「マツダ・RX-7」の版間の差分

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'''RX-7'''(アールエックス-セブン)は、[[マツダ]]がかつて製造・販売していた[[スポーツカー]]である
 
== 概要 ==
当初は[[マツダ・サバンナ|サバンナ]]の後継として、'''サバンナRX-7(SAVANNA7'''('''SAVANNA RX-7)7'''の名で[[1978年]]3月に発表された。[[1991年]]に行われた2度目の[[モデルチェンジ|フルモデルチェンジ]]を機に、マツダが当時展開していた[[アンフィニ]]ブランドから発売され、名称が'''アンフィニ・RX-7 '''(εfiniRX'''εfini・RX-7)''' )となったが、[[1997年]]10月のアンフィニブランドの廃止により、再びマツダブランドから販売された。2002年8月に環境([[自動車ガス基準)対策規制]]行き詰まりにより強化を受け生産が終了した。累計生産台数は81万台<ref>{{Cite web |url= http://www.mikipress.com/shahyo-online/ronpyo11.html|title= 三樹書房:車評オンライン:論評11 右脳にアピールするクルマづくりを|accessdate=2014-02-23}}</ref>。RX-7の販売終了後に登場した[[マツダ・RX-8|RX-8]]は後継車ではなく、マツダ自身が新規車種と紹介している。
 
オーナーや[[エンスー|自動車好家]]の間で「セブン」の愛称がある。この他、モデルを区別するために「FDセブン」など、それぞれの型式名の頭2文字をつけて呼ぶこともあり、「SA」「FC」「FD」の各モデル名のみで呼ばれることも多い。日本国外では、[[車両識別番号|VINコード]]にあわせるため、[[1980年]]モデルよりFB3Sという型番号が導入されており、FBと呼ばれることもある。
 
2004年、辛口の批評を行うと言われる米国のスポーツカー専門誌[[スポーツカー・インターナショナル]]が選出した[[トップスポーツカー|ベスト・スポーツカー]]1990年代部門で3代目FD型が'''第10位'''に、また同1970年代部門で初代SA22C型が'''第7位'''を獲得している。
車名の由来は「R」が「[[ロータリーエンジン]]」、「X」が「未来を象徴する記号」を表し、「ロータリー・スペシャリティ」とも表現される。「7」は「マツダ内での車格番号」で、ほかには[[マツダ・カペラ|2]]、[[マツダ・サバンナ|3]]、[[マツダ・ルーチェ|4]]、[[マツダ・コスモ|5]](輸出仕様のみ)、[[マツダ・RX-8|8]]を車名に含んだ車種がある。
 
徳大寺有恒は2代目について「耐久性はポルシェにはかなわないが、その他の性能ではRX-7のできは上々で、総合点ではポルシェ944を凌ぐ」と評した<ref name="cargraffiti-138" />。
[[2002年]]に生産が終了した後も、RX-7の名前はマツダの[[DNSサーバ]] rx7.mazda.co.jpに残されている。
 
販売店系列は、初代と2代目がマツダオート店でこれは後に[[マツダアンフィニ|アンフィニ店]]と名を変えた。3代目RX-7は当初はアンフィニ店専売だったが、モデル末期にはアンフィニ店とユーノス店が統合されたマツダアンフィニ店とマツダ店で販売された。
 
=== 初代 SA22C型(1978-1985年) ===
== 歴史 ==
=== 初代 SA22C型(1978-1985年) ===
{{Infobox_自動車のスペック表
| 車種=普通自動車
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| デザイナー=
| 乗車定員=2人(日本のみ4人)
| ボディタイプ=3ドア [[ファストバッククーペ]]
| エンジン=12A型 水冷 573cc×2ローター<ref name="cargraffiti-190">『NEW RX-7 カーグラフィティ』p.190。</ref>
| モーター=
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[[1978年]]3月30日<ref name="autocarron-173" />、[[マツダ・サバンナ|サバンナ]](輸出名RX-3)の後継として、初代RX-7となる'''SA22C'''型サバンナRX-7が発表された。開発コードはX605。
 
[[プラットフォーム (自動車)|プラットフォーム]]には[[マツダ・Fプラットフォーム#FB|マツダ・SAプラットフォーム]]が用いられ、エンジンは[[マツダ・12A型エンジン|12A型]]水冷2ローターエンジンの[[自然吸気]](NA)仕様を搭載していた。性能面では、130ps/7000rpm、最大トルク16.5kg・m/4000rpm、パワーウェイトレシオ7.6~7.8kg/psであった。[[オイルショック]]の影響を受け、[[REAPS]]と呼ばれる排気ガスを再燃焼させる[[二次空気導入装置#サーマルリアクター|サーマルリアクター]]方式を採用し、従来に比べて40%の[[燃費]]アップを達成した。
1979年には希薄燃焼型の12A型エンジンを搭載、サーマルリアクターは廃止され、翌年に外観のマイナーチェンジでテールランプとフロントスカートのデザインを変更しcd値0.34を達成した。[[1982年]]には6piエンジンに変更を受け、10モード燃費は10.2km/lを達成した。
 
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0-400mが15.8秒は排ガス規制以前に[[日産・フェアレディZ]]の240ZGが記録した水準に戻っており日本車としては高性能であった。[[福野礼一郎]]は「軽い速い低い、それは確かに間違いありませんでしたがついでに何ともすべてが軽々しく薄っぺらで安っぽい感じ」「足回りもブレーキもスポーツカーとしてはちょっと脆弱」と書いている<ref name="autocarron-173" />が、基本構成に関しては「初代RX-7、いいパッケージです」「いつかマツダがもう一回RX-7のモデルチェンジをやる日がくるなら、なんともぜひこういうパッケージに戻してもらいたいですね」<ref name="autocarron-173" />と評価している。
 
スポーティなフィールを手軽なコストで手に入れられるとして、初代[[日産・フェアレディZ|フェアレディZ]](S30)などとともに、アメリカでは'''プアマンズポルシェ'''と呼ばれた。後述する2代目、3代目からは、ポルシェと渡り合えるものとして対等の扱いを受けるようになった([[#スポーツカーとしての評価|スポーツカーとしての評価]]を参照)
{{-}}
 
=== サスペション ===
=== 2代目 FC3S型(1985-1991年)・カブリオレ(FC3C)(1987-1992年) ===
:基本は単室容積573cc×2の12A型ロータリーエンジン。排気ガス規制対応は、初期はサーマルリアクタで対応したが、燃費対応のため希薄燃焼方式の触媒方式に変更。その後、更なる燃費改善のため自然吸気仕様の形式名は12A-6PIで、RX-8タイプSと同じ6PI(詳細は[[マツダ・コスモ#歴史|3代目・コスモ]]を参照)が採用されたが、後に追加されたターボ仕様(12A-T)にはあまりメリットがないため採用されなかった。NA仕様130ps、ターボ仕様165ps。NA仕様は4バレルのダウンドドラフトキャブレタを1基使用し、ターボ仕様はEGIを使用した。ターボ仕様モデルは、日本国内のみの販売であった。海外では、13Bエンジン搭載のモデルが、1984年より12Aエンジンモデルと併売された。13Bエンジンは、EGI仕様である。
 
<gallery>
ファイル:Nationale oldtimerdag Zandvoort 2010, 1979 MAZDA RX-7,GS-40-LP pic2.JPG|フロント
ファイル:Mazda RX-7-1979 (10610739405).jpg|フロント
ファイル:Mazda RX7 115PS 1983 1.jpg|フロント
ファイル:MazdaRx-7GSL-SE-interior.jpg|インテリア
</gallery>
{{-}}
=== 2代目 FC3S型(1985-1991年)・カブリオレ(FC3C)(1987-1992年) ===
{{Infobox_自動車のスペック表
| 車種=普通自動車
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| 販売期間=[[1985年]] - [[1992年]]
| 乗車定員=2人/4人
| ボディタイプ=3ドア [[ファストバッククーペ]]<br />2ドア[[カブリオレ]]
| エンジン=13B-T型 水冷直列2ローター
| 最高出力=185PS<ref name="cargraffiti-138">『NEW RX-7 カーグラフィティ』p.138-155。</ref>/6,500rpm(前期型)<br />205PS/6,500rpm(後期型)<br />215PS/6,500rpm(∞III)
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1991年、FC3S型はフルモデルチェンジされFD3S型となるが、カブリオレ仕様は2代目仕様のまま生産され、[[1992年]]10月にサバンナRX-7の14年間とRX-7カブリオレ5年間を締め括るモデルとして、台数限定のファイナルバージョンが発売された。プラットフォーム、エンジンはFC3S型と同様。
 
=== エンジン ===
:単室容積654cc×2の13B-T型ロータリーエンジン。ツインスクロールターボを採用し、185ps、205ps、215ps(スペック3以降のアンフィニのみ)と進化していく。185ps車を前期、205ps、215ps車を後期に分けているが、ローターの種類が違うため、圧縮比や圧縮限度の目安が異なる。トルクは馬力の順に25kgf·m、27.5kgf·m、28kgf·m。輸出型のみNA仕様も存在する。
 
<gallery>
ファイル:Mazda RX-7 (FC3S) front.JPG|フロント
ファイル:Mazda RX-7 (FC3S) rear.JPG|リア
ファイル:1989-1991 Mazda RX-7 (FC) Turbo coupe 01.jpg|リア
</gallery>
{{-}}
 
=== 3代目 FD3S型(1991-2002年) ===
{{Infobox_自動車のスペック表
| 車種=普通自動車
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| 車名補=FD3S型
| 1枚目画像の説明=フロント
| 1枚目画像名=Mazda-RXrx7-73rd-FDgeneration01.jpg
| 2枚目画像の説明=リア
| 2枚目画像名=MHV Mazda RX7 3rd Gen 02.jpg
| 3枚目画像の説明=後期型(写真はスピリットR)
| 3枚目画像名=British International Motor Show 2008 - IMG 2047 - Flickr - cosmic spanner.jpg
| 販売期間=[[1991年]] – [[2002年]]
| 乗車定員=4人/2人
| ボディタイプ=3ドア [[ファストバッククーペ]]
| エンジン=[[マツダ・13B型エンジン#|13B-REW]]型 654㏄×2 直列2ローター
| 最高出力=''•1991年-1995年''<br />255PS/6,500rpm<br />''•1996年-1998年''<br />265PS/6,500rpm(MT)<br />255PS/6,500rpm(AT)<br />''•1999年-2002年''<br />280PS/6,500rpm(MT)<br />265PS/6,500rpm(タイプRB)<br />255PS/6,500rpm(AT)
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[[1991年]]10月、2度目のフルモデルチェンジにより'''FD3S'''型 RX-7が発表され、同年12月より販売開始。このフルモデルチェンジを機に、[[1971年]]から20年続いた「サバンナ」の呼称がはずされ、当時の販売店系列「[[マツダアンフィニ|アンフィニ]]」の名を冠して「アンフィニ・RX-7」として発売された。後に販売店のアンフィニ店がユーノス店と統合したことにより、車名が「マツダ・RX-7」となる。開発コードはX105。マツダ販売網で扱われるようになってからは、車体先端のエンブレムが、マツダのロゴマークとなった。キャッチコピーは『'''その非凡さが、アンフィニ。'''』、『'''ザ・ロータリースポーツ'''』。
 
エンジン出力は、[[シーケンシャルツインターボ]]化を施しが搭載された13B型ロータリーエンジンで255psだったが、初期型255ps車のパワーウェイトレシオ(重量/出力比)は5kg/psを切っていた。後にエンジンの出力向上が行われ、[[1996年]]1月のマイナーチェンジで265ps(MT車)、[[1999年]]1月のマイナーチェンジでは280psに達し、一部のモデルでパワーウェイトレシオは6.11kg/kw(4.50kg/ps)に達した。
 
同社の[[マツダ・コスモ|ユーノス・コスモ]]が1996年に生産を終了して以降、RX-7は世界唯一の[[ロータリーエンジン]]搭載量産車となる。RX-7は車体の軽量化やエンジンの高出力化を図るなど、「ピュア・スポーツ」をコンセプトに掲げる車両として開発が続けられたが、日本国内市場および北米市場における[[スポーツカー]][[需要]]の低下や、ターボ過給機付ロータリーエンジンの環境対策の行き詰まりなどの理由により、[[2002年]]8月に生産終了となった。
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イギリスの「[[デイリー・テレグラフ|テレグラフ]]」誌webサイトの「最も美しい車100選」で61位に選ばれた<ref name="Link3>[http://www.telegraph.co.uk/motoring/2751175/The-100-most-beautiful-cars-80-61.html?image=19 The 100 most beautiful cars: 80-61(英 テレグラフ誌webサイト)]</ref>。
 
== 技術仕様 ==
=== エンジン ===
:単室容積654cc×2の13B-REW型ロータリーエンジン。[[マツダ・コスモ|ユーノス・コスモ]]に次ぐシーケンシャルツインターボの採用で、255ps、265ps、280psへと出力向上が図られた。出力が280psに向上するのと同時に、トルクも30kgf·mから32kgf·mへ向上している。出力の向上は主に過給圧の設定変更によるものであるが、触媒など一部吸排気系の配管やマフラーも変更されている。レッドゾーンは8,000rpmから。シーケンシャルツインターボは日立製で、複雑な構造と制御を行っており、制御系の故障が頻発したとされ、開発陣も低回転域のトルクの向上には有効だったが、エンジンをもうひとつ搭載するのと同じくらいコストがかかったとコメントしている。4型以降ではこのシーケンシャル機構に使われるソレノイドバルブが簡略化され、トラブルを起こしにくいように対処されている。
;初代
:基本は単室容積573cc×2の12A型ロータリーエンジン。排気ガス規制対応は、初期はサーマルリアクタで対応したが、燃費対応のため希薄燃焼方式の触媒方式に変更。その後、更なる燃費改善のため自然吸気仕様の形式名は12A-6PIで、RX-8タイプSと同じ6PI(詳細は[[マツダ・コスモ#歴史|3代目・コスモ]]を参照)が採用されたが、後に追加されたターボ仕様(12A-T)にはあまりメリットがないため採用されなかった。NA仕様130ps、ターボ仕様165ps。NA仕様は4バレルのダウンドドラフトキャブレタを1基使用し、ターボ仕様はEGIを使用した。ターボ仕様モデルは、日本国内のみの販売であった。海外では、13Bエンジン搭載のモデルが、1984年より12Aエンジンモデルと併売された。13Bエンジンは、EGI仕様である。
;2代目
:単室容積654cc×2の13B-T型ロータリーエンジン。ツインスクロールターボを採用し、185ps、205ps、215ps(スペック3以降のアンフィニのみ)と進化していく。185ps車を前期、205ps、215ps車を後期に分けているが、ローターの種類が違うため、圧縮比や圧縮限度の目安が異なる。トルクは馬力の順に25kgf·m、27.5kgf·m、28kgf·m。輸出型のみNA仕様も存在する。
;3代目
:単室容積654cc×2の13B-REW型ロータリーエンジン。[[マツダ・コスモ|ユーノス・コスモ]]に次ぐシーケンシャルツインターボの採用で、255ps、265ps、280psへと出力向上が図られた。出力が280psに向上するのと同時に、トルクも30kgf·mから32kgf·mへ向上している。出力の向上は主に過給圧の設定変更によるものであるが、触媒など一部吸排気系の配管やマフラーも変更されている。レッドゾーンは8,000rpmから。シーケンシャルツインターボは日立製で、複雑な構造と制御を行っており、制御系の故障が頻発したとされ、開発陣も低回転域のトルクの向上には有効だったが、エンジンをもうひとつ搭載するのと同じくらいコストがかかったとコメントしている。4型以降ではこのシーケンシャル機構に使われるソレノイドバルブが簡略化され、トラブルを起こしにくいように対処されている。
 
:プライマリー側とセカンダリー側のタービンは同一形状・同一容量である。1-4型と5-6型のタービンは容量が違い、容量的には1-4型の方が出力重視で、5-6型はアブレダブレシールの採用やコンプレッサーホイールの小径化など、反応性重視のタービンとされている。5型、6型のタイプRBには4型のタービンが組み合わされ、出力265psのままとなっている。
 
:アペックスシールは当初3分割のものが使用されていたが、2002年8月以降の生産終了後、オーバーホール時の補修品やリビルトエンジンに換装される際に2分割のものに変更されたが、レースなどで過酷な走行をする場合は、2分割シールの耐久性の低さが問題となった。
 
<gallery>
=== サスペンション ===
ファイル:C11+FD3S spR.jpg|フロント
;初代
ファイル:Mazda RX-7.jpg|リア
:フロントは、A型ロアアームのストラット/リアは、ワットリンク付き4リンクリジットサスペンション
ファイル:Mazda RX-7 police car of Niigata Prefecture Police.jpg|フロント<br />(新潟県警察車両)
::ワットリンクは、レース仕様のRX3でマツダが採用していた。ワットリンクの取付場所が、RX3はデフケースの後部であったがRX7はデフケース前方。
ファイル:Mazda RX-7 police car of Niigata Prefecture Police rear.jpg|リア<br />(新潟県警察車両)
;2代目
</gallery>
:フロントは、A型ロアアームのストラット/リアは、ハブコントロール機構を付けたセミトレーリング
::ハブコントロール機構は、リンクを追加してブッシュにかかる応力を受けてコーナーリング時にトーインを確保する機構
;3代目
:フロント、リアともダブルウイッシュボーン
 
== モータースポーツカーとしての評価活動 ==
{{出典の明記|date=2014年2月|section=1}}
2004年、辛口の批評を行うと言われる米国のスポーツカー専門誌[[スポーツカー・インターナショナル]]が選出した[[トップスポーツカー|ベスト・スポーツカー]]1990年代部門で3代目FD型が'''第10位'''に、また同1970年代部門で初代SA22C型が'''第7位'''を獲得している。
 
[[ベストカー]]の日本車のスポーツカー評価企画では100点と評価された。
 
徳大寺有恒は2代目について「耐久性はポルシェにはかなわないが、その他の性能ではRX-7のできは上々で、総合点ではポルシェ944を凌ぐ」と評した<ref name="cargraffiti-138" />。
 
== レースでの活躍 ==
日本国内ではSA/FC/FDの各モデルを通じて、RX-7を用いた[[ワークス]]としてのレース参戦実績はない。日本国外では現地法人による参戦が多い。
 
=== SA22C ===
RX-7は発売後まもなく米国の[[国際モータースポーツ協会|IMSA]]シリーズへの参戦を開始。IMSAの下位クラスで2.0L以下のグランドツーリングカーを対象とするGTUクラスで高い勝率を記録していた。RX-7は4座の車両であるので、[[国際自動車連盟|FIA]]が定めた当時の[[国際自動車連盟#車両規定|車両規定]]のG1/G2/G5のカテゴリでレースへの参戦を行なった。
:* '''G1'''
::ヨーロッパでTWR(トム・ウオーキンショ・レーシング)からヨーロッパの量産ツーリングカー選手権に参戦。1981年に[[スパ・フランコルシャン24時間レース]]で総合優勝を達成した。
:* '''G4''' 
::1979年のデイトナ24時間にアメリカのIMSAにG4仕様の車両で12Aを搭載してGTUクラスに参戦を開始。1979年のデイトナ24時間には、マツダ本社からG4仕様2台で参戦しクラス優勝とクラス2位を獲得。IMSAにはG4仕様の車両で参戦をアメリカサイドが主体になって参戦を継続し、最終的にはGTU専用車両に進化をする。また、IMSA専用車両(G4仕様ではなくチンスポイラやオーバーフェンダをボディと一体化した専用車両)に13Bを搭載してGTOクラスにも参戦し、デイトナ24時間でクラス優勝を果たす。G4の車両は、量産車両をベースにフロントにチンスポイラ/オーバーフェンダを4輪に装着/リアには短いトランクデッキを囲むようにリアスポイラを装備している。デイトナ24時間レースでの1979年、1982年から1993年の12年間連続GTUクラス優勝を達成した。
:* '''[[シルエットフォーミュラ|G5]]''' 
::[[1979年]]/[[1981年]]/[[1982年]]に、[[マツダスピード]](マツダオート東京)の手により[[ル・マン24時間レース]]にも参戦。[[寺田陽次郎]]/[[トム・ウォーキンショー]]/[[生沢徹]]/[[鮒子田寛]]らがドライバーを担当したが、信頼性や出力が不足していて最終年度に1台完走の実績しか上げれなかった。[[ル・マン24時間レース]]以外にも日本国内の選手権(富士スーパーシルエットシリーズや耐久選手権)に挑戦した。また日本国内のレースに他のエントラントも参戦した。マシンとしては、全てエンジンを12Aから13Bへ載せ換えている。エントラントによっては、G4仕様の車体を使用してエンジンのみ13Bへ載せ変えたものもあった。
::* '''[[マツダスピード]](マツダオート東京)'''
:::マツダ25Xという車名で、ムーンクラフトが外装/マツダスピードがエンジンを担当してマシンを開発した。25Xは、G2仕様の車両をG5仕様に改造したというところから採用した。251は、RX-3である。252~254の3台がRX-7で、車両はRX-7のオリジナルのシャーシを活用して外装のみを大幅に変更。エンジンは、[[富士グランチャンピオンレース]](富士GC)で使用していた13Bを使用している。ライバル車両と比較すると改造範囲が狭いので、ル・マン24時間レースでは、G5ではなくIMSAのGTOにて参戦した
 
:::252~254の3台がRX-7で、車両はRX-7のオリジナルのシャーシを活用して外装のみを大幅に変更。エンジンは、[[富士グランチャンピオンレース]](富士GC)で使用していた13Bを使用している。ライバル車両と比較すると改造範囲が狭いので、ル・マン24時間レースでは、G5ではなくIMSAのGTOにて参戦した。
:::'''252i'''
::::RX-7としての初めてのG5改造車で1979年に登場。車両本体は、量産車のモノコックをそのまま使用してエアロパーツをG4仕様より大幅に改造した。フロントスポイラを前面グリルと一体化して車両下部に流れ込む空気量と削減すると同時にダウンフォースを確保。オーバーフェンダはブリスタフェンダを採用。リアは、リアトランクデッキ部を後部へ延長してトランクデッキの平面部を拡大すると同時に延長されたトランク平面部の中間部から翼端板を立ててウイングの支持とウイングに流れる空気の整流を実施。エンジンは、富士GCに使用している13Bのインジェクションタイプ(BMWと同じクーゲルフィッシャーの機械式インジェクション)に載せ変えていた。レースは、1979年のル・マン24時間に[[寺田陽次郎]]/[[生沢徹]]/C・ブシェットで参戦したが準備不足もあり、予選不通過となった。
:::'''253'''
::::1981年に登場。前作の252をベースにリアトランクの延長部の最後端部にスポイラを装着し空力面での改善を加えた。ル・マン24時間には、[[寺田陽次郎]]/[[鮒子田寛]]/ウィン・パーシー組と[[生沢徹]]/[[トム・ウォーキンショー]]/ピーター・ラヴェットの2台で参戦した。予選ではインジェクション/決勝ではキャブレターを使用して信頼性を重視する方法で挑戦したが、決勝では寺田組の38号車が2時間でデファレンシャルのトラブル、ウォーキンショー組は10時間後にギヤボックスのトラブルでリタイアとなった。日本国内では、マツダオート東京以外のチームでも253を購入しレースに参戦するチームがあった。木の実レーシングの[[従野孝司]]は、サンルーフ仕様の253を253SRとして耐久レースに参戦した。
:::'''254'''
::::1982年に登場。この年からマツダオート東京チームは、マツダスピードに名称を変更。253よりさらに空力面の改善を実施。特にヘッドライトの配置が縦になり、ノーズ先端にMAZDAのロゴ入のロータリのオムスビエンブレムが付けれられた。またリアは、ウイングをトランク延長部の最後端部に翼端板にて支持する方式を採用した。[[ル・マン24時間レース]]には、[[トム・ウォーキンショー]]/ピーター・ラヴェット/チャック・ニコルソン組と[[寺田陽次郎]]/[[従野孝司]]/アラン・モファット組の2台で参戦。車検でリアフェンダのスパッツ形状でIMSAのGTXにクラス変更させられた。決勝では、寺田組が総合14位で初完走した。日本国内では253と同様、マツダスピード以外のチームでも254を購入しレースに参戦するチームがあった。
::* '''マツダ本社'''   
:::マツダ本社がマツダスピードのG5の活動に刺激され、風洞モデルとしてG5マシンを作成。この車両を使い、片山レーシングと静岡マツダが日本国内のレースに参戦した。車両としては、マツダスピードと同じように外装のみの大幅変更と13Bへの換装を実施
 
::'''マツダオート山梨(赤池レーシング)'''    
:* '''マツダオート山梨(赤池レーシング)'''    
::1982年に「マツダ825」という車名で赤池レーシングと提携していたマツダオート山梨が、パイプフレームのシャーシに13Bを搭載したマシン
 
=== FC3S ===
* IMSAシリーズへの参戦はSA22C時代と継続して続けられた。エントラントによっては、GTUクラスでの参戦を継続すためエンジンを12Aに載せ換えたチームもある。また4ローターエンジン(13J改2)を搭載したマシンも作られGTXクラスへも参戦を行なった。IMSAにおいては、マシンは大幅な改造が認められていた。IMSAデイトナ24時間レースで1982年から10年連続でクラス優勝を飾り、1980年から1987年まで毎年 IMSA Grand Touring Under Two Liter(GTU:グランドツーリング・2.0L以下クラス)選手権でシリーズチャンピオン獲得を果たした。 RX-7は、IMSAレースにおいて同クラスのいかなる自動車よりも多く勝ち続け、1990年9月2日に100勝目を挙げた。
* 日本では、個人規模のプライベーターチームによる市販車ベースのレース参戦が行われた。当時 日本国内のレースでは、シルエットフォーミュラのレースが終了し、各メーカとも[[グループC]]レースに総力を挙げていた。マツダスピードは、グループCの開発・参戦に専念していたので、本モデルのレースマシンは開発されなかった。[[全日本GT選手権]](JGTC)では[[東京科学芸術専門学校]](科芸専)によって、GT300クラスにエントリーされた。また富士スピードウエイでは[[ジャパン・スーパースポーツ・セダンレース]](JSS)で、活発なレース活動が行われた。これは13Bエンジンをペリフェラルポートにしたエンジンで主に争われた。
* [[ボンネビル・ソルトフラッツ]]で行われるボンネビルスピードウィークに、レーシングビートが13Bブリッジポートとツインターボで区間記録383.724km/h、最高速度392km/hを記録している(圧縮比7.5のローターを使用したワークス試作エンジンが搭載された)。その他の団体からもFC3Sでエントリーが行われている。
 
237 ⟶ 241行目:
:[[1992年]]にはIMSAの最高峰クラスであるGTPクラス([[プロトタイプレーシングカー]]クラス)に「RX-792P」が投入された。名前に「RX-7」が入っているがGTPマシンであるので、市販車のRX-7とは全くの別物である。エンジンは前年にル・マン24時間を制した[[マツダ・787|マツダ・787B]]に搭載されていたR26Bをレギュレーションに合わせてリストリクターを装着して搭載している。
 
== 販売店車名の由来 ==
車名の由来は「R」が「[[ロータリーエンジン]]」、「X」が「未来を象徴する記号」を表し、「ロータリー・スペシャリティ」とも表現される。「7」は「マツダ内での車格番号」で、ほかには[[マツダ・カペラ|2]]、[[マツダ・サバンナ|3]]、[[マツダ・ルーチェ|4]]、[[マツダ・コスモ|5]](輸出仕様のみ)、[[マツダ・RX-8|8]]を車名に含んだ車種がある。
販売店系列は、初代と2代目がマツダオート店でこれは後に[[マツダアンフィニ|アンフィニ店]]と名を変えた。3代目RX-7は当初はアンフィニ店専売だったが、モデル末期にはアンフィニ店とユーノス店が統合されたマツダアンフィニ店とマツダ店で販売された。
 
== 注釈 ==
253 ⟶ 257行目:
== 関連項目 ==
{{commonscat|Mazda RX-7}}
* [[ロータリーエンジン]]
* [[マツダ・コスモ]]
* [[マツダ・サバンナ]]