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この日は前番組の大学バスケが時間延長したことでジョセフ・ディアスの試合は放送されなかった。
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[[ファイル:Newsreel cameramen at the Dempsey-Carpentier fight at Boyle's Thirty Acres.jpg|thumb|280px|1921年7月、[[ジャージーシティ]]で[[ジャック・デンプシー]]対ジョルジュ・カルパンティエ戦の撮影に当たった[[ニュース映画]]の[[カメラマン]]たち。この日は初めて本格的な[[ラジオ]]中継も行われた。]]
[[ファイル:RoyJonesDonKing.jpg|thumb|300px|2008年1月、[[マディソン・スクエア・ガーデン]]で[[フェリックス・トリニダード]]に勝利した後の[[ロイ・ジョーンズ・ジュニア]](中央)。右奥はプロモーターの[[ドン・キング]]。ジョーンズは1994年の[[ジェームズ・トニー]]戦での勝利によりケーブルテレビ局[[HBO]]との長期契約を手にすることになった{{Sfn|Andre|Fleischer|Rafael|2001|p=418}}。現役引退後は同局で実況を担当<ref name="beat201111124">{{Harvnb|『ボクシング・ビート』|2011年11月号|p=124}}</ref>。]]
[[ファイル:RoyJonesDonKing.jpg|thumb|280px|2008年1月、[[マディソン・スクエア・ガーデン]]で[[フェリックス・トリニダード]]に勝利した[[ロイ・ジョーンズ・ジュニア]](中央)を映す[[ステディカム|テレビカメラ]]。右奥はプロモーターの[[ドン・キング]]。ジョーンズは1994年の[[ジェームズ・トニー]]戦での勝利により[[ケーブルテレビ]]局[[HBO]]との長期契約を手にすることになった{{Sfn|Andre|Fleischer|Rafael|2001|p=418}}。現役引退後は同局で実況を担当<ref name="beat201111124">{{Harvnb|『ボクシング・ビート』|2011年11月号|p=124}}</ref>。]]
[[ファイル:Max Kellerman, Jim Lampley & Harold Lederman.jpg|thumb|300px|2011年12月、マディソン・スクエア・ガーデンで行われた[[ミゲール・コット]]対[[アントニオ・マルガリート]]戦の中継中、リング下で働くHBOの中継スタッフたち。中央が解説のマックス・ケラーマン。右隣が進行役のジム・ランプリー。その右手で女性と話しているのが番組で非公式ジャッジを務めるハロルド・レダーマン。]]
[[ファイル:Hopkins with Kellerman & HBO camera crews.jpg|thumb|280px|2011年5月、HBOによる[[モントリオール]]の[[ベル・センター]]からの中継で、[[ジャン・パスカル]]に勝利した[[バーナード・ホプキンス]](中央左)にマイクを向ける実況担当のマックス・ケラーマンと両者を映すカメラ。]]
'''アメリカ合衆国のボクシング中継'''(アメリカがっしゅうこくのボクシングちゅうけい)は、[[テレビ受像機]]が急速に普及した1950年代に[[ボクシング]]観戦の様式を一変させた。[[ボクシング中継]]が盛んになると入場料収入は落ち込み、会場は規模の大小に関わらず活気を失った<ref name="02p118">{{Harvnb|『日本プロボクシング史』|2002|p=118}}</ref>{{Sfn|Gorn|1998|p=30}}。1950年代の終わりから[[地上波]]の視聴率はすでに下がり始めていたが{{Sfn|Gorn|1998|p=31}}、力量差のある退屈なマッチメイクや選手自身のリスクを冒さない無難な戦い方に加え、不当判定の頻発などにより信頼を失ったボクシングは、広告主を他競技に奪われると、収入を確保することができなくなった<ref name="miura2003c" /><ref name="ringtv201212">{{Cite web|author=Joseph Santoliquito|url=http://ringtv.craveonline.com/blog/176457|title=Boxing makes a bullish return to network TV|date=2012年12月13日|publisher=[[リングマガジン|RingTV]]|language=英語|accessdate=2013年3月21日}}</ref>。2013年現在、[[ケーブルテレビ]]や[[衛星放送]]での中継が一般的である<ref name="beat201111124" />。
[[ファイル:Floyd Mayweather, Jr. vs. Juan Manuel Márquez.jpg|thumb|280px|2009年9月、[[MGMグランド・ガーデンアリーナ]]で行われた[[フロイド・メイウェザー・ジュニア]](左)対[[ファン・マヌエル・マルケス]]戦はHBOの[[ペイ・パー・ビュー|PPV]]で中継された<ref>{{Cite web|url=http://sports.espn.go.com/sports/boxing/news/story?id=4502922|title=Mayweather fight yields 1 million buys|author=Dan Rafael|date=2009年9月25日|publisher=ESPN|language=英語|accessdate=2013年12月28日}}</ref>。広告主は[[ビール#メキシコ|テカテ]]。]]
 
'''アメリカ合衆国のボクシング中継'''(アメリカがっしゅうこくのボクシングちゅうけい)は、[[テレビ受像機]]が急速に普及した1950年代に[[ボクシング]]観戦の様式を一変させた。テレビ中継が初めて行われたのは1939年であったが<ref name="edgerton2009">{{Cite book|first=Gary|last=Edgerton|title=The Columbia History of American Television|url=http://books.google.co.jp/books?id=x4p3XMOeq7oC&pg=PA56|series=Columbia Histories of Modern American Life Series|month=3|year=2009|publisher=Columbia University Press|language=英語|isbn=978-0231512183|page=56|chapter=Going Public}}</ref>{{Sfn|Fuller|2008|p=20}}、受像機の世帯普及率は1950年の時点でも9パーセントに過ぎず{{Sfn|Gorn|1998|p=25}}、1950年代序盤にはまだ入場料が興行収入の大半を占め、これを脇から支えていたのは[[ニュース映画]]の上映権料や[[監視カメラ|CCTV]](クローズド・サーキット・テレビジョン)の放映権料であった<ref>{{Cite book|first=Kenneth|last=Shropshire|title=Being Sugar Ray: Sugar Ray Robinson, America's Greatest Boxer and First Celebrity Athlete|url=http://books.google.co.jp/books?id=3EbGsN41TIcC&pg=PA127|month=4|year=2009|publisher=Basic Books|language=英語|isbn=978-0786732456|page=127|chapter=Being Sugar Ray}}</ref>。普及率が1959年にかけて85.9パーセントまで伸びるにつれ{{Sfn|Gorn|1998|p=26}}テレビでの[[ボクシング中継]]が盛んになると、入場料収入は落ち込み、会場は規模の大小に関わらず活気を失った<ref name="02p118">{{Harvnb|『日本プロボクシング史』|2002|p=118}}</ref>{{Sfn|Gorn|1998|p=30}}。入場料に代わってテレビの放映権料が大きな収入源となり、テレビ中継のある興行でメインイベントに登場する選手たちの[[出場給#プロボクシング|ファイトマネー]]は上昇傾向にあったが<ref>{{Cite journal|month=8|year=1952|title=IBG, IBC Agree, Pugs To Get Minimum of 2G|journal=[[ビルボード]]|issue=1952年8月9日|page=16|publisher=Nielsen Business Media, Inc.|language=英語|url=http://books.google.co.jp/books?id=rx8EAAAAMBAJ&pg=PA16}}</ref>、1950年代の終わりから[[地上波]]の視聴率はすでに下がり始めていた{{Sfn|Gorn|1998|p=31}}。力量差のある退屈なマッチメイクや選手自身のリスクを冒さない無難な戦い方に加え、不当[[判定]]の頻発などにより信頼を失ったボクシングは、[[広告]]主を他競技に奪われると、収入を確保することができなくなった<ref name="miura2003c" /><ref name="ringtv201212">{{Cite web|author=Joseph Santoliquito|url=http://ringtv.craveonline.com/blog/176457|title=Boxing makes a bullish return to network TV|date=2012年12月13日|publisher=[[リングマガジン|RingTV.com]]|language=英語|accessdate=2013年3月21日}}</ref>。
2009年以降、{{仮リンク|ニールセン・カンパニー|label=ニールセン|en|Nielsen Company}}による視聴率調査では、DVR([[ハードディスク・レコーダー|デジタルビデオレコーダー]])によるタイムシフト視聴者も含めた数値が発表されており<ref name="maxboxing2012" />、番組の総合的な人気を評価することは困難になっている<ref name="nytimes201203">{{Cite web|title=DVRs and Streaming Prompt a Shift in the Top-Rated TV Shows|author=Bill Carter & Brian Stelter|url=http://www.nytimes.com/2012/03/05/business/media/dvrs-and-streaming-prompt-a-shift-in-the-top-rated-tv-shows.html?pagewanted=2&_r=0&ref=media|publisher=[[ニューヨーク・タイムズ]]|date=2012-3-4|page=2|accessdate=2013-6-26|language=英語}}</ref>。
 
[[アメリカ合衆国]]ではこれまで[[新聞]]、[[雑誌]]、[[書籍]]の[[文字]]や[[画像]]以外に[[音声]]や[[映像]]でボクシングの試合を伝える手段として、[[19世紀]]末に始まったニュース映画の上映や、[[ラジオ]]、CCTV、[[テレビ]]([[ネットワーク (放送)|ネットワーク]]の地上波、[[衛星放送]]、[[ケーブルテレビ]])、[[ストリーミング]]などによる中継が行われてきた。今日ではケーブルテレビや衛星放送での中継が主流であり<ref name="beat201111124" />、厳選されたカードのPPV([[ペイ・パー・ビュー]])中継が莫大な収益を上げている。[[テレビジョン放送局|テレビ局]]は実質的にプロモーターやマッチメイカーの役割を果たし、中継カードは技術の評価や競技性よりも[[視聴率]]やPPV売上の期待値に基づいて決定される傾向にある{{Sfn|Heiskanen|2012|p=83}}。また、中継番組をDVR([[ハードディスク・レコーダー|デジタルビデオレコーダー]])などを用いて録画映像として観る視聴者が増え、2009年以降のニールセンによる視聴率調査ではこうしたタイムシフト視聴者も含めた数値が発表されており<ref name="maxboxing2012" />、番組の総合的な人気を評価することは困難になっている<ref name="nytimes201203">{{Cite web|title=DVRs and Streaming Prompt a Shift in the Top-Rated TV Shows|author=Bill Carter & Brian Stelter|url=http://www.nytimes.com/2012/03/05/business/media/dvrs-and-streaming-prompt-a-shift-in-the-top-rated-tv-shows.html?pagewanted=2&_r=0&ref=media|publisher=[[ニューヨーク・タイムズ]]|date=2012-3-4|page=2|accessdate=2013-6-26|language=英語}}</ref>。
=== 歴史 ===
==== 地上波と閉回路テレビジョンの時代 ====
1940年代終盤から1950年代にかけての[[アメリカ合衆国]]では、テレビ局はボクシングを好んで中継した{{Sfn|Gorn|1998|p=28}}。製作費は[[バラエティ番組]]の半分で済み、1950年代半ばで5万ドル程度だった{{Sfn|Gorn|1998|p=30}}。1950年代、ボクシングのテレビ中継は[[テレビ受像機|受像機]]の急速な普及に伴い、磐石の人気を博していった<ref name="02p118" />。1950年に受像機を持つ家庭は都市部に限られ、世帯普及率はわずか9パーセントであったが{{Sfn|Gorn|1998|p=25}}、この数値は1955年に55.7パーセント、1957年に78.6パーセント、1959年に85.9パーセントまで伸び、[[モハメド・アリ]]がテレビ中継に最も影響を及ぼしたとされる1966年には、92.8パーセントに達していた{{Sfn|Gorn|1998|p=26}}。
 
== 歴史 ==
===== 集客力への影響 =====
=== ニュース映画とラジオの時代 ===
テレビ・ラジオからの放送権料が入場料収入を初めて超えたのは1952年のことだった。テレビ・ラジオを合わせた放送権料はこの年480万ドルに上り、前年度の倍以上となった一方で、入場料収入は460万ドルに落ちていた<ref>{{Cite news|url=http://news.google.com/newspapers?id=cTs0AAAAIBAJ&sjid=k-sFAAAAIBAJ&pg=6138,3336431|title=17 Fatalities Darken 1952 Boxing Picture|date=1952年12月26日|newspaper=The Miami News|language=英語|accessdate=2013年2月25日}}</ref>。1953年の[[ロッキー・マルシアノ]]対[[ジャージー・ジョー・ウォルコット]]戦(再戦)は68.7パーセント、同年のキッド・ギャビラン対チャック・デイビー戦は67.9パーセントの視聴率を記録した{{Sfn|Gorn|1998|p=30}}。米国のボクシング興行を支配していたIBC(インターナショナルボクシングクラブ)は毎週水・金曜日に定期番組を提供し、週に9万ドルの放映権料を受け取っていた。しかしテレビ中継の隆盛は、ボクシングは試合会場で観るものではなくテレビで観ればよいものと、観る者の意識を変えていった。米国のボクシング市場を支えてきた中小のクラブファイトは活気を失い、大手の会場でも集客数は激減していった<ref name="02p118" />。[[マディソン・スクエア・ガーデン]]では1943年に33興行が行われ、406,681人の観客から2,062,046ドルの入場料収入があったが、1953年には30興行で観衆152,928人、入場料収入629,775ドルまで落ち込んだ。マディソン・スクエア・ガーデンは1953年に1,768,000ドルをテレビ局から受け取ったものの、レストランやホテルなどを通じて顧客から得られた収入は激減していた。また、1952年に300あったファイトクラブは1950年代の終わりには50足らずしか残っていなかった{{Sfn|Gorn|1998|p=30}}。
==== ニュース映画の配給 ====
[[ファイル:Corbett - Fitzsimmons fight.jpg|thumb|280px|1897年3月、[[カーソンシティ]]で行われた[[ジェームス・J・コーベット]]対[[ボブ・フィッシモンズ]]戦の遠景。2本ロープの[[リング (格闘技)|リング]]の右手にやぐらを写す。]]
[[活動写真]]や[[サイレント映画|無声映画]]の時代には多くのボクシングの試合が脚色なしに[[ニュース映画]]として上映されたが、中には再現や模造によるものもあった<ref name="niemi2006">{{Cite book|first=Robert|last=Niemi|title=History in the Media: Film and Television|url=http://books.google.co.jp/books?id=WVFhcBcv_X8C&pg=PA191&lpg=PA191|month=7|year=2006|publisher=ABC-CLIO|language=英語|isbn=978-1576079522|page=191|chapter=Sports History on Film and Television}}</ref>。ボクシングは[[トーマス・エジソン]]のエジソン製作所が最初に扱った主題のひとつであり、1892年にはボクサーを撮影した映画のサムネイル画像が雑誌に掲載された。限られた空間で2選手だけを映せばよいボクシングと[[フェンシング]]は当時、映像化するのが最も簡単なスポーツだった。当初は映写ではなく[[キネトスコープ]]の装置を覗き込む形で鑑賞するものとして販売されたが、ボクシングの映像は人気を博し、メディアの普及に役立つとともに競技への資金調達に影響を与えるようになった{{Sfn|Eagan|2009|p=22}}。映画の初期の時代には、ボクシングは全ての州で違法であったが、試合を展示やコンテストとして課金することで禁止が解かれることが多かった。[[ネバダ州]]は1897年にボクシング​​を合法化{{Sfn|Eagan|2009|p=22}}。この年3月17日、同州[[カーソンシティ]]でイーノック・J・レクターが3台のカメラを並置して90分にわたる[[ジェームス・J・コーベット]]と[[ボブ・フィッシモンズ]]の世界[[ヘビー級]]タイトルマッチを撮影した{{Sfn|Abel|2004|p=875}}。これは現存する最古の実写記録となっている{{Sfn|Streible|2008|pp=291&ndash;292}}。この『コーベット対フィッシモンズ戦』(''The Corbett-Fitzsimmons Fight'') の成功は[[ニューヨーク州]]などでボクシングの禁止緩和の一助となり、コーベットの試合は頻繁に撮影された{{Sfn|Eagan|2009|p=22}}。
 
[[ファイル:Interior of Coney Island club house.jpg|thumb|left|280px|中央にボクシングのリングをしつらえた1899年頃の[[コニーアイランド]]のクラブハウスの内観。リングの真上に照明装置を備える。左手のやぐらには照明や撮影用の機材が置かれ、アメリカン・ミュートスコープ&バイオグラフ社の看板が掲げられている。]]
1954年には毎日のように[[プライムタイム]]でボクシングの試合が中継された。月曜日には[[アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニー|ABC]]が[[ブルックリン区|ブルックリン]]から、{{仮リンク|デュモント (テレビ局)|label=デュモント|en|DuMont Television Network}}が[[ニューヨーク市]]から中継、水曜日には[[CBS]]が中継を行った。金曜日に[[NBC]]がマディソン・スクエア・ガーデンから中継した番組は絶えず高視聴率を上げ、ABCは土曜日にも中継番組を持っていた。これらは全米に中継され{{Sfn|Gorn|1998|p=28}}、ローカルでは毎週、[[ロサンゼルス]]、[[モントリオール]]、[[デトロイト]]、[[メキシコシティ]]、[[ハリウッド]]、[[サンフランシスコ]]、[[フィラデルフィア]]などから試合を中継した{{Sfn|Gorn|1998|p=29}}。
ボクシングは映像技術の進歩に拍車をかけた。1899年6月9日に撮影された『フィッシモンズ対ジェフリーズ戦』(''The Fitzsimmons-Jeffries Fight'') は、[[ジェームス・J・ジェフリーズ]]が[[ブルックリン区|ブルックリン]]の[[コニーアイランド]]でフィッシモンズを11回KOで倒し、世界ヘビー級王者となる試合を記録したものである<ref name="niemi2006" />。この試合は夜間の時間帯に予定され、ビタグラフ社は75個のアークランプを使って撮影したが、当初予定されていた日には照明の不備があり、数日後に撮り直しとなった{{Sfn|Eagan|2009|p=22}}。同じ年にペドラー・パーマーとテリー・マクガバンの試合は、よりよい天候と照明の下で映像を撮りたいという製作者の意向で1日延期されている{{Sfn|Eagan|2009|p=22}}。
 
[[ファイル:Jeffries-Sharkey pictures - under the direction of Wm. A. Brady & Thos. O'Rourke.jpg|thumb|upright|1899年11月に行われた[[ジェームス・J・ジェフリーズ]]対トム・シャーキー戦のニュース映画宣伝用のポスター。]]
[[ファイル:Ingemar Johansson and Floyd Pattersson 1959.JPG|thumb|left|パターソン対ヨハンソン戦(1959年)]]
同年11月3日夜、アメリカン・ミュートスコープ&バイオグラフ社(現在のバイオグラフ社)がコニーアイランドで撮影した『ジェフリーズ対シャーキー戦』(''The Jeffries-Sharkey Contest'') は、記録映画として最も優れた作品とされている。これはジェフリーズがトム・シャーキーを相手に25回戦で行った世界ヘビー級王座の初防衛戦を記録したもので、ジェフリーズのマネージャーのウィリアム・A・ブラディとプロモーターのトーマス・オルークが試合を後援し、カメラマンはフレデリック・S・アーミテージ、ジョージ・ウィリアム・ビッツァー、アーサー・マービン。リング上には夜間の撮影用に500以上のアークランプが装備されていたが、この放熱により両選手は45度を超える高温の中で戦うことになった。試合は判定決着となり、35,000フィート(7マイル)の68ミリフィルムが使用された。この映像は商業用に貸し出されて何百もの[[ニッケルオデオン (映画館)|ニッケルオデオン]]で上映され<ref name="niemi2006" />、何年もの間、人気を博した。ジェフリーズは、6年間の王者時代におよそ20の映像を残している{{Sfn|Eagan|2009|p=22}}。
1959年、[[ニューヨーク州]]の[[ヤンキー・スタジアム]]で18,215人の観衆が見守る中、[[インゲマル・ヨハンソン]]が[[フロイド・パターソン]]をTKOに下し、世界[[ヘビー級]]王座を奪取。この試合は入場料収入面では失敗であったが、[[監視カメラ|CCTV]](閉回路テレビジョン、クローズド・サーキット・テレビジョン)からは100万ドル以上の放映権料が支払われた。(パターソンが1957年に[[メルボルンオリンピックにおけるボクシング競技|メルボルン五輪]]ヘビー級金メダリスト[[ピート・ラデマッハー]]とそのプロデビュー戦で行った防衛戦では入場料収入243,030ドル、CCTV収入209,556ドル。1958年のロイ・ハリスとの防衛戦では入場料収入234,183ドル、CCTV収入763,437ドル、視聴者196,762人){{Sfn|Andre|Fleischer|Rafael|2001|p=156}}。ヨハンソンは競技以外にも歌手・俳優・ビジネスマンとして能力を発揮し、リングの外でも莫大な財産を築いたが{{Sfn|Andre|Fleischer|Rafael|2001|p=157}}、翌1960年のパターソンとのリマッチでKO負けを喫し、王座を失った。この試合では31,892人の観衆からの入場料収入は824,814ドルだったが、50万人が視聴したCCTVからは200万ドルの収益があった{{Sfn|Andre|Fleischer|Rafael|2001|p=158}}。
 
[[ファイル:JohnsonJeffriesRound4.jpg|thumb|left|1910年7月、[[リノ (ネバダ州)|リノ]]で行われたジェームス・J・ジェフリーズ(左)対[[ジャック・ジョンソン]]戦の14ラウンドの様子。]]
しかし1950年代の終わりから[[地上波]]の視聴率は下がり始め、1953年に主なテレビ局の中継番組は31パーセントの視聴率を上げていたが、1959年には10.6パーセントまで落ちていた。世界王者ロッキー・マルシアノのプロモーターは、[[ニュース映画]]とCCTVに放映権を売り、大球場で試合を開催するほうが実入りがよいと考え、マルシアノの6度の防衛戦のうち地上波と契約したのは1度だけであった{{Sfn|Gorn|1998|p=31}}。
初期の最も重要な映像は1910年7月4日撮影の『ジェフリーズ対ジョンソン ボクシング世界タイトルマッチ』(''Jeffries-Johnson World's Championship Boxing Contest'') で、ジェフリーズと[[ジャック・ジョンソン (ボクサー)|ジャック・ジョンソン]]のヘビー級戦を映した{{Sfn|Abel|2004|p=876}}{{Sfn|Eagan|2009|p=22}}120分にわたる白黒の無声映画である{{Sfn|Eagan|2009|p=22}}。数年前にネバダ州でジョー・ガンス対バトリング・ネルソンという異人種間の対戦をプロモートしたテックス・リカードが101,000ドルで興行権を落札していた。1909年の[[スタンリー・ケッチェル]]との対戦を映した『ジョンソン対ケッチェル戦』(''The Johnson-Ketchel Fight'') はMPPC([[モーション・ピクチャー・パテンツ・カンパニー]])が配給しており、ビタグラフ社社長でMPPCメンバーのウィリアム・ロックとプロモーターのシド・ヘスターがリカードに協力した。ビタグラフ社の創設に携わったジェームズ・スチュアート・ブラックトンがこの試合を撮影するためにJ&J社を立ち上げ、ビタグラフ社、エッサネイ社、セリグ社から総勢12人のカメラマンがリングを見下ろすブースに陣取った。試合は当初[[サンフランシスコ]]での開催が予定されていたが、[[カリフォルニア州]]知事は世論に屈して試合を禁止した。この時点でリカードはすでにこの試合のためのアリーナを建設し、30万ドルのチケットを売り終えており、ネバダ州知事の励ましを受けて同州[[リノ (ネバダ州)|リノ]]に会場を移した。ジェフリーズとジョンソンはそれぞれの練習場でも撮影され、[[ロンドン]]などから500人程の報道関係者が集まった。ジョンソンが15回に3度のダウンを奪って試合を終えると全米で人種暴動が勃発し、[[シカゴ]]では14人、サンフランシスコでは24人が死亡。[[ロサンゼルス]]、[[フィラデルフィア]]、[[ニューオリンズ]]などの都市でも集団が暴徒化し、その日のうちに試合映像の公開を禁止する動きが起きた{{Sfn|Eagan|2009|p=23}}。[[黒人#アメリカ合衆国|黒人]]のジョンソンが勝利する映像が今やどこでも鑑賞可能になったという事実が米国の[[白人#アメリカ合衆国|白人]]社会に衝撃を与え、全米の官憲が一様に黒人優勢を伝える映画を危惧した{{Sfn|Abel|2004|p=876}}。印刷物は7月10日までには準備され、映像はニューヨーク、フィラデルフィア、[[セントルイス]]などの都市で無事に上映された。しかし上映が広まるにつれ世論は次第にジョンソンに敵対するようになり、次のジム・フリン戦の映像は利益を生まなかった。1912年に[[アメリカ合衆国議会|連邦議会]]は試合映像の州間輸送を禁じ、ジョンソンが衰える1940年まで禁止が解かれることはなかった{{Sfn|Eagan|2009|p=23}}。
 
===== 地上波ラジオ中継と覇権交代共栄 =====
初の[[ラジオ]]中継は1921年4月11日、[[ピッツバーグ]]のモーター・スクエア・ガーデンでの[[ライト級]]の試合、ジョニー・レイ対ジョニー・ダンディー戦で行われた{{Sfn|Fuller|2008|p=10}}<ref name="rudel2008">{{Cite book|first=Anthony J.|last=Rudel|title=Hello, Everybody!: The Dawn of American Radio|url=http://books.google.co.jp/books?id=qXRrRPjvQKYC&pg=PA130|month=10|year=2008|publisher=Houghton Mifflin Harcourt|language=英語|isbn=978-0231512183|page=130|chapter=Chapter 8}}</ref>。{{仮リンク|KDKA|en|KDKA (AM)}}による中継で、ボクシング記者のフローレント・ギブソンが会場から解説<ref>{{Cite book|first=Ronald A.|last=Smith|title=Play-by-Play: Radio, Television, and Big-Time College Sport|url=http://books.google.co.jp/books?id=CMKqn6LzsBIC&pg=PP149|month=5|year=2003|publisher=JHU Press|language=英語|isbn=978-0801876929|page=149}}</ref><ref name="rudel2008" />。ただしギブソンの声が直接聴取者に送られるのではなく、ギブソンが会場で見た内容を電話でハロルド・W・アーリンに伝え、アーリンがそれを放送で繰り返すというものだった<ref>{{Cite book|first=Lynn Boyd|last=Hinds|title=Broadcasting the Local News: The Early Years of Pittsburgh's KDKA-TV|url=http://books.google.co.jp/books?id=7o2VDORMhL4C&pg=PA4|month=11|year=1995|publisher=Penn State University Press|language=英語|isbn=978-0271014395|page=4|chapter=Introduction}}</ref>。聴取者は少数で、試合の興行規模や送信方法は些細なものであったが、1920年代初期の米国ではスポーツの3大関心事といえば[[カレッジフットボール]]と[[ワールドシリーズ]]とボクシングであり、これがスポーツ初のラジオ中継となっている<ref name="rudel2008" />。
ほとんどの中継番組が3、4年で打ち切られる一方で、[[ジレット|ジレット社]]後援によるNBCの中継番組は1944年から{{Sfn|Gorn|1998|p=29}}最も長く続いていたが、NBCの[[クイズ番組]]をめぐる不祥事の煽りを受けて1960年1月に打ち切られることになった{{Sfn|Gorn|1998|pp=31&ndash;32}}。ラジオとテレビのボクシング中継によってマーケットシェアを16パーセントから70パーセントに拡大したジレット社は、毎週マディソン・スクエア・ガーデンからボクシングを中継する番組を850万ドルで後援したいとABCに持ちかけ、快諾を得た。その金額はABCがそれまでスポーツに注ぎ込んできた資金よりも前年度の収益よりも大きかった。ABCは同年秋からボクシング中継を開始するとともに、ジレット社の広告費を他競技の中継に参入するための費用に充て、またプロデューサーのルーン・アーリッジをNBCから買収し、1965年にはスポーツ中継を代表する局としてNBCを退け、1970年代半ばには米国で最も視聴者に支持される局となった{{Sfn|Gorn|1998|p=32}}。ジレット社は初年度にマディソン・スクエア・ガーデンに25,000ドルを払っていたが、1964年には毎週その額を支払うようになり、総額で1,500万ドルを超える収益をもたらした{{Sfn|Gorn|1998|p=39&ndash;40}}。しかし、アーリッジはボクシングにほとんど関心がなく、ビデオのスロー再生を初めて導入した1963年3月の[[パレット事件|ベニー・パレット対エミール・グリフィス戦]]では{{Sfn|Gorn|1998|p=34}}、一方的に打たれた後に意識を失って倒れたパレットが数日後に死亡。ビデオ再生の技術は試合後の番組で使われ、中継番組以上の視聴率を上げたが、この試合はテレビボクシングの評判を落とす結果になった{{Sfn|Gorn|1998|p=35}}。ABCは同年12月、視聴率の低下、選手の低質化、ボクシングの暗黒社会との関わりなどを理由に、翌年9月以降に番組を続行する予定はないことを発表。1964年9月のディック・タイガー対ドン・フルマー戦を最後に番組を打ち切った。1965年の米国では、[[ベビーブーム]]の後で約41パーセントが19歳以下であり、広告主は裕福な[[白人#アメリカ合衆国|白人]]の青少年に照準を合わせ始めていた{{Sfn|Gorn|1998|p=38}}。
 
[[ファイル:Tex Rickard with photographers at the Dempsey-Carpentier fight (1).jpg|thumb|1921年7月、ジャック・デンプシー対ジョルジュ・カルパンティエ戦が行われたジャージーシティのスタジアムにて、前列左が[[フレッド・クインビー]]、右がテックス・リカード。後ろにニュース映画のカメラマンが並ぶ{{Sfn|Streible|2008|p=271}}。]]
[[ファイル:Muhammad Ali NYWTS.jpg|thumb|upright|モハメド・アリ]]
同年7月2日には[[ジャック・デンプシー]]対ジョルジュ・カルパンティエ戦で初めて本格的なラジオ中継が行われた{{Sfn|Fuller|2008|p=86}}<ref>{{Cite web|url=http://www.njcu.edu/programs/jchistory/pages/D_Pages/Dempsey_Carpentier_Fight.htm|title=Dempsey-Carpentier Fight|author=Carmela Karnoutsos|date=|publisher=New Jersey City University|language=英語|accessdate=2014年1月日}}</ref>。プロモーターのテックス・リカード、ラジオプロモーターのJ・アンドリュー・ホワイト、[[マディソン・スクエア・ガーデン]]、[[RCA]]、全国アマチュア無線協会が連携し、音声は劇場やホールのスピーカーを通して推定20万人の聴取者に送られた{{Sfn|Streible|2008|p=270}}。このタイトルマッチのためにリカードは数か月にわたって宣伝活動をし、[[ジャージーシティ]]にスタジアムを建設。77,000人からの入場料収入は150万ドルを超え、デンプシーとカルパンティエにはそれぞれ30万ドルと20万ドルの[[出場給#プロボクシング|ファイトマネー]]に加え、ニュース映画からの収入が支払われた。映画プロデューサーの[[フレッド・クインビー]]がニュース映画のパイオニアであるジョージ・マクラウド・ベインズにカメラワークを担当させ、勢揃いしたカメラの中には[[スローモーション]]用のカメラも1台含まれていた。15分の試合映像の他に練習風景、空撮映像、スタジアムや観衆の映像を盛り込んで上映された1時間のドキュメンタリーは、リカードの大写しで始まり、[[ニュージャージー州]]知事と一緒に会場を点検する映像が流れ、入場料収入、ボクサーのファイトマネー、政府の利益などの統計で幕を閉じる。ボクシング映像の配給を合法的な事業と見せる意図的な編集が行われ、試合映像を禁止した国家自身が試合による利益の一部を受け取っていることを観る者に印象付けるものとなっていた{{Sfn|Streible|2008|p=270}}。
しかし、ABCの打ち切り発表後、1964年2月には[[ローマオリンピックにおけるボクシング競技|ローマ五輪]]金メダリストのカシアス・クレイ(後のモハメド・アリ)が[[ソニー・リストン]]を倒して22歳で世界ヘビー級王者となっていた。ABCはそれ以前の試合のうち8戦を特に大きく扱わずに中継していたが{{Sfn|Gorn|1998|p=38}}、リストン戦がCCTVで中継された6週間後の土曜日の午後、スポーツ中継番組『ワイド・ワールド・オブ・スポーツ』でこれを放送し、高視聴率を上げた。次のフロイド・パターソン戦は1965年11月に行われ、ABCが同番組で録画中継したのは1966年に入ってからだったが、これも高視聴率を記録した{{Sfn|Gorn|1998|p=43}}。アリは契約書類への署名の不備などを理由に[[イリノイ州]]をはじめとする各州で試合を禁じられ{{Sfn|Marqusee|2005|p=178}}、CCTVがボイコットに巻き込まれ、当初の対戦相手も変更された後{{Sfn|Marqusee|2005|p=178}}、1966年に[[カナダ]]でジョージ・チュバロ戦を行ったが、経営は大赤字で{{Sfn|Gorn|1998|p=45}}プロモーターも打撃を受けた。ボブ・アラムが興して間もないメインバウト社(トップランク社は1970年設立{{Sfn|Roberts|Skutt|2006|p=693}})は試合をめぐる権利の一部を所有しており{{Sfn|Gorn|1998|p=46}}、試合をプロモートしたアラムは、米国でのアリはCCTVが関わっている限り終わったも同然だ、と語っている{{Sfn|Ezra|2009|p=106}}{{Sfn|Gorn|1998|p=46}}{{Sfn|Marqusee|2005|p=178}}。この試合は3日後にABCが録画放送した。試合主体で放送するのではなく、繰り返される[[ローブロー]]でへこんだ金属製の[[スポーツ用サポーター#野球用・武道・格闘技用|ファウルカップ]]を映し、なぜアリが国外で防衛戦をしなければならなかったかなど試合を取り巻く問題を説明した{{Sfn|Gorn|1998|p=46}}。
 
1920年代には[[NBC]]のラジオネットワークをはじめとする多くのラジオ局がプロやアマチュアの試合の生中継を増やし、ボクシング中継はラジオ番組の重要な位置を占めるようになった。プロモーターは当初、無料での生中継によって有料入場者数がダメージを受けるのではないかと慎重であったが、ラジオの聴取者も会場の観衆も増加した{{Sfn|Streible|2008|p=271}}。1926年9月22日に[[ソルジャー・フィールド]]で行われたデンプシー対[[ジーン・タニー]]戦もリカードがプロモートし、10万人以上の観衆から250万ドルの入場料収入を上げ、ラジオの生中継の聴取者は数千万人に上った{{Sfn|Streible|2008|p=276}}。1937年には[[帽子|ハット]]ブランドのアダムスがスポーツイベント初の広告主となり、ボクシング中継番組の『ニューヨーク・ヒッポドローム劇場からの18週間』(''18 Weeks from the New York Hippodrome'') が放送された{{Sfn|Fuller|2008|p=86}}。
===== 閉回路テレビジョンの弱体化と衛星放送 =====
[[ファイル:Bob Arum 2010.jpg|thumb|left|upright|ボブ・アラム]]
アリが[[ベトナム戦争]]についての発言などで抗議を受けるまで、ABCはCCTVの財力に対抗できず、ディレイで放送するのがやっとだったが、抗議はヘビー級タイトルマッチの不文律を変えた。まず、政治的な圧力に弱い何千もの個人経営の劇場を含むCCTVを変化させた。そしてアリはカナダでの防衛戦を強いられたが、20世紀前半に国外でヘビー級の世界戦は2度しか行われていなかった。アラムはアリの次の3戦を[[ヨーロッパ]]で開催することを計画した{{Sfn|Gorn|1998|p=47}}。1965年に打ち上げられた通信衛星アーリーバードはヨーロッパからの[[衛星放送]]を比較的容易にしており、ABCはすでに『ワイド・ワールド・オブ・スポーツ』でこれを実践していた{{Sfn|Gorn|1998|p=45}}。アラムのメインバウト社はこの3試合をABCと契約し、アーリーバードを利用して衛星中継した。アーリッジは視聴者層の拡大のために、選手の個性や開催地、アリをめぐる論争などを紹介し、ボクシングの試合自体は番組の一部に過ぎなかった{{Sfn|Gorn|1998|p=47}}。それまでは解説者が1人しかいなかったが、[[ロンドン]]でのヘンリー・クーパー戦では放送席に3人が入り、副解説をハワード・コセルとロッキー・マルシアノが務めた。ABCは30分間の煽り映像を用意していたが、直前の試合が初回KOで終わり、英国の試合役員はアリとクーパーに2分後に入場するように指示した。コセルに懇願されたアリは、手を叩き足を踏み鳴らして今や遅しと待っている観客をよそに入場を18分遅らせて番組を救った{{Sfn|Gorn|1998|p=48}}。ロンドンでもう1試合した後{{Sfn|Gorn|1998|p=49}}、[[フランクフルト]]でのカール・ミルデンバーガー戦では、スポーツで初めて[[カラーテレビ|カラー放送]]による衛星中継が行われた。ヨーロッパでの3試合も高視聴率を博したが、アリの徴兵問題と政治的圧力によって、この後7年間、アリの試合は中継されなかった{{Sfn|Gorn|1998|p=50}}。
 
1939年、ボクシングの試合映像は解禁されつつあり、ニュース映画の関係者たちが収益への期待を募らせていた頃、スポーツ記者のシャーリー・ポビッチは「テレビが試合映像をぶち壊しにやって来ている」と警鐘を鳴らしているが、これはまだ時期尚早で、1950年代に入ってもニュース映画の上映は続き、1970年代に入ってからもファンやコレクターは[[8ミリ映画|8ミリ]]や[[16mmフィルム|16ミリ]]に縮約された映像を購入した{{Sfn|Streible|2008|p=287}}。
==== ケーブルテレビの参入 ====
===== ペイ・パー・ビューの始まり =====
[[ファイル:Kathy Duva.jpg|thumb|upright|キャシー・デュバ]]
1970年代に米国のボクシングは[[ラテンアメリカ]]の勢いに圧されていたが、1975年10月のモハメド・アリ対[[ジョー・フレージャー]]戦では初の[[PPV]](ペイ・パー・ビュー)中継が行われた<ref>{{Cite web|url=http://www.mirror.co.uk/sport/boxing/charge-of-the-fight-brigade-pay-per-view-could-1563644|title=Charge of the fight brigade: Pay-per-view could return to Sky, but is it fair?|author=George Ogier|date=2013-1-30|publisher=''Daily Mirror''|language=英語|accessdate=2013-6-20}}</ref>。1980年代の米国では[[シュガー・レイ・レナード]]や[[トーマス・ハーンズ]]、[[マービン・ハグラー]]らに、ラテンアメリカ全盛期の中心的な役割を果たした[[ロベルト・デュラン]]が加わって熱戦を展開。彼らの試合はPPVで放送され、その報酬は高騰し、プロモーターは桁違いの収入を得るようになっていた{{Sfn|『日本プロボクシング史』|2002|p=183}}。ボブ・アラムとドン・キングは、1980年6月にモントリオールでのレナード対デュラン戦(初戦)を共催。この試合ではダン・デュバがCCTV契約を担当した。その後、1981年9月に、当時ダン・デュバが主宰していたメインイベンツ社がプロモートしたレナード対ハーンズ戦(初戦)では、アラムがCCTVと国外の放映権契約に携わった。レナードは800万ドル、ハーンズは500万ドルを保証されており、この他に放映権料の歩合などを受け取ることになっていた。フランク・バルセロナは約300の会場でCCTV150万席を扱うサーキット・プロモーションズを設立。[[シーザーズ・パレス]]はテニスコートに25,000席の屋外競技場を仮設した。PPVを担当したダン・デュバは[[シカゴ]]とロサンゼルスを中心として[[アラスカ州]][[アンカレッジ]]から[[ミシシッピ州]]ナチェズまでの36都市に所在する13社とPPV中継を契約。アリ対フレージャー戦以来、初の本格的なPPV中継が行われた<ref>{{Cite web|title=Boxing's biggest bonanza has unlikely promoters|author=Michael Katz|url=http://www.nytimes.com/1981/09/13/sports/boxing-s-biggest-bonanza-has-unlkiely-promoters.html|publisher=ニューヨーク・タイムズ|date=1981-9-13|pages=1&ndash;2|accessdate=2013-6-29|language=英語}}</ref>。
 
=== 地上波とクローズド・サーキット・テレビジョンの時代 ===
1980年代全般から1990年代初頭にかけて、地上波でのボクシング中継は土曜日の午後の定番となり<ref name="ringtv201212" />、2000年代前半にはテレビ中継が増加した<ref name="miura2003a">{{Cite web|url=http://www.boxing.jp/column/miura/miura02.htm|title=メキシコとアメリカ-ボクシング界の絶妙な経済バランス|author=三浦勝夫|year=2003|publisher=[[ボクシング・ビート|boxing.jp]]|accessdate=2013-6-17}}</ref>。1996年にダン・デュバが病死した後は妻のキャシーがメインイベンツ社のCEO、プロモーターとなった<ref>{{Cite web|title=Kathy Duva: Free enterprise advocate vs. Oscar's "Wal-Mart"|author=Michael Swann|url=http://www.15rounds.com/kathy-duva-free-enterprise-advocate-vs-oscar%E2%80%99s-%E2%80%9Cwal-mart%E2%80%9D/|publisher=15rounds.com|date=2006-9-21|accessdate=2013-6-29|language=英語}}</ref>。
[[ファイル:Joe Louis by van Vechten.jpg|thumb|upright|テレビと[[監視カメラ|CCTV]]の初期の中継で、多くの記念碑的な試合を戦った[[ジョー・ルイス]]。]]
1920年代から1930年代にかけて、テレビ局は実験的にボクシングを中継していた{{Sfn|Streible|2008|p=287}}。初のテレビ中継は1939年6月1日、[[WNBC]]が[[ヤンキー・スタジアム]]の[[マックス・ベア (ボクサー)|マックス・ベア]]対ルー・ノバ戦で行った<ref name="edgerton2009" />{{Sfn|Fuller|2008|p=20}}。この年は[[ニューヨーク万国博覧会 (1939年)|ニューヨーク万国博覧会]]で初めてテレビ受像機が紹介された年でもあった{{Sfn|Fuller|2008|p=90}}。1941年4月4日に行われたベア対ノバの再戦は、マディソン・スクエア・ガーデンからテレビ中継された初のボクシングの試合となった<ref name="atlas2011" />。[[第二次世界大戦]]が終わるとNBCが定期的な中継を再開し、テレビ局は退役軍人病院に[[テレビ受像機]]を設置して技術を磨いた。1946年にはNBCによる[[プライムタイム]]での中継は数回のみで、この中には月曜日と金曜日に中継された『ジレット社スポーツオンパレード』(''Gillette Cavalcade of Sports'') や木曜日の30分番組『ファイト・フィルム・フィラー』などが含まれていた。この年の[[ジョー・ルイス]]対ビリー・コン戦はテレビで初めて生中継されたヘビー級タイトルマッチとなった。1948年には2時間の中継番組として、NBCが『聖ニコラスアリーナからのボクシング』、[[CBS]]が『ウエストチェスターからのボクシング』、{{仮リンク|デュモント (テレビ局)|label=デュモント|en|DuMont Television Network}}が『ジャマイカアリーナからのボクシング』を毎週放送した。​​1949年に[[アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニー|ABC]]が『明日のボクシングチャンピオン』で参入、デュモントは『サニーサイドガーデンズからのボクシング』『デクスターアリーナからのボクシング』『マディソン・スクエア・ガーデンからのボクシング』を追加した{{Sfn|Streible|2008|p=287}}。
 
1948年のジョー・ルイス対[[ジャージー・ジョー・ウォルコット]]戦のような注目試合はテレビで生中継された後もニュース映画が映画館で長期間上映された。この頃、[[パラマウント映画]]が劇場でのニュース映画の配給とテレビ中継を関連付けるシステムを開発し、1948年6月25日に[[タイムズスクエア]]のパラマウント劇場ではルイスとウォルコットが​​ヤンキー・スタジアムで対戦する映像のテレビ信号を66秒遅れでニュース映画に変換して流したが、このシステムは短命に終わった{{Sfn|Streible|2008|p=288}}。
[[ファイル:Arturo Gatti.jpg|thumb|left|250px|アルツロ・ガッティ]]
メインイベンツ社がプロモートする[[アルツロ・ガッティ]]は激戦で知られ、2002年から2003年にかけての[[ミッキー・ウォード]]との3度の対戦でその評価を不動のものにした<ref name="espn200907" >{{Cite web|url=http://sports.espn.go.com/sports/boxing/news/story?id=4321150|title=Foul play suspected in Gatti's death|date=2009年7月11日|publisher=ESPN|language=英語|accessdate=2013年6月27日}}</ref><ref group="映像">{{Cite video|date=2010年11月17日|title=HBO Boxing: Fights of the Decade - Ward vs Gatti I (HBO)|url=http://www.youtube.com/watch?v=hYkt9mdE5KQ|medium=アルツロ・ガッティ対ミッキー・ウォード初戦のハイライト|publisher=[[HBO]]公式[[YouTube]]チャンネル|language=英語|accessdate=2012年6月28日}}</ref>。『リング』誌の[[リングマガジン ファイト・オブ・ザ・イヤー|ファイト・オブ・ザ・イヤー]]を4度受賞。[[審判員 (ボクシング)|レフェリー]]のランディ・ニューマンは、ガッティの試合中の回復力は途轍もなく、たとえ劣勢であっても、ただ彼がガッティだというだけで、試合を止めるのは難しかったと後に話している。[[ケーブルテレビ]]局[[HBO]]の中継には21回登場し、[[HBO|HBOスポーツ]]社長のロス・グリーンバーグ(当時)は、ガッティは伝説的な選手のひとりであり、ウォードとの3試合はボクシング史に生き続けるだろうと語っている<ref name="espn200907" />。
 
[[ファイル:Sugar Ray Robinson 1965 (cropped).jpg|thumb|left|upright|1951年9月、ニュース映画の配給とCCTVでの中継で、[[ヘビー級]]以外初となる総収入100万ドル超の試合を戦った[[シュガー・レイ・ロビンソン]]。]]
===== ESPN2の予算削減とスペイン語局の躍進 =====
1940年代終盤から1950年代にかけて、テレビ局はボクシングを好んで中継し{{Sfn|Gorn|1998|p=28}}、ローカル局を除いても1週間に5回から6回の中継が行われていた{{Sfn|Streible|2008|p=288}}。製作費は[[バラエティ番組]]の半分で済み、1950年代半ばで5万ドル程度だった{{Sfn|Gorn|1998|p=30}}。当初、テレビ受像機は一般家庭に広く普及していなかったため、初期のテレビ中継の視聴者は主にバーで観戦した{{Sfn|Fuller|2008|p=90}}。1940年代後半にテレビ受像機を逸早く購入したバーでは、10インチの小さな画面でもスポーツを好む客を惹きつけた{{Sfn|Streible|2008|p=288}}。1950年代、ボクシングのテレビ中継は受像機の急速な普及に伴い、磐石の人気を博していった<ref name="02p118" />。1950年に受像機を持つ家庭は都市部に限られ、世帯普及率はわずか9パーセントだったが{{Sfn|Gorn|1998|p=25}}、この数値は1955年に55.7パーセント、1957年に78.6パーセント、1959年に85.9パーセントまで伸び、[[モハメド・アリ]]がテレビ中継に最も影響を及ぼしたとされる1966年には、92.8パーセントに達していた{{Sfn|Gorn|1998|p=26}}。1948年から1960年にかけて、[[カーメン・バシリオ]]、[[ロッキー・グラジアノ]]、[[ジェイク・ラモッタ]]、キッド・ギャビラン、[[シュガー・レイ・ロビンソン]]らの名はテレビ中継によって広く知られるようになっていった{{Sfn|Heiskanen|2012|p=82}}。
[[ファイル:Lou DiBella 2010.jpg|thumb|upright|ルー・ディベラ]]
ボクシング中継には一定のファンは定着していたものの<ref name="miura2005">{{Cite web|url=http://www.boxing.jp/cgi/column/miura/column.cgi?mode=view&no=13|title=アメリカはボクシング>K-1|author=三浦勝夫|date=2005-7-19|publisher=boxing.jp|accessdate=2013-6-17}}</ref>、主要競技とされる[[野球]]、[[アメリカンフットボール]]、[[バスケットボール]]、[[ホッケー]]に比べて経営は厳しくなり、2004年1月からはケーブルテレビ局の[[ESPN2]]がそれまでプロモーターに毎回5万ドルから6万ドル払っていた放映権料を削減することを決めた。同局は当時、中堅選手のサバイバルマッチを主軸とし、リングサイドではテディ・アトラスが、スタジオではまだ駆け出しのマックス・ケラーマンが解説を務めていたが、中堅選手同士のサバイバルマッチは大物同士のビッグマッチ以上に実現が難しく、また中堅から世界を目指す過程では危険を冒した戦い方を避けがちであることから、結果的に試合が面白みを欠いたものになる傾向がある。同じ頃、HBOのボクシング番組責任者からプロモーターとして独立した{{仮リンク|ルー・ディベラ|en|Lou DiBella}}は、力量差のある退屈な試合や不当判定の頻発が競技人気の後退を招いているとし、選手はテクニックには長けているものの勝利を意識し過ぎてアルツロ・ガッティやミッキー・ウォードのようにスリリングな試合を提供しなくなっており、これもテレビ中継の低迷に繋がっているとしている<ref name="miura2003c" />。
 
[[イギリス|英国]]では1938年4月4日に行われた[[ライトヘビー級]]のレン・ハービー対ジャック・マカボイ戦で初めて[[監視カメラ|CCTV]](クローズド・サーキット・テレビジョン)によるボクシング中継が行われたが<ref name="atlas2011">{{Cite book|first1=Bert Randolph|last1=Sugar|first2=Teddy|last2=Atlas|title=The Ultimate Book of Boxing Lists|url=http://books.google.co.jp/books?id=yNItDAPFctEC&pg=PT108|month=11|year=2011|publisher=Running Press|language=英語|isbn=9780762441679|page=108|chapter=5-4. Lou Nova and Max Baer.}}</ref>{{Sfn|Streible|2008|p=287}}、米国で初めてCCTVの大型スクリーンで中継されたボクシングの試合は、1951年6月15日のジョー・ルイス対リー・サボルド戦であった{{Sfn|Sammons|1990|p=157}}。試合は[[ニューヨーク市|ニューヨーク]]で行われ、アメリカ電話電信会社(現在の[[AT&T]])が6都市の映画館に中継した<ref>{{Cite book|first=Jessie Carney|last=Smith|title=Black Firsts: 4,000 Ground-breaking and Pioneering Historical Events|series=Visible Ink Series|url=http://books.google.co.jp/books?id=pUEz-tUVu9AC&pg=PA668|month=12|year=2002|publisher=Visible Ink Press|language=英語|isbn=978-1578591428|page=668|chapter=Boxing}}</ref>。同年9月に行われたシュガー・レイ・ロビンソン対[[ランディ・ターピン]]の世界[[ミドル級]]タイトルマッチ(再戦)では、放送権の入札額でCCTVが初めてテレビとラジオの両者を上回った{{Sfn|Sammons|1990|p=158}}。この試合は入場料収入768,000ドル、ニュース映画からの収入が20万ドル、CCTV収入5万ドルを稼ぎ出し、ヘビー級以外で総収入100万ドルを超えた初の試合となった<ref>{{Cite book|first=Kenneth|last=Shropshire|title=Being Sugar Ray: Sugar Ray Robinson, America's Greatest Boxer and First Celebrity Athlete|url=http://books.google.co.jp/books?id=3EbGsN41TIcC&pg=PA127|month=4|year=2009|publisher=Basic Books|language=英語|isbn=978-0786732456|page=127|chapter=Being Sugar Ray}}</ref>。1963年3月にはカシアス・クレイ(後の[[モハメド・アリ]])対ダグ・ジョーン戦がマディソン・スクエア・ガーデンから初めてCCTV中継された{{Sfn|Ezra|2009|p=51}}。
[[ファイル:Oscar De La Hoya 2011.jpg|thumb|left|upright|オスカー・デ・ラ・ホーヤ]]
またこの時期の米国では白人にも[[アフリカ系アメリカ人]]にも傑出した選手がなく、競技人口は減り、当時の野球同様に[[ヒスパニック|ヒスパニック系]]や[[メキシコ]]をはじめとする[[ラテンアメリカ|中南米]]出身の選手を米国が売り出すという図式が成り立っていた<ref name="miura2003c">{{Cite web|url=http://www.boxing.jp/column/miura/miura25.htm|title=ボクシングに未来はあるのか?|author=三浦勝夫|date=2003年|publisher=boxing.jp|accessdate=2013年1月5日}}</ref>。それまで米国のテレビ局はハイレベルでコストのかからないメキシコの選手を好んで使ったが、メキシコ側からすれば自国での世界戦開催は経済的に困難だったものの、米国に呼ばれて有力選手と対戦することで全体的な底上げが図られ、世界挑戦が決まれば王座を奪取する機会も増大していた<ref name="miura2003a" />。ESPN2の『[[フライデーナイトファイト|フライデー・ナイト・ファイト]]』の裏番組では、ボクシングの浮沈を賭けて数年前からヒスパニック系に狙いを定めていたトップランク社と契約したスペイン語局のテレファトゥーラ(現在の{{仮リンク|ウニマス|en|UniMás}})が中継番組『ソロ・ボクセオ』(オンリー・ボクシング)でラテン系のボクサーを起用して高視聴率を上げ、トップランク社がプロモートしたオスカー・デ・ラ・ホーヤが興したゴールデンボーイ・プロモーションズも月に1度、スペイン語チャンネルのHBOラティーノで『ボクセオ・デ・オロ』(ゴールデン・ボクシング)を放送し、急成長を遂げていた<ref name="miura2003c" />。
 
===== ケーブルテレビ集客力へ覇権争い影響 =====
テレビ・ラジオからの放送権料が入場料収入を初めて超えたのは1952年のことだった。テレビ・ラジオを合わせた放送権料は480万ドルに上り、前年度の倍以上となった一方で、入場料収入は460万ドルに落ち込んでいた<ref>{{Cite news|url=http://news.google.com/newspapers?id=cTs0AAAAIBAJ&sjid=k-sFAAAAIBAJ&pg=6138,3336431|title=17 Fatalities Darken 1952 Boxing Picture|date=1952年12月26日|newspaper=The Miami News|language=英語|accessdate=2013年2月25日}}</ref>。しかしこの年、テレビ中継のある興行でメインイベンターを務める選手たちのファイトマネーは上昇傾向にあり、およそ2,000ドルから3,000ドルであった<ref>{{Cite journal|month=8|year=1952|title=IBG, IBC Agree, Pugs To Get Minimum of 2G|journal=[[ビルボード]]|issue=1952年8月9日|page=16|publisher=Nielsen Business Media, Inc.|language=英語|url=http://books.google.co.jp/books?id=rx8EAAAAMBAJ&pg=PA16}}</ref>。1953年の[[ロッキー・マルシアノ]]対[[ジャージー・ジョー・ウォルコット]]戦(再戦)は68.7パーセント、同年のキッド・ギャビラン対チャック・デイビー戦は67.9パーセントの視聴率を記録した{{Sfn|Gorn|1998|p=30}}。米国のボクシング興行を支配していたIBC(インターナショナルボクシングクラブ)は毎週水・金曜日に定期番組を提供し、週に9万ドルの放映権料を受け取っていた。しかしテレビ中継の隆盛は、ボクシングは試合会場で観るものではなくテレビで観ればよいものと、観る者の意識を変えていった。米国のボクシング市場を支えてきた中小のクラブファイトは活気を失い、大手の会場でも集客数は激減していった<ref name="02p118" />。マディソン・スクエア・ガーデンでは1943年に33興行が行われ、406,681人の観客から2,062,046ドルの入場料収入があったが、1953年には30興行で観衆152,928人、入場料収入629,775ドルまで落ち込んだ。マディソン・スクエア・ガーデンは1953年に1,768,000ドルをテレビ局から受け取ったものの、レストランやホテルなどを通じて顧客から得られた収入は激減していた。また、1952年に300あったファイトクラブは1950年代の終わりには50足らずしか残っていなかった{{Sfn|Gorn|1998|p=30}}。
[[ファイル:Don King.jpg|thumb|upright|ドン・キング]]
2003年10月には米国で初めて、同じ日に開催される2興行がいずれもPPVで販売された。まずケーブルテレビ局の[[ショウタイム (テレビ局)|ショウタイム]]が[[ラスベガス]]から[[イベンダー・ホリフィールド]]対ジェームズ・トニー戦など(44.95ドル=約5,400円)、3時間遅れのスタートでHBOがロサンゼルスから[[エリック・モラレス]]対[[グティ・エスパダス・ジュニア]]戦など(34.95ドル=約4,200円)を中継した<ref>{{Cite web|url=http://www.boxing.jp/news03/news_a/a_0307.htm|title=10月4日、どちらを見る? HBO対ショータイム PPV合戦|date=2003-7-26|publisher=boxing.jp|accessdate=2013-6-17}}</ref>。しかしHBOはこの頃、有力選手の契約数で突出しており<ref name="miura2003c" />、同年12月にはかつてショウタイムと契約していた[[ドン・キング|ドン・キング・プロダクション]]の[[トリプル世界戦#8大タイトルマッチ|8大タイトルマッチ]]もHBOのPPVで中継され、ショウタイムはHBOに水をあけられていった<ref name="miura2003b">{{Cite web|url=http://www.boxing.jp/column/miura/miura22.htm|title=PPV全盛とショータイムの衰退|author=三浦勝夫|year=2003|publisher=boxing.jp|accessdate=2013-6-17}}</ref>。ショウタイムは若手選手の試合を中継する『ショウボックス』も定期的に放送することをやめ、看板選手であった[[マイク・タイソン]]の進退も不明確なまま、ボクシング中継から撤退するのではないかとの憶測も囁かれた<ref name="miura2003b" />。
 
1954年には毎日のようにプライムタイムでボクシングの試合が中継された。月曜日にはABCがブルックリンから、デュモントがニューヨークから中継、水曜日にはCBSが中継を行った。金曜日にNBCがマディソン・スクエア・ガーデンから中継した番組は絶えず高視聴率を上げ、ABCは土曜日にもボクシングを中継した。これらは全米に中継され{{Sfn|Gorn|1998|p=28}}、ローカルでは毎週、ロサンゼルス、[[モントリオール]]、[[デトロイト]]、[[メキシコシティ]]、[[ハリウッド]]、サンフランシスコ、フィラデルフィアなどから試合を中継した{{Sfn|Gorn|1998|p=29}}。
NBCによる2005年の『ザ・コンテンダー』を最後に、4大ネットワーク (ABC、CBS、NBC、[[フォックス放送|FOX]]) による地上波でのボクシング中継が途絶えると<ref name="queensberry-rules20121214">{{Cite web|url=http://www.queensberry-rules.com/2012-articles/december/boxing-back-on-cbs-nbc-this-weekend-and-next-what-it-means-what-you-need-to-know.html|title=Boxing Back On CBS, NBC This Weekend And Next: What It Means, What You Need To Know|author=Tim Starks|date=2012年12月14日|publisher=Queensberry-Rules.com|language=英語|accessdate=2013年1月6日}}</ref>、ケーブルテレビや衛星放送での中継が一般的になった<ref name="beat201111124" />。2009年10月には有料ケーブルテレビチャンネルの{{仮リンク|エピックス (テレビチャンネル)|label=エピックス|en|Epix (TV channel)}}が開設され<ref name="beat201111125" />、ヘビー級に重心を置いてヨーロッパの試合を定期的に放送している<ref name="boxingscene20130114" />。2011年7月には、それまでHBOスポーツ社長を務めていたロス・グリーンバーグが退陣。グリーンバーグはボクシングに年間3,500万ドルの予算を費やしてきたが、ボブ・アラムとの確執から、それまでHBOで中継していた[[マニー・パッキャオ]]の2011年5月の[[シェーン・モズリー]]戦の契約をショウタイムおよびCBSに奪われたことが主因となった<ref>{{Cite web|url=http://espn.go.com/boxing/story/_/id/6778943/ross-greenburg-resigns-president-hbo-sports|title=Ross Greenburg resigns from HBO|author=Dan Rafael|date=2011年7月20日|publisher=ESPN|language=英語|accessdate=2013年6月1日}}</ref>。2012年11月には、ケーブルテレビ局の{{仮リンク|ウェルスTV|en|WealthTV}}が[[イギリス|英国]]、カナダなどの試合の他<ref name="blf20130104" />、1960年代以降初の世界[[フライ級]]王座統一戦([[ブライアン・ビロリア]]対[[エルナン・マルケス]])などを中継して躍進を見せた<ref>{{Cite web|url=http://www.boxingscene.com/?m=show&opt=printable&id=60999|title=BScene’s 2012 Year End Awards: Network of The Year|author=Cliff Rold|date=2013年1月1日|publisher=BoxingScene.com|language=英語|accessdate=2013年1月6日}}</ref>。
 
[[ファイル:Ingemar Johansson and Floyd Pattersson 1959.JPG|thumb|left|1959年6月、[[ヤンキー・スタジアム]]で[[フロイド・パターソン]]を倒す[[インゲマル・ヨハンソン]]。]]
ケーブルテレビを受信する世帯は1960年には7パーセントしかなかったが、1990年には56パーセントに増加。66パーセントが[[ビデオテープレコーダ|ビデオデッキ]]を持っていた。2006年には視聴者の89パーセントはリアルタイムで観ており、DVR([[ハードディスク・レコーダー|デジタルビデオレコーダー]])を使用した視聴者は1.6パーセントだけだった。しかし2012年になると、テレビのある世帯ではDVRの他にも[[ゲーム機]]、[[DVDレコーダー]]などのデバイスが接続されており、リアルタイムで視聴する者は85パーセントに減少し、DVRを使用したタイムシフト視聴者が8パーセントに増加した<ref>{{Cite web|title=DVR Usage Increasing Among Television Viewers|author=Zach Walton|url=http://www.webpronews.com/dvr-usage-increasing-among-television-viewers-2012-02|publisher=WebProNews|date=2012-2-29|accessdate=2013-6-26|language=英語}}</ref>。2009年から{{仮リンク|ニールセン・カンパニー|label=ニールセン|en|Nielsen Company}}は、DVRによるタイムシフト視聴者も含めた数値を発表しているが<ref name="maxboxing2012" />、2012年初めにはテレビを持つ世帯の43パーセントにDVRが普及。 DVRの世帯普及率の伸びは減速し始めたものの、[[ビデオ・オン・デマンド]]やストリーミングなどを使ったタイムシフト視聴者の増加は加速しており、番組の総合的な人気を評価することは非常に困難になっている<ref name="nytimes201203" />。
1959年、ヤンキー・スタジアムで18,215人の観衆が見守る中、[[インゲマル・ヨハンソン]]が[[フロイド・パターソン]]をTKOに下し、世界ヘビー級王座を奪取。この試合は入場料収入面では失敗であったが、CCTVからは100万ドル以上の放映権料が支払われた(パターソンが1957年に[[メルボルンオリンピックにおけるボクシング競技|メルボルン五輪]]ヘビー級金メダリスト[[ピート・ラデマッハー]]とそのプロデビュー戦で行った防衛戦では入場料収入243,030ドル、CCTV収入209,556ドル。1958年のロイ・ハリスとの防衛戦では入場料収入234,183ドル、CCTV収入763,437ドル、視聴者196,762人){{Sfn|Andre|Fleischer|Rafael|2001|p=156}}。ヨハンソンは競技以外にも歌手・俳優・ビジネスマンとして能力を発揮し、リングの外でも莫大な財産を築いたが{{Sfn|Andre|Fleischer|Rafael|2001|p=157}}、翌1960年のパターソンとのリマッチでKO負けを喫し、王座を失った。この試合では31,892人の観衆からの入場料収入は824,814ドルだったが、50万人が視聴したCCTVからは200万ドルの収益があった{{Sfn|Andre|Fleischer|Rafael|2001|p=158}}。
 
しかし1950年代の終わりから[[地上波]]の視聴率は下がり始めた。1953年に主なテレビ局の中継番組は31パーセントの視聴率を上げていたが、1959年には10.6パーセントまで落ち込んでいた。世界王者ロッキー・マルシアノのプロモーターは、ニュース映画とCCTVに放映権を売り、大球場で試合を開催するほうが実入りがよいと考え、マルシアノの6度の防衛戦のうち地上波と契約したのは1度だけであった{{Sfn|Gorn|1998|p=31}}。
===== 地上波の復活 =====
2012年12月15日にCBSが『ショウタイム・ボクシング・オン・CBS』として[[レオ・サンタ・クルス]]対アルベルト・ゲバラ戦(ゴールデンボーイ・プロモーションズ主催))を地上波で中継<ref name="ringtv201212" />。同局でのボクシング中継は1997年に行われた[[バーナード・ホプキンス]]対[[グレンコフ・ジョンソン]]戦以来であった<ref>{{Cite web|url=http://www.nypost.com/p/sports/boxing/historic_twist_to_boxing_day_VAm5vARBG43Mux87Zm9GDN|title=Historic twist to boxing day|author=George Willis|date=2012年12月15日|publisher=[[ニューヨーク・ポスト]]|language=英語|accessdate=2013年1月6日}}</ref><ref name="espn20121219">{{Cite web|url=http://espn.go.com/boxing/story/_/id/8761607/return-network-tv-hit-boxing|title=Return to network TV a hit for boxing|author=Dan Rafael|date=2012年12月19日|publisher=ESPN|language=英語|accessdate=2013年1月6日}}</ref>。この背景では、ケン・ハーシュマンのHBOスポーツ社長就任に伴い、その後任として[[CBSコーポレーション]]傘下の[[ショウタイム (テレビ局)|ショウタイムスポーツ]]の副社長およびゼネラルマネージャーにゴールデンボーイ・プロモーションズの顧問弁護士を務めていたスティーブン・エスピノサが就き<ref>{{Cite web|url=http://espn.go.com/boxing/story/_/id/7235772/stephen-espinoza-hired-new-head-showtime-sports|title=Stephen Espinoza hired by Showtimes|author=Dan Rafael|date=2011年11月14日|publisher=ESPN|language=英語|accessdate=2013年1月6日}}</ref><ref name="blf20130104">{{Cite web|url=http://www.badlefthook.com/2013/1/4/3835752/2012-boxing-awards-showtime-beats-hbo-tv-network-year|title=2012 Boxing Awards: Showtime beats HBO for TV Network of the Year|date=2013年1月4日|publisher=Bad Left Hook|language=英語|accessdate=2013年1月6日}}</ref><ref name="boxon201303">{{Cite web|url=http://boxingnewsboxon.blogspot.jp/2013/03/blog-post_4511.html|title=HBOがGBPに絶縁状|date=2013年3月20日|publisher=[[ボクシング・ビート|ボクシングニュース「Box-on!」]]|accessdate=2013年3月24日}}</ref>、CBSとの取り決めを陣頭指揮していた<ref name="espn20121219" /><ref name="latimes201303">{{Cite web|url=http://www.latimes.com/sports/sportsnow/la-sp-sn-boxing-hbo-golden-boy-20130320,0,4496688.story|title=HBO drops involvement with Golden Boy fighters|author=Lance Pugmire|date=2013年3月20日|publisher=[[ロサンゼルス・タイムズ]]|language=英語|accessdate=2013年3月24日}}</ref>。また、7日後の2012年12月22日にはNBCが地上波中継を再開<ref name="ringtv201212" />。CBS、NBCでの地上波復帰は、いずれも20年以上ボクシングを扱っていなかった土曜日の午後4時から6時([[東部標準時]])の放送枠で行われたが、プライムタイムでの中継は資金面でいまだ厳しい状況にある<ref name="ringtv201212" />。
 
===== HBOとショウタイム地上波競合覇権交代 =====
{{Multiple image
2013年に入るとHBOとショウタイムはかつてなく競合<ref name="boxingscene20130114" />。上述の通りケン・ハーシュマンがHBOスポーツ社長に就任し、スティーブン・エスピノサがショウタイムスポーツ副社長に就任した2011年末頃から、ゴールデンボーイ・プロモーションズと契約する選手たちの注目試合は、それまでHBOが扱っていた選手の試合も含めてショウタイムへ流出することが多くなっていた<ref name="si201303">{{Cite web|url=http://sportsillustrated.cnn.com/mma/news/20130318/hbo-drops-golden-boy-promotions-showtime-to-take-over/|title=HBO's drop of Golden Boy Promotions signals dramatic shift in industry|author=Chris Mannix|date=2013年3月18日|publisher=[[スポーツ・イラストレイテッド|SI.com]]|language=英語|accessdate=2013年3月24日}}</ref>。この社長交代の前後、2011年の1月から7月までHBOでは13回のボクシング中継が行われたが、2012年の同時期には9回に減り、視聴率に大きな変化はなかった。この9回の中継のうち、5回がゴールデンボーイ・プロモーションズとの契約で行われ、そのうちの4回に代理人のアル・ヘイモンが関わっていた。他の4回は、トップランク社との契約が3回、[[セルヒオ・マルチネス]]を擁するディベラ・エンターテインメントとの契約が1回となっている。またショウタイムの『[[チャンピオンシップ・ボクシング]]』では、6回の中継のうち4回がゴールデンボーイ・プロモーションズ主催、『ショウボックス』も加えれば、ショウタイムで中継された16興行の半数がゴールデンボーイ・プロモーションズ主催興行だった。トップランク社の2012年上期のショウタイムとの契約が2回のみであったのに対し、アル・ヘイモンは非常に忙しく、ゴールデンボーイ・プロモーションズ主催興行の他に<ref name="maxboxing2012">{{Cite web|title=HBO's First Half Posts Similar Ratings from Greenburg|author=Matthew Paras|url=http://www.maxboxing.com/news/max-boxing-news/hbos-first-half-posts-similar-ratings-from-greenburg-era|publisher=MaxBoxing.com|year=2012|accessdate=2013-6-26|language=英語}}</ref>、[[石田順裕]](後にゴールデンボーイ・プロモーションズと契約<ref>{{Cite web|title=石田順裕の新たな挑戦-GBPと契約|author=[[原功 (ボクシング)|原功]]|url=http://www5.nikkansports.com/battle/column/hara/archives/25553.html|publisher=[[日刊スポーツ]]|date=2012-3-7|accessdate=2013-6-26}}</ref>)対[[ポール・ウィリアムス (ボクサー)|ポール・ウィリアムス]]戦や[[ギレルモ・リゴンドウ]]対[[リコ・ラモス]]戦に携わり、全16回の中継のうち10回に関わっていた<ref name="maxboxing2012">{{Cite web|title=HBO's First Half Posts Similar Ratings from Greenburg|author=Matthew Paras|url=http://www.maxboxing.com/news/max-boxing-news/hbos-first-half-posts-similar-ratings-from-greenburg-era|publisher=MaxBoxing.com|year=2012|accessdate=2013-6-26|language=英語}}</ref>。
| align = right
| header =
| image1 = Bob Haymes in Two Senoritas from Chicago cropped.jpg
| width1 = 160
| caption1 = 1944年に開始された[[NBC]]の中継番組『ジレット社スポーツオンパレード』で実況を担当したボブ・ヘイムズ。
| image2 = Howard cosell 1975.JPG
| width2 = 150
| caption2 = 1966年5月、[[アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニー|ABC]]による[[モハメド・アリ]]戦の[[ロンドン]]からの[[衛星放送|衛星中継]]で副解説を務めたハワード・コセル。
}}
ほとんどの中継番組が3、4年で打ち切られる一方で、[[ジレット|ジレット社]]後援によるNBCの中継番組『ジレット社スポーツオンパレード』は{{Sfn|Gorn|1998|p=29}}ボブ・ヘイムズを実況に迎えて<ref>{{Cite web|url=http://www.imdb.com/name/nm0371374/filmotype|title=Bob Haymes - Filmography by type|year=2013|publisher=[[インターネット・ムービー・データベース|IMDb]]|language=英語|accessdate=2013年12月24日}}</ref>1944年から{{Sfn|Gorn|1998|p=29}}最も長く続いていたが、NBCの[[クイズ番組]]をめぐる不祥事の煽りを受けて1960年1月に打ち切られることになった{{Sfn|Gorn|1998|pp=31&ndash;32}}。ラジオとテレビのボクシング中継によってマーケットシェアを16パーセントから70パーセントに拡大したジレット社は、毎週マディソン・スクエア・ガーデンからボクシングを中継する番組を850万ドルで後援したいとABCに持ちかけ、快諾を得た。その金額はABCがそれまでスポーツに注ぎ込んできた資金よりも前年度の収益よりも大きかった。ABCは同年秋からボクシング中継を開始するとともに、ジレット社の広告費を他競技の中継に参入するための費用に充て、またプロデューサーのルーン・アーリッジをNBCから買収し、1965年にはスポーツ中継を代表する局としてNBCを退け、1970年代半ばには米国で最も視聴者に支持される局となった{{Sfn|Gorn|1998|p=32}}。ジレット社は初年度にマディソン・スクエア・ガーデンに25,000ドルを払っていたが、1964年には毎週その額を支払うようになり、総額で1,500万ドルを超える収益をもたらした{{Sfn|Gorn|1998|pp=39&ndash;40}}。しかし、アーリッジはボクシングにほとんど関心がなく、ビデオのスロー再生を初めて導入した1963年3月の[[パレット事件|ベニー・パレット対エミール・グリフィス戦]]では{{Sfn|Gorn|1998|p=34}}、一方的に打たれた後に意識を失って倒れたパレットが数日後に死亡。ビデオ再生の技術は試合後の番組で使われ、中継番組以上の視聴率を上げたが、この試合はテレビボクシングの評判を落とすことになった{{Sfn|Gorn|1998|p=35}}。ABCは同年12月、視聴率の低下、選手の低質化、ボクシングの暗黒社会との関わりなどを理由に、翌年9月以降に番組を続行する予定はないことを発表。1964年9月のディック・タイガー対ドン・フルマー戦を最後に番組を打ち切った。1965年の米国では、[[ベビーブーム]]の後で約41パーセントが19歳以下であり、広告主は裕福な白人の青少年に照準を合わせ始めていた{{Sfn|Gorn|1998|p=38}}。
 
[[ファイル:FloydMuhammad Mayweather,Ali Jr. June 2011NYWTS.jpg|thumb|left|upright|[[ボブ・アラム]]のプモートにより、積極的に国外で世界ヘビー級タトルマッチを行った[[モハメド・メイウェザー・ジュニリ]]。]]
しかし、ABCの打ち切り発表後、1964年2月には[[ローマオリンピックにおけるボクシング競技|ローマ五輪]]金メダリストのカシアス・クレイが[[ソニー・リストン]]を倒して22歳で世界ヘビー級王者となっていた。ABCはそれ以前の試合のうち8戦を特に大きく扱わずに中継していたが{{Sfn|Gorn|1998|p=38}}、リストン戦がCCTVで中継された6週間後の土曜日の午後、スポーツ中継番組『ワイド・ワールド・オブ・スポーツ』でこれを放送し、高視聴率を上げた。次のフロイド・パターソン戦は1965年11月に行われ、ABCが同番組で録画放送したのは1966年に入ってからだったが、これも高視聴率を記録した{{Sfn|Gorn|1998|p=43}}。アリが契約書類への署名の不備などを理由に[[イリノイ州]]をはじめとする各州で試合を禁じられた後<ref name="marqusee2005">{{Cite book|first=Mike|last=Marqusee|title=Redemption Song: Muhammad Ali And The Spirit Of The Sixties|url=http://books.google.co.jp/books?id=oHoe8OMpooAC&pg=PA178|month=7|year=2005|publisher=Verso Books|language=英語|isbn=978-1844675272|page=178|chapter=Redemption Song}}</ref>、CCTVは[[ボイコット]]に巻き込まれ、当初の対戦相手も変更された<ref name="marqusee2005" />。1966年に[[カナダ]]でジョージ・チュバロとの試合が組まれたが、経営は大赤字で{{Sfn|Gorn|1998|p=45}}プロモーターも打撃を受けた。[[ボブ・アラム]]が興して間もないメインバウト社([[トップランク社]]は1970年設立<ref>{{Cite book|last1=Roberts|first1=James B.|last2=Skutt|first2=Alexander G.|title=The Boxing Register: International Boxing Hall of Fame Official Record Book|url=http://books.google.co.jp/books?id=aA2LO_DGdu4C&pg=PA693|year=2006|publisher=McBooks Press|language=英語|isbn=978-1590131213|page=693|chapter=Bob Arum}}</ref>)は試合をめぐる権利の一部を所有しており{{Sfn|Gorn|1998|p=46}}、試合をプロモートしたアラムは、米国でのアリはCCTVが関わっている限り終わったも同然だ、と語っている{{Sfn|Ezra|2009|p=106}}{{Sfn|Gorn|1998|p=46}}<ref name="marqusee2005" />。この試合は3日後にABCが録画放送した。試合主体で放送するのではなく、繰り返される[[ローブロー]]でへこんだ金属製の[[スポーツ用サポーター#野球用・武道・格闘技用|ファウルカップ]]を映し、なぜアリが国外で防衛戦をしなければならなかったかなど試合を取り巻く問題を説明した{{Sfn|Gorn|1998|p=46}}。
2012年9月15日、HBOは[[トーマス&マック・センター]]からセルヒオ・マルチネス対[[フリオ・セサール・チャベス・ジュニア]]戦をPPV中継し、販売数は475,000件だった<ref>{{Cite web|title=Sergio Martinez-Julio Cesar Chavez Jr. fight does 475,000 pay-per-view buys|author=Chris Mannix|url=http://mma-boxing.si.com/2012/09/21/sergio-martinez-julio-cesar-chavez-jr-fight-does-475000-pay-per-view-buys/|publisher=SI.com|date=2012-9-21|accessdate=2013-6-26|language=英語}}</ref>。同日の同時間帯、ショウタイムは[[MGMグランド・ガーデン・アリーナ]]から[[サウル・アルバレス]]対ホセシト・ロペス戦を『チャンピオンシップ・ボクシング』で中継し<ref name="ringtv201209">{{Cite web|title=Alvarez-Lopez scores record ratings for Showtime|author=Lem Satterfield|url=http://ringtv.craveonline.com/blog/174879-alvarez-lopez-scores-record-ratings-for-showtime|publisher=RingTV|date=2012-9-18|accessdate=2013-6-26|language=英語}}</ref>、1,036,000人が視聴した<ref>{{Cite web|title=Gate numbers, TV ratings for Canelo Alvarez confirm big boxing weekend|author=Kevin Iole|url=http://sports.yahoo.com/blogs/boxing/gate-numbers-tv-ratings-canelo-alvarez-confirm-big-164518979--box.html|publisher=[[Yahoo!|Yahoo! Sports]]|date=2012-9-18|accessdate=2013-6-26|language=英語}}</ref>。このアルバレス対ロペス戦はショウタイムのボクシング中継において、2010年12月の[[ジャン・パスカル]]対バーナード・ホプキンス戦を超える最高視聴率、2011年2月の[[ミゲル・アコスタ]]対[[ブランドン・リオス]]戦を超える過去最高のヒスパニック系視聴率、また、2007年以降2位の平均視聴率を記録した<ref name="ringtv201209" />。同日に同じラスベガスの数ブロックしか離れていない距離で興行をぶつけられたことに対してボブ・アラムは、47年間ボクシングに携わってきた中で、前社長のロス・グリーンバーグも含めて、テレビ局の幹部からこんな扱いを受けたことはないと話している<ref>{{Cite web|title=Is It No-Time for Top Rank?|author=Steve Kim|url=http://www.maxboxing.com/news/max-boxing-news/is-it-no-time-for-top-rank|publisher=MaxBoxing.com|year=2012|accessdate=2013-6-26|language=英語}}</ref>。
 
==== クローズド・サーキット・テレビジョンの弱体化と衛星放送 ====
2013年2月には、2012年から2013年にかけて発表された『[[スポーツ・イラストレイテッド]]』誌の米国スポーツ選手長者番付で2年連続1位となった[[フロイド・メイウェザー・ジュニア]]<ref name="afpbb201305">{{Cite web|url=http://www.afpbb.com/article/sports/sports-others/sports-others-others/2944274/10748902?ctm_campaign=txt_topics|title=米スポーツ選手長者番付、2年連続でメイウェザーが1位に|date=2013年05月16日|publisher=[[フランス通信社|AFPBB News]]|accessdate=2013年6月4日}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://sportsillustrated.cnn.com/specials/fortunate50-2012/|title=The 50 highest-earning American athletes - 2012 Fortunate 50|author=Michael McKnight|date=2012-5|publisher=SI.com|language=英語|accessdate=2013-6-17}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://sportsillustrated.cnn.com/specials/fortunate50-2013/|title=The 50 highest-earning American athletes - 2013 Fortunate 50|author=Daniel Roberts|date=2013-5|publisher=SI.com|language=英語|accessdate=2013-6-17}}</ref>もショウタイムへ移籍。ショウタイムはHBOを脅かす存在となった<ref name="si201303" />。メイウェザーはショウタイムとの6試合の契約において1試合につき最低3,200万ドル(約32億7,000万円)の報酬を保証されており<ref name="afpbb201305" />、その初戦となった[[ロバート・ゲレーロ]]戦では最高額1,500ドルのチケットが完売、観衆1万5,880人<ref name="sugiura201305">{{Cite web|url=http://www.nikkei.com/news/print-article/?R_FLG=0&bf=0&ng=DGXZZO54716790X00C13A5000000&uah=DF251020129587|title=ボクシング現役最強王者は長者番付でも断トツ|author=杉浦大介|date=2013-5-10|publisher=[[日本経済新聞]]|accessdate=2013-6-17}}</ref>。2戦目のサウル・アルバレス戦では最高額2,000ドルのチケットが2日で完売となった<ref>{{Cite web|url=http://boxingnewsboxon.blogspot.jp/2013/06/blog-post_5058.html|title=メイウェザー×カネロ チケット完売|date=2013年6月27日|publisher=ボクシングニュース「Box-on!」|accessdate=2013年6月28日}}</ref>。最低報酬の他にこれらの入場料収入と1件あたり60ドルから70ドルのPPV収入の歩合などを受け取る<ref name="sugiura201305" />。それまでの中継局HBOによればメイウェザーは過去9戦でPPV960万件を売り上げ、同局に5億4,300万ドルの収益をもたらしたと経済誌『[[フォーブス (雑誌)|フォーブス]]』は報じている<ref>{{Cite web|url=http://www.forbes.com/sites/kurtbadenhausen/2013/04/27/floyd-mayweather-hits-primetime-with-cbs-special/|title=Floyd Mayweather Hits Primetime With CBS Special|author=Kurt Badenhausen|date=2013-4-27|publisher=[[フォーブス (雑誌)|フォーブス]]|language=英語|accessdate=2013-6-21}}</ref>。2007年のオスカー・デ・ラ・ホーヤ戦ではPPV販売数240万件を記録し、1997年のマイク・タイソン対イベンダー・ホリフィールド戦(再戦)の199万件の記録を更新。その後も安定した販売件数を維持している<ref name="sugiura201305" />。HBOはメイウェザー移籍の翌月からはゴールデンボーイ・プロモーションズの主催する興行の中継に関与しないことを決めた<ref name="latimes201303" /><ref name="si201303" /><ref>{{Cite web|url=http://www.nypost.com/p/sports/boxing/hbo_cuts_ties_with_golden_boy_mzkFO6O8087PpwZqbmwzmJ|title=HBO cuts ties with De La Hoya's Golden Boy Promotions|author=George Willis|date=2013年3月19日|publisher=ニューヨーク・ポスト|language=英語|accessdate=2013年3月24日}}</ref><ref name="boxon201303" />。
[[ファイル:Bob Arum 2010.jpg|thumb|left|upright|[[トップランク社]]を主宰するボブ・アラム。]]
アリが[[ベトナム戦争]]についての発言などで抗議を受けるまで、ABCはCCTVの財力に対抗できず、ディレイで放送するのがやっとだったが、抗議はヘビー級タイトルマッチの不文律を変えた。まず、政治的な圧力に弱い何千もの個人経営の劇場を含むCCTVを消極的にさせた。そしてアリはカナダでの防衛戦を強いられたが、20世紀前半にヘビー級の世界戦が国外で行われたことは2度しかなかった。アラムはアリの次の3戦を[[ヨーロッパ]]で開催することを計画した{{Sfn|Gorn|1998|p=47}}。1965年に打ち上げられた[[通信衛星]]アーリーバードはヨーロッパからの衛星放送を比較的容易にしており、ABCはすでに『ワイド・ワールド・オブ・スポーツ』でこれを実践していた{{Sfn|Gorn|1998|p=45}}。アラムのメインバウト社はこの3試合をABCと契約し、アーリーバードを利用して衛星中継した。アーリッジは視聴者層の拡大のために選手の個性や開催地、アリをめぐる論争などを紹介し、ボクシングの試合自体は番組の一部に過ぎなかった{{Sfn|Gorn|1998|p=47}}。また、それまでは解説者が1人しかいなかったが、ロンドンでのヘンリー・クーパー戦では放送席に3人が入り、副解説をハワード・コセルとロッキー・マルシアノが務めた。ABCは30分間の煽り映像を用意していたが、直前の試合が初回KOで終わり、英国の試合役員はアリとクーパーに2分後に入場するように指示した。コセルに懇願されたアリは、手を叩き足を踏み鳴らして今や遅しと待っている観客をよそに入場を18分遅らせて番組を救った{{Sfn|Gorn|1998|p=48}}。ロンドンでもう1試合した後{{Sfn|Gorn|1998|p=49}}、[[フランクフルト]]でのカール・ミルデンバーガー戦では、スポーツで初めて[[カラーテレビ|カラー放送]]による衛星中継が行われた。ヨーロッパでの3試合も高視聴率を博したが、アリの徴兵問題と政治的圧力によって、この後7年間、アリの試合は中継されなかった{{Sfn|Gorn|1998|p=50}}。
 
=== ケーブルテレビの参入 ===
BWAA(全米ボクシング記者協会)メンバーなどを務めるデヴィッド・P・グライスマンによれば、2013年1月現在、ヘビー級の試合はもはや主要なケーブルテレビ局の定番ではなくなっている。しばしば、軽量級は非常に軽視され、外国人の試合は米国のファンには無縁だった<ref name="boxingscene20130114" />(HBOの解説を2012年12月まで35年間務めたラリー・マーチャント<ref name="yahoo201212">{{Cite web|url=http://sports.yahoo.com/blogs/boxing/larry-merchant-ends-35-run-saturday-voice-hbo-215930211--box.html|title=Larry Merchant ends 35-year run Saturday as voice of HBO boxing, conscience of a sport|author=Kevin Iole|date=2012年12月13日|publisher=Yahoo! Sports|language=英語|accessdate=2013年1月5日}}</ref>によれば、それまではテレビ局が興味を持っていなかったというより米国のボクシングファンがそれほど関心を持っていなかったとされている<ref>{{Cite web|author=Mark E. Ortega|url=http://ringtv.craveonline.com/blog/177569|title=Q&A: Larry Merchant|date=2013年3月8日|publisher=RingTV|language=英語|accessdate=2013年3月16日}}</ref>)。しかし市場に参入する軽量級選手・外国人選手の新興勢力は米国と他国の関心の隔たりを埋めている<ref name="boxingscene20130114" />。
==== ペイ・パー・ビューの始まり ====
[[ファイル:Kathy Duva.jpg|thumb|upright|メインイベンツ社を亡夫のダンから引き継いだキャシー・デュバ。]]
1970年代に米国のボクシングは[[ラテンアメリカ]]の勢いに圧されていたが、1975年10月のモハメド・アリ対[[ジョー・フレージャー]]戦では初のPPV([[ペイ・パー・ビュー]])中継が行われた<ref>{{Cite web|url=http://www.mirror.co.uk/sport/boxing/charge-of-the-fight-brigade-pay-per-view-could-1563644|title=Charge of the fight brigade: Pay-per-view could return to Sky, but is it fair?|author=George Ogier|date=2013-1-30|publisher=''Daily Mirror''|language=英語|accessdate=2013-6-20}}</ref>。1980年代の米国では[[シュガー・レイ・レナード]]や[[トーマス・ハーンズ]]、[[マービン・ハグラー]]らに、ラテンアメリカ全盛期の中心的な役割を果たした[[ロベルト・デュラン]]が加わって熱戦を展開。彼らの試合はPPVで放送され、その報酬は高騰し、プロモーターは桁違いの収入を得るようになっていた{{Sfn|『日本プロボクシング史』|2002|p=183}}。ボブ・アラムと[[ドン・キング]]は、1980年6月にモントリオールでのレナード対デュラン戦(初戦)を共催。この試合ではダン・デュバがCCTV契約を担当した。その後、1981年9月に、当時ダン・デュバが主宰していたメインイベンツ社がプロモートしたレナード対ハーンズ戦(初戦)では、アラムがCCTVと国外の放映権契約に携わった。レナードは800万ドル、ハーンズは500万ドルを保証されており、この他に放映権料の歩合などを受け取ることになっていた。フランク・バルセロナは約300の会場でCCTV150万席を扱うサーキット・プロモーションズを設立。[[シーザーズ・パレス]]はテニスコートに25,000席の屋外競技場を仮設した。PPVを担当したダン・デュバはシカゴとロサンゼルスを中心として[[アラスカ州]][[アンカレッジ]]から[[ミシシッピ州]]ナチェズまでの36都市に所在する13社とPPV中継を契約。アリ対フレージャー戦以来、初の本格的なPPV中継が行われた<ref>{{Cite web|title=Boxing's biggest bonanza has unlikely promoters|author=Michael Katz|url=http://www.nytimes.com/1981/09/13/sports/boxing-s-biggest-bonanza-has-unlkiely-promoters.html|publisher=ニューヨーク・タイムズ|date=1981-9-13|pages=1&ndash;2|accessdate=2013-6-29|language=英語}}</ref>。1996年にダン・デュバが病死した後は妻のキャシーがメインイベンツ社のCEO、プロモーターとなった<ref>{{Cite web|title=Kathy Duva: Free enterprise advocate vs. Oscar's "Wal-Mart"|author=Michael Swann|url=http://www.15rounds.com/kathy-duva-free-enterprise-advocate-vs-oscar%E2%80%99s-%E2%80%9Cwal-mart%E2%80%9D/|publisher=15rounds.com|date=2006-9-21|accessdate=2013-6-29|language=英語}}</ref>。
 
1980年代全般から1990年代初頭にかけて、地上波でのボクシング中継は土曜日の午後の定番となった<ref name="ringtv201212" />。しかし1990年代には地上波のボクシング離れが進み、[[マイク・タイソン]]の時代も終焉を迎えていた。主なスポーツメディアの多くがボクシングの報道を大幅に減らし、テレビ関係者はヘビー級よりも軽い階級に関心を移すようになった{{Sfn|Heiskanen|2012|p=83}}。地上波が撤退した後は10年以上もの間、ボクシング中継はスペイン語チャンネルの[[テレムンド]]とテレフトゥーラ(現在の{{仮リンク|ウニマス|en|UniMás}})でしか行われなかった。これらのチャンネルは特に[[アメリカ合衆国南西部|南西部]]や[[アメリカ合衆国西部|西部]]の若手選手が主要なケーブルテレビへ進出するまでの足がかりとなっていた{{Sfn|Heiskanen|2012|p=83}}。
==== ストリーミング中継の始まり ====
2006年頃、テレビ中継される試合以外の情報を得るには、[[ストリーミング]]音声放送を聴いたり、ウェブサイトでラウンドごとの速報を読むしかなかった。しかし、2006年から2012年にかけてインターネットが次第に重要な役割を果たすようになり<ref name="boxingscene20130114" />、大手プロモーターの主導で[[ストリーミング#ライブストリーミング|ストリーミング中継]]も行われるようになった。[[ドン・キング]]は自らのウェブサイト上で中継を開始し、[[オスカー・デ・ラ・ホーヤ]]のゴールデンボーイ・プロモーションズが主催する興行『ファイト・ナイト・クラブ』は、同社が所有する『[[リングマガジン|リング]]』誌のウェブサイトで中継された。[[ボブ・アラム]]のトップランク社はテレビ中継されないアンダーカードを公式ウェブサイトで定期的に中継し、[[ESPN2]]のテレビ中継番組『[[フライデーナイトファイト|フライデー・ナイト・ファイト]]』は毎週ESPN3.comで広範囲に同時中継されている<ref name="boxingscene20130114">{{Cite web|url=http://www.boxingscene.com/?m=show&opt=printable&id=61370|title="Fighting Words" — Boxing Addicts Now More Ably Enabled|author=David P. Greisman|date=2013年1月14日|publisher=BoxingScene.com|language=英語|accessdate=2013年1月14日}}</ref><ref name="espn201006">{{Cite web|url=http://espn.go.com/blog/dan-rafael/post/_/id/169/fight-fans-win-universum-embraces-web|title=Fight fans win as Universum embraces web|author=Dan Rafael|date=2010年6月30日|publisher=[[ESPN]]|language=英語|accessdate=2013年6月1日}}</ref>。また、放送局や王座認定団体も合法的なオンラインチャンネルで試合映像を提供している。WBC([[世界ボクシング評議会]])は映像チャンネルを持っており、GFL (GoFightLive) は、オンラインでPPVを提供している<ref name="boxingscene20130114" /><ref name="espn201006" />。
 
2000年代前半になるとテレビ中継は増加した<ref name="miura2003a">{{Cite web|url=http://www.boxing.jp/column/miura/miura02.htm|title=メキシコとアメリカ-ボクシング界の絶妙な経済バランス|author=三浦勝夫|year=2003|publisher=[[ボクシング・ビート|boxing.jp]]|accessdate=2013-6-17}}</ref>。[[ケーブルテレビ]]局の[[HBO]]や[[ショウタイム (テレビ局)|ショウタイム]]が世界戦を毎日のように中継し、[[FOXスポーツネット]]も『サンデー・ナイト・ファイト』を放送。視聴率も上がっていった{{Sfn|Heiskanen|2012|p=83}}。テレビ中継される試合数は、2002年の197から2003年には212に増加し、魅力不足のヘビー級より軽い階級のエキサイティングな選手たちが視聴者を惹きつけた{{Sfn|Heiskanen|2012|p=84}}。2003年春に、NBCとテレムンドは2か国語放送で『バドワイザー・ボクシング​​シリーズ』を開始。2004年から2005年にかけては2つの[[リアリティ番組]]が開始され、[[フォックス放送|FOX]]とFOXスポーツネットが[[オスカー・デ・ラ・ホーヤ]]の『ザ・ネクスト・グレイト・チャンプ』、NBCがシュガー・レイ・レナードと[[シルベスター・スタローン]]を進行役とした『ザ・コンテンダー』を放送したが、いずれも長くは続かなかった{{Sfn|Heiskanen|2012|p=84}}。
国外の試合についても、[[日本]]の[[ミニマム級]]タイトルマッチや[[オーストラリア]]の[[クルーザー級]]の試合、さらに[[ドイツ]]や英国で行われる興行をアンダーカードからメインイベントまで、合法的に観ることができるようになった(日本のストリーミング中継については、[[KeyHoleTV]]も参照)。中には、放送局やプロモーターの著作権を侵害する違法な行為も横行しているが、ストリーミング中継は国際的なファンに地球の裏側で行われている試合の観戦をも可能にし、2006年の[[マヤル・モンシプール]]対[[ソムサック・シンチャチャワン]]戦や、2011年の[[ポンサワン・ポープラムック]]対[[八重樫東]]戦に広く注意を喚起したのは、そのような国際的な観衆による[[口コミ]]やYouTubeの映像だった<ref name="boxingscene20130114" />。
 
[[ファイル:Arturo Gatti.jpg|thumb|left|2003年6月、[[ミッキー・ウォード]]との3戦目を終えて記者会見に臨む[[アルツロ・ガッティ]]。]]
=== 主なテレビ中継局 ===
メインイベンツ社がプロモートする[[アルツロ・ガッティ]]は激戦で知られ、2002年から2003年にかけての[[ミッキー・ウォード]]との3度の対戦でその評価を不動のものにした<ref name="espn200907" >{{Cite web|url=http://sports.espn.go.com/sports/boxing/news/story?id=4321150|title=Foul play suspected in Gatti's death|date=2009年7月11日|publisher=[[ESPN]]|language=英語|accessdate=2013年6月27日}}</ref><ref group="映像">{{Cite video|date=2010年11月17日|title=HBO Boxing: Fights of the Decade - Ward vs Gatti I (HBO)|url=http://www.youtube.com/watch?v=hYkt9mdE5KQ|medium=アルツロ・ガッティ対ミッキー・ウォード初戦のハイライト|publisher=[[HBO]]公式[[YouTube]]チャンネル|language=英語|accessdate=2012年6月28日}}</ref>。『[[リングマガジン|リング]]』誌の[[リングマガジン ファイト・オブ・ザ・イヤー|年間最高試合]]を4度受賞。[[審判員 (ボクシング)|レフェリー]]のランディ・ニューマンは、ガッティの試合中の回復力は途轍もなく、たとえ劣勢であっても、ただ彼がガッティだというだけで、試合を止めるのは難しかったと後に話している。HBOの中継には21回登場し、HBOスポーツ社長のロス・グリーンバーグ(当時)は、ガッティは伝説的な選手のひとりであり、ウォードとの3試合はボクシング史に生き続けるだろうと語っている<ref name="espn200907" />。
==== NBC ====
[[ファイル:Steve Cunningham.jpg|thumb|upright|スティーブ・カニンガム]]
[[NBC]]は1992年から1993年にかけては年間25試合から30試合を地上波で中継していたが、1990年代中盤から徐々に中継を減らし、1998年から1999年頃までには完全に撤退<ref name="ringtv201212" />。2004年から2005年にかけて『ザ・コンテンダー』などで一時復帰したものの<ref name="ringtv201212" /><ref>{{Cite web|author=Maria Elena Fernandez|url=http://articles.latimes.com/2004/feb/21/business/fi-contender21|title=NBC to Pay $2 Million a Round for Boxing Show From 'Reality' TV Heavyweight|date=2004年2月21日|publisher=ロサンゼルス・タイムズ|language=英語|accessdate=2013年3月21日}}</ref>、その後再び中継を行わなくなった<ref name="ringtv201212" /><ref name="queensberry-rules20121214" />。NBCスポーツの番組責任者ジョン・ミラーは、プロモーターも選手も、競技や選手の発展よりも金銭面を重視したため、良質な若手選手がファン層を構築できなくなり、ボクシングは地上波から消え、ケーブルテレビへ移行していったのだと述べている。視聴率は堅調だったが、NBCが中継していた選手ばかりか関心を持っていた選手までもがケーブルテレビに買収された。安易なマッチメイクによって90分の放送時間をもてあますと中継以外の要素で埋めなければならず、信頼を失ったボクシングは広告主を[[カレッジフットボール]]やカレッジバスケットボールに奪われ、収入を確保することができなくなった。しかし、2012年1月にケーブルチャンネルのNBCスポーツネットワークで中継された『ファイト・ナイト』が互角の選手同士の試合をコンセプトに成功を収め、これが同年12月の[[トマシュ・アダメク]]と[[スティーブ・カニンガム]]の再戦(メインイベンツ社主催)でNBCが地上波でのボクシング中継を再開させる契機となった<ref name="ringtv201212" />。この試合は、『ファイト・ナイト』シリーズとして定期的に試合を放映するというメインイベンツ社との契約の一部として行われた<ref name="espn20121219" /><ref>{{Cite web|url=http://espn.go.com/blog/dan-rafael/post/_/id/2758/remaining-2012-boxing-awards|title=Remaining 2012 boxing awards|author=Dan Rafael|date=2013年1月3日|publisher=ESPN|language=英語|accessdate=2013年1月6日}}</ref>。
 
==== ESPN2の予算削減とスペイン語局の躍進 ====
==== HBO ====
[[ファイル:Lou DiBella 2010.jpg|thumb|upright|ディベラ・エンターテインメントを主宰するルー・ディベラ。]]
[[HBO]]は1980年代後半頃からビッグマッチを中継する、有料ケーブルテレビの最大手であり、ボクシング界に大きな影響力を持つ。王座認定団体と同等以上のボクシングの権威であり、WBC執行部長のマウリシオ・スライマン、WBA([[世界ボクシング協会]])副会長のヒルベルト・メンドサの両者に、HBOやショウタイムの番組に出場できれば一流のボクサーと言わしめ<ref name="beat201111124" />、その発言は選手のマッチメイクや階級変更のタイミングにまで及ぶ<ref>{{Cite web|url=http://www.abs-cbnnews.com/sports/03/13/12/donaire-needs-be-featherweight-soon|title='Donaire needs to be a featherweight soon'|date=2012年3月13日|publisher=ABS-CBN news|language=英語|accessdate=2012年3月22日}}</ref><ref name="emes20120318">{{Cite web|url=http://www.boxingscene.com/?m=show&opt=printable&id=50767|title=DiBella Blows Up at Merchant Over Martinez-Bute, Ward|author=Bill Emes|date=2012年3月18日|publisher=BoxingScene.com|language=英語|accessdate=2012年3月22日}}</ref><ref name="borges20120320">{{Cite web|url=http://www.thesweetscience.com/news/articles/14272-when-did-larry-merchant-get-a-promoters-license|title=When did Larry Merchant get a promoter's license?|author=Ron Borges (''Boston Herald'')|date=2012年3月20日|publisher=The Sweet Science|language=英語|accessdate=2012年3月22日}}</ref>{{#Tag:ref|これらの姿勢については「(元実況のラリー・)マーチャントはいつプロモーターライセンスを取得したのか?」<ref name="borges20120320" />、あるいは「HBOは一部の選手を過保護に扱っている」<ref name="emes20120318" />といった批判もある。|group="*"}}。大きな試合はPPVで販売。60か国にネットワークを持ち、それ以外の国にも番組を販売しており、収益の30パーセントは国外から入って来ている<ref>{{Cite web|url=http://www.economist.com/node/21526314|title=HBO and the future of pay-TV|date=2011年8月20日|publisher=[[エコノミスト]]|language=英語|accessdate=2013年6月1日}}</ref>。
ボクシング中継には一定のファンは定着していたものの<ref name="miura2005">{{Cite web|url=http://www.boxing.jp/cgi/column/miura/column.cgi?mode=view&no=13|title=アメリカはボクシング>K-1|author=三浦勝夫|date=2005-7-19|publisher=boxing.jp|accessdate=2013-6-17}}</ref>、主要競技とされる[[野球]]、[[アメリカンフットボール]]、[[バスケットボール]]、[[ホッケー]]に比べて経営は厳しくなり、2004年1月からはケーブルテレビ局の[[ESPN2]]がそれまでプロモーターに毎回5万ドルから6万ドル払っていた放映権料を削減することを決めた。同局は当時、中堅選手のサバイバルマッチを主軸とし、リングサイドではテディ・アトラスが、スタジオではまだ駆け出しのマックス・ケラーマンが解説を務めていたが、中堅選手同士のサバイバルマッチは大物同士のビッグマッチ以上に実現が難しく、また中堅から世界を目指す過程では危険を冒した戦い方を避けがちであることから、結果的に試合が面白みを欠いたものになる傾向がある。同じ頃、HBOのボクシング番組責任者からプロモーターとして独立したルー・ディベラは、力量差のある退屈な試合や不当判定の頻発が競技人気の後退を招いているとし、選手はテクニックには長けているものの勝利を意識し過ぎてアルツロ・ガッティやミッキー・ウォードのようにスリリングな試合を提供しなくなっており、これもテレビ中継の低迷に繋がっているとしている<ref name="miura2003c" />。
 
[[ファイル:HaroldOscar LedermanDe croppedLa Hoya 2011.jpg|thumb|left|140pxupright|ハロ[[ゴーデンボーイレダプロモショズ]]を主宰する[[オスカー・デ・ラ・ホーヤ]]。]]
またこの時期の米国では白人にも[[アフリカ系アメリカ人]]にも傑出した選手がなく、競技人口は減り、当時の野球同様に[[ヒスパニック|ヒスパニック系]]や[[メキシコ]]をはじめとする[[ラテンアメリカ|中南米]]出身の選手を米国が売り出すという図式が成り立っていた<ref name="miura2003c">{{Cite web|url=http://www.boxing.jp/column/miura/miura25.htm|title=ボクシングに未来はあるのか?|author=三浦勝夫|date=2003年|publisher=boxing.jp|accessdate=2013年1月5日}}</ref>。それまで米国のテレビ局はハイレベルでコストのかからないメキシコの選手を好んで使ったが、メキシコ側からすれば自国での世界戦開催は経済的に困難だったものの、米国に呼ばれて有力選手と対戦することで全体的な底上げが図られ、世界挑戦が決まれば王座を奪取する機会も増大していた<ref name="miura2003a" />。ESPN2の『[[フライデーナイトファイト|フライデー・ナイト・ファイト]]』の裏番組では、ボクシングの浮沈を賭けて数年前からヒスパニック系に狙いを定めていたトップランク社と契約したスペイン語局のテレフトゥーラが中継番組『ソロ・ボクセオ』(オンリー・ボクシング)でラテン系のボクサーを起用して高視聴率を上げ、トップランク社がプロモートしたオスカー・デ・ラ・ホーヤが興した[[ゴールデンボーイプロモーションズ|ゴールデンボーイ・プロモーションズ]]も月に1度、スペイン語チャンネルのHBOラティーノで『ボクセオ・デ・オロ』(ゴールデン・ボクシング)を放送し、急成長を遂げていた<ref name="miura2003c" />。
CompuBox社のシステムを利用したパンチのコンピュータ集計{{#Tag:ref|2012年現在、ショウタイム、NBC、ESPN2、エピックスの他、ボブ・アラムの主宰するトップランク社のPPVや、ルー・ディベラの主宰するディベラ・エンターテインメントの『ブロードウェイ・ボクシング』などでも使われている<ref>{{Cite web|url=http://compuboxonline.com/bio.php|title=CompuBox Online - Bio|publisher=CompuBox社|language=英語|accessdate=2012年2月27日}}</ref>。|group="*"}}、試合当日のウェイトの公開、ハロルド・レダーマンの採点などがHBOの中継番組の個性となっており、出演者が王座認定団体の名を出すことはなく<ref name="beat201111124" />、むしろ世界タイトルが価値を下げる中で、それが懸かっているかどうかには関係なく、強さ、試合の面白さ、将来性の観点から独自の基準で扱うカードを選ぶ<ref>{{Cite web|url=http://www.ninomiyasports.com/sc/modules/bulletin/article.php?storyid=3797|title=下田昭文が開きかけた扉|author=杉浦大介|date=2011年7月15日|publisher=スポーツコミュニケーションズ|accessdate=2012年6月8日}}</ref>。2010年7月、当時HBOスポーツ社長を務めていたロス・グリーンバーグは、米国はヘビー級の有力選手が不足しており、ヘビー級への関心を失っているとして、同級の中継から手を引くと発表した<ref>{{Cite web|url=http://www.telegraph.co.uk/sport/othersports/boxing/7877549/HBO-to-stop-screening-heavyweight-boxing-due-to-lack-of-US-interest.html|title=HBO to stop screening heavyweight boxing due to lack of US interest|author=Gareth A Davies|date=2010年7月7日|publisher=デイリー・テレグラフ|language=英語|accessdate=2013年6月1日}}</ref>。
 
==== ケーブルテレビの覇権争い ====
[[ファイル:Max Kellerman cropped.jpg|thumb|140px|マックス・ケラーマン]]
[[ファイル:Don King.jpg|thumb|upright|ドン・キング・プロダクションを主宰する[[ドン・キング]]。]]
2つの中継番組を持っており、上位番組の『[[ワールドチャンピオンシップボクシング|ワールド・チャンピオンシップ・ボクシング]]』では進行役をジム・ランプリー<ref name="beat201111124" />、実況をマックス・ケラーマン<ref name="yahoo201212" />らが務める。マニー・パッキャオ対アガピト・サンチェス戦(2001年11月)では、[[ローブロー]]や[[頭突き|バッティング]]を執拗に繰り返したサンチェス陣営がリングを去る時、当時の実況ラリー・マーチャントが「君らがHBOで戦うことは二度とない!」と叫び、カットマンのトニー・リベラに「ショウタイムで戦ってやるさ!」と返されている<ref>{{Cite web|url=http://ringtv.craveonline.com/blog/171289-dougies-monday-mailbag|title=Dougie's Monday mailbag |author=Doug Fischer|date=2012年1月30日|publisher=RingTV|language=英語|accessdate=2012年2月25日}}</ref>。また、フロイド・メイウェザー・ジュニア対[[ビクター・オルティス]]戦(2011年9月)ではリング上でマーチャントとメイウェザーが舌戦を繰り広げ、話題となった。もう一方の『[[ボクシングアフターダーク|ボクシング・アフターダーク]]』では、進行役をボブ・パパ、実況をマックス・ケラーマン、[[ロイ・ジョーンズ・ジュニア]]が務め、いずれの番組にも非公式ジャッジとしてハロルド・レダーマンが加わる<ref name="beat201111124" />。
2003年10月には米国で初めて、同じ日に開催される2興行がいずれもPPVで販売された。まずケーブルテレビ局のショウタイムが[[ラスベガス]]から[[イベンダー・ホリフィールド]]対ジェームズ・トニー戦など(44.95ドル=約5,400円)、3時間遅れのスタートでHBOがロサンゼルスから[[エリック・モラレス]]対[[グティ・エスパダス・ジュニア]]戦など(34.95ドル=約4,200円)を中継した<ref>{{Cite web|url=http://www.boxing.jp/news03/news_a/a_0307.htm|title=10月4日、どちらを見る? HBO対ショータイム PPV合戦|date=2003-7-26|publisher=boxing.jp|accessdate=2013-6-17}}</ref>。しかしHBOはこの頃、有力選手の契約数で突出しており<ref name="miura2003c" />、同年12月にはかつてショウタイムと契約していた[[ドン・キング|ドン・キング・プロダクション]]の[[トリプル世界戦#8大タイトルマッチ|8大タイトルマッチ]]もHBOのPPVで中継され、ショウタイムはHBOに水をあけられていった<ref name="miura2003b">{{Cite web|url=http://www.boxing.jp/column/miura/miura22.htm|title=PPV全盛とショータイムの衰退|author=三浦勝夫|year=2003|publisher=boxing.jp|accessdate=2013-6-17}}</ref>。ショウタイムは若手選手の試合を中継する『ショウボックス』も定期的に放送することをやめ、看板選手であったマイク・タイソンの進退も不明確なまま、ボクシング中継から撤退するのではないかとの憶測も囁かれた<ref name="miura2003b" />。
 
NBCによる2005年の『ザ・コンテンダー』を最後に、4大ネットワーク (ABC、CBS、NBC、FOX) による地上波でのボクシング中継が途絶えると<ref name="queensberry-rules20121214">{{Cite web|url=http://www.queensberry-rules.com/2012-articles/december/boxing-back-on-cbs-nbc-this-weekend-and-next-what-it-means-what-you-need-to-know.html|title=Boxing Back On CBS, NBC This Weekend And Next: What It Means, What You Need To Know|author=Tim Starks|date=2012年12月14日|publisher=Queensberry-Rules.com|language=英語|accessdate=2013年1月6日}}</ref>、ケーブルテレビや衛星放送での中継が一般的になった<ref name="beat201111124" />。2009年10月には有料ケーブルテレビチャンネルの{{仮リンク|エピックス (テレビチャンネル)|label=エピックス|en|Epix (TV channel)}}が開設され<ref name="beat201111125" />、ヘビー級に重心を置いてヨーロッパの試合を定期的に放送している<ref name="boxingscene20130114" />。2011年7月には、それまでHBOスポーツ社長を務めていたロス・グリーンバーグが退陣。グリーンバーグはボクシングに年間3,500万ドルの予算を費やしてきたが、ボブ・アラムとの確執から、それまでHBOで中継していた[[マニー・パッキャオ]]の2011年5月の[[シェーン・モズリー]]戦の契約をショウタイムおよびCBSに奪われたことが主因となった<ref name="espn20110720">{{Cite web|url=http://espn.go.com/boxing/story/_/id/6778943/ross-greenburg-resigns-president-hbo-sports|title=Ross Greenburg resigns from HBO|author=Dan Rafael|date=2011年7月20日|publisher=ESPN|language=英語|accessdate=2013年6月1日}}</ref>。同時期、HBOは[[ミゲール・コット]]との契約も失っている<ref name="donovan20131222">{{Cite web|url=http://www.boxingscene.com/?m=show&opt=printable&id=72987|title=Showtime 2013: Reshaping The Game|author=Jake Donovan|date=2013年12月22日|publisher=BoxingScene.com|language=英語|accessdate=2013年12月日}}</ref>。2012年<ref name="espn20110720" />11月には、ケーブルテレビ局の{{仮リンク|ウェルスTV|en|WealthTV}}が英国、カナダなどの試合の他<ref name="blf20130104" />、1960年代以降初の世界[[フライ級]]王座統一戦([[ブライアン・ビロリア]]対[[エルナン・マルケス]]戦)などを中継して躍進を見せた<ref>{{Cite web|url=http://www.boxingscene.com/?m=show&opt=printable&id=60999|title=BScene’s 2012 Year End Awards: Network of The Year|author=Cliff Rold|date=2013年1月1日|publisher=BoxingScene.com|language=英語|accessdate=2013年1月6日}}</ref>。
[[ファイル:Roy Jones, Jr. & Jim Lampley.jpg|thumb|left|180px|ロイ・ジョーンズ・ジュニア(左)とジム・ランプリー]]
ジム・ランプリーは、1974年にABCスポーツに参加したが、本当に担当したかったボクシング解説をABCで最初に務めたのは、1986年2月のジェシー・ファーガソン対マイク・タイソン戦だった。これまでのキャリアで最も記憶に残るイベントはHBOに移った後に[[東京]]からの衛星放送で解説したタイソン対[[ジェームス・ダグラス]]戦だと言い、ボクシングは[[コマーシャルメッセージ]]で中断される[[民間放送]]には向かない競技だとしている<ref name="ringtv201205">{{Cite web|author=Bernard Fernandez|url=http://ringtv.craveonline.com/blog/172793|title=Lampley: From sideline kid to ringside veteran|date=2012年5月9日|publisher=RingTV|language=英語|accessdate=2012年6月23日}}</ref>。また、HBOがアルツロ・ガッティ対ミッキー・ウォード戦(初戦)の10周年を記念して2012年5月に開始したボクシングのニュース・情報番組でも進行役を務め、同局で試合を中継したことのあるボクサーのうち最も面白い試合をする10人を[[パウンド・フォー・パウンド]]とは別の評価軸として「ガッティ・リスト」と名付けて発表したが<ref name="HBO210205">{{Cite web|url=http://www.hbo.com/the-fight-game-with-jim-lampley/talk/news/2012-05-09-jim-lampley-fight-game.html|title=Jim Lampley on 'The Fight Game'|date=2012年5月9日|publisher=[[HBO]]|language=英語|accessdate=2012年6月23日}}</ref><ref name="ringtv201205" /><ref name="thesweetscience201205">{{Cite web|author=Michael Woods|url=http://www.thesweetscience.com/news/articles/14585|title="Fight Game" Recap: Lampley Talks With Arum, Schaefer On Lively Debut|date=2012年5月14日|publisher=The Sweet Science|language=英語|accessdate=2012年6月23日}}</ref>、初回のリストにはクリス・アレオラのように世界王者の経験がない選手や[[マイク・アルバラード]]のように世界戦の経験がない選手(当時)も含まれた。選出基準とされたのは、無敗記録を危険にさらすことも厭わず<ref>{{Cite web|url=http://bleacherreport.com/articles/1194379-jim-lampley-boxings-voice-and-intrepid-knight-introduces-new-boxing-show|title=Jim Lampley: Boxing's Voice and Intrepid Knight Introduces New Boxing Show|date=2012年5月23日|publisher=Bleacher Report|language=英語|accessdate=2012年6月23日}}</ref><ref name="thesweetscience201205" />、打ちつ打たれつの試合展開で勝利を追求するためにファンにとって特別であり、時間や金銭を投じて通常のテレビやPPVや会場で観戦するだけの価値があること<ref name="HBO210205" /><ref name="thesweetscience201205" />、またその戦い方のために観て面白く、自らPPV収入を稼げることであり<ref name="ringtv201205" />、これが同局のボクシング中継のコンセプトともなっている<ref name="HBO210205" />。
 
BWAA(全米ボクシング記者協会)メンバーなどを務めるデビッド・P・グライスマンによれば、2013年1月現在、ヘビー級の試合はもはや主要なケーブルテレビ局の定番ではなくなっている。しばしば、軽量級は非常に軽視され、外国人の試合は米国のファンには無縁だった<ref name="boxingscene20130114" />(HBOの解説を2012年12月まで35年間務めたラリー・マーチャント<ref name="yahoo201212">{{Cite web|url=http://sports.yahoo.com/blogs/boxing/larry-merchant-ends-35-run-saturday-voice-hbo-215930211--box.html|title=Larry Merchant ends 35-year run Saturday as voice of HBO boxing, conscience of a sport|author=Kevin Iole|date=2012年12月13日|publisher=Yahoo Sports|language=英語|accessdate=2013年1月5日}}</ref>によれば、それまではテレビ局が興味を持っていなかったというより米国のボクシングファンがそれほど関心を持っていなかったとされている<ref>{{Cite web|author=Mark E. Ortega|url=http://ringtv.craveonline.com/blog/177569|title=Q&A: Larry Merchant|date=2013年3月8日|publisher=RingTV.com|language=英語|accessdate=2013年3月16日}}</ref>)。しかし市場に参入する軽量級選手・外国人選手の新興勢力は米国と他国の関心の隔たりを埋めている<ref name="boxingscene20130114" />。
==== ショウタイム ====
[[ファイル:Jim Gray (sportscaster).jpg|thumb|140px|ジム・グレイ]]
[[ショウタイム (テレビ局)|ショウタイム]]はHBOと同様に、2つの中継番組を持つ。上位番組の『[[チャンピオンシップ・ボクシング]]』では進行役をブライアン・ケニー、実況をジム・グレイ、主解説をマウロ・レナロ、副解説をアル・バーンスタインが務める<ref>{{Cite web|url=http://www.thesweetscience.com/news/articles/15429-austin-trout-joe-cortez-to-work-showtime-card|title=Austin Trout, Joe Cortez To Work Showtime Card|date=2012年10月18日|publisher=The Sweet Science|language=英語|accessdate=2013年3月16日}}</ref>。もう一方の『ショウボックス:ザ・ニュージェネレーション』も進行役・実況各1名で構成。『チャンピオンシップ・ボクシング』には女性リポーターが加わり、[[アントニオ・ターバー]]が副解説を務めたこともある<ref name="beat201111125">{{Harvnb|『ボクシング・ビート』|2011年11月号|p=125}}</ref>。
 
ケーブルテレビを受信する世帯は1960年には7パーセントしかなかったが、1990年には56パーセントに増加。66パーセントが[[ビデオテープレコーダ|ビデオデッキ]]を持っていた。2006年には視聴者の89パーセントはリアルタイムで観ており、DVR([[ハードディスク・レコーダー|デジタルビデオレコーダー]])を使用した視聴者は1.6パーセントだけだった。しかし2012年になると、テレビのある世帯ではDVRの他にも[[ゲーム機]]、[[DVDレコーダー]]などのデバイスが接続されており、リアルタイムで視聴する者は85パーセントに減少し、DVRを使用したタイムシフト視聴者が8パーセントに増加した<ref>{{Cite web|title=DVR Usage Increasing Among Television Viewers|author=Zach Walton|url=http://www.webpronews.com/dvr-usage-increasing-among-television-viewers-2012-02|publisher=WebProNews|date=2012-2-29|accessdate=2013-6-26|language=英語}}</ref>。2009年からニールセンは、DVRによるタイムシフト視聴者も含めた数値を発表しているが<ref name="maxboxing2012" />、2012年初めにはテレビを持つ世帯の43パーセントにDVRが普及。 DVRの世帯普及率の伸びは減速し始めたものの、[[ビデオ・オン・デマンド]]やストリーミングなどを使ったタイムシフト視聴者の増加は加速しており、番組の総合的な人気を評価することは非常に困難になっている<ref name="nytimes201203" />。
[[ファイル:Teddy Atlas.jpg|thumb|left|140px|テディ・アトラス]]
過去にはマイク・タイソン、[[フリオ・セサール・チャベス]]らの試合を手がけ、1990年代はドン・キング・プロダクションのお抱え放送局的な存在であった。2009年からは、[[スーパーミドル級]]の6名の有力選手による『[[Super Six World Boxing Classic|スーパー・シックス ワールド・ボクシング・クラシック]]』や、バンタム級の4名の有力選手による同級トーナメントを主催した<ref name="beat201111125" />。しかしこの頃、ボクシング中継の予算減少は主要なケーブルテレビ局の懸案事項となっていた。その中でショウタイムは2012年に経費を拡大し、3試合、4試合をメインに据えることも始め、アンダーカードや国内で中継されなかった他国のカードはショウタイム・エクストリーム (Showtime Extreme, SHO Extreme) チャンネルで放送している<ref name="boxingscene20130114" /><ref>{{Cite web|url=http://boxingnewsboxon.blogspot.jp/2013/05/blog-post_3180.html|title=亀海×ペレス戦をショータイムが放映|date=2013年5月25日|publisher=ボクシングニュース「Box-on!」|accessdate=2013年6月14日}}</ref>。
 
=== ストリーミング中継の始まり ===
==== ESPN2 ====
[[ファイル:Fight Night Club at Club Nokia.jpg|thumb|left|280px|ゴールデンボーイ・プロモーションズの主催興行『ファイト・ナイト・クラブ』で実況を担当する[[リングマガジン|RingTV.com]]の編集者ダグラス・フィッシャー(中央)。広告主は[[バドワイザー]]、[[マクドナルド]]など。]]
[[ESPN2]]の『[[フライデーナイトファイト|フライデー・ナイト・ファイト]]』は、かつての進行役ボブ・パパ、実況マックス・ケラーマンから、進行役ジョー・テシトーレ、実況テディ・アトラスに交代。アトラスの辛口なコメントと公平な採点で独自色を出している。他競技を中継する関係で、通年のボクシング中継はない<ref name="beat201111125" />。この他、スペイン語局で定期的にボクシングを放送している<ref name="boxingscene20130114" />。
2006年頃、テレビ中継される試合以外の情報を得るには、[[ストリーミング]]音声放送を聴いたり、ウェブサイトでラウンドごとの速報を読むしかなかった。しかし、2006年から2012年にかけてインターネットが次第に重要な役割を果たすようになり<ref name="boxingscene20130114" />、大手プロモーターの主導で[[ストリーミング#ライブストリーミング|ストリーミング中継]]も行われるようになった。[[ドン・キング]]は自らのウェブサイト上で中継を開始し<ref name="espn201006">{{Cite web|url=http://espn.go.com/blog/dan-rafael/post/_/id/169/fight-fans-win-universum-embraces-web|title=Fight fans win as Universum embraces web|author=Dan Rafael|date=2010年6月30日|publisher=ESPN|language=英語|accessdate=2013年6月1日}}</ref>、[[ロサンゼルス]]の[[L.A.ライブ#ノキアシアター・クラブノキア|クラブノキア]]で行われるゴールデンボーイ・プロモーションズの主催興行『ファイト・ナイト・クラブ』はFSN([[FOXスポーツネット]])などで中継される他<ref>{{Cite web|url=http://www.goldenboypromotions.com/news/southern-california-s-finest-square-off-on-the-return-of-fight-night-club-on-february-24/|title=Southern California's finest square off on the return of "Fight Night Club" on February 24|date=2011年2月11日|publisher=[[ゴールデンボーイ・プロモーションズ]]|accessdate=2013年12月28日}}</ref>、同社が所有する『リング』誌のウェブサイトRingTV.comで中継された。ボブ・アラムのトップランク社はテレビ中継されないアンダーカードを公式ウェブサイトで定期的に中継し、[[ESPN2]]のテレビ中継番組『[[フライデーナイトファイト|フライデー・ナイト・ファイト]]』は毎週ESPN3で広範囲に同時中継されている<ref name="boxingscene20130114">{{Cite web|url=http://www.boxingscene.com/?m=show&opt=printable&id=61370|title="Fighting Words" — Boxing Addicts Now More Ably Enabled|author=David P. Greisman|date=2013年1月14日|publisher=BoxingScene.com|language=英語|accessdate=2013年1月14日}}</ref><ref name="espn201006" />。また、放送局の他に王座認定団体などが合法的なオンラインチャンネルで試合映像を提供している。WBC([[世界ボクシング評議会]])は映像チャンネルを持っており、GFL (GoFightLive) は、オンラインでPPVを提供している<ref name="boxingscene20130114" /><ref name="espn201006" />。
 
国外の試合についても、[[日本]]の[[ミニマム級]]タイトルマッチや[[オーストラリア]]の[[クルーザー級]]の試合、さらに[[ドイツ]]や英国で行われる興行をアンダーカードからメインイベントまで、合法的に観ることができるようになった(日本のストリーミング中継については、[[KeyHoleTV]]も参照)。中には、放送局やプロモーターの著作権を侵害する違法な行為も横行しているが、ストリーミング中継は国際的なファンに地球の裏側で行われている試合の観戦をも可能にし、2006年の[[マヤル・モンシプール]]対[[ソムサック・シンチャチャワン]]戦や、2011年の[[ポンサワン・ポープラムック]]対[[八重樫東]]戦に広く注意を喚起したのは、そのような国際的な観衆による[[口コミ]]や[[YouTube]]の映像だった<ref name="boxingscene20130114" />。
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{Reflist|group=*}}
 
=== 地上波の復活 ===
2012年12月15日にCBSが『ショウタイム・ボクシング・オン・CBS』として[[レオ・サンタ・クルス]]対アルベルト・ゲバラ戦(ゴールデンボーイ・プロモーションズ主催)を地上波で中継<ref name="ringtv201212" />。この試合は同年のボクシング中継で最高視聴率を記録するが<ref name="donovan20131222" />、同局でのボクシング中継は1997年に行われた[[バーナード・ホプキンス]]対[[グレンコフ・ジョンソン]]戦以来であった<ref>{{Cite web|url=http://www.nypost.com/p/sports/boxing/historic_twist_to_boxing_day_VAm5vARBG43Mux87Zm9GDN|title=Historic twist to boxing day|author=George Willis|date=2012年12月15日|publisher=[[ニューヨーク・ポスト]]|language=英語|accessdate=2013年1月6日}}</ref><ref name="espn20121219">{{Cite web|url=http://espn.go.com/boxing/story/_/id/8761607/return-network-tv-hit-boxing|title=Return to network TV a hit for boxing|author=Dan Rafael|date=2012年12月19日|publisher=ESPN|language=英語|accessdate=2013年1月6日}}</ref>。この背景では、ケン・ハーシュマンのHBOスポーツ社長就任に伴い、その後任として[[CBSコーポレーション]]傘下のショウタイムスポーツの副社長およびゼネラルマネージャーにゴールデンボーイ・プロモーションズの顧問弁護士を務めていたスティーブン・エスピノサが就き<ref name="espn20111114">{{Cite web|url=http://espn.go.com/boxing/story/_/id/7235772/stephen-espinoza-hired-new-head-showtime-sports|title=Stephen Espinoza hired by Showtimes|author=Dan Rafael|date=2011年11月14日|publisher=ESPN|language=英語|accessdate=2013年1月6日}}</ref><ref name="blf20130104">{{Cite web|url=http://www.badlefthook.com/2013/1/4/3835752/2012-boxing-awards-showtime-beats-hbo-tv-network-year|title=2012 Boxing Awards: Showtime beats HBO for TV Network of the Year|date=2013年1月4日|publisher=Bad Left Hook|language=英語|accessdate=2013年1月6日}}</ref><ref name="boxon201303">{{Cite web|url=http://boxingnewsboxon.blogspot.jp/2013/03/blog-post_4511.html|title=HBOがGBPに絶縁状|date=2013年3月20日|publisher=[[ボクシング・ビート|ボクシングニュース「Box-on!」]]|accessdate=2013年3月24日}}</ref>、CBSとの取り決めを陣頭指揮していた<ref name="espn20121219" /><ref name="latimes201303">{{Cite web|url=http://www.latimes.com/sports/sportsnow/la-sp-sn-boxing-hbo-golden-boy-20130320,0,4496688.story|title=HBO drops involvement with Golden Boy fighters|author=Lance Pugmire|date=2013年3月20日|publisher=[[ロサンゼルス・タイムズ]]|language=英語|accessdate=2013年3月24日}}</ref>。また、7日後の2012年12月22日にはNBCが地上波中継を再開<ref name="ringtv201212" />。CBS、NBCでの地上波復帰は、いずれも20年以上ボクシングを扱っていなかった土曜日の午後4時から6時([[東部標準時]])の放送枠で行われたが、プライムタイムでの中継は資金面でいまだ厳しい状況にある<ref name="ringtv201212" />。
 
=== HBOとショウタイムの競合 ===
{{Anchor|2012年9月15日、HBOは}}[[トーマス&マック・センター]]から[[セルヒオ・マルチネス]]対[[フリオ・セサール・チャベス・ジュニア]]戦をPPV中継し、販売数は475,000件だった<ref>{{Cite web|title=Sergio Martinez-Julio Cesar Chavez Jr. fight does 475,000 pay-per-view buys|author=Chris Mannix|url=http://mma-boxing.si.com/2012/09/21/sergio-martinez-julio-cesar-chavez-jr-fight-does-475000-pay-per-view-buys/|publisher=SI.com|date=2012-9-21|accessdate=2013-6-26|language=英語}}</ref>。同日の同時間帯、ショウタイムは[[MGMグランド・ガーデンアリーナ]]から[[サウル・アルバレス]]対ホセシト・ロペス戦を『チャンピオンシップ・ボクシング』で中継し<ref name="ringtv201209">{{Cite web|title=Alvarez-Lopez scores record ratings for Showtime|author=Lem Satterfield|url=http://ringtv.craveonline.com/blog/174879-alvarez-lopez-scores-record-ratings-for-showtime|publisher=RingTV.com|date=2012-9-18|accessdate=2013-6-26|language=英語}}</ref>、1,036,000人が視聴した<ref>{{Cite web|title=Gate numbers, TV ratings for Canelo Alvarez confirm big boxing weekend|author=Kevin Iole|url=http://sports.yahoo.com/blogs/boxing/gate-numbers-tv-ratings-canelo-alvarez-confirm-big-164518979--box.html|publisher=Yahoo Sports|date=2012-9-18|accessdate=2013-6-26|language=英語}}</ref>。このアルバレス対ロペス戦はショウタイムのボクシング中継において、2010年12月の[[ジャン・パスカル]]対バーナード・ホプキンス戦を超える最高視聴率、2011年2月の[[ミゲル・アコスタ]]対[[ブランドン・リオス]]戦を超える過去最高のヒスパニック系視聴率、また、2007年以降2位の平均視聴率を記録した<ref name="ringtv201209" />。同日に同じラスベガスの数ブロックしか離れていない距離で興行をぶつけられたことに対してボブ・アラムは、47年間ボクシングに携わってきた中で、前社長のロス・グリーンバーグも含めて、テレビ局の幹部からこんな扱いを受けたことはないと話している<ref>{{Cite web|title=Is It No-Time for Top Rank?|author=Steve Kim|url=http://www.maxboxing.com/news/max-boxing-news/is-it-no-time-for-top-rank|publisher=MaxBoxing.com|year=2012|accessdate=2013-6-26|language=英語}}</ref>。
 
==== 両局役員の異動 ====
[[ファイル:Guillermo Rigondeaux after the win vs. Rico Ramos 20JAN2012 Las Vegas - Palms Casino.jpg|thumb|2012年1月、[[ラスベガス]]の[[パームス]]で[[リコ・ラモス]]に勝利した[[ギレルモ・リゴンドウ]]を映す[[ショウタイム (テレビ局)|ショウタイム]]『ショウボックス』のカメラ。]]
2013年に入るとHBOとショウタイムはかつてなく競合<ref name="boxingscene20130114" />。上述の通りケン・ハーシュマンがHBOスポーツ社長に就任し、スティーブン・エスピノサがショウタイムスポーツ副社長に就任した2011年末頃から、ゴールデンボーイ・プロモーションズと契約する選手たちの注目試合は、それまでHBOが扱っていた選手の試合も含めてショウタイムへ流出することが多くなっていた<ref name="si201303">{{Cite web|url=http://sportsillustrated.cnn.com/mma/news/20130318/hbo-drops-golden-boy-promotions-showtime-to-take-over/|title=HBO's drop of Golden Boy Promotions signals dramatic shift in industry|author=Chris Mannix|date=2013年3月18日|publisher=[[スポーツ・イラストレイテッド|SI.com]]|language=英語|accessdate=2013年3月24日}}</ref>。この社長交代の前後、2011年の1月から7月までHBOでは13回のボクシング中継が行われたが、2012年の同時期には9回に減り、視聴率に大きな変化はなかった。この9回の中継のうち、5回がゴールデンボーイ・プロモーションズとの契約で行われ、そのうちの4回に[[マネージャー#プロボクシングのマネージャー|代理人]]のアル・ヘイモンが関わっていた。他の4回は、トップランク社との契約が3回、セルヒオ・マルチネスを擁するディベラ・エンターテインメントとの契約が1回となっている。またショウタイムの『[[チャンピオンシップ・ボクシング]]』では、6回の中継のうち4回がゴールデンボーイ・プロモーションズ主催、『ショウボックス』も加えれば、ショウタイムで中継された16興行の半数がゴールデンボーイ・プロモーションズ主催興行だった。トップランク社の2012年上期のショウタイムとの契約が2回のみであったのに対し、アル・ヘイモンは非常に忙しく、ゴールデンボーイ・プロモーションズ主催興行の他に<ref name="maxboxing2012">{{Cite web|title=HBO's First Half Posts Similar Ratings from Greenburg|author=Matthew Paras|url=http://www.maxboxing.com/news/max-boxing-news/hbos-first-half-posts-similar-ratings-from-greenburg-era|publisher=MaxBoxing.com|year=2012|accessdate=2013-6-26|language=英語}}</ref>、[[石田順裕]](後にゴールデンボーイ・プロモーションズと契約<ref>{{Cite web|title=石田順裕の新たな挑戦-GBPと契約|author=[[原功 (ボクシング)|原功]]|url=http://www5.nikkansports.com/battle/column/hara/archives/25553.html|publisher=[[日刊スポーツ]]|date=2012-3-7|accessdate=2013-6-26}}</ref>)対[[ポール・ウィリアムス (ボクサー)|ポール・ウィリアムス]]戦や[[リコ・ラモス]]対[[ギレルモ・リゴンドウ]]戦に携わり、全16回の中継のうち10回に関わっていた<ref name="maxboxing2012">{{Cite web|title=HBO's First Half Posts Similar Ratings from Greenburg|author=Matthew Paras|url=http://www.maxboxing.com/news/max-boxing-news/hbos-first-half-posts-similar-ratings-from-greenburg-era|publisher=MaxBoxing.com|year=2012|accessdate=2013-6-26|language=英語}}</ref>。
 
==== フロイド・メイウェザー・ジュニアの契約更改 ====
[[ファイル:Floyd Mayweather, Jr. June 2011.jpg|thumb|left|upright|2013年2月、放映権契約をHBOからショウタイムに移した[[フロイド・メイウェザー・ジュニア]]。]]
2013年2月には、2012年から2013年にかけて発表された『[[スポーツ・イラストレイテッド]]』誌の米国スポーツ選手長者番付で2年連続1位となった[[フロイド・メイウェザー・ジュニア]]<ref name="afpbb201305">{{Cite web|url=http://www.afpbb.com/article/sports/sports-others/sports-others-others/2944274/10748902?ctm_campaign=txt_topics|title=米スポーツ選手長者番付、2年連続でメイウェザーが1位に|date=2013年05月16日|publisher=[[フランス通信社|AFPBB News]]|accessdate=2013年6月4日}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://sportsillustrated.cnn.com/specials/fortunate50-2012/|title=The 50 highest-earning American athletes - 2012 Fortunate 50|author=Michael McKnight|date=2012-5|publisher=SI.com|language=英語|accessdate=2013-6-17}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://sportsillustrated.cnn.com/specials/fortunate50-2013/|title=The 50 highest-earning American athletes - 2013 Fortunate 50|author=Daniel Roberts|date=2013-5|publisher=SI.com|language=英語|accessdate=2013-6-17}}</ref>もHBOからショウタイムへ移り、ショウタイムはHBOを脅かす存在となった<ref name="si201303" />。HBOによればメイウェザーは過去9戦でPPV960万件を売り上げ、同局に5億4,300万ドルの収益をもたらしたと経済誌『[[フォーブス (雑誌)|フォーブス]]』は報じている<ref>{{Cite web|url=http://www.forbes.com/sites/kurtbadenhausen/2013/04/27/floyd-mayweather-hits-primetime-with-cbs-special/|title=Floyd Mayweather Hits Primetime With CBS Special|author=Kurt Badenhausen|date=2013年4月27日|publisher=[[フォーブス (雑誌)|フォーブス]]|language=英語|accessdate=2013年6月21日}}</ref>。2007年のオスカー・デ・ラ・ホーヤ戦ではPPV販売数250万件を記録し<ref>{{Cite web|url=http://www.forbes.com/sites/kurtbadenhausen/2013/09/19/floyd-mayweather-will-earn-more-than-80-million-for-record-breaking-fight/|title=Floyd Mayweather Will Earn More Than $80 Million For Record Breaking Fight|author=Kurt Badenhausen|date=2013年9月27日|publisher=フォーブス|language=英語|accessdate=2013年12月22日}}</ref>、1997年のマイク・タイソン対イベンダー・ホリフィールド戦(再戦)の199万件の記録を更新。その後も安定した販売件数を維持していた<ref name="sugiura201305">{{Cite web|url=http://www.nikkei.com/news/print-article/?R_FLG=0&bf=0&ng=DGXZZO54716790X00C13A5000000&uah=DF251020129587|title=ボクシング現役最強王者は長者番付でも断トツ|author=杉浦大介|date=2013-5-10|publisher=[[日本経済新聞]]|accessdate=2013-6-17}}</ref>。HBOはメイウェザーが契約を更改した翌月からはゴールデンボーイ・プロモーションズの主催する興行の中継に関与しないことを決めた<ref name="latimes201303" /><ref name="si201303" /><ref>{{Cite web|url=http://www.nypost.com/p/sports/boxing/hbo_cuts_ties_with_golden_boy_mzkFO6O8087PpwZqbmwzmJ|title=HBO cuts ties with De La Hoya's Golden Boy Promotions|author=George Willis|date=2013年3月19日|publisher=ニューヨーク・ポスト|language=英語|accessdate=2013年3月24日}}</ref><ref name="boxon201303" />。
 
この後、2012年にHBOでそれぞれ視聴件数2位と4位の試合をしたバーナード・ホプキンス、[[エイドリアン・ブローナー]]の両選手も、HBOを離れてショウタイムと契約した<ref name="iole20131206">{{Cite web|url=http://sports.yahoo.com/news/despite-split-with-golden-boy--hbo-continued-to-dominate-cable-ratings-in-banner-boxing-year-204009683.html|title=Despite split with Golden Boy, HBO still dominates cable ratings in big boxing year|author=Kevin Iole|date=2013年12月6日|publisher=Yahoo Sports|language=英語|accessdate=2013年12月21日}}</ref>。代理人のアル・ヘイモンもHBOからショウタイムへシフト。ヘイモンはHBOでは自分の契約選手が一方的に勝てる試合ばかりをまとめ、このため[[アンドレ・ベルト]]はHBOで格下選手ばかりを相手に大金を稼いだと言われている。しかしヘイモンはゴールデンボーイ・プロモーションズとともにショウタイムに重心を移すと、スティーブン・エスピノサの方針の下で概ね拮抗した試合を手掛けるようになった。エイドリアン・ブローナー対[[マルコス・マイダナ]]戦を中継した12月7日には、登場した8選手のうち7人までがヘイモンと契約していたが、いずれも魅力のある対戦カードが提供された<ref name="iole20131209">{{Cite web|url=http://sports.yahoo.com/news/showtime-executive-stephen-espinoza-helped-network-become-destination-for-must-see-fights-185556605.html|title=Showtime executive Stephen Espinoza helped network become home for big fights|author=Kevin Iole|date=2013年12月9日|publisher=Yahoo Sports|language=英語|accessdate=2013年12月21日}}</ref>。
 
{{Multiple image
| align = right
| footer = テカテ、[[コロナビール|コロナ]]などの企業が広告主としてボクシング中継を支えている。左は2011年6月、[[ビクター・オルティス]]戦に向けた記者会見でのテカテの[[キャンペーンガール]]とフロイド・メイウェザー・ジュニア。中央は2010年11月20日、[[ボードウォーク・ホール]]で行われた興行で[[ラウンドガール]]を務めるコロナガール。右は2011年4月の『ファイト・ナイト・クラブ』でのバドワイザーガール。
| image1 = Floyd Mayweather, Jr. with Tecate Girl.jpg
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| image2 = Ring card girl.jpg
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| image3 = Budweiser Girls.jpg
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}}
 
2013年現在、HBOの主なプロモーターであるトップランク社は、メキシコの{{仮リンク|テレビアステカ|en|TV Azteca}}、[[フィリピン]]の[[ABS-CBN]]と契約しており、主な広告主は[[ビール#メキシコ|テカテ]]である。一方、ショウタイムの主なプロモーターであるゴールデンボーイ・プロモーションズはメキシコの[[テレビサ]]、フィリピンの{{仮リンク|ソーラースポーツ|en|Solar Sports}}と契約しており、主な広告主は[[コロナビール|コロナ]]となっている<ref>{{Cite web|url=http://ringtv.craveonline.com/blog/176149|title=Massive media round table with Schaefer|author=Lem Satterfield|date=2012年11月28日|publisher=RingTV.com|language=英語|accessdate=2013年12月26日}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://sports.yahoo.com/news/boxing--promoter-blues--top-rank-s-feud-with-golden-boy-continues-to-hurt-the-fight-game-202329848.html|title=Promotion blues: Top Rank's feud with Golden Boy continues to hurt the fight game|author=Kevin Iole|date=2013年2月8日|publisher=Yahoo Sports|language=英語|accessdate=2013年12月26日}}</ref>。
 
==== 波及効果 ====
[[ファイル:Free Main Header photo of Saul Canelo Alvarez.jpg|thumb|left|[[サウル・アルバレス]]が2013年9月にフロイド・メイウェザー・ジュニアと行った試合はボクシング史上最大の収益を上げた。]]
HBOが14年間続いたフロイド・メイウェザー・ジュニアとの契約をショウタイムに奪われたことはボクシングやスポーツの枠を超えた両局の力関係に影響し、業界全体を揺るがした<ref name="forbes201312" />。メイウェザーはショウタイムとの6試合の契約で1試合につき最低3,200万ドル(約32億7,000万円)の報酬を保証され<ref name="afpbb201305" />、その初戦となった2013年5月の[[ロバート・ゲレーロ]]戦では最高額1,500ドルのチケットが完売。観衆は1万5,880人で<ref name="sugiura201305" />、PPVおよそ100万件を売り上げた<ref name="forbes201312">{{Cite web|url=http://www.forbes.com/sites/kurtbadenhausen/2013/12/13/floyd-mayweather-sparks-blockbuster-year-for-showtime/|title=Floyd Mayweather Sparks Blockbuster Year For Showtime|author=Kurt Badenhausen|date=2013年月日|publisher=フォーブス|language=英語|accessdate=2013年12月21日}}</ref>。9月に行われた2戦目のサウル・アルバレス戦では最高額2,000ドルのチケットが2日で完売となった<ref>{{Cite web|url=http://boxingnewsboxon.blogspot.jp/2013/06/blog-post_5058.html|title=メイウェザー×カネロ チケット完売|date=2013年6月27日|publisher=ボクシングニュース「Box-on!」|accessdate=2013年6月28日}}</ref>。メイウェザーは最低報酬の他にこれらの入場料収入と1件あたり60ドルから70ドルのPPV収入の歩合などを受け取る<ref name="sugiura201305" />。アルバレス戦のPPV販売数は220万件を記録して総収入は2億ドル近くに上り、この試合はボクシング史上最大の収益を上げた<ref name="forbes201312" />。この年、HBOは[[ティモシー・ブラッドリー]]対[[ファン・マヌエル・マルケス]]戦とマニー・パッキャオ対ブランドン・リオス戦を提供したが<ref name="iole20131206" />、販売数は合計で85万件だった<ref name="forbes201312" />。ただし、ケーブルテレビで生中継された試合の平均視聴件数ランキングでは依然としてHBOが他局を圧倒し、上位20位までの19試合(25位までの21試合)を占めている<ref name="iole20131206" />。
 
2005年にはHBOの加入者数はショウタイムの倍だった<ref name="forbes201312" />。しかしメイウェザーのアルバレス戦は試合までの数週間にわたって大注目され<ref group="映像">{{Cite video|date=2013年9月25日|title=All Access: Mayweather vs. Canelo: Epilogue - Full Episode 5 - SHOWTIME Boxing|url=http://www.youtube.com/watch?v=FLSDe2Kizf4|medium=フロイド・メイウェザー・ジュニアとサウル・アルバレスの対戦までを追ったドキュメンタリー〈試合映像を含む〉|publisher=[[ショウタイム (テレビ局)|ショウタイム]]公式YouTubeチャンネル|language=英語|accessdate=2013年12月22日}}</ref>、複数のPPV事業者の報告によれば、ゲレーロ戦でも過去数年間PPVを購入していなかった新規の視聴者層を獲得していた。SNLケーガンの調査によれば、2013年にHBOとショウタイムには第3四半期までに50万人の新規加入者があったが、ショウタイムは2005年から加入者を900万人増やし、2013年12月現在の加入者数はHBOが2,920万人、ショウタイムが2,280万人となっている<ref name="forbes201312" />。ゴールデンボーイ・プロモーションズのトップボクサーの試合が独占的に中継できるようになったことでショウタイムの番組はより充実した。HBOは失った選手の代わりとなるボクサーを開拓しなければならなくなり、[[アドニス・スティーブンソン]]、[[セルゲイ・コワレフ]]、[[ゲンナジー・ゴロフキン]]と契約したが、これが大当たりとなり<ref name="iole20131206" /><ref>{{Cite web|url=http://boxingnews.jp/news/8856/|title=ライトヘビー級ダブルタイトルは130万世帯が視聴|date=2013年12月5日|publisher=[[ボクシング・ビート|Boxing News]]|accessdate=2013年12月21日}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://boxingnews.jp/news/7055/|title=ラウンドアップ(海外版)|date=2013年10月12日|publisher=Boxing News|accessdate=2013年12月21日}}</ref>、2013年は米国のボクシング中継にとって局を超えた2000年代最高の当たり年となった。ボクシングファンは長年、トップボクサー同士の拮抗した、アクションに満ちた試合を渇望してきたが、この年はプロモーターとプレミアムケーブルテレビ局がファンが最も観たがる試合を毎週提供した<ref name="iole20131206" />。
 
== 主なテレビ中継局 ==
今日では[[テレビジョン放送局|テレビ局]]が事実上プロモーターやマッチメイカーの役割を果たすようになっており、そのために対戦はしばしばランキングや競技の価値よりも[[視聴率]]やPPV([[ペイ・パー・ビュー]])売上の期待値に基づいて決められる{{Sfn|Heiskanen|2012|p=83}}。
 
=== NBC ===
[[ファイル:Freddie Roach 2010.jpg|thumb|left|upright|『ファイト・ナイト』で解説を務める[[フレディー・ローチ]]。]]
[[NBC]]は1992年から1993年にかけては年間25試合から30試合を地上波で中継していたが、1990年代中盤から徐々に中継を減らし、1998年から1999年頃までには完全に撤退<ref name="ringtv201212" />。2004年から2005年にかけて『ザ・コンテンダー』などで一時復帰したものの<ref name="ringtv201212" /><ref>{{Cite web|author=Maria Elena Fernandez|url=http://articles.latimes.com/2004/feb/21/business/fi-contender21|title=NBC to Pay $2 Million a Round for Boxing Show From 'Reality' TV Heavyweight|date=2004年2月21日|publisher=ロサンゼルス・タイムズ|language=英語|accessdate=2013年3月21日}}</ref>、その後再び中継を行わなくなった<ref name="ringtv201212" /><ref name="queensberry-rules20121214" />。NBCスポーツの番組責任者ジョン・ミラーは、プロモーターも選手も、競技や選手の発展よりも金銭面を重視したため、良質な若手選手がファン層を構築できなくなり、ボクシングは地上波から消え、ケーブルテレビへ移行していったのだと述べている。視聴率は堅調だったが、NBCが中継していた選手ばかりか関心を持っていた選手までもがケーブルテレビに引き抜かれていった。安易なマッチメイクによって90分の放送時間をもてあますと中継以外の要素で埋めなければならず、信頼を失ったボクシングは広告主をカレッジフットボールやカレッジバスケットボールに奪われ、収入を確保することができなくなった。しかし、2012年1月にケーブルチャンネルのNBCスポーツネットワークで中継された『ファイト・ナイト』が互角の選手同士の試合をコンセプトに成功を収め、これが同年12月の[[トマシュ・アダメク]]と[[スティーブ・カニンガム]]の再戦(メインイベンツ社主催)でNBCが地上波でのボクシング中継を再開させる契機となった<ref name="ringtv201212" />。この試合は、『ファイト・ナイト』シリーズとして定期的に試合を放映するというメインイベンツ社との契約の一部として行われた<ref name="espn20121219" /><ref>{{Cite web|url=http://espn.go.com/blog/dan-rafael/post/_/id/2758/remaining-2012-boxing-awards|title=Remaining 2012 boxing awards|author=Dan Rafael|date=2013年1月3日|publisher=ESPN|language=英語|accessdate=2013年1月6日}}</ref>。『ファイト・ナイト』では、進行役をケニー・ライス、解説を[[フレディー・ローチ]]と現役ボクサーのB・J・フローレスが務め、実況をクリス・マニックスが担当している<ref>{{Cite web|url=http://nbcsportsgrouppressbox.com/2013/06/13/five-hours-of-live-fighting-friday-on-nbc-sports-network/|title=Five hours of live fighting Friday on NBC Sports Network|date=2013年6月13日|publisher=[[NBC|NBC Sports Group]]|language=英語|accessdate=2013年12月26日}}</ref>。
 
2013年には[[NBCユニバーサル]]グループのスペイン語局[[テレムンド]]が月に1度のボクシング中継を止め、代わりに2、6、9月の後半から翌月前半にかけて年に3度、4週連続で中継する期間を設けている<ref>{{Cite web|url=http://www.boxingscene.com/?m=show&opt=printable&id=73137|author=Jake Donovan|title=BoxingScene Awards: 2013 Network of the Year|date=2013年12月28日|publisherBoxingScene.com|language=英語|accessdate=2013年12月28日}}</ref>。
 
=== HBO ===
==== リーダーシップと傾向 ====
[[HBO]]は1973年の中継開始からの10年間は、年に4試合程度しか中継していなかったが、2000年には28日間に50試合を中継した{{Sfn|Heiskanen|2012|p=84}}。当初から米国のボクシング中継を主導し、2012年までの39年間に875を超える試合を放送<ref name="hookup2012" />。有料ケーブルテレビの最大手としてビッグマッチを手掛け、ボクシング界に大きな影響力を持つ。王座認定団体と同等以上のボクシングの権威とされ、WBC執行部長のマウリシオ・スライマン、WBA([[世界ボクシング協会]])副会長のヒルベルト・メンドサの両者も、HBOやショウタイムの番組に出場できれば一流のボクサーと口を揃える<ref name="beat201111124" />。その発言は選手のマッチメイクや階級変更のタイミングにまで及ぶが<ref>{{Cite web|url=http://www.abs-cbnnews.com/sports/03/13/12/donaire-needs-be-featherweight-soon|title=Donaire needs to be a featherweight soon|date=2012年3月13日|publisher=ABS-CBN news|language=英語|accessdate=2012年3月22日}}</ref><ref name="emes20120318">{{Cite web|url=http://www.boxingscene.com/?m=show&opt=printable&id=50767|title=DiBella Blows Up at Merchant Over Martinez-Bute, Ward|author=Bill Emes|date=2012年3月18日|publisher=BoxingScene.com|language=英語|accessdate=2012年3月22日}}</ref><ref name="borges20120320">{{Cite web|url=http://www.thesweetscience.com/news/articles/14272-when-did-larry-merchant-get-a-promoters-license|title=When did Larry Merchant get a promoter's license?|author=Ron Borges (''Boston Herald'')|date=2012年3月20日|publisher=The Sweet Science|language=英語|accessdate=2012年3月22日}}</ref>、これらの姿勢については「(元実況担当の)ラリー・マーチャントはいつプロモーターライセンスを取得したのか?」<ref name="borges20120320" />、あるいは「HBOは一部の選手を過保護に扱っている」<ref name="emes20120318" />といった批判もあった。
 
[[ファイル:Harold Lederman cropped.jpg|thumb|left|upright|HBOの2つの中継番組で非公式ジャッジを務めるハロルド・レダーマン。]]
コンピュボックス社のシステムを利用したパンチのコンピュータ集計、試合当日のウェイトの公開、ハロルド・レダーマンの採点などがHBOの中継番組の個性となっていたが<ref name="beat201111124" />、コンピュータ集計は後にショウタイム、NBC、ESPN2、エピックスの他、トップランク社のPPVやディベラ・エンターテインメントの『ブロードウェイ・ボクシング』などでも採用されている<ref>{{Cite web|url=http://compuboxonline.com/bio.php|title=CompuBox Online - Bio|publisher=コンピュボックス社|language=英語|accessdate=2012年2月27日}}</ref>。出演者が王座認定団体の名を出すことはなく<ref name="beat201111124" />、むしろ世界タイトルが価値を下げる中で、それが懸かっているかどうかには関係なく、強さ、試合の面白さ、将来性の観点から独自の基準で扱うカードを選ぶ<ref>{{Cite web|url=http://www.ninomiyasports.com/sc/modules/bulletin/article.php?storyid=3797|title=下田昭文が開きかけた扉|author=杉浦大介|date=2011年7月15日|publisher=スポーツコミュニケーションズ|accessdate=2012年6月8日}}</ref>。大きな試合はPPVで販売。60か国にネットワークを持ち、それ以外の国にも番組を販売しており、収益の30パーセントは国外から入って来ている<ref>{{Cite web|url=http://www.economist.com/node/21526314|title=HBO and the future of pay-TV|date=2011年8月20日|publisher=[[エコノミスト]]|language=英語|accessdate=2013年6月1日}}</ref>。
 
2010年7月、当時HBOスポーツ社長を務めていたロス・グリーンバーグは、米国はヘビー級の有力選手が不足しており、ヘビー級への関心を失っているとして、同級の中継から手を引くと発表した<ref>{{Cite web|url=http://www.telegraph.co.uk/sport/othersports/boxing/7877549/HBO-to-stop-screening-heavyweight-boxing-due-to-lack-of-US-interest.html|title=HBO to stop screening heavyweight boxing due to lack of US interest|author=Gareth A Davies|date=2010年7月7日|publisher=デイリー・テレグラフ|language=英語|accessdate=2013年6月1日}}</ref>。
 
==== HBOの中継番組 ====
[[ファイル:Max Kellerman cropped.jpg|thumb|upright|両番組で実況を担当するマックス・ケラーマン。]]
2つの中継番組を持っており、上位番組の『[[ワールドチャンピオンシップボクシング|ワールド・チャンピオンシップ・ボクシング]]』では進行役をジム・ランプリー<ref name="beat201111124" />、実況をマックス・ケラーマン<ref name="yahoo201212" />、[[ロイ・ジョーンズ・ジュニア]]らが務める。2001年11月のマニー・パッキャオ対アガピト・サンチェス戦では、[[ローブロー]]や[[頭突き|バッティング]]を執拗に繰り返したサンチェス陣営がリングを去る時、当時の実況ラリー・マーチャントが「君らがHBOで戦うことは二度とない!」と叫び、カットマンのトニー・リベラに「ショウタイムで戦ってやるさ!」と返されている<ref>{{Cite web|url=http://ringtv.craveonline.com/blog/171289-dougies-monday-mailbag|title=Dougie's Monday mailbag |author=Doug Fischer|date=2012年1月30日|publisher=RingTV.com|language=英語|accessdate=2012年2月25日}}</ref>。また、2011年9月のフロイド・メイウェザー・ジュニア対[[ビクター・オルティス]]戦ではリング上でマーチャントとメイウェザーが舌戦を繰り広げ、話題となった。もう一方の『[[ボクシングアフターダーク|ボクシング・アフターダーク]]』では、進行役をボブ・パパ、実況をマックス・ケラーマンが務め、いずれの番組にも非公式ジャッジとしてハロルド・レダーマンが加わる<ref name="beat201111124" />。
 
==== ジム・ランプリーと「ガッティ・リスト」 ====
[[ファイル:Roy Jones, Jr. & Jim Lampley.jpg|thumb|left|『[[ワールドチャンピオンシップボクシング|ワールド・チャンピオンシップ・ボクシング]]』で進行役を務めるジム・ランプリー(右)と実況担当のロイ・ジョーンズ・ジュニア。]]
ジム・ランプリーは、1974年にABCスポーツに参加したが、本当に担当したかったボクシング解説をABCで最初に務めたのは、1986年2月のジェシー・ファーガソン対マイク・タイソン戦だった。これまでのキャリアで最も記憶に残るイベントはHBOに移った後に[[東京]]からの衛星放送で解説したタイソン対[[ジェームス・ダグラス]]戦だと言い、ボクシングは[[コマーシャルメッセージ]]で中断される[[民間放送]]には向かない競技だとしている<ref name="ringtv201205">{{Cite web|author=Bernard Fernandez|url=http://ringtv.craveonline.com/blog/172793|title=Lampley: From sideline kid to ringside veteran|date=2012年5月9日|publisher=RingTV.com|language=英語|accessdate=2012年6月23日}}</ref>。
 
ランプリーはHBOがアルツロ・ガッティ対ミッキー・ウォード戦(初戦)の10周年を記念して2012年5月に開始したボクシングのニュース・情報番組でも進行役を務め、同局で試合を中継したことのあるボクサーのうち最も面白い試合をする10人を[[パウンド・フォー・パウンド]]とは別の評価軸として「ガッティ・リスト」と名付けて発表したが<ref name="HBO210205">{{Cite web|url=http://www.hbo.com/the-fight-game-with-jim-lampley/talk/news/2012-05-09-jim-lampley-fight-game.html|title=Jim Lampley on 'The Fight Game'|date=2012年5月9日|publisher=[[HBO]]|language=英語|accessdate=2012年6月23日}}</ref><ref name="ringtv201205" /><ref name="thesweetscience201205">{{Cite web|author=Michael Woods|url=http://www.thesweetscience.com/news/articles/14585|title="Fight Game" Recap: Lampley Talks With Arum, Schaefer On Lively Debut|date=2012年5月14日|publisher=The Sweet Science|language=英語|accessdate=2012年6月23日}}</ref>、初回のリストにはクリス・アレオラのように世界王者の経験がない選手や[[マイク・アルバラード]]のように世界戦の経験がない選手(当時)も含まれた。選出基準とされたのは、無敗記録を危険にさらすことも厭わず<ref>{{Cite web|url=http://bleacherreport.com/articles/1194379-jim-lampley-boxings-voice-and-intrepid-knight-introduces-new-boxing-show|title=Jim Lampley: Boxing's Voice and Intrepid Knight Introduces New Boxing Show|date=2012年5月23日|publisher=Bleacher Report|language=英語|accessdate=2012年6月23日}}</ref><ref name="thesweetscience201205" />、打ちつ打たれつの試合展開で勝利を追求するためにファンにとって特別であり、時間や金銭を投じて通常のテレビやPPVや会場で観戦するだけの価値があること<ref name="HBO210205" /><ref name="thesweetscience201205" />、またその戦い方のために観て面白く、自らPPV収入を稼げることであり<ref name="ringtv201205" />、これが同局のボクシング中継のコンセプトともなっている<ref name="HBO210205" />。2013年末の放送では最優秀選手としてゲンナジー・ゴロフキンを選出する一方で、「ガッティ・リスト」の筆頭に選ばれたのは[[ルスラン・プロボドニコフ]]であった<ref>{{Cite web|url=http://www.thesweetscience.com/news/articles/17781|title=Lampley Tabs Golovkin as Fighter of the Year|author=Michael Woods|date=2013年12月23日|publisher=The Sweet Science|language=英語|accessdate=2013年1月4日}}</ref>。
 
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{{Gallery
|title=HBOの中継風景
|style=border:1px solid; border-color:#d0d0d0; background:#f8f8f8;
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|ファイル:Paul Williams' team with HBO camera.jpg|2010年11月、ボードウォーク・ホールで[[セルヒオ・マルチネス]]と対戦する前の[[ポール・ウィリアムス (ボクサー)|ポール・ウィリアムス]]を映すカメラ。
|ファイル:Miguel Cotto vs. Antonio Margarito II, just before the fight.jpg|2011年12月、マディソン・スクエア・ガーデンで[[ミゲール・コット]](右下)と[[アントニオ・マルガリート]](左上)の両選手を映すカメラ。中央付近でマイクを持つのは[[リングアナウンサー]]の[[マイケル・バッファー]]。
|ファイル:Max Kellerman, Jim Lampley & Harold Lederman.jpg|同興行においてリング下で働く中継スタッフたち。中央が実況担当のマックス・ケラーマン。右隣が進行役のジム・ランプリー。その右手で女性と話しているのが番組で非公式ジャッジを務めるハロルド・レダーマン。
}}
 
=== ショウタイム ===
==== ジェイ・ラーキンの時代 ====
[[ショウタイム (テレビ局)|ショウタイム]]で初めて中継されたのは1986年3月のマービン・ハグラー対ジョン・ムガビ戦で<ref name="espn20100809">{{Cite web|url=http://espn.go.com/sports/boxing/news/story?id=5449694|title=Jay Larkin, 59, dies of brain cancer|author=Dan Rafael|date=2010年8月9日|publisher=ESPN|language=英語|accessdate=2013年12月21日}}</ref>、これはショウタイム初のスポーツ番組であった<ref name="forbes201312" />。番組責任者のジェイ・ラーキンはこの後、マイク・タイソン、イベンダー・ホリフィールド、[[フリオ・セサール・チャベス]]らと契約。世界各国から試合を中継し、ボクシング中継におけるHBOの独裁状態に挑戦し続けてきた<ref name="espn20100809" />。1990年代はドン・キング・プロダクションのお抱え放送局的な存在で<ref name="beat201111125" />、1993年には[[メキシコシティ]]の[[エスタディオ・アステカ]]からドン・キングの契約するチャベスとグレグ・ホーゲンの対戦を中継。この時の132,000人を超える観客動員は空前絶後の記録となっている。ラーキンと当時HBOの番組責任者だったルー・ディベラは良好な関係にあり、週に数回話をして互いに先を越されないようにしていたという。2002年6月の[[レノックス・ルイス]]対マイク・タイソン戦では、ルイスの放映権はHBO、タイソンの放映権はショウタイムにあったが、ラーキンの交渉により両局共同でPPV中継することになった<ref name="espn20100809" />。
 
番組責任者は2003年10月、ラーキンからケン・ハーシュマンに交代するが{{Sfn|The Ring|2011|p=76}}{{Sfn|The Ring|2011|p=83}}、ラーキンはハーシュマンに対し、物事が本当に困難で何もうまくいっていないように見える時に「まさにボクシングのテレビ中継だ」と言っていたことで知られている。また、[[デトロイト]]で行われたマイク・タイソン対アンドリュー・ゴロタ戦で、ゴロタがリングから控室に走って戻った時には、ラーキンがゴロタに向かって、リングに戻らないとショウタイムでは二度と中継しないぞと叱り飛ばす声が部屋の外まで聞こえたという逸話がある{{Sfn|The Ring|2011|p=81}}。
 
==== ケン・ハーシュマンの時代 ====
[[ファイル:Super Six World Boxing Classic in Helsinki.jpg|thumb|2010年11月、『[[Super Six World Boxing Classic|スーパー・シックス ワールド・ボクシング・クラシック]]』の準々決勝が行われた[[ヘルシンキ]]の[[ハートウォールアリーナ]]内部に張られた横断幕。]]
2009年からは、[[スーパーミドル級]]の6名の有力選手によるトーナメント『[[Super Six World Boxing Classic|スーパー・シックス ワールド・ボクシング・クラシック]]』や、[[バンタム級]]の4名の有力選手による同級トーナメントを中継した<ref name="beat201111125" />。前者は当時ショウタイムスポーツの副社長およびゼネラルマネージャーを務めていたケン・ハーシュマンと、[[アルツール・アブラハム]]をプロモートするドイツのザウアーラント・イベント社のカレ・ザウアーラントの構想によるものである{{Sfn|The Ring|2011|p=76}}。後者については、当時のバンタム級が人材豊富で選手の個性やスタイルも魅力的で、どう組み合わせてもファンに愛される対戦ができると考えたからである。ハーシュマンは、ファンが観たがるカリスマ的なボクサーを起用して、力の見合った者同士の対戦をPPVの料金を課さずに適正な価格で定期的に提供することをポリシーにしており、トーナメント形式にすることで1つの試合から次の試合まで情報や物語の安定した流れを保ち、他競技ファンの関心を引きつけ、マイナースポーツからの脱却を図りたいとしている{{Sfn|The Ring|2011|p=82}}。
 
この頃、HBOは専らゴールデンボーイ・プロモーションズ、ショウタイムはゲイリー・ショウ・プロダクションズの興行を中継していた{{Sfn|The Ring|2011|p=84}}。しかしショウタイムとゲイリー・ショウの関係は排他的なものではなく、2010年には単一のプロモーターによる興行はほとんど扱っていない{{Sfn|The Ring|2011|p=82}}{{Sfn|The Ring|2011|p=84}}。またショウのプロモートする選手が楽な対戦相手を選んだり優遇されたりすることもなかった。『リング』誌の年間最高試合に選ばれた2005年の[[ディエゴ・コラレス]]対[[ホセ・ルイス・カスティージョ]]戦はショウがプロモートし、[[イスラエル・バスケス]]対[[ラファエル・マルケス (ボクサー)|ラファエル・マルケス]]のシリーズと[[ファン・マヌエル・ロペス]]対ラファエル・マルケス戦の半分はやはりショウによるものだった{{Sfn|The Ring|2011|p=84}}。
 
==== ショウタイムの中継番組 ====
[[ファイル:Jim Gray (sportscaster).jpg|thumb|upright|『[[チャンピオンシップ・ボクシング]]』で実況を担当するジム・グレイ。]]
HBOと同様に2つの中継番組を持ち、上位番組の『[[チャンピオンシップ・ボクシング]]』では進行役をブライアン・ケニー、実況をジム・グレイ、主解説をマウロ・レナロ、副解説をアル・バーンスタインと現役ボクサーの[[ポール・マリナッジ]]が務める<ref>{{Cite web|url=http://www.thesweetscience.com/news/articles/15429-austin-trout-joe-cortez-to-work-showtime-card|title=Austin Trout, Joe Cortez To Work Showtime Card|date=2012年10月18日|publisher=The Sweet Science|language=英語|accessdate=2013年3月16日}}</ref>。もう一方の『ショウボックス:ザ・ニュージェネレーション』も進行役・実況各1名で構成。『チャンピオンシップ・ボクシング』では[[アントニオ・ターバー]]が副解説を務めたこともある<ref name="beat201111125">{{Harvnb|『ボクシング・ビート』|2011年11月号|p=125}}</ref>。
 
[[ファイル:Paulie Malignaggi interviewed (cropped).jpg|thumb|left|upright|『チャンピオンシップ・ボクシング』で解説を務める[[ポール・マリナッジ]]。]]
『ショウボックス』は2011年までに30人以上の世界王者を輩出していたが、スターの座を確立したボクサーがHBOへ流出するのを防ぐことがショウタイムの課題であった{{Sfn|The Ring|2011|p=85}}。年間最高試合レースなどではHBOにもひけをとらず{{Sfn|The Ring|2011|p=87}}、HBOより低予算ではあるが、どのボクサーのどんな試合をどのタイミングで中継するかということにおいてショウタイムは適正な判断をしてきたと自負しながら{{Sfn|The Ring|2011|p=82}}、ハーシュマンは2011年初めにこうも語っている。「大きい会場とエネルギッシュで情熱的なファン層はビッグマッチの雰囲気を醸し出してテレビ中継の役に立つ。ファン層が大きければそれだけビッグマッチが可能だが、それを米国で実現するのは他のどの国より困難だ。米国の中継はケーブルテレビでの中継が主で、地上波放送に比べて範囲も狭いし視聴者も少ない。米国でスターになりたければ相当の努力をしなければならないが、多くのボクサーはそれをしないし、また多くのプロモーターは方法も知らず、それに投資したいとも考えていない。ボクシング関係者は互いに協力しなければならないが、そんなことは絶対に実現しない。[[ウラジミール・クリチコ]]を倒しそうな米国人のヘビー級ボクサーも見当たらない」{{Sfn|The Ring|2011|p=81}}。
 
==== スティーブン・エスピノサの時代 ====
上述の通り、2011年の終わりにはケン・ハーシュマンがHBOスポーツ社長に就任し、その後任としてショウタイムスポーツの副社長およびゼネラルマネージャーにはゴールデンボーイ・プロモーションズの元顧問弁護士スティーブン・エスピノサがおさまった<ref name="espn20111114" />。ボクシング中継の予算減少は主要なケーブルテレビ局の懸案事項となっていたが、ショウタイムは2012年に経費を拡大し、3試合、4試合をメインに据えることも始め、アンダーカードや国内で中継されなかった国外のカードはショウタイム・エクストリーム (Showtime Extreme, SHO Extreme) チャンネルで放送するようになった<ref name="boxingscene20130114" /><ref>{{Cite web|url=http://boxingnewsboxon.blogspot.jp/2013/05/blog-post_3180.html|title=亀海×ペレス戦をショータイムが放映|date=2013年5月25日|publisher=ボクシングニュース「Box-on!」|accessdate=2013年6月14日}}</ref>。2013年には上述のように、フロイド・メイウェザー・ジュニアのPPVでHBOを圧倒。メイウェザー同様にHBOからショウタイムへ移ったエイドリアン・ブローナーのポール・マリナッジ戦およびマルコス・マイダナ戦の視聴件数はいずれも、メイウェザーのPPVを除けばショウタイムの年間最高となる130万件に上った<ref name="forbes201312">{{Cite web|url=http://www.forbes.com/sites/kurtbadenhausen/2013/12/13/floyd-mayweather-sparks-blockbuster-year-for-showtime/|title=Floyd Mayweather Sparks Blockbuster Year For Showtime|author=Kurt Badenhausen|date=2013年月日|publisher=フォーブス|language=英語|accessdate=2013年12月21日}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://boxingnews.jp/news/9345/|title=ブローナー×マイダナ 視聴件数130万|date=2013年12月18日|publisher=Boxing News|accessdate=2013年12月21日}}</ref>。この年、『チャンピオンシップ・ボクシング』の視聴率は2011年から59パーセント、2012年からは21パーセント伸び、ショウタイムはスポーツ番組を手掛けるようになってから最強の年を迎えた<ref name="forbes201312" />。ショウタイムで視聴件数が100万を超えた試合は2012年には2試合だけだったが、2013年には4件に増えていた<ref name="iole20131206" />。
 
2013年のショウタイムのゴールデンボーイ・プロモーションズとの関係は1990年代のドン・キング・プロダクションとの関係に似ていたが、ドン・キングの時代と違って、PPV料金を課すことなく、ファンに好カードを提供した。ボクシング記者のジェイク・ドノバンは、中継の度にファンの意向をより反映していたのはHBOよりショウタイムのほうだったとしている<ref name="donovan20131222" />。同年、他局が世界各国から中継する中で、ショウタイムは国内からの中継に狙いを定めていた。主な開催地となったのはブルックリン、​​[[サンアントニオ]]、ロサンゼルスで、[[ダニー・ガルシア]]はブルックリンの[[バークレイズ・センター]]で名を上げ、サンアントニオからはそれぞれ3試合と4試合をメインとした2つの好カードが中継された。その一方で、この年の『ショウボックス』は主にメイウェザー・プロモーションズとアル・ヘイモンの携わる試合を中継したが、エグゼクティブ・プロデューサーを務めるゴードン・ホールの、若手にタフファイトをさせて将来に向けて経験を積ませるという意向に反したものとなった<ref name="donovan20131222" />。
 
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{{Gallery
|title=ショウタイムの中継風景
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|ファイル:Samuel Peter vs. Jameel McCline and press seats.jpg|2007年10月、マディソン・スクエア・ガーデンで行われた[[サミュエル・ピーター]](左)対ジャミール・マクライン戦の様子。左にショウタイムのカメラクルーおよび各社カメラマン、手前は報道関係者席。
|ファイル:Boxing at MSG, Oct. 2007.jpg|同興行においてリングサイドで実況中継をするジム・グレイ(右下)。リング上にはアナウンスに備えるジミー・レノン・ジュニアやドン・キングら。
|ファイル:Jimmy Lennon, Jr., Arthur Abraham and Ulli Wegner.jpg|2010年11月、ヘルシンキのハートウォールアリーナから衛星中継された『スーパー・シックス ワールド・ボクシング・クラシック』準々決勝で、カール・フロッチと対戦する前の[[アルツール・アブラハム]](中央左)とリングアナウンスをするジミー・レノン・ジュニア(左)。
}}
 
=== ESPN2 ===
==== ESPN2の中継番組 ====
[[ファイル:Teddy Atlas.jpg|thumb|left|upright|『[[フライデー・ナイト・ファイト]]』で実況を担当するテディ・アトラス。]]
[[ESPN2]]のボクシング中継は、トップランク社との契約とともに1980年4月10日に始まった。この時の番組『トップランク・ボクシング』は毎週放送されたが、米国における毎週の中継番組は1964年以来であった<ref name="hookup2012">{{Cite web|url=http://espnmediazone.com/us/press-releases/2012/09/hbo-sports-and-espn-announce-multi-year-boxing-programming-and-marketing-agreement/|title=HBO Sports and ESPN Announce Multi-Year Boxing Programming and Marketing Agreement|author=Stephen McDonald|date=2012年9月11日|publisher=ESPN MediaZone|language=英語|accessdate=2013年12月21日}}</ref>。当初はマイク・タイソンやマービン・ハグラーらの試合を放送し<ref name="kim2012">{{Cite web|url=http://www.maxboxing.com/news/max-boxing-news/loughrey-leaves-friday-night-void|title=Loughrey Leaves Friday Night Void|author=Steve Kim|date=2012年|publisher=MaxBoxing.com|language=英語|accessdate=2013年12月21日}}</ref>、有望な若手選手の試合は専らESPN2が中継していた。[[ザブ・ジュダー]]やグレンコフ・ジョンソンらはESPN2に中継されながらキャリア形成期を過ごしたが、その役割はやがてスペイン語局やショウタイムの『ショウボックス』に取って代わられていった。[[ユリオルキス・ガンボア]]はESPN2の中継番組『[[フライデーナイトファイト|フライデー・ナイト・ファイト]]』に数度登場したが、ガンボアにとってもここは通過点でしかなかった{{Sfn|The Ring|2011|p=130}}。この番組は、かつての進行役ボブ・パパ、実況マックス・ケラーマンから、進行役ジョー・テシトーレ、実況テディ・アトラスに交代。アトラスの辛口なコメントと公平な採点で独自色を出している。他競技を中継する関係で、通年のボクシング中継はない<ref name="beat201111125" />。スペイン語局のESPNデポルテスでは定期的にボクシングを放送している<ref name="boxingscene20130114" />。ESPN2のポリシーとして、人が半分しか入らない大きなアリーナよりは、たとえ小さくても満杯の会場を使う{{Sfn|The Ring|2011|p=130}}。年間に35回から40回の番組を放送するが、1回の放送に使える予算は5万ドルから6万ドル程度とされている<ref name="kim2012" />。
 
[[ファイル:BoxingHallOfFame 6 MikeTysonadmiringaMuhammadAliRobe cropped.jpg|thumb|upright|[[マイク・タイソン]]率いるアイアン・マイク・プロダクションズの初仕事は2013年8月、『フライデー・ナイト・ファイト』で中継された<ref>{{Cite web|url=http://espn.go.com/boxing/story/_/id/9484274/|title=Mike Tyson to promote 'FNF' card|author=Dan Rafael|date=2013年7月19日|publisher=ESPN|language=英語|accessdate=2013年12月24日}}</ref>。]]
上述のようにESPN2は2000年代中盤に予算を削減したが、『フライデー・ナイト・ファイト』で番組責任者を務めたダグ・ラフリーによれば、2011年初めの時点で予算は着実に増え、視聴件数も安定していたという。この年はルスラン・プロボドニコフ、アーロン・プライヤー・ジュニア、デビッド・レミューらを抜擢。しかしESPN2の課題は、自分の無敗記録を維持することに執着せず、またHBOの中継で戦って数百万ドルを稼ぐべきだなどとプロモーターから刷り込まれていないボクサーを発掘することにあった。ラフリーは「ルスラン・プロボドニコフはESPN2が発掘した人材だが、彼もここにとどまることはないだろう。ボクサーはいったんHBOやショウタイムで中継されるようになれば、再びESPN2に戻るとは考えにくい。」と話している{{Sfn|The Ring|2011|p=130}}。
 
==== HBOとの提携 ====
2012年9月、ESPN2はHBOとの提携を発表。主要なPPV​​イベントの協力支援や番組コンテンツの共有などで合意に至った。ESPNデポルテスとESPN3は[[スマートフォン]]や[[タブレット (コンピュータ)|タブレット]]向けにPPV​​イベントでの計量や試合前後の記者会見の様子なども配信する。ESPN2とESPNデポルテスは、HBOがPPVで中継する試合に至るまでの両選手を追う『24/7』シリーズも放送する。初回は9月15日に対戦するセルヒオ・マルチネスとフリオ・セサール・チャベス・ジュニアを採り上げ、同月13日の『フライデー・ナイト・ファイト』の直前に放送された<ref name="hookup2012" />。この日は木曜日だったが、ラスベガスでは15日に[[#2012年9月15日、HBOは|2つのビッグマッチ]]が予定され、前日の14日には[[ネバダ州アスレチックコミッション]]が双方の計量で多忙となるため、『フライデー・ナイト・ファイト』は1日前倒しの特別版となっていた。番組で放送されたジェシー・バルガス対アーロン・マルチネス戦はトップランク社主催だったが、チケットが428枚しか売れず入場料収入も16,513ドルだった<ref>{{Cite web|url=http://www.boxingscene.com/?m=show&opt=printable&id=57219|title=Sept. 13 ESPN2 Card Sells 428 Tickets, Brings in $16.5|author=KDavid P. Greisman|date=2012年9月17日|publisher=BoxingScene.com|language=英語|accessdate=2013年12月21日}}</ref>。
 
番組責任者は2013年にダグ・ラフリーからブライアン・クウェダーに交代した。2014年にはディベラ・エンターテインメントやマイク・タイソンの率いるアイアン・マイク・プロダクションズの興行を中継する<ref>{{Cite web|url=http://www.fightnews.com/Boxing/espn-lays-off-boxing-chief-200776|title=ESPN lays off boxing chief|date=2013年5月24日|publisher=Fightnews.com|language=英語|accessdate=2013年12月21日}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.thesweetscience.com/news/articles/17733|title=New "Friday Night Fights" Boss Talks 2014 Season With TSS|author=Michael Woods|date=2013年12月12日|publisher=TheSweetScience.com|language=英語|accessdate=2013年12月21日}}</ref>。
 
== 脚注 ==
=== 出典 ===
{{脚注ヘルプ}}
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=== 映像資料 ===
{{Reflist|2|group=映像}}
 
== 参考文献 ==
=== 書籍 ===
* {{Cite book|ref=harv|last1=Andre|first1=Sam|last2=Fleischer|first2=Nat|last3=Rafael|first3=Don|title=An Illustrated History of Boxing|edition=2001: 6th|month=12|year=2001|publisher=Citadel Press|location=米国・[[ニューヨーク市]]|language=英語|isbn=978-0-8065-2201-2|pages=156&ndash;158、418|chapter=Era of big TV money}}
* {{Cite book|ref=harv|first=Richard|last=Abel|title=Encyclopedia of Early Cinema|url=http://books.google.co.jp/books?id=9cc71Uekc_EC&pg=PA875|month=8|year=2004|publisher=[[テイラー&フランシス]]|language=英語|isbn=978-0415778565|pages=875, 876|chapter=sports films}}
* {{Cite book|ref=harv|last1=Andre|first1=Sam|last2=Fleischer|first2=Nat|last3=Rafael|first3=Don|title=An Illustrated History of Boxing|edition=2001: 6th|month=12|year=2001|publisher=Citadel Press|language=英語|isbn=978-0-8065-2201-2|pages=156&ndash;158, 418|chapter=Era of big TV money}}
* {{Cite book|ref=harv|first=Daniel|last=Eagan|title=America's Film Legacy: The Authoritative Guide to the Landmark Movies in the National Film Registry|url=http://books.google.co.jp/books?id=deq3xI8OmCkC&pg=PA22|month=11|year=2009|publisher=University of Oklahoma Press|language=英語|isbn=978-0826429773|pages=22, 23|chapter=Jeffries-Johnson World's Championship Boxing Contest}}
* {{Cite book|ref=harv|first=Michael|last=Ezra|title=Muhammad Ali: The Making of an Icon|url=http://books.google.co.jp/books?id=Gh3rtDyeSAIC&pg=PA106|month=3|year=2009|publisher=Temple University Press|language=英語|isbn=978-1592136629|pages=51, 106|chapter=The Most Hated Man in Boxing?”; “Main Bout Inc.}}
* {{Cite book|ref=harv|first=Linda K.|last=Fuller|title=Sportscasters/sportscasting: Principles and Practices|url=http://books.google.co.jp/books?id=LhA3zIXAQPUC&pg=PA10|month=6|year=2008|publisher=テイラー&フランシス|language=英語|isbn=978-0789018250|pages=10, 20, 86, 90|chapter=Sportscaster/Sportscasting}}
* {{Cite book|ref=harv|first=Elliott J.|last=Gorn|title=Muhammad Ali: The People's Champ|url=http://books.google.co.jp/books?id=YNF75xexXKIC&pg=PA25|month=3|year=1998|publisher=University of Illinois Press|language=英語|isbn=978-0252067211|pages=25, 26, 28&ndash;32, 34, 35, 38&ndash;40, 45&ndash;50|chapter=The Emergence of Television and the Rise and Fall of Televised Boxing}}
* {{Cite book|ref=harv|first=Benita|last=Heiskanen|title=The Urban Geography of Boxing: Race, Class, and Gender in the Ring|url=http://books.google.co.jp/books?id=yRvbk82uwuIC&pg=PA82|series=Routledge Research in Sport, Culture and Society|volume=13|month=5|year=2012|publisher=Routledge|language=英語|isbn=978-0-415-50226-9|pages=82&ndash;84|chapter=Through the Media's Lens}}
* {{Cite book|ref=harv|first=Jeffrey T.|last=Sammons|title=Beyond the Ring: The Role of Boxing in American Society|series=Sport and Society Series|url=http://books.google.co.jp/books?id=LG1SQ-uDuugC&pg=PA157|month=9|year=1990|publisher=University of Illinois Press|language=英語|isbn=978-1578591428|pages=157, 158|chapter=The Unholy Trinity}}
*{{Cite book|ref=harv|first=Dan|last=Streible|title=Fight Pictures: A History of Boxing and Early Cinema|url=http://books.google.co.jp/books?id=Bpc1fk5T5dYC&pg=PA276|month=4|year=2008|publisher=University of California Press|language=英語|isbn=978-0520250758|pages=270, 271, 276, 287, 288, 291, 292|chapter=Bootlegging}}
 
=== 雑誌 ===
* {{Cite journal|和書|author=三浦勝夫(MACC出版)|date=2011年10月15日|journal=アイアンマン|issue=11月号増刊(『[[ボクシング・ビート]]』11月号)|pages=pp. 124&ndash;125|title=海外読物 世界の放送席から|publisher=フィットネススポーツ|ref={{Harvid|『ボクシング・ビート』|2011年11月号}}}}
* {{Cite journal|author=Don Stradley et al.|title=Interview: Ken Hershman”; “Looking ahead &ndash; Friday Night Fights Is Back!|date=|journal=[[リングマガジン|The Ring]]|issue=2011年2月号|publisher=Sports and Entertainment Publications, LLC|location=米国ペンシルベニア州|pages=pp. 76-87, 130|ref={{Harvid|The Ring|2011}}}}
*{{Cite book|ref=harv|first=Elliott J.|last=Gorn|title=Muhammad Ali: The People's Champ|url=http://books.google.co.jp/books?id=YNF75xexXKIC&pg=PA25|month=3|year=1998|publisher=University of Illinois Press|language=英語|isbn=978-0252067211|pages=25, 26, 28&ndash;32, 34, 35, 38&ndash;40, 45&ndash;50|chapter=The Emergence of Television and the Rise and Fall of Televised Boxing}}
*{{Cite book|ref=harv|first=Mike|last=Marqusee|title=Redemption Song: Muhammad Ali And The Spirit Of The Sixties|url=http://books.google.co.jp/books?id=oHoe8OMpooAC&pg=PA178|month=7|year=2005|publisher=Verso Books|language=英語|isbn=978-1844675272|page=178|chapter=Redemption Song}}
*{{Cite book|ref=harv|last1=Roberts|first1=James B.|last2=Skutt|first2=Alexander G.|title=The Boxing Register: International Boxing Hall of Fame Official Record Book|url=http://books.google.co.jp/books?id=aA2LO_DGdu4C&pg=PA693|year=2006|publisher=McBooks Press|language=英語|isbn=978-1590131213|page=693|chapter=Bob Arum}}
*{{Cite book|ref=harv|first=Michael|last=Ezra|title=Muhammad Ali: The Making of an Icon|url=http://books.google.co.jp/books?id=Gh3rtDyeSAIC&pg=PA106|month=3|year=2009|publisher=Temple University Press|language=英語|isbn=978-1592136629|page=106|chapter=Main Bout Inc.}}
 
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