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{{Infobox spaceflight
| name = アポロ12号
| image = Surveyor 3-Apollo 12.jpg
| image_caption = サーベイヤー3号で調査を行うピート・コンラッド。右奥にはアポロ12号の着陸船がある。
|
| mission_type = 有人月面着陸
| operator = [[アメリカ航空宇宙局|NASA]]<ref name="Orloff">{{cite book |last=Orloff |first=Richard W. |title=Apollo by the Numbers: A Statistical Reference |url=http://history.nasa.gov/SP-4029/SP-4029.htm |accessdate=June 12, 2013 |series=NASA History Series |origyear=First published 2000 |date=September 2004 |work=NASA History Division, Office of Policy and Plans |publisher=[[アメリカ航空宇宙局|NASA]] |location=Washington, D.C. |isbn=0-16-050631-X |lccn=00061677 |id=NASA SP-2000-4029 |chapter=Table of Contents |chapterurl=http://history.nasa.gov/SP-4029/Apollo_00g_Table_of_Contents.htm}}</ref>
| COSPAR_ID = CSM: 1969-099A<br/>LM: 1969-099C
| SATCAT = CSM: 4225<br/>LM: 4226
| mission_duration = 10日4時間36分24秒
| spacecraft = [[アポロ司令・機械船|Apollo CSM]]-108<br/>[[アポロ月着陸船|Apollo LM]]-6
| manufacturer = CSM: [[ロックウェル・インターナショナル|North American Rockwell]]<br/>LM: [[グラマン]]
| launch_mass = CM: {{convert|28,838|kg}}<br/>LM: {{convert|15,235|kg}}
| landing_mass =
| launch_date = {{start date|1969|11|14}}16:22:00(UTC)
| launch_rocket = [[サターンV]] SA-507
| launch_site = [[ケネディ宇宙センター]] [[ケネディ宇宙センター第39複合発射施設|LC-39A]]
| landing_date = {{end date|1969|11|24}}20:58:24(UTC)
| landing_site = 南太平洋<br/>{{Coord|15|47|S|165|9|W|type:event|name=アポロ12号着水地点}}
| orbit_epoch =
| orbit_reference = [[月周回軌道]]
| orbit_periapsis = {{convert|54.59|nmi|km|disp=flip|sp=us}}
| orbit_apoapsis = {{convert|66.10|nmi|km|disp=flip|sp=us}}
| orbit_inclination =
| orbit_period =
| apsis = selene
|interplanetary =
{{Infobox spaceflight/IP
|type = orbiter
|object = [[月]]
|orbits = 45
|arrival_date = 1969年11月18日03:47:23 UTC
|departure_date = 1969年11月21日20:49:16 UTC
}}
{{Infobox spaceflight/IP
|type = lander
|object = 月
|component = 月着陸船
|arrival_date = 1969年11月19日06:54:35 UTC
|departure_date = 1969年11月20日14:25:47 UTC
|location = [[嵐の大洋]]<br/>{{Lunar coords and quad cat|3.012389|S|23.421569|W}}
|sample_mass = {{convert|34.35|kg|lb}}
|surface_EVAs = 2
|surface_EVA_time = {{nowrap|総計: 7時間45分18秒}}<br/><small>{{nowrap|1回目:3時間56分03秒}}<br/>2回目: 3時間49分15秒</small>
}}
| docking =
{{Infobox spaceflight/Dock
| docking_target = 月着陸船
<!--| docking_type = ドック-->
| docking_date = 1969年11月14日19:48:53 UTC
| undocking_date = 1969年11月19日04:16:02 UTC
| time_docked =
}}
{{Infobox spaceflight/Dock
| docking_target = 月着陸船上段ロケット
<!--| docking_type = ドック-->
| docking_date = 1969年11月20日17:58:20 UTC
| undocking_date = 1969年11月20日20:21:31 UTC
| time_docked =
}}
| crew_size = 3人
| crew_members = [[ピート・コンラッド]]<br/>{{仮リンク|リチャード・ゴードン|en|Richard F. Gordon, Jr.}}<br/>[[アラン・ビーン]]
| crew_callsign = {{Nowrap|CSM:ヤンキー・クリッパー、LM:イントレピッド}}
| crew_photo = Apollo 12 crew.jpg
| crew_photo_caption = 左からピート・コンラッド、リチャード・ゴードン、アラン・ビーン
| previous_mission = [[アポロ11号]]
| next_mission = [[アポロ13号]]
| programme = [[アポロ計画]]<br/><small>有人ミッション</small>
}}
'''アポロ12号'''は[[アメリカ合衆国]]の[[アポロ計画]]における6番目の飛行であり、[[アポロ計画飛行種別一覧|H計画]]と呼ばれる[[月面]]への着陸を行う2度目の飛行であった。[[フロリダ州]]の[[ケネディ宇宙センター]]から発射されたのは[[1969年]][[11月14日]]のことで、[[アポロ11号]]から4ヶ月後のことだった。船長[[ピート・コンラッド]] (Pete Conrad) と[[アポロ月着陸船|月着陸船]]操縦士[[アラン・ビーン]] (Alan Bean) は1日と7時間にわたって月面で[[宇宙遊泳|船外活動]]を行い、その間[[アポロ司令・機械船|司令船]]操縦士リチャード・ゴードン (Richard F. Gordon, Jr.) は月周回軌道上にとどまっていた。着陸船の月面での着陸地点は、[[嵐の大洋]]の南部であった。
史上初の月面着陸を行った11号とは違い、コンラッドとビーンは[[1967年]][[4月20日]]に[[サーベイヤー3号]]が着陸した目標地点に正確に降り立った。この飛行ではアポロ計画で初めてカラーの[[テレビカメラ]]が携行されたが、ビーンが誤って[[太陽]]に[[レンズ]]を向けたために機器が故障し、[[中継]]には失敗した。船外活動は2回行われ、そのうちの1回で飛行士はサーベイヤーから機器を取り外し、[[地球]]に持ち帰った。宇宙船は[[11月24日]]に無事着水し、計画は成功裏に終了した。
==搭乗員==
{{Spaceflight crew
|terminology = 飛行士
|position1 = 船長
|crew1_up = [[ピート・コンラッド]] (Pete Conrad)
|flights1_up = 三
|position2 = 司令船操縦士
|crew2_up = リチャード・ゴードン (Richard F. Gordon, Jr.)
|flights2_up = 二
|position3 = 月着陸船操縦士
|crew3_up = [[アラン・ビーン]] (Alan Bean)
|flights3_up = 一
}}
===
{{Spaceflight crew
|terminology = 飛行士
|position1 = 船長
|crew1_up = [[デイヴィッド・スコット]] (David Scott)
|position2 = 司令船操縦士
|crew2_up = アルフレッド・ウォーデン (Alfred Worden)
|position3 = 月着陸船操縦士
|crew3_up = [[ジェームズ・アーウィン]] (James Irwin)
|notes = この予備搭乗員たちは、後に[[アポロ15号]]で飛行した。
}}
===
*ジェラルド・カー (Gerald P. Carr)
*エドワード・ギブソン (Edward Gibson)
*ポール・ウェイツ (Paul J. Weitz)
===飛行主任===
*ジェリー・グリフィン (Gerald D. Griffin)、金チーム主任
*ピート・フランク (Pete Frank)、オレンジチーム主任
*クリフ・チャールスワース (Cliff Charlesworth)、緑チーム主任
*ミルトン・ウィンドラー (Milton Windler)、栗色チーム主任
==諸数値==
*'''着水点''':W<ref>{{cite web |url=http://nssdc.gsfc.nasa.gov/planetary/lunar/lunar_sites.html |title=Apollo Landing Site Coordinates |last=Williams |first=David R. |work=[[National Space Science Data Center]] |publisher=[[NASA]] |accessdate=November 7, 2011}}</ref>{{Coord|3.01239|S|23.42157|W|globe:moon_type:event|title=Apollo 12 landing site}}
===司令・機械船—着陸船ドッキング===
*'''ドッキング切り離し''':1969年[[11月19日]] – 04:16:02 UTC
*'''再ドッキング''':1969年[[11月20日]] – 17:58:20 UTC
===船外活動===
====第1回船外活動 1969年11月19日 11:32:35 UTC====
* ''コンラッド'' — 船外活動1
*'''活動開始''':11:44:22 UTC
*'''着陸船帰還''':15:27:17 UTC
* ''ビーン'' — 船外活動1
*'''活動開始''':12:13:50 UTC
*'''着陸船帰還''':15:14:18 UTC
====第1回船外活動終了 11月19日 15:28:38 UTC====
*'''活動時間''':3時間56分03秒
====第2回船外活動 1969年11月20日 03:54:45 UTC====
* ''コンラッド'' — 船外活動2
*'''活動開始''':03:59:00 UTC
*'''着陸船帰還''':07:42:00 UTC
* ''ビーン'' — 船外活動2
*'''活動開始''':04:06:00 UTC
*'''着陸船帰還''':07:30:00 UTC
====第2回船外活動終了 11月20日 07:44:00 UTC====
*'''活動時間''':3時間49分15秒
<br clear="right"/>
==計画の焦点==
{| style="float: right"
|-
|[[Image:Pete Conrad on LM ladder, Apollo 12.jpg|thumb|235px|着陸船から月面に降り立つコンラッド]]
|-
|[[Image:Apollo12Visor.jpg|thumb|235px|コンラッドに撮影されたビーン飛行士 (ヘルメットに写っているのがコンラッド)]]
|-
|[[Image:a12-plaque.jpg|right|thumb|12号の銘板の複製品]]
|}
===発射から月遷移軌道まで===
[[File:Apollo 12 launches from Kennedy Space Center.jpg|thumb|left|ケネディ宇宙センターから発射される12号。1969年11月14日]]
12号は暴風雨の中、[[ケネディ宇宙センター]]から予定通りの時刻に発射された。発射場には現職の[[アメリカ合衆国大統領|大統領]]である[[リチャード・ニクソン]] (Richard Nixon) が駆けつけていたが、これは史上初めてのことであった。発射から36.5秒後、機体を[[雷]]が直撃した。[[電流]]は[[ロケット]]の排煙を伝わり、地面に[[放電]]された。[[アポロ司令・機械船#機械船|機械船]]の[[燃料電池]]の[[遮断器|ブレーカー]]はこのとき誤って過負荷を検知し、三つの電池すべてと[[アポロ司令・機械船|司令・機械船]]の機器のほとんどを遮断させた。さらに52秒後にも二度目の[[落雷]]を受け、「8ボール」式の[[姿勢指示器]]が停止してしまった。管制センターに送られてくる遠隔測定のデータは完全に混乱してしまったが、[[サターンV|サターン5型ロケット]]に搭載されている[[サターンV#自動制御装置|自動飛行制御装置]]は影響を受けなかったため、[[ロケット]]は正常に飛行を続けた。
燃料電池が3つとも停止したことで宇宙船は完全に緊急用[[電池]]に頼らざるを得なくなったが、これは平常時の28[[ボルト (単位)|ボルト]]の[[電圧]]を発射時の75[[アンペア]]という高負荷に保たせることができるものではなかったため、[[インバータ]]の一つが停止した。この電源トラブルにより計器盤のすべての警告灯が点灯してしまい、ほとんどの機器が「故障」したとの表示がされた。
[[NASA]]の伝説的な古参の管制官で、宇宙船への[[電力]]や[[酸素]]の供給の監視を担当する、「鋼鉄の目を持つ[[ミサイル]]屋<ref>[[#Lovell & Kluger|Lovell & Kluger, Lost Moon, 1994, p. 157]]</ref>」の異名を持つジョン・アーロン (John Aaron) はこのとき、アポロ計画の初期に行われたある試験の結果をおぼえていた。その試験とは、信号調整装置 (Signal Conditioning Equipment, SCE) に電力が送られなくなった状況を再現するものであった。SCEとは、機器から送られてくる一連の信号を宇宙船の計器盤や遠隔測定の符号器に表示するため、標準の電圧に変換するものである<ref>{{cite book |last1=Kranz |first1=Eugene F. |authorlink1=Gene Kranz |last2=Covington |first2=James Otis |title=What Made Apollo a Success? |url=http://history.nasa.gov/SP-287/sp287.htm |accessdate=November 7, 2011 |origyear="A series of eight articles reprinted by permission from the March 1970 issue of ''Astronautics & Aeronautics'', a publication of the [[American Institute of Aeronautics and Astronautics]]." |year=1971 |work=NASA History Program Office |publisher=NASA |location=Washington, D.C. |oclc=69849598 |id=NASA SP-287 |chapter=Flight Control in the Apollo Program |chapterurl=http://history.nasa.gov/SP-287/ch5.htm}} Chapter 5.</ref>。
実はこのとき管制室では、落雷で司令船の[[パラシュート]]展開装置の一部が誤って点火してしまったのではないかと懸念していた。もしそうなっていたら、パラシュートを開くための[[分離ボルト|爆発ボルト]]が作動しなくなり{{citation needed|date=October 2013}}、司令船は[[太平洋]]に叩きつけられ三人の飛行士は間違いなく即死することになる。だがこの時点においては本当に点火したのかどうかは全く確かめようがないことであるため、管制室はこの懸念を飛行士には伝えないことに決定した。結局、パラシュートは飛行の最後に正常に展開し、飛行士たちは無事太平洋に着水した。
Jorgensen, K.; Rivkin, A.; Binzel, R.; Whitely, R.; Hergenrother, C.; Chodas, P.; Chesley, S.; Vilas, F.|title=Observations of J002E3: Possible Discovery of an Apollo Rocket Body|journal=Bulletin of the American Astronomical Society|date =May 2003|volume=35|page=981}}</ref>。
===月面着陸===
[[File:Lunar module AS12-51-7507.jpg|right|thumb|月上空を飛行する着陸船]]
[[Image:Apollo 12 landing site 3154 h2.jpg|thumb|left|[[ルナ・オービター3号]]が撮影した、月面の高解像度画像。画面中央付近が12号の着陸地点。写真で示されている部分の大きさは、およそ1.75×1.75km]]
[[File:Apollo 12 landing site imaged by LRO, 2011.jpg|left|thumb|[[ルナー・リコネサンス・オービター]]が[[2011年]]に撮影した12号の着陸地点付近]]
着陸船「イントレピッド」は1969年[[11月19日]]、[[嵐の海]]に着陸した。この地点にはそれ以前にも、[[ルナ5号]]、サーベイヤー3号、[[レインジャー7号]]などいくつかの[[宇宙探査機|無人探査機]]が到達していた。[[国際天文学連合]]はこの地域を「[[既知の海]] (Mare Cognitum)」と命名した。着陸地点の[[月面座標]]は南緯3.01239°、西経23.42157°で<ref>{{cite web |url=http://www.nasm.si.edu/collections/imagery/apollo/landsites.htm |title=Landing Sites |work=The Apollo Program |publisher=[[National Air and Space Museum]] |accessdate=November 7, 2011}}</ref>、その後月面地図には「Statio Cognitum」と登録されることになっていた。コンラッドとビーンは自分たちが降り立った場所に公式に名前を与えることは特にしなかったが、コンラッドは着陸地点を個人的に「ピートの駐車場 (Pete's Parking Lot)」と呼んでいた。
12号のこの二度目の月面着陸は、今後のアポロ計画で必要となるであろう「目標地点への正確な到達」の演習でもあった。降下のほとんどは自動で行われ、コンラッドが操作したのは最後の数百フィートの操縦だけだった。11号では着陸地点に大きな岩が散在していたため、[[ニール・アームストロング]] (Neil Armstrong) 船長は[[コンピューター]]が目標に定めていた予定飛行経路に着陸船を合わせるため手動で制御しなければならなかったが、12号は当初に目標に定めていた地点に着陸することに成功した。そこは1967年4月に探査機サーベイヤー3号が降り立った地点から、歩いて行けるほどの距離だった<ref name="Chaikin 1995">[[#Chaikin|Chaikin 1995]]</ref>。人類がかつて打ち上げた探査機と地球以外の世界で「再会」するのは、後にも先にもこれが唯一の例であった。
イントレピッドが着陸したのは、実際には「ピートの駐車場」よりも580フィート (177メートル) 手前の地点だった。これは目標地点の凹凸が予想よりも激しいように見られたため、コンラッドが最終段階で急遽着陸地点を変更したからであった。当初イントレピッドは、降下用エンジンの排気ガスで巻き上げられた月面の砂がサーベイヤー3号を覆ってしまうことを防ぐため<ref name="autogenerated1969">{{cite news |title=1969 Year in Review: Apollo 11 |url=http://www.upi.com/Audio/Year_in_Review/Events-of-1969/Apollo-11/12303189849225-2/ |work=UPI.com |publisher=[[United Press International]] |year=1969 |accessdate=November 7, 2011}}</ref>1,180フィート (360メートル) 離れた地点に着陸することになっていたのだが、コンラッドの操作により実際の距離は600フィート (183メートル) に縮まり、3号は高速度の砂埃に吹きさらされることになった。後に判明したところでは、この砂埃はむしろサーベイヤーを覆っていた塵を吹き飛ばす結果になった。最初に飛行士が観測したとき、3号はもともと薄い塵の層に覆われていたため薄褐色に見えていた。その後飛行士が近づいて見てみると、着陸船の排気ガスにさらされた部分は塵が吹き飛ばされ、元の色である白に近くなっていたのである<ref>{{cite journal |last1=Immer |first1=Christopher A. |last2=Metzger |first2=Philip |last3=Hintze |first3=Paul E. |last4=Nick|first4=Andrew |last5=Horan |first5=Ryan |date=February 2011 |title=Apollo 12 Lunar Module Exhaust Plume Impingement on Lunar Surveyor III |journal=[[Icarus (journal)|Icarus]] |volume=211 |issue=2 |pages=1089–1102 |location=Amsterdam |publisher=[[Elsevier]] |bibcode=2011Icar..211.1089I |doi=10.1016/j.icarus.2010.11.013 |accessdate=June 23, 2013 |url=http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S001910351000432X |display-authors=3}}</ref>。
===船外活動===
コンラッドが月面に降り立ったときの第一声は、「ウヒョー! (Whoopie!)、ニールよりチビの俺にとっては、これは大きな一歩だぜ」であった<ref name="Chaikin 1995"/><ref>{{YouTube|id=YEEIJYrXn9s|title="Apollo 12 First Steps"|link=no}}</ref>。これは即興で言った発言ではなかった。彼はジャーナリストの[[オリアーナ・ファラーチ]]と、月面に立った瞬間にこの発言をするかどうかで500[[ドル]]の賭けをしていたのである。ファラーチは11号のニール・アームストロング船長の「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」という発言があまりにも優等生すぎるとして、NASAが事前にそう言うように指示していたのではないかと疑っていた。コンラッドの発言は、大柄なアームストロングと身長160cm台の自分とを掛けたジョークでもあった。コンラッドが後に語ったところによると、彼はついにファラーチから賭け金を取ることはできなかった<ref>[[#Chaikin|Chaikin 1995]], p. 261</ref><ref>{{cite news |title=Conrad: Pioneer of the Final Frontier |first=Kathy |last=Sawyer |url=http://www.washingtonpost.com/wp-srv/national/daily/july99/conrad10.htm |newspaper=[[The Washington Post]] |page=C1 |date=July 10, 1999 |accessdate=November 7, 2011}}</ref>。
12号はサーベイヤー3号まで歩いて行けるほどの距離に着陸することに成功し、コンラッドとビーンは3号の機器の一部を取り外して分析のために地球に持ち帰った。このときストレプトコッカス・ミチス (Streptococcus mitis) という[[バクテリア]]が発射前に3号のカメラに偶然付着し、月面での過酷な環境を2年半も生き延びて再び地球に持ち帰られたと言われている<ref>{{cite web |url=http://science.nasa.gov/science-news/science-at-nasa/1998/ast01sep98_1/ |title=Earth Microbes on the Moon |last=Noever |first=David |date=September 1, 1998 |work=Science@NASA |publisher=NASA |accessdate=November 7, 2011}}</ref>が、これはいまだ検証されていない。
コンラッドとビーンは
着陸船イントレピッドの下降
===帰還===
[[Image:CVS-12 Apollo12 SH-3D NAN1-70.jpg|thumb|[[ホーネット (CV-12)|USSホーネット]]に回収される12号]]
イントレピッドの上昇段はコンラッドとビーンが軌道上で待機する司令船と再ドッキングした後、(通常の手順に従い) 意図的に高度を落とされ、1969年[[11月20日]]に月面上{{Coord|3.94|S|21.20|W|type:event_globe:moon|title=Apollo 12 Intrepid Module impact}}に激突した。飛行士たちが月面に設置した[[地震計]]は、この衝撃で1時間以上にわたって振動が続くのを記録した。
地球への帰還の途中で12号の飛行士たちは[[日食]]を目撃し、その写真を撮影した。これは地球が太陽を覆い隠すことによって発生した現象であった。
===着水===
司令船「ヤンキー・クリッパー」は1969年11月24日20:58[[協定世界時|UTC]] ([[東部標準時|米東部標準時]]3:58、[[ハワイ・アリューシャン標準時]]10:58) 、太平洋上[[アメリカ領サモア]]東方約500[[マイル]] (800km) に帰還した。着水の際、[[16mmフィルム]]のカメラが収納庫から崩れ落ちてビーンの額を直撃した。彼は後で6針縫う裂傷を負い<ref>{{cite web |url=http://www.hq.nasa.gov/alsj/a12/A12_MissionReport.pdf |title=Apollo 12 Mission Report |date=March 1970 |work=Apollo 12 Lunar Surface Journal |publisher=NASA |format=PDF |id=MSC-01855 |accessdate=June 23, 2013}}</ref> 、軽い[[脳震盪]]を起こして一瞬気を失った。飛行士たちは[[空母]][[ホーネット (CV-12)|USSホーネット]]に回収された後は式典のためにサモア諸島タフナ (Tafuna) の[[パゴパゴ国際空港]]に送られ、その後は[[C-141 (航空機)|C-141]][[輸送機]]で[[ハワイ]]に送還された。
==冗談と記念品==
*
*全員が[[アメリカ海軍|海軍]]出身の本搭乗員と全員が[[アメリカ空軍|空軍]]出身の予備搭乗員たちの間では、ライバル心を発揮して様々ないたずらが行われた。その中の一つに、月面で使うチェックリストの中に雑誌[[PLAYBOY|プレイボーイ]]の写真を忍ばせるというものがあった。このチェックリストは[[宇宙服]]に取りつけられているもので、予備搭乗員たちはこの中にプレイメイトの縮小版の写真を紛れ込ませ、コンラッドとビーンが最初の船外活動をするときに驚かせてやろうとしたのである。[http://www.hq.nasa.gov/alsj/ Apollo Lunar Surface Journal website (アポロ月面ジャーナルウェブサイト)]では、宇宙服の袖口のチェックリストにこれらの写真が見えているところがPDFファイルで収められている<ref>{{cite web |url=http://www.hq.nasa.gov/alsj/a12/a12_cdrcuff.pdf |title=Cuff Checklists |work=Apollo 12 Lunar Surface Journal |publisher=NASA |format=PDF |accessdate=November 7, 2011}}</ref>。コンラッドのチェックリストに見えているのは1967年度ミス9月のアンジェラ・ドリアン (Angela Dorian) とミス10月のレーガン・ウィルソン (Reagan Wilson) で、ドリアンの写真には「何か気になる丘と谷間に見えた? (SEEN ANY INTERESTING HILLS & VALLEYS ? 丘と谷間は女性の肉体を象徴している)」、ウィルソンの写真には「(あなたを) つなぎ止めるお好みのパートナー (PREFERRED TETHER PARTNER)」のキャプションが書かれている。ウィルソンの写真が貼られてあるのは、[[生命維持装置]]を共有する際に必要な手順について書かれた部分である。一方ビーンのチェックリストに見えているのは1968年度ミス12月の[[シンシア・マイヤーズ]] (Cynthia Myers) と1969年ミス1月のレスリー・ビアンチーニ (Leslie Bianchini) で、マイヤーズには「忘れないで—その隆起を説明して (DON'T FORGET - DESCRIBE THE PROTUBERANCES、隆起とはいわゆる『もっこり』のこと)」、ビアンチーニには「彼女の行動を調査しろ (SURVEY - HER ACTIVITY)」と書かれている。ビアンチーニの「SURVEY」は、サーベイヤー (Surveyor) に[[駄洒落|ひっかけたもの]]である<ref>{{cite web |url=http://www.boingboing.net/2007/01/13/playboy_playmates_pr.html |title=Playboy Playmates pranked into Apollo 12 mission checklists |last=Jardin |first=Xeni |authorlink=Xeni Jardin |date=January 13, 2007 |work=[[Boing Boing]] |accessdate=November 7, 2011}}</ref><ref>{{cite web |url=http://www.playboy.com/go/blog/magazine/Letters/2007/01/10/On-Buckeyes-Nanotechnology-and-Playmates-in-Space.html |title=On Buckeyes, Nanotechnology and Playmates in Space |last=Rowe |first=Chip |date=January 10, 2007 |work=The Playboy Blog |publisher=[[Playboy Enterprises]] |archiveurl=http://web.archive.org/web/20070317190829/http://www.playboy.com/go/blog/magazine/Letters/2007/01/10/On-Buckeyes-Nanotechnology-and-Playmates-in-Space.html |archivedate=March 17, 2007 |accessdate=November 7, 2011}}</ref>。このいたずらをした予備搭乗員たちは、後に[[アポロ15号]]で飛行した。またコンラッドのチェックリストの後ろには、2ページにわたって難解な[[地質学]]の学術用語がつけ足されているというもう一つのいたずらが仕掛けてあった。それを読み上げると、地上の管制官たちは彼があたかも地質学の高度な専門家であるかのように思うはずであった。一方で月の上空で待機していたゴードンも、プレイボーイの「被害」を免れることはできなかった。仲間が月面で活動している最中に船内のロッカーを開けたところ、1967年度ミス8月の[[デデ・リンド]] (DeDe Lind) をモデルにした1969年11月のカレンダーが紛れ込んでいたのである。[[2011年]]、ゴードンはそのカレンダーを[[競売]]にかけた。「RRオークション」でつけられた値段は、12,000–15,000ドルであった<ref>{{cite news |title=NASA Memorabilia Auction |url=http://www.cnbc.com/id/40640800/NASA_Memorabilia_Auction?slide=3 |work=Alternative Investing |publisher=[[CNBC]] |accessdate=November 7, 2011}}</ref><ref>{{cite web |url=http://pmoy.playboy.com/playmate-flashback-dede-lind-circles-the-moon |title=Playmate Flashback: DeDe Lind Circles the Moon |date=January 4, 2011 |work=Playmate of the Year |publisher=Playboy Enterprises |accessdate=November 7, 2011}}</ref>。またゴードンのカレンダーはカラーであったのに対し、月面のチェックリストに仕掛けられていた写真は白黒だったのだが、[[1998年]]のテレビドラマ「[[フロム・ジ・アース/人類、月に立つ]] (From the Earth to the Moon)」では月面の写真もカラーにされていた。
*[[彫刻家]]のフォーレスト・マイヤース (Forrest Myers) は、着陸船イントレピッドの脚の中に「月の博物館 (Moon Museum)」という数センチ四方の作品を忍び込ませてあると主張している。彼によれば、最初は公式にNASAに申し出たのだがうまくいかなかったため、[[グラマン]]社の無名の技術者に協力してもらって成し遂げたとのことである<ref>{{cite web |url=http://greg.org/archive/2008/02/28/the_moon_museum.html |title=The Moon Museum |last=Allen |first=Greg |date=February 28, 2008 |work=greg.org: the making of |publisher=greg.org |accessdate=November 7, 2011}}</ref>。
*ビーンは宇宙飛行士の[[銀]]の[[階級章]]を、記念品として月面に置いていった<ref name="Chaikin 1995"/>。これは訓練は成し遂げたものの、まだ宇宙を飛んでいない飛行士たちのためのものであり、ビーンはそれを6年間身につけていた。彼はこの飛行が成功裏に終われば[[金]]の階級章を得ることになっていたため、古いものはその後は必要がなくなると感じていた<ref name="Chaikin 1995"/>。月面で、ビーンは銀の階級章を[[クレーター]]の中に投げ入れた。これは軍のパイロットたちに伝わる、古い階級章を捨てるときの儀式の延長として行われたものだった。
==計画の記章==
12号の計画の記章は、飛行士たちの海軍軍人としての経歴を反映している。飛行当時、3人はすべて海軍の[[中佐]]であった。月面を訪れる[[クリッパー (船)|大型帆船]] (クリッパー) は、司令船「ヤンキー・クリッパー」を表している。船は炎の航跡を引き、[[マスト]]の上には[[星条旗|アメリカの国旗]]がはためいている。計画名「APOLLO XII」と飛行士の名前は太い金線の中に書かれ、青で縁どりがされている。金と青はアメリカ海軍の伝統色である。記章の中には4つの星が描かれている。そのうちの3つは飛行士たちを表し、残りの1つは海軍パイロットで宇宙飛行士の[[クリフトン・ウィリアムズ (宇宙飛行士)| クリフトン・ウィリアムズ]] (Clifton Williams) を表している。ウィリアムズは1967年[[10月5日]]、[[T-38 (航空機)|T-38練習機]]で飛行中に機器が故障して機体が制御不能になり死亡した。彼は[[アポロ9号]]の予備搭乗員としてコンラッドやゴードンと訓練を共にし、12号では月着陸船の操縦士を務めることになっていた<ref name="Chaikin 1995"/>。
==宇宙船の現在==
[[File:Apollo12 CommandModule Hampton.JPG|thumb|right|ヴァージニア州ハンプトンのヴァージニア航空宇宙センターに展示されている12号の司令船ヤンキー・クリッパー]]
12号の司令船「ヤンキー・クリッパー」は、[[ヴァージニア州]][[ハンプトン]]のヴァージニア航空宇宙センターに展示されている。
2002年、[[天文学者]]たちは地球を周るもうひとつの「月」を発見した。それはJ002E3の小惑星番号が与えられ、後に12号のサターン5型ロケット第三段であることが判明した<ref>{{cite web |url=http://www.universetoday.com/15019/how-many-moons-does-earth-have/ |title=How Many Moons Does Earth Have? |last=Cain |first=Fraser |date=June 12, 2008 |work=[[Universe Today]] |accessdate=November 7, 2011}}</ref>。
[[File:Apollo Moon Flags Still Standing NASA Lunar Science Institute.theora.ogv|thumbnail|left|ルナー・リコネサンス・オービターが撮影した、一連の昼の部分の月面写真。12号が立てた旗が依然として立っていることがわかる]]
着陸船イントレピッドの上昇段は、1969年11月20日22時17分17秒07 (米東部標準時5時17分) に月面上{{Coord|3.94|S|21.20|W|type:event_globe:moon|title=Apollo 12 Intrepid Module impact}}に激突した。
[[2009年]]、[[ルナー・リコネサンス・オービター]] (Lunar Reconnaissance Orbiter, LRO) は12号の着陸地点を撮影した。写真ではイントレピッドの下降段、観測機器 (ALSEP)、サーベイヤー3号、飛行士の足跡などがすべて見て取ることができる<ref>{{cite web |url=http://www.nasa.gov/mission_pages/LRO/multimedia/lroimages/lroc_20090903_apollo12.html |title=Apollo 12 and Surveyor 3 |date=September 3, 2009 |editor-last=Garner |editor-first=Robert |publisher=NASA |accessdate=November 7, 2011}}</ref>。[[2011年]]、LROはさらに高解像度の写真を撮影するため高度を下げて再び着陸地点に接近した<ref name="NASA LRO">{{cite web |url=http://www.nasa.gov/mission_pages/LRO/news/apollo-sites.html |title=NASA Spacecraft Images Offer Sharper Views of Apollo Landing Sites |last1=Neal-Jones |first1=Nancy |last2=Zubritsky |first2=Elizabeth |last3=Cole |first3=Steve |editor-last=Garner |editor-first=Robert |date=September 6, 2011 |publisher=NASA |id=Goddard Release No. 11-058 (co-issued as NASA HQ Release No. 11-289) |accessdate=November 7, 2011}}</ref>。
==メディアでの表現==
12号の計画の一部は、「フロム・ジ・アース/人類、月に立つ」というテレビシリーズの中で「そこにあるものがすべて (That's All There Is)」というタイトルでドラマ化されている。コンラッド、ゴードン、ビーンを演じたのは、それぞれ[[ポール・マクレーン]] (Paul McCrane)、トム・ヴェリカ (Tom Verica)、[[デイヴ・フォーリー]] (Dave Foley) だった。シリーズの第一話では、コンラッドの役はピーター・スコラーリ (Peter Scolari) が演じている。
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===参照===
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== 参考文献 ==
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