「帝釈峡」の版間の差分

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== 特記 ==
;神竜湖遊覧船沈没事故
神竜湖の遊覧船は[[1934年]][[3月24日]]に沈没する惨事が発生した。これは[[比婆郡]]田森村(現在の[[庄原市]][[東城町]])の粟田[[尋常小学校]]と粟田[[尋常高等小学校]]の卒業遠足の一行42名が遊覧船に乗船したところ、船が沈没し、児童12名と引率教諭2名が犠牲になった。犠牲になった引率教諭のうち1名はわが子も乗船していたが、他の児童を優先して救助したのち、最期は力尽き親子とも亡くなったという。現在[[桜橋 (神石高原町)|桜橋]]の袂に慰霊碑が建立されている。
;観光上の問題点
帝釈峡はかつて雄橋や神竜湖遊覧船を目当てに集まる観光客で賑わった<ref name="burando">ブランド輝け 第2部 全国区 <3> 帝釈峡 『中国新聞』 2009年05月05日 朝刊 連載 県北 (全783字)</ref>。大手観光会社のバスツアーなども盛んであったが、1996年落石が頻発するために遊歩道を閉鎖したところ(上記)<ref name="burando"/>、旅行会社のツアー企画からも外され、2008年の遊覧船乗船者は35000人とピークだった1995年の半分以下に減少した<ref name="burando"/>。広島県が2007年に実施したアンケートではリピーターの観光客は28%に留まっていた<ref name="burando"/>。観光地としての魅力アップのために雄橋のライトアップを2003年に実施したところ、広島県が「自然公園法」違反として翌年以降のライトアップを差し止めた<ref name="burando"/>。一時途絶えていた「紅葉まつり」を復活させるなど、新しい試みも行われているが<ref name="burando"/>、遊歩道は迂回路が開通したのみで、全面開通は予算の目処が立たない状態である。
 
== 交通 ==