「当尾磨崖仏文化財環境保全地区」の版間の差分
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[[ファイル:Tono Kizugawa Kyoto pref Japan35s3.jpg|thumb|仏谷阿弥陀磨崖仏(大門の石仏)]]
'''当尾磨崖仏文化財環境保全地区'''(とうのまがいぶつぶんかざいかんきょうほぜんちく)は、[[京都府]][[木津川市]]東南部にある[[京都府指定・登録文化財一覧|京都府指定の文化財環境保全地区
[[ファイル:Tono Kizugawa Kyoto pref Japan06s3.jpg|thumb|山道風景]]▼
▲'''当尾磨崖仏文化財環境保全地区'''(とうのまがいぶつぶんかざいかんきょうほぜんちく)は、[[京都府]][[木津川市]]東南部にある京都府指定の文化財環境保全地区である。[[浄瑠璃寺]]と[[岩船寺]]を結ぶ山道1.5キロメートルを中心として広範囲に[[平安時代]]から[[室町時代]]の[[石仏]]や[[石塔]]が点在する地区で、これらの石仏群は一般に'''当尾の石仏'''と呼ばれる。
[[浄瑠璃寺]]と[[岩船寺]]を結ぶ山道1.5キロメートルを中心として広範囲に[[平安時代]]から[[室町時代]]の[[石仏]]や[[石塔]]が点在する地区で、当地の石仏群は一般に'''当尾の石仏'''と呼ばれる。
==地区の概要==
当尾地区は、京都府の南端、奈良県と境を接する位置にあり、[[浄瑠璃寺]]、[[岩船寺]](がんせんじ)などの古寺や鎌倉時代の石仏が点在する。当地区は奈良盆地の北縁の丘陵地帯で、行政的には京都府に属するが、文化的には古くから南都(奈良)、特に[[興福寺]]との関わりが強い。当尾の地名が記録にみえるのは室町時代以降で、それ以前は小田原と呼ばれた。丘陵の尾根の間に寺々の塔が見えたことから「塔ノ尾」と称されたのが当尾の語源ともいうが、はっきりしない。平安時代後期には、既存仏教寺院の俗化を嫌った僧らがこの地区に隠棲して庵を建立し、念仏や修行を行った。『拾遺往生伝』によれば、興福寺出身の僧・教懐(11世紀の人)は、この地に隠棲して念仏に励み、「小田原聖」「小田原迎接房」(ごうしょうぼう)と称された。教懐は晩年、高野山に上り、高野聖の祖とされている。『浄瑠璃寺流記事』(じょうるりじ るきのこと)によれば、小田原には長和2年(1013年)に随願寺(東小田原寺)、永承2年(1047年)に浄瑠璃寺(西小田原寺、九体寺)が建立された。九体阿弥陀堂と浄土式庭園で知られる浄瑠璃寺は現存するが、随願寺は廃寺になり、寺へ上る石段と礎石だけが残っている。東小田原・西小田原は、東小(ひがしお)・西小(にしお)と略称され、木津川市の地名として残っている。地区内には磨崖仏(自然の岩壁に直接彫った仏像)を含む石仏や石塔などの石造文化財が多数残る。石仏の多くは鎌倉・室町時代のもので(一部平安時代のものもある)、在銘の遺品も多い。<ref>『笠置 加茂』(近畿日本ブックス15)、pp.10 - 13</ref>
==地区内にある主な石仏==
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*西小墓地石仏群 - [[室町時代]]以降の作。
*西小五輪塔 - [[鎌倉時代]]の作。二基とも国の[[重要文化財]]
*長尾阿弥陀磨崖仏 - [[徳治]]2年
*浄瑠璃寺道三体磨崖仏 - 室町時代の作。▼
*藪の中の三仏磨崖像 - [[弘長]]2年([[1262年]])、[[橘友縄]]の銘、当尾地区最古級の石仏。浄土院本尊であったと推定されている。▼
*奥ノ院瑠璃不動 - [[永仁]]4年([[1296年]])の銘。▼
*首切り地蔵(東小阿弥陀石龕仏) - [[弘長]]2年(]]1262年[[)の銘、釈迦寺跡に建つ。当尾地区最古級の石仏▼
*赤門跡水呑み地蔵 - 鎌倉中期の作。▼
*東小墓地
**六字名号板碑 - [[明応]]6年([[1497年]])の銘。当尾地区最大の板碑。
**地蔵石仏 - [[元和]]6年([[1620年]])の銘。
**五輪塔 - 鎌倉時代の作。東小墓地の総供養塔。
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*穴薬師 - 鎌倉時代の作。
*あたご燈籠 - [[江戸時代]]の作。
*からすの壷二尊 - 阿弥陀如来坐像と地蔵菩薩立像。[[康永]]2年([[1343年]])の銘。
*唐臼の壷- 康永2年(1343年)の銘。
*一鍬地蔵磨崖仏- 鎌倉中期の作。
*内ノ倉不動明王石仏- [[建武]]元年([[1334年]]) の銘。
▲[[ファイル:Tono Kizugawa Kyoto pref Japan06s3.jpg|thumb|山道風景]]
*笑い仏(岩船阿弥陀三尊磨崖仏) - 永仁7年
*ねむり仏(埋もれ地蔵) - 地蔵菩薩。南北朝時代の作。
*一願不動(岩船寺奥ノ院不動明王立像) - [[弘安]]10年
*みろくの辻弥勒磨崖仏 - [[文永]]11年
*三体地蔵磨崖仏 - 鎌倉末期の作。
*岩船地蔵石龕仏 - 南北朝時代の作。▼
*岩船観音寺跡笠塔婆 - 室町時代の作。▼
*六体地蔵(岩船墓地六地蔵石龕仏) - 南北朝時代の作。
*大畑大福寺地蔵石仏 - [[永享]]13年
*大畑墓地石仏群 - 永禄2年([[1559年]]
*赤地蔵(勝風墓地地蔵石仏) - 永禄8年
*迎え地蔵(勝風墓地地蔵石仏) - [[元亀]]年
*青地蔵・北向き地蔵(勝風地蔵石仏) - 室町時代の作。
*高去集会所六字名号板碑 - 室町時代の作。
*森八幡線刻不動明王・毘沙門天 - [[正中]]3年
*ズンド坊の杖
*返り不動
*大蔵墓地種子十三仏板碑
*大蔵墓地
**六地蔵石仏
**五輪塔 - 鎌倉後期の作。
**石仏
**大蔵阿弥陀板碑(墓地入口
*涼み岩
*宝珠寺地蔵石仏- [[明応]]8年
*宝珠寺五輪塔- 鎌倉末期
*辻地蔵不動明王磨崖仏- 南北朝・室町時代の作。
*金蔵院六字名号板碑- [[大永]]6年
*千日墓地
**十三重石塔- 永仁6年
**阿弥陀石仏(西側六地蔵)- [[天正]]八庚辰
**双仏石- 南北朝時代の作。
**阿弥陀三尊石仏- 室町時代の作。
**種子十三仏板碑
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<gallery widths="180px" heights="180px">
ファイル:Tono_Kizugawa_Kyoto_pref_Japan01s3.jpg|一願不動
ファイル:Tono Kizugawa Kyoto pref Japan09s3.jpg|笑い仏
ファイル:Tono_Kizugawa_Kyoto_pref_Japan13n.jpg|からすの壺二尊
ファイル:Tono Kizugawa Kyoto pref Japan25s3.jpg|首切り地蔵
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===浄瑠璃寺境内===
▲*道三体磨崖仏 - 室町時代の作
▲*奥ノ院瑠璃不動 - [[永仁]]4年([[1296年]])の銘。
▲*門前角塔婆(丁石) - [[文和]]4年([[1355年]])の銘。
*石鉢 - 永仁4年(1296年)の銘。
*石燈籠
*石燈籠
*六字名号板碑 - [[寛永]]2年([[1625年]])の銘。
*石仏群 - 鎌倉時代以降の作。
▲*赤門跡水呑み地蔵 - 鎌倉中期の作。
<gallery widths="180px" heights="180px">
ファイル:Joruriji Kizugawa Kyoto pref Japan13n.jpg|石燈籠(本堂前、重要文化財)
ファイル:Joruriji Kizugawa Kyoto pref Japan07n.jpg|石仏群
</gallery>
===岩船寺境内===
*門前石風呂 - 鎌倉時代の作
*門前地蔵石龕仏 - [[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]の作。
*五輪塔 - 鎌倉後期。国の重要文化財。当尾地区最大の五輪塔。
*地蔵石仏(厄除け地蔵) - 鎌倉後期の作。
*石室不動明王立像 - [[応長]]2年
*十三重石塔 - 鎌倉中期の作。国の重要文化財。
*一石五輪塔 - 室町時代の作。
*五輪塔
▲*行者の背(岩船役行者石像) - 江戸時代。
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▲*岩船地蔵石龕仏 - 南北朝時代の作。
ファイル:Gansenji Kizugawa Kyoto pref Japan01n.jpg|門前石風呂
▲*岩船観音寺跡六字名号板碑 - [[永禄]]7年([[1564年]])の銘。。斉講による造立。
ファイル:Gansenji Kizugawa Kyoto pref Japan12n.jpg|十三重石塔(重要文化財)
▲*岩船観音寺跡笠塔婆 - 室町時代の作。
</gallery>
==関係法令==
*京都府文化財保護条例(昭和56年京都府条例第27号)
**当尾磨崖仏文化財環境保全地区 相楽郡加茂町大字岩船/大字西小 昭60
==交通アクセス==
*JR[[
*JR[[奈良駅]]または[[近鉄奈良駅]] から奈良交通バス加茂駅行きで約30分 浄瑠璃寺下車 徒歩3分
浄瑠璃寺 - 岩船寺間を歩いて石仏を見学する場合は、岩船寺を先に訪問してから浄瑠璃寺へ向かうと、道が下りになる。
*JR加茂駅から木津川市コミュニティバス(加茂山の家行き)で約15分 岩船寺下車すぐ(本数少ない)
*JR奈良駅からは、奈良交通バス(下狭川・広岡行き)で約25分、岩船寺口下車のルートもあるが、バス停から岩船寺まではかなりの距離があり、石仏群からも離れている。
*石仏群のうち、奥ノ院瑠璃不動、赤門跡水呑み地蔵、一鍬地蔵、内ノ倉不動などは山中にあり、車での訪問は不可能である。
== 脚注 ==
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==参考文献==
*近畿文化会編『笠置 加茂』(近畿日本ブックス15)、綜芸舎、1990
*中淳志『当尾の石仏めぐり』、東方出版、2000
==関連項目==
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