「ナガセヴィータ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Makotoiz (会話 | 投稿記録)
(4人の利用者による、間の22版が非表示)
36行目:
 
[[1961年]](昭和36年)に林原健が社長に就任してからは、自社で製造法を確立したブドウ糖の生産をはじめ、マルトース、プルランなど生理活性物質の量産化に成功し、林原生物化学研究所などグループ会社を次々と設立していった。また、美術館の開館や備中漆の復興事業、古生物学調査([[恐竜]]の発掘調査)、[[類人猿]]の研究など[[メセナ]]事業を積極的に展開しはじめる。1990年代以降は、甘味料などに使われる糖質[[トレハロース]]、抗がん剤に使われる[[インターフェロン]]の生産・販売で世界市場に名乗りをあげた。
ただし林原健の弟で専務取締役を務めた林原靖によると、林原インターフェロン製造のために建設された吉備製薬工場は稼働実績で二割を上回ったことがなく、後の経営破綻の最大の原因の一つとあげている。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp66-69]</ref>は林原の天然型インターフェロン製造法が後発の遺伝子組み換えインターフェロンの競合に効率で劣っていたことと、販売協力関係にあった大塚製薬の社長が新薬開発をめぐる汚職事件に関わり、製薬会社の社長を退任せざるを得なかったことによるという。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp66-69]</ref>
 
[[2011年]](平成23年)[[2月2日]]、林原と林原生物化学研究所と林原商事のグループ中核3社が[[会社更生法]]適用を[[東京地方裁判所]]に申請<ref>[http://www.hayashibara.co.jp/press.php?id=335 会社更生手続開始の申立て及び当社グループの今後の事業の再建について] 林原グループプレスリリース [[2011年]][[2月2日]]</ref>、[[3月7日]]に更生手続開始が決定した<ref>[http://www.hayashibara.co.jp/press.php?id=346 会社更生手続開始決定のお知らせ] 林原グループプレスリリース 2011年[[3月7日]]</ref>。
81 ⟶ 82行目:
[[ファイル:Hayashibara parking lot.jpg|thumb|JR岡山駅南の旧自社所有地<br /><small>岡山市北区下石井の2万坪の土地は、長年林原グループの本社および有料駐車場として利用された。</small>]]
=== 創業家による同族経営 ===
{{出典の明記|date=2012年8月|section=1}}
創業者の林原一族による[[同族経営]]が続けられ、長年に渡り、[[西日本旅客鉄道|JR]][[岡山駅]]南の2万坪の土地など大規模な不動産を所有していた。この自社所有地の持つ含み益と特許が生み出す利益によって資金調達が容易なため上場する必要がないとされ、長期にわたる独自の研究開発を行うためにもあえて上場しないという経営方針がとられていた。また、[[縁故採用]]に肯定的な企業であり、社員の公募はせず社員の多くは地元岡山の大学生から採用していた<ref>{{Cite news|url=http://www.chugoku-np.co.jp/kikaku/interview/In02053001.html|title=企業活動とメセナ 林原社長・林原健氏に聞く|newspaper=中国新聞|date=2002-05-30|accessdate=2010-12-02}}</ref>。メセナ活動にも積極的に投資し、[[2002年]](平成14年)には、林原グループ本社や林原自然科学博物館、有料駐車場(林原モータープール)として利用されていたJR岡山駅南の自社所有地を、「'''ザ ハヤシバラシティ'''」として再開発する構想を発表した<ref>{{Cite web|url=http://www.the-hayashibara-city.jp/index.html|title= ザ ハヤシバラ シティ ホームページ|accessdate=2010-12-02|deadlinkdate=2011-12-03}}</ref>。
<!--以下、出典を示してください。
91行目:
経営破綻時に一部報道で言われた「メセナ活動や不動産投資が経営を圧迫した」というのは誤りである。それらは多く見積もっても年間数億円の出費にしか満たず、借入金利息を毎年返済してもトレハロースやAA2Gの売り上げで年間20億円以上の利益を上げていた90年代以降の林原では大きな問題ではなかった。不動産を扱う太陽殖産はそもそも更生法申請時にも資産超過状態だった。-->
 
=== 不正経理の発覚と会社更事業再法の申請ADR準備 ===
[[2010年]]末に住友信託銀行と中国銀行が秘密裏に行った内部資料の突き合わせから、林原グループは貸借対照表の借入金の差異を指摘された。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp31-41]</ref>同2行は年末までの時点で住友信託銀行および中国銀行は不渡り処分をちらつかせることで、林原健および靖の個人保証、関係各社相互の債務保証への署名捺印を行わせ、不動産を担保に入れた。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp88-92]</ref>メイン2行の他の債権者を差し置いた行動は後に他の債権者の不信感を生みADR不合意の主な原因となった。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp104-107]</ref>2010年12月時点で林原グループは資産はをすべて同じ2行の担保に入れ、翌年2月末の融資の継続書き換え時には、担保不足によって資金ショートになる公算となった。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp88-92]</ref>この時点でメインバンクの中国銀行から林原に対して裁判外紛争解決手続き(ADR)を進めるよう指示があり、同銀行から林原に対してADRの第一人者である西村あさひ法律事務所の紹介を行った。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp92-95]</ref>
{{観点|section=1|date=2012年8月}}
 
[[2010年]]末に一部金融機関から不正経理を指摘され、融資を受けられなくなり経営が行き詰まった林原グループは、[[2011年]][[1月25日]]、[[私的整理]]の一つである[[裁判外紛争解決手続|事業再生ADR]](裁判外紛争解決)手続きを申請した<ref>[http://www.hayashibara.co.jp/press.php?id=329 本日の報道について(1)] 林原グループプレスリリース 2011年[[1月25日]]</ref>。林原グループは雇用面やメセナ活動から、岡山の地域経済に大きな影響力を持っていたため、林原グループがADRの手続きをした事に対し、岡山市長と岡山県知事が会見を行なった<ref name="okayama">林原:私的整理申請 県政財界に衝撃 「再生」願う声、「不透明」指摘も/岡山 [[毎日新聞]]2011年[[1月17日]] 2011年[[2月2日]]閲覧</ref>。
=== 事業再生ADRの申請 ===
<!--以下、出典を示してください。-->
 
{{出典の明記|date=2012年8月|section=1}}
当初、林原は会社更生法ではなく、中国銀行および西村あさひ法律事務所に後押しされる形で事業再生ADRの成立を目指した。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp92-95]</ref>ADRは不成立となり会社更生法の適用となるが、林原グループ前専務取締役の林原靖によると、債権者全会一致が原則でハードルが高いADRと、ADRが壊れた際の最終手段としての会社更生法の2択しか会社側には示されず、いわばその中間となる民事再生法が提示されなかったという。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp108-111]</ref>理由として、ADRは西村あさひ法律事務所の松嶋英機弁護士が中心となって日本に紹介した制度であり、林原のADR〜会社更生法で実務の中心となった森倫洋弁護士をはじめとするチームにおいて、林原のケースをADRの成功事例としたい思惑があったと指摘している。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp100-103]</ref>
しかし、20年以上に渡り行われていた不正経理が表面化したことに加え、JR岡山駅南所有地に[[中国銀行 (日本)|中国銀行]]が、林原美術館に[[住友信託銀行]]が、それぞれ抵当権を設定していることが明らかになったことで、金融機関の同意が得られず、同年[[2月2日]]の債権者集会の場で事業再生ADR(裁判外紛争解決)手続きの断念を表明した。同日、林原・林原生物化学研究所・林原商事の3社は東京地方裁判所に[[会社更生法]]に基づく会社更生手続きの開始を申請した<ref>[http://www.hayashibara.co.jp/press.php?id=335 会社更生手続開始の申立て及び当社グループの今後の事業の再建について] 林原プレスリリース 2011年2月2日</ref><ref>株式会社林原など3社 帝国データバンク大型倒産速報 2011年2月2日</ref>。負債額は1300億円超と見られ、岡山県内の経営破綻としては過去最大規模の事例となった。
 
この責任をとって社長の林原健と実弟で専務の林原靖が取締役を辞任し、後任の社長には林原生物化学研究所の常務だった福田恵温が就任、創業以来一貫して林原一族が主導してきた同族経営は幕を閉じた。
林原のADR不成立の原因として債権者の銀行団のうち、メインの中国銀行およびサブの住友信託銀行の2行と、その他の銀行の利害が激しく対立したことがあげられるという。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp104-107]</ref>
中核事業法人のうち、不動産運営の太陽殖産は資産が負債を上回っていたため当初は申請を見送ったものの、更生会社3社の再建計画検討の中で、同社についても3社との同時的・一体的な処理を進めるのが適切と判断され、同年[[5月25日]]に改めて東京地裁への会社更生法適用申請を行なった<ref>不動産賃貸 太陽殖産株式会社 会社更生法の適用を申請 負債417億5800万円 帝国データバンク大型倒産速報 2011年[[5月26日]]</ref>。
 
2011年1月11日のADR第1回会合では、席上、代表取締役 林原健が謝罪し、弁護士からは経営責任をとって社長の林原健、専務の林原靖、ほか経理担当役員2人が退任する旨の報告があった。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp104]</ref>P/L上、業績快調でありながら、弁護士団が全役員の退任を勝手に決めたのは、銀行のADR同意を取りつけるための有効な取引材料にするためだったという。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp104]</ref>
 
中国銀行と住友信託銀行を除いた銀行団からは、林原への避難や罵声は全くなく、中国銀行と住友信託銀行への憤懣が激しく噴出したという。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp104-107]</ref>JR岡山駅南所有地に[[中国銀行 (日本)|中国銀行]]が、林原美術館に[[住友信託銀行]]が、それぞれ抵当権を設定していることが明らかになったこととと昨年末からADR申請まで中国銀行と住友信託銀行の2行のみで情報を独占したことに非難が集中した。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp104-107]</ref>
さらに中国銀行と住友信託銀行の間のスタンスの違いも状況を難しくした。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp104-107]</ref>銀行がADR成立のためには担保登記の修正について柔軟な姿勢を示したのに対し、住友信託銀行は、「ADR成立を前提」としない限り担保登記の修正に応じないとの姿勢を変えず、この住友信託銀行の態度に他のメガバンクからの非難が集中した。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp104-107]</ref>
他の銀行団のうち、三菱東京UFJ銀行は以前から十分な有価証券担保をとっていたので穏健な態度、逆に三井住友銀行には十分な担保が提供されておらず苛立ちを強めていた。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp104-105]</ref>みずほ銀行は自信の債権額はそれほどでもなかったが、シンジケート・ローンの幹事銀行として中小銀行を束ねるという役割があったという。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp104-105]</ref>1回目の会合の最後に、進行役の西村あさひ法律事務所の森倫洋弁護士から銀行団に第2回目の会合の出席の釘を刺し、初会合は終了した。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp107]</ref>
 
 事業再生ADRの特徴として、関係者の守秘義務を前提とし秘密裏に話し合いが凭れることで一般債権者の不安を煽らないという点があるにもかかわらず、2011年2月2日に第2回目のADR会合の前に新聞各紙に林原のADR申請が報道された。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp108-111]</ref>
報道内容は債権者各行に配布したADR説明用の資料を基にしていたこと、現実的に合計300部ほどの製本を銀行団に配ったことから、ADRの秘密保持の実効性はお粗末なものであり、中国銀行と住友信託銀行の思惑に不満であったいずれかの銀行関係者が確信犯的にマスコミに流したのが報道の理由であったと推測されたという。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp108-111]</ref>
 
 
 この時点で秘密保持という事業再生ADRの利点は崩れており、2011年2月2日の第2回会議では東京・日本橋の会場まわりに多数の取材陣が駆けつけていた。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp111]</ref>
 
 会議においては住友信託銀行は相変わらず「出口論」を変えるつもりはなく、さらに他の銀行を前にして、「自行をかつてのメインバンクとかサブメインというふうに考えずに、他の一般メガバンクと同等に扱ってほしい」などと発言し、他行から住友信託銀行のこの態度への不信が大きな焦点となった。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp112-113]</ref>、住友信託銀行は自行の駆け込み保全処理についての正当性を述べるばかりで、最後まで「出口論」を変えようとはしなかった。当然議論は紛糾し、賛否の大激論が巻き起こった。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp112-113]</ref>
 
 会合に参加した林原靖によると、そこに突然、出席者の一人が立ち上がり、「皆さん、皆さん、お静かに願います。当行本部からたったいま、わたしの携帯に連絡が入りました。 西村あさひ法律事務所の弁護士が、東京地方裁判所に林原の会社更生法の申請をおこなったとのことです」 との声が入り、会場からは一斉に「ウオーッ!」という悲鳴に近い叫び声と、銀行団から罵声と怒声の入り交じった会話で、会場は混乱のきわみに陥ったという。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp114-117]</ref>
 
 西村あさひ法律事務所の次席の柴原多弁護士および郡谷大輔弁護士が発言を引き継ぐも、銀行団はなおも「われわれは納得できない。なぜこんなことになってしまったのか。いずれハッキリさせてもらうからな。いや、そうしてもらわねば困る。席を改め時間をかけてでも徹底的に追及するぞ」
 と大声で叫びつづけた。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp115-117]</ref>
しかし、西村あさひ法律事務所が先走り的に行った会社更生法申請の事実は変えられず、二時間以上にわたる銀行団の大議論は、第一回にして「ADR不成立」の結論をもってここに終結することとなった。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp115-117]</ref>
 
=== 会社更生計画と更生終結法の申請 ===
 
 
ADR不成立の実際は、金融機関の同意が得られず、ということではなく上述のように西村あさひ法律事務所の駆け込み的行動によるものだった。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp115-117]</ref>負債額は1300億円超と見られ、岡山県内の経営破綻としては過去最大規模の事例となった。
ADR第1回会合で責任をとって発表の通り、社長の林原健と実弟で専務の林原靖が取締役を辞任し、後任の社長には林原生物化学研究所の常務だった福田恵温が就任、創業以来一貫して林原一族が主導してきた同族経営は幕を閉じた。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp104</ref>
 保全管理人、更生管財人にはADR時の顧問弁護士団を束ねていた松嶋英機弁護士が横滑りし、参加の西村あさひ法律事務所の弁護団もADR時のまま継続して会社に常駐した。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp103]</ref>
 西村あさひ法律事務所も、管財人横滑りの批判には気を遣っており、林原の更正法申請の第一報の時点での会話として、弁護士団は東京地裁への申請のタイミングが早すぎたことについて、
「次の更生法の段階では、われわれはこの案件から退かなければならなくなるかもしれんな」
「いや、大丈夫ではないですか。裁判所は認めてくれますよ」
 などと雑談を交わしていたという。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp118-119]</ref>
 
 
 西村あさひ法律事務所が自らの管財人就任にこだわった理由について、林原靖はおそらく四大法律事務所には、それを頂点として、それぞれに親密な「破綻ビジネス」の果実を分け合う周辺業者があり、その意味で、林原の破綻は、これらの周辺業者にとってはビッグで、しかも実り多いビジネスチャンスになると予想したからだろう、と著書で述べている。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp148-150]</ref>
 
 一例として、林原健および靖の私財処分について、本来、公正な資産処分をやろうとするなら専門業者を数社呼び、コンペをやって手数料が少なく売値が一番高い会社に決める、というのが筋だろうが、複数の業者を比較検討したという形跡もなく、まず美術品処分の委託先としてはADRの会計担当業者での会計事務所プライスウォーターハウスクーパースが再登場し、破綻処理ビジネスの中で抜け目なく商売の幅を拡げている同社に一種の崇敬の念さえおぼえたという。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp149]</ref>
 
 一方、不動産処分の委託先としては岡山とは円が少ない東急リバブルが採用された。同社は西村あさひ法律事務所の若い弁護士がふと洩らしたところによると、西村あさひ法律事務所とは「とても親密な会社」とのことだったという。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp149]</ref>
 
 
 西村あさひ法律事務所が管財人に就任することにより、ADR時は林原の弁護を受け持っていた同事務所が、一転会社側を糾弾する側に立ったことになった。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp123]</ref>この手続きについては、林原靖によると、裁判所に提出した更正法の申請書に事前に目を通す機会は西村あさひ法律事務所から経営陣側に与えられず、手続を委任する時間的猶予もなかったという。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp123]</ref>その際に西村あさひ法律事務所には社長の林原健および専務の林原靖の実印を預けたままであったので、西村あさひ法律事務所と東京地裁との間でどのようなやりとりがあったのかは不明であったという。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp123]</ref> 中核事業法人のうち、不動産運営の太陽殖産は資産が負債を上回っていたため当初は申請を見送ったものの、更生会社3社の再建計画検討の中で、同社についても3社との同時的・一体的な処理を進めるのが適切と判断され、同年[[5月25日]]に改めて東京地裁への会社更生法適用申請を行なった<ref>不動産賃貸 太陽殖産株式会社 会社更生法の適用を申請 負債417億5800万円 帝国データバンク大型倒産速報 2011年[[5月26日]]</ref>。
 
=== スポンサー企業の選定 ===
再建スポンサーには[[大韓民国|韓国]]の[[CJグループ]]や[[日本たばこ産業]]など70〜80社が名乗りを上げ、西村あさひ法律事務所とフィナンシャル・アドバイザーのGCAサヴィアンの音頭によって、スポンサー選定は3回の入札で分けて行われた。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp160-190]</ref>スポンサー候補は、第一回の入札で概ね10社くらいに絞られ、三菱商事グループにSBI、群栄化学、明治製菓、大塚製薬グループ、伊藤忠グループなどが含まれていた。入札の金額幅はこの時点で400億円超のレベルと推察されたという。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp164-165]</ref>
 通常の進め方であれば、第二回の入札は第一回に勝ち残った中から、さらに金額の高い順に絞られるはずであるが、本件では変則的な入札が行われたという。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp165-166]</ref>第一回の入札に勝ち残った会社を核にして連合を組めば、落ちてしまった会社でも勝ち上がることができる。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp160-190]</ref>逆に一回目で上位に残った会社でも、合従連衡に手抜かりやミスがあれば二回目で落ちてしまう。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp160-190]</ref>
こうした進め方のため、一回戦で勝ち残った組の中からも、「これは二回戦ではなく一・五回戦だ」という悲鳴も上がっていたという。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp160-190]</ref>
 
 
 2011年五月の連休前に行われた第二回の入札では、一回目のトップ当選と見られていた三菱商事と第2位のSBI、それと明治製菓、大塚製薬グループは他との連合をきらったのか、それともこれ以上の金額は出せないとあきらめたのか落選した。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp166]</ref>第3回目の入札前に残っていたのは、群栄化学と、韓国の元サムスン傘下のCJグループと、カーギル、長瀬産業であったとみられ、入札の金額はこの時点で600億円前後と報道されていた。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp166-167]</ref>共同通信の事前予測報道では、「韓国の財閥CJグループと日本のJT(日本たばこ産業)が、700億円前後で競い合っている模様」との観測が出ていたが、JTはその後すぐ自社のホームページで、「入札の事実はない」と報道内容を否定するコメントを発表した。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp167]</ref>また、「韓国CJグループは八五〇億円以上出すのでは」との話も伝わっていたという。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp167]</ref>が、最終的に入札を経て2011年8月3日に長瀬産業がスポンサーに決定した。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp187-189]</ref>決定金額は約700億円であり、実はCJも同額を提示したが、これはみなの「総合判断」で落としたという。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp187-189]</ref>産業が、もう一社の額を上回る金額で落札したものと報道されたが、これは誤報である。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp187-188]</ref>
 林原の前専務、林原靖は著書で、 長瀬産業にスポンサーが決定した理由として、スポンサー選定の一回戦、二回戦では長瀬産業の名前は出ておらず、債権者である三井住友銀行が同社のメインバンクで、最終的なスポンサー選定はフィナンシャル・アドバイザーの公平な判断ではなく、裏に同銀行の強力な意向があったのではないかとしている。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp188-189]</ref>
 
再建スポンサーには[[大韓民国|韓国]]最後[[CJグループ]]や[[日本たばこ産業]]など70~80社が名乗りを上げたが、入札を経て2011年[[8月3日]]に[[長瀬産業]]がスポンサーに決定し<ref>[http://www.hayashibara.co.jp/press.php?id=356 スポンサー契約の締結について] 林原グループプレスリリース2011年8月3日</ref>、12月31日に[[東京地方裁判所]]より更生計画案が認可された<ref>[http://www.hayashibara.co.jp/press.php?id=368 更生計画認可決定のお知らせ] 林原グループプレスリリース2011年12月31日</ref>。
 
=== 会社更生計画の終了 ===
 
=== 会社更生計画と更生終結 ===
{{出典の明記|date=2012年8月|section=1}}
再建スポンサーには[[大韓民国|韓国]]の[[CJグループ]]や[[日本たばこ産業]]など70~80社が名乗りを上げたが、入札を経て2011年[[8月3日]]に[[長瀬産業]]がスポンサーに決定し<ref>[http://www.hayashibara.co.jp/press.php?id=356 スポンサー契約の締結について] 林原グループプレスリリース2011年8月3日</ref>、12月31日に[[東京地方裁判所]]より更生計画案が認可された<ref>[http://www.hayashibara.co.jp/press.php?id=368 更生計画認可決定のお知らせ] 林原グループプレスリリース2011年12月31日</ref>。
 
JR岡山駅南の自社所有地は、2011年[[9月21日]]に入札が行われ、[[イオンモール]]に売却されることが決定した<ref>[http://www.hayashibara.co.jp/press.php?id=361 駅前不動産の売却について] 林原グループプレスリリース2011年9月21日</ref>。売買契約の決済とイオンモールへの所有地の引き渡しは、[[2012年]][[1月27日]]に東京地方裁判所の更生計画案の認可決定が確定したのを受け、同年1月30日付で行われた<ref>[http://www.hayashibara.co.jp/press.php?id=369 更生計画認可決定確定のお知らせ] 林原グループプレスリリース2012年1月30日</ref>。これに先だって、株式会社林原・株式会社林原商事・株式会社林原生物化学研究所の3社は、2011年[[12月26日]]に本社を移転し<ref>[http://www.hayashibara.co.jp/news.php?id=31 本社移転のお知らせ] 林原グループお知らせ2011年12月12日</ref> 、2011年[[12月31日]]には、有料駐車場(林原モータープール)も閉鎖された。
108 ⟶ 159行目:
2012年[[2月1日]]付で林原商事・林原生物化学研究所の2社は株式会社林原に吸収合併されて消滅し、同年2月3日に林原は100%減資のうえ長瀬産業の完全子会社となった<ref>[http://www.nagase.co.jp/assetfiles/tekijikaiji/20120131-2.pdf 更生会社株式会社林原等の更生計画認可決定の確定、株式取得(完全子会社化)に関するお知らせ]長瀬産業プレスリリース2012年1月31日</ref>。同3月26日に会社更生計画は終結した。<ref>[http://www.nagase.co.jp/assetfiles/tekijikaiji/20120326.pdf 株式会社林原の更生手続終結に関するお知らせ]
株式会社林原の更生手続終結に関するお知らせ]</ref>
長瀬産業(大阪市)からの出融資700億円、売却可能の株式などが約300億円JR岡山駅前の土地が約200億円強、そ売却他の土地・建物などが約100億円、そして林原健と靖の私財提供分の数10億円を加えると、ほぼ銀行借入のすべてがこれらによって肩代わできることになった。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp167-168]</ref>結果として総額約1400億円の負債に対し、約1300億円の弁済原資を確保。弁済率は約93%と更生法下では異例の高水準、更生法適用から約1年2ヶ月でのスピード終結となった。<ref>[http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2012032622440527/ 林原、会社更生手続き終結 弁済率93%、異例の高水準]
林原、会社更生手続き終結 弁済率93%、異例の高水準]</ref>
 
=== 破綻の原因と破綻後の地域への影響 ===
太陽殖産は三社合併後の林原に引き継がれなかった資産を含む資産の換価処分を進める。
林原の前専務であった林原靖の著書によると、林原の破綻の原因として一般に流布された内容は更正法の早期終結のためのストーリー的な意味が大きかったという。 <ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp13-14]</ref>すなわち「管財人側はあくまで〝戦略〟として誇大宣伝をし、公平・中立な立場ではなく、単なる〝作戦〟として情報を流していた」が、マスコミ各社は「巨額な損害賠償請求、形だけの第三者委員会の諮問内容などを、そのまま事実のごとくセンセーショナルに報道していた」という。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp203-207]</ref>また旧経営陣もスポンサーへの高値売却を目的として、不愉快ながらもそのストーリーに乗っていたという。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp215-216]</ref>それは「経営者は違法まみれの極悪人だが、会社は殊の外すばらしかった。銀行は完全な被害者で、経営者を丸裸にしておっぽり出してしまえば、残るのはすばらしい会社のみ。巨額を投資しても借金ゼロで、新経営者は驚異的手腕だと高い評価が受けられる……(中略)この三文芝居を理想的な結末までもっていくには、どうしたってわれわれ旧経営陣は一時的に「悪役」を演じきるしかない。しかし、この汚れ役は(旧経営陣にとって)、まことにきびしいものであった。」という内容である。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp215-216]</ref>
 粉飾決算に先立つ破綻の原因として、研究投資が、専ら借入金やそれに伴う金利の発生の原因であったと述べている。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp224-225]</ref>また研究投資は「マスコミや世間が〝モデル・ストーリー〟としての基礎研究をいかに称賛したとしても、株式非公開・銀行借り入れ中心の経営下では、あまりにリスクの高い仕事であった」としている。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp224-225]</ref>
 その他の原因として、破綻を直接招いたキーとしてメインの中国銀行と、サブの住友信託銀行の一連の対応をあげている。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp220-222]</ref>
 メインバンクの中国銀行は住友信託銀行の岡山支店長に呼び出されたときから、あるいは西村あさひ法律事務所を巻き込んだときから、実現性も少ないADRの掛け違いをし、民事再生の可能性を閉ざし、また債権者のとりまとめに関してもリーダーシップをほとんど発揮できず、結果的に破綻劇の幕を開けてしまったという。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp224-225]</ref>また住友信託銀行の対応は、ADR会合で他行が口を揃えて糾弾したとおり、場当たり的でかつ感情的とも思える強引なものであり、現状のサブ・バンクでありながら、土壇場になると他行を尻目に詐害行為におよび、また他行から集中攻撃を受けても〝出口論〟を変えようせず、さらに中国銀行との間で、いったんはADRでいくことを了解しながら、実際はそれを反故にするような行動を行い、結果的に私的整理の可能性を自ら閉ざしてしまったという。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp224-225]</ref>
 林原靖は同じく著書で、破綻後の影響として、「岡山駅前の広大な土地も県外資本に安く売却されてしまい、海外から岡山をめざした多くの訪問者も消え、技能の伝承と、正社員採用にこだわった独自の創造的な雇用機会も失われた。地域の権益と発進力を守ってきたさまざまな防波堤が、あっという間に壊されてしまったのだ。'''結局、大山鳴動してネズミ一匹、大騒ぎをした割に得るものは何もなかった'''」と結んでいる。<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp224-225]</ref>
 
=== 株主構成 ===