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'''タージ・マハル'''（{{lang-en|Taj Mahal}}, {{lang-hi|ताज महल}}, {{lang-ur|تاج محل}}）は、[[インド]]北部[[アーグラ]]にある、[[ムガル帝国]]第5代皇帝[[シャー・ジャハーン]]が、
== 概要 ==
{{double image|right|Shah Jahan on The Peacock Throne.jpg|150|Mumtaz Mahal.jpg|150|[[シャー・ジャハーン]]|[[ムムターズ・マハル]]}}
1632年着工、1653年竣工と言われる<ref name=Wata177>[[#渡辺1988|渡辺(1988)、p.177-212、第四章 ムガル帝国の栄華、蓮池に浮かんだ墓廟]]</ref>。
謀反を起こした臣下ハーン・ジャハーン討伐に付き従っていたムムターズ・マハルは、遠征先の[[ブルハーンプル]]で<ref name=Wata177 />[[産褥]]のため1631年6月7日に死亡した。彼女は[[遺言]]のひとつに、後世に残る墓を所望した<ref name=Wata3>[[#渡辺1988|渡辺(1988)、p.3-12、序 天上楽園の夢]]</ref>。彼女はブルハーンプルのザイナ・バードの庭園に葬られ、毎週金曜日には訪れるまだ39歳のシャー・ジャハーンの髯はすっかり白くなっていた<ref name=Wata177 />。
霊廟の計画はブルハーンプル滞在時には着手され始めたと考えられる。1632年の初めにムムターズ・マハルの遺体は都アーグラに送られ、ダルール・キラファト・アクバラバードの庭園に安置されたが、ハーン・ジャハーンはデカン討伐を続けた。これも6月には終えるとアーグラに舞い戻り、ムムターズ・マハルの一回忌追悼式典が催され、霊廟建設が開始された。基礎工事を経て1636年には白い霊廟がほぼ完成し、さらにこれを挟んでモスクと集会場、尖塔、そして大楼門が建設された。大楼門北側には「神のご加護により、1057年竣工」という文字が刻まれている。[[イスラム暦]]1057年は[[西暦]]1648年であり建設開始から17年を経ているが、その後には付帯設備が5年間をかけて整備され、すべての工事は1653年に完了した<ref name=Wata177 />。
名前の由来は不確定ながら、王妃ムムターズ・マハルのムムが消えターズがインド風発音のタージになったという<ref name=Wata213>[[#渡辺1988|渡辺(1988)、p.213-228、第四章 ムガル帝国の栄華、悲運の兄皇子密殺]]</ref>。ムムターズ・マハルはペルシャ語で「宮殿の光」、「宮廷の選ばれし者<ref name=Wata213 />」を意味する言葉であり、第4代皇帝[[ジャハーンギール]]から授けられた[[称号]]である。彼女の本名はアルジュマンド・バーヌー・ベーガム（ベーグ）という<ref name=Wata213 />。タージ・マハルを言葉どおりに訳せば「王冠宮殿」もしくは「宮殿の王冠」という意味になる。
また、地元では親しみを込めてピーピー・カ・ロウザと呼ばれていた。ピーピーは親しみを込めた貴婦人への呼びかけ。カ・ロウザは「（その貴婦人）の廟園」を意味する<ref name=Wata213 />。
== 構造 ==
[[ファイル:Taj site plan.png|
=== 敷地 ===
タージ・マハルは南北560m、東西303ｍの[[長方形]]の敷地にある。南端の約1/4部分は前庭があり、その北端にある[[門|大楼門]]を挟み広がる[[庭園]]は一辺296mの[[正方形]]であり、[[水路]]と[[遊歩道]]によって東西南北それぞれに2等分され、さらにそれぞれが4つの正方形で区分されている。その北には敷地の約1/4を占める基壇の上に、廟堂を中心に西側に[[モスク]]、東側に集会場がある<ref name=Wata177 />。
南の大楼門はダルワーザー、ムガル式四分庭園はバギーチャー、西側のモスクはマスジド、東側の迎賓施設はミフマーン・カーナー（ジャマート･カーナー<ref name=Wata177 />）、そして高さ42mの4本の尖塔（ミナレット）を従える墓廟は[[マウソレウム]]と言う。
タージ・マハルの基本設計は、ムガル帝国の墓廟方式の伝統を踏襲している。しかし、例えば[[フマーユーン]]の廟や[[アクバル]]の廟とは異なる点もある。これらは[[正方形]]の庭園の中心に廟堂があり、四方のどの門から入っても同じ景色が目前に広がるように設計されている<ref name=Wata110>[[#渡辺1988|渡辺(1988)、p.110-124、第ニ章 二つの文明の融合、皇子の反乱と一族の女たち]]</ref>。それに対し長方形構造と墓廟を北の端に配したタージ・マハルはこの例に倣っていない<ref name=Wata177 />。また、敷地内にモスクを持つ事も独特である<ref name=Wata177 />。
===
[[File:Taj Mahal gate-5.jpg|right|thumb|250px|大楼門]]
大楼門の南には前庭や車だまりおよび従者が控える建物がある<ref name=Wata177 />。大楼門は赤砂岩づくりで高さ約30m。[[イスラーム建築]]で多用される大きな[[アーチ]]を持つ[[イワーン]]であり、両側には[[八角形]]の太い[[塔]]がある。イワーンの上には、[[ファテープル・シークリー]]の寺院にも見られる白い[[鍾乳石]]の型体をした11個の丸屋根がある<ref name=Wata177 />。
=== 庭園 ===
[[ファイル:101-Taj-Mahal-Gardens.JPG|left|thumb|250px|庭園]]
大楼門をくぐった先に広がる庭園には天井の4本の川をあらわす4本の水路が四方に流れ、この水路が交わるところには天井の泉を表す池が配置されている<ref>「ムガル皇帝歴代誌」p222 フランシス・ロビンソン著 小名康之監修 月森左知訳 創元社 2009年5月10日第1版第1刷</ref>。これはペルシャ様式のチャール・バーグ式を踏襲している<ref name=Wata177 />。
水の供給には直径約23cmの[[配管|管路]]から行われる。庭園[[植物]]への[[灌水]]の他、これはさらに細い管を通して水路の南北にある計24基と、中央の泉にある5基の[[噴水]]へ水の供給が行っている。通常ならば取水口から遠い噴水には水圧が低下するが、タージ・マハル庭園ではそれぞれの噴水の下に[[壺]]が埋め込まれ、ここに一度水を貯める事で各噴水の高さに差が現れないよう工夫されている<ref name=Wata177 />。
ムガル朝の霊廟形式では、本来庭園の中心に墓廟があり、四方いずれからも同じ景色をつくる。タージ・マハルの庭園の中心には、墓廟の代わりに一辺23mの四角い白大理石づくりの基壇がある。中央の泉は一辺13mの方形であり、池と基壇の各辺の比は、墓廟とその基壇の比とほぼ一致する<ref name=Wata177 />。
霊廟の庭園は、イスラム教徒にとって[[砂漠]]の中の[[パラダイス|楽園]]を意味する。タージ・マハルも同様に[[列柱郭|列柱回廊]]で囲まれ、東西には門の代わりに[[バルコニー]]を備えた二階の楼台（バラダリ）がある。その中には豊かな[[花|花々]]や[[果樹]]が植えられ、季節によって[[バラ]]、[[チューリップ]]、[[ユリ]]、[[マリーゴールド]]、[[水仙]]などが咲き、[[マンゴー]]、[[オレンジ]]、[[レモン]]、[[ザクロ]]、[[リンゴ]]、[[ブドウ]]などが[[果実|実]]を結んでいた。現在の庭園は糸杉の並木と[[芝]]が一面に植えられ、[[木|大樹]]がところどころにあるが、これは19世紀に[[イギリス人]]が作り変えたものである<ref name=Wata177 />。
=== 基壇と尖塔 ===
[[File:Taj Mahal minaret-1.jpg|right|thumb|250px|尖塔]]
庭園奥には中央に高さ5.5mの基壇の上に立つ白亜の墓廟があり、四隅には4本の尖塔が建っている。向かって左（西）にモスク、右（東）に集会場がある。基壇を昇る[[階段]]は庭側から見えない場所に設置されている<ref name=Wata177 />。ムガル帝国の霊廟では、この基壇周囲にはアーチ状の列柱とその後ろに小部屋が据えられ、一族や縁者の墓石を置く例が主だが、タージ・マハルの基壇にあるアーチは単なる[[浮き彫り]]であり小部屋も無い。これは、タージ・マハルがあくまでムムターズ・マハルだけのために建設された事を表している<ref name=Wata177 />。
4つの尖塔は「皇妃に仕える四人の侍女」に喩えられる。しかしその形は[[灯台]]と小さなバルコニーを備えただけの単純で、イギリスの小説家オルダス・ハックリスは「人類が手がけた中で最も醜悪な建築物のひとつ」とさえ形容した。ただしこれらは主役の墓廟を際立たせるとともに、全体で視覚的なバランスに寄与している<ref name=Wata177 />。
=== 墓廟 ===
[[File:Taj 5 agost 05.jpg|left|thumb|250px|墓廟]]
墓廟は横と奥行きがどちらも57mの正方形を基本に、四隅が切られた変形八角形をしている。対して高さは丸屋根上部までが58m、上に据えられた頂華の長さを加えると更に高くなる。この比率はタージ・マハルが目前から見上げられる際に威容を感じさせるためのである。しかし遠目から見るとバランスに欠ける。そのため基壇の端に塔を置き、視覚的な重心に配慮している<ref name=Wata177 />。
最上部にムガル建築の様式であると[[三日月]]と[[水差し]]を重ねてあしらった頂華を備え、繋ぐ部分には蓮の花弁を象った飾りパドマコサを持つ丸屋根は、建物本来の高さ約23mから持ち上げるため下に長い[[円筒]]が置かれ、その総重量は12,000[[トン]]にもなる。この重さは内部にある八角形の石積みの柱が支え、ずれや傾きを防ぐために工夫された[[楔]]で固定されている<ref name=Wata177 />。
建物の屋上には丸屋根を囲む四隅に小さな丸屋根を持つ小楼（チャハトリ）が配される。建物の正面を含む4つの面には大きなアーチ型飾り門があり、その両隣と切られた四隅にはそれぞれ上下2段の小さなアーチ[[飾り窓]]がある。さらに八角形の建物のそれぞれの角と飾り門の両端には飾り柱があり、先端は建物の上に伸びている。飾り門や窓は意図的に深い奥行きを持たせており、[[太陽]]や[[月]]の光がつくる濃い影を作らせ、建物の微妙な表情を演出させる<ref name=Wata177 />。
墓廟の内部に入ると丸天井は24mしかない。これは二重殻ドームという形式で、外観上の丸屋根と内部の天井の間に空洞が置かれ、屋外から見るデザインと屋内の空間とのバランスを両立させる形式であり、この工夫は16世紀の[[西アジア]]で考え出された。内部中央の八角形のホールには、その中心に白大理石に[[コーラン]]の章句や[[草花]]の連続文様が装飾された衝立が囲うムムターズ・マハルの墓石がある。そしてその横（庭から入ると向かって左）には一回り大きな墓石があるが、これは夫のシャー・ジャハーンのものである。中央ホールを取り囲む四隅には本来は親族を葬るために造られる八角形の小部屋が4つある。しかしそこへ至る通路はすべて閉じられ、事実他の誰の墓部として使われていない<ref name=Wata177 />。
タージ・マハル墓廟には[[地下室]]がある。庭側入り口の脇には狭い階段があり、そこを下ると基壇内に造られ床は庭と同じ高さになる玄室がある。ここにはホールの真下にムムターズ・マハル本来の墓石が安置されている。ホールの墓石はあくまで象徴的な参拝用のものであった。なお、その横には同様にシャー・ジャハーンの本来の墓石がある。この地下室は閉じられていたが、現在は観光用に見学ができる<ref name=Wata177 /><ref>辛島昇・前田専学・江島惠教ら監修『南アジアを知る事典』p425 平凡社、1992.10、ISBN 4-582-12634-0 </ref>。
=== モスクと集会所 ===
[[File:El Taj Mahal-Agra India0021.JPG|right|thumb|250px|タージ・マハルのモスク。集会場も外観は同じである<ref name=Wata177 />。]]
墓廟を挟むモスクと集会場は、同じ形で向かい合い、いずれも赤砂岩づくりの外観を持つ。しかし内部は大きく異なり、礼拝のため聖地[[メッカ]]の方向を示すアーチ形のミソラーブをモスクが持つのに対し、集会場は迎賓等の目的のため内部は広い空間のみがある。このようなモスクや集会場を持つ霊廟は、他のムガル帝国廟に無い特徴である<ref name=Wata177 />。
=== 周囲 ===
周囲にはムムターズ・マハルの侍女サティ・ウン・ニサー、シャー・ジャハーンの他の妃であったサルヒンディ・ベーガムやアクバラディ・ベーガムといった縁者の墓がある<ref name=Wata177 />。
北側は[[ヤムナー川]]に接し、かつては[[アーグラ城塞]]から船でタージ・マハルの北から廟内に入っていたが、現在では訪問客は南から大楼門をくぐって訪れる。その南にはかつてはムムターズバード、今はタージ・ガンジーと呼ばれる街区があり、商業や宿泊施設などが広がっている<ref name=Wata177 />。
タージ・マハルと対面するヤムナー川の北岸には、対応するように胸壁があり、この中央には楼台、左右には望楼が置かれ、これらの北にも庭園がある<ref name=Wata177 />。
== 建設 ==
=== 場所の選定 ===
[[File:Taj Mahal-11.jpg|right|thumb|250px|北側のヤムナー川から見たタージ・マハル]]
タージ・マハルの建設地には、アーグラ城塞からヤムナー川を東へ約1kmほど下流の河川が湾曲する外側に当たる場所が選ばれた。ここは当時ラージャ・ジャイ・シングが所有する庭園で、彼の祖父にして皇帝[[アクバル]]の重臣でもあった[[ラージプート]]諸王のラージャ・マーン・シングが造営したものだった<ref name=Wata177 />。
この場所は、次の理由から選ばれた<ref name=Wata177 />。
* ムガル王朝の伝統では、墓は庭園の中にあるべきと考えられていた。
* ヤムナー川はアーグラ城塞のある場所で湾曲し、同じく河川が曲がったこの場所に建設すれば建物の姿が川面に映り[[シンメトリー]]の視覚効果が得られると計算された。
* 河川が曲がる外側は、それだけ強固な地盤が期待できた。
=== 設計 ===
設計にはイスラム世界から広く名声を博した[[建築家]]や[[工芸家]]らが集められた。20世紀にインド政府考古学調査局長のB・L・ダーマは研究書『ザ・タージ』にて[[設計者]]をイスラムに帰依したインド人モハメッド・イサー・エフェンディと述べた。しかしこれも当時の[[ヒンドゥー至上主義]]の影響を受けたもので、事実上設計者名は不明なままである。シャー・ジャハーンの主任建築家だったウスタッド・アフマド・ラホリの墓碑には彼がタージ・マハルの設計者だったと記されているが、これも多くの工匠らが持ち寄った設計を纏める役割に過ぎなかったと考えられる<ref name=Wata177 />。
[[File:TajCalligraphy2.jpg|right|thumb|150px|墓廟に刻まれたコーラン]]
しかし名が伝わる部分の設計担当や工匠らもいる。円筒と組み合わせた丸屋根の設計はトルコから招かれたイスマイル・ハーン、頂華の製作は[[ラホール]]のカシム・ハーン、大理石象嵌はデリーのチランジー・ラル、大楼門や墓廟に刻まれたコーラン文字は[[シーラーズ]]のアナマト・ハーンと[[シリア]]のロシャン・ハーンの2人の書家、透かし彫りや貴石の細工は[[バルチスタン]]から細工師のアミール・アリー、石組みには[[バグダード]]から技師のモハメッド・ハニフが呼ばれ、他にも集められた有名な技師たちは多く、知られているだけでも37名が雇われた。彼らは高給を与えられ、例えばモハメッド・ハニフは月1000[[ルピー]]、カシム・ハーンは月695ルピーを得た。一般の熟練工で月5~6ルピー、人夫は月1.5ルピー程度だったが、当時の通貨価値では1ルピーで小麦80kgが買えた<ref name=Wata177 />。
職人は[[ペルシャ]]や[[アラブ]]、果ては[[ヨーロッパ]]から2万人もの職人を集められた。
=== 建設 ===
17年とも22年と言われる建設期間中には、常に2万人もの人々が工事に携わった。タージ・マハルが建つヤムナー川の岸は傾斜しており、庭園を囲む回廊の外側には厚い[[石垣]]が積み上げられ、土地を水平に造成している<ref name=Wata177 />。
建材はインド中から1,000頭以上もの象で運ばれてきたといわれ、[[大理石]]は[[ラージャスターン州|ラージャスターン]]地方の[[ジャイプル]]産という。赤砂石は[[ファテープル・シークリー]]の石切り場から運ばれた。[[ヒスイ|翡翠]]や[[水晶]]は遠く[[中国]]から、[[トルコ石]]は[[チベット]]から、[[サファイア]]や瑠璃は[[スリランカ]]から、[[カンラン石]]は[[エジプト]]から、[[珊瑚]]や[[真珠貝]]は[[アラビア]]から、[[ダイヤモンド]]は[[ブンデルカンド]]から、[[アメジスト]]や[[瑪瑙]]はペルシャから集められた<ref name=Wata177 />。他にも、[[碧玉]]は[[パンジャーブ]]地方から、 [[ラピスラズリ]]は[[アフガニスタン]]から、 [[カーネリアン]]（紅玉髄）は[[アラビア]]から取り寄せられたものだという。全体で28種類もの宝石・宝玉が嵌め込まれていた。
タージ・マハル建設にどれだけの費用がかかったかは明らかではない。宮廷史家アブダール・ハミード・ラホリは著書『皇帝行伝（パードシャー・チーマ）』にて500万ルピーと記しているが、その他にも980万、1850万、4000万ルピーという説もある<ref name=Wata3 />。
== タージ・マハル建設の意義 ==
ヒンドゥー教徒は墓を持たず、遺体は[[火葬]]され遺骨や灰は川に流される。[[霊魂]]は永遠と考えるイスラム教徒が持つ墓は簡素なものに過ぎない。ムガル王朝の皇帝は大きな霊廟を備えたが、これは[[専制君主]]の権勢を示す目的があった<ref name=Wata213 />。権力を握っていたわけでもないただの王妃に対し壮大な墓廟が建設された例は、他にはほとんど無い<ref name=Wata3 />。
タージ・マハル着工の頃、シャー・ジャハーンは[[ヒンドゥー教]]を抑圧する令を発するなど、イスラム教国家建設の取り掛かっていた。その中でタージ・マハルはイスラム教徒の精神的中心として構想された。聖者信仰はイスラムにもヒンドゥーにも見られ、その墓所は霊力が宿るという考えはムガル王朝期のインドでは強かった。ムムターズ・マハルを聖者とみなす根底には、イスラム社会が女性に夫への愛と子を生すことを求め、産褥の死は男性が聖戦で死す事と同義とみなす母性信仰があり、生涯で14人の子を産み36歳で死んだ彼女は殉教した聖者になるに充分だったと言える<ref name=Wata229>[[#渡辺1988|渡辺(1988)、p.229-251、第四章 ムガル帝国の栄華、イスラム聖者と母性信仰]]</ref>
この意義に叶うため、タージ・マハルは巡礼者を受け入れる施設を持たされた。訪問中にメッカへ礼拝するためのモスク、食事や宿泊のための集会所、巡礼者の車場置き場、そして外部の市場もこの機能を補助した。タージ・マハルが完成した時に、その美しさにシャー・ジャハーンが詠んだ詩には、ここが罪を負う者が悔恨し、罪行から自由になり、許され清められる典雅な高殿であり、神の光とともにあると述べられている<ref name=Wata229 />。
== 逸話 ==
[[File:Erastus Salisbury Field - The Taj Mahal.jpg|right|thumb|200px|''タージ・マハル''エラストゥス・ソールズベリー・フィールド画]]
=== 両手を切り落とされた工匠 ===
タージ・マハル造営を命じられた工匠は、美しいムムターズ・マハルを秘かに慕っている男だったという。彼はその想いを建設に注ぎ、シャー・ジャハーンを満足させる美しい墓廟を完成させた。褒美を取らせようと王宮に呼ばれた工匠が墓廟を完成できた事で満足だと答えた。シャー・ジャハーンは男が内に秘めたものに気づき、男に両手を前に出すよう命ずると「これが褒美だ」と剣でその両手を切り落としたという<ref name=Wata3/>。
=== 対岸の黒大理石の墓廟 ===
シャー・ジャハーンはヤムナー川の対岸に対となる自分自身の黒大理石の廟の建設を構想していたともいう<ref name=Wata3/>。これは、タージ・マハルがイスラム建築の原則である対称性に則していないことから発したもので、北岸に同じ形の黒い墓廟があれば南北の対称性は果たされる。北岸の胸壁と望楼はその基礎工事の名残とも言われる<ref name=Wata177 />。
=== ヨーロッパ人の設計者 ===
タージ・マハルの設計には、[[ヴェネツィア]]出身の金細工師ジェロニモ・ヴェロネオという男が名を連ねたという<ref name=Wata3/>。19世紀に「密林の中に発見した」タージ・マハルは、イギリス人にとって驚きのものだった。未開の地にある荘厳な建造物に、やがてヨーロッパ人の関与があったという発想に至った。1884年に出版された『北西インドの歴史と地誌』第2巻には、ジェロニモ・ヴェロネオが300万[[ポンド]]の費用で建設を請け負ったが、1641年に[[スペイン人]]の托鉢僧マンリケが同地を訪問した時にはヴェロネオは死去しており、[[コンスタンティノープル]]から来た[[トルコ人]]のエフェンディが引き継いだという説を紹介し、大理石を象嵌した技術は[[フランス]]の[[ボルドー]]出身のオスティンヌとうい工匠が支援したとも添えた<ref name=Wata177 />。
この説はヨーロッパで人口に膾炙し、1957年[[ケンブリッジ大学出版局]]刊『インド史』第4巻ではヴェロネオが設計図を皇帝に献じたと、1972年[[ニューズウィーク]]出版の『ザ・タージ・マハール』でも、タージ・マハル建設の名誉を自らのものにし、同じような建造物が二度と建てられないようにするため、皇帝は工匠頭ヴェロネオを断首した。この出来事はセバスチャン・マンリケの口伝にあると記した<ref name=Wata177 />。
== その後 ==
=== シャー・ジャハーン廃位 ===
ムガル王朝は常に皇子らの間で皇位を巡る激しい争いが起こり、「王冠か死棺か」とさえ言われた。第三皇子だったシャー・ジャハーンも例外ではなく、皇位継承権を持つ一族すべての男性を殺して帝位に就いた<ref name=Wata149>[[#渡辺1988|渡辺(1988)、p.149-173、第三章 ペルシャ文化の影、文人皇帝とイスラム細密画]]</ref>。
[[File:Tombs-in-crypt.jpg|left|thumb|250px|シャー・ジャハーン（左）及びムムターズ・マハル（右）の墓石]]
そしてこれは、シャー・ジャハーンとムムターズ・マハルの間に生まれた息子たちの間でも繰り広げられた。シャー・ジャハーンは第一皇子の[[ダーラー・シコー]]に皇位を継がせようと手元に置き教養を与えた。しかしヒンドゥーや[[バラモン教]]にも理解を示す兄に、敬虔なイスラム教徒であった第三皇子の[[アウラングゼーブ]]には許しがたい背信に映った。16歳から戦場に身を置き、その中で果敢な性格と皇位を狙う野心を育てていたアウラングゼーブは反乱の挙兵を起こし、兄の軍を破ると父シャー・ジャハーンの前で兄を異端に堕ちた者と弾劾し、自らの行動を認めさせた。しかしシャー・ジャハーンはダーラー・シコーを支援する旨を記した手紙を秘かに送ったが、アウラングゼーブの知るところとなり、彼は父をアーグラ城塞内に幽閉した。1658年にアウラングゼーブは皇位に就き<ref group="注">アウラングゼーブも遠征先で帯同させた妃ディルラス・バーヌーを産褥で失った。彼は皇帝に就く前年の1657年から着手し、妃が亡くなったオーランガーバードに60万ルピーの費用をかけて彼女の墓廟ピーピー・カ・マクバラー廟を建設した。これは白亜の廟堂と4本の尖塔など、タージ・マハルを模倣して設計された。（[[#渡辺1988|渡辺(1988)、p.252-281]]）。</ref>、幽閉されたままのシャー・ジャハーンは1666年1月22日に亡くなった。翌日彼の遺体はタージ・マハルに運ばれ、妻の脇に葬られた。対称性を重視するイスラム建築にあって、これに反する夫妻の墓碑の並びは、アウラングゼーブが父をいかに憎んでいたかを物語る<ref name=Wata252>[[#渡辺1988|渡辺(1988)、p.252-281、第四章 ムガル帝国の栄華、巡礼の路]]</ref>。
=== 略奪 ===
アウラングゼーブの死から十数年後、アーグラの街は地方領主に占領され、タージ・マハル内ムムターズ・マハルの墓石に掛けられていた真珠を散りばめた贅沢な刺繍布チャーダルが奪われた<ref name=Wata252 />。チャーダルはイスラム教聖人の墓石に通常掛けられているものだが、なぜかその後作り直されなかった<ref name=Wata177 />。1764年にはヒンドゥー教徒のジャート族によって堂内の宝石類が剥ぎ取られた<ref name=Wata252 />。
[[イギリス東インド会社]]が1803年にアーグラ支配を確固たるものにすると、彼らもタージ・マハルで略奪を働いた。この時、丸屋根の上にある頂華を包む金箔が剥がされた。1828年から総督に就いたウィリアム・ペンディングはタージ・マハルを退廃的と見て、解体しイギリスで売り払う提案をしたというが、これは実行されなかった<ref name=Wata252 />。
== 観光 ==
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== 軍事的観点 ==
インド政府はタージ・マハルは[[パキスタン]]空軍の空爆の標的になりやすいと考えており、パキスタンとの緊張が高まった時期には、タージ・マハルに布をかぶせて偽装を行っている。また、容易に偽装できるよう、中央ドームの外壁にフックが打ち込まれている<ref>[[中野美代子]]『あたまの漂流』（岩波書店）、P.192</ref>。
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{脚注ヘルプ}}
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=== 脚注 ===
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== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author = 渡辺建夫|title = タージ・マハル物語|year = 1988|publisher = [[朝日新聞社]]|series = 朝日選書|isbn = 4-02-259452-7|page = |ref = 渡辺1988}}
{{commons|Taj Mahal|タージ・マハル}}
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