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{{サッカー選手
|名前=ディビッド・ジェームス
|画像=David Jamesgoalkeeper2DaJa.jpgJPG
|画像サイズ=200px
|本名=ディビッド・ベンジャミン・ジェームス
|画像の説明=2009年、[[サッカーイングランド代表|イングランド代表]]でのジェームス
|本名=David Benjamin James<ref>[http://www.fifa.com/mm/document/tournament/competition/01/22/85/78/fwc_2010_squadlists.pdf "FIFA World Cup South Africa 2010 – List of Players"] [[国際サッカー連盟|FIFA]]</ref>
|愛称=
|カタカナ表記=ディビッド・ベンジャミン・ジェームス
|アルファベット表記=David Benjamin JAMESJames
|原語名=
|原語表記=
|国={{ENG}}
|誕生日={{生年月日と年齢|1970|8|1}}
|出身地={{flagicon|ENG}} [[ウェリン・ガーデン・シティ]]
|身長=194cm
|体重=90kg
|血液型=
|所属チーム名={{Flagicon|ISL}} [[ÍAヴェストマナエヤル|ÍBV]]
|ポジション=[[ゴールキーパー (サッカー)|GK]]
|背番号=1
|利き足=右足
|ユース年1=1986-1988|ユースクラブ1={{flagicon|ENG}} [[ワトフォードFC|ワトフォード]]
|クラブ=[[ファイル:600px Giallo e Nero bordato di Rosso con cervo.png|20px|Watford]] [[ワトフォードFC|ワトフォード]]<br />[[ファイル:600px Rosso con grifone Bianco scudato e fiamme.png|20px|Liverpool]] [[リヴァプールFC|リヴァプール]]<br />[[ファイル:600px Azzurro e Porpora con leone Giallo.svg|20px|Aston Villa]] [[アストン・ヴィラFC|アストンヴィラ]]<br />[[ファイル:600px Colori degli Hammers.png|20px|West Ham]] [[ウェストハム・ユナイテッドFC|ウェストハム]]<br />[[ファイル:600px sky city.png|20px|Man City]] [[マンチェスター・シティFC|マンC]]<br />[[File:600px Blu con stella e luna gialle.png|20px]] [[ポーツマスFC|ポーツマス]]<br />[[ファイル:600px Rosso e Bianco (Bordato).png|20px|Bristol]] [[ブリストル・シティFC|ブリストル]]<br />[[ファイル:600px Rosso e Nero (Strisce).png|20px|Bournemouth]] [[AFCボーンマス|ボーンマス]]<br />[[File:600px Bianco e Nero (Bordato).png|20px]] [[ÍAヴェストマナエヤル|ÍBV]]
|年1=1988-1992|クラブ1={{flagicon|ENG}} [[ワトフォードFC|ワトフォード]]|出場1=89|得点1=0
|年=1988-1992<br />1992-1999<br />1999-2001<br />2001-2004.1<br />2004.1-2006<br />2006-2010<br />2010-2012<br />2012-2013<br />2013-
|年2=1992-1999|クラブ2={{flagicon|ENG}} [[リヴァプールFC|リヴァプール]]|出場2=214|得点2=0
|出場(得点)=89 (0)<br />214 (0)<br />67 (0)<br />90 (0)<br />93 (0)<br />134 (0)<br />81 (0)<br />19 (0)<br />
|年3=1999-2001|クラブ3={{flagicon|ENG}} [[アストン・ヴィラFC|アストン・ヴィラ]]|出場3=67|得点3=0
|クラブ成績更新日=2013年4月4日
|年4=2001-2004|クラブ4={{flagicon|ENG}} [[ウェストハム・ユナイテッドFC|ウェストハム・ユナイテッド]]|出場4=91|得点4=0
|代表国={{ENGf}}
|年5=2004-2006|クラブ5={{flagicon|ENG}} [[マンチェスター・シティFC|マンチェスター・シティ]]|出場5=93|得点5=0
|代表年=1997-2010
|年6=2006-2010|クラブ6={{flagicon|ENG}} [[ポーツマスFC|ポーツマス]]|出場6=134|得点6=0
|代表出場(得点)=53 (0)
|年7=2010-2012|クラブ7={{flagicon|ENG}} [[ブリストル・シティFC|ブリストル・シティ]]|出場7=81|得点7=0
|年8=2012-2013|クラブ8={{flagicon|ENG}} [[AFCボーンマス|ボーンマス]]|出場8=19|得点8=0
|年9=2013|クラブ9={{flagicon|ICE}} [[ÍBVヴェストマナエヤル|ÍBV]]|出場9=17|得点9=0
|代表年1=1990-1992|代表1={{ENGf}} U-21|代表出場1=10|代表得点1=0
|代表年2=1994-1996|代表2={{ENGf}} B|代表出場2=2|代表得点2=0
|代表年3=1997-2010|代表3={{ENGf}}|代表出場3=53|代表得点3=0
|監督年1=2013-|監督チーム1={{flagicon|ENG}} [[ルートン・タウンFC|ルートン・タウン]] (GKコーチ)
|クラブ成績更新日=2013年9月19日
|代表成績更新日=2010年6月28日
}}
'''ディビッド・ベンジャミン・ジェームス [[大英帝国勲章|MBE]]'''('''David Benjamin James MBE''', [[1970年]][[8月1日]] - )は、[[イングランド]]・[[ウェリン・ガーデン・シティ]]出身の元[[サッカー|サッカー選手]]。元[[サッカーイングランド代表|イングランド代表]]。現役時代のポジションは[[ゴールキーパー (サッカー)|ゴールキーパー]]。現在はサッカー指導者として活動しながら、[[w:en:BT Sport|BTスポーツ]]で定期的に評論家も務める。
 
現役時代の2009年2月14日に[[ガリー・スピード]]が持つ[[プレミアリーグ]]の最多出場記録を536試合に更新し、2011年5月14日に[[ライアン・ギグス]]に抜かれるまで記録保持者であり<ref name=appearance>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/teams/p/portsmouth/7890901.stm "James buoyed by record appearance"]</ref>、さらに、プレミアリーグ最多通算無失点試合(170試合)を達成している<ref>[http://www.skysports.com/opinion/story/0,25212,12038_5913982,00.html "Rooney vs Ronaldo"] [[スカイスポーツ]]</ref>。また、[[リヴァプールFC]]時代の1994年2月から1998年2月の159試合、[[マンチェスター・シティFC]]と[[ポーツマスFC]]時代の2006年から2008年の166試合の2度に渡ってプレミアリーグ連続出場記録を達成している(後に両記録は[[チェルシーFC]]の[[フランク・ランパード]]と[[アストン・ヴィラFC]]の[[ブラッド・フリーデル]]に破られた)<ref>[http://www.birminghammail.co.uk/sport/football/football-news/i-play-for-aston-villa-not-for-myself-73311 "I play for Aston Villa not for myself says Brad Friedel"]</ref>。
'''ディビッド・ジェームス'''('''David Benjamin James''', [[1970年]][[8月1日]] - )は、[[イングランド]]・[[ウェリン・ガーデン・シティ]]出身の[[サッカー|サッカー選手]]。ポジションは[[ゴールキーパー (サッカー)|ゴールキーパー]]。
 
[[ワトフォードFC]]でキャリアを開始した後は、リヴァプール、アストン・ヴィラ、[[ウェストハム・ユナイテッドFC]]、マンチェスター・シティ、ポーツマスFCといったプレミアリーグの数々のクラブに在籍し、1995年のリヴァプール時代に[[フットボールリーグカップ]]、2008年のポーツマス時代に[[FAカップ]]のタイトルを獲得。また、FAカップでは1996年のリヴァプール、2000年のアストン・ヴィラ、2010年のポーツマス時代に準優勝だった。この2010年のFAカップでは、FAカップの歴史上で決勝戦に出場した最高齢(39歳287日)のゴールキーパーだった<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/fa_cup/8680493.stm "Chelsea 1 - 0 Portsmouth"] [[BBCスポーツ]]</ref>。イングランド代表としては、1997年から2010年までの間で53試合に出場し、[[UEFA EURO 2004]]と[[2010 FIFAワールドカップ]]の2大会で正GKを務めた。
==経歴==
===クラブ===
[[1990年]]に[[ワトフォードFC]]でトップデビューを果たす。[[1992年]]に[[リヴァプールFC]]に移籍。リヴァプールでは[[ブラッド・フリーデル]]や[[サンデル・ヴェステルフェルト]]とレギュラー争いを繰り広げ、7年間で214試合に出場。文字通りレギュラーとして活躍したが、タイトルは[[フットボールリーグカップ|リーグカップ]]優勝1回にとどまった。
 
2012年の自身の誕生日には、それまでのサッカーと慈善活動が認められて[[大英帝国勲章]]の団員であるMBEの一員に任命された<ref>[http://www.bbc.co.uk/news/uk-england-bristol-18457893 "Queen's Birthday Honours list for Bristol"]</ref><ref>[http://www.dailymail.co.uk/sport/football/article-2223108/David-James-presented-MBE.html "James receives MBE at Buckingham Palace for services to football and charity"]</ref>。2013年10日に子供の頃からサポーターだった[[ルートン・タウンFC]]のカンファレンスに参加し、指導者としての道を歩み始めた<ref>[http://www.bedfordtoday.co.uk/sport/football/updated-ex-england-keeper-david-james-helps-to-take-training-with-the-hatters-1-5621216 "UPDATED: Ex-England keeper David James helps to take training with the Hatters"]</ref>。
その後は、[[1999年]]から[[2001年]]まで[[アストン・ヴィラ]]に、[[2001年]]から[[2004年]]冬までは[[ウェストハム・ユナイテッドFC]]に所属。それぞれのチームで定位置を掴み、まずまずの活躍を見せた。2004年冬に[[マンチェスター・シティFC]]に移籍。ここでもレギュラーとして活躍するものの、チームは低迷する一方だった。[[2006年]][[8月11日]]に[[ポーツマスFC|ポーツマス]]に移籍。2006-07シーズンはミスが減少しの躍進に大きく貢献する。2007-08シーズンは彼の全盛期と言える程の活躍をし、シーズンを終えた。
 
== 経歴 ==
南アフリカワールドカップ後の[[2010年]][[7月30日]]、ポーツマスの降格に伴って[[フットボールリーグ・チャンピオンシップ]](2部)の[[ブリストル・シティFC]]に移籍した。
=== クラブ ===
==== ワトフォード ====
[[ハートフォードシャー|ハートフォードシャー州]][[ウェリン・ガーデン・シティ]]に生まれ[[ルートン・タウンFC]]のサポーターとして育った<ref>[http://www.theguardian.com/football/blog/2009/aug/16/david-james-portsmouth-takeover-finances "How on earth did Portsmouth get into this mess?"]</ref><ref>[http://www.mirror.co.uk/sport/football/david-james-says-englands-world-1701210 "David James says England's World Cup base left no room to relax"]</ref>ジェームスは、学校を卒業後にルートン・タウンの[[w:en:Luton Town F.C.–Watford F.C. rivalry|ライバル]]である[[ワトフォードFC]]の下部組織に入団し、1989年に[[FAユースカップ]]の優勝に貢献<ref>[http://www.dailymail.co.uk/sport/football/article-566887/Pompeys-James-jolly-green-giant-lends-hand-cutting-carbon-footprint.html "Pompey's James the jolly green giant lends hand to cutting the carbon footprint"]</ref>。その活躍から同年トップチームに引き上げられ、正GKの[[トニー・コトン]]([[:en:Tony Coton|en]])が移籍したことで1990年8月25日に[[ミルウォールFC]]とのリーグ戦(1-2)でプロ初出場を飾り<ref>[http://www.bristolpost.co.uk/Coppell-Capello-David-James-gives-verdict-exclusive-Banter-interview-Bristol-City-s-new-star-goalkeeper/story-11251314-detail/story.html "Coppell or Capello? David James gives his verdict and much more in this exclusive Banter interview with Bristol City's new star goalkeeper"]</ref>、また、[[サッカーアイルランド共和国代表|U-21アイルランド]]との試合に向けてU-21代表に招集されている。同カテゴリーで計10試合に出場した。
 
2季在籍したワトフォードでは89試合に出場し、特に1990-91シーズンはデビュー年でありながらリーグ戦全試合に出場してチームの3部への降格を防ぐことに貢献。同クラブの最優秀選手に選出された。さらに、翌1991-92シーズンはリーグの[[PFA年間ベストイレブン|ベストイレブン]]に選出される等、早速頭角を現した。これらの活躍が評価され、2008年にクラブの殿堂入りを果たしている。
===代表===
[[デビッド・シーマン]]引退後、[[イングランド]]代表の正GKの座に着くも細かなミスを連発、一時はイングランド低迷への批判の矢面に立たされ[[ポール・ロビンソン]]にその座を奪われ、[[2006 FIFAワールドカップ]]メンバーに選ばれたが出番なしに終わった。ワールドカップ後は[[クリス・カークランド]]、[[スコット・カーソン]]、[[ベン・フォスター (サッカー選手)|ベン・フォスター]]など若手の台頭で一時期代表から遠ざかったが、[[2007年]]に[[UEFA欧州選手権2008]]の出場を逃した責任を取ってに[[スティーブ・マクラーレン]]が解任され[[ファビオ・カペッロ]]が新監督に就任すると[[2008年]]からは代表に復帰し、正GKに返り咲いた。
 
==== リヴァプール ====
[[2010 FIFAワールドカップ]]では、初戦の[[サッカーアメリカ代表|アメリカ]]戦でキャッチミスを犯した[[ロバート・グリーン]]に代わって2戦目の[[サッカーアルジェリア代表|アルジェリア]]戦から決勝トーナメント1回戦の[[サッカードイツ代表|ドイツ]]戦までの3試合に出場したが、チームは決勝トーナメント1回戦で敗退となった。なお、意外にも彼にとっては40歳にしてW杯は初出場だった。
1992年7月に移籍金100万[[スターリング・ポンド|ポンド]]で[[グレアム・スーネス]]監督率いる[[リヴァプールFC]]と契約し、8月17日の[[ノッティンガム・フォレストFC]]戦(0-1)で初出場を飾った<ref name=liverpool>[http://www.independent.co.uk/sport/football-sheringhams-sweet-touch-heroic-james-refuses-to-wilt-before-forest-fire-1540943.html "Football: Sheringham's sweet touch: Heroic James refuses to wilt before Forest fire"]</ref>。[[FAプレミアリーグ1993-1994|1993-94シーズン]]では、前半戦に11試合20失点を献上したことでベテランの[[ブルース・グロベラー]]に一旦定位置を譲る<ref name=liverpool />ことになったが、1993年1月21日の[[アーセナルFC]]戦(1-0)で先発復帰を果たすと、[[ペナルティーキック]]を阻止する活躍を見せて今季初の無失点勝利に貢献した。
 
リヴァプールの7季で公式戦277試合に出場<ref name=liverpool />し、[[FAプレミアリーグ1994-1995|1994-95シーズン]]に[[フットボールリーグカップ]]優勝に貢献<ref>[http://www.lfchistory.net/Articles/Article/1431 "McManaman conjures up Cup win"]</ref>、[[FAプレミアリーグ1995-1996|1995-96シーズン]]では[[PFA年間ベストイレブン]]に選出される等、正GKとして活躍を見せた。しかし、その一方で時折信じられないようなミスを犯すことから惨事や疫病神を意味するカラミティに掛けてカラミティ・ジェームス(Calamity James)と不名誉な渾名を獲得<ref>[http://www.theguardian.com/football/blog/2009/sep/01/england-goalkeeper-options-world-cup-2010 "Age is no calamity for David James while doubts exist about his rivals"]</ref>し、また、1997年の[[ニューカッスル・ユナイテッドFC]]戦で3失点を喫した後に「デレビゲームをするのに何時間も夢中になりすぎていたことで調子を崩した」との言い訳が後年になっても語り継がれた<ref>[http://www.espn.co.uk/espn/sport/story/73074.html "Top ten sporting excuses"]</ref><ref>[http://www.telegraph.co.uk/sport/football/5786306/Top-10-bizarre-football-injuries-to-rival-childs-play-of-Liverpool-defender-Fabio-Aurelio.html "Top 10 bizarre football injuries to rival child's play of Liverpool defender Fabio Aurelio"]</ref>。そのミスが度重なったことで[[FAプレミアリーグ1996-1997|1996-97シーズン]]の開幕戦を含めて度々[[ブラッド・フリーデル]]にポジションを奪われるようになり、1999年4月の[[レスター・シティFC]]戦を最後にリヴァプールでの出番はなく、これが退団に繋がった<ref>[http://www.liverpoolfc.com/news/have-you-seen/100pwstk-88-david-james "100PWSTK: 88. David James"]</ref>。
ある試合では試合終了間際に同点の場面でフリーキックとなりゴール前までやってくるも、ボレーを空振りしてしまい、苦し紛れのキープから相手にパスしカウンターを食らってあわや決勝点献上という場面だったが、味方DFの懸命の戻りによる間一髪のクリアーで助けられたこともある。
 
また、[[ロイ・エヴァンス]]([[:en:Roy Evans|en]])監督率いる1990年代のリヴァプールは、試合に勝利することよりもパーティーに重点を置いていると主張する人々により、[[スティーブ・マクマナマン]]、[[ジェイミー・レドナップ]]、[[ロビー・ファウラー]]らと共に[[スパイス・ガールズ]]にちなんで[[w:en:Spice Boys (footballers)|スパイス・ボーイズ]]と揶揄されており、特に1996年の[[FAカップ]]決勝で自身がモデルを務める[[アルマーニ]]の白スーツを着用して登場し、「我々は優勝カップを掲げるベストドレッサーチームになるだろう」と言い放ったことがイメージを明確にさせた<ref>[http://www.independent.co.uk/sport/football/fa-league-cups/james-suited-to-dressing-down-for-spice-boys-reunion-party-829975.html "James suited to dressing down for 'Spice Boys' reunion party"]</ref>。なお、[[ノースウェスト・ダービー|ライバル]]である[[マンチェスター・ユナイテッドFC]]との決勝戦は[[コーナーキック]]からのボールを弾くも、クリアしたボールが[[エリック・カントナ]]の下へと転がって渡ってしまい決勝点を挙げられた<ref>[http://www.goal.com/en-gb/slideshow/1670/5/title/top-10-manchester-united-v-liverpool-clashes "May 1996: Liverpool 0-1 Man United"] goal.com</ref>。
==その他==
*194cmと長身で[[モデル (職業)|モデル]]業もこなす。
*かつては[[プレミアリーグ|FAプレミアリーグ]]の連続出場記録(159試合)を持っていた([[2005年]]に[[フランク・ランパード]]に、[[2008年]]には[[ブラッド・フリーデル]]にそれぞれ破られる)。
*[[ジブリル・シセ]]ほどではないが、頻繁に髪の色を変えることでも有名である。
 
==== 所属クアストン・ヴィ ====
[[FAプレミアリーグ1999-2000|1999-2000シーズン]]に向けて[[ジェラール・ウリエ]]監督が[[サンデル・ヴェステルフェルト]]を正GKに向かい入れたことで構想外となったため、1999年6月17日に移籍金180万ポンドで[[アストン・ヴィラFC]]と契約した<ref>[http://www.theguardian.com/football/1999/jun/17/newsstory.sport3 "James signs for Villa"]</ref>。初出場となった8月7日のニューカッスルとのリーグ開幕戦(1-0)で無失点を達成し、2000年のボルトンとのFAカップ準決勝では、[[PK戦]]で相手側のボールを2度防ぎヒーローとなる活躍を見せた<ref>[http://news.bbc.co.uk/2/hi/sport/football/fa_cup/698834.stm "Villa book Cup final place"]</ref>。しかし、[[ウェンブリー・スタジアム (1923)|旧ウェンブリー]]での[[チェルシーFC]]との同大会決勝で[[ジャンフランコ・ゾラ]]の[[フリーキック]]を一旦掴むも、それを取りこぼす失態をしてしまい、それを目の前にいた[[ロベルト・ディ・マッテオ]]に決勝点を挙げられた<ref>[http://news.bbc.co.uk/2/hi/sport/football/fa_cup/756784.stm "Chelsea claim FA Cup glory"]</ref>。
*1988年-1992年 {{flagicon|ENG}} [[ワトフォードFC]]
 
*1992年-1999年 {{flagicon|ENG}} [[リヴァプールFC]]
==== ウェストハム ====
*1999年-2001年 {{flagicon|ENG}} [[アストン・ヴィラFC]]
アストン・ヴィラで2季85試合に出場後、2001年7月11日に移籍金350万ポンドで[[ウェストハム・ユナイテッドFC]]と4年契約を締結した<ref>[http://www.standard.co.uk/sport/james-completes-hammers-move-6354997.html "James completes Hammers move"]</ref>。しかし、デビュー戦を目前を控えた8月15日の代表戦で味方と衝突した際に後十字靭帯断裂となったことで半年の離脱となり<ref>[http://www.theguardian.com/football/2001/aug/17/newsstory.sport3 "James ruled out for six months"]</ref>、11月21日にホームでの[[トッテナム・ホットスパーFC]]戦(0-1)まで初出場がずれ込んだ<ref>[http://www.whufc.com/articles/20011124/west-ham-0-tottenham-1_2236884_1140365 "West Ham 0 Tottenham 1"] whufc.com</ref>。以降はチームで定位置を掴み、正GKとしてまずまずの活躍を見せたが、[[FAプレミアリーグ2002-2003|2002-03シーズン]]にチームの降格が決定した。
*2001年-2004年1月 {{flagicon|ENG}} [[ウェストハム・ユナイテッドFC]]
 
*2004年1月-2006年 {{flagicon|ENG}} [[マンチェスター・シティFC]]
==== マンチェスター・シティ ====
*2006年-2010年 {{flagicon|ENG}} [[ポーツマスFC]]
[[FAプレミアリーグ2003-2004|2003-04シーズン]]はウェストハムで[[フットボールリーグ・チャンピオンシップ|2部]]の舞台を戦う中、現役引退した[[デビッド・シーマン]]の代役として、2004年1月14日に移籍金200万ポンドで[[プレミアリーグ|1部]]の[[マンチェスター・シティFC]]と2年半契約を締結<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/teams/m/man_city/3394151.stm "James seals Man City deal"]</ref>。リヴァプール時代の同僚で「スパイス・ボーイズ」の一員だったファウラー、マクマナマンと再会を果たしたことでにわかに注目を集めた<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/3395771.stm "Keegan splashes on old spice"]</ref>。1月17日にホームでの[[ブラックバーン・ローヴァーズFC]]戦(1-1)で初出場を飾って<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/eng_prem/3385507.stm "Man City 1–1 Blackburn"] BBCスポーツ</ref>以降、シーズン終了までチームは僅か4勝しか挙げられない苦しい状況の中で全17試合に出場し、[[レスター・シティFC]]戦(1-1)<ref>[http://www.theguardian.com/football/2004/apr/25/match.leicestercity "Dickov miss leaves Leicester on the brink despite fighting spirit"]</ref>と[[ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズFC]]戦(3-3)<ref>[http://www.theguardian.com/football/2004/apr/11/match.sport6 "Keegan's men keep Wolves from door"]</ref>でペナルティーキックを防ぐ活躍を見せて勝ち点獲得に貢献。このPKストップの鍵に成功率を上げるため、スポーツ心理学の分野を探求したことを明かした<ref>[http://www.theguardian.com/sport/2008/mar/30/football.comment "Goalkeeper's fear of the penalty? Not for me"]</ref>。
*2010年-2012 {{flagicon|ENG}} [[ブリストル・シティFC]]
 
*2012年-2013年3月 {{flagicon|ENG}} [[AFCボーンマス]]
翌[[FAプレミアリーグ2004-2005|2004-05シーズン]]の最終日に[[ミドルズブラFC]]と{{仮リンク|UEFAカップ2005-06|en|Franck Queudrue}}出場権を掛けての直接対決で先発出場したジェームスは、試合残り5分の所でシティの[[スチュアート・ピアース]]監督がミッドフィルダーの[[クラウディオ・レイナ]]に代わり控えゴールキーパーの[[ニッキー・ウィーバー]]([[:en:Nicky Weaver|en]])を投入したことによりフィールドプレイヤー、それもフォワードを任されることとなった。[[ロスタイム]]にジェムースへ向けてのクロスを[[フランク・キュードリュー]]([[:en:Franck Queudrue|en]])が手で触れたことでペナルティーキックを獲得し、この奇策はほぼ目論見通りにいくかに思われたが、PKキッカーを務めたファウラーのボールを[[マーク・シュワルツァー]]に防がれてしまい引き分けとなり、最終的に国際舞台への道は絶たれた<ref>[http://www.telegraph.co.uk/sport/football/2359695/City-pay-the-penalty-for-Fowler-miss.html "City pay the penalty for Fowler miss"]</ref><ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/eng_prem/4525109.stm "Man City 1-1 Middlesbrough"] BBCスポーツ</ref>。
*2013年4月- {{flagicon|ISL}} [[ÍAヴェストマナエヤル|ÍBV]]
 
==== ポーツマス ====
[[File:David James warmup 2010 FA Cup Final 2.jpg|thumb|upright|ポーツマスでのジェームス]]
2006年8月10日にジェームスは、[[ロンドン]]に暮らす妻と子供の近くで多くの時間を過ごしたいためにシティを退団したいとの旨を表明<ref>[http://www.breakingnews.ie/sport/soccer/city-accept-james-bid-271673.html "City accept James bid"]</ref>し、8月11日に移籍金120万ポンドで[[ポーツマスFC]]と2年契約を締結した<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/teams/m/man_city/4779001.stm "James completes Portsmouth move"]</ref>。同[[FAプレミアリーグ2006-2007|2006-07シーズン]]は最初の5試合で連続無失点を達成する等、好調なパフォーマンスを見せていくと、2007年4月22日のアストン・ヴィラ戦ではシーマンが保持する141試合の通算無失点試合記録を破って142試合に更新した<ref>[http://newsimg.bbc.co.uk/sport1/hi/football/eng_prem/6555255.stm "Aston Villa 0-0 Portsmouth"] BBCスポーツ</ref>。それらの活躍が評価され、5月に契約を[[プレミアリーグ2008-2009|2008-09シーズン]]までの1年延長<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/teams/p/portsmouth/6648283.stm "James signs extended Pompey deal"]</ref>し、さらに、シーズン終了時にクラブの年間最優秀選手に選出された。翌[[FAプレミアリーグ2007-2008|2007-08シーズン]]は、[[香港]]での親善試合[[w:en:Premier League Asia Trophy|アジアトロフィー]]のリヴァプールとのPK戦で2度止め<ref>[http://www.abc.net.au/news/2007-07-28/portsmouth-stun-liverpool-on-penalties/2515502 "Portsmouth stun Liverpool on penalties"]</ref>、シーズン前から好調さを見せていき、2008年1月30日のマンチェスター・ユナイテッド戦で[[ガリー・スピード]]、[[ライアン・ギグス]]に続くプレミアリーグ通算出場数500試合を達成<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/eng_prem/7210592.stm "Man Utd 2-0 Portsmouth"] BBCスポーツ</ref>。[[ウェンブリー・スタジアム]]での[[カーディフ・シティ]]とのFAカップ決勝では、無失点に抑えてチームのタイトル獲得に貢献する<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/fa_cup/7393770.stm "Portsmouth 1-0 Cardiff"] BBCスポーツ</ref>等の活躍が認められ、[[PFA年間最優秀選手賞]]候補に選出された<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/7370319.stm "Ronaldo named player of the year"]</ref>。最終的に賞を逃したものの、年間ベストイレブンを受賞する<ref>[http://www.skysports.com/story/0,19528,11662_3469616,00.html "Premier League team 07/08"] スカイスポーツ</ref>飛躍したシーズンとなり、また、2季連続でクラブの最優秀選手に選出された。
 
2008年11月8日の[[サンダーランドAFC]]戦でポーツマスでの出場100試合目を達成<ref>[http://www.sunderlandecho.com/sport/full-match-report-sunderland-1-portsmouth-2-1-1055019 "FULL MATCH REPORT: Sunderland 1 Portsmouth 2"] sunderlandecho.com</ref>し、2009年2月14日のマンチェスター・シティ戦で通算出場536試合目となり、ガリー・スピードの記録を破ってリーグ通算最多出場記録を更新した<ref name=appearance />。[[プレミアリーグ2009-2010|2009-10シーズン]]は、リーグ戦で苦戦が続く中、FAカップでは躍進し、主将として出場した準決勝の[[トッテナム・ホットスパーFC]](2-0)では、再三に渡りシュートを阻止する活躍を見せて決勝進出を果たした<ref>[http://www.mirrorfootball.co.uk/news/Chelsea-v-Portsmouth-FA-Cup-final-preview-David-James-eyes-up-FA-Cup-and-World-Cup-double-article423859.html "James eyes up FA Cup and World Cup double"]</ref><ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/fa_cup/8611101.stm "Tottenham 0 - 2 Portsmouth"] BBCスポーツ</ref>。しかし、下克上とリーグ王者チェルシーの[[ダブル (サッカー)|2冠]]達成を阻止するべく臨んだ決勝戦は、0-1で敗れたことでタイトル獲得はならず、リーグ戦は2部への降格となった。同シーズン終了後は、[[アヴラム・グラント]]監督の退団後の新監督監督候補の1人として挙げられ<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/teams/p/portsmouth/8696625.stm "Goalkeeper David James eyes Portsmouth manager role"]</ref>、また、選手としての契約延長オファーがされ、残留を望まれたものの、それを拒否したことで自由契約選手となった<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/teams/p/portsmouth/8840717.stm "Portsmouth withdraw contract offer for David James"]</ref>。
 
==== 晩年 ====
;ブリストル・シティ
2010年7月30日に自由移籍で同国2部の[[ブリストル・シティFC]]と1年+1年契約を締結<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/teams/b/bristol_city/8866521.stm "Bristol City capture England keeper David James"]</ref>。入団理由に[[デヴォン|デヴォン州]]で暮らす家族の近辺でのプレーを望んだためだった<ref>[http://archive.is/0HU6 "WHY I'VE JOINED CITY - DAVID"]</ref>。8月7日のミルウォール(0-3)戦で初出場を飾り<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/eng_div_1/8881366.stm "Bristol City 0–3 Millwall"] BBCスポーツ</ref>、通算出場数850試合を達成する前夜の2011年2月11日にクラブとの契約を2012年6月まで延長<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/teams/b/bristol_city/9395420.stm "David James earns new Bristol City contract"]</ref>。2012年3月10日に[[w:en:Severnside derby|ライバル]]であるカーディフ戦で通算出場数900試合目を達成し、その尊重の印として主将を任された<ref>[http://www.theguardian.com/football/blog/2012/mar/10/david-james-900th-game "High-pressure game without a net when you hang up gloves"]</ref>。シーズン終了後に契約満了に伴い、5月2日にブリストル・シティからの退団が発表された<ref>[http://www.bbc.com/sport/0/football/17900036 "Goalkeeper David James released by Bristol City"]</ref>。
 
;ボーンマス
自由契約選手となった後は、2012年7月から[[エクセター・シティFC]]の練習に参加<ref>[http://www.bbc.com/sport/0/football/18959167 "Ex-England goalkeeper David James training with Exeter City"]</ref>し、9月27日に[[フットボールリーグ1|3部]]の[[AFCボーンマス]]と1年契約を締結した<ref>[http://www.bbc.com/sport/0/football/19742976 "David James signs for AFC Bournemouth until end of season"]</ref>。しかし、2013年3月に双方合意で契約解消が発表された<ref>[http://www.dailymail.co.uk/sport/football/article-2292239/David-James-leaves-Bournemouth.html "James looking for club No 9 after parting company with Bournemouth by mutual consent"]</ref>。
 
;ÍBVヴェストマナエヤル
2013年4月2日に[[ウルヴァルステイルト|アイスランド1部]]の{{仮リンク|ÍBVヴェストマナエヤル|en|Íþróttabandalag Vestmannaeyja}}と2013シーズン終了までの契約を締結し、ポーツマス時代の同僚で選手兼監督の[[ヘルマン・フレイザルソン]]と再会を果たした<ref>[http://www.bbc.com/sport/0/football/22009817 "Ex-England goalkeeper David James to join Icelandic side IBV"]</ref>。同クラブでは、43歳ながらも正GKとしてプレーし、また、フレイザルソン監督のアシスタントとして活動していた<ref>[http://www.dailymail.co.uk/sport/football/article-2320877/David-James-Iceland-goalkeeper-talks-new-club-IBV--EXCLUSIVE.html "EXCLUSIVE: David James on playing in Iceland, the freezing cold island with eight million puffins... and one new football hero"]</ref>。
 
=== 代表 ===
U-21代表を経て、1997年3月29日の[[サッカーメキシコ代表|メキシコ]]との親善試合(2-0)に[[グレン・ホドル]]監督の下で[[サッカーイングランド代表|イングランドA代表]]初出場を飾った<ref name=fa>[http://www.thefa.com/england/All-Teams/Players/J/David-James "DAVID JAMES"] thefa.com</ref>ことでイングランド代表史上初にして唯一となる黒人系ゴールキーパーとなった<ref>[http://www.independent.co.uk/news/people/news/hes-played-many-a-king--now-branagh-is-a-knight-7855277.html "He's played many a king – now Branagh is a knight"]</ref>。同試合は[[テディ・シェリンガム]]とクラブでの同僚[[ロビー・ファウラー]]の得点により勝利し、デビュー戦ながらも無失点を達成した。[[UEFA EURO 2000]]では最終的に落選したが、暫定メンバーに選出された<ref>[http://www.theguardian.com/football/2000/may/22/newsstory.sport5 "Euro 2000 provisional squads"]</ref>。
 
初出場を飾ってから5季の間で[[デビッド・シーマン]]、[[ナイジェル・マーティン]]と共に定期的に招集される<ref name=fa />中でシーマンの代役を務めていき、2002年の[[サッカーマケドニア共和国代表|マケドニア]]戦でシーマンの度重なる失態により、正GKを務めることになって2003年2月から14試合連続で先発出場を果たし、[[UEFA EURO 2004]]でも引き続き正GKとして全4試合に出場した<ref name=fa />。しかし、パフォーマンス自体は不安定なものであり、2004年9月に[[2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選]]の[[サッカーオーストリア代表|オーストリア]]戦(2-2)での失態により[[ポール・ロビンソン]]に先発の座を取って代わられ<ref>[http://www.dailymail.co.uk/sport/football/article-359636/Denmark-4-England-1.html "Denmark 4 England 1"] [[デイリー・メール]]</ref>、また、2005年8月17日の[[サッカーデンマーク代表|デンマーク]]戦(1-4)でロンビンソンに代わり後半頭から途中出場すると、自身の失態もあって4失点してしまい、この25年で最悪の敗北に関与した<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/internationals/4154680.stm "Denmark 4-1 England"] BBCスポーツ</ref>。このように、相次ぐ失態により厳しい状況下にありながらもロビンソンに次ぐ第2GKとして[[2006 FIFAワールドカップ]]の一員に選出された。
 
ワールドカップ終了後に就任した[[スティーブ・マクラーレン]]新監督の初戦にベテランの[[デビッド・ベッカム]]、[[ソル・キャンベル]]と共に招集されず、以後代表から遠ざかっていたが、それから1年後の2007年8月22日に[[サッカードイツ代表|ドイツ]]との親善試合(1-2)で再招集され、ロビンソンに代わって後半頭から復帰を果たした<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/internationals/6954720.stm "England 1-2 Germany"] BBCスポーツ</ref>。しかし、11月21日に[[UEFA EURO 2008予選]]の[[サッカークロアチア代表|クロアチア]]戦ではロビンソン、ジェームスが共に選択されずに[[スコット・カーソン]]が先発する事態が発生。試合はカーソンの失態により先制点を許してしまい、試合終了後にジェームスはカーソンの能力を賞賛しながらも、重要な場面で代表未経験の選手を起用するべきではないとマクラーレン監督の決定を非難した<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/internationals/7111829.stm "Keeper James hits out at McClaren"]</ref>。
 
==== 2010年ワールドカップ ====
[[UEFA EURO 2008]]出場が叶わなかったことでマクラーレン監督が解任されて[[ファビオ・カペッロ]]監督が就任すると、カペッロ監督の最初の試合である[[サッカースイス代表|スイス]]との親善試合で2005年5月の[[サッカーコロンビア代表|コロンビア]]との親善試合以来となる先発出場を果たし<ref>[http://www.telegraph.co.uk/sport/football/teams/england/7927320/Fabio-Capello-likely-to-end-David-Jamess-England-career-as-Hungary-friendly-looms.html "Fabio Capello likely to end David James's England career as Hungary friendly looms"]</ref>、以降は13試合連続で先発を任される等、1番手としての地位を確立した。翌年は定期的な負傷に悩まされており、2009年4月1日の[[サッカーウクライナ代表|ウクライナ]]戦を最後に代表から遠ざかっていたものの、「負傷から復帰したら[[南アフリカ]]へ連れて行く」とカペッロ監督からの信頼は厚く<ref>[http://metro.co.uk/2009/11/16/capello-warning-to-james-601847/ "Capello warning to James"]</ref>、また、かつてのイングランド代表GK[[ゴードン・バンクス]]<ref>[http://www.theguardian.com/football/2010/may/19/david-james-world-cup-gordon-banks "David James should start for England at World Cup, says Gordon Banks"]</ref>とシーマンからも南アフリカへ連れて行くべきとの後押しがあった<ref>[http://www.mirrorfootball.co.uk/opinion/blogs/mirror-football-blog/David-Seaman-exclusive-Why-David-James-must-be-England-s-World-Cup-goalkeeper-The-Big-Interview-article241899.html "David Seaman exclusive: Why David James must be England's World Cup goalkeeper - The Big Interview"]</ref>。
 
その後、[[2010 FIFAワールドカップ]]の暫定メンバー入りをし、ワールドカップ前の最後の親善試合となった2010年5月30日の[[サッカー日本代表|日本]]戦で2009年4月以来の出場をした<ref>[http://www.theguardian.com/football/2010/may/30/japan-england-friendly-match-report "Devil in the detail as England require own goals to beat Japan"]</ref>ジェームスは、背番号1を与えられて最終23人のメンバー入りを果たした<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/world_cup_2010/8720235.stm "World Cup 2010: England announce squad numbers"]</ref>。同大会初戦の[[サッカーアメリカ代表|アメリカ]]戦では先発を[[ロバート・グリーン]]が務めるも、[[クリント・デンプシー]]のシュートをキャッチミスして同点に追いつかれたため、次の[[サッカーアルジェリア代表|アルジェリア]]戦(0-0)で先発出場を果たし、ワールドカップに初出場した最年長選手(39歳321日)となった<ref>[http://www.goal.com/en-india/news/140/world-cup-2010/2010/07/02/2004616/world-cup-2010-david-james-is-oldest-debutant-david-villa "World Cup 2010: David James Is Oldest Debutant; David Villa Overtakes Thierry Henry"]</ref>。ワールドカップでのデビュー戦を無失点で抑えると、次の[[サッカースロベニア代表|スロベニア]]戦にも出場して無失点に抑え、グルプリーグCを2位での突破に貢献した。しかし、ベスト16のドイツ戦(1-4)で4失点を喫して敗退が決定し、同試合が代表最後の試合となった<ref name=fa />。
 
=== 指導者 ===
ÍBVヴェストマナエヤル退団後に現役引退したジェームスは、2013年10月に経験を積むため、ゴールキーパーコーチとして[[ルートン・タウンFC]]のカンファレンスに参加した<ref>[http://www.bbc.com/sport/0/football/24670325 "David James: Former England keeper to coach at Luton Town"]</ref>。
 
=== 私生活 ===
[[File:David Jamesgoalkeeper2.jpg|150px|thumb|left|2005年時のジェームス]]
[[ウェリン・ガーデン・シティ]]で育ち、サー・フレデリック・オズボーン学校に通学していた<ref name=Personal>[http://www.theguardian.com/environment/2007/jun/10/ethicalliving.lifeandhealth2 "Saving the planet: David James"] [[ガーディアン]]</ref>ジェームスは、妻と4人の子供を持つ<ref>[http://www.independent.co.uk/sport/football/premier-league/david-james-new-goal-in-life-that-nearly-made-me-give-up-the-game-417295.html "David James: New goal in life that 'nearly made me give up the game'"]</ref>が、2005年に離婚し、現在はパートナーと共に[[デヴォン|デヴォン州]]で暮らしている<ref name=Personal />。
 
サッカー選手として活動する傍ら、194cmという長身から1995年に[[アルマーニ]]<ref>[http://news.xinhuanet.com/english/2007-08/02/content_6465890.htm "Armani decks out Chelsea stars"]</ref>、2005年に[[H&M]]の[[ファッションモデル]]を務める<ref>[http://www.hellomagazine.com/fashion/2005/03/29/footballerfashion/ "Fit footballers score in sexy fashion ads"]</ref>。また、様々な髪型をする選手として知られており、アフロやドレッドヘアにしたかと思えば、金髪のボーズや[[スーパーマン (架空の人物)|クラーク・ケント]]のような髪型をする<ref>[http://bleacherreport.com/articles/408026-2010-world-cup-england-goalkeeper-david-james-top-10-hairstyles "2010 World Cup: England Goalkeeper David James' Top 10 Hairstyles"]</ref>。
 
2003年のオフシーズンに[[NFL]]の[[マイアミ・ドルフィンズ]]の合宿に参加し、[[アメリカンフットボール]]の練習や調整方法を学んだ<ref>[http://espnfc.com/news/story?id=270022&cc=4716 "NFL try-out for England keeper James"]</ref>。[[UEFA EURO 2012]]の開幕前には、司会者と共にユーロ史上最も衝撃的な瞬間と題して[[英国放送協会|BBC]]のプログラムを発表した<ref>[http://www.bbc.co.uk/programmes/b01j73yq "Euro's most shocking moments"] [[英国放送協会|BBC]]</ref>。
 
;慈善活動
2005年に[[後天性免疫不全症候群|エイズ]]への意識を高めるために東アフリカの[[マラウイ]]へ訪問<ref>[http://www.thetimes.co.uk/tto/sport/football/article2279103.ece "So much for the image of lazy, rich players as Farmer James cultivates new talent in Malawi"]</ref>し、その後、マラウイのトウモロコシ農家がより効率的な生産技術の開発を支援するために自身の名を冠した''ディビッド・ジェームス財団''を設立した<ref>[http://www.djf.org.uk/index.php?page=what-we-do "What We Do"] David James Foundation</ref>。他にも[[ウエストミンスター大学]]で連携し、マラウイの留学生が修士号を取得するための奨学金制度を設立した<ref>[http://davidjamesfoundation.org.uk/ "DJF secures Malawi scholarship at University of Westminster"]</ref>。また、近年は[[ムランジェ]]の孤児への慈善活動を行っている[[エクセター]]のウェスト・エグゼ・テクノロジー大学とコネクションを築いている<ref>[http://www.exeterexpressandecho.co.uk/England-shot-stopper-praises-pupils-help-improve-African-lives/story-11834730-detail/story.html "England shot-stopper praises pupils' help to improve African lives"]</ref>。
 
ジェームズはまた、[[スペシャルオリンピックス]]の国際大使であり、イギリス国内の貧困地域に向けてスポーツを提供する慈善団体''Access Sport''の大使も務める<ref>[http://observer.guardian.co.uk/ethicalawards/story/0,,1988340,00.html "Ethical awards 2008: David James"]</ref><ref>[http://www.telegraph.co.uk/sport/football/teams/portsmouth/4615380/David-James-earns-big-hand-for-longevity.html "David James earns big hand for longevity"]</ref>。
 
;執筆
芸術愛好家に加え、[[オブザーバー (イギリスの新聞)|オブザーバー]]で定期コラムを執筆しており<ref>[http://www.guardian.co.uk/profile/davidjames "The Guardian – David James profile"]</ref>、そこで得た給料を慈善活動に寄付している。また、児童書''Harry's Magic Pockets: The Circus''のイラストレーターであり、同書は友人のスティーヴィ・ピアソンによって書かれている<ref>[http://www.mirror.co.uk/sport/football/circus-star-james-656924 "Circus star James"]</ref>。
 
;評論家
2013年夏に[[w:en:BT Sport|BTスポーツ]]が放映する内の1つ[[プレミアリーグ]]の評論家になることが発表された<ref>[http://www.dailymail.co.uk/sport/football/article-2382410/David-James-stat-man-ready-freshen-things-BT-Sport.html "Meet David James the football pundit: A frizzy haired stat-man who wants to freshen up the sofa with BT Sport"]</ref>。
 
== タイトル ==
;クラブ
;{{flagicon|ENG}} [[リヴァプールFC]]
*[[フットボールリーグカップ]] : 1994-95
 
;{{flagicon|ENG}} [[ポーツマスFC]]
*[[FAカップ]] : 2007-08
 
;個人
*[[PFA年間ベストイレブン]] : [[FAプレミアリーグ1995-1996|1995-96]], [[プレミアリーグ2007-2008|2007-08]]
*PFA年間ベストイレブン ([[フットボールリーグ|2部]]) : 1991-92
 
== 脚注 ==
{{Reflist|3}}
 
== 外部リンク ==
{{Commonscat|David James (footballer)}}
*{{soccerbase|3869}}
*{{soccerway|p|david-james/173/}}
*[http://www.national-football-teams.com/player/2174/David_James.html national-football-teams]
*[http://www.transfermarkt.co.uk/en/david-james/profil/spieler_3646.html transfermarkt]
*[http://www.footballzz.com/jogador.php?id=2495 soccerway]
 
{{Navboxes|title = <span style="color:#0000B3">イングランド代表- 出場大会</span>|titlestyle =background:#FFFFFF; color:#0000B3;
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[[Category:イングランドのサッカー選手]]
[[Category:サッカーイングランド代表選手]]
[[Category:イングランドのサッカー指導者]]
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[[Category:2006 FIFAワールドカップ出場選手]]
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