「文人」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
ISBN |
|||
51行目:
== 琴棊詩書画 ==
中国文人は'''琴
===琴===▼
[[古琴|琴]]は[[瑟]]とともに『[[詩経]]』にもみられるほど古い[[弦楽器]]であるが、[[孔子]]やその門人たちが琴を奏でることを好み、楽器の中でももっとも重用していたことが『論語』や『[[礼記]]』にみえ、また『[[荘子 (書物)|荘子]]』にもその記述がある。それらによると孔子は諸国を漫遊する旅に琴を携えて歌の伴奏としており、[[子游]]や[[顔回]]ら弟子達も琴を愛用していたことがわかる。儒学の祖である孔子らのこの風習はやがて[[儒者]]が琴をもっとも尊び愛用することに繋がった。後漢の[[桓譚]]は『新論』で、[[応劭]]は『風俗通』にてそれぞれ琴の重要性を説いている。このような思潮の中、漢代から六朝までの間に琴を得意とする著名な文人が多数現れている。前述の桓譚に加え、[[後漢]]では[[馬融]]・[[蔡ヨウ|蔡邕]]、[[魏 (三国)|魏]]の[[ケイ康|嵆康]]、[[東晋]]の[[戴逵]]などである。[[陶淵明]]のごときは琴を奏でることができないにもかかわらず、無弦の琴を愛蔵して酒に酔うとこれを奏でるかのように玩んだという。このような琴の流行は[[南北朝時代 (中国)|南北朝時代]]に最高潮になりやがて衰退するが、近世になっても文人の嗜むべき随一の楽器とされ続けた。▼
{{Main|囲碁の歴史}}▼
===詩===
63 ⟶ 70行目:
===画===
文人の[[書画|画芸]]というと[[文人画]]が有名である。これは明末の[[董其昌]]による画論『[[画禅室随筆]]』に「文人の画は[[王維]]から始まる」として唐代の王維をその始祖としたことによる。しかし、文人の画芸はさらにその淵源を遡ることができる。唐の[[張彦遠]]の『[[歴代名画記]]』には、画を得意とする文人が多数挙げられている。後漢では[[張衡 (科学者)|張衡]]・[[蔡ヨウ|蔡邕]]・[[趙岐]]、魏の[[楊脩]]・[[桓範]]・[[嵆康]]、[[蜀]]の[[諸葛亮]]、[[東晋]]の[[戴逵]]・[[王羲之]]・[[顧愷之]]など。いずれも著名な文人で専門の画工ではない。このように後漢以降に文人の中で画を得意とする者が多数存在したが、画の価値については一定の評価を得られていなかったと考えられる。盛唐の[[閻立本]]は殿中で画師として扱われたことを大いに恥じて顔を真っ赤にしたという逸話がある。宋以降にようやく文人の遊戯として定着した。画芸について晋の顧愷之の『[[論画]]』、宋代の[[宗炳]]の『画山水序』・[[王微]]の『叙画』、[[斉 (南朝)|斉]]の[[謝赫]]の『[[古画品録]]』などの画論でその理論が模索され、やがて'''気韻'''を貴ぶようになる。この価値基準の確立によって文人の画芸に対する関心は一層高まった。北宋の[[米芾]]は『画史』において書画鑑賞の本質的な意義は「清玩」することにあると述べているが書画の芸術性が社会に認識されたことを示している。このような背景の中、先の董其昌の画論では専門の画工によった[[院体画]]と対峙して文人画を位置づけている。文人画は飽くまで素人の余技であり、その精髄とも呼べる「気韻」は広く文人の間に受け入れられ、宋元以降、文人の趣味生活に深く浸透していった。
▲===琴===
▲[[古琴|琴]]は[[瑟]]とともに『[[詩経]]』にもみられるほど古い[[弦楽器]]であるが、[[孔子]]やその門人たちが琴を奏でることを好み、楽器の中でももっとも重用していたことが『論語』や『[[礼記]]』にみえ、また『[[荘子 (書物)|荘子]]』にもその記述がある。それらによると孔子は諸国を漫遊する旅に琴を携えて歌の伴奏としており、[[子游]]や[[顔回]]ら弟子達も琴を愛用していたことがわかる。儒学の祖である孔子らのこの風習はやがて[[儒者]]が琴をもっとも尊び愛用することに繋がった。後漢の[[桓譚]]は『新論』で、[[応劭]]は『風俗通』にてそれぞれ琴の重要性を説いている。このような思潮の中、漢代から六朝までの間に琴を得意とする著名な文人が多数現れている。前述の桓譚に加え、[[後漢]]では[[馬融]]・[[蔡ヨウ|蔡邕]]、[[魏 (三国)|魏]]の[[ケイ康|嵆康]]、[[東晋]]の[[戴逵]]などである。[[陶淵明]]のごときは琴を奏でることができないにもかかわらず、無弦の琴を愛蔵して酒に酔うとこれを奏でるかのように玩んだという。このような琴の流行は[[南北朝時代 (中国)|南北朝時代]]に最高潮になりやがて衰退するが、近世になっても文人の嗜むべき随一の楽器とされ続けた。
▲===囲碁(棊)===
▲{{Main|囲碁の歴史}}
▲[[囲碁]]は既に『論語』の中に孔子の弁として述べられるほど古い遊びである。「博弈」のうちの「弈」が囲碁を差しているが「博」の方は[[スゴロク]]の事で『論語』ではこの二つが同等に扱われている。しかし、後世の儒家はスゴロクを低俗な遊びであるとして斥けたようだ。後漢の[[馬融]]の『囲棊賦』などで「博」(=スゴロク)は投機的で浅薄な賭事であるに対して囲碁は頭脳を使い戦略的・理知的であるとしている。文人の雅俗意識から囲碁は雅致がある遊戯として認められたのだろう。また囲碁の静かに対局する姿は傍観者から見て詩的な風情を誘い、詩にいくつも詠じられている。[[白居易]]や[[蘇軾]]は石を打つときの音に魅了されて詩を詠じている。
== 文房趣味 ==
|