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[[1993年]]には「[[WWE・ロウ|MONDAY NIGHT RAW]]」(後に「RAW IS WAR」「RAW」と改称)の放送を開始。[[ケビン・ナッシュ|ディーゼル]]、[[スコット・ホール|レイザー・ラモン]]、[[ショーン・マイケルズ]]らが台頭し、ブレットなどと共に'''ニュー・ジェネレーション'''と呼ばれた。一方、ホーガン、サベージなどかつての団体のスター選手たちの多くはWCWへと移籍し、WCWは徐々にWWFに対抗するほどの人気を獲得していった。
 
=== Monday Night WarWars、アティテュード時代 ===
[[1995年]][[9月4日]]、[[エリック・ビショフ]]が副社長に就任した[[WCW]](オーナーは[[テッド・ターナー]])が「'''MONDAY NIGHT RAW'''」の裏番組として「'''[[WCWマンデー・ナイトロ|MONDAY NITRO]]'''」の放送を開始、両番組の視聴率争いが始まった。WCWはナイトロ第一回放送でいきなり前日までWWFの大会に出場していたルガーを引き抜いて登場させた。これを引き金とし、「'''[[マンデー・ナイト・ウォーズ|月曜夜の視聴率戦争]]'''(''Monday night warwars'')」と言われる程の壮絶な視聴率合戦が繰り広げられた。
 
一時期は人気選手の相次ぐ引き抜きや[[ニュー・ワールド・オーダー|nWo]]というユニットの大ヒット、無敵のスーパースター[[ビル・ゴールドバーグ]]の大ブレイクなどでWCWがリードし、[[1996年]][[6月10日]]から[[1998年]][[4月13日]]まで実に83週間連続でナイトロはロウの視聴率を上回った。それに対しWWEは[[1997年]]以降、[[D-ジェネレーションX|D-X]]に代表される悪ふざけやお色気の要素を取り入れた'''アティテュード'''(''Attitude''、態度・感性という意味だが元々不愉快な、ケンカ腰の態度といった意味合いを持つ)路線に切り替え、団体オーナーのビンス・マクマホンと[[ストーン・コールド・スティーブ・オースチン]]との抗争で人気を逆転させた([[1998年]][[4月13日]]に二人の初めての直接対決が組まれていた)。