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Lonicera (会話 | 投稿記録)
→‎事後: 上尾事件だけが原因ではないでしょう
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==事後==
事件翌日、暴動の再発を恐れた国鉄と警察は、[[機動隊]]を上尾駅周辺に配備して治安維持を行ったが、全く何事も起こらなかった。この日もそれまでと変わらない満員電車であったが、恐らくは暴動に参加したであろう市民も、何事も無かったように通勤していった。
 
この上尾事件の後、高崎線などには構造強化等の仕様変更を行った[[国鉄115系電車|115系]]300番台が増備された。
<!--労働争議#遵法闘争-->
 
この一連の順法闘争が乗客の暴動を招いたわけだが、[[暴力]]という明確な意思表示がなされても、国鉄の体質は全く変わらなかった、どころか、ますます硬直化した。利用者は国鉄に見切りをつけ始めた。いわゆる「'''国鉄離れ'''」が決定的となったのである。この頃を「[[モータリゼーション]]の高まりにより鉄道全体の利用客が減少した」と片付ける向きもあるが、実際には首都圏では鉄道利用の通勤客はますます増大するばかりであった。
 
結果、「(国鉄より)早くて便利、しかも安い」を掲げていた[[京浜急行]]・京王帝都電鉄(現・[[京王電鉄]])・[[小田急電鉄]]はもとより、上尾事件の舞台となった埼玉では、従前は国鉄より遅く車両設計も保守的だった(ただし運賃は安い)[[東武鉄道]]や[[西武鉄道]]にも乗客が大量に流れ込んだ。一見不便なダイヤでも正確に動く事が評価されたのである。結果、各社は通勤車両の大増備を余儀なくされ、中には[[東武8000系電車]]や[[東急8000系電車]]系列など国鉄張りの一形式大量増備も行われた。また新製だけでは追いつかず、[[吊り掛け駆動方式|釣り掛け式]]の旧型車の、車体だけ軽量の新車体として急場を凌いだ例もあった。
 
これに対し、国鉄はサービス改善ではなく、度重なる値上げや、急行の「特急格上げ」という名を借りた実質的値上げの乱発とそれに伴う優等列車サービスの簡素化、労組側に屈した形の減量ダイヤ等々によって収支を改善しようとしたが、かえってさらに乗客が離れるという悪循環で、「'''需要はあるのに収入が上がらない'''」結果になり、累積赤字は膨らむ一方となり、最終的にどうしようもなくなって分割民営化に至るのである。
 
結局、行き過ぎた順法闘争は[[国鉄分割民営化]]というしっぺ返しとなって国鉄労働者を襲った。
 
==関連項目==