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江戸幕府以前、豊臣政権時代の天正10年(1582年)にも同名の奉行職はあった。
=== 箱館奉行・松前奉行・蝦夷奉行 ===
==== 第1期幕領時代(1802年-1821年) ====
18世紀末の[[アイヌ]]の反乱([[クナシリ・メナシの戦い]])、ロシア人・[[アダム・ラクスマン]]の来航を背景に、幕府は北辺警護のため[[松前藩]]の領地であった[[蝦夷地|東蝦夷地]]([[北海道]][[太平洋]]岸および[[千島列島]])を[[寛政]]11年([[1799年]])に[[上知]]。そし
ロシアの脅威が収まった[[文政]]4年([[1821年]])、和人地及び全蝦夷地を[[蠣崎氏|松前氏]]に還付し松前奉行は廃止された。
[[幕末]]には渡島国[[爾志郡]]乙部村以北と[[上磯郡]]木古内村以東の和人地と全蝦夷地(北州)が再度上知され[[安政]]3年([[1856年]])再び箱館に箱館奉行が置かれる。開港地箱館における外国人の応対も担当した。定員は2~4名で、内1名は江戸詰となる。役高は2,000石で、役料1,500俵、在勤中の手当金700両が支給された。奉行所は、最初は前回同様宇須岸館跡に置かれたが、[[元治]]元年([[1864年]])奉行所を[[五稜郭]]へ移転した。▼
==== 第2期幕領時代(1856年-1868年) ====
▲[[幕末]]の箱館開港を機に
その役務は、蝦夷地の行政や防衛であった。[[北海道 (令制)#道路|道路網の整備]]に加え、前期奉行の治世中には[[寛永通宝#鉄一文銭|寛永通寳鉄銭]]が広く流通し、幕末には[[箱館通宝]]の発行なども行われた。
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