「日本の鉄道事故 (1949年以前)」の版間の差分

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: 事故原因は推進運転中の機関士が入換合図を見間違え、開通していない分岐器に進入したためといわれる。日本の鉄道における最初の[[旅客]]死亡事故。
: 構内(蒲田寄の線路内)に木製の慰霊碑が建立されている。
 
==== 東海道線工事列車正面衝突事故 ====
; 1889年(明治22年)04月11日
: 午前11時15分頃東海道線安倍川付近で[[国鉄160形蒸気機関車|15号機関車]]牽引の静岡発工事列車と[[国鉄A3形蒸気機関車|5号機関車]]牽引の焼津発静岡行工事列車が正面衝突し4人が死亡し7人が負傷した。死亡した中には名古屋で開かれる第三師団の招魂祭に参列するために乗車していた静岡県知事の[[関口隆吉]]がいた、まだ東海道線が全通していないため工事列車に便乗しており事故の時に関口県知事は前の車両が積載していた鉄材により足を挟まれており足を切断しなければならない状態だったが関口県知事はそれを拒否したため5月17日に死亡した。
: 参考文献『[[日本国有鉄道百年史]]』第1巻、717頁、静岡新聞社編『静岡県鉄道物語』静岡新聞社、1981年、47-50頁
 
=== 1890年代 ===