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{{基礎情報 書籍
{{Portal|文学}}
|title = 眠れる美女
『'''眠れる美女'''』(ねむれるびじょ)は、[[川端康成]]の中編小説。
|orig_title = House of the Sleeping Beauties
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|author = [[川端康成]]
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|published = [[1961年]][[11月25日]]
|publisher = [[新潮社]]
|genre = [[中編小説]]
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『'''眠れる美女'''』(ねむれるびじょ)は、[[川端康成]]の[[中編小説]]。川端の後期を代表する作品で、[[デカダンス]]文学の名作である<ref name="cover">「カバー解説」(文庫版『眠れる美女』)([[新潮文庫]]、1967年。改版1991年)</ref><ref name="bunnko"/>。[[1960年]](昭和35年)、雑誌「[[新潮]]」1月号から6月号と、翌年[[1961年]](昭和36年)1月号から11月号に断続的に連載された。17回にわたる連載ながら全量は中編で、各回は原稿用紙平均10枚程度のものだった。構成は5章となっている。単行本は連載後の同年11月25日に[[新潮社]]より刊行され、1962年[[毎日出版文化賞]]を受賞した。現行版は[[新潮文庫]]より刊行されている。
 
海外でも評価は高く、翻訳版は1969年(昭和44年)の[[エドワード・サイデンステッカー]]訳(英題:“House of the Sleeping Beauties”)をはじめ、世界各国で行われている。
[[1960年]]1月から6月、[[1961年]]1月から11月に『[[新潮]]』に連載し、1961年11月[[新潮社]]より単行本として刊行した。17回にわたる連載ながら分量は中編で、1回に原稿用紙平均10枚程度のものだった。1962年[[毎日出版文化賞]]受賞。
 
これまで日本で2度、海外で2度映画化された。
==梗概==
67歳の江口由雄は、3人の娘を嫁がせ、今は老妻と2人で暮らしている。江口は、睡眠薬を飲んでぐっすり眠っている全裸の女性のかたわらで一夜を過ごすという「秘密のくらぶ」を友人の木賀に教えられてそこを訪れる。女に触れてはいけないことになっているが、江口は時おり体をゆすぶってみたり、何度目かには処女のしるしを発見して驚いたりする。全部で五回、江口はこの「秘密のくらぶ」を訪れるが、最後に2人の娘と同衾した際、色の黒い娘が死んでいることに気づく。くらぶのおかみは、手はやく遺体を始末して、驚いている江口に「娘ももうひとりおりますでしょう」と言う。
 
== 概要 ==
川端後期の名作として、「片腕」と併称され、また「老人の性」を描いたものとして、[[谷崎潤一郎]]の『[[瘋癲老人日記]]』とも併称される。[[エドワード・サイデンステッカー]]によって英訳され、[[コロンビア]]の[[ノーベル文学賞]]作家[[ガルシア・マルケス]]は、これに触発されて、『わが悲しき娼婦たちの思い出』を書いた。日本で2度、海外で2度映画化されている。
すでに男でなくなった有閑[[老人]]のための「秘密くらぶ」の会員となった老人が、海辺の宿の一室で前後不覚に眠らされた[[裸]]形の若い娘の傍らで一夜を過ごす物語。逸楽の館の「眠れる美女」のみずみずしい肉体を透して、過去の恋人や自分の娘、死んだ母の断想や様々な妄念、夢が去来し、訪れつつある死の相を凝視する老人の眼のデカダンスが描かれている<ref name="cover"/>。
 
川端後期の傑作として、『[[片腕 (小説)|片腕]]』と併称されることが多く、また「老人の性」を描いたものとして、[[谷崎潤一郎]]の『[[瘋癲老人日記]]』とも併称されている。また、[[コロンビア]]の[[ノーベル文学賞]]作家[[ガルシア・マルケス]]は、これに触発されて、1982年(昭和58年)にエッセイ『眠れる美女の飛行』を書き、2004年(平成16年)には長編小説『わが悲しき娼婦たちの思い出』を書いている<ref>[[花方寿行]]『[[ガブリエル・ガルシア=マルケス]]「我が哀しき娼婦たちの思い出」と川端康成「眠れる美女」―[[コラージュ]]と変奏』([[静岡大学]] 翻訳の文化/文化の翻訳、2006年)</ref>。
 
なお、川端は本作初版刊行の4ヶ月ほど後、[[睡眠薬]]の服用が高じ、1962年(昭和37年)2月には、[[禁断症状]]を起して入院しており、数日間意識不明の状態が続いた。この出来事は、『眠れる美女』が川端の内的作業とその深部において複雑に絡み合っていることを示し<ref name="haruki"/>、薬の影響が一種の[[魔界]]を見せているその時期の作品群に反映されていることが鑑みられるという<ref name="album">『新潮日本文学アルバム16 [[川端康成]]』([[新潮社]]、1984年)</ref>。
 
一方、近年では『眠れる美女』は[[三島由紀夫]]が[[代筆]]した作品であるという説を唱えている者もあり、元[[文藝春秋]]編集長・[[堤堯]]や、[[瀧田夏樹]]<ref name="takita">[[瀧田夏樹]]『川端康成と三島由紀夫をめぐる21章』([[風間書房]]、2002年)</ref>などの研究者をはじめ、文壇・出版界にその説は根強くあるという<ref>[[西法太郎]]「川端康成を囲んで」(『三島由紀夫の総合研究』)(2009年1月13日号)</ref><ref>西法太郎『ノーベル賞受賞を巡る「川端」と「三島」のエピソード 川端康成と三島由紀夫(第3回)川端康成「眠れる美女」代作説』([[青林堂]]、2011年)</ref>
 
== あらすじ ==
江口老人は、友人の木賀老人に教えられた或る宿を訪れた。その海辺に近い二階立ての館には案内人が中年の女一人しかいなかった。江口老人は「すでに男でなくなっている安心できるお客さま」として迎えられ、二階の八畳で一服する。部屋の隣には鍵のかかる寝部屋があり、[[真紅|深紅]]の[[ビロード]]のカーテンに覆われた「眠れる美女」の密室となっていた。そこは規則として、眠っている娘に質の悪いいたずらや性行為をしてはいけないことになっており、会員の老人たちは全裸の娘と一晩添寝し逸楽を味わうという秘密のくらぶの館だった。江口はまだ男の機能が衰えてはいず、「安心できるお客さま」ではなかったが、そうであることも自分でできた。
 
眠っている20歳前くらいの娘の初々しい美しさに心を奪われた江口は、ゆさぶっても起きない娘を観察したり触ったりしながら、昔の若い頃、処女だった恋人とかけおちした回想に耽り、枕元の[[睡眠薬]]で眠った。半月ほど後、江口は再び「眠れる美女」の家を訪れた。今度の娘は妖艶で娼婦のように男を誘う魅力に満ちていた。江口は禁制をやぶりそうになったが、娘の[[処女]]のしるしを見て驚き、[[純潔]]を汚すのを止めた。まぶたに押し付けられた娘の手から[[椿]]の花の幻を見た江口は、嫁ぐ前に末娘と旅した椿寺のことを思い出す。二人の若者が末娘をめぐって争い、その一人に末娘は無理矢理に処女を奪われたが、もう一人の若者と結婚した。
 
8日後、3回目に宿を訪れ添寝した「眠れる美女」は、16歳くらいのあどけない小顔の少女だった。江口は娘と同じ薬をもらって、自分も一緒に死んだように眠ることことに誘惑をおぼえた。老人に様々な妄念や過去の背徳を去来させる「眠れる美女」は、[[遊女]]や妖婦が仏の化身だったという昔の説話のように、老人が拝む仏の化身ようにも江口には思われた。次に訪れ、添寝した娘は整った美人ではないが、大柄のなめらかな肌で寒い晩にはあたたかい娘だった。江口の中で再び「眠れる美女」と無理心中することや悪の妄念が去来した。5回目に江口が宿を訪れたのは、正月を過ぎた真冬の晩だった。[[狭心症]]で突然死した福良専務もこの「秘密くらぶ」の会員だったことを、江口は木賀老人から聞いていた。福良専務は世間では温泉宿で死んだことになっていた。宿の女は遺体を運び擬装したことを江口に隠さなかった。
 
その晩、江口の床には娘が二人用意されていた。色黒の野性的な娘と、やわらかなやさしい色気の白い娘に挟まれて、江口は、白い娘を自分の一生の最後の女にすることを想像した。江口は自分の最初の女は誰かとふと考え、なぜか[[結核]]で血を吐き死んでいった母のことを思い出した。深紅のカーテンが血の色のように見えた江口は、睡眠薬の眠りに落ちていった。母の夢から醒めると、色黒の娘が冷たくなり死んでいた。江口は眠っている間に自分が殺したのではないとふと思い、ガタガタとふるえた。宿の女は医者も呼ばず平然と対処し、「ゆっくりとおやすみなさって下さい。娘ももう一人おりますでしょう」と言って、眠れないと訴える江口に白い錠剤を渡した。白い娘の裸は輝く美しさに横たわっているのを江口は眺めた。黒い娘を温泉宿へ運ぶ出す車の音が遠ざかった。
 
== 登場人物 ==
;江口由夫
:67歳。老妻と暮らしている。嫁いだ娘が三人いて、それぞれの娘は孫を産んでいる。独身の若い頃に[[駆け落ち]]までした恋人がいた。結婚後も芸者の愛人、人妻との不倫などがあった。17歳の時に母親を[[結核]]で亡くす。
;宿の女
:40代半ば。小柄で声が若い。わざとのようにゆるやかな物言い。薄い唇を開かぬほど動かし、相手の顔をあまり見ない。相手の警戒心をゆるめる黒の濃い瞳。警戒心のなさそうな、ものなれた落ち着きがある。
;第一夜の娘
:20歳前くらいの初々しい美しい娘。化粧荒れしていない眉。自然に長い髪。江口に[[赤ちゃん|乳呑児]]の匂いや、独身時代の恋人を思い出させる。
;第二夜の娘
:妖艶で、眠っていても[[娼婦]]のように男を誘う妖しさの娘。えりあしの髪を短くし、上向けに撫でそろえた髪型。前髪は自然に垂らしている。豊かな乳房。よく寝言を言ったり寝返りしたり動きが多い。「お母さん」と寝言を言う。江口は処女のしるしを見る。
;第三夜の娘
:16歳くらいのあどけない小顔の少女。宿の女が「見習いの子」と称する新人。おさげ髪をほどいたような髪。手入れしていない眉。長い睫毛。江口に3年前付き合っていた細身の人妻と、中年頃にあった14歳の娼婦を思い出させる。
;第四夜の娘
:大柄で太い首の娘。なめらかな吸いつくような肌があたたかい。整った美人ではなく、鼻の低い丸い頬の可愛い娘。低くひろがった乳房。
;第五夜の娘
:元気な寝相で、[[腋臭症|わき臭]]のややある黒光りの野性的な娘と、やさしい色気の骨細のきれいな白い娘の二人。色黒の娘は、乳かさが大きく紫黒く、長い指で長い爪で細い金のネックレスを付けている。白い娘は、乳房は小さいが円く高く、腰のまるみも同じような形で、細く長い首と美しい形の鼻。
;木賀老人
:江口の友人。江口に「秘密のくらぶ」を紹介した老人。会員だった福良専務の突然死のことを江口に教える。
 
==作品評価・解説==
本作について[[三島由紀夫]]は、「形式的完成美を保ちつつ、熟れすぎた果実の腐臭に似た芳香を放つ[[デカダンス]]文学の逸品である。デカダン気取りの大正文学など遠く及ばぬ真の頽廃がこの作品には横溢してゐる」<ref name="bunnko">[[三島由紀夫]]「解説」(文庫版『眠れる美女』)(新潮文庫、1967年。改版1991年)</ref>、「これは氏の中篇のうち、最も構造布置の整つたものであり、氏の近業を代表する傑作である」<ref name="kaisetsu">三島由紀夫「解説」『日本の文学38 川端康成集』)([[央公論社]]、1964年3月</ref>と評し、「秘密クラブの密室に終始するこの小説は、それ自体が精神の閉塞状態のみごとな象徴をなしてゐる。小説家としての川端氏の地獄を思つて、私は慄然とした。しかし、ここに現はれてゐる主題は、よし極端な形をとつてゐても、川端文学の読者にとつては、決して目新しいものではない。小説『[[禽獣 (小説)|禽獣]]』にあらはれてゐた愛の形も、初期からたえずくりかへされてきた少女嗜好も、結局ここに帰着すべきものであつた」<ref name="kaisetsu">[[三島由紀夫]]「解説」(『日本の文学38 川端康成集』)([[中央公論社]]、1964年3月)</ref>と述べ解説している。
 
そして、川端文学では処女も小鳥も犬も、自らは語り出さない、絶対に受身の存在の純粋さを帯びて現れると三島は述べ<ref name="kaisetsu"/>、「精神的交流によつて[[エロティシズム]]が減退するのは、多少とも会話が交されるとき、そこには主体が出現するからである。到達不可能なものをたえず求めてゐるエロティシズムの論理が、対象の内面へ入つてゆくよりも、対象の肉体の肌のところできつぱり止まらうと意志するのは面白いことだ。真のエロティシズムにとつては、内面よりも外面のはうが、はるかに到達不可能なものであり、謎に充ちたものである。[[処女膜]]とは、かくてエロティシズムにとつては、もつとも神秘的な『外面』の象徴であつて、それは決して女性の内面には属さない。 川端文学においては、かくて、もつともエロティックなものは処女であり、しかも眠つてゐて、言葉を発せず、そこに一糸まとはず横たはつてゐながら、水平線のやうに永久に到達不可能な存在である。『眠れる美女』たちは、かういふ欲求の論理的帰結なのだ」<ref name="kaisetsu"/>と解説している。
 
また三島は、一人の「眠れる美女」の突然の死と、宿主の女の「娘はもう一人おりますでしょう」という怖ろしいトドメの一言によって、この絶対無救済の世界は閉じられると解説し<ref name="bunnko"/>、「が、本当のところ、ここでこの世界は閉ぢられたのではなく、江口老人自身の死をも暗示するもつとひろい、もつと社会的な、もつとのがれやうのない『[[死の舞踏 (美術)|死の舞踏]](ダンス・マカーブル)』へと開かれてゐるのである。この作品はこれ以上はない閉塞状態をしつこく書くことによつて、ついに没道徳的な虚無へ読者を連れ出す。私はかつてこれほど反[[ヒューマニズム|人間主義]]の作品を読んだことがない」<ref name="bunnko"/>と述べている。そして、実在と観念との一致を企むところに陶酔を見出し、自分の存在が相手に通じないことによって、性慾が純粋性慾に止まり、相互の感応を前提とする「愛」の浸潤を防ぐことができる状態は、「愛」からもっとも遠い性慾の形であり、[[ローマ法王庁]]がもっとも嫌悪するところの「邪悪」となるとし<ref name="bunnko"/>、その概念に反し、本作に登場する宿の女は、「この家には、悪はありません」と断言することについて、「眠れる美女の世界は、無力感によつて悪から隔てられてゐる、と考へるとき、川端氏の考へる『悪』がどのやうなものであるかが朧ろげに泛ぶであらう。それは活力が対象を愛するあまり滅ぼし殺すやうな悪であり、すべての人間的なるものの別名なのである。川端氏と同じ程の厭世家で、川端氏と反対方向の世界に魅せられた作家としては、『[[カルメン]]』の作者[[プロスペル・メリメ|メリメ]]を挙げるだけで十分であらう」<ref name="bunnko"/>と解説している。
==刊本==
*『眠れる美女』新潮文庫、1967年(『片腕』を併載、解説は[[三島由紀夫]])
 
[[上田渡]]は、江口が「最初の女は母だ」とひらめくことについて、江口少年が瀕死の母の胸をなでたとたんに、多量の血を吐き絶命したことが、罪悪感として江口の潜在意識の残ったと解説し<ref name="ueda">[[上田渡]]『川端康成「眠れる美女」論―幻想空間の[[パラドックス]]』([[信州豊南女子短期大学]]紀要、1989年3月)</ref>、「性的回想が母に還元されていき、『最初の女は母だ』という結論に到達した時、それは母の死に直結していく」<ref name="ueda"/>と述べ、「江口と母は実際的に[[近親相姦]]的な関係を持ったわけでなく、死の床にあった母の胸をなでた時の江口の心理状態が『母を犯した』ことと同義であるということだ。『右と左との娘のちぶさにたなごころをおいた』時、江口は母の胸をなでたことを思いだす。胸にふれる行為が娘と母を結びつけている」<ref name="ueda"/>と解説している。
==翻訳==
*サイデンステッカー ''House of the Sleeping Beauties'' 1969年
*ルネ・シフェール(フランス語)''Les Belles Endormies'' 1970年
*ピラール・ジラルト(スペイン語)''La Casa de las Bellas Durmientes'' 1976年
*マリオ・テティ(イタリア語)''La Casa delle Belle Addormentate'' 1982年
*ジークフリート・シャールシュミット(ドイツ語)''Die schlafenden Schonen''
 
[[春木奈美子]]は、江口が母の夢の中で見る赤い[[ダリア]]のような花に囲まれた家や、深紅のカーテンに囲まれた部屋は、母胎内の[[暗喩]]だとし、「世界と私との接続点、生の起点が、女性の身体という[[トポス (詩学)|トポス]]を間借りして現れる」<ref name="haruki">春木奈美子『〈告白〉の現代―川端康成の『眠れる美女』を通して―』(研究開発コロキアム、2009年3月)</ref>と述べている。そして春木は、「最後の女として娘の処女を犯そうと夢想し、最初の女としての母のイマージュが回帰した後に運ばれてくる夢は、やはり血の赤によって破られる。眠る美女が駆り立てる愛撫の強迫と、死に行く母に無言で呼びかけられる強迫。死が性の衣を脱いで、死の床で無言に呼びかける母と、今宵眠れる美女の家で無言に愛撫を誘う娘とが、ここで交わる。死という受け取りきれない贈与は、夢の中で形を変えて反復される。応答不可能な限り、この故なき責めは止むことはない。はじまりを可能にした死の痕跡は、拭い去されることはない。女主人によって跡形もなく運びだされる娘の遺体、そんな娘の一点の染みも残さぬ消失も、江口のうえに重くのしかかることになる」<ref name="haruki"/>と解説し、「江口は性の中に漂う死の匂いに惹きつけられ眠れる美女の家に向かうが、最後には、死に取り残される。死は、誰ひとり追いついてくる者もいないほの暗し、地帯と言える。それはわれわれを惹きつけると同時に跳ね除ける。深紅のビロードのカーテンの部屋にも、赤い花の家にも、歓待はない」<ref name="haruki"/>と述べている。
==映画==
 
*1968年 『眠れる美女』 製作:[[近代映画協会]]、配給:[[松竹]]、[[吉村公三郎]]監督、[[新藤兼人]]脚本、出演:[[田村高廣]]
[[瀧田夏樹]]は、『眠れる美女』が三島由紀夫の[[代筆]]だったという可能性について、「枯れはてた老人に化けて、禁断の場所に潜入し、性の冒険を試みる(『眠れる美女』の)江口老人のあり方には、三島由紀夫の、すでに世評高い作品『[[禁色 (小説)|禁色]]』の人物、「檜俊輔」の耽美的執念を思わせるものがある。江口老人の「由夫」という名もなにか気にかかる」<ref name="takita"/>と述べている。
*1995年 『眠れる美女』 製作:横山博人プロダクション、配給:[[ユーロスペース]]、[[横山博人]]監督、[[石堂淑朗]]脚本、出演:[[原田芳雄]]、[[大西結花]]
 
**『山の音』とあわせたストーリー 
== おもな刊行本・音声資料 ==
*2005年 『眠れる美女』 [[ヴァディム・グロウナ]]監督 グロウナ、マクシミリアン・シェル、アンゲラ・ヴィンクラー
*『眠れる美女』([[新潮社]]、1961年11月25日)
*2011年 『[[スリーピング ビューティー/禁断の悦び]]』  [[ジュリア・リー]]監督 出演:[[エミリー・ブラウニング]]
*文庫版『眠れる美女』([[新潮文庫]]、1967年11月25日。改版1991年)
*:カバー装幀:[[平山郁夫]]。付録・解説:[[三島由紀夫]]。
*:収録作品:眠れる美女、[[片腕 (小説)|片腕]]、散りぬるを
*少女の文学 1『眠れる美女』([[プチグラパブリッシング]]、2008年6月20日)
*:写真:[[新津保建秀]]。イメージモデル:[[多部未華子]]。
*朗読CD・<声を便りに>オーディオブック『眠れる美女』([[響林社]]、2012年10月1日)
*:CD4枚(4時間51分35秒)。朗読:[[wis]]。
*英文版『House of the Sleeping Beauties, and Other Stories』(訳:[[エドワード・サイデンステッカー]])(Kodansha International Ltd.、1969年。改版1980年、新装版2004年)
*:前文解説(Introduction):[[三島由紀夫]]。
*:収録作品:眠れる美女(House of the Sleeping Beauties)、片腕(One Arm)、[[禽獣 (小説)|禽獣]](Of Birds and Beasts)
 
== 映画化 ==
*『眠れる美女』([[近代映画協会]]、[[松竹]]) 96分。
*:1968年(昭和43年)1月31日封切。
*:監督:[[吉村公三郎]]。脚本:[[新藤兼人]]。製作:[[絲屋寿雄]]、[[高島道吉]]。撮影:[[佐藤昌道]]。美術:[[薩本尚武]]。音楽:[[池野成]]。
*:出演:[[田村高廣]]、[[香山美子]]、[[殿山泰司]]、[[中原早苗]]、[[松岡きっこ]]、[[山岡久乃]]、[[八木昌子]]、[[北沢彪]]
*『眠れる美女』(横山博人プロダクション、[[ユーロスペース]]) 110分。
*:1995年(平成7年)10月14日封切。
*:監督:[[横山博人]]。脚本:[[石堂淑朗]]。製作:[[青木勝彦]]、[[小泉駿一]]、[[神田敏夫]]、[[横内正昭]]、[[小林尚武]]。企画:[[石川博]]、[[江尻京子]]。撮影:[[羽生義昌]]。美術:[[小澤秀高]]。編集:[[浦岡敬一]]。音楽:[[松村禎三]]。アートプロデュース:[[今村力]]。助監督:[[久保裕]]。
*:出演:[[原田芳雄]]、[[大西結花]]、[[吉行和子]]、[[福田義之]]、[[鰐淵晴子]]、[[観世栄夫]]、[[長門裕之]]、[[松尾貴史]]、[[石堂淑朗]]
*:※ 『[[山の音]]』とあわせたストーリー
*『眠れる美女』 “DAS HAUS DER SCHLAFENDEN SCHONEN HOUSE OF THE SLEEPING BEAUTIES”(ドイツ映画) 103分。
*:2007年(平成19年)12月15日封切(製作は2005年)。
*:監督・脚本・製作:[[ヴァディム・グロウナ]]。撮影:[[シーロ・カペラッリ]]。美術:[[ペーター・ヴェーバー]]。音楽:[[ニコラウス・グロウナ]]、[[ジギー・ミュラー]]
*:出演:[[ヴァディム・グロウナ]](エドモンド)、[[マクシミリアン・シェル]](コーギ)、[[アンゲラ・ヴィンクラー]](マダム)、[[ビロル・ユーネル]](ゴルト)、[[モナ・グラス]](秘書)、[[マリーナ・ヴァイス]](メイド)、[[ベンヤミン・チャブック]](バラード歌手)、[[ペーター・ルッパ]](牧師)
*『[[スリーピング ビューティー/禁断の悦び]]』(オーストラリア映画) 101分。
*:2011年(平成23年)11月5日封切。
*:監督:[[ジュリア・リー]]。製作:[[ジェシカ・ブレントノール]]。製作総指揮:[[ティム・ホワイト]]、[[アラン・カーディ]]、[[ジェイミー・ヒルトン]]。脚本:[[ジュリア・リー]]。撮影:[[ジェフリー・シンプソン]]。プロダクションデザイン:[[アニー・ビーチャム]]。衣装デザイン:[[シャリーン・ベリンジャー]]。編集:[[ニック・マイヤーズ]]。音楽:[[ベン・フロスト]]。提供:[[ジェーン・カンピオン]]。
*:出演:[[エミリー・ブラウニング]](ルーシー)、[[レイチェル・ブレイク]](クララ)、[[ユエン・レスリー]](バードマン)、[[ピーター・キャロル]]、[[クリス・ヘイウッド]]、[[ヒュー・キース・バーン]]
 
== 各国翻訳者 ==
*[[エドワード・サイデンステッカー]](英語) ''House of the Sleeping Beauties'' 1969年
*[[ルネ・シフェール]](フランス語) ''Les Belles Endormies'' 1970年
*[[ピラール・ジラルト]](スペイン語) ''La Casa de las Bellas Durmientes'' 1976年
*[[マリオ・テティ]](イタリア語) ''La Casa delle Belle Addormentate'' 1982年
*[[ジークフリート・シャールシュミット]](ドイツ語) ''Die schlafenden Schonen''
 
== 脚注 ==
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<references/>
 
==参考文献 関連項目 ==
*[[ガブリエル・ガルシア=マルケス]]
* 『決定版 三島由紀夫全集第32巻・評論7』([[新潮社]]、2003年)
 
== 参考文献 ==
*文庫版『眠れる美女』(付録・解説 [[三島由紀夫]])([[新潮文庫]]、1967年。改版1991年)
*『新潮日本文学アルバム16 [[川端康成]]』([[新潮社]]、1984年)
*『決定版 三島由紀夫全集第32巻・評論7(新潮社、2003年)
*『決定版 三島由紀夫全集第34巻・評論9』(新潮社、2003年)
*[[花方寿行]]『[[ガブリエル・ガルシア=マルケス]]「我が哀しき娼婦たちの思い出」と川端康成「眠れる美女」―コラージュと変奏』(静岡大学 翻訳の文化/文化の翻訳、2006年)
*[[春木奈美子]]『〈告白〉の現代―川端康成の『眠れる美女』を通して―』(研究開発コロキアム、2009年3月) [http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/143103/1/H20_GCOE_colloquium_156.pdf]
*[[上田渡]]『川端康成「眠れる美女」論―幻想空間の[[パラドックス]]』([[信州豊南女子短期大学]]紀要、1989年3月) [http://ci.nii.ac.jp/els/110007038072.pdf?id=ART0008964139&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1369037267&cp=]
*[[西法太郎]]「川端康成を囲んで」(『三島由紀夫の総合研究』2009年1月13日号) [http://melma.com/backnumber_149567_4349438/]
*西法太郎『ノーベル賞受賞を巡る「川端」と「三島」のエピソード 川端康成と三島由紀夫(第3回)川端康成「眠れる美女」代作説』([[青林堂]]、2011年)
 
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[[Category:1960年の小説]]
[[Category:新潮]]
[[Category:連載小説]]
{{Lit-stub}}
[[Category:戦後日本を舞台とした作品]]
[[Category:夢を題材とした作品]]
[[Category:川端康成原作の映画作品]]
[[Category:文学を原作とする映画作品]]
[[Category:1968年の映画]]
[[Category:1995年の映画]]
[[Category:ドイツの映画作品]]
[[Category:2007年の映画]]
[[Category:オーストラリアの映画作品]]
[[Category:2011年の映画]]