で高さ150 mの噴煙を確認した<ref name="地質ニュースv306" /><ref name="気象研究所研究報告12" />。
*** 午前5時15分頃 - 王滝頂上から山頂へ向かった登山者が硫黄臭に気付き、15分後に降灰を受けた<ref name="地質ニュースv306" />。
*** 午前6時頃 - 王滝口7合目の登山口(田の原)で登山者、頂上付近で黒煙が上昇するのを目撃し、頂上にいた登山者は[[ジェット機]]に似た音やかなりの煙に気付いた<ref name="地質ニュースv306" />。
*** 午前9時頃 - [[三岳村 (長野県)|三岳村]]から白煙が1箇所から上昇しているのが確認され、田の原では白煙が茶色に変わるのが確認された<ref name="地質ニュースv306" />。
*** 午前9時30分 - [[飛行機]]から山頂の山小屋が黒い火山灰に覆われて、高さ1,000 mの噴煙が東北東に流れているのが確認された<ref name="地質ニュースv306" />。
*** 午前11時 - 定期航空便が高さ1,800 mの噴煙と下部で灰色の火山灰が上がっているのを目撃し、三岳村では降灰のため暗くなった<ref name="地質ニュースv306" />。
*** 午前12時30分頃 - [[キノコ雲]]状の噴煙が確認された<ref name="地質ニュースv306" />。
*** 午後2時頃 - 7合目付近で高さ3,000 mの噴煙が上がり、地鳴りと共に直径1 m程の岩が飛ぶのが確認された<ref name="地質ニュースv306" />。
*** 午後3時頃 - 三岳村では降灰が盛んとなり、[[開田村]]では降灰により視界が10-20 m程となった<ref name="地質ニュースv306" />。
*** 午後5時頃 - 王滝村から多量の黒い煙が確認され、王滝頂上の山小屋の裏の方では白い噴煙が確認された。王滝口村では多量の降灰が続いていた<ref name="地質ニュースv306" />。
** 10月29日 - 噴煙の量は減少して白色に変わり、火山灰の降灰も少なくなった<ref name="地質ニュースv306" /><ref name="気象研究所研究報告12" />。
** 10月31日 - 噴煙には火山灰が含まれなくなった<ref name="地質ニュースv306" />。
* [[1991年]](平成3年)5月中旬 - 79-7火口でごく小規模な噴火が起きて、10トン程度の火山灰を噴出した<ref name="kazan" />。
* [[2007年]](平成19年)3月後半 - 79-7火口でごく小規模な噴火が起きた<ref name="砂防と治水・第199巻" /><ref name="kazan" />。
* [[2013年]](平成25年)1月 - 気象庁は、御嶽山の火山活動解説資料で「御嶽山の火山活動に大きな変化はなく、噴火予報([[噴火警戒レベル]]1、平常)の継続(平成20年3月31日の噴火予報以来)」を発表している<ref name="御嶽山の火山活動解説資料" />。
 
=== 5つの火口湖 ===
{{Commonscat|Pond of Ontake|御嶽山の池}}
[[Fileファイル:Rokunoike and Sainokawara Ontake 2011-09-18.jpg|thumb|right|200px|二ノ池北西の斜面の下と賽の河原との間に水がたまった小さな窪地が「六ノ池」と呼ばれることがある。]]
[[1927年]](昭和4年)に[[京都大学]][[地理学者]]に[[田中阿歌麿]]が[[湖沼]]の調査を行った<ref name="日本の名山 246頁">[[#日本の名山|日本の名山(1998)、246頁]]</ref><ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、272頁" />。御嶽山には、5つの[[湖#発生による分類|火口湖]]があり、一ノ池から五ノ池の名前が付けられている。一ノ池の噴火活動後に、ニノ池と三ノ池が造られ、その後四ノ池が造られた<ref name="日本の名山 p.161">[[#日本の名山|日本の名山(1998)、p.161-165]]</ref>。常に水をたたえているのは、[[エメラルド]]色の二ノ池と三ノ池である。二ノ池は日本で最も高いところ(2,905 m) にある[[トレイ|お盆]]形状の水深3.5 mの[[湖沼]]<ref name="日本の山1000 (1992)、350-351頁" />、集水面積は湖面の数倍あり、[[ミクリガ池]]などの飛騨山脈の火口湖と比べて水位の日変化が40 [[センチメートル|cm]]程と大きいのが特徴である<ref name="日本の名山 p.161-165頁" />。昼夜の気温差による雪解け量の差がその原因である。夏でも[[雪渓]]が残り北西斜面の[[雪渓]]の雪解け水・天水・伏流水を集め、水位が極端に上昇した場合には、東端にあるニノ池小屋付近から北東に排水される。1979年の噴火活動の際に、ニノ池に大量の硫黄が流れ込み池の水は[[酸性]]度が強くなった。周辺の山小屋ではこの湖水をポンプで送水して宿泊者のためのお風呂の水に利用している<ref name="tv-tokyo">{{Cite web |url=http://www.tv-tokyo.co.jp/sat/backnumber/110903.html |title=天空の宿へ ~にっぽん山小屋物語~ |publisher=[[テレビ東京]]・[[土曜スペシャル]] |date=2011-09-03 |accessdate=2011-10-05}}</ref>。三ノ池は御嶽山で最大の池で<ref name="岐阜県の山 (2009)、79-81頁">[[#岐阜県の山|岐阜県の山 (2009)、79-81頁]]</ref>、湖盆の平均斜度14.4度、水深が13.3 m、8月初旬の平均水温が表面で9.7 [[セルシウス度|℃]]低層で9.5 ℃である<ref name="日本の名山 p.161-165頁" />。三ノ池畔には[[荒神]]と白龍王初春姫大神などの神々が祀られていて<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、97頁">[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、97頁]]</ref>、三ノ池の湖水は信者の御神水(ごしんすい)とされていている<ref name="長野県の山 (1998)、88-89頁">[[#長野県の山|長野県の山 (1998)、88-89頁]]</ref><ref name="tisana tabi">{{Cite web |url=http://www.nhk.or.jp/shutoken/tabi/2010/0828.html |title=祈りの峰 いまも ~御嶽山~ |publisher=[[日本放送協会|NHK]][[小さな旅]] |date=2010-08-28 |accessdate=2011-03-24}}</ref>。王滝村御嶽神社里宮御神水とともに「信州の名水・秘水」の一つに選定されている<ref>{{Cite web |url=http://www.pref.nagano.lg.jp/xtihou/kiso/intro/kankyo/meisui.htm |title=「信州の名水・秘水」に木曽地域から三箇所が選ばれました。 |publisher=長野県長野県木曽地方事務所環境課 |date=2010-08-28 |accessdate=2013-02-03}}</ref>。四ノ池は[[湿原|高層湿原]]となっていて、小川が流れており、[[高山植物]]の群生地となっている。なお、二ノ池北西の斜面の下、賽の河原との間に小さな窪地があり、多雨期には水がたまる。これを六ノ池と呼ぶことがある。賽の河原の西端、シン谷へ落ち込むところに日本最高所の滝 (2,800 m) がある。この谷は兵衛谷となり濁河川と合流し小坂川となって、[[飛騨川]]に注いでいる<ref group="注釈">よく、四ノ池から落ちる滝が日本最高所の滝と言われているが、四ノ池の標高は2,690 mであるため誤りである</ref>。三ノ池のみにオンダケ[[トビケラ]](学名:''Pseudostenophylax'' sp.)の幼虫が生息する<ref name="日本の名山 p.161-165頁" />。
 
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=== 長野県西部地震による御嶽山の大規模崩壊 ===
[[File:根尾滝.jpg|thumb|right|150px|[[根尾の滝]]<br />(落差 63m・幅 5m)]]
[[ファイル:Ontakesan from kohideyama.jpg|thumb|200px|[[小秀山]]から望む[[長野県西部地震]]による御嶽山の南面の大規模な[[山体崩壊]]]]
[[1984年]](昭和59年)9月14日午前8時48分49秒に南山麓で発生した長野県西部地震([[マグニチュード|M]]6.8)により、御嶽山南斜面で大規模な[[山体崩壊]]が発生した<ref name="砂防と治水・第199巻" />。地震によって崩壊した大量の土砂は木曽川水系の濁川上流部の支流伝上川をかけ下り8分間で王滝川にまで達した<ref name="砂防と治水・第199巻" /><ref name="ontakesan-jyoukenzu" /><ref name="日本登山図集 (1986)、54-57頁">[[#日本登山図集|日本登山図集 (1986)、54-57頁]]</ref>。平均80-100 [[キロメートル毎時|km/h]]、延長距離約3 kmで、「御岳崩れ」と呼ばれることがある<ref>{{Cite web |url=http://www.cbr.mlit.go.jp/tajimi/sabo/ontake/data/ontake_kazan09.pdf |format=PDF |title=御嶽山火山防災だよりvol.9 |publisher=国土交通省中部地方整備局多治見砂防国道事務所 |date=2011-10 |accessdate=2013-02-15}}</ref>。濁川温泉、住宅、[[営林署]]の建物を流失させ、15人が犠牲となった<ref name="砂防と治水・第199巻" />。
{{see also|長野県西部地震}}
 
=== 滝が非常に多い山 ===
「御嶽山は滝の山である」と言われるほど、御嶽山を源とする河川には[[]]が多い<ref>{{Cite web |url=http://www.kankou-kiso.com/miru/takimeguri.html |title=御嶽山に登ろう・滝めぐりコース |publisher=木曽町観光協会 |accessdate=2011-03-24}}</ref>。地形が急峻で高低差が大きいこと、独立峰で山体が大きいこと、[[降水量]]が多いこと、豊かな[[森林]]を育んでいて水が涸れることがないことなどがその成因となっている。人が近づきにくいところにあるものが多いが、黒沢口から油木尾根の遊歩道沿いにある百間滝(西野川の支流の南俣川)御嶽教開田高原の尾ノ島滝、王滝口行場となっている新滝・清滝、[[濁河温泉]]付近の仙人滝・緋の滝、[[日本の滝百選]]に選ばれた[[根尾の滝]]など、比較的簡単に目にすることができる滝もいくつかある。新滝と清滝は御嶽教の行場で、新滝には[[洞窟]]がありここに籠って[[断食]]を行い滝に打たれる行場となっている<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、97頁" />。冬に新滝(落差約30 m)と清滝は氷柱となる<ref>{{cite news |title=厳冬氷の芸術 長野県王滝村の新滝 |page=1 | date=2013-02-20 |newspaper=[[中日新聞]] |location=[[名古屋]]}}</ref>。黒沢口四合目の霊神場周辺には、日ノ出滝、明栄滝、大祓滝、松尾滝などがあり[[不動明王]]などの神霊が祀られた行場となっている<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、107-108頁">[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、107-108頁]]</ref>。下呂市[[小坂町 (岐阜県)|小坂町]]には落差5 m以上の滝が200以上あり<ref name="ontake_kazan04" />、多数の小坂の滝めぐりコースが紹介されている<ref name="osaka-taki">{{Cite web |url=http://www.osaka-taki.com/about/index.html |title=小坂の滝めぐり |publisher=小坂の滝めぐり |accessdate=2013-02-15}}</ref>
 
=== 御嶽山は飛騨山脈に含むのか ===
[[ファイル:Ontakesan and Dinichidake from norikuradake 1998-05-16.jpg|thumb|200px|[[飛騨山脈]]南部の[[乗鞍岳]]から望む御嶽山]]
御嶽山は北アルプス([[飛騨山脈]])の延長線上にあり、北アルプスに含めるという説もあるが、北側の[[乗鞍岳]]との間には稜線らしき峰々はほとんどないため、一般的には御嶽山は飛騨山脈は含まれないというのが定説である(ただし、旧乗鞍火山帯には含まれる)。しかし、間を横切る河川は1本もないのも事実であり、明確な結論は出ていない。著名登山家でも意見は分かれている。なお、ガイドブック等で[[日本アルプス]]を3つに分けて紹介する場合、[[木曽山脈|中央アルプス]]の山数が少ないので御嶽山を中央アルプスと合わせて掲載されるケースが多々ある。このため、御嶽山を中央アルプスの山と思いこんでいる人も数多く存在するが、中央アルプスとの間には木曽川が流れており、明らかに中央アルプスには属さない。[[国土地理院]]の日本の主な山岳標高の一覧では、[[鎌ヶ峰]]までが「飛騨山脈南部」、御嶽山は「御嶽山とその周辺」とされている<ref name="kokudo" />。
御嶽山は北アルプス([[飛騨山脈]])の延長線上にあり、北アルプスに含めるという説もあるが、北側の[[乗鞍岳]]との間には稜線らしき峰々はほとんどないため、一般的には御嶽山は飛騨山脈は含まれないというのが定説である(ただし、旧乗鞍火山帯には含まれる)。しかし、間を横切る河川は1本もないのも事実であり、明確な結論は出ていない。著名登山家でも意見は分かれている。なお、ガイドブック等で[[日本アルプス]]を3つに分けて紹介する場合、[[木曽山脈|中央アルプス]]の山数が少ないので御嶽山を中央アルプスと合わせて掲載されるケースが多々ある<ref>[[#中央アルプス 御嶽山・白山|中央アルプス 御嶽山・白山 (2009)]]</ref>。このため、御嶽山を中央アルプスの山と思いこんでいる人も数多く存在するが、中央アルプスとの間には木曽川が流れており、明らかに中央アルプスには属さない。[[国土地理院]]の日本の主な山岳標高の一覧では、[[鎌ヶ峰]]までが「飛騨山脈南部」、御嶽山は「御嶽山とその周辺」とされている<ref name="kokudo" />。御嶽山と鎌ヶ峰との鞍部には長峰峠(標高約1,350 m)がある<ref name="tizu-kokudo" />。
 
== 歴史・信仰 ==
御嶽山は[[山岳信仰]]の山である。通常は[[富士山]]、[[白山]]、[[立山]]で[[日本三霊山]]と言われているが、このうちの白山又は立山を御嶽山と入れ替えて三霊山とする説もある。日本の山岳信仰史において、富士山([[富士講]])と並び[[講|講社]]として庶民の信仰を集めた霊山である<ref>[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、前書]]</ref><ref>[[#日本アルプスの登山と探検|日本アルプスの登山と探検 (1997)、285頁]]</ref>。[[教派神道]]の一つ[[御嶽教]]の[[信仰]]の対象とされている。最高点の剣ヶ峰には[[大国主|大己貴尊]]と[[えびす|えびす様]]を祀った[[御嶽神社#木曽御嶽神社を本社とする神社|御嶽神社]]奥社がある。[[鎌倉時代]]御嶽山一帯は修験者の行場であったが<ref name="新日本山岳誌 (2005)、972-973頁" />、その後衰退していった<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、95頁">[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、95頁]]</ref>。[[室町時代]]中期に神沢杜口の[[随筆]]『翁草』巻162で{{Quotation|御山[[禅定道|禅定]]は百日精進せずしては上り得ず、其間は行場に入りて修行をなす、昼夜光明真言を誦し、[[垢離|水垢離]]をとるなり。其の料金三[[両]]二分百日間の行用とす。斯くのごとくなれば軽賦の者は登り得ず生涯大切の旨願ならねば籠らずとなり。|神沢杜口『翁草』巻162(室町時代中期)}}と記載されていて、山頂の御嶽神社奥社登拝に当たり麓で75日または100日精進潔斎の厳しい修行が必要とされ、この厳しい修行を行ったものだけに年1回の登拝が許されていた<ref name="日本三百名山 (1997)、148頁" /><ref name="御岳山霊なる山の素顔 12-14頁" />。この「道者」と呼ばれる[[木曽谷]]の人々による登拝が盛んとなった<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、95頁" />。[[1560年]]([[永禄]]3年)[[6月13日]]に[[木曾義昌|木曽義昌]]が、従者と共に武運を祈願するために御嶽神社の里宮で100日の精進潔斎を終え後登拝した<ref>[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、128頁]]</ref>。江戸時代前期の行脚僧[[円空]]も登拝し、周辺の[[寺院]]で多くの[[彫刻|木彫]]の[[仏像]]を残している<ref>[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、132頁]]</ref>。1785年(天明5年)に[[尾張国|尾張]][[春日井郡]]出身の覚明行者が、旧教団の迫害を退けて地元信者を借りて黒沢口の登拝道を築き<ref name="現代日本名山図会 (2003)、146-149頁" />、軽い精進登山を普及させるに成功し、厳しい修行をしなくても[[垢離|水行]]だけで登拝できるようになった<ref name="日本三百名山 (1997)、148頁" /><ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、142頁">[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、142頁]]</ref>。その後普寛行者が王滝口を開いた。江戸時代に、王滝口、黒沢口および小坂口の3つの道が開かれることにより、尾張や[[関東]]など全国で[[講|講中]]([[普寛講 (稲城市)|普寛講]]他)が結成され御嶽教が広まり、信仰の山として大衆化されていった<ref name="日本三百名山 (1997)、148頁" /><ref name="日本百名山地図帳(2005)、158-161頁">[[#日本百名山地図帳|日本百名山地図帳(2005)、158-161頁]]</ref>。江戸時代末期から明治初期にかけて毎年何十万人の御岳講で登拝され賑わっていた<ref name="日本の山1000 (1992)、350-351頁" />。江戸時代末期の『[[信濃奇勝録]]』で、{{Quotation|[[信州]]一の大山なり、嶽の形大抵[[浅間山|浅間]]に類して、清高これに過ぐ、毎年6月諸人潔斎して登る、福島より十[[里]]、全く[[富士山]]に登るが如し。|信濃奇勝録(江戸時代末期)}}と記載されている<ref name="日本の山1000 (1992)、350-351頁">[[#日本の山1000|日本の山1000 (1992)、350-351頁]]</ref>。1868年(明治元年)に黒沢口の8合目には「女人堂」が御嶽山で最初に山小屋としての営業を開始し、この上部への女性の立ち入りが禁止されていたが<ref name="日本百名山地図帳(2005)、158-161頁" />、1872年の太政官通達により他の国内の山と比較して早くから[[女人禁制]]が解かれた<ref name="新日本山岳誌 (2005)、972-973頁" />。[[ファイル:Ontake-tozando.jpg|thumb|200px|right|登山道沿いにある優覚講霊神場]]王滝口と黒沢口の参道には多数の霊場と修行場跡がある<ref name="日本山名辞典 (1992)、116頁" />。御嶽信仰では自然石に霊神(れいじん)の名称を刻印した「霊神碑」を建てる風習がある<ref>[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、84頁]]</ref>。黒沢口の参道には登拝者を祀った約5,000基の霊神碑があり、王滝口の参道にも多数の霊神碑が並ぶ<ref name="日本200名山 (1987)、166頁" />。御嶽神社には[[蔵王権現]]が祀られていて、遠く離れた[[鳥居峠 (長野県)|鳥居峠]]や[[和田峠 (長野県)|和田峠]]などの遥拝所に御嶽信仰の[[石碑]]や[[祠]]が設置されている<ref name="新日本山岳誌 (2005)、972-973頁" />。江戸時代後期の絵師[[谷文晁]]が『日本名山図会』この山を描いて、名山として紹介した<ref name="現代日本名山図会 (2003)、146-149頁" />。林道黒石線と白崩林道の[[有料道路]]や[[御岳ロープウェイ]]の開業に伴い、ひのき笠と金剛杖の[[白装束]]の信者で埋め尽くされていた登拝道に、一般の登山者が混じるようになってきた<ref>[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、2頁]]</ref>。1985年(昭和60年)以降に山腹に4つの[[スキー場]]が建設された。
[[File:Ontake-tozando.jpg|thumb|240px|登山道沿いにある優覚講霊神場]]
=== 御嶽神社 ===
御嶽山は[[山岳信仰]]の山である。通常は[[富士山]]、[[白山]]、[[立山]]で日本[[三霊山]]と言われているが、このうちの白山又は立山を御嶽山と入れ替えて三霊山とする説もある。江戸時代に、王滝口、黒沢口および小坂口の3つの道が開かれた。最高点の剣ヶ峰には[[御嶽神社]]奥社がある。[[教派神道]]の一つ[[御嶽教]]の[[信仰]]の対象とされている。
御嶽大神と呼ばれる[[国之常立神|国常立尊]]、[[大国主|大己貴命]]、[[スクナビコナ|少彦名命]]を祭神とする<ref>[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、80頁]]</ref>。王滝口に里宮と黒沢口に里宮と若宮があり、王滝御嶽神社の奥社は王滝頂上、黒沢御嶽神社の奥社は山頂の剣ヶ峰にある<ref>[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、111頁]]</ref>。[[1882年]](明治15年)6月に、小谷分喜が『御嶽神社社略縁起』を出版した<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、271頁">[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、271頁]]</ref>。1944年(昭和22年)に御嶽教などの教団と御嶽神社が「木曽御嶽山奉賛会」を設立し、その後「御嶽山奉賛会」と改称し[[神社]]の運営を行っている<ref>[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、91頁]]</ref>。1984年(昭和59年)9月14日の御嶽山直下を震源とした長野県西部地震で一合目の里宮の拝殿と末社が半壊し、行場の清滝は滝つぼが土砂に埋まった<ref>[[#御岳山霊なる山の素顔|御岳山霊なる山の素顔(2010)、47頁]]</ref>。黒沢御嶽神社では[[太々神楽]]が奉納されている。
[[ファイル:Mount Ontake Shinto shrines on peak.jpg|thumb|200px|最高点の剣ヶ峰にある[[御嶽教]]総本山の御嶽神社奥社本宮]]
* 黒沢御嶽神社
** 里宮 - 黒沢口、所在地は木曽町三岳6687、少彦名命を祭神とする。
** 若宮 - [[1385年]]([[至徳 (日本)|至徳]])黒沢口に再興された<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、267頁">[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、267頁]]</ref>。に大己貴命を祭神とする。
** 頂上奥社本宮 - 御嶽山頂上(剣ヶ峰)、大己貴命と少彦名命を祭神とする<ref name="木曽御嶽信仰 (2002)、132頁">[[#木曽御嶽信仰|木曽御嶽信仰 (2002)、132頁]]</ref>。
* 王滝御嶽神社
** 里宮 - 王滝口1合目にあり、1484年([[文明 (日本)|文明]]16年)に再建され、御嶽山登拝前の精進潔斎の参籠のための行場であった。古くは、「岩戸権現」と呼ばれ<ref>[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、75頁]]</ref><ref name="日本百名山地図帳(2005)、158-161頁" />、明治以前は王御嶽岩戸座王権現が祀られていたが<ref name="木曽御嶽信仰 (2002)、132頁" />、現在は国常立尊、大己貴命、少彦名命を祭神とする。[[ファイル:Mount Ontake Shinto shrines on Otaki peak.jpg|thumb|200px|王滝頂上にある[[御嶽神社#木曽御嶽神社を本社とする神社|御嶽神社]]頂上奥社本宮]]
** 頂上奥社本宮 - 頂上の剣ヶ峰、かつては日ノ権現が祀られていたが、現在は国常立尊、大己貴命、少彦名命を祭神とする<ref>[[#木曽御嶽信仰|木曽御嶽信仰 (2002)、133頁]]</ref>。
* 八海山神社 - 王滝口5合目、眼病平癒
* 三笠山神社 - 王滝口7合目の三笠山頂上、道中安全、[[交通安全]]
* 田ノ原大黒天 - 王滝口5合目の田の原、商売繁盛、開運
* 御嶽神社飛騨口里宮 - 濁河温泉登山口
{{see also|御嶽神社}}
=== 御嶽の四門 ===
遠方から御嶽の登拝にやってきて最初に御嶽山を望むことができる場所が『'''御嶽の四門'''』と呼ばれていて<ref name="よみがえる木曽人の物語 (1996)、70頁">[[#よみがえる木曽人の物語|よみがえる木曽人の物語 (1996)、70頁]]</ref>、鳥居などが設置された御嶽山の遥拝所がある<ref>松平君山『御嶽縁起』</ref><ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、62-66頁">[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、62-66頁]]</ref>。これらは[[仏教]]の四門として、岩郷村神戸が発心門、長峰峠が菩薩門、三浦山中が修行門、鳥居峠が涅槃門にたとえられていた<ref>[[#木曽御嶽信仰|木曽御嶽信仰 (2002)、130頁]]</ref>。木曽福島から黒沢口への古道の合戸峠や姥神峠などにも御嶽遥拝所があった<ref name="山と高原地図 (1993)、地図表面">[[#山と高原地図1993年版|山と高原地図 (1993)、地図表面]]</ref><ref>[[#よみがえる木曽人の物語|よみがえる木曽人の物語 (1996)、258頁]]</ref>。
* 岩郷村神戸 - [[中山道]]を[[京都|京]]方面から最初に御嶽山を望める箇所<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、62-66頁" />、現在の木曽町、山頂の東南東19.8 km。
* 長峰峠 - 鎌ヶ峰との鞍部 - 覚明行者系の空明行者によって再興された御嶽大権現の碑が設置されている<ref name="よみがえる木曽人の物語 (1996)、70頁" /><ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、62-66頁" />。山頂の北北東10.4 km。
* 三浦山中 - 戦乱で焼失したと記録されている<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、62-66頁" />。阿寺山地の拝殿山、山頂の南西17.2 km。
* [[鳥居峠 (長野県)|鳥居峠]] - 中山道、山頂の東北東29.2 km。[[木曽義元]]が戦勝祈願のため、御嶽遥拝の鳥居を建造した。普寛行者系の一心行者の石像が設置されている。
=== 御嶽信仰を広めた行者 ===
==== 覚明行者 ====
[[ファイル:Kakumeido in Mount Ontake.jpg|thumb|200px|黒沢口の登山道の九合目にある山小屋「覚明堂」。覚明行者は1785年(天明5年)に黒沢口を開き、翌年登山道の改修中にニノ池畔で病に倒れこの場所に埋葬された。山小屋の横には覚明行者を祀る霊場が現存する。]]
'''覚明行者'''(かくめいぎょうしゃ)は、[[1718年]]([[享保]]3年)[[3月3日]]に尾張国春日井郡牛山村<!--(田楽村)-->皿屋敷の農夫丹羽清兵衛(左衛門)と千代の子として生まれ、[[幼名]]は源助で後に仁右五衛門に改名、幼少期は新川村土器野新田の農家で養われていた<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、15頁">[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、15頁]]</ref><ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、27-28頁">[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、27-28頁]]</ref>。出身地の愛知県[[春日井市立牛山小学校]]の[[校歌]]で、「北に御岳見はるかす 覚明行者の産湯の街に」と歌い込まれている。[[1818年]]([[文政]]元年)10月の『連城亭随筆』で「[[医師]]の箱持ちをした後お梅と結婚し[[餅]]屋を開き商いをしていた。」と記録されている<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、27-28頁" /><ref group="注釈">魚の[[行商]]をしていたとする説もある。</ref>。ある時予期せぬ出来事が起こり、各地で[[巡礼]]修行を行い[[行者]]となった<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、27-28頁" />。木曽谷の村々で布教活動を行い信者を増やした<ref name="よみがえる木曽人の物語 (1996)、125頁">[[#よみがえる木曽人の物語|よみがえる木曽人の物語 (1996)、125頁]]</ref>。[[1782年]]([[天明]]2年)御嶽山を管轄する[[神職]]武居家と山村[[代官]]に登山許可の請願を行ったが、数百年に渡る従来の登拝型式(精進潔斎)を破ることになるため却下された<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、30-33頁">[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、30-33頁]]</ref>。しかし登山許可がないまま1785年(天明5年)6月8日に地元住民8名と、6月14日には尾張の38名の信者らと、6月28日には約80名を引き連れて強引に登拝を行った<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、30-33頁" />。登拝したものは罪を受け、覚明行者も21日間拘束を受けたとされている<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、30-33頁" />。[[1786年]]([[天明]]6年)にも多数の同志を引き連れて登拝を強行し黒沢の登山道の改修を行ったが、その最中の6月20日<ref group="注釈">7月23日とする説もある。</ref>にニノ池畔で病に倒れ、その直下にある黒沢口九合目の覚明堂の宿舎上の岩場に埋葬された<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、30-33頁" /><ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、134-143頁">[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、134-143頁]]</ref>。山小屋「覚明堂」の横に覚明行者の[[霊場]]が現存する。その後覚明行者の志を受け継いだ信者により黒沢口の登山道の改修が完結され、覚明行者が強行登拝したことによって事実上の「軽精進による登拝解禁」となった<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、30-33頁" />。信者が増加し[[福島宿]]に[[経済効果]]が生まれるようになったこともあり[[1791年]](寛政3年)6月には麓の[[庄屋]]が連名で武居家に軽精進登拝の請願を提出し、[[1792年]](寛政4年)1月1日に許可が下された<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、30-33頁" /><ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、134-143頁" /><ref name="よみがえる木曽人の物語 (1996)、125頁" />。6月14日から6月18日まで間に、入山料200文を徴収し、軽精進による登拝を認めるという規定が作られた<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、30-33頁" />。[[1850年]]([[嘉永]]3年)に上野東叡山日光御門主から菩薩号が授与された<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、270頁">[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、270頁]]</ref>。覚明行者は麓の開田西野で村人に「[[アカマツ]]の苗が育てば必ず[[イネ|稲]]ができる」と教え、村人が苗を植えたら育ったことから開田の地名が生まれ、その由来が[[1806年]](文化3年)に設置された稗田の碑に刻まれている<ref name="よみがえる木曽人の物語 (1996)、125頁" />。御嶽山を[[中興]]開山させた先駆者とされている<ref>[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、25頁]]</ref>。
[[ファイル:Kiyotaki Otaki Nagano.jpg|thumb|135px|王滝口三合目の清滝、清滝不動明王が祀られ、登拝者が水行を行う行場となっている。]]
==== 普寛行者 ====
'''普寛行者'''(ふかんぎょうしゃ)は、[[1731年]](享保16年)に武蔵国[[秩父郡]][[大滝村 (埼玉県)|大滝村]]落合で生まれ(本名が本明院普寛)、青年期[[江戸]]に出て[[剣術]]を学び酒井雅楽頭家に仕えたと伝えられている<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、40-44頁">[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、40-44頁]]</ref>。[[1764年]]([[明和]]元年)[[三峯神社]]に入門した本山派の修験者となった<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、40-44頁" />。[[1792年]](寛政4年)5月に江戸などの信者を引き連れて開山にために旅立ち、6月8日から山に入り各地で御座(おざ)<ref group="注釈">「御座」は普寛行者が普及させた[[巫]]術による神降ろしの儀礼と[[祈祷]]。</ref>を行いながら6月10日に登拝し王滝口を開いた<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、40-44頁" />。その後江戸方面での御嶽講を組織し御嶽信仰を普及させた<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、40-44頁" />。[[1794年]](寛政6年)には[[上野国|上州]]の[[武尊山]]、[[1795年]](寛政7年)には[[八海山]]の開山を行い霊山の開山活動を続けた後、[[1801年]]([[享和]]元年)9月巡錫中に武州[[本庄駅]]で病に倒れた<ref>[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、47頁]]</ref><ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、267頁" />。普寛行者は{{Quotation|なきがらは いつくの里に埋むとも 心御嶽に 有明の|普寛行者の辞世の句}}の辞世の句を残している。王滝口3合目の清滝上の花戸には普寛行者の墓塔がある<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、108-110頁">[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、108-110頁]]</ref>。1850年(嘉永3年)に上野東叡山日光御門主から菩薩号が授与された<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、270頁" />。[[1890年]](明治23年)王滝村で普寛行者百年祭が開催され記念碑が建立された<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、272頁">[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、272頁]]</ref>。普寛行者の直[[師弟|弟子]]として広山行者、泰賢行者、順明行者などがいて、その後次々に有力な行者が現れて御嶽講が広まった<ref>[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、182-193頁]]</ref>。
=== 御嶽講 ===
御嶽山の登拝は行者と信者が一緒にその聖地を巡礼する旅(御嶽参り<ref name="八ヶ岳・御岳と中央アルプス(1983)、164-165頁">[[#八ヶ岳・御岳と中央アルプス|八ヶ岳・御岳と中央アルプス(1983)、164-165頁]]</ref>。)でもある<ref>[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、113頁]]</ref>。講者ごとに先達(せんだつ)に導かれて集団で登拝されることが多い。普寛行者の没後有力な行者が次々と現れ、この信仰により病苦が救われると信頼され、最初に江戸など関東地方に普寛行者系の御嶽講社が開かれた<ref name="花かおる御嶽山 (2000)、4頁" />。その後普寛行者の弟子である儀覚行者(きかくぎょうじゃ、[[1769年|1769]]-[[1841年]])が東海地方に宮丸講を初めて開き、覚明行者系の講社が愛知県を中心に西日本へと広まった<ref>[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、127-131頁]]</ref>。濃尾平野の農民は木曽川の水源となる御嶽山を[[水分神]]の山として尊崇していた<ref name="よみがえる木曽人の物語 (1996)、119頁">[[#よみがえる木曽人の物語|よみがえる木曽人の物語 (1996)、119頁]]</ref>。木曽谷の地域でも普寛行者系の講社が次々と結成された<ref>[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、19-22頁]]</ref>。各講の先達の魂は霊神として、その[[石碑|碑]]が御嶽山の登拝道に鎮められている<ref name="いちどは行ってみたい日本の聖地(2010)、36-37頁" />。この「死後我が御霊はお山にかえる」という信仰に基づく霊神碑が御嶽山信仰の特徴のひとつである<ref>[[#よみがえる木曽人の物語|よみがえる木曽人の物語 (1996)、76頁]]</ref>。江戸時代から関東や尾張から[[中山道]]が利用されていたが、[[1919年]](大正8年)の[[中央本線]]が全線開通すると[[木曽福島駅]]から御嶽山へ歩き始めるようになった<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、72頁">[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、72頁]]</ref>。[[1923年]](大正23年)に[[木曽森林鉄道]]が敷設された後、木曽福島駅から黒沢と王滝まで[[おんたけ交通]]の[[乗合バス]]が利用されるようになった<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、72頁" />。[[1966年]](昭和41年)に有料道路林道黒石線が全線開通すると[[観光バス|貸切バス]]で直接王滝口の田の原へ入ることができるようになり、[[1971年]](昭和46年)有料道路白崩林道が全線開通すると貸切バスで直接黒沢口の中の湯まで入ることができるようになった<ref>[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、74頁]]</ref>。現在は天気が安定している7月下旬から8月中旬頃に1泊2日または2泊3日で登拝が行われることが多い<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、115頁">[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、115頁]]</ref>。黒沢口から8合目の女人堂を経て山頂を往復するか、黒沢口から山頂を経て王滝口へ下るルートで登拝されるか、王滝口から山頂を往復するか、王滝口から山頂を経て8合目の女人堂を経て黒沢口へ下るルートで登拝されることが多い<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、115頁" />。
=== 宗教教団 ===
[[ファイル:Mount Ontake from Tanohara.jpg|thumb|200px|王滝口7合目から望む御嶽山、御嶽大神と呼ばれる[[スクナビコナ|少彦名命]]、[[国之常立神|国常立尊]]、[[大国主|大己貴命]]の祭神。]]
御嶽教、木曽御嶽教、神進大教、神理教、禊教、大成教、神道修成派、丸山教、稲荷教、天台宗寺門派や古くは講社と呼ばれていた旧教派神道系の教団などの御嶽信仰の教団がある<ref>[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、4頁]]</ref>。
==== 御嶽教 ====
'''御嶽教'''(おんたけきょう)は、[[奈良県]][[奈良市]]に教団本部(御嶽山大和本宮)を置く[[教派神道]]で、[[神道十三派]]の一つ<ref name="ontakekyo">{{Cite web |url=http://www.ontakekyo.or.jp/ |title=御嶽教 |publisher=御嶽教 |accessdate=2013-02-18}}</ref>。御嶽教の山の本部である木曽大教殿が長野県木曽町福島新満郡にある。[[1984年]](昭和59年)4月に、日本全国に御嶽教の教会、枝教会、布教所が978(愛知県263、岐阜県98、[[埼玉県]]47、長野県40など)ほどあった<ref>[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、24-25頁]]</ref>。
{{main|御嶽教}}
==== 木曽御嶽教 ====
'''木曽御嶽教'''(きそおんたけきょう)は、[[1946年]](昭和21年)に覚明行者系の講社などが結集して設立された御嶽信仰の宗教教団。総本庁と天昇殿事務所が木曽町三岳にある<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、72頁">[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、72頁]]</ref>。御嶽神社を宗祠とし、初代の管長は黒沢御嶽神社[[宮司]]の武居誠<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、72頁" />。
 
=== 御嶽山の年表 ===
*[[702年]]([[大宝 (日本)|大宝]]2年) - [[役小角]]により開山したとされる<ref name="jiten">{{Cite book|和書 |author= |year=1992 |month=10 |title=コンサイス日本山名辞典 |publisher=[[三省堂]] |isbn=4-385-15403-1 |pages=p.116}}</ref>。
*[[702年]]([[大宝 (日本)|大宝]]2年)6月 - [[役小角]]が開山し<ref name="日本山名辞典 (1992)、116頁" />、[[信濃国]]の[[司]]高根道基が山頂の剣ヶ峰に[[御嶽神社]]奥社を創建したとされている<ref name="いちどは行ってみたい日本の聖地(2010)、36-37頁" /><ref name="日本百名山地図帳(2005)、158-161頁" />。
*[[925年]]([[延長 (日本)|延長]]3年) - 白河少将重頼が登拝し、[[御嶽神社]]奥社の神殿を建造。
*[[774年]]([[宝亀]]5年) - 信濃国の[[司]][[石川名足]] (石川朝臣)が[[勅命|勅]]を受けて登頂し、大己貴命と少彦名命の二神を祀り悪疫退散を祈願した<ref name="いちどは行ってみたい日本の聖地(2010)、36-37頁" /><ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、267頁" />。
*[[961年]]([[応和]]元年)- [[後白河上皇]]の勅使が登山参拝されたと伝えられている。
*[[1177925年]]([[治承]]元年)~[[1184年]]([[寿永延長 (日本)|延長]]3年) - [[源義仲|木曾義仲]]白河少将重頼打倒平氏登拝し、御嶽神社奥社の神殿祈願するために登っ建造したと伝えられている<ref name="jiten日本百名山地図帳(2005)、158-161頁" />。
[[ファイル:Ontake shirine satomiya.JPG|200px|サムネイル|右|黒沢御嶽神社里宮]]
*[[928年]](延長6年) - [[醍醐天皇]]の勅使により、黒沢口に御嶽神社里宮が建造された<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、267頁" />。
*[[1161年]]([[応保]]元年)- [[後白河天皇]]の勅使が登山参拝されたと伝えられている<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、267頁" />。
*[[1177年]]-[[1184年]]([[治承]]元年-[[寿永]]3年) - [[源義仲|木曾義仲]]が打倒平氏を祈願するために登ったと伝えられている<ref name="日本山名辞典 (1992)、116頁" />。
*[[室町時代]] - [[修験者]]の登拝が盛んになった。
<!-- *[[15001484年]] ([[文明 (日本)|文]]916年) - [[木曾義昌|木曽義昌]]御嶽神社里宮従者と共に武運を祈願するために登頂し建立された<ref name="いちどは行ってみたい日本の名山 p.246">[[#日本の名山|日本の名山聖地(19982010)、p.246]]<36-37頁" /ref>。 要検証-->
*[[1492年]]-[[1500年]]([[明応]]-[[大永]]年間) - [[木曾義元|木曽義元]]が[[小笠原氏]]を打倒し、藪原峠に御嶽遥拝の[[鳥居]]を建造した<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、267頁" />。
*[[1785年]]([[天明]]5年) - 覚明行者によって黒沢口が開かれた。御嶽信仰の山として[[江戸時代]]に、一般にも開放されるようになった。
*[[1503年]]([[文亀]]3年) - 王滝村祚宜彦五郎が『王御嶽登山清女行法巻』の祭文を書写<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、267頁" />。
*[[1791年]]([[寛政]]3年) - 覚明行者が小坂口を開いた。
*[[1507年]]([[永正]]4年) - 王滝村祚宜彦五郎が『王御嶽蔵王権現祭祀祝詞』を書写<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、267頁" />。
*[[1792年]](寛政4年) - 普寛行者が王滝口を開いた。
*[[1560年]]([[永禄]]3年)6月13日 - [[木曾義昌|木曽義昌]]が従者と共に武運を祈願するために登頂した<ref name="日本の名山 246頁" /><ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、267頁" /><ref group="注釈">木曽山行巻の下で「義昌登嶽本意事」として記録されている。{{Quotation|永禄三年木曽長政御嶽之登り山神を享祭すべきと、黒沢に百日斎して同月十三日登御なり。|木曽山行巻の下「義昌登嶽本意事」}}</ref>。
*[[1868年]]([[慶応]]4年) - 黒沢口登山道の八合にある山小屋の女人堂が開業した。
*[[1591年]]([[天正]]19年) - 王滝村祚宜滝六郎右ヱ門が『嶽由来記』を記す<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、267頁" />。
*[[1593年]]([[文禄]]元年) - 王滝村祚宜滝六郎右ヱ門が『御嶽山縁記』を書写<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、267頁" />。
*[[1716年]]-[[1735年]]([[享保]]年間) - [[本草学]]者の[[丹羽正伯]]らが山域で[[生薬]]の採集や調査を行った<ref name="hino-seiyaku">{{Cite web |url=http://hino-seiyaku.com/ |title=日野製薬株式会社 |publisher=日野製薬 |accessdate=2013-02-04}}</ref>。
*[[1719年]]([[享保]]4年)[[6月15日]] - 「山村家給人古畑助三郎以下四十一名」の道者が登拝したと記録されている<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、267頁" /><ref>[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、109頁]]</ref>。
*[[1785年]]([[天明]]5年) - 尾張の覚明行者によって黒沢口が開かれた<ref name="日本百名山地図帳(2005)、158-161頁" />。御嶽信仰の山として[[江戸時代]]に、一般にも開放されるようになった<ref name="日本山名辞典 (1992)、116頁" /><ref name="目で見る日本登山史・日本登山史年表 (1995)、5頁">[[#目で見る日本登山史・日本登山史年表|目で見る日本登山史・日本登山史年表 (1995)、5頁]]</ref>。
*[[1791年]]([[寛政]]3年) - 小坂口が開かれた。
*[[1792年]](寛政4年) - [[代官]]山村良喬により御嶽山の軽精進登山が許可され、武居家から「登山に付谷中へ通達の事」が通達された<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、142頁" /><ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、269頁">[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、269頁]]</ref><ref name="目で見る日本登山史・日本登山史年表 (1995)、5頁" />。
**6月 - [[武蔵国|武蔵]]の普寛行者が王滝口を開いた<ref name="日本山名辞典 (1992)、116頁" /><ref name="日本百名山地図帳(2005)、158-161頁" />。
*[[1849年]]([[嘉永]]2年) - 普寛行者の弟子である寿光行者が御嶽山の霊草百種を採り集め、煎じて生薬としたと伝えられている<ref name="naganoken-seiyaku">{{Cite web |url=http://www.hyakuso.co.jp/ |title=長野県製薬株式会社 |publisher=長野県製薬 |accessdate=2013-02-04}}</ref>。
*[[1861年]]([[文久]]元年) - 剣ヶ峰の御嶽神社奥社の祠の石垣の改修が行われ、700枚ほどの大観通宝が出土した<ref>[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、125頁]]</ref>。
*[[1872年]]([[明治]]5年) - [[太政官]]通達により神社仏閣地の[[女人禁制]]が解かれた。
*[[1907年]]([[明治]]40年) - 御嶽山上に御嶽夏季[[郵便局]]が開設された<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、272頁" />。
*[[1952年]]([[昭和]]27年)[[3月3日]] - 長野県側が御岳県立自然公園に指定される。
*[[1925年]]([[大正]]14年) - 御嶽自動車商会(現在の[[おんたけ交通]])が開業<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、272頁" />。
*[[1952年]](昭和27年)[[3月3日]] - 長野県側の山域が御岳県立自然公園に指定される<ref name="Nagano-shizenkouen" />。
*[[1954年]](昭和29年)3月 - 王滝口、自動車道路の建設開始。
**[[8月8日]] - 山頂直下の八丁ダルミに、御嶽教の[[斎場]]である「御嶽山頂上祭場」(日本で最高所の[[火葬場]])が造られ、毎年「御嶽山大御神火祭」が斎行されるようになった<ref name="ontakekyo">{{Cite web |url=http://www.ontakekyo.or.jp/ |title=御嶽教のHP |publisher=御嶽教 |accessdate=2013-02-04}}</ref>。
*[[1961年]](昭和36年)- 南山麓に[[牧尾ダム]]が完成し[[中京圏]]の水がめとして[[上水道]]、[[工業用水]]、[[かんがい用水]]を供給している。
*[[1966年]](昭和41年)―)- 王滝口、[[有料道路]]林道黒石線(現在の村道41号線)が田の原まで全線開通。
[[ファイル:Volcanic gas of Mount Ontake.jpg|thumb|right|135px|1979年の水蒸気爆発でできた大ダルミ直下南の噴気孔からの噴煙(1990年10月10日)]]
*[[1971年]](昭和46年)- 黒沢口、有料道路白崩林道が中の湯まで全線開通。
*[[1979年]](昭和54年)[[10月28日]] - 南西側斜面で水蒸気爆発が発生し、有史以来の噴火となった<ref name="kazan" />。
*[[1984年]](昭和59年)[[9月14日]]午前8時48分49秒 - 御嶽山直下を[[震源]]とした[[マグニチュード|M]]6.8の[[長野県西部地震]]が発生し<ref>{{Cite web |url=http://www.seisvol.kishou.go.jp/tokyo/312_Ontakesan/312_index.html |title=火山・御嶽山 |publisher=気象庁 |accessdate=2011-03-24}}</ref>、剣ヶ峰[[南南東]]の伝上川上流で山体崩壊が発生し、岩屑なだれが流れ下った王滝川沿いの山麓に多大な被害をもたらした<ref>{{Cite web |url=http://archives.nhk.or.jp/chronicle/B10001200998409180130070/?n=15&q=%E5%BE%A1%E5%B6%BD&o=1&np=100&or=t |title=クローズアップ・巨大山津波が襲った~長野県西部地震~(NHK総合テレビ・1984年9月18日放送) |publisher=NHK |accessdate=2011-03-24}}</ref>。この際、[[濁川温泉 (長野県)|濁川温泉]](現存せず)が流失し、経営者一家が行方不明になった。
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*[[1997年]](平成9年)[[4月1日]] - 有料道路林道黒石線無料開放化。
*[[1998年]](平成10年)- 北岳山腹に[[チャオ御岳スノーリゾート]]が開業。
*[[1999年]](平成11年)[[4月1日]] - 岐阜県側の山域が御嶽山県立自然公園に指定される<ref name="Gifu-shizenkouen" />
*[[2004年]](平成16年)[[3月1日]] - 麓の[[小坂町 (岐阜県)|小坂町]]及び[[萩原町 (岐阜県)|萩原町]]、[[下呂町]]、[[金山町 (岐阜県)|金山町]]、[[馬瀬村]]が合併して[[下呂市]]が誕生した。
*[[2005年]](平成17年)[[2月1日]] - 麓の[[朝日村 (岐阜県)|朝日村]]、[[高根村 (岐阜県)|高根村]]及び[[高山市]]、[[丹生川村]]、[[清見村]]、[[荘川村]]、[[宮村 (岐阜県)|宮村]]、[[久々野町]]、[[国府町 (岐阜県)|国府町]]、[[上宝村]]の1市2町7村が編入合併し新しい高山市となった。
*2005年(平成17年)*[[11月1日]] - 麓の[[開田村]]、[[三岳村 (長野県)|三岳村]]及び[[木曽福島町]]、[[日義村]]が合併し[[木曽町]]となる。
*[[2007年]](平成19年)[[11月13日]]-[[11月14日]] - 木曽町で日本山岳修験学会(木曽御嶽学術大会)が開催される<ref>[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、5頁]]</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.sangakushugen.jp/conferencepast.html |title=これまでの学術大会 |publisher=日本山岳修験学会 |accessdate=2013-02-07}}</ref>。
 
== 観光御嶽山の環境 ==
[[1757年]]([[宝暦]]7年)に松平君山が『吉蘇志畧』を刊行し、御嶽山について
=== 主な観光スポット ===
{{Quotation|その東の峰に三つの池有り、一の池は水涸る、一の池は水少し、一の池は水満る、その水は流れて西のに至る。この北を地獄谷と云う硫黄多し、その水流れて王滝に至る、濁川と云う、往々硫黄を取得す、その水甚だ臭し|松平君山『吉蘇志畧』}}
[[File:Mount Ontake from Tanohara 1997-06-01.jpg|thumb|right|240px|王滝口にある田の原天然公園から望む残雪を抱いた御嶽山]]
と記載し、ハイマツ、コマクサ、オンダテ、[[オコジョ]]などの解説とホシガラスト、ライチョウなどの[[鳥類]]の詳細なスケッチを残している<ref>[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、203-204頁]]</ref>。標高3,000 mを越える高山であり、木曽節では「木曽の御嶽夏でも寒い袷やりたや[[足袋]]添えて」と歌われている。1979年の噴火による荒廃で黒沢口登山道九合目の石室山荘周辺のハイマツが枯れたが、2002-2003年頃から若芽が確認されている<ref name="御岳山霊なる山の素顔 58頁">[[#御岳山霊なる山の素顔|御岳山霊なる山の素顔(2010)、58頁]]</ref>。御嶽山のコマクサの[[コマクサ#御嶽山のコマクサの昔話|昔話]]がある<ref name="日本の名山 192-193頁">[[#日本の名山|日本の名山(1998)、192-193頁]]</ref>。王滝口登山道にある田の原天然公園を中心に約830 [[ヘクタール|ha]]が、木曽御岳自然休養林に指定されている<ref name="tanohara" />。[[田中澄江]]は、『花の百名山』著書で代表する花に一つとして[[リンネソウ]]を紹介した<ref name="花の百名山 (1997)、274-277頁" />。標高1,500m以下の山麓では、[[ヒノキ]]、[[アスナロ]]などの[[木曽五木]]が見られる<ref name="新日本山岳誌 (2005)、972-973頁" />。[[1836年]]([[天保]]7年)に西山麓の下呂市小坂町赤沼田で植栽されたヒノキの人工林が、1993年(平成5年)に[[林野庁]]により「赤沼田天保ヒノキ植物群落保護林」の指定を受けた<ref>{{Cite web |url=http://www.rinya.maff.go.jp/chubu/gijyutu/gyomu/sikengero/gero29.html |title=赤沼田(あかんた)ヒノキ人工林成長試験地 |publisher=林野庁中部森林管理局 |accessdate=2013-01-31}}</ref>。木曽町三岳では「御嶽黒光真石」と呼ばれる安山岩が産出され、御嶽信仰の霊神碑にも利用されていた。現在も麓の田中石材店などで石材加工が行われている。
* 田の原天然公園 - 御嶽山の登山道の王滝口標高約2,200m付近に広がる天然公園で、湿原、背の低い[[針葉樹林]]帯に[[遊歩道]]や展望台が整備されている<ref name="tanohara">{{Cite web |url=http://www.rinya.maff.go.jp/chubu/policy/business/invitation/rekumori/kisoontake/index.html |title=木曽御岳 |publisher=[[中部森林管理局]] |accessdate=2011-03-24}}</ref>。
* 開田高原 - [[蕎麦]]の産地や[[木曽馬]]の里としても知られ、[[乗馬]]体験ができる施設がある。
* 自然湖 - [[長野県西部地震]]によりせき止められた[[木曽川]]の[[支流]]である王滝川上流の湖で、立ち枯れの木が湖の中に並んでいて夏季シーズンの[[カヌー]]が人気となっている<ref name="御岳山霊なる山の素顔 p.49">[[#御岳山霊なる山の素顔|御岳山霊なる山の素顔(2010)、p.49]]</ref>。
* [[牧尾ダム|御岳湖]] - 王滝川の牧尾ダムによりできた[[湖]]。
* おんたけ休暇村 - 御岳高原にある[[名古屋市]]の保険休養地
* [[濁河温泉]] - 御嶽山の濁河口の登山口にある[[温泉]]
 
=== スキー場御嶽山の動物 ===
3万年前の[[旧石器時代]]にオオツノシカが生息していて、東山麓の開田高原はその狩猟場であった<ref name="よみがえる木曽人の物語 (1996)、12頁">[[#よみがえる木曽人の物語|よみがえる木曽人の物語 (1996)、12頁]]</ref>。柳又遺跡からは[[石器]]や[[土器]]が出土している<ref name="よみがえる木曽人の物語 (1996)、12頁" />。山頂付近の登山道の高山帯に生息する[[ホシガラス]]、[[ライチョウ]]、[[クジャクチョウ]]などが見られる。ライチョウ(雷鳥)は日本で[[特別天然記念物]]に指定され<ref>{{Cite web |url=http://bunka.nii.ac.jp/db/SearchDetail.do?heritageId=162818 |title=文化遺産データベース「らいちょう」 |publisher=[[文化庁]] |accessdate=2013-01-31}}</ref>、環境省により[[レッドリスト]]の絶滅危惧IA類<ref>{{cite web |url=http://www.env.go.jp/press/file_view.php?serial=20551&hou_id=15619 |title=【鳥類】環境省第4次レッドリスト(2012)<分類群順> |format=PDF |publisher=環境省 |date=2012-08-28 |accessdate=2013-01-31}}</ref>、岐阜県では絶滅危惧I類、長野県では絶滅危惧II類に指定され絶滅が危惧されている<ref>{{Cite web |url=http://jpnrdb.com/search.php?mode=map&q=0208001012902100030160 |title=日本のレッドデータ検索システム「ライチョウ」 |publisher=(エンビジョン環境保全事務局)|accessdate=2013-01-31}} - 「都道府県指定状況を一覧表で表示」をクリックすると、出典元の各都道府県のレッドデータブックのカテゴリー名が一覧表示される。</ref>。1981年の調査で50箇所あったライチョウの縄張りが、2008年の調査で28箇所に減少している<ref name="御岳山霊なる山の素顔 119頁">[[#御岳山霊なる山の素顔|御岳山霊なる山の素顔(2010)、119頁]]</ref>。2012年12月に、西側の前衛峰である[[御嶽山系]]の御前山の標高1,500 m付近でライチョウ1羽(冬羽のメス)が確認され、冬期に尾根伝いに高山帯から移動してきたものと見られている<ref>{{Cite web |url=http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20130123/201301230850_19177.shtml |title=低山帯にライチョウ 下呂・御前山で異例の目撃 |publisher=[[岐阜新聞]] |date=2013-01-23 |accessdate=2013-02-02}}</ref>。山域には[[イタチ]]、[[イノシシ]]、[[タヌキ]]、[[ツキノワグマ]]、[[ニホンザル]]、[[ホンドギツネ]]などが生息し、[[アトリ]]、[[イカル]]、[[キジ]]、[[キバシリ]]<ref>{{Cite web |url=http://www.pref.gifu.lg.jp/kankyo/shizen/red-data-dobutsu/cho-rui/kibasiri.html |title=キバシリ |publisher=岐阜県 |accessdate=2013-02-28}}</ref>、[[ヒガラ]]、[[ブッポウソウ]]などの[[鳥類]]も豊富である<ref name="日本山名辞典 (1992)、116頁" />。南東山麓の長野県木曽郡木曽町の「三岳のブッポウソウ繁殖地」は国の天然記念物の指定を受けている<ref>{{Cite web |url=http://bunka.nii.ac.jp/db/SearchDetail.do?heritageId=161218 |title=文化遺産データベース「三岳のブッポウソウ繁殖地」 |publisher=文化庁 |accessdate=2013-01-31}}</ref>。開田高原ではその産地であった[[木曽馬]]が飼育されていて、長野県の天然記念物の指定を受けている<ref>{{Cite web |url=http://www.pref.nagano.lg.jp/kyouiku/syougai/bunkazai/kentenen.pdf |title=長野県天然記念物 |format=PDF |publisher=長野県 |accessdate=2013-02-27}}</ref>。[[チョウ目]][[ヤガ科]]のオンタケクロヨトウ(学名:''Apamea ontakensis'' Sugi)の高山蛾は、御嶽山の高山帯のみに生息する<ref group="注釈">岐阜県で絶滅危惧I類の指定を受けている。</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.pref.gifu.lg.jp/kankyo/shizen/red-data-dobutsu/konchu-rui/ontakekuroyotou.html |title=オンタケクロヨトウ |publisher=岐阜県 |accessdate=2013-02-28}}</ref>。[[本州]]の限られた山岳地帯に分布するチョウ目[[シャクガ科]]のウチジロナミシャク(学名:''Dysstroma truncata fusconebulosa'' Inoue)は、岐阜県では御嶽山のみで分布が確認されている<ref group="注釈">岐阜県で準絶滅危惧の指定を受けている。</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.pref.gifu.lg.jp/kankyo/shizen/red-data-dobutsu/konchu-rui/utizironamisyaku.html |title=ウチジロナミシャク |publisher=岐阜県 |accessdate=2013-02-28}}</ref>。
* [[おんたけ2240]](旧おんたけスキー場)
<gallery>
* [[御岳ロープウェイスキー場]] - 平成22年度より冬季営業休止
ファイル:木曽駒 1.jpg|北東山麓の開田高原で飼育されている[[木曽馬]](長野県指定天然記念物)
* [[開田高原マイアスキー場]]
ファイル:Macaca fuscata fuscata.JPG|山麓の[[ニホンザル]]
* [[チャオ御岳スノーリゾート|チャオ御岳スキー場]]
ファイル:Nucifraga caryocatactes in Mount Tsubakuro 2002-07-27.jpg|高山帯でハイマツの種子を捕食する[[ホシガラス]]
: 4つの[[標高]]の高い位置(上部は標高2,000m以上)にある[[スキー場]]は、雪質が良く、[[ゴールデンウィーク]]頃の遅い時期まで滑走が可能である。
ファイル:Rock Ptarmigan in Mount Ontake 1996-08-10.jpg|国指定特別天然物の[[ライチョウ]](夏羽のメス)
ファイル:Eurystomus orientalis -San Diego Zoo-8a-2c.jpg|南東山麓に「三岳の[[ブッポウソウ]]繁殖地」がある
ファイル:Inachis io and Solidago virgaurea in Ontakesan 2010-08-27.JPG|高山植物の[[ミヤマアキノキリンソウ]]を吸蜜する[[クジャクチョウ]]
</gallery>
 
=== 眺望スポット御嶽山の植物 ===
{{commonscat|Plants on Mount Ontake|御嶽山の植物}}
3,000mを越える高山であるが、奥深い山中にあるため、山体全体を眺められる場所は意外と少ない。
[[ファイル:Protective zone of Dicentra peregrina.jpg|thumb|200px|御嶽山の山上の[[コマクサ]]保護活動区域、江戸時代末期に「御神草」として採集され多くの自生のものが消滅した。]]
* 長野県側に、[[九蔵峠]]と[[地蔵峠]]などがある。
江戸時代末期に御嶽山の高山植物は「御神草」として珍重され、山頂部の高山帯に自生する[[コマクサ]]は薬草として採集され多くの自生のものが消滅した<ref name="花かおる御嶽山 (2000)、58頁">[[#花かおる御嶽山|花かおる御嶽山 (2000)、58頁]]</ref><ref group="注釈">東隣の[[木曽駒ヶ岳]]では同様な採集が行われたことにより、自生していたものが消滅した。</ref>。山頂部のコマクサ群落の再生活動が行われている。1887年(明治20年)7月に[[植物学|植物学者]]の[[白井光太郎]]が登頂して高山植物を採集し、1889年(明治22年)には[[三好学]]らも採集し<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、271頁" />、1933年(昭和8年)に植物学者の中野治房が御嶽山の植物生態を調査した<ref name="日本の名山 246頁" /><ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、272頁" />。山の上部の[[森林限界]]の高山帯には、[[アオノツガザクラ]]、[[イワウメ]]、[[ウラジロナナカマド]]、[[オオヒョウタンボク]]、[[ガンコウラン]]、[[キバナシャクナゲ]]、[[クロマメノキ]]、[[コケモモ]]、[[コメバツガザクラ]]、[[タカネナナカマド]]、[[チングルマ]]、[[ハイマツ]]、[[ミネズオウ]]、[[ミヤマハンノキ]]などの樹木と[[イワギキョウ]]、[[イワツメクサ]]、[[オンタデ]]、[[クモマグサ]]<ref group="注釈">御嶽山と[[白馬岳]]に分布する希少な植物。</ref><ref>[[#日本の高山植物|日本の高山植物 (1988)、398頁]]</ref>、[[クロユリ]]、コマクサ、[[シラタマノキ]]、[[チシマギキョウ]]、[[トウヤクリンドウ]]、[[ハクサンイチゲ]]、[[ミヤマアキノキリンソウ]]、[[ミヤマキンバイ]]、[[ミヤマダイコンソウ]]、[[モミジカラマツ]]などの多くの[[高山植物]]が自生している<ref name="山と高原地図1993年版">[[#山と高原地図1993年版|山と高原地図 (1993)、地図裏面]]</ref><ref name="花かおる御嶽山">[[#花かおる御嶽山|花かおる御嶽山 (2000)]]</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.vill.otaki.nagano.jp/ontake_tozan/kisoontakesan_no_plant/tozan03_plant_top.html |title=木曽御嶽山(王滝口)登山道の植物 |publisher=王滝村 |accessdate=2011-03-24}}</ref>。日本の[[固有種]]であるオンタデ(御蓼)の[[和名]]は、この山で最初に発見されたことによる<ref>[[#日本の高山植物|日本の高山植物 (1988)、502頁]]</ref><ref>[[#花かおる御嶽山|花かおる御嶽山 (2000)、63頁]]</ref>。ウラジロナナカマドとタカネナナカマドとの[[雑種]]のオンタケナナカマド(学名:''Sorbus'' x ''yokouchii'' {{AU|M.Mizush.}} ex {{AU|T.Shimizu}})が自生している<ref>[[#日本の高山植物|日本の高山植物 (1988)、388頁]]</ref>。中腹の[[亜高山帯]]では、[[オオシラビソ]]、[[オガラバナ]]、[[コメツガ]]、[[シラビソ]]、[[ダケカンバ]]、[[トウヒ]]、[[ナナカマド]]、[[ハリブキ]]、[[ミヤマザクラ]]などの樹木と[[オサバグサ]]、[[カニコウモリ]]、[[キソアザミ]]、[[キソチドリ]]、[[ゴゼンタチバナ]]、[[コバイケイソウ]]、[[サンカヨウ]]、[[セリバシオガマ]]、[[タケシマラン]]、[[ツバメオモト]]、[[バイカオウレン]]、[[マイヅルソウ]]、[[ムシトリスミレ]]、[[ユキザサ]]などの草花が自生している<ref name="日本山名辞典 (1992)、116頁" /><ref name="新日本山岳誌 (2005)、972-973頁" /><ref name="山と高原地図1993年版" /><ref name="花かおる御嶽山" />。下部の山地帯では、[[イヌブナ]]、[[カエデ|カエデ類]]、[[カツラ (植物)|カツラ]]、[[クリ]]、[[シラカンバ]]、[[シナノキ]]、[[ミズナラ]]などの落葉広葉樹と[[トチノキ]]、[[クロベ]]、[[サワラ]]、[[ヒノキ]]などの[[自然林]]の針葉樹と[[カラマツ]]、[[スギ]]、ヒノキなどの[[人工林]]、[[イワカガミ]]、[[クガイソウ]]、[[ササユリ]]、[[ススキ]]、[[ツルアジサイ]]、[[トリアショウマ]]、[[ホタルブクロ]]、[[マツムシソウ]]、[[ヤナギラン]]などの草花が分布している<ref name="山と高原地図1993年版" /><ref name="花かおる御嶽山" />。「御岳オサバグサ」(面積18.39 ha)と「胡桃島ハイマツ等」が林野庁により、植物群落保護林の指定を受けている<ref>{{Cite web |url=http://www.rinya.maff.go.jp/chubu/policy/business/conservation/hogorin/syokubutu.html |title=植物群落保護林 |publisher=林野庁中部森林管理局 |accessdate=2013-02-01}}</ref>。「木曽ヒノキ」は、「秋田のスギ」と「津軽の[[ヒバ]]」とともに『[[日本三大一覧|日本三大]]美林』に選定されている<ref name="日本山名辞典 (1992)、116頁" />。南側は現在も火山活動中であり[[植物相]]は貧弱で、北側はコマクサの群生地など豊富な植物相となっている<ref name="岐阜県の山 (2009)、79-81頁" />。[[1910年]]に[[植物学|植物学者]][[小泉源一]]がこの山で[[トリカブト|トリカブト属]]のオンタケブシ(学名:''Aconitum metajaponicum'' {{AU|Nakai}})を採集しその和名の由来となっている<ref>{{Cite journal ja-jp |author=門田裕一 |year=1984 |title=東北地方におけるトリカブト属トリカブト亜属植物(キソポウゲ科)の形態的変異と分布 |publisher=[[国立科学博物館]] |journal=国立科学博物館専報 |volume=17 |pages=89}}</ref>。オンタケチブシは絶滅が危惧されていて、環境省の絶滅危惧IA類の指定を受けている<ref>{{Cite web |url=http://www.jpnrdb.com/search.php?mode=map&q=06030301387 |title=日本のレッドデータ検索システム「オンタケブシ」 |publisher=(エンビジョン環境保全事務局)|accessdate=2013-02-03}}</ref>。
* 岐阜県側に、[[御嶽パノラマライン]]、日和田高原、御嶽鈴蘭高原などがある。
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ファイル:Campanula lasiocarpa in Mount Ontake 2011-09-18.JPG|山頂部の高山帯に自生する[[イワギキョウ]]
ファイル:Aconogonon weyrichii var. alpinum in Mount Ontake 2010-08-27.jpg|山名が和名の由来となっている[[オンタデ]](御蓼)、高山帯の砂礫地に自生する。
ファイル:Saxifraga merkii var idsuroei.JPG|御嶽山と[[白馬岳]]に自生する希少種の[[クモマグサ]]
ファイル:Fritillaria camschatcensis in Mount Haku 2011-07-17.jpg|山頂部の高山帯に自生する[[クロユリ]]
ファイル:Dicentra peregrina in Mount Ontake 2010-08-27.jpg|「高山植物の女王」と呼ばれている[[コマクサ]]
ファイル:Gentiana algida in Mount Ontake 2010-08-27.jpg|山頂部の高山帯に自生する[[トウヤクリンドウ]]
</gallery>
 
[[ファイル:Phellodendron amurense JPG1b.jpg|thumb|200px|御嶽山の山域に自生している[[キハダ (植物)|キハダ]]。生薬となるオウバクが麓の[[製薬会社]]が製造する[[百草丸]](御岳百草丸など)の主成分として利用されている。]]
=== 御嶽山の生薬「百草丸」 ===
多くの[[薬草|薬用植物]]が分布し江戸時代に[[本草学]]の研究が盛んに行われ、この地域を領有していた[[尾張藩]]が薬草の採取を行っていた<ref name="hino-seiyaku" />。1716年-1735年(享保年間)に本草学者の丹羽正伯らが山域で生薬の採集や調査を行った。[[1804年]]-[[1818年]]([[文化 (元号)|文化]]年間)に水谷豊文が山麓を中心とする『木曽採薬記』を刊行し<ref name="hino-seiyaku" />、山頂付近にコマクサが自生していることが記載されている<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、205頁">[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、205頁]]</ref>。1844年(天保15年)に周辺の木曽谷の山域で採取された植物の[[押し花|おしば帳]]である『木曽産草花根皮類』が刊行され、アオノツガザクラ、[[オヤマリンドウ]]、クロユリ、[[スミレ]]、チングルマ、[[ミズバショウ]]など50種類などが[[図鑑]]型式にまとめられていた<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、201-202頁">[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、201-202頁]]</ref>。そのうちの24種が現在の[[和名]]で記載されていた<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、201-202頁" />。[[本草学]]が進んでいた尾張藩に属していて、山村代官により薬草の調査、栽培、管理が行われていた <ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、201-202頁" />。王滝口を開いた普寛行者により、『御嶽山の霊薬百種を採り集めよく煎じて薬を製せば霊剣験神の如し、これを製して諸人を救え。』と村人などに伝授された<ref name="花かおる御嶽山 (2000)、5頁">[[#花かおる御嶽山|花かおる御嶽山 (2000)、5頁]]</ref>。1849年(嘉永2年)に王滝口を開いた普寛行者の弟子である寿光行者が、御嶽山の霊草百種を採り集め煎じて生薬としたと伝えられていて<ref name="naganoken-seiyaku" />、王滝村には「百草元之碑」には同村の胡桃沢弥七と小谷文七が普寛行者の遺法を基に百草を製造したと記載されている<ref name="御岳山霊なる山の素顔(2010)、77-79頁">[[#御岳山霊なる山の素顔|御岳山霊なる山の素顔(2010)、77-79頁]]</ref>。御嶽信仰の広がりと共に木曽御嶽の「御神薬」の百草が各地に広まった<ref name="hino-seiyaku" />。百草は御嶽参りの[[土産|お土産]]とされていた<ref>[[#よみがえる木曽人の物語|よみがえる木曽人の物語 (1996)、126頁]]</ref>。[[ファイル:Hyakuso-gan.JPG|thumb|135px|御岳百草丸<br />([[長野県製薬]])]]南山麓では[[長野県製薬]](御岳百草丸)と[[日野製薬]](御嶽山日野百草丸)が、[[キハダ (植物)|キハダ]]の樹皮の内側の木の層の「オウバク」を主成分とした「[[百草丸]]」([[胃腸薬]])を製造している<ref name="hino-seiyaku" /><ref name="naganoken-seiyaku" /><ref name="御岳山霊なる山の素顔(2010)、77-79頁" />。この薬箱には「山三丸マーク」と呼ばれる御嶽信仰を象徴するマーク(御嶽神社や登山道の霊神碑の刻印などでも使用されている。)が印刷されている。なおこの山三丸マークを使用する[[商標|商標権]]について製薬会社間で訴訟「平成9年(行ケ)213号 審決取消請求事件」が行われた<ref>{{Cite web |url=http://jitsuyou.hanrei.jp/hanrei/um/4071.html |title=平成9年(行ケ)213号 審決取消請求事件 |publisher=アスタミューゼ株式会社 |accessdate=2013-02-18}}</ref>。明治以降は[[兵士]]の常備薬として需要が高まり、山域のキハダは昭和初期には伐採し尽くされ、他の地域や海外から輸入する事態となり現在は大半を[[中国]]のから輸入に頼っている<ref name="御岳山霊なる山の素顔(2010)、77-79頁" />。百草には「御嶽山の五夢草」であるコマクサ、オンタケニンジン、[[オウレン]]、[[トウヤク]]、テングノヒゲが含まれ<ref name="hino-seiyaku" />、[[アキカラマツ|タカトウグサ]]と[[ゲンノショウコ]]なども利用されていた伝えられている<ref name="花かおる御嶽山 (2000)、5頁" />。
 
=== 御嶽山の国有林 ===
鎌倉時代から昭和初期まで山腹から山麓にかけての森林で木曽五木などが伐採され、その伐材は木曽川を利用して川流しが行われていた<ref name="八ヶ岳・御岳と中央アルプス(1983)、164-165頁" />。山域の森林は江戸時代には尾張藩により管理され、明治になると御料林となり、現在山域の多くは[[国有林]]となっている<ref name="八ヶ岳・御岳と中央アルプス(1983)、164-165頁" />。その大部分が[[水源かん養保安林]]に指定されている<ref name="飛騨川森林計画区の計画概要">{{Cite web |url=http://www.rinya.maff.go.jp/chubu/policy/business/sinrinkeikaku/pdf/gaiyouhidagawa.pdf |title=
飛騨川森林計画区の計画概要 |publisher=林野庁中部森林管理局 |format=PDF |accessdate=2013-01-31}}</ref>。御岳特定地理等保護林(旧御岳垂直森林帯植物群落保護林、面積1,540 ha)などで、自然環境の維持や動植物の保護ための国有林の保護管理が行われている<ref name="飛騨川森林計画区の計画概要" />。千間樽国有林と胡桃島国有林の一部が、「御岳自然休養林」に指定されている<ref>{{Cite web |url=http://www.rinya.maff.go.jp/chubu/policy/business/invitation/rekumori/ontake/pdf/ontakeitizu2.pdf |title=御岳自然休養林 |publisher=林野庁中部森林管理局 |format=PDF |accessdate=2013-02-01}}</ref>。
* 下呂地区(岐阜森林管理署管内)
** 落合国有林 - [[ウラジロカンバ]]、[[ミネカエデ]]などの落葉広葉樹と[[コメツガ]]、[[サワラ]]、[[シラベ]]、[[トウヒ]]などの針葉樹林が分布し、[[ヒノキ]]が植林されている<ref>{{Cite web |url=http://www.rinya.maff.go.jp/chubu/gijyutu/sitemap/sub25.html |title=落合国有林 |publisher=林野庁中部森林管理局 |accessdate=2013-01-31}}</ref>。
* 高山地区(岐阜森林管理署管内)
** 幕岩下国有林
** 千間樽国有林
** 胡桃島国有林 - 胡桃島ハイマツ等植物群落保護林がある。
** 幕岩下国有林
[[ファイル:Mount Ontake from Tanohara 1997-06-01.jpg|thumb|right|200px|王滝口にある田の原天然公園(木曽御岳自然休養林)から望む残雪を抱いた御嶽山]]
* 木曽谷地区(木曽森林管理署管内)
** 三浦国有林 - 古くからヒノキの山地として知られ、江戸時代初期に伐採されていて、痕地にチマキザサ(学名:''Sasa palmata'')などが分布する。[[阿寺山地]]上部の[[隆起準平原]]で濃飛[[流紋岩]]などで構成されている<ref>{{Cite web |url=http://www.rinya.maff.go.jp/chubu/gijyutu/gyomu/sikenkiso/kiso01.html |title=三浦国有林各種実験林 |publisher=林野庁中部森林管理局 |accessdate=2013-01-31}}</ref>。
** 王滝御岳国有林
** 樽沢国有林
** 浦沢国有林
** 障子沢国有林
** 御嶽国有林
** 黒沢御岳国有林 - 黒沢口の油木尾根沿いの百間滝道には江戸時代に尾張藩が植林した樹齢200年以上のヒノキの美林が広がり「油木美林」と呼ばれている<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、107-108頁" /><ref>[[#木曽御嶽信仰|木曽御嶽信仰 (2002)、131頁]]</ref>。
** 新高国有林
** ヤケノ国有林
** ヌカネ国有林
** ナガウ原国有林
 
== 登山 ==
[[ファイル:Hida Mountains from Mount Ontake.jpg|thumb|right|200px|御嶽山頂上(剣ヶ峰)、山頂からは北側に乗鞍岳や穂高岳が望める。]]
江戸時代から信仰登山が盛んに行われていて、現在も[[白装束]]の登拝者が見られる山である。御嶽山の登山口は[[木曽地域|木曽]]側から3つ(王滝口、黒沢口、開田口)、[[飛騨国|飛騨]]側から1つ(小坂口)が昔から利用されていたが、その後日和田口が比較的新しく開かれた。1979年10月の噴火後上部の4合目までが入山規制され、1981年に山頂部の火口付近を除き入山規制が解除された<ref name="日本の名山 p.246" />。木の丸太などで整備された階段状の登山道は地元に有志らにより修復整備がなされている<ref name="hinoseiyaku" />。麓の開田中学校や王滝中学校では学校登山が行われている<ref name="御岳山霊なる山の素顔 p.15">[[#御岳山霊なる山の素顔|御岳山霊なる山の素顔(2010)、p.15]]</ref>。黒沢口などでは御嶽講の先達を背負ったり、信者の荷物や、山小屋の物資を運ぶ[[歩荷|強力]]を担う人がいる<ref name="御岳山霊なる山の素顔 p.24">[[#御岳山霊なる山の素顔|御岳山霊なる山の素顔(2010)、p.24]]</ref><ref name="tisana tabi" />。
[[ファイル:Mount Ontake from Tanohara 2005-03-27.jpg|thumb|right|200px|残雪期の春先に王滝口の田の原から山頂に向かう登山者、独立峰であり稜線では強風で雪煙が舞っている。]]
=== 登山史 ===
[[ファイル:Fujimi-ishi in Mount Ontake.jpg|thumb|right|200px|王滝口上部の富士見石、この高さまで登ると富士山が前衛の中央アルプス越しに頭を出し始める。]]
*[[1873年]](明治6年) - [[ウィリアム・ゴーランド]]とE.デイロンが登頂<ref name="日本の名山 p.246" />。
古来より信仰の対象として少数の修験者によって登られ、江戸時代に覚明行者が黒沢口を開き、普寛行者が王滝口を開き全国各地に御嶽講が広まり信者による集団登拝が盛んに行われ、現在も[[白装束]]の登拝者が見られる山である。江戸時代の御嶽登山者の病気や凍死による死亡者の記録(御嶽山遭難者遺族差出証文など)が多数残されていて、[[1847年]]([[弘化]]4年)[[7月16日]]には山頂の強い風雨で7人中5人が凍死する[[遭難#山岳遭難|山岳遭難]]が起きた<ref>[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、196頁]]</ref>。1868年(明治元年)に黒沢口8合目の「女人堂」が御嶽山で最初に山小屋としての営業を開始した<ref name="Nyonindo">{{Cite web |url=http://www.kiso.ne.jp/~ontake.85.kt/ |title=木曽御嶽山登山 黒沢口 山小屋 女人堂 2470m |publisher=女人堂 |accessdate=2013-02-14}}</ref>。1872年(明治5年)に女人禁制が解かれるまでは、避難小屋などとして登拝者に利用されていてた女人堂から上部への女性の立入りは禁じられていた<ref name="Nyonindo" /><ref>[[#日本アルプスの登山と探検|日本アルプスの登山と探検 (1997)、291頁]]</ref>。明治初期に外国人の登頂により近代登山が始まった<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、207頁">[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、207頁]]</ref>。1894年に[[ウォルター・ウェストン]]が登頂して以降、一般の登山者にも登られるようなった<ref name="日本三百名山 (1997)、148頁" />。ウェストンと同時期に[[アメリカ合州国|アメリカ]]の[[天文学者]][[パーシヴァル・ローウェル]]が来訪した際に登頂し、『オカルト・ジャパン』(第1章「御嶽」)で当時の様子を記している<ref>[[#パーシヴァル・ローウェル|パーシヴァル・ローウェル (1895)、第1章「御嶽」]]</ref>。[[1907年]](明治40年)の[[ウマ|馬]]や[[駕籠|かご]]に乗る御嶽山登山者の写真が残されている<ref>[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、222頁]]</ref>。御嶽山の登山口は[[木曽地域|木曽]]側から3つ(王滝口、黒沢口、開田口)、[[飛騨国|飛騨]]側から1つ(小坂口)が昔から利用されていたが、その後日和田口が比較的新しく開かれた。1979年10月の噴火後上部の4合目までが入山規制され、1981年に山頂部の火口付近を除き入山規制が解除された<ref name="日本の名山 246頁" />。気象庁が発表する噴火警戒レベルにより入山が規制される場合がある<ref>{{Cite web |url=http://www.pref.nagano.lg.jp/police/sangaku/fuyu12/10ontake.htm |title=山岳情報(平成24年冬山情報・御嶽山) |publisher=[[長野県警察]] |accessdate=2013-02-03}}</ref>。木の丸太などで整備された階段状の登山道は「木曽御嶽奉仕会」などによる地元の有志や御岳信仰の関係者によって修復整備がなされている<ref name="hinoseiyaku" /><ref>[[#御岳山霊なる山の素顔|御岳山霊なる山の素顔(2010)、11頁]]</ref>。3,000 mを越える高峰であるが登山口の標高が高いため日帰りで登山されることもある<ref name="長野県中信・南信日帰りの山 (2006)、87-91頁">[[#長野県中信・南信日帰りの山|長野県中信・南信日帰りの山 (2006)、74-78頁]]</ref>。麓の開田中学校や王滝中学校、下呂市の小学校などで学校登山が行われている<ref name="御岳山霊なる山の素顔 15頁">[[#御岳山霊なる山の素顔|御岳山霊なる山の素顔(2010)、15頁]]</ref>。黒沢口などでは御嶽講の先達を背負ったり、信者の荷物や、山小屋の物資を運ぶ[[歩荷|強力]]を担う人がいる<ref name="tisana tabi" /><ref name="御岳山霊なる山の素顔 24頁">[[#御岳山霊なる山の素顔|御岳山霊なる山の素顔(2010)、24頁]]</ref>。1954年(昭和29年)から8月8日に山頂直下(剣ヶ峰と王滝頂上の間)の八丁ダルミで、御嶽教の御嶽山大神火祭が行われている<ref name="日本山名辞典 (1992)、116頁" /><ref name="ontakekyo" />。大多数の信仰登山者が利用する黒沢口と王滝口の登拝道は、一般登山道としても利用されている<ref name="長野県の山 (1998)、88-89頁" />。積雪期の登山において難所はないものの、独立峰のため山頂付近が強風で[[アイスバーン]]となるため滑落に注意を要し、視界が悪い時にはルート判断が難しくなる山である<ref>[[#日本雪山登山ルート集|日本雪山登山ルート集 (1996)、158-159頁]]</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.pref.gifu.lg.jp/bosai-bohan/sangaku/index.data/book.pdf |title=岐阜県北アルプス登山ガイドブック(平成24年版) |publisher=岐阜県危機管理課 |format=PDF |pages=9 |accessdate=2013-02-20}}</ref>。百名山ブームもあって、[[旅行会社]]による登山ツアーが多数行われている。
*[[1874年]](明治7年) - [[ヨハネス・ユストゥス・ライン]]が登頂<ref name="日本の名山 p.246" />。
=== 近代登山史 ===
*[[1881年]](明治14年) - [[アーネスト・サトウ]]らが登頂し、『中部及び北方日本旅行案内』を執筆した<ref name="日本の名山 p.246" />。
*[[1868年]](明治元年) - 黒沢口8合目の「女人堂」が御嶽山で最初に山小屋としての営業を開始した<ref name="Nyonindo" />。
*[[1891年]](明治24年) - [[ウォルター・ウェストン]]が黒沢口から登頂し王滝口に下山、その後『日本アルプスの登山と探検』などの著書で御嶽山を含む日本の山々を世界に紹介した<ref name="Weston">{{Cite book|和書 |author=ウォルター・ウェストン |translator=青木枝朗 |year=1997 |month=6 |title=日本アルプスの登山と探検 |publisher=[[ 岩波文庫]] |isbn=4003347412
*[[1873年]](明治6年) - [[ウィリアム・ゴーランド]]とエドワード・デイロンが外国人としての初登頂をした<ref name="日本の名山 246頁" /><ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、271頁" />。
|pages=p.372}}</ref>。
*[[18931874年]](明治267年) - [[木暮理太郎ヨハネス・ユストゥス・ライン]]と[[イギリス人]]のワイウイー・ハウス他2名が登頂<ref name="日本の名山 p.246頁" /><ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、207頁" />。
*[[18941881年]](明治27年)8月14年) - ウォルタ[[ア・ウェスト・サトウ]]ウィリアム・ゴーランドと登頂し、『中部及び北方日本旅行案内』を執筆した<ref name="Weston日本の名山 246頁" />。
*[[1891年]](明治24年)8月 - ウォルター・ウェストンが登頂<ref name="日本アルプスの登山と探検 (1997)、372頁">[[#日本アルプスの登山と探検|日本アルプスの登山と探検 (1997)、372頁]]</ref><ref name="目で見る日本登山史・日本登山史年表 (1995)、9頁">[[#目で見る日本登山史・日本登山史年表|目で見る日本登山史・日本登山史年表 (1995)、9頁]]</ref>。
*[[1893年]](明治26年) - [[木暮理太郎]]が王滝口から御嶽講に加わり登頂<ref name="日本の名山 246頁" /><ref name="目で見る日本登山史・日本登山史年表 (1995)、9頁" />。
*[[1894年]](明治27年)8月14日 - ウォルター・ウェストンが黒沢口から再登頂し王滝口に下山、その後『日本アルプスの登山と探検』などの著書で御嶽山を含む日本の山々を世界に紹介した<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、272頁" /><ref name="目で見る日本登山史・日本登山史年表 (1995)、9頁" /><ref>[[#日本アルプスの登山と探検|日本アルプスの登山と探検 (1997)、283-305頁]]</ref>。
*[[1933年]](昭和8年) - [[三笠宮]]が登山を行った<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、272頁" />。
*[[1937年]](昭和11年)[[7月17日]] - [[英文学者]]と[[登山家]]である[[田部重治]]が、王滝口から再登頂し小坂口へ下山した<ref>[[#田部重治|田部重治 (1996)、385-393頁]]</ref>。
*[[1948年]](昭和23年) - 麓の[[木曽町立開田中学校]]の生徒による学校登山が始まる<ref name="tisana tabi" />。
*[[2006年]](平成18年)[[6月25日]] - 王滝村を中心とした御嶽山でOSJおんたけスカイレース([[トレイルランニング]]競技)が開催され、以降毎年同レースが開催されている<ref>{{Cite web |url=http://www.powersports.co.jp/osjtrail/index.htm |title=OSJトレイルランニングレースシリーズ |publisher=POWER SPORTS |accessdate=2011-03-24}}</ref>。
 
=== 主な登山===
各方面から[[登山道]]が開設されている<ref name="tizu-kokudo" /><ref name="日本登山図集 (1986)、54-57頁" /><ref name="山と高原地図(2011)" /><ref>[[#東海・北陸の200秀山|東海・北陸の200秀山 (2009)、56-57頁]]</ref>。小坂口、日和田口利用者の中には、剣ヶ峰まで登らずに、飛騨頂上・継子岳あるいは、摩利支天山までの登山を目的とする登山者も多い。一ノ池を取り囲むの西側の稜線に登山道があり、剣ヶ峰からニノ池小屋へのルートの一つとなっている。以前は、[[王滝川]]の支流の濁川に沿って濁川温泉(現存せず)を経て、剣ヶ峰と継母岳の鞍部に登る松原新道があったが、[[1984年]]の長野県西部地震により発生した伝上崩れにより崩壊し、廃道となった<ref name="日本登山図集 (1986)、54-57頁" />。
[[File:Mount Ontake from Tanohara 2005-03-27.jpg|thumb|right|200px|残雪期の春先に王滝口の田の原から山頂に向かう登山者、独立峰であり稜線では強風で雪煙が舞っている]]
[[ファイル:Brocken spectres in Mount Ontake.jpg|thumb|right|200px|王滝頂上から望む継母岳と[[ブロッケン現象]]]]
; 王滝口<ref>{{Cite web |url=http://www.vill.otaki.nagano.jp/ontake_tozan/tozan04.html |title=木曽御嶽山(王滝口)登山道の紹介 |publisher=王滝村 |accessdate=2011-03-24}}</ref>
==== 王滝口 ====
: 田の原 - 7合目大江権現 - 金剛童子(8合目下) - 9合目石室 - 王滝頂上 - 剣ヶ峰
: 御嶽山への車道としてで上がれる登山口御嶽山で最も高い標高地点(2160メートル)ま(田の原、標高2,160 m)登ることが出来ありまた山頂の剣ヶ峰へのアプローチはルートである。途中での眺望が優れており、登山口から王滝頂上までのコースが常に上から下まで見渡せる。登山口の田の原から王滝頂上までの間には8合目と9合目に無人の[[山避難小屋]]しかないがある。[[山開き]]に相当する開山祭は7月1日に行われる。積雪期には登山口の田の原への道路が閉鎖されるが、春先におんたけ2240のスキー場のゴンドラを利用して、雪山登山を行う例がある。1合目に国常立尊、大己貴命、少彦名命を祀った御嶽神社里宮があり登拝口となっている<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、108-110頁" />。3合目には清滝と新滝があり、清滝には清滝不動明王が祀られ、登拝者が水行を行う行場となっている<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、108-110頁" />。5合目には子授け神霊である十二権現、6合目には眼の神様の八海山大神がある<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、108-110頁" />。標高約2,190 mの田の原には田ノ原山荘と木曽御嶽自然休養林田ノ原自然公園があり、登山シーズン中には自動車で上がることができる<ref name="山と高原地図 (1993)、地図表面" />
;* 黒沢口田の原 - 7合目大江権現 - 金剛童子(8合目下) - 9合目石室 - 王滝頂上 - 剣ヶ峰<ref>{{Cite web |url=http://www.kankou-kisovill.comotaki.nagano.jp/miruontake_tozan/index_3tozan04.html |title=木曽御嶽山に登ろう・(王滝口)登山コース道の紹介 |publisher=木曽町観光協会王滝村 |accessdate=2011-03-24}}</ref>
[[ファイル:Mount Ontake from Nyonindo.jpg|thumb|right|200px|黒沢口8合目の女人堂から望む御嶽山、金剛堂には多数の霊神碑が設置されている。]]
: 中の湯(6合目)またはロープウェイ飯森駅 - 行場山荘(7合目) - 女人堂(8合目) - 石室山荘(9合目) - 覚明堂 - 剣ヶ峰
==== 黒沢口 ====
: 覚明行者によって開かれた最も古い登山道。[[御嶽教]]、[[木曽御嶽本教]]に最も関わりの深い登山道でもある。夏には[[六根清浄]]を唱える白衣の登拝者が見られる<ref name="y1000">{{Cite book|和書 |author= |year=1992 |month=8 |title=日本の山1000 |publisher=山と溪谷社 |isbn=4635090256 |pages=pp.350-351}}</ref>。有人山小屋が合目ごとにある。現在は7合目付近に[[索道|ロープウェー]]の飯森駅(標高2150メートル)ができ、王滝口登山口の田の原とほぼ同じ標高まで歩かずに登ることができるようになったため、大半の登山者がロープウェイを利用するようになったが、6合目から歩く登山者は現在でも少なくない。山開きに相当する開山祭は王滝口と同じ7月1日に行われる。
覚明行者によって開かれた最も古い登山道。[[御嶽教]]、[[木曽御嶽本教]]に最も関わりの深い登山道でもある。夏には「懺悔反省、[[六根清浄]]」を唱える白衣の登拝者が見られる<ref name="日本の山1000 (1992)、350-351頁" /><ref>[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、7頁]]</ref>。有人山小屋が合目ごとにある。現在は7合目付近に[[索道|ロープウェー]]の飯森駅(標高2,150 m)ができ、王滝口登山口の田の原とほぼ同じ標高まで歩かずに登ることができるようになったため、大半の登山者がロープウェイを利用するようになったが、6合目から歩く登山者は現在でも少なくない。山開きに相当する開山祭は王滝口と同じ7月1日に行われる。1合目に大己貴命を祀った御嶽神社若宮と少彦名命を祀った御嶽神社里宮があり登拝口となっている<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、107-108頁" />。登拝道場には多数の霊神碑が並べられていて、4合目の屋敷場には御嶽山で最大規模の霊神場があり講社単位で建てられた多数の霊神碑がある<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、107-108頁" />。松尾滝から油木尾根を経て百間滝から8合目の女人堂に至るルートは百間滝道と呼ばれている<ref name="山と高原地図 (1993)、地図表面" />。百間滝には百間滝小屋があり行場となっている<ref name="木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、107-108頁" />。
; 開田口
* 中の湯(6合目)またはロープウェイ飯森駅 - 行場山荘(7合目) - 女人堂(8合目) - 石室山荘(9合目) - 覚明堂 - 剣ヶ峰<ref>{{Cite web |url=http://www.kankou-kiso.com/miru/index_3.html |title=御嶽山に登ろう・登山コース |publisher=木曽町観光協会 |accessdate=2011-03-24}}</ref>
: 開田口4合目 - 7合目避難小屋跡 - 三ノ池避難小屋 - 賽の河原 - 二ノ池 - 剣ヶ峰
==== 開田口 ====
: 木曽側の3つの登山口のうち、唯一、信仰のためでなく作られた登山道。営林署(現・森林管理署)の作業道として開かれた。距離は長いが、大自然を満喫することが出来る。水場は4合目付近に湧き水があり、それ以外は三の池まで無し。登山口の標高が低く(1500メートル)標高差が大きいため、健脚向き。
木曽側の3つの登山口のうち、唯一、信仰のためでなく作られた登山道。営林署(現・森林管理署)の作業道として開かれた。距離は長いが、大自然を満喫することが出来る。水場は4合目付近に湧き水があり、それ以外は三の池まで無し。登山口の標高が低く(1,500 m)標高差が大きいため、健脚向き。
; 小坂口
:* [[濁河温泉]]開田口4合目 - 湯の花峠 - のぞき岩7合目避難小屋 - 飛騨頂上([[五の三ノ避難小屋]]) - 賽の河原 - 二ノ池 - 剣ヶ峰
[[ファイル:Hida peak of Mount Ontake.jpg|thumb|right|200px|飛騨頂上、この直下南に五の池小屋がある。]]
: 剣ヶ峰へのアプローチが長いためか、現在は信仰登山者はほとんど見かけず、一般登山客が多い。このルートの山開きは、[[6月15日]]。下山時に[[温泉]]を楽しめるのが魅力のコース。なお、登山口を胡桃沢とし、のぞき岩避難小屋下で濁河温泉からの道と合流するコースもあるが、このコースを特に胡桃沢コースと称することもある。飛騨頂上の五の池小屋は、2010年に新館が増築され収容人数が100人に倍増した<ref>{{Cite web |url=http://www.asahi-net.or.jp/~hv4n-ickw/index.htm |title=飛騨頂上 御嶽 五の池小屋 |publisher=五の池小屋 |accessdate=2011-03-24}}</ref>。
==== 小坂口 ====
; 日和田口
剣ヶ峰へのアプローチが長いためか、現在は信仰登山者はほとんど見かけず、一般登山客が多い。このルートの[[開山祭|山開き]]は、毎年[[6月15日]]に御嶽神社飛騨口里宮で開催されている<ref>{{Cite web |url=http://www.city.gero.lg.jp/kankou/view.rbz?of=2&ik=0&pnp=14&cd=444 |title=御嶽山に夏を告げる!!御嶽山山開き |publisher=下呂市 |date=2009-06-12 |accessdate=2013-02-12}}</ref>。下山時に[[温泉]]を楽しめるのが魅力のコース。なお、登山口を胡桃島とし、のぞき岩避難小屋下で濁河温泉からの道と合流するコースもあるが、このコースを特に胡桃島コースと称することもある。飛騨頂上の五の池小屋は、2010年に新館が増築され収容人数が100人に倍増した<ref>{{Cite web |url=http://www.asahi-net.or.jp/~hv4n-ickw/index.htm |title=飛騨頂上 御嶽 五の池小屋 |publisher=五の池小屋 |accessdate=2011-03-24}}</ref>。
: 日和田口またはゴンドラリフト山頂駅 - 継子岳 - 飛騨頂上(五の池小屋) - 賽の河原 - 二ノ池 - 剣ヶ峰
* [[濁河温泉]] - 湯の花峠 - のぞき岩避難小屋 - 飛騨頂上([[五の池小屋]]) - 賽の河原 - 二ノ池 - 剣ヶ峰
: 継子岳頂上を目指して登るコースで宗教登山に由来しないコースのひとつ。[[1998年]]の[[チャオ御岳スノーリゾート|チャオ御岳スキー場]]の開発に伴い、通年運行される[[索道|ゴンドラリフト]]の「フライングチャオ」を利用することが多くなり、旧来の登山口からの登山は減った。ゴンドラリフトを使用した場合は王滝口とほほ同じ標高(2190メートル)まで登ることができるが、継子岳から最高峰剣ヶ峰までの距離が長い。また、ルートは他のコースに比べてあまり手入れがされていない。2010年現在、フライングチャオはスキーシーズン(12月初旬 - 5月初旬)のみの運行となっており、春 - 秋の登山には利用できなくなっている。
==== 日和田口 ====
 
継子岳頂上を目指して登るコースで宗教登山に由来しないコースのひとつ。[[1998年]]の[[チャオ御岳スノーリゾート|チャオ御岳スキー場]]の開発に伴い、通年運行される[[索道|ゴンドラリフト]]の「フライングチャオ」を利用することが多くなり、旧来の登山口からの登山は減った。ゴンドラリフトを使用した場合は王滝口とほほ同じ標高(2,190 m)まで登ることができるが、継子岳から最高峰剣ヶ峰までの距離が長い。また、ルートは他のコースに比べてあまり手入れがされていない。2010年現在、フライングチャオはスキーシーズン(12月初旬 - 5月初旬)のみの運行となっており、春 - 秋の登山には利用できなくなっている。
小坂口、日和田口利用者の中には、剣ヶ峰まで登らずに、飛騨頂上・継子岳あるいは、摩利支天山までの登山を目的とする登山者も多い。一ノ池を取り囲むの西側の稜線に登山道があり、剣ヶ峰からニノ池小屋へのルートの一つとなっている。
* 日和田口またはゴンドラリフト山頂駅 - 継子岳 - 飛騨頂上(五の池小屋) - 賽の河原 - 二ノ池 - 剣ヶ峰
 
以前は、[[王滝川]]の支流の濁川に沿って濁川温泉(現存せず)を経て、剣ヶ峰と継母岳の鞍部に登る松原新道があったが、[[1984年]]の長野県西部地震により発生した伝上崩れにより崩壊し、廃道となった。
 
=== 山小屋 ===
{{commonscat|Mountain huts in Mount Ontake|御嶽山の山小屋}}
[[File:Mount Ontake Gonoike 2011-09-18.jpg|thumb|right|240px|小坂口九合目の飛騨頂上直下南にある山小屋([[五の池小屋]])、小屋のすぐ前には五ノ池がある]]
[[ファイル:Ninoike huts Mount Ontake.jpg|thumb|right|200px|二ノ池畔にあるニノ池小屋、涸れることない池から水がポンプアップされ周辺の山小屋に送水されている。]]
御嶽山は宗教登山が盛んであるため、[[山小屋]]も宗教施設としての側面がある山小屋が多い。それらの山小屋は大広間や客室内に御嶽神社の掛け軸などが祀られている。また、王滝口・黒沢口の開山祭の7月1日以降の営業開始となる小屋が多く、営業終了は山小屋によって差があるものの、8月末から9月末までの間が多い。御嶽神社・御嶽教・木曽御嶽本教は山開きを7月10日から9月10日までとしているため、その間は特に白装束の宗教登山者の宿泊利用や立ち寄り利用が多い。なお、五の池小屋は例外的に例年6月1日から10月15日までの営業と、長期間の営業を行っている。8合目と7合目の山小屋は紅葉シーズンも営業する。宗教施設としての側面が多い山小屋群の中で、五の池小屋は御嶽山では唯一アルプススタイルの山小屋である。
御嶽山は宗教登山が盛んであるため、[[山小屋]]も宗教施設としての側面がある山小屋が多い。五の池小屋は近代的なアルペンスタイルの山小屋である<ref name="岐阜県の山 (2009)、79-81頁" />。各登拝道や山頂などに多数の山小屋と避難小屋がある<ref name="日本百名山地図帳(2005)、158-161頁" /><ref>{{Cite book|和書 |date=2010-12-15 |title=山と溪谷2011年1月号付録(山の便利手帳2011) |publisher=山と溪谷社 |pages=166-178 |asin=B004DPEH6G}}</ref>。登山道上に[[キャンプ]]指定地はないが、胡桃島口の登山口に「胡桃島キャンプ場」がある<ref name="日本百名山地図帳(2005)、158-161頁" />。それらの山小屋は大広間や客室内に御嶽神社の掛け軸などが祀られている。また、王滝口・黒沢口の開山祭の7月1日以降の営業開始となる小屋が多く、営業終了は山小屋によって差があるものの、8月末から9月末までの間が多い。御嶽神社・御嶽教・木曽御嶽本教は山開きを7月10日から9月10日までとしているため、その間は特に白装束の宗教登山者の宿泊利用や立ち寄り利用が多い。なお、五の池小屋は例外的に例年6月1日から10月15日までの営業と、長期間の営業を行っている。8合目と7合目の山小屋は紅葉シーズンも営業する。宗教施設としての側面が多い山小屋群の中で、五の池小屋は御嶽山では唯一アルプススタイルの山小屋である。
 
山頂地域に多くの有人山小屋があるが、黒沢口には途中にも合目ごとに有人山小屋が営業している。二ノ池の水を飲料水などの水源としている山小屋が多く、二ノ池から遠い「五の池小屋」や7合目以下の山小屋以外の山小屋は「二の池水組合」を設立し、共同で水道施設の設置・維持・撤去を行っている。また、日頃の水源ポンプ施設の操作は「二ノ池本館」のスタッフが行っている。豊富な水を使って「二ノ池本館」「二ノ池新館」「石室山荘」「覚明堂」では、宿泊者向けの風呂を毎日用意するほか、宿泊者が少ない時のみ宿泊者にスタッフ用の風呂を提供する山小屋もある。環境問題として[[トイレ]]の[[し尿処理施設]]の改善が必要な山小屋が多い<ref>{{Cite web |url=http://www.pref.nagano.lg.jp/soumu/zaisei/kuniyoubou/2210/07.pdf |title=山小屋トイレ等の改善推進について |publisher=長野県環境部 |format=PDF |date=2010-10 |accessdate=2011-03-24}}</ref>
 
==== 有人山小屋 ====
*王滝口…田の原登山口2軒(田の原山荘および御嶽観光センター・ただし山小屋とされないことが多い)・王滝頂上(王滝頂上山荘)・剣ヶ峰山頂(御嶽剣ケ峰山荘・旧称「剣ヶ峰旭館」)
*黒沢口…6合目(中の湯・近年はロープウェイ完成による利用者の減少により、平日は営業しない日もある)・7合目(行場山荘・旧称「一ノ又行者小屋」または「覚明行場小屋」)・8合目(女人堂・別称「金剛堂」)・9合目(石室山荘)・9合目半(覚明堂・「覚明堂休泊所」とも)・剣ヶ峰山頂(御嶽頂上山荘・王滝口の御嶽剣ケ峰山荘の隣)
*[[ファイル:Mount Ontake Gonoike 2011-09-18.jpg|thumb|right|200px|小坂口九合目の飛騨頂上直下南にある山小屋[[五の池小屋]]、小屋のすぐ前には五ノ池がある]]
*小坂口…飛騨頂上(五の池小屋){{main|五の池小屋}}
*二ノ池周辺…池畔(二ノ池本館)・飛騨側(二ノ池新館)(なお、二ノ池本館と二ノ池新館は全くの別経営である)
 
==== 焼印 ====
多くの有人山小屋や山頂神社社務所では、宗教登山に使われる金剛杖に[[焼印]]を押印するサービスを有料で行っている。1891年(明治24年)に登山道の神社などで、『登山杖に記念の印を捺します』の看板が設置されこの焼印が行われていた<ref>[[#日本アルプスの登山と探検|日本アルプスの登山と探検 (1997)、284頁、287頁]]</ref>。[[富士山]]で特にポピュラーなサービスであるが、御嶽山でも実施する山小屋を少し減らしながらも現存しており、貴重な存在である。ただ、富士山ほど押印希望者は多くなく、希望者が現われてから焼印を加熱するところが多いため、焼印に時間がかかることが多い。また、押印の料金も富士山よりも割高になっている。
 
=== 御嶽者数動物推計 ===
昭和中期までの木曽側からの御嶽山の登山者数は下表のように推計されている<ref>[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、256-257頁]]</ref>。2010年頃の黒沢口から入山者は年間3万人を越える程度であった<ref>{{Cite web |url=http://www.town-kiso.com/dbps_data/_material_/localhost/4_top/H22-11-56.pdf |title=広報きそまち(2010年11月号) |publisher=木曽町 |format=PDF |pages=2 |date=2010-11 |accessdate=2013-02-28}}</ref>。
山頂付近の登山道の高山帯に生息する[[ホシガラス]]、[[ライチョウ]]、[[クジャクチョウ]]などが見られる。ライチョウは日本で[[特別天然記念物]]に指定され、環境省及び長野県の[[危急種]]に指定され絶滅が危惧されている<ref>{{Cite web|url=http://jpnrdb.com/search.php?mode=map&q=02080010124 |title=日本のレッドデータ検索システム(ライチョウ) |publisher=エンビジョン環境保全事務局 |accessdate=2011-10-05}}</ref>。1981年の調査で50箇所あったライチョウの縄張りが、2008年の調査で28箇所に減少している<ref name="御岳山霊なる山の素顔 p.119">[[#御岳山霊なる山の素顔|御岳山霊なる山の素顔(2010)、p.119]]</ref>。
{| class="wikitable"
|-
! 年度 !! 登山者数 !! 備考
|[[File:Wiki-hosigarasu.jpg|x100px]]
|[[File:Rock Ptarmigan in Mount Ontake 1996-08-10.jpg|x100px]]
|[[File:Inachis io and Solidago virgaurea in Ontakesan 2010-08-27.JPG|x100px]]
|-
| [[1887年]](明治20年) || style="text-align:right"| 8,000 || 故老の談話による
! <small>[[ホシガラス]]</small>
|-
! <small>[[ライチョウ]]</small>
| [[1914年]](大正3年) || style="text-align:right"| 30,000 || 『木曽案内』による
! <small>[[クジャクチョウ]]</small>
|}-
| [[1917年]](大正6年) || style="text-align:right"| 50,000 || 丸山梓水『木曽』による
 
|-
=== 御嶽山の植物 ===
| [[1929年]](昭和4年) || style="text-align:right"| 37,900 || rowspan="5" |木曽福島駅調査による
1887年(明治20年)7月に[[植物学|植物学者]]の[[白井光太郎]]が登頂して高山植物を採集し、1889年(明治22年)には[[三好学]]らも採集し、1933年(昭和8年)に植物学者の中野治房が御嶽山の植物生態を調査した<ref name="日本の名山 p.246" />。山の上部は[[森林限界]]の[[ハイマツ]]帯で、[[イワギキョウ]]、[[クロユリ]]、[[コマクサ]]、[[トウヤクリンドウ]]、[[ミヤマアキノキリンソウ]]、[[ミヤマダイコンソウ]]などの多くの[[高山植物]]が自生している<ref>{{Cite book|和書 |author=小谷宗司、岩本義行、木曽御岳観光連盟 |year=2000 |month=06 |title=花かおる御嶽山 |series=ビジター・ガイドブック |publisher=ほおずき書籍 |isbn=443400221X |pages=}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.vill.otaki.nagano.jp/ontake_tozan/kisoontakesan_no_plant/tozan03_plant_top.html |title=木曽御嶽山(王滝口)登山道の植物 |publisher=王滝村 |accessdate=2011-03-24}}</ref>。1979年の噴火による荒廃で黒沢口登山道九合目の石室山荘周辺のハイマツが枯れたが、2002-2003年頃から若芽が確認されている<ref name="御岳山霊なる山の素顔 p.58">[[#御岳山霊なる山の素顔|御岳山霊なる山の素顔(2010)、p.58]]</ref>。御嶽山のコマクサの[[コマクサ#御嶽山のコマクサの昔話|昔話]]がある<ref name="日本の名山 p.192-193">[[#日本の名山|日本の名山(1998)、p.192-193]]</ref>。王滝口登山道にある田の原天然公園を中心に約830 [[ヘクタール|ha]]が、木曽御岳自然休養林に指定されている<ref name="tanohara" />。[[田中澄江]]は、『花の百名山』著書で代表する花に一つとして[[リンネソウ]]を紹介した<ref name="hana" />。標高1,500m以下の山麓では、[[ヒノキ]]、[[アスナロ]]などの[[木曽五木]]が見られる<ref name="sangakushi" />。南山麓では[[長野県製薬]]が、[[キハダ (植物)|キハダ]]を主成分とした「御岳[[百草丸]]」([[胃腸薬]])を製造している。
|-
 
| [[1936年]](昭和11年) || style="text-align:right"| 41,999
{| class="wikitable"
|-
| [[1939年]](昭和14年) || style="text-align:right"| 63,020
|-
| [[1951年]](昭和26年) || style="text-align:right"| 26,900
|[[File:Campanula lasiocarpa in Mount Ontake 2011-09-18.JPG|x100px]]
|[[File:Fritillaria camschatcensis in Mount Haku 2011-07-17.jpg|x100px]]
|[[File:Dicentra peregrina in Mount Ontake 2010-08-27.jpg|x100px]]
|[[File:Gentiana algida in Mount Ontake 2010-08-27.jpg|x100px]]
|-
| [[1955年]](昭和30年) || style="text-align:right"| 31,458
! <small>[[イワギキョウ]]</small>
! <small>[[クロユリ]]</small>
! <small>[[コマクサ]]</small>
! <small>[[トウヤクリンドウ]]</small>
|}
 
== 地理 ==
[[木曽川]][[水系]]の源流の山であり、西側から[[飛騨川]]、東と南側から王滝川などの本流へと流れ[[太平洋]]側の[[伊勢湾]]へ流れる。剣ヶ峰の山頂には[[一等三角点]](点名が「御岳山」、標高3,063.<small>41</small> m)が設置されていて<ref name="kijyun" />、[[一等三角点百名山]]のひとつに選定されている<ref>[[#一等三角点百名山|一等三角点百名山 (1988)]]</ref>。最高点は御嶽神社の西側のある岩の標高点<ref name="kokudo" />。[[日本の山一覧 (高さ順)|日本で14番目に高い山]]<ref>{{Cite web |url=http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MOUNTAIN/mountain.html |title=日本の主な山岳標高(標高別表示)|publisher=国土地理院 |accessdate=2013-02-02}}</ref>。南東中腹の王滝村の区域は「御岳高原」と呼ばれている。
=== 周辺の山 ===
[[Fileファイル:20101130木曽山脈.jpg|thumb|right|300px|手前・[[木曽山脈]]と左奥に御嶽山と右奥・[[飛騨山脈]]。間に稜線はない。]]
[[Fileファイル:Mt.Ontake and Mt.Norikuradake from Mt.Yatsugatake 01.jpg|thumb|right|300px|[[八ヶ岳]]から望む御嶽山(左)と[[乗鞍岳]](右)]]
独立峰であるため、周囲の多くの山からその山容を望むことができる。山頂部は広く、複数のピークから成る<ref name="山と高原地図(2011)">[[#山と高原地図|山と高原地図(2011)の付属図]]</ref>。[[濃尾平野]]からも北東にその大きな山容が望める。岐阜県側には前衛の山として、ぎふ百山の一つである御前山(1,646 m)と続ぎふ百山の一つである下呂御前山(1,412 m)がある。
 
276 ⟶ 415行目:
|[[白山]]
|2,702.<small>17</small>
| 一等<br />「白山」
|{{directiondirection2|WNW}}西北西  70.2
|<small>日本百名山</small>
|-
283 ⟶ 422行目:
|[[鉢盛山]]
|2,446.<small>43</small>
| 一等<br />「鉢盛山」
|{{directiondirection2|NE}}北東  32.7
|<small>[[日本三百名山]]</small>
|-
290 ⟶ 429行目:
|[[乗鞍岳]]
|3,025.<small>64</small>
| 一等<br />「乗鞍岳」
|{{directiondirection2|NNE}}北北東  24.6
|<small>日本百名山</small>
|-
297 ⟶ 436行目:
|[[鎌ヶ峰]]
|2,120.<small>10</small>
| 二等<br />「鎌ケ岳」
|{{directiondirection2|NE}}北東  18.3</Div>
|&nbsp;
|- style="background-color:#ccc;"
304 ⟶ 443行目:
|'''御嶽山'''
|3,067 
|(一等)<br />「御岳山」<br />(3,063.<small>41</small>m)
|{{directiondirection2|O}}  0 
|<small>[[日本百名山]]</small>
|-
311 ⟶ 450行目:
|[[小秀山]]
|1,981.<small>68</small>
| 二等<br />「小秀山」
|{{directiondirection2|SSW}}南南西  14.1
|<small>[[日本二百名山]]</small>
|-
318 ⟶ 457行目:
|[[奥三界岳]]
|1,810.<small>48</small>
| 三等<br />「奥三階」
|{{directiondirection2|S}}南  23.6
|<small>日本三百名山</small>
|-
325 ⟶ 464行目:
|[[木曽駒ヶ岳]]
|2,955.<small>86</small>
| 一等<br />「信駒ケ岳」
|{{directiondirection2|ESE}}東南東  31.4
|<small>日本百名山</small>
|-
332 ⟶ 471行目:
|[[南木曽岳]]
|1,679
|(二等)<br />「南木曾」<br />(1,676.<small>93</small>m)
|{{directiondirection2|SSE}}南南東  36.5
|<small>日本三百名山</small>
|-
|[[File:EnasanMount Ena from northMount 2010-9-17Miroku.JPGjpg|80px]]
|[[恵那山]]
|2,191
|(一等)<br />「恵那山」<br />(2,189.<small>81</small>m)
|{{directiondirection2|SSE}}南南東  51.0
|<small>日本百名山</small>
|}
 
=== 源流の河川 ===
[[ファイル:Miure Dam lake survey.jpg|thumb|right|200px|南山腹の[[木曽川]]水系王滝川上流部にある[[三浦ダム]]]]
源流となる以下の[[河川]]は[[木曽川]]水系で[[伊勢湾]]へ流れる。王滝川の[[牧尾ダム]]の'''御岳湖'''に貯水された水は[[愛知県]]などの[[上水道|飲料水]]、[[工業用水]]及び[[農業用水]]に利用されていて、その上流部には[[関西電力]]の水力発電用の[[三浦ダム]]がある。王滝川の[[支流]]の濁川上流部の赤川では浸食と崩落が激しく「地獄谷」と呼ばれている<ref name="山と高原地図(2011)" /><ref>{{Cite web |url=http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?longitude=137.4740333&latitude=35.88713611 |title=地図閲覧サービス・地獄谷 (長野県木曽郡王滝村) |publisher=国土地理院 |accessdate=2011-10-05}}</ref>。
源流となる以下の[[河川]]は木曽川水系で伊勢湾へ流れる<ref name="tizu-kokudo" />。山頂の南東13.4 kmにある王滝川の[[牧尾ダム]]の'''御岳湖'''に貯水された水は[[愛知県]]などの[[上水道|飲料水]]、[[工業用水]]及び[[農業用水]]に利用されていて、その上流部には[[関西電力]]の水力発電用の[[三浦ダム]](山頂の南西11.0 km)がある。王滝川の[[支流]]の濁川上流部の赤川では浸食と崩落が激しく「地獄谷」と呼ばれている<ref name="山と高原地図(2011)" /><ref>{{Cite web |url=http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.html?longitude=137.4740333&latitude=35.88713611 |title=地図閲覧サービス・地獄谷 (長野県木曽郡王滝村) |publisher=国土地理院 |accessdate=2011-10-05}}</ref>。南面の王滝川の支流の濁川は、1979年10月28日噴煙後地獄谷上部の火口から白いガスと火山灰で黒色となった温泉水が大量に流れ出て白く濁った<ref name="地質ニュースv306" />。
 
* 西野川、白川、王滝川 (木曽川の支流)
* [[飛騨川]]
* 秋神川、小坂川 (飛騨川の支流)
 
358 ⟶ 497行目:
* 白巣峠 - 白川(王滝川の支流)と[[付知川]]との分水嶺となっていて、林道が通る。
* 鞍掛峠 - 水無川(王滝川の支流)と竹原川(飛騨川の支流)との分水嶺となっていて、林道が通る。
 
=== 交通・アクセス ===
南山麓の王滝川沿いには[[1923年]](大正12年)に竣工された[[木曽森林鉄道]]の王滝森林鉄道が敷設され、[[1975年]](昭和50年)5月30日まで[[国有林]]の材木の運搬に利用されていた<ref>{{Cite web |url=http://www.vill.otaki.nagano.jp/sinnrinntetudou/rintetu.html |title=第3回王滝森林鉄道フェスティバル開催 |publisher=王滝村 |accessdate=2013-01-31}}</ref>。1925年(大正14年)に御嶽自動車商会(現在のおんたけ交通)が開業、おんたけ交通は山麓や御嶽山の登山口まで[[路線バス]]を運行している。1963年(昭和38年)に西山腹の名古屋営林局小坂営林署が運営する[[小坂森林鉄道]]濁河温泉線が開通し伐採した木材の運搬に利用されていたが、林道が敷設されトラックによる輸送への切り替えに伴い1971年(昭和46年)に廃止された。1966年(昭和41年)に山麓の王滝村の[[長野県道256号御岳王滝黒沢線]]から田の原までの「有料道路林道黒石線」が全線開通し、1997年(平成9年)4月1日に村道41号線(御岳スカイライン)として無料解放され、おんたけ2240のスキー場利用者、登山者、観光客などに利用されている<ref name="日本登山図集 (1986)、54-57頁" />。[[長野県道473号上松御岳線]]が南東の山麓から通じ無料化された白崩林道を経て中腹の中の湯まで通じている<ref name="日本登山図集 (1986)、54-57頁" />。東山麓を[[長野県道20号開田三岳福島線]]が通り、木曽町三岳の木曽温泉付近から御岳ロープウェイスキー場まで東山腹に「御岳ブルーライン」が通る。その鹿の瀬温泉から上部は冬期閉鎖されている<ref>{{Cite web |url=http://www.town-kiso.com/topics/002718.html |title=通行止め情報 |publisher=木曽町 |accessdate=2013-01-31}}</ref>。南東山麓の県道20号開田三岳福島線沿いに[[道の駅三岳]]がある。北東山麓に[[国道361号]]が通り、北山腹に[[岐阜県道463号朝日高根線]]、北西山腹に[[岐阜県道435号御岳山朝日線]]が通る。西山麓の下呂市小坂町から濁河温泉の山腹方面まで[[岐阜県道441号落合飛騨小坂停車場線]]が通り、「御嶽パノラマライン」と呼ばれている。小三笠山(標高2,029 m)の南面には御岳林道と王滝林道が通る。
==== 主な交通機関 ====
* [[松本空港]]の南西50 kmに位置する。
* [[東海旅客鉄道|JR東海]][[中央本線]][[木曽福島駅]]の西北西20.0 kmに位置し<ref name="日本山名辞典 (1992)、116頁" />、JR東海[[高山本線]][[飛騨小坂駅]]の東南東21.2 kmに位置する。
* [[中部縦貫自動車道]](高山清見道路)[[高山インターチェンジ (岐阜県)|高山インターチェンジ]]の南東37.8 kmに位置し、[[中央自動車道]][[伊那インターチェンジ]]の西42.0 km、[[中津川インターチェンジ]]の北46.3 km、[[塩尻インターチェンジ]]の西南西51.4 kmに位置する。
==== 路線バス ====
岐阜県側のJR東海高山本線小坂駅及び[[高山駅]]から御嶽山の登山口である濁河温泉への[[濃飛乗合自動車|濃飛バス]]路線は2007年(平成19年)11月30日に廃止された。
* 王滝・田の原線(黒沢・王滝線) - 長野県木曽合同庁舎前 - 木曽福島駅前 - 王滝 - 田の原(御嶽山登山口)、2006年7月よりおんたけ交通から[[王滝村営バス]]に移管された。
* 御岳ロープウェイ線 - 木曽福島駅前から御岳ロープウェイまでの区間、2006年(平成18年)6月1日よりおんたけ交通から[[木曽町生活交通システム]]に移管された。
* チャオスノーリゾート線(おんたけ交通) - 木曽福島駅前 - チャオ御岳スノーリゾート - 濁河温泉
 
== 観光 ==
[[ファイル:Lake Shizenko.jpg|thumb|200px|1984年(昭和59年)9月14日に発生した長野県西部地震で王滝川が堰き止められて誕生した自然湖]]
[[ファイル:Nigorigo onsen.jpg|thumb|right|200px|[[濁河温泉]](岐阜県下呂市、御嶽山の濁河口の登山口)]]
=== 主な観光スポット ===
* 御嶽山資料館 - 王滝口の二合目の木曽郡王滝村大又にある。
* 田の原天然公園 - 御嶽山の登山道の王滝口標高約2,200m付近に広がる天然公園で、湿原、背の低い[[針葉樹林]]帯に[[遊歩道]]や展望台が整備されている<ref name="tanohara">{{Cite web |url=http://www.rinya.maff.go.jp/chubu/policy/business/invitation/rekumori/kisoontake/index.html |title=木曽御岳 |publisher=[[中部森林管理局]] |accessdate=2011-03-24}}</ref>。
* 御岳ロープウェイ - 御岳ロープウェイスキー場は2013年にスキー場の営業を休止していて、冬期の運行が行われていない<ref>{{Cite web |url=http://www.ontakerope.co.jp/ |title=御岳ロープウェイ |publisher=御岳ロープウェイ |accessdate=2013-02-14}}</ref>。
* 開田高原 - [[蕎麦]]の産地や[[木曽馬]]の里としても知られ、[[乗馬]]体験ができる施設がある。
* 自然湖 - [[長野県西部地震]]によりせき止められた[[木曽川]]の[[支流]]である王滝川上流の湖で、立ち枯れの木が湖の中に並んでいて夏季シーズンの[[カヌー]]が人気となっている<ref name="御岳山霊なる山の素顔 49頁">[[#御岳山霊なる山の素顔|御岳山霊なる山の素顔(2010)、49頁]]</ref>。
* [[牧尾ダム|御岳湖]] - 王滝川の牧尾ダムによりできた[[湖]]。
* おんたけ休暇村 - 御岳高原にある[[名古屋市]]の保険休養地、周辺には木曽御岳カントリークラブの[[ゴルフ場]]がある。
* [[濁河温泉]] - 御嶽山の濁河口の登山口にある[[温泉]]
* [[東京大学]][[天文台]]木曽観測所 - 東京大学大学院理学系研究科附属天文学教育研究センターの木曽観測所が木曽郡木曽町三岳10762-30にあり、[[1977年]](昭和55年)2月に[[香西洋樹]]と[[古川麒一郎]]が発見した[[小惑星]]がその場所にちなんで『[[御嶽 (小惑星)|御嶽]]』と命名された。
* [[飛騨御嶽高原高地トレーニングエリア]] - 北西山腹にある高地トレーニング施設。2007年(平成19年)に濁河温泉付近に下呂市が「御嶽パノラマグランド」を開設した。濁河温泉とチャオ御岳リゾートを結ぶ「飛騨御嶽[[高橋尚子|尚子]]ボルダーロード」が整備されている<ref>{{Cite web |url=http://www.hida-athlete.jp/training_c/nigorigo.html |title=トレーニングゾーン(濁河温泉) |publisher=飛騨御嶽高原高地トレーニングエリア |accessdate=2013-02-12}}</ref>。
* 小坂の滝めぐりコース - 西山腹の下呂市小坂町の飛騨川の支流の小坂川には落差5 m以上の滝が200以上あり<ref name="tizu-kokudo" /><ref name="ontake_kazan04" />、多数の滝めぐりコースが紹介されている<ref name="osaka-taki" />。滝によってはガイドが必要な箇所もある<ref name="osaka-taki" />。
** 三ツ滝コース(椹谷) - 三ツ滝(上段の落差5 m、中段11 m、下段6 m)、あかがねとよ(落差14 m)、からたに滝(落差15 m)
** 仙人滝コース(濁河川上流部) - 仙人滝(落差30 m)、無名の滝(落差15 m)、[[白糸の滝]](落差15 m)、緋の滝(落差20 m)[[ファイル:根尾滝.jpg|thumb|right|175px|[[根尾の滝]]<br />(落差 63m・幅 5m)]]
** 根尾の滝コース(濁河川) - 根尾の滝(落差63 m、日本の滝百選){{main|根尾の滝}}
** 材木滝コース(兵衛谷) - 材木滝(落差23 m)、翡翠の滝(上段の落差10 m、下段8 m)
** あまつばの滝コース(椹谷) - あまつばの滝(落差17 m)、二段の滝(上段の落差10 m、下段3 m)、孫八滝(落差15 m)、焼小屋の滝(落差17 m)
** 観音滝コース(大洞川) - 観音滝(落差9 m)、立岩の滝(落差45 m)、塩滝(落差15 m)
** 濁滝コース(濁河川) - 二段の滝(上段の落差10 m、下段10 m)、くの滝(落差15 m)、濁滝(落差27 m)
** 岩折の滝コース(兵衛谷) - 岩折の滝(落差21 m)、屏風の滝(落差28 m)、吹上の滝(落差25 m)
** 千畳の滝コース(真谷) - 千畳の滝(落差50 m)
** しょうけ滝コース(兵衛谷) - しょうけ滝(落差23 m)、扇滝(落差6 m)
** 龍門の滝コース(兵衛谷) - 龍門の滝(落差15 m)、袴滝(落差20 m)
** 回廊の滝コース(椹谷) - 回廊の滝(落差40 m)、開門の滝(落差40 m)
** 百間滝コース(兵衛谷) - パノラマの滝(上段の落差50 m、下段10 m)、百間の滝(落差60 m)
=== スキー場 ===
[[ファイル:KaidaKogenMIA 0001.jpg|thumb|right|200px|[[開田高原マイアスキー場]]から望む「日和田富士」と呼ばれる継子岳]]
北側と東側の山腹には以下の[[スキー場]]があり、[[標高]]の高い位置(上部は標高2,000 m以上)にあり雪質が良く、[[ゴールデンウィーク]]頃の遅い時期まで滑走が可能である。王滝村は、村営であった旧おんたけスキー場の[[負債]]により厳しい財政状況となっている<ref>{{Cite web |url=http://www.vill.otaki.nagano.jp/mura_keikaku/zaiseikennzenka_plan.html |title=王滝村財政健全化計画 |publisher=王滝村 |accessdate=2013-02-12}}</ref>。
* [[おんたけ2240]](旧おんたけスキー場)
* [[御岳ロープウェイスキー場]] - 平成22年度より冬季営業休止
* [[開田高原マイアスキー場]]
* [[チャオ御岳スノーリゾート|チャオ御岳スキー場]]
 
=== 眺望スポット ===
3,000mを越える高山であるが、奥深い山中にあるため、山体全体を眺められる場所は意外と少ない。高山市中切町の「中切町付近の山より望む御嶽山」、高山市久々野町無数河の「舟山山頂道路より望む御嶽山」、高山市朝日町西洞の「鈴蘭高原より望む御嶽山」、高山市朝日町胡桃島の「胡桃島キャンプ場近く展望台より望む御嶽山」と「秋神地域より望む継子岳」が、『新高山市100景』のひとつに選定されている<ref>{{Cite web |url=http:/
/www.city.azumino.nagano.jp/kanko/enjoyazumino/yukigata/04.html |title=新高山市100景 |publisher=高山市 |accessdate=2013-02-28}}</ref>。
* 長野県側に、[[九蔵峠]]と[[地蔵峠]]などがある<ref name="山と高原地図 (1993)、地図表面" />。
* 岐阜県側に、[[御嶽パノラマライン]]、日和田高原、御嶽鈴蘭高原などがある。
 
== 御嶽山の風景 ==
独立峰である御嶽山の大きな山容を、[[濃尾平野]](尾張や美濃)や遠方の山からなどの各方面から望むことができる<ref name="よみがえる木曽人の物語 (1996)、119頁" />。東海地方の多くの[[小学校|小]][[中学校|中]][[高等学校]]の校歌で山名が歌い込まれている<ref group="注釈">一例として「みはるかす尾張の平野独り立つ御岳」([[愛知県立一宮北高等学校]])、「朝あけの山なみ越えて空かぎる御岳はるか」([[愛知県立小牧南高等学校]])、「御嶽の峰に雲たなびきて」([[北名古屋市立師勝中学校]])、「雪の御岳[[伊吹山|伊吹]]や[[多度山|多度]]の山なみ遠く望む時」([[稲沢市立大里東小学校]])</ref><ref>[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、126-127頁]]</ref>。木曽谷では開田高原以外に麓から御嶽山を望める箇所は少ない<ref name="よみがえる木曽人の物語 (1996)、119頁" />。5月中旬ごろ、東面の9合目付近に残雪の白い背景に黒色の種をまくお爺さんの姿の[[雪形]](ネガ型)が見られる<ref>{{Cite web |url=http://www.city.azumino.nagano.jp/kanko/enjoyazumino/yukigata/04.html |title=雪形・長野県中部 |publisher=[[安曇野市]] |date=2012-06-22 |accessdate=2013-02-15}}</ref>。[[深田久弥]]は1965年(昭和39年)に第16回[[読売文学賞]](評論・伝記賞)を受賞した『日本百名山』の著書で御嶽山の山容を{{Quotation|この傾斜がみごとである。厖大な頂上を支えるには十分な根張りをもって、御岳全体を均整のとれた美しい山にしている。|深田久弥『日本百名山』}}と表現している<ref name="深田久弥 (1982)、227-230頁" />。
独立峰である御嶽山の大きな山容を各方面から望むことができる。
=== 各方面からの山容 ===
{| class="wikitable"
|-
|[[Fileファイル:14 Ontakesan from kazakoshiyama 2002-5-6.jpg|x110px]]
|[[Fileファイル:Ontakesan from kohideyama 2002 10 30.jpg|x110px]]
|[[Fileファイル:Ontakesan from Kuraiyama 2005-3-21.JPG|x110px]]
|[[Fileファイル:Kiso_Ontake.jpg|x110px]]
|-
| <small>東の[[風越山 (木曽)|風越山]]より<small>
372 ⟶ 566行目:
| <small>西の[[位山]]より<small>
| <small>北の[[国道361号]]より</small>
|}
=== 御嶽山からの展望 ===
山上部からは東に[[八ヶ岳]]、中央アルプス、南アルプス、富士山、南に小秀山などの[[阿寺山地]]、濃尾平野、西に白山などの[[両白山地]]、北にニノ池、乗鞍岳などの北アルプスが望める<ref>[[#木曽のおんたけさん―その歴史と信仰|木曽のおんたけさん―その歴史と信仰(2009)、95頁]]</ref>。
{| class="wikitable"
|-
|[[ファイル:Lenticular clouds on Mount Fuji from Mount Ontake.jpg|x115px]]
|[[ファイル:Mount Ena from Mount Ontake.jpg|x115px]]
|[[ファイル:Mount Mamahaha and Mount Haku from Okunoin.jpg|x115px]]
|[[ファイル:Ninoike and Mount Norikura from Mount Ontake 1996-08-10.jpg|x115px]]
|-
| <small>[[木曽山脈|中央アルプス]]越しの[[富士山]]<small>
| <small>[[雲海]]に浮かぶ[[恵那山]]<small>
| <small>継母岳と[[白山]]<small>
| <small>ニノ池と[[乗鞍岳]]</small>
|}
 
== テレビ番組メディア ==
=== 古文書 ===
* 『こころの時代 宗教・人生 山の信仰 霊山御嶽』 [[NHK教育テレビジョン]]、1985年9月8日放送<ref>{{Cite web |url=http://archives.nhk.or.jp/chronicle/B10001200998509080130085/?n=3&q=%E5%BE%A1%E5%B6%BD&o=1&np=100&or=t |title=NHKアーカイブス保存番組詳細 こころの時代(1985年9月8日放送) |publisher=[[日本放送協会|NHK]] |accessdate=2011-03-24}}</ref>
* 『御嶽登山社礼伝祝詞巻』 - [[1576年]]([[天正]]4年)の古祭文
* 『日本百名山 御嶽』 [[NHK衛星第2テレビジョン]]、1994年11月3日放送<ref>{{Cite web |url=http://archives.nhk.or.jp/chronicle/B10001200999411030130114/?n=0&q=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%99%BE%E5%90%8D%E5%B1%B1+%E5%BE%A1%E5%B6%BD&o=1&np=100&or=t |title=NHKアーカイブス保存番組詳細 日本百名山 御嶽(1994年11月3日放送) |publisher=NHK |accessdate=2011-03-24}}</ref>
* 『御嶽縁起』 - 室町時代の中期[[1592年]](天正20年)に書写された御嶽の神を祀る祝詞、祭文、縁起などの巻物
* 『いのち輝く山 ~四季・御嶽~』 [[NHK総合テレビジョン]]、2005年1月1日放送<ref>[[菅原文太]]が出演。{{Cite web |url=http://archives.nhk.or.jp/chronicle/B10002200090501020030048/?n=2&q=%E5%BE%A1%E5%B6%BD&o=1&np=100&or=t |title=NHKアーカイブス保存番組詳細 いのち輝く山 ~四季・御嶽~(2005年1月1日放送) |publisher=NHK |accessdate=2011-03-24}}</ref>
* 『御嶽蔵王権現登山次第』 - [[1704年]]-[[1710年]]([[宝永]]年間)の筆写本で道者の王滝口での登拝の方法などが記載されている<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、96-104頁">[[#御岳の信仰と登山の歴史|御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、96-104頁]]</ref>。
* 『登山古例之事』 - 道者の黒沢口での登拝の方法などが記載されている<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、96-104頁" />。
* 『御嶽由来伝記』
* 『御嶽登山案内』
* 『御嶽一山記録』
* 『木曽採薬記』 - 1804年-1818年(文化年間)に水谷豊文が刊行<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、205頁" />。
[[ファイル:Kisokaido35 Yabuhara.jpg|thumb|200px|『[[中山道六十九次|木曾街道六拾九次]] [[藪原宿|藪原]]』([[渓斎英泉]]画)に[[鳥居峠 (長野県)|鳥居峠]]から望む御嶽山が描かれている。]]
* 『[[中山道六十九次]]』の[[藪原宿]]と[[奈良井宿]] - 1835-1837年(天保6-8年)頃に、[[渓斎英泉]]により鳥居峠からの御嶽山の風景が描かれた。
* 『木曽産草花根皮類』 - [[1844年]]([[天保]]15年)に周辺の木曽谷の山域で採取された植物の「おしば帳」<ref name="御岳の信仰と登山の歴史 (1988)、201-202頁" />
* 『御嶽山総図』 - [[1848年]]([[嘉永]]元年)
* 『日本名山図会』 - 江戸後期、江戸[[南画]]の[[谷文晁]]が、旅人と鳥居峠からの御嶽山の風景を描写している<ref>{{Cite book|和書 |author=谷文晁 |date=1970-05 |title=日本名山図会 |publisher=[[国書刊行会]] |isbn=4336034133}}</ref>。
=== 新聞 ===
* 大型写真企画「御岳山」 - 信濃毎日新聞で2009年(平成21年)7月から2010年(平成22年)4月まで39回の連載<ref>[[#御岳山霊なる山の素顔|御岳山霊なる山の素顔(2010)、6頁]]</ref>
=== 写真集 ===
* {{Cite book|和書 |author=宮原卓司 |date=2001-12 |title=信州木曽御嶽 山麓逍遙 |publisher=遊人工房 |isbn=4946562346}}
=== 関連書籍 ===
* {{Cite book|和書 |author=[[青木保]] |date=1994-10 |title=御岳巡礼―現代の神と人 |publisher=[[講談社]] |isbn=4061591487}}
* {{Cite book|和書 |author=上野ミチオ |date=1994-11-15 |title=御嶽山 |publisher=近代文藝社 |isbn=4773322586}}
* {{Cite book|和書 |author=三浦清吉 |year=1999 |month=7 |title=木曽御岳山 |series=登山・ハイキング(5) |publisher=[[ゼンリン]] |isbn=4432901535}}
* {{Cite book|和書 |author=久山喜久雄 |date=2007-01 |title=御岳の風に吹かれて―開田高原への招待 |publisher=ナカニシヤ出版 |isbn=4888487111}}
* {{Cite book|和書 |author=中山郁 |date=2007-07-09 |title=修験と神道のあいだ―木曽御嶽信仰の近世・近代― |publisher=[[弘文堂]] |isbn=978-4335100826}}
* {{Cite book|和書 |author=木股文昭 |year=2010 |month=6 |title=御嶽山―静かなる活火山 |publisher=[[信濃毎日新聞社]] |pages= |isbn=9784784071395}}
* {{Cite book|和書 |author=飛騨山岳会 |year=2010 |month=11 |title=飛騨の山 研究と案内 |publisher=ナカニシヤ出版 |pages=160-161 |isbn=9784779505041}}
* {{Cite book|和書 |author=菅原壽清 |year=2012 |month=10 |title=木曽御嶽信仰とアジアの憑霊文化 |publisher=岩田書院 |isbn=978-4872947687}}
* [[#参考文献|参考文献も参照]]
=== テレビ番組 ===
* 『こころの時代 宗教・人生 山の信仰 霊山御嶽』 [[NHK教育テレビジョン]]、1985年9月8日放送<ref>{{Cite web |url=http://nhk.jp/chronicle/?B10001200998509080130085 |title=NHKアーカイブス保存番組詳細 こころの時代(1985年9月8日放送) |publisher=[[日本放送協会|NHK]] |accessdate=2013-02-15}}</ref>
* 『日本百名山 御嶽』 [[NHK衛星第2テレビジョン]]、1994年11月3日放送<ref>{{Cite web |url=http://nhk.jp/chronicle/?B10001200999411030130114 |title=NHKアーカイブス保存番組詳細 日本百名山 御嶽(1994年11月3日放送) |publisher=NHK |accessdate=2013-02-15}}</ref>
* 『いのち輝く山 ~四季・御嶽~』 [[NHK総合テレビジョン]]、2005年1月1日放送<ref>[[菅原文太]]が出演。{{Cite web |url=http://nhk.jp/chronicle/?B10002200090501020030048 |title=NHKアーカイブス保存番組詳細 いのち輝く山 ~四季・御嶽~(2005年1月1日放送) |publisher=NHK |accessdate=2013-02-15}}</ref>
* 『週刊 日本の名峰 御嶽山』 [[NHKデジタル衛星ハイビジョン]]、2007年6月11日放送<ref>{{Cite web |url=http://www.nhk.or.jp/meihou/osusume/ontakesan.html |title=お勧めの山・御嶽山 |publisher=NHK |accessdate=2011-03-24}}</ref>
* 『絶景!夏の御嶽山 ~御嶽山~ 』 総合テレビ([[NHK名古屋放送局]])、[[ウィークエンド中部]]、2010年8月21日放送<ref>{{Cite web |url=http://www.nhk.or.jp/nagoya-we-blog/2010/08/ |title=生中継・絶景!夏の御嶽山 ~御嶽山~ |publisher=NHK |accessdate=2011-03-24}}</ref>
* 『小さな旅 山の歌 祈りの峰 いまも~御嶽山~』 NHK総合テレビ、[[小さな旅]]、2010年8月28日放送<ref name="tisana tabi" />
* 『天空の宿へ ~にっぽん山小屋物語~』 [[テレビ東京]]、[[土曜スペシャル]]、2011年9月3日放送<ref name="tv-tokyo" />
* 『にっぽん百名山 御嶽山』 [[NHK BSプレミアム]]、[[にっぽん百名山]]、2012年9月10日放送<ref>{{Cite web |url=http://nhk.jp/chronicle/?B10002200091209110030235 |title=NHKアーカイブス保存番組詳細 にっぽん百名山 御嶽山(2012年9月10日放送) |publisher=[[日本放送協会|NHK]] |accessdate=2013-02-15}}</ref>
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{reflist}}
<div class="references-small">{{Reflist|group=注釈}}</div>
=== 出典 ===
<div class="references-small">{{Reflist|2}}</div>
 
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書 |author=[[パーシヴァル・ローウェル]] |year=1895 |title=Occult Japan Or the Way of the Gods |url=http://library.uoregon.edu/ec/e-asia/read/ocjap.pdf |ref=パーシヴァル・ローウェル}}
* {{Cite book|和書 |author= |year=1998 |month=11 |title=日本の名山11 御岳山 |series=日本の名山 |publisher=博品社 |pages= |isbn=4938706571 |ref=日本の名山}}
* {{Cite book|和書 |author=[[深田久弥]] |year=1982 |month=7 |title=[[日本百名山]] |publisher=[[朝日新聞社]] |isbn=4-02-260871-4 |ref=深田久弥}}
* {{Cite book|和書 |author=新井清、真継伸彦 |year=1983 |month=11 |title=八ヶ岳・御岳と中央アルプス |series=日本の名山7 |publisher=[[ぎょうせい]] |isbn= |ref=八ヶ岳・御岳と中央アルプス}}
* {{Cite book|和書 |editor=[[宮家準]](編) |year=1985 |month=2 |title=御岳信仰 |series=民衆宗教史叢書 (第6巻) |publisher=[[雄山閣]] |isbn=4639004613 |ref=御岳信仰}}
* {{Cite book|和書 |year=1986 |month=10 |title=日本登山図集 |publisher=[[日地出版]] |isbn=45270023333 |ref=日本登山図集}}
* {{Cite book|和書 |author=深田クラブ |year=1987 |title=[[日本二百名山|日本200名山]] |publisher=[[昭文社]] |pages= |isbn=4398220011 |ref=日本200名山}}
* {{Cite book|和書 |author=岐阜県山岳連盟 |year=1987 |month=7 |title=ぎふ百山 |publisher=[[岐阜新聞社]] |isbn=4905958474 |ref=ぎふ百山}}
* {{Cite book|和書 |author=生駒勘七 |year=1988 |month=4 |title=御岳の信仰と登山の歴史 |publisher=[[第一法規出版]] |isbn=4474000900 |ref=日本の高山植物}}
* {{Cite book|和書 |author=豊国秀夫 |year=1988 |month=9 |title=日本の高山植物 |series=山溪カラー名鑑 |publisher=[[山と渓谷|山と溪谷社]] |isbn=4-635-09019-1 |ref=御岳の信仰と登山の歴史}}
* {{Cite book|和書 |author=一等三角点研究会 |year=1988 |month=11 |title=[[一等三角点百名山]] |publisher=山と溪谷社 |pages= |isbn=9784635330008 |ref=一等三角点百名山}}
* {{Cite book|和書 |author= |year=1992 |month=8 |title=日本の山1000 |publisher=山と溪谷社 |isbn=4635090256 |ref=日本の山1000}}
* {{Cite book|和書 |editor=徳久球雄(編集) |date=1992-10 |title=コンサイス日本山名辞典 |publisher=[[三省堂]] |isbn=4-385-15403-1 |edition=修訂版 |ref=日本山名辞典}}
* {{Cite book|和書 |author=島田靖 |year=1993 |title=御嶽山 |series=[[山と高原地図]]1993年版 |publisher=[[昭文社]] |isbn=4398751076 |pages= |ref=山と高原地図1993年版}}
* {{Cite book|和書 |author=中村成勝 |year=1996 |title=日本雪山登山ルート集 |publisher=山と溪谷社 |isbn=4-635-18003-4 |ref=日本雪山登山ルート集}}
* {{Cite book|和書 |author=[[田部重治]] |year=1996 |month=2 |title=わが山旅五十年 |publisher=[[平凡社]] |isbn=4582761348 |ref=田部重治}}
* {{Cite book|和書 |author=吉野晴朗 |year=1996-08 |title=ふるさとの富士200名山 |publisher=[[東方出版]] |isbn=488591499X |ref=ふるさとの富士200名山}}
* {{Cite book|和書 |author=[[ウォルター・ウェストン]] |translator=青木枝朗 |year=1997 |month=6 |title=日本アルプスの登山と探検 |publisher=[[ 岩波文庫]] |isbn=4003347412 |ref=日本アルプスの登山と探検}}
* {{Cite book|和書 |date=1997-03 |title=[[日本三百名山]] |publisher=[[毎日新聞社]] |isbn=4620605247 |ref=日本三百名山}}
* {{Cite book|和書 |author=[[田中澄江]] |year=1997 |month=6 |title=[[花の百名山]] |publisher=[[文春文庫]] |isbn=4-16-352790-7 |ref=花の百名山}}
* {{Cite book|和書 |author=垣外富士男、池上立、津野祐次、中山秀幸 |year=1998 |month=09 |title=長野県の山 |series=分県登山ガイド |publisher=山と溪谷社 |isbn=4635021750 |ref=長野県の山}}
* {{Cite book|和書 |author=[[串田孫一]]、[[今福龍太]]、[[今井通子]] |year=1998 |month=11 |title=日本の名山11 御岳山 |series=日本の名山 |publisher=博品社 |pages= |isbn=4938706571 |ref=日本の名山}}
* {{Cite book|和書 |editor=[[高橋正樹]]、[[小林哲夫 (火山地質学)|小林哲夫]](編) |year=2000 |month=04 |title=中部・近畿・中国の火山 |series=フィールドガイド日本の火山⑥ |publisher=[[築地書館]] |isbn=4806711993 |ref=中部・近畿・中国の火山}}
* {{Cite book|和書 |author=小谷宗司、岩本義行、木曽御岳観光連盟 |year=2000 |month=06 |title=花かおる御嶽山 |series=ビジター・ガイドブック |publisher=ほおずき書籍 |isbn=443400221X |ref=花かおる御嶽山}}
* {{Cite book|和書 |author=近藤紀巳 |year=2002 |month=4 |title=ぐるり御岳 とっておきの自然 |publisher=[[中日新聞社]] |pages= |isbn=4806204447}}
* {{Cite book|和書 |author=菅原寿清 |year=2002 |month=7 |title=木曽御嶽信仰―宗教人類学的研究 |publisher=岩田書院 |pagesisbn=487294254X |isbnref=487294254X木曽御嶽信仰}}
* {{Cite book|和書 |author=三宅修 |year=20092003 |month=67 |title=アルペンガイド11 中央アルプス 御嶽現代日本名・白山 |series=ヤマケイ・アルペンガイド図会 |publisher=[[山と渓谷|山と溪谷実業之日本社]] |pagesisbn=4408007862 |isbnref=9784635013598現代日本名山図会}}
* {{Cite book|和書 |author=島田靖 |year=20092005 |month=127 |title=改訂版 岐阜県の日本百名 |series=新・分県登山ガイド・改訂版地図帳 |publisher=山と溪谷社 |pagesisbn=pp.794-81635-92203-0 |isbnref=9784635023702日本百名山地図帳}}
* {{Cite book|和書 |author=木股文昭 |year=20102005 |month=610 |title=御嶽山―静かな目で見活火日本登山史・日本登史年表 |publisher=[[信濃毎日新聞山と溪谷]] |pagesisbn=4635178145 |isbnref=9784784071395目で見る日本登山史・日本登山史年表}}
* {{Cite book|和書 |authoreditor=[[日本山岳会]] |year=20102005 |month=1011 |title=新日本山山―霊なる山の素顔 新版 |publisher=信濃毎日新聞社 |pages=[[ナカニシヤ出版]] |isbn=9784784071470 4-779-50000-1|ref=御岳新日本霊なる山の素顔岳誌}}
* {{Cite book|和書 |author=飛騨山岳会[[岩崎元郎]] |year=20102006 |month=113 |title=飛騨の山 研究と案内 |publisher=[[ナカニシヤ出版新日本百名山]]登山ガイド〈下〉 |pagespublisher=pp.161-161山と溪谷社 |isbn=97847795050414635530477 |ref=新日本百名山}}
* {{Cite book|和書 |author=伊部高夫 |year=20112006 |month=309 |title=御嶽長野県中信・南信日帰りの 小秀―120・奥三界岳 |series=[[山と高原地図]]2011年版/188コース |publisher=[[昭社]] |isbn=9784398757791 |pages=4901742051 |ref=長野県中信・南信日帰りのと高原}}
* {{Cite book|和書 |author=田中欣一 |date=2006-12-26 |title=木曽路大紀行―よみがえる木曽人の物語 |series=「信州の大紀行」シリーズ (2) |publisher=一草舎出版 |isbn=978-4902842272 |ref=よみがえる木曽人の物語}}
* {{Cite book|和書 |editor=全国地質調査業協会連合会、地質情報整備活用機構 |date=2007-10 |title=日本列島ジオサイト地質百選 |publisher=[[オーム社]] |isbn=978-4274204609 |ref=日本列島ジオサイト地質百選}}
* {{Cite book|和書 |author=津野祐次、島田靖、栂典雅 |year=2009 |month=6 |title=アルペンガイド11 中央アルプス 御嶽山・白山 |series=ヤマケイ・アルペンガイド |publisher=山と溪谷社 |isbn=9784635013598 |ref=中央アルプス 御嶽山・白山}}
* {{Cite book|和書 |editor=菅原壽清、中山郁、時枝務 |year=2009 |month=8 |title=木曽のおんたけさん―その歴史と信仰 |publisher=岩田書院 |isbn=978-4872945690 |ref=木曽のおんたけさん―その歴史と信仰}}
* {{Cite book|和書 |author=日本山岳会東海支部 |year=2009 |month=10 |title=東海・北陸の200秀山 |series=上(東海・北陸編) |publisher=中日新聞社 |isbn=978-4806205982 |ref=東海・北陸の200秀山}}
* {{Cite book|和書 |author=島田靖、堀井啓介 |year=2009 |month=12 |title=改訂版 岐阜県の山 |series=新・分県登山ガイド・改訂版 |publisher=山と溪谷社 |isbn=9784635023702 |ref=岐阜県の山}}
* {{Cite book|和書 |author= |date=2012-05-12 |title=御岳山―霊なる山の素顔 新版 |publisher=[[洋泉社]] |isbn=9784784071470 |ref=御岳山霊なる山の素顔}}
* {{Cite book|和書 |author= |year=2010 |month=10 |title=いちどは行ってみたい日本の聖地 新版 |publisher=[[信濃毎日新聞社]] |isbn=978-4862485809 |ref=いちどは行ってみたい日本の聖地}}
* {{Cite book|和書 |author= |year=2011 |month=3 |title=御嶽山 小秀山・奥三界岳 |series=山と高原地図2011年版 |publisher=昭文社 |isbn=9784398757791 |ref=山と高原}}
* {{Cite book |和書 |year=2011 |month=11 |title=信州ふるさと120山 |editor=長野県山岳協会120山委員会 |publisher=信濃毎日新聞社 |isbn=9784784071821 |ref=信州ふるさと120山}}
 
== 関連項目 ==
{{CommonscatCommons&cat|Mount Ontake|御嶽山Mount Ontake}}
* [[御嶽山県立自然公園]]
* [[日本百名山]]、[[新日本百名山]]、[[花の百名山]]、[[ぎふ百山]]
* [[御岳県立自然公園]]
* [[日本百名山]]、[[新日本百名山]]、[[花の百名山]]、[[一等三角点百名山]]、[[ぎふ百山]]
* [[日本の山一覧 (高さ順)]]・第14位、[[日本の山一覧 (3000m峰)]]
* [[御嶽山系]]
409 ⟶ 684行目:
* [[日本の地質百選]]
* [[濁河温泉]]
* [[長野県道256号御岳王滝黒沢線]]、[[長野県道473号上松御岳線]]、[[岐阜県道435号御岳山朝日線]]
* [[おんたけ2240]]、[[御岳ロープウェイ]]、[[開田高原マイアスキー場]]、[[チャオ御岳スノーリゾート]]
* [[長野県西部地震]]
416 ⟶ 691行目:
 
== 外部リンク ==
* {{Cite web |url=http://watchizu.gsi.go.jp/watchizu.aspx?b=355334&l=1372849 |title=地図閲覧システム 2万5千分1地形図名:御嶽山(北東) |publisher=国土地理院 |accessdate=2011-03-24}}
* {{Cite web |url=http://www.seisvolcbr.kishoumlit.go.jp/tokyotajimi/312_Ontakesansabo/312_indexontake/gensai/ontakesan-jyoukenzu.html jpg |title=火山土地条件図(御嶽山・火 1:25,000) |publisher=気象庁国土地理院 |format=JPEG |accessdate=20112013-0302-2415}}
* {{Cite web |url=http://tenkiwww.seisvol.kishou.go.jp/mountaintokyo/famous100312_Ontakesan/point-167312_index.html |title=登山天気・御嶽山・火山 |publisher=[[日本気象協会]] |accessdate=2011-1003-0524}}
* {{Cite web |url=http://tenki.jp/mountain/famous100/point-167.html |title=山の天気・御嶽 |publisher=[[日本気象協会]] |accessdate=2011-10-05}}
* {{Cite web |url=http://www.pref.nagano.lg.jp/doboku/sabo/volcano/ontake/ontake1.pdf |title=御嶽山火山防災マップ |publisher=長野県 |format=PDF |date=2002-03-29 |accessdate=2013-02-03}}
* {{Cite web |url=http://www.vill.otaki.nagano.jp/ontake_tozan/tozan01.html |title=木曽御嶽山登山道(王滝口)の概要 |publisher=王滝村 |accessdate=2013-02-12}}
* {{Cite web |url=http://www.cbr.mlit.go.jp/tajimi/desk/ontakesan_live.html |title=御嶽山を見てみよう!(ライブカメラ) |publisher=国土交通省中部地方整備局多治見砂防国道事務所 |accessdate=2013-02-15}}
<!-- * [http://riodb02.ibase.aist.go.jp/strata/VOL_JP/vol/70.htm 産業技術総合研究所 御嶽山]  リンク切れ-->