「日産・スカイライン」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: サイズの大幅な増減
m 240F:2:2054:1:B9B0:F1DA:EEEA:882F (会話) による版を 124.44.147.109 による版へ巻き戻し
1行目:
{{内容過剰|date=2009年9月}}
'''スカイライン'''('''SKYLINE''')は[[日産自動車]]で発売している[[自動車]]。
{{出典の明記|date=2010年2月}}
{{Otheruseslist|日産・スカイライン全般および10代目スカイラインまで|スカイラインGT-R|日産・スカイラインGT-R|11代目セダン|日産・スカイラインセダン V35|11代目クーペ|日産・スカイラインクーペ CV35|12代目セダン|日産・スカイラインセダン V36|12代目クーペ|日産・スカイラインクーペ CV36|12代目クロスオーバー(ハッチバック)|日産・スカイラインクロスオーバー|13代目セダン|日産・スカイラインセダン V37}}
{{Infobox_自動車基本情報
| ロゴ= [[ファイル:NISSAN SKYLINE logo.svg|200px|V36型スカイライン車名ロゴ]]
| 車名= スカイライン(SKYLINE)
| 製造国= {{JPN}}
| 販売期間= [[1957年]] -
| ボディタイプ= 2ドア[[クーペ]](ALS1,C10,C110,C210,R30,R31,R32,R33,R34)<br /> 2ドア[[コンバーチブル]](ALS1)<br /> 4ドア[[セダン]](ALS1,S5,C10,C110,C210,R30,R31,R33,R34)<br /> 4ドア[[ハードトップ]](R31,R32)<br /> 3ドア[[バン]](C10,C110,C210)<br /> 5ドア[[バン]](C10,C110,C210,R30)<br /> 5ドア[[ステーションワゴン]](C10,C110,C210,R31)<br /> 5ドア[[ハッチバック]](R30)<br />
| 駆動方式= [[後輪駆動|FR]]<br />[[四輪駆動|4WD]](8代目 - )
| 後継=
| 別名= プリンス・スカイライン(ALS1,S50)
| 先代=[[プリンス・セダン]]
}}
'''スカイライン'''(''SKYLINE'' )は、かつて[[プリンス自動車工業]](旧:富士精密工業)が開発し製造販売していた、[[1966年]]の合併に伴って[[日産自動車]]が製造・販売している[[乗用車]]である。
 
== 概要 ==
==スタイル・機構==
[[昭和]]32年([[1957年]])に富士精密工業(のちの[[プリンス自動車工業]])の主力車種として生産を開始。昭和41年([[1966年]])にプリンスが日産自動車に吸収合併された後も継続生産され現在に至る。プリンス時代から継続生産され車名が残っているのは唯一スカイラインのみとなった<ref>プリンス時代の車名としては[[プリンス・クリッパー|クリッパー]]が、[[三菱自動車工業|三菱自動車]]からの[[日産・NV100クリッパー|OEM軽自動車]]で車名復活している。</ref>。
現在のスカイラインは11代目。4ドアの[[セダン]]と2ドアの[[クーペ]]がある。
現在はカテゴリ的にミドルクラスセダンに位置するが、自動車レースで活躍した過去があり、特に"GT"グレードは同クラスの他車に比べてスポーティな印象をもたれており、実際に製品としての性格付けもそのようになっている。
なお、スカイラインGTは「スカG(すかじー)」と呼ばれることも多い。
最大のライバルは[[トヨタ自動車|トヨタ]]の[[トヨタ・マークII|マークII]]である。
嘗ては兄弟車として、[[ローレル]]と[[セフィーロ]](A31型のみ)もあった。
 
車名のスカイラインは「山並みと青空を区切る稜線」に由来する。[[平成]]19年([[2007年]])[[3月21日]]、名付け親の[[桜井眞一郎]]がこの名を思いついた場所である群馬県草津町の山小屋「芳ヶ平ヒュッテ」に、生産50周年を記念して「スカイライン命名の地」のプレートが設置される。
==歴史==
===初代(1957-1963年)===
[[1957年]]4月に登場したプリンスALSI型がスカイライン初代となる。
この後[[1962年]]に、イタリアの[[カロッツェリア]]デザインのスペシャルモデル「スカイライン・スポーツR21型」を投入。[[コンバーチブル]]+つり目4灯ヘッドライトの特徴的なスタイルは注目を集めたが、当時としても高価であったこともあり、ビジネスとしては成功したとはいえない。テレビドラマ[[ウルトラQ]]の劇中で使用されていた。
 
[[長野県]][[岡谷市]]の[[鳥居平やまびこ公園]]内には、自動車[[博物館]]としては異例の単一車種の博物館「[[プリンス&スカイラインミュウジアム]]」がある。
===2代目(S50系)([[1963年|1963]]-1968年)===
2代目は当初1500ccで投入された。その後、ボディのフロント部を延長し、[[グロリア]](スーパー6)用の6気筒2000ccのエンジン(G7型エンジン)を改良して搭載したS54B型が第2回[[日本グランプリ (4輪)|日本グランプリ]]に出場し、1周だけ[[ポルシェ]]904の前を走った。このモデルは[[1965年]]'''スカイラインGT'''の名で市販された。シングル[[キャブレター|キャブ]]モデルのA型と、レースモデルと同等にウェーバー型のキャブを3連装し、125[[馬力|ps]]を出力したB型があった。このモデルの中盤の[[1966年]]、製造元のプリンス自動車が日産自動車と合併したため、車名を'''ニッサン・プリンススカイライン'''に改めた。
 
C10型からR34型までは、型式ごとにCMキャッチコピーなどから採られた[[愛称]](通称)を持つ。
===3代目(C10型)([[1968年|1968]]-1972年)通称:ハコスカ===
直列6気筒4バルブ[[DOHC]] 2000ccのS20型エンジンを搭載したスカイラインGT-Rは「羊の皮を被った狼」と呼ばれ、[[マツダ]]のロータリー・クーペの参戦するまで国内レースで連勝記録を作った。
 
== 沿革 ==
===4代目(C110型)([[1972年|1972]]-1977年)通称:ケンメリ===
=== 初代 ALSI型(1957年-1963年) ===
広告で「ケンとメリーのスカイライン」のキャッチコピーが使われたことから、「ケンメリ」と呼ばれる。傘のマークをワンポイントにしたキャラクター商品も販売された。[[バズ]]が歌うCMソング『ケンとメリー~愛と風のように~』がヒットチャート1位になり、CMの撮影が行われた[[北海道]][[美瑛町]]のポプラの木は今なお「ケンとメリーの木」として観光名所である。
{{Infobox 自動車のスペック表
| 車種=普通自動車
| 車名=プリンス・スカイライン(初代)
| 車名補=ALSI型
| 1枚目画像の説明=ALSI-1
| 1枚目画像名=Prince Skyline ALSI-1 001.jpg
| 2枚目画像の説明=ALSI-2
| 2枚目画像名=Prince Skyline ALSI-2.jpg
| 3枚目画像の説明=スカイラインスポーツ
| 3枚目画像名=Skyline sport.jpg
| 販売期間=[[1957年]] - [[1963年]]
| ボディタイプ=4ドア[[セダン]]<br/>2ドア[[クーペ]] / [[コンバーチブル]]
| エンジン=
| トランスミッション=3速/4速[[マニュアルトランスミッション|MT]]
| サスペンション=前:[[ダブルウィッシュボーン式サスペンション|ダブルウィッシュボーン]]<br/>後:[[ド・ディオンアクスル]]
| 駆動方式=[[後輪駆動|FR]]
| 全長=4,280mm
| 全幅=1,675mm
| 全高=1,535mm
| ホイールベース=2,535mm
| 車両重量=
| 乗車定員=
|設計統括=[[日村卓也]]
|デザイン=[[ジョヴァンニ・ミケロッティ]] (スカイライン・スポーツ)
| 自由項目1(項目名)=総販売台数
| 自由項目1(内容)=3万3,759台
| 自由項目2(項目名)=
| 自由項目2(内容)=
| 先代=[[プリンス・セダン]]
}}
;[[1957年]]4月
:富士精密工業(当時)より発売されたALSI-1型がスカイラインの初代となる。当時の日本における小型乗用車規格に合わせ、当初は1,500ccでの発売となった。グレードはスタンダード(ALSIS-1型)とデラックス(ALSID-1型)の2種類。
:構造面は、低床バックボーン・トレー式シャーシを持つセミ・[[モノコック]]構造となった。前輪は前年のプリンスで既に採用されていた[[ダブルウィッシュボーン式サスペンション|ダブルウィッシュボーン]]独立懸架、後輪は日本最初の[[ド・ディオンアクスル]]を採用した。搭載するエンジンは直列4気筒OHV・1,484ccのGA30型で、[[プジョー]]系の設計の発展形であるプリンス在来型エンジンの改良である。カタログスペックでは当時の日本製1,500cc車最速の最高速度125km/hを称した。
;[[1958年]]
:マイナーチェンジ。
;1958年10月
:第5回全日本自動車ショウ(後の[[東京モーターショー]])に、排気量拡大型の試作車「スカイライン1900」(BLSI-1型)を出品。この試作車は当時の[[皇太子]][[明仁|明仁親王]]([[今上天皇]])の愛車となり、明仁親王が自ら運転した。
;[[1959年]]10月
:エンジン出力を70psへ向上し、ALSIS-2型(スタンダード)、ALSID-2型(デラックス)となる。
;[[1960年]]2月
:マイナーチェンジ。丸型2灯テールランプに変更されたほか、デラックスのみ4灯式ヘッドランプを採用する。
;1960年10月
:スタンダードがマイナーチェンジにより4灯式ヘッドランプに変更。
;1960年秋
:第42回トリノショーにイタリアの[[カロッツェリア]]、[[ジョバンニ・ミケロッティ]]にデザインを依頼した「スカイライン・スポーツ」プロトタイプ(BLRA型/R21B型)を出展。
;[[1961年]]9月
:「1900デラックス」(BLSID-3型)追加。直列4気筒OHV 1,,862cc GB4型を搭載する。10月、「1900スタンダード」(BLSIS-3型)追加。
;[[1962年]]4月
:前述の「スカイライン・スポーツ」(BLRA-3型/R21B型)を追加。「チャイニーズ・アイ」と呼ばれるつり目4灯ヘッドライトのスタイル、クーペと[[オープンカー|コンバーチブル]]の2タイプの設定。搭載するエンジンはGB4型。テレビドラマ「[[ウルトラQ]]」の劇中で使用されていた。
:当時の価格はDXが120万円、クーペが185万円、コンバーチブルが195万円。クーペの価格は当時の[[日産・ブルーバード|ブルーバード]]の3倍に相当した。
;1962年9月
:「スカイラインスーパー」(S21D型)発表(スタンダードはS21S型と呼称)。4灯式ヘッドランプをもつフラットデッキスタイルとなる。搭載するエンジンは直列4気筒OHV 1,862cc G2型(91ps/4,800rpm、15.0kgm/3,600rpm)。
 
プリンスにおける乗用車派生型の商用モデルは、1956年に旧型[[プリンス・セダン]]の設計をベースに発売された「[[プリンス・セダン#派生型(コマーシャルバンとコマーシャルピックアップ)|プリンス・コマーシャル]]」が最初であるが、1959年にはスカイラインの派生モデルである「[[プリンス・スカイウェイ|スカイウェイ]]」にモデルチェンジした。ライトバンと[[ピックアップトラック|ピックアップ]]が設定されたが、ライトバンには前席のみ2ドア仕様の他、1960年に車体左側のみに後席ドアを追加した3ドア型が追加された。1961年にはスカイライン同様に1,900ccモデルも追加されている。
C110型にも"GT-R"(KPGC110型)は用意されたが、僅か197台が市販されただけで[[1973年]]にGT-Rは生産を中止。後のR32型の登場まで復活しなかった。
{{-}}
また、1900スタンダードのごく少数の車両が香港に輸出されタクシーとして使用されている。
 
===5 2代目(C210 S5)([[1977(1963|1977]]-19811968)通称:ジャパン===
{{Infobox 自動車のスペック表
「ケンメリ」に対して[[キャッチコピー]]には「Mr&Ms(みすたー・あんど・みず)」が使われた。
| 車種=普通自動車
| 車名=プリンス・スカイライン(2代目)
| 車名補=S5型
| 1枚目画像の説明=1500デラックス
| 1枚目画像名=Prince Skyline S50 1500 Deluxe 001.jpg
| 2枚目画像の説明=
| 2枚目画像名=Prince Skyline S50 1500 Deluxe 002.jpg
| 3枚目画像の説明=バン 1500デラックス
| 3枚目画像名=Prince-SkylineVan.JPG
| 販売期間=[[1963年]] - [[1968年]]
| 設計統括=[[桜井眞一郎]]
| ボディタイプ=4ドアセダン<br />5ドアステーションワゴン<br>5ドアライトバン
| エンジン=G1型 [[直列4気筒|直4]] OHV 1.484L<br />G15型 直4 OHC 1.483L<br />G7型 [[直列6気筒|直6]] OHC 1.988L
| トランスミッション=5速/4速/3速MT<br>2速AT(スペースフロー)
| サスペンション=前: ダブルウィッシュボーン<br/>後: 半楕円リーフリジッド
| 駆動方式=FR
| 全長=4,055 - 4,255mm
| 全幅=1,495mm
| 全高=1,410mm
| ホイールベース=2,390 - 2,590mm
| 車両重量=
| 乗車定員=
| 自由項目1(項目名)=総販売台数
| 自由項目1(内容)=11万4,238台
| 自由項目2(項目名)=
| 自由項目2(内容)=
}}
;[[1963年]]11月27日
:S50D-I型発売。1,900cc以上の上級市場は[[日産・グロリア|グロリア]]に譲り、1,500ccクラスの量販車市場を拡充するために、G1型直列4気筒OHV1,484ccエンジンを搭載する、小型ファミリーセダンとして開発・投入された。
:[[モノコック]]構造を採用したボディバリエーションは、基本の4ドアセダンと、それをベースとした5ドアステーションワゴンの乗用車「'''エステート'''」(W50A-I型)の2種類。5ドアステーションワゴンの貨物車は当初スカイラインとは名乗らず[[プリンス・スカイウェイ|スカイウェイ]](V51A-I型)と称していたが、後のマイナーチェンジでスカイラインの名が与えられ「'''バン'''」となった。メンテナンスフリー化を積極的に進め、4万kmまたは2年間保障の封印エンジン<ref>1960年代初頭までの自動車は、ほこりや砂などでエンジン内が磨耗を起こしがちであったため、ライナーを打ち込んで内部を研削し磨耗代を復元するためのヘッド開閉は頻繁で、これを長期不要としたのは画期的であった。長く用いられた在来エンジンの設計を踏襲してはいるが、「封印エンジン」が実現したのは、材質の改良や、内部の表面加工改良の結果である。</ref>や、1年間3万km無給油シャシーなどを採用。
;1963年10月
:第10回[[東京モーターショー|全日本自動車ショー]]に、S50型をベースとした2ドアクーペ「プリンス1900スプリント」(R52A型)を参考出品。(デザインは、[[フランコ・スカリオーネ]]。)
;[[1964年]]4月
:スタンダードグレード(S50S-I)型追加。
;1964年5月
:[[1964年日本グランプリ (4輪)|第2回日本グランプリ]]GT-II部門タイトル獲得を目指し、より強力な[[日産・グロリア|グロリア]]スーパー6用のG7型直列6気筒OHC1,988ccエンジンを、防火壁(前部バルクヘッド)直前を200mm延長して空間を確保した特別なシャーシーに搭載した'''スカイラインGT'''(S54A-I型)を開発。[[ホモロゲーション]]用に100台を生産し販売した。スポーツオプションとして、ウェーバー製サイドドラフト・ツインチョーク気化器3基をはじめとするエンジン関係やサスペンションなどシャーシー強化の各キットも同時に用意され、レース車両にはこれらが組み込まれた。
;[[1965年]]2月
:レースモデルと同様にウェーバー製のキャブを3連装し、125ps/5,600rpmを出力した'''スカイライン2000GT'''(S54B-II型)発売(『絶版日本車カタログ』三推社・講談社、24頁参照)。
:'''1500デラックス'''に、フロアシフト追加。
;[[1965年]]4月
:米国統治下だった、沖縄でも(S50E)型の輸出開始。
;1965年5月
:1500デラックスに、スペースフロー([[オートマチックトランスミッション|AT]])が追加。
;1965年9月
:生産速度の問題で必要数量を確保し難いウェーバー気化器を、2バレル気化器1基とした仕様(105ps)の「'''2000GT-A'''」(S54A-II型)が追加。2月に発売されていた2000GTは「'''2000GT-B'''」となった。このとき、GT-Aは青のGTエンブレム(通称;青バッヂ)、GT-Bは赤のGTエンブレム(同;赤バッヂ)を装着した。
;[[1966年]]7月 
:デラックスとスタンダードの中間グレード的存在の「'''デラックス・ファイン'''」という車種が追加された。このモデルは、スタンダードをベースにしたボディに、グリルは、デラックスの物を使用し、ボンネットには、「P」と書かれたエンブレムではなく「PRINCE」と書かれたエンブレムを使用した。
:ちなみにラジオ、ヒーターは標準装備で、販売期間が同年10月までの3か月だったので、生産台数が少ない。
;[[1966年]]8月
:プリンス自動車が日産自動車と合併したため、車名を'''ニッサン・プリンス・スカイライン'''に変更。
;1966年10月
:マイナーチェンジ。グリルが横桟のデザインになる(S50-II型)。
;[[1967年]]8月
:G1型に替わり、G15型直列4気筒OHC1,483ccエンジン(88ps)を搭載するS57D型が登場(但し、スタンダードS50S型、エステートW50A型、及びバンV51型は、G1型エンジンを継続使用)。6万km無給油シャシーとなった。
 
当時の価格はGTが86万円であった。
===6代目(R30型)([[1981年|1981]]-1985年)通称:ニューマンズ===
{{-}}
[[アメリカ]]の俳優[[ポール・ニューマン]]が広告キャラクターであったため、「ニューマンズ」と呼ばれた。
 
=== 3代目 C10型(1968年-1972年) ===
GT-Rの再来と期待された"RS"追加。ただし、4バルブDOHCとはいえ4気筒であるがために、GT-Rと名乗れなかったといわれている。
{{Infobox 自動車のスペック表
RSの後期型は、フロントグリルの形状から「鉄仮面」と呼ばれた。
| 車種=普通自動車
| 車名=日産・スカイライン(3代目)
| 車名補=C10型
| 1枚目画像の説明=1500デラックス
| 1枚目画像名=Nissan Skyline C10 001.jpg
| 2枚目画像の説明=
| 2枚目画像名=Nissan Skyline C10 002.jpg
| 3枚目画像の説明=2000GT-X
| 3枚目画像名=Skyline2000gt-x.jpg
| 販売期間=[[1968年]] - [[1972年]]
| 設計統括=[[桜井眞一郎]]
| デザイン=[[森典彦]]
| ボディタイプ=4ドアセダン<br/>5ドアステーションワゴン<br/>2ドアクーペ
| エンジン=
| トランスミッション=3速AT / 5速/4速/3速MT
| サスペンション=前: マクファーソンストラット<br/>後: リーフリジッド / セミトレーリングアーム + コイルスプリング
| 駆動方式=FR
| 全長=4,235 - 4,430mm
| 全幅=1,595mm
| 全高=1,390 - 1,405mm
| ホイールベース=2,430 - 2,640mm
| 車両重量=
| 乗車定員=
| 自由項目1(項目名)=総販売台数
| 自由項目1(内容)=30万8502台
| 自由項目2(項目名)=
| 自由項目2(内容)=
| 姉妹車=
}}
通称:'''ハコスカ'''又は愛のスカイライン
;[[1968年]]8月
:開発はプリンス自動車工業時代からS7型として始められており、日産との合併後初めて新規発売されたモデルである。基本の4ドアセダンボディ(C10型)、ステーションワゴンボディの乗用車「'''エステート'''」(WC10型)と商用車「'''バン'''」(VC10型)が発表された。
:エンジンはプリンス製の直列4気筒OHC1,500cc G15型を搭載する。
:足回りはフロントが[[ストラット式サスペンション|マクファーソンストラット]]とコイルスプリングの組み合わせに変更された。リアは[[リーフ式サスペンション|リーフリジッド]]である。
:グレード展開は、スタンダードとデラックスのみであったが、デラックスにはシート形状と[[トランスミッション]]により、ファミリーデラックス(3速[[シフトレバーの配置|コラムシフト]]・[[ベンチシート]])、ツーリングデラックス(3速コラムシフト・セパレートシート)、スポーティデラックス(4速フロアシフト・セパレートシート)の3種のほか、[[特別仕様車|女性仕様]]の「Lパック」がメーカーオプションとして用意された。
;1968年10月
:直列6気筒エンジン搭載の2000GT(GC10型)を追加。S5型同様、フロントノーズを延長しているが、S54型と違い、開発当初から6気筒化を配慮した設計構造とデザインが行われた。
:S54型に搭載されていたプリンス製G7型エンジンに代わり、日産製直列6気筒、OHC、2,000ccの[[日産・L型エンジン|L20型]](シングルキャブ)を搭載する。発売当初はかまぼこ型シリンダーヘッドと呼ばる後年主流となるL系(全排気量)エンジンとは形状が異なる物が搭載された、最高出力は105ps。1969年以降日産のL20型エンジンを搭載する全車種で新設計のシリンダーヘッド搭載エンジンに順次切り替わり、115ps(レギュラーガソリン仕様)となった。新旧を区別するため、新型をL20Aと呼称(車検証上の原動機の型式に変更はない)した。サスペンションは、フロントは4気筒同様のマクファーソンストラットであるが、リアは[[セミトレーリングアーム式サスペンション|セミトレーリングアーム]]とコイル[[ばね|スプリング]]へ変更され、4輪[[独立懸架]]となる。
:当時米国統治下だった沖縄でも販売開始。
 
;1969年8月
===7代目(R31型)([[1985年|1985]]-1989年)通称:7th(せぶんす)、アールサンイチ===
:1500のマイナーチェンジおよび1800(PC10型)を追加発売。
当時のハイソカーブームに便乗し、"史上最強のスカイライン"と宣伝された先代と比較され、"史上最悪のスカイライン"と揶揄されることもあるモデルである。しかし、ケンメリGT-Rに搭載されていた"S20"エンジン以来の直列6気筒4バルブDOHCエンジンRB20を搭載したモデルでもある。1987年のマイナーチェンジでは"GTS-R"という800台限定のモデルが登場してレース界を席巻、以降に復活するR32型GT-Rの布石を築いた。
:フロントグリル、テールランプのデザイン変更。3分割式のフロントグリルが一体成型のワンピースグリルとなった。細部ではラジオアンテナが左フロントフェンダーから右Aピラーへ位置変更されるなど外観の変更が実施された。
:1800はローレルに先行搭載されていたプリンス系の直列4気筒OHC1,800cc G18型(100ps)を搭載。1800はエステートにも設定された。尚、「'''愛のスカイライン'''」のCMキャンペーンはこの時スタートした。
;1969年10月
:2000GTシリーズをマイナーチェンジ。こちらも一体成型のワンピースグリルとなり、テールランプの意匠変更などが実施された。
;[[1970年]]6月
:2000GTにニッサンマチック・3速ATを追加発売。
;1970年10月
:マイナーチェンジおよび2ドア[[クーペ]]ボディの「'''ハードトップ'''」を追加発売。当時の欧州におけるセダンベースクーペのデザインセオリーであったハードトップスタイルのルーフ構成と後席フットクリアランス短縮によるショートホイールベース化を採り入れた。
:新意匠の[[ダッシュボード (自動車)|ダッシュパネル]]など室内の大幅変更が施されたほか、フロントグリル、テールランプや前後のバンパーなど外観の変更。
:「ハードトップ」を1800(KPC10型)および2000GT(KGC10型)に追加。
;[[1971年]]9月
:マイナーチェンジおよび新グレードを追加発売。
:フロントグリル、リアガーニッシュがハニカム調のデザインに変更されたほか、シート縫製基調など細部の変更が施された。
:1500を88ps→95ps、1800を100ps→105psにパワーアップ。
:ハードトップ2000GT-Xを追加。エンジンはフェアレディZなどに採用されていたL20SUツインキャブレター仕様で最高出力は125ps(ハイオクガソリン仕様は130ps)、その他のGTとの相違点は部分クロス張りのシートやパワーウインドウなど。エンブレムはGTが青色、GT-Rは赤色なのに対し「金色」。
:セダンボディの1500/1800スポーティGLおよびハードトップ1500デラックス(KC10型)を追加。ハードトップ1800はスポーティGLとなった。
;[[1972年]]3月
:セダンボディに2000GT-Xを追加発売。
;1972年5月
:2000GTシリーズは5MTが標準装備化された。
;1972年
:モデル末期頃に日産車統一仕様の一環として5MT車の左テールランプ下部に「5speed」のエンブレムが追加取り付けされた、次代C110型へのフルモデルチェンジ間際であったため取り付けられた車輌は極めて少ない。
 
<gallery>
===8代目(R32型)([[1989年|1989]]-1993年)通称:アールサンニィ===
ファイル:Skyline-estate.jpg|エステート
R32型では、16年ぶりにGT-Rグレードが復活し、日本国内の自動車レースを席巻した。かつてのGT-Rは自然吸気の直列6気筒4バルブDOHC 2000ccエンジンを前方に縦置きする後輪駆動であったが、復活したR32型GT-R(KBNR32型)では、2600ccの直列6気筒4バルブDOHCエンジンには2基の[[ターボチャージャー]]を装備していた。また、後輪駆動をベースとしつつも、高度な電子制御によって4輪に自在に駆動力を配分できる4輪駆動システムが装備された。
</gallery>
{{-}}
 
===9 4代目(R33 C110)([[1993(1972|1993]]-19981977)通称:アールサンサン===
{{Infobox 自動車のスペック表
ボディをふたたび大型化
| 車種=普通自動車
| 車名=日産・スカイライン(4代目)
| 車名補=C110型
| 1枚目画像の説明=ハードトップ2000GTX-E(Sタイプ)
| 1枚目画像名=Nissan Skyline C111 2000 GTX-E 001.jpg
| 2枚目画像の説明=
| 2枚目画像名=Nissan Skyline C111 2000 GTX-E 002.jpg
| 販売期間=[[1972年]] - [[1977年]]
| 設計統括=[[桜井眞一郎]]
| デザイン=[[松井孝晏]]
| ボディタイプ=4ドアセダン<br/>5ドアステーションワゴン<br/>2ドアクーペ
| エンジン=
| トランスミッション=3速AT / 5速/4速MT
| サスペンション=前: マクファーソンストラット<br/>後: リーフリジッド/セミトレーリングアーム+コイルスプリング
| 駆動方式=FR
| 全長=4,460mm
| 全幅=1,625mm
| 全高=1,395mm
| ホイールベース=2,610mm
| 車両重量=
| 乗車定員=
| 自由項目1(項目名)=総販売台数
| 自由項目1(内容)=67万365台
| 自由項目2(項目名)=データモデル
| 自由項目2(内容)=セダンGT
}}
通称:'''ケンメリ、ヨンメリ'''(セダンモデルのみの愛称)
;[[1972年]]9月
:C110型にモデルチェンジ。ボディバリエーションは基本の4ドアセダン、5ドアステーションワゴンの乗用車「'''ワゴン'''」と商用車「'''バン'''」、2ドアハードトップを有し、先代同様、セダンとハードトップにはホイールベースを延長し6気筒エンジンを搭載した2000GT系の設定がある。プラットフォームは[[日産・ローレル]](C130型)と基本的に共通。ホイールベース短縮は行われていない。
:サーフィンラインの[[プレス加工|プレスライン]]は、ごく浅く、プレーンな面構成と太いCピラーを特徴とし、「ワゴン/バン」はクオーターウインドウを廃し、スポーティーさを演出した。プレスラインが見えにくい、白いボディカラーのハードトップにのみ、リアフェンダーに[[デカール]]式のピンストライプが設定されている。
:搭載するエンジンはG15型をボアアップした直列4気筒OHC1,600ccのG16型、[[タクシー]]や[[教習車]]用のG16[[LPG自動車|LPG]]仕様(販売は[[1975年]]まで)、先代より継続されたOHC1,800ccのG18型、およびL20型の4機種。足回りはフロントが[[ストラット式サスペンション|マクファーソンストラット]]、リアは4気筒モデルが[[リーフ式サスペンション|リーフリジッド]]、6気筒モデルが[[セミトレーリングアーム]]とコイルスプリングの組合せである。
:4ドアセダンのGT系、および「ハードトップ」の全グレードの[[尾灯|テールランプ]]が丸型4灯式となった。これは、以後スカイラインのアイデンティティの一つとして、10代目のR34まで受け継がれていくことになる。
:この代から[[警察庁]]へ[[パトロールカー]]([[自動車警ら隊|警ら]]パトカー)として導入された。当時の警察の規定により、エンジンは6気筒(L20S型)、内装は[[血液]]汚れなどの手入れの楽なビニールトリムとなった専用モデルとなっている。警らパトカー仕様はR32型まで設定されている。
:C110型の輸出車名は「[[ダットサン]]・240K」。その名の通りエンジンは2.4リットルのL24型が搭載されている。欧州等一部地域にはショートノーズ4気筒1,800cc搭載車を「[[ダットサン]]・180K」として輸出された。
:通称は、広告キャンペーン「'''ケンとメリーのスカイライン'''」から。これは、先代のC10型の時代に展開された「'''愛のスカイライン'''」キャンペーンを継承、発展させたもので、「愛のスカイライン」のキャッチコピーも引き続き使用された。内容としては、若い男女のカップルがスカイラインに乗り、日本各地を旅するというシリーズもののCMで、この二人の名がケンとメリーである。性能の高さや、レースでの栄光といった旧来のスカイラインの硬派なイメージとは異なるソフトなイメージのCMシリーズであった。
:4ドアセダンは'''ヨンメリ'''と呼ばれる事もあるが、これは、「4('''ヨン''')枚(ドア)のケン'''メリ'''」の略である。
;1975年9月
:昭和50年排出ガス規制 (A-) 対応の、電子制御[[燃料噴射装置|燃料噴射]](ニッサンEGI)を採用するL20E型を搭載する「2000GTX-E」を発売。先行してフロントグリル、リアフィニッシャーのデザインを変更し2色塗りのキャップレスホイールを装備。
;1975年10月
:マイナーチェンジ。全車種を[[NAPS]]により昭和50年排出ガス規制 (A-・H-) に適合。1600・1800のエンジンをG16型・G18型からL16型・L18型に変更、フロント/リアのデザインが変更される。最下位グレードがセダン1600DXとなりLPG営業車と「ワゴン」が廃止される。新たにラジアルタイヤ・リアディスクブレーキ・リアワイパーを装備した2000GTX-E(Sタイプ)を新設。同時にGT系にパワーステアリング・アルミロードホイールをオプション設定。
;[[1977年]]2月
:1800GLエクストラと2000GT-Lエクストラ、2000GT-ELエクストラを追加。
{{-}}
 
===10 5代目(R34 C210)([[1998(1977|1998]]-20021981)通称:アールサンヨン===
{{Infobox 自動車のスペック表
先代の反省からか再びボディを縮小。RB型エンジン搭載最後のモデル。
| 車種=普通自動車
| 車名=日産・スカイライン(5代目)
| 車名補=C210型
| 1枚目画像の説明=2000GT-EL
| 1枚目画像名=Nissan Skyline C211 2000 GT-EL 001.jpg
| 2枚目画像の説明=
| 2枚目画像名=Nissan Skyline C211 2000 GT-EL 002.jpg
| 3枚目画像の説明=ハードトップ2000ターボGT-ES
| 3枚目画像名=C210Skyline2000GT.jpg
| 販売期間=[[1977年]] - [[1981年]]<ref>ワゴンは1979年-1981年</ref>
| 設計統括=[[桜井眞一郎]]
| デザイン=松井孝晏
| ボディタイプ=4ドアセダン<br/>5ドアステーションワゴン<br/>2ドアクーペ
| エンジン=
| トランスミッション=3速AT / 5速/4速MT
| サスペンション=前: マクファーソンストラット<br/>後: セミトレーリングアーム+コイルスプリング
| 駆動方式=FR
| 全長=4,600mm
| 全幅=1,625mm
| 全高=1,390mm
| ホイールベース=2,615mm
| 車両重量=
| 乗車定員=
| 自由項目1(項目名)=総販売台数
| 自由項目1(内容)=53万9,727台
| 自由項目2(項目名)=データモデル
| 自由項目2(内容)=2000GT
}}
通称:'''ジャパン'''
;[[1977年]]8月
:C210型発売。通称は、自ら「日本の風土が生んだ名車」であると名乗った広告キャンペーンのキャッチコピー「'''SKYLINE JAPAN'''」から。プラットフォームは[[日産・ローレル]](C230型)と基本的に共通。外観は先代のキープコンセプトとされた。ボディバリエーションはC110型と同様、基本の4ドアセダン、5ドアステーションワゴンの乗用車「ワゴン」と商用車「バン」、2ドアハードトップを設定し、セダンおよびハードトップには直列4気筒エンジン搭載車と直列6気筒エンジン搭載車が用意され、ホイールベースはそれぞれ2,515mm, 2,615mmとされた。ステーションワゴン(「ワゴン」、「バン」)は直列4気筒エンジンのみの設定であった。
:搭載するエンジンは直列4気筒OHCがL16S型(1,595cc)、L18S型(1,770cc)、L18E型の3機種。直列6気筒OHCがL20S型(1,998cc 115ps/5,600rpm、16.5kgm/3,600rpm)、およびL20E型(130ps/6,000rpm、17.0kgm/4,400rpm)の2機種。
:[[自動車排出ガス規制]]の影響を受け、高出力の[[DOHC]]エンジンは設定されず(その時点で日産には、量産車に搭載し販売可能なターボチャージャー付きエンジン、DOHCヘッドを持つエンジンどちらも存在しなかった)、後に[[ターボチャージャー|ターボ]]付エンジンが追加された。
:グレード体系は直列6気筒エンジンを搭載する「GTシリーズ」と直列4気筒エンジンを搭載する「TI(ツーリング・インターナショナル)シリーズ」の2系列となった。GTとTIとではラジエーターグリルおよびテールランプの意匠が異なる。ヘッドランプは、前期型はGT系、TI系とも丸型4灯式であった。後期型ではGT系は角型2灯式となったがTI系は丸型4灯式であった。テールランプは、GT系が丸型4灯式なのに対し、TI系は2段重ねの角型4灯式になる。サーフィンラインはエッジのあるブリスター形状となり、リアトレッド拡大に寄与している。足回りはフロント側がストラット式。リア側は4気筒モデルが4リンク式、6気筒モデルがセミトレーリングアーム式の組合せ。GTバッジは3種類となり、2000GTおよびGT-E・Lが青バッジ、GT-E・Xが金バッジ、GT-E・Sが赤バッジとされた。2000GT・LおよびGT-E・Xはデジタル時計が装備され、それ以外のグレードはアナログ時計が装備された。2000GT-E・Sにはリアワイパーおよびヘッドランプクリーナーが標準装備された。また、2000GT-E・SおよびTI-E・Sには4輪ディスクブレーキおよびリアスタビライザーが装備された。
:スカイラインの象徴ともいえるフロントSエンブレムが、若干の違いはあるもののR30、R31までほぼ同じデザインで使用され、R34でも復活する。(R32とR33は違うデザイン)
;[[1978年]]3月
:ハードトップ2000GT-E・Lおよび1800TI-E・Lに特別仕様車「ブラッキー」を設定。アルミホイール、70%扁平ラジアルタイヤ、オーバーヘッドコンソール、およびヘッドランプクリーナーを装備した。
;1978年8月
:L16/L18型エンジンを、急速燃焼方式(ツインスパークプラグ)を採用する直列4気筒OHC Z16/18型エンジンに変更。L20型エンジンについても一部変更が施され、昭和53年排出ガス規制に適合し、基本型式がC211型となる。同時に「1800TI-E・X」を追加。
;[[1979年]]7月
:マイナーチェンジにより前後の意匠変更がなされる。2000GTシリーズは角型異型2灯ヘッドランプとされ、TIシリーズは丸型4灯ヘッドランプを継承したが、ラジエーターグリルが変更された。
;1979年8月
:ワゴン(WPC211型)追加。Z18型エンジンを搭載する。また、バンが昭和54年排出ガス規制対応及び一部車種にサンルーフ、本皮シート、テクニクスカーコンポがオプション設定される。
;1979年11月
:2000GT-Eに特別仕様車「スーパーGT」を設定。セダンは[[ミケロッティ]][[マグネシウムホイール]]([[クロモドラ]]製)、「ハードトップ」は[[カンパニョーロ]]ホイールを装備した。
;[[1980年]]3月
:2000GT系においてE・SおよびE・Xに特別仕様車「ゴールデンカー」を設定。専用のゴールド塗装のほか、E・Sはパワーサンルーフ、カンパニョーロマグネシウムホイールを装備し、E・Xはミケロッティマグネシウムホイール、[[ミシュラン]]タイヤを装備した。
;1980年4月
:ターボエンジンを搭載したモデルを追加。L20E型エンジンにターボがプラスされ、パワー&トルクは145ps/5,600rpm、21.0kgm/3,200rpmを搾り出した。発売当時の価格は165.8万円。「[[日産・セドリック|セドリック]]/[[日産・グロリア|グロリア]]」<ref>1979年12月発売。</ref>、「[[日産・ブルーバード|ブルーバード]]」<ref>1980年3月発売。</ref>に次ぐ日産において3車種目のターボ車であり、日産初のターボとATを組合わせた車種である。同時にノンターボの「2000GT-E」、「2000GT-E・S」が廃止となる。
;1980年6月
:直列6気筒OHC LD28型ディーゼルエンジンを搭載する「セダン/ハードトップ280D GTシリーズ」(EGC211型)、直列4気筒OHC Z20E型エンジンを搭載する「2000TIシリーズ」(UC211型)、100万円を下回る最廉価版「1600TI-A」、およびバンに直列4気筒OHC LD20型ディーゼルエンジン搭載車を追加。280D GTはこの当時の国産ディーゼル乗用車としては最速を誇っていた。また、2000TIはリアサスペンションがセミトレーリングアーム式独立懸架となり、4輪ディスクブレーキを装備するなど4気筒エンジンながらGT系と同等のメカニズムを持つ。
 
[[宮城県]][[登米市]]にある[[警察資料館]]には実際に[[宮城県警察]]が使用していたC210型のパトカーが展示されており、現存する警らパトカーとしては最も古い。[[グランツーリスモシリーズ]]では当代のみ未収録となっている。
===11代目(V35型)([[2002年]]-)===
{{-}}
この型から、従来スカイラインGTの象徴であった直列6気筒エンジンを廃してV型6気筒エンジンを搭載するようになったことや、丸目のテールランプが廃止されたこと等から、伝統を継承しつつも新世代のスカイラインの在り方を模索したモデルといえる。
 
===6代目 R30型(1981年-1990年)===
発売当初は、セダンのみ用意されたが、後に[[フェアレディZ]]と多くを共有する、クーペ(エンジンはV6・3500ccのみ)が追加された。なお、このクーペではテールランプは伝統の丸目になっている。また、R30型以来初めて日本国外に正規輸出され、国外では日産の上級ブランドであるインフィニティの販売網により、インフィニティG35として販売されている。
{{Infobox 自動車のスペック表
エンジンはVQ35DE型・V6・3500cc(クーペ:280ps、セダン:272ps)とVQ30DD型・V6・3000cc(直噴)(260ps)・VQ25DD・V6・2500cc(215ps)の3タイプ。
| 車種=普通自動車
| 車名=日産・スカイライン(6代目)
| 車名補=R30型
| 1枚目画像の説明=前期型(1981年-1983年)ハッチバック<br>写真は、所有者がフロントグリルをRS仕様に改造したもの<br>(RSはセダン・2ドアハードトップのみ発売)
| 1枚目画像名=R30_hatch_front_side.jpg
| 2枚目画像の説明=後期型(1983年-1985年)2000ターボRS-X
| 2枚目画像名=Nissan Skyline R30 2000 RS Turbo-C 001.JPG
| 3枚目画像の説明=
| 3枚目画像名=Nissan Skyline R30 2000 RS Turbo-C 002.JPG
| 販売期間=[[1981年]] - [[1985年]]<ref>バンは1981年-1990年</ref>
| 設計統括=[[桜井眞一郎]]
| デザイン=[[粂田起男]]
| ボディタイプ=4ドアセダン<br/>2ドアクーペ<br/>5ドアセダン<br/> 5ドアステーションワゴン<br />5ドアライトバン
| エンジン=
| トランスミッション=4速/3速AT / 5速/4速MT
| サスペンション=前: ストラット<br/>後: セミトレーリングアーム/4リンク
| 駆動方式=FR
| 全長=4620mm
| 全幅=1675mm
| 全高=1385mm
| ホイールベース=2615mm
| 車両重量=
| 乗車定員=
| 自由項目1(項目名)=総販売台数
| 自由項目1(内容)=40万6,432台
| 自由項目2(項目名)=データモデル
| 自由項目2(内容)=2000RS
}}
通称:'''ニューマンスカイライン'''、'''鉄仮面'''(後期型RSの通称)
;[[1981年]]8月
:R30型発売。
:[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の俳優[[ポール・ニューマン]]を広告キャラクターに起用した事により「'''ニューマン・スカイライン'''」や、後期型のRSでは薄型ヘッドランプとラジエーターグリルレスのデザインで「'''鉄仮面'''」の通称で親しまれていた。グレード体系はC210型同様の直列6気筒エンジンを搭載する「GTシリーズ」と直列4気筒エンジンを搭載する「TIシリーズ」の2系列だが、ホイールベースは1種類となった。ボディバリエーションは、基本の4ドア[[セダン]]・2ドアハードトップ・5ドアセダンの「ハッチバック」・後に追加されるステーションワゴンの商用車「エステート」の4種。
:5ドアセダン(「ハッチバック」)はスカイライン史上初であるテンパータイヤ採用、スペアタイヤの空気圧減少警告灯も装備されていた。搭載エンジンは、Z18S型(エステート・TI)、Z18E型/Z20S型/Z20E型(TI)、L20E型/L20ET型/LD28型(GT)の7機種。
;1981年10月
:直列4気筒4バルブ[[DOHC]] [[日産・FJエンジン#FJ20E|FJ20E]]型エンジン(150ps/6,000rpm、18.5kgm/4,800rpm)を搭載する「2000RS」(DR30型)を追加。直列6気筒でないエンジンを採用したこの車両はRSという新しい名を与えられた。RSは4気筒モデルであるが、GT系と同じ丸型4灯式テールランプ。同時にZ18S型を搭載する新ボディ形式「エステート」が追加された。
;[[1982年]]10月
:一部変更。「TIシリーズ」の1,800cc Z18型エンジンを直列4気筒OHC CA18型/CA18E型エンジンへ変更(FJR30型)。「TI Lエクストラ」および「GT Xエクストラ」を追加し、「2000RS」に60%扁平タイヤを装着。
;[[1983年]]2月
:FJ20E型に[[ターボチャージャー]]を追加した、[[日産・FJエンジン#FJ20ET|FJ20ET]]型(190ps/6,400rpm)を搭載した「2000[[ターボチャージャー|ターボ]]RS」(DR30JFT型)を追加。歴代スカイラインのどれよりも高出力であったことから「'''史上最強のスカイライン'''」というキャッチコピーが用いられる。また、日産は、このモデルにてC10型(ハコスカ)以来となる[[ワークス・チーム|ワークス]]として[[レース]]に復帰。
;1983年8月
:マイナーチェンジにより後期型へ。前後の意匠変更、大型バンパーの採用等を行う。RSの後期型は薄型ヘッドランプ、ラジエーターグリルレスのデザインにより「'''鉄仮面'''」と呼ばれた。パワーランバーサポート・パワーステアリング・パワーウインド・カセットコンポを装備した豪華仕様「2000ターボRS-X」(DR30XFT型)を追加。また、従来GT-EXエクストラに標準装備されていたぼかし入りフロント合わせガラス&リア合わせガラスが廃止され、全グレードのフロントガラスが部分強化ガラスのみとなる。
[[ファイル:R30-pnv.jpg|left|thumb|ポール・ニューマンバージョンの[[署名|サイン]][[デカール]]]]
;1983年10月
:日本初のAT専用グレードであるNAの豪華仕様「2000RS-X(DR30XFE型)」、および15インチアルミホイール、ブロンズガラス、専用ステッカーを装備する「2000ターボGT-E・S ポール・ニューマン・バージョン」(HR30JFT型)を追加。
;1983年11月
:日産50周年[[特別仕様車|記念限定車]]「50アニバーサリー バージョン」を設定。これはハードトップ2000ターボRS-Xをベースに、[[めっき|メッキ]][[ドアミラー]]、専用[[紋章|エンブレム]]、「ハイタッチモケット」と呼ばれる専用の内装(後にオプション設定)を備え、白のほかにガンメタ/赤茶ツートンの専用ボディカラーも用意された。
;[[1984年]]1月
:「2000GT-E・Xパサージュ」(HR30GAE型)を追加。
;1984年2月
:[[インタークーラー]]搭載モデルである「2000ターボインタークーラーRS/RS-X」(DR30JFS/DR30XFS)を追加。このモデルには日産が正式に「ターボC」の愛称を与える。RS-XターボCでは、前述のハイタッチモケット仕様の内装が選択可能となった。インタークーラー付きFJ20ET型エンジンはグロス表示で205ps/6,400rpm、25.0kgm/4,400rpmを発生させた。外観上の大きな違いは、トランクリッドに取り付けられたエンブレムとフロントバンパー左下エプロンのインタークーラー用ダクトが開けられている。ターボC以外は開けられていない。
;1984年8月
:エンジンの点火系を変更した「プラズマスパークシリーズ」を発売。高パフォーマンスのエンジンでのイージードライブを可能とした「2000ターボインタークーラーRS-X A/T」(DR30XAS型)、および「2000ターボGT-E・II」(HR30HFT型)を追加。
;[[1985年]][[8月]]
:モデルチェンジにより販売はニューモデルのR31型に切り替わるが、商用車の「エステート」は[[1990年]][[2月]]まで生産販売が継続される。<ref>後継は、[[日産・アベニール|アベニールカーゴ]]。その後[[日産・エキスパート|エキスパート]]を経て、現在は[[日産・AD|ADエキスパート]]が販売されている。</ref>
<gallery>
ファイル:DR30-01.jpg|後期型ハードトップ2000ターボRS
ファイル:Kinkyu-kodan-skyline.jpg|エステート
</gallery>
なお、この型式をもって、カタログにおいて「開発者」である「[[桜井眞一郎]]」のコメントは登場しなくなっている(「R30」でも「桜井眞一郎」の記述はどこにもなく、あくまでも「開発者」とされている)。
{{-}}
 
=== 7代目 R31型(1985年-1989年)===
== GT-Rとは ==
{{Infobox 自動車のスペック表
スカイラインの中でも特別な存在。その歴史を紐解けば分かるように、レースで勝つことを使命としている。エンジンの構造等にもエンジニアのこだわりがある。そのため、GT-Rを冠することの出来ない世代もあり、それがGT-Rの存在そのものに箔をつけている。スカイラインの中のスカイラインとでも言えよう。
| 車種=普通自動車
| 車名=日産・スカイライン(7代目)
| 車名補=R31型
| 1枚目画像の説明=前期型(1985年-1987年)GTパサージュ
| 1枚目画像名=Nissan skyline gt passage.jpg
| 2枚目画像の説明=後期型(1987年-1989年)GTS-R
| 2枚目画像名=Nissan Skyline R31 2000 GTS-R 002.jpg
| 3枚目画像の説明=
| 3枚目画像名=Nissan Skyline R31 2000 GTS-R 003.jpg
| 販売期間=[[1985年]] - [[1990年]] <ref>ハードトップ・セダンは1985年-1989年、クーペは1986年-1989年、ワゴンは1986年-1990年</ref>
| 設計統括=[[桜井眞一郎]]</br>(1984年末に桜井眞一郎の入院により[[伊藤修令]]に交代)
| デザイン=[[宇津野誠]]
| ボディタイプ=4ドア[[セダン]]<br/>4ドア[[ピラーレスハードトップ]]<br/>5ドア[[ステーションワゴン]]<br/>2ドア[[クーペ]]
| エンジン=
| トランスミッション=4速AT / 5速MT
| サスペンション=前: ストラット<br/>後: セミトレーリングアーム/5リンクリジッド
| 駆動方式=FR
| 全長=4650mm
| 全幅=1690mm
| 全高=1385mm
| ホイールベース=2615mm
| 車両重量=
| 乗車定員=
| 自由項目1(項目名)=総販売台数
| 自由項目1(内容)=30万9,716台
| 自由項目2(項目名)=生産国
| 自由項目2(内容)={{Flagicon|Japan}}日本、 {{Flagicon|Australia}}豪州  
}}
通称:'''7th'''('''セブンス''')、'''都市工学スカイライン'''
 
ボディバリエーションは、「4ドアセダン」・ピラーレスの「4ドアハードトップ」・5ドアステーションワゴンの「ワゴン」・「2ドアスポーツクーペ」の4種。
== スカイラインのレース活動 ==
;[[1985年]]8月
:R31型発売。プラットフォームはローレル(C32型系)や[[日産・レパード|レパード]](2代目.F31型系)と共通。発売当初は「4ドアセダン」とスカイライン初の「4ドアハードトップ」の2ボディタイプのみであったが、翌年早々に「ワゴン」が、そして「2ドアスポーツクーペ」<ref>R30型までの2ドアクーペ「ハードトップ」と異なり車体剛性確保のためBピラー付きのモデルとなったことからボディ名称にはクーペが用いられた</ref>と、相次いで追加された。メカニズム面では、S20型エンジン以来の直列6気筒4バルブDOHCエンジンで、180ps(ネット表示。発売当初はグロス表示210ps)を発生する[[日産・RBエンジン#RB20DET|RB20DET]]型を搭載している。4輪独立操舵システムである[[HICAS]]を搭載したモデルである。搭載するエンジンは前述のRB20DET型のほか、直列6気筒がDOHC RB20DE型、SOHCターボ RB20ET型、SOHC RB20E型、SOHCディーゼル RD28型。直列4気筒はSOHC CA18S型の計6機種。サスペンションはフロントがストラット式、リアがセミトレーリングアーム式。但し「4ドアセダン」・「4ドアハードトップ」の各1800シリーズおよび「ワゴン」全車はリアが5リンク式リジッド。グレード体系は豪華版の「パサージュ」と普及版の「エクセル」が各エンジン版に用意されていた。
;[[1986年]]1月
:「ワゴン」を追加。
;1986年5月
:「2ドアスポーツクーペ」のGTSシリーズを追加。ターボ・チャージャーのタービン素材に軽量なセラミックを採用しターボラグの低減を図った「セラミック・ターボ」を採用している点が特筆される。時速70kmを超えるとフロントエアダムから自動でせり下がる「GTオートスポイラー」もオプション設定された。
 
;1986年8月
[[画像:Nissan skyline 2000 gt-r.jpg|right|ハコスカ]]
:「4ドアセダン1800エクストラG」を追加。
GT-R は勝つため開発されたレースベース車両で、積極的にレースに参戦し数々の伝説が語られている。
;1986年9月
[[画像:Nissan skyline gt-r gt500 2003.jpg|NISSAN SKYLINE GT-R 2003 モデル]]
:「2ドアスポーツクーペ」に引続き、「4ドアハードトップ」にもGTSシリーズを追加。
;[[1987年]]2月
:「2ドアスポーツクーペGTSツインカム24VターボNISMO」を限定1000台にて設定。イタルボランテステアリングホイール、バケットシート等を装備する。
;1987年5月
:「4ドアセダン1800エクストラGリミテッド」、および「4ドアセダン1800Gリミテッド」を追加。
;1987年8月
:マイナーチェンジ。4ドアのフロント周りの造形をクーペと共通するデザインへ変更や量産車で世界初のプロジェクターライト採用など、外観とエンジン<ref>若干のパワーアップで、RB20DETが190ps。</ref>に手が入る。マイナーチェンジと同時に、当時のグループAのホモロゲーションモデルとして「2ドアスポーツクーペGTS-R」を800台限定で販売。大型コンプレッサーのターボ、大型空冷式インタークーラー、等長排気マニフォールドの採用などで210ps(ネット表示)を発生するRB20DETを搭載。フロントスポイラーは「GTオートスポイラー」と同形状で固定化し、大型で専用のリアスポイラーを装備している。1987年11月のインターTECにてレースデビューした。<ref>専用カラーのブルーブラックのみ</ref>
;[[1988年]]5月
:日産の子会社である[[オーテックジャパン]]が独自にエンジンや足回りを[[チューニング]]し、GTS-Rと同じ210ps(ネット値)を発揮する限定車「GTSオーテックバージョン」が登場(限定200台)<ref>この限定車も専用色だった。(ゴールドメタリック)</ref>。注文数が大きく上回り、発売日には抽選で販売した。
 
なお、カタログモデルで[[タクシー]]仕様車が設定されたのは同型が最後となった<ref>エンジンはCA18P型-[[LPG自動車|LPG]]仕様。小型タクシーの全長の規定によりマイナーチェンジ後もフロントおよびリヤ[[バンパー]]の変更は無かった</ref>。
==関連項目==
また、時期的にフェンダーミラー車から買い替えが多かったためか、運転席側をドアミラー、助手席側をフェンダーミラーとする左右非対称のアンシンメトリーミラーがオプション設定されていた。<ref>タクシー仕様、パトカー仕様やメーカーオプションで普通のフェンダーミラーも設定されていた。</ref>
*[[モータースポーツ]]
[[オーストラリア]]では1986年からCA20E搭載の4気筒モデルを[[日産・ピンターラ|ピンターラ]] ([[:en:Nissan Pintara|Pintara]]) という名称で、豪州日産の[[:en:Clayton,_Victoria|クレイトン]]工場で現地生産された。加えて、これまでの[[日産・セドリック|セドリック(430型まではDATSUN 220C/280C)]]の輸入販売中止に伴う代替対策として6気筒モデルは、日本では販売されなかったRB30Eエンジンを搭載したセダンとワゴンが、スカイラインの車名のまま1988年から90年にかけて生産された。なお、2代目ピンターラは[[日産・ブルーバード|ブルーバード]]U12型と同一となり、日本には5ドアハッチバック・モデルが、BLUEBIRD AUSSIE(ブルーバード・オーズィ)として輸入・販売された。
*[[JGTC|全日本GT選手権]](JGTC)
 
コンプリートカーメーカーの[[トミーカイラ]]がオーストラリア向け車両に搭載されていた3,000ccSOHCのRB30E型エンジンのシリンダーブロックにRB20DEのパーツを組み合わせたDOHCエンジンを搭載した、コンプリートカー[[トミーカイラM30]]として市販した。これは、日本初の公認[[チューニングカー]]としてトミーカイラが世に出した最初のモデルでもある。このM30は2007年2月時点での日本での現存が8台([[R31HOUSE]]調べ)。同じくコンプリートカーとしてM20も存在した。こちらも生産台数30数台。
 
[[南アフリカ共和国|南アフリカ]]でも29,305台のR31型4ドア・セダンが生産され、エンジンラインナップはRB30E、RB20EそしてCA20Sが搭載された。
<gallery>
ファイル:Nissan Skyline 1987.jpg|後期型(1987年-1989年)
File:1988-1990 Nissan Skyline (R31) GXE station wagon 01.jpg|ステーションワゴン<br />写真は[[オーストラリア|豪州]]向け
File:Nissan Skyline Wagon (1).jpg|正面図ステーションワゴン豪州仕様</gallery>
{{-}}
 
=== 8代目 R32型(1989年-1993年) ===
{{Infobox 自動車のスペック表
| 車種=普通自動車
| 車名=日産・スカイライン(8代目)
| 車名補=R32型
| 1枚目画像の説明=前期型4ドアGTS
| 1枚目画像名=Nissan Skyline R32 front.jpg
| 販売期間=[[1989年]] - [[1993年]]
| 設計統括=[[伊藤修令]]
| ボディタイプ=4ドアセダン<br/>2ドアクーペ
| エンジン=
| トランスミッション=4速AT / 5速MT
| サスペンション=前:マルチリンク<br />後:マルチリンク / リーフスプリング
| 駆動方式=[[四輪駆動|4WD]] / FR
| 全長=4,530 - 4,580mm
| 全幅=1,695mm
| 全高=1,325 - 1,340mm
| ホイールベース=2,615mm
| 車両重量=1120-1480kg
| 乗車定員=
| 自由項目1(項目名)=総販売台数
| 自由項目1(内容)=25万2,726台
| 自由項目2(項目名)=<!--共通のプラットフォームを採用する車--><!--根拠となるソースを要する-->
| 自由項目2(内容)=<!--[[日産・ローレル]]<br/>[[日産・セフィーロ]]-->
}}
 
通称 : '''超感覚スカイライン'''
 
;[[1989年]]5月22日
4ドアセダン7グレード、2ドアクーペ5グレードで登場。FR車のみ同日発売でGT-Rを含む4WD車は8月発売とアナウンスされた。5ナンバー枠の限界近くまで大型化していた先代と比べて大幅なダウンサイジングが行われたと同時に、GT-R以外の系列は最後の5ナンバースカイラインとなる。ボディタイプは、サッシュレス4ドアセダンである「4ドアスポーツセダン」と「2ドアスポーツクーペ」のみとなった。
 
標準モデルの搭載エンジンは直列6気筒が215psまでパワーアップされたRB20DET型(GTS-t、GTS-t TypeM)を筆頭に、RB20DE型(155ps,GTS)、SOHCのRB20E型(125ps,GTE)と直列4気筒SOHCのCA18i型(91ps,GXi)もあった。なお、R31型まで設定されたディーゼルエンジンは設定されなかった。後にマイナーチェンジで2,500ccのRB25DE型(180ps)が搭載され、5速ATを組合わせたGTS25も追加された。このように、GT-R以外の3ナンバーモデルも発売されたものの、A31型[[日産・セフィーロ|セフィーロ]]のように全車3ナンバー化はされなかった。またこのモデルから4気筒、6気筒に関わらず、すべてのグレードにおいて丸型4灯テールランプが採用されている。GTS-t TypeMにはアルミ対向キャリパーが採用され、フロント対向4ポット(ローター直径280mm×厚さ30mm)、リア対向2ポット(297mm×18mm)のブレーキシステムを装備する。
 
前期・後期共に[[教習車]]仕様が存在していた。
 
[[パトロールカー|パトカー]]仕様の設定はこの代が最後となる(YHR32型車が1991年8月まで製造)<ref>1991年にはV6エンジン(VG20E)を搭載する[[日産・グロリア|グロリア]]が採用されたが、その後同じRB20Eを積む[[日産・クルー|クルー]]を投入。</ref>。なお先代R31型までは中東やオセアニア向けなどの輸出仕様が存在したが、このR32型は日本国内専用モデルであった。
 
;1989年8月21日
GT-Rと共にGTS-4販売開始。RB20DET型エンジンにGT-Rと同じアテーサE-TSの組み合わせが採用されている(鉄パーツ多用による重量と、ブリスターフェンダー非装着なのでトレッドの狭さがありGT-Rほどの高性能は得られていない)。
 
;1991年8月20日
マイナーチェンジ。フロントバンパー、フロントグリル、ヘッドライト、バッジ類などを小変更(4ドアのみテールランプのデザインも小変更)。内装はクロスの素材や色、メーターパネルなどを変更。またサイドドアビームや運転席エアバッグをオプション設定するなどの衝突安全対策を充実・GTS-tグレードの消滅(前期型にはGTS-tというRB20DET搭載ながら片押しキャリパー、ステアリングがGTSなどと同じグレードがあったが、GTS-t TypeMのみとなった) セダン・クーペ共にRB25DE型エンジンを搭載したGTS25を追加、世界初の5ATが搭載される(代表的な型式はE-ECR32)。GTS25にはGTEとGTSより大径であるブレーキシステム(前期GTS-tで採用されていた)が装備される。前:ローターの厚みはそのままに大径化 280mm×22mm、後:ローター直径はそのままにベンチレーテッド化 266mm×16mm。
 
;[[1992年]]2月
[[オーテックジャパン]]より、4ドアスポーツセダンGTS-4をベースに、GT-R用RB26DETT型をNA化し、鍛造ピストンや高回転カムシャフトを採用するRB26DE型(220ps/6,800rpm、25.0kgm/5,200rpm)と4速ATを組合わせた「オーテックバージョン」<ref>[http://www.autech.co.jp/HISTORY-SV/R32S01/index.htm スカイラインオーテックバージョンR32]公式サイト</ref>が発売された。
 
その他、コンプリートカーメーカーの[[トミーカイラ]]がオーストラリア向け車両に搭載されていた3,000ccSOHCのRB30E型エンジンをRB26DETT型のパーツを流用しDOHC化したモデルを製作した。このモデルは、NAながら280psを発揮させるRB30DE型を独自開発したものであり、オーテックと同じくGT-Rではなく2ドアスポーツクーペGTS-tの車体に搭載しコンプリートカーとして市販した。
{{-}}
 
=== 9代目 R33型(1993年-1998年) ===
{{Infobox 自動車のスペック表
| 車種=普通自動車
| 車名=日産・スカイライン(9代目)
| 車名補=R33型
| 1枚目画像の説明=
| 1枚目画像名=1993.nissan.skyline.arp.jpg
| 販売期間=[[1993年]] - [[1998年]]
| 設計統括=[[渡邉衡三]]
| デザイン=[[松井孝晏]]
| ボディタイプ=4ドア[[セダン]]<br/>2ドアクーペ
| エンジン=
| トランスミッション=4速AT / 5速MT
| サスペンション=マルチリンク
| 駆動方式=4WD / FR
| 全長=4,640 - 4,720mm
| 全幅=1,720mm
| 全高=1,340 - 1,360mm
| ホイールベース=2,720mm
| 車両重量=1270-1470kg
| 乗車定員=
| 自由項目1(項目名)=総販売台数
| 自由項目1(内容)=20万0,698台
| 自由項目2(項目名)=<!--共通のプラットフォームを採用する車--><!--根拠となるソースを要する-->
| 自由項目2(内容)=<!--[[日産・ローレル]]-->
}}
通称:'''GT9'''('''ジーティーナイン''')<ref>通称は一般公募で選ばれた。</ref>
 
キャッチコピーは'''本流グランドツーリングカー'''。ボディをふたたび大型化。主力は2.5Lとなり、全車3ナンバーとなった。GT-Rは[[1995年]][[1月]]に発売された。R32型に比べて全体的に大型化された事により、居住性は大幅に上がった。R33デビュー前より「ボディ大型化」が噂されており、車両重量増加を懸念する声が多かったので、車両重量をR32と同等になるように軽量化された。しかし、ボディ剛性がスポーツ車としては十分でなかったため、R34では重量増加を覚悟の上でボディ剛性強化を行なった経緯があった。
 
サスペンション形式はR32と同じく[[マルチリンク式サスペンション|マルチリンク]]だが、前アッパーアームをI型からA型に変更、後ダンパーのストローク増、などの改良が図られている。
 
クーペ全てとセダンの前期モデルは、バッテリーをトランク奥に設置するハイトラクションレイアウトを採用している。
 
セダンはここでサッシュレスドアからプレスドアに変更された。ただし、クーペはサッシュレスドアのままである。
 
エンジンのラインアップは2.5L RB25DET型とRB25DE型、および2.0L RB20E型(R33型唯一のSOHCエンジン)の4タイプとなり、4気筒のモデルは消滅した。またスカイラインとして初めて、全グレードに「GT」が冠されることになった。トランスミッションは5速MTと4速AT、5速AT(2.5LNAモデルの5速ATはマイナーチェンジにて4速ATに変更される)であった。RB25DET型エンジンは『リニアチャージコンセプト』により過給圧を抑えレスポンスの向上を図った。4WDモデルのGTS-4は、ノンターボ化されブレーキ等を変更してスポーツモデル路線から実用重視モデルに変更されている。
 
;[[1995年]]1月
:一部変更。運転席SRSエアバッグ、およびテールパイプフィニッシャーを標準装備としたほか、外装を一部変更。セダンのラジエータグリル、ヘッドランプ周りをスモークシルバーに変更し、GTSタイプG系にアルミホイールを標準装備化。クーペのラジエータグリルをボディカラー化し、「エアロパッケージ」を設定。「セダンGTS25タイプG・SE」および「セダンGTS-4タイプG」を追加。
 
;[[1996年]]1月
ビッグマイナーチェンジ。外装が大幅に変更され、セダンとクーペの差別化が明確にされた。またセダンではトランク容量確保のため、トランクルームにあったバッテリーをエンジンルームに戻した。[[牧瀬里穂]]が出演するCMが放送され、当初は「男だったら、乗ってみな。」というキャッチコピーを使用していたが、この表現が性差別に該当するとして「キメたかったら、乗ってみな。」に差し替えられたというエピソードがある。
 
<gallery>
ファイル:R33sedan.jpg|セダン(後期型)
</gallery>
{{-}}
 
=== 10代目 R34型(1998年-2001年)===
{{Infobox 自動車のスペック表
| 車種=普通自動車
| 車名=日産・スカイライン(10代目)
| 車名補=R34型
| 1枚目画像の説明=前期型4ドアセダン
| 1枚目画像名=Nissan Skyline 1998.jpg
| 2枚目画像の説明=前期型2ドアクーペ 25GT
| 2枚目画像名=ER34 - 25GT 2door Front.jpg
| 3枚目画像の説明=
| 3枚目画像名=ER34 - 25GT 2door Rear.jpg
| 販売期間=[[1998年]] - [[2001年]]
| 設計統括=[[渡邉衡三]]
| デザイン=[[粂田起男]]
| ボディタイプ=4ドアセダン<br/>2ドアクーペ 
| エンジン=
| トランスミッション=4速AT / 5速MT
| サスペンション=マルチリンク
| 駆動方式=4WD / FR
| 全長=4,580 - 4,705mm
| 全幅=1,720 - 1,725mm
| 全高=1,340 - 1,375mm
| ホイールベース=2,665mm
| 車両重量=
| 乗車定員=
| 自由項目1(項目名)=総販売台数
| 自由項目1(内容)=5万3,279台
| 自由項目2(項目名)=<!--共通のプラットフォームを採用する車--><!--根拠となるソースを要する-->
| 自由項目2(内容)=<!--[[日産・ローレル]]-->
}}
 
;[[1998年]]5月
:R34型発売。キャッチコピーは'''ドライビングボディ'''。先代の反省からかホイールベースを短縮し、ボディ[[剛性]]が向上され、同時に安全性も向上された。搭載するエンジンは全て直列6気筒DOHCであり(スカイラインとしてはこの代より全て4バルブDOHC化)、2.0LのRB20DE型、2.5LのRB25DE型、および2.5Lターボ付のRB25DET型の3種類。スカイライン最後の直列6気筒エンジン車<!--(以降のモデルはV型6気筒エンジン)-->。マニュアルモード付ATを2.5L 2WDモデルに設定した。MTはクーペの全仕様、セダンのターボモデル、4WDモデルおよび2.0Lモデルに設定された。
:標準での最スポーツモデルでRB25DET型を搭載する「25GT-t」はついに280psを発揮するまでに至った(さらにマイナーチェンジでR32・GT-Rの最大トルクをも上回った)。
;1999年2月
:4ドアセダンに電動SUPER HICAS、リヤ[[ビスカスカップリング|ビスカスLSD]]等、ターボ車同様の足回りを持つ「25GT-V」を追加。R34型登場時には設定のなかった2WDセダンのNA 2.5LとMTの組み合わせとなる。
:3月末までの期間限定モデルとして売り出されたが、4月以降も生産され翌年発売された2ドアと共に、後期型ではカタログモデルとなった。
;1999年9月
:2ドアスポーツクーペ・4ドアセダンともにリヤビスカスLSDを[[差動装置#リミテッド・スリップ・デフ|ヘリカルLSD]]に変更。また細かいところでは、エンジンカバーに書かれた「Turbo」「NEO STRAIGHT 6」の文字に施された赤い塗装が廃止されたことがカタログから読み取れた。
;[[2000年]]1月
:2ドアスポーツクーペに「25GT-V」を追加。
;2000年[[8月28日]]
:マイナーチェンジ。内外装を一部変更したほか、RB25DET型の5速MT車にて、エンジンのトルクアップを施した。ただし、このマイナーチェンジ車はGT-Rを除きわずか10か月しか販売されていない。
;2001年6月
:RB型エンジン搭載最後のモデルで3年という短いサイクルでV35型へバトンタッチ。その後もGT-Rは継続販売された。なお、2ドアクーペは交通取締り用のパトカーとして数台採用された。4ドアセダンのGTターボは交通取締り用の[[パトロールカー|覆面パトカー]]として50台が導入された(前期型)、しかし少数ながら後期型も埼玉や和歌山などの高速隊には存在している。その後捜査用車両としてNAエンジンの4ドアセダンが127台導入された、最近では交通取り締まり用は[[トヨタ・クラウン|クラウン]]の覆面パトカーにその座を譲ることが多くなった。
 
<gallery>
ファイル:Nissan Skyline R34 poilice.JPG|前期型25GT-tの覆面パトカー([[北海道警察]])
[[File:SKYLINE-ER34 IMG 0001.jpg|200|前期初期型セダン25GT-X]]
ファイル:ER34Sedan‐2,5GT-X.jpg|前期、初期型セダン25GT-Xフロント
ファイル:ER34Sedan‐2,5GT-X2.jpg|前期、初期型セダン25GT-Xリヤ
</gallery>
{{-}}
 
=== 11代目 V35型(2001年-2006年<ref>クーペ2003年-2007年</ref>) ===
{{Double image stack|right|Nissan Skyline Sedan V35 in 2007.jpg|NISSAN SKYLINE COUPE V35.jpg|250|セダン|クーペ}}
'''セダン'''
{{Main|日産・スカイラインセダン V35}}
[[1999年]]10月の第33回[[東京モーターショー]]に、[[コンセプトカー]]、「'''XVL'''」を出品。当初はスカイラインとは別のモデルとして発表され、日産の新しいセダンとして開発が始められた。[[2001年]][[6月18日]]には「XVL」をV35型スカイラインとして発売。10代目の項の通り、R34型登場から3年後にV35型が登場したが、先代までのフルモデルチェンジのサイクルと比較して短い。この型から、直列6気筒エンジンに替わり、[[V型6気筒]]直噴ガソリンエンジンのVQ30DD型、VQ25DD型を搭載した。また、丸型のテールランプが廃止(後のマイナーチェンジで復活)など、デザインの変更も行われた。
 
一方、国外では、日産の上級ブランドである[[インフィニティ (日産自動車)|インフィニティ]]ブランドにおいて[[インフィニティ・G|インフィニティ・G35]]として販売された(「インフィニティ・G20」、日本名[[日産・プリメーラ|プリメーラ]]の後継車)。
 
'''クーペ'''
{{Main|日産・スカイラインクーペ CV35}}
[[2003年]][[1月16日]]にセダンより約1年半遅れて発売(MT車は同年[[2月6日]]発売)。搭載するエンジンはVQ35DE型エンジンのみ。なお、クーペではセダンに先立ち丸型テールランプが復活している。
 
[[2007年]]8月にクーペの販売終了。この2か月後にV36型クーペが登場している。
{{-}}
 
=== 12代目 V36型(2006年-<ref>クーペ2007年-</ref>) ===
{{Vertical_images_list
|幅= 250px
| 1=2006-2008 NISSAN SKYLINE.jpg
| 2=セダン
| 3=2007 Nissan V36 Skyline Coupe.JPG
| 4=クーペ
| 5=Nissan Skyline Crossover 001.JPG
| 6=クロスオーバー
}}
'''セダン'''
{{Main|日産・スカイラインセダン V36}}
[[2006年]]4月に[[ニューヨーク国際オートショー]]で輸出仕様である新型インフィニティG35セダンが出展され、同年[[11月20日]]に日本国内で発売された。目標月間販売台数は1000台と発表されている。
先代モデルからのキープコンセプトであり、エンジンは改良型[[日産・VQエンジン|VQHRエンジン]]の[[日産・VQ35HR|VQ35HR型]] [[V型6気筒|V6]] 3.5LとVQ25HR型 V6 2.5Lを搭載。スポーツグレードである「350GT Type SP」と「350GT Type S」には[[四輪操舵]]システム「[[4輪アクティブステア]] 」をメーカーオプション設定。
 
V37型販売後も、車種を絞って販売継続する<ref>[http://techon.nikkeibp.co.jp/article/MAG/20131210/321801/ 日産自動車「スカイライン」国内仕様はハイブリッドに絞る 世界初のステア・バイ・ワイヤ] - Tech-On! 2014年1月24日</ref>。
 
'''クーペ'''
{{Main|日産・スカイラインクーペ CV36}}
[[2007年]]4月のニューヨーク国際オートショーにおいてG37クーペが発表され、同年[[10月2日]]に発売。エンジンはVVEL(バルブ作動角・リフト量連続可変システム)を採用した3.7Lの[[日産・VQ37VHR|VQ37VHR型]]を搭載。セダンにはなかった6速MTも設定され、日本初となる歩行者との衝突時に瞬時にボンネットを浮かせる「ポップアップエンジンフード」も搭載された。目標月間販売台数は200台と発表されている。
 
'''クロスオーバー'''
{{Main|日産・スカイラインクロスオーバー}}
[[2009年]]7月13日に販売を開始。従来型にも[[ATTESA E-TS|アテーサE-TS]]方式の[[四輪駆動]]車はあったが、[[SUV]]の設定はスカイライン史上初であり、[[ハッチバック]]を持つ車型も、6代目のR30型系以来となる。
{{-}}
 
===13代目 V37型(2014年-)===
{{Vertical_images_list
|幅= 250px
| 1=NISSAN 「Sales Promortion」 DAA-HV37 SKYLINE HYBRID SEDAN 350GT HYBRID Type SP Front.JPG
| 2=セダン
}}
2013年9月に、北米で新型[[インフィニティ・Q50]]が発表された。日本では同年11月11日に13代目V37型スカイラインとして発表され、翌2014年2月26日に発売。スカイライン初の全グレードがハイブリッド車となった<ref>[http://sankei.jp.msn.com/economy/news/131111/biz13111119230012-n1.htm 日産が7年ぶり新型スカイライン 13代目は初のHV]msn産経ニュース</ref>。また、「インフィニティ」の開発によって培われた高い技術力やデザインの知見によるモデルのため、その証としてインフィニティのバッジが装着されている。V37型発表後もV36型は2.5L車3グレード(「250GT」・「250GT Type S」・「250GT FOUR」)に集約し、装備の追加や価格改定による車両本体価格の値下げを行った上で販売が継続される<ref>[http://www.nissan-global.com/JP/NEWS/2013/_STORY/131111-01-j.html 新型「スカイライン」を発表] - 日産自動車 ニュースリリース 2013年11月11日(2013年11月12日閲覧)</ref>。併せて、日産ホームページのWebカタログにV36型スカイラインセダンのページが新設され、元々あるスカイラインセダンのWebカタログとは区別される。国内の商品企画を担当した日本商品企画部リージョナルプロダクトマネージャーの寺田美穂は、「年齢でいうと40代前半の男性。共働きの奥さんがいて、娘が1人。[[外資系]]企業で[[管理職]]をしており、非常にタフな環境の第一戦で活躍している人。都心の[[タワーマンション]]に住んでいる。」をターゲット層としているという<ref>[http://getnews.jp/archives/484297 「新型スカイライン」の想定顧客 実は600人位しか実在しない? – ガジェット通信]</ref>。
 
2014年5月には2.0Lターボ車を追加することを発表し、翌月に販売を開始した。
 
{{Main|日産・スカイラインセダン V37}}
{{-}}
 
== スカイラインのモータースポーツ活動 ==
スカイラインは初代モデルからモータースポーツに参戦している。
 
特にスカイラインGT-Rの活躍で有名であるが、R30シルエット・フォーミュラ、R31・GTS-Rでの[[グループA]][[全日本ツーリングカー選手権]]参戦など、GT-Rが無かった時代の参戦もあった。
 
=== 2代目(S50型) ===
[[ファイル:S54 Nissan Skyline 2000GT.JPG|thumb|220px|right|S54 スカイライン 2000GT]]
1964年5月 [[1964年日本グランプリ (4輪)|第2回日本グランプリ]]T-Vクラスにスカイライン出場、1〜7位独占。[[1964年日本グランプリ (4輪)#GT-IIクラスの対決|GT-IIクラス]]にスカイラインGT(S54-I型)出場、2〜6位入賞。[[生沢徹]]は1周だけ[[ポルシェ・904]]の前を走り、3位でレースを終えた。実際は、友人であった[[式場壮吉]]にレース前冗談で「頼む!1周だけでいいからトップ走らせてくれ!」と嘆願したことに対し、式場が応えたとされ、後に式場本人も「生沢に道を譲ったつもりが、日本のモータースポーツ界・自動車産業に道を明けていたのかもしれない」と語っている。<ref> [http://www.avanti-web.com/pastdata/19991127.html SUNTORY SATURDAYWAITINGBAR1999年11月27日放送「スカイライン伝説」]</ref>ただし、この談合説に関しての生沢と式場の談話は、時期によって内容が二転三転しており、明確な真偽は不明である。
 
=== 3代目(C10型) ===
同月 「JAF公認700キロ ノンストップラリー」にて「スポーティデラックス」が優勝を飾る。
 
1970年6月 「ツール・ド・ニッポン」に2000GTが出場。
 
[[1971年]]5月 「'71日本グランプリレース大会」ツーリングカーbレースにてGT-Rが1-3位、5位を獲得する。
 
[[1972年]]3月 「'72富士GCシリーズNo1 富士300キロスピードレース」スーパーツーリングレースにて、GT-Rが豪雨の中、[[高橋国光]]が全車を周回遅れにして1位、通算50勝を達成する。
 
1972年9月 「'72GCシリーズ 富士インター200マイルレース大会」スーパーツーリングTS-bcレースにて[[北野元]]が駆ったGT-Rが1位、[[久保田洋史]]が3位、[[正谷栄邦]]が6位を獲得し、通算52勝目を飾る。そして最終的に通産57勝の成績を残した。
 
同じ年、[[スパ・フランコルシャン24時間レース]]に地元ベルギーのディーラーによる支援を受けたシャルル・バン・ストールが4ドア2000GT(GC10)の輸出仕様「ダットサン2000GT」を3台ディビジョン2に出場させ、ガスケットトラブルによりリタイヤした61号車以外の2台が完走、60号車が総合20位、62号車が同じく28位に入るという健闘を見せた。2ドアGT-Rではない理由としてはFIAで国際公認を取得していたのがグループ2のC10(4ドア)だけであったのとGT-Rは日本国内のみの販売だったため。なお、同じレースの同クラスにはマツダスイスレーシングの手により2台のサバンナRX-3も出場しており、予選ではサバンナのほうが速かったものの決勝では65号車の25位という結果に終わった。
 
C10型の強さを語る上の代名詞として「49連勝」というフレーズが昨今において雑誌、広告、DVD等のメディアにおいて広く使用され認知されている。ただし、この連勝数については諸説があり、例えば[[プリンスの丘公園]]におけるC10型の功績を称える碑には50連勝と書かれていることに対して、モータースポーツ誌のRacingOn' の444号では、うち18がクラス優勝<ref>37勝目のレースは総合優勝がダットサン240Z、GT-Rはクラス優勝(総合5位)等。</ref>、また1971年7月25日に行われた富士1000kmレースにおいて総合6位(クラス2位)となっているため、連勝記録は46で止まっていると指摘している<ref>また43・45勝目はPMCS(プリンス・モータリスト・クラブ・スポーツ)が主催した日産車のみのレース優勝と指摘している。</ref>。なお、日産のモータースポーツ部門であるNISMOはHPにおいて「49勝し更に50勝目も挙げた」という表記を取っている<ref>[http://www.nismo.co.jp/M_SPORTS/entertainment/DIRECTORY/vol_5.html 日産レースカー名鑑Vol5 SKYLINE GT-R「羊の皮を着た狼」最強グランツーリスモ]</ref>。
 
=== 6代目(R30型) ===
{{Double image stack|right|TOMICA Skyline.JPG|TomicaSkylinerear.jpg|220|KDR30スカイライン(トミカスカイライン)}}
[[1982年]]5月 当時の[[シルエットフォーミュラ|グループ5]]規定に合わせたレーシングカー「スカイライン スーパーシルエット」が登場。「ハードトップ2000RS(KDR30型)」をベースに車体の一部をパイプフレームとする[[ノバエンジニアリング]]製のシャシーに、大型のフロントスポイラー、およびリアウイングを備える[[ムーンクラフト]]製のカウルをまとい、「RS」のイメージカラーである赤/黒の2トーンカラーが特徴。ドライバーはかつてPGC10型GT-Rを操った長谷見昌弘。エンジンはサファリラリーなどで使用された「[[日産・バイオレット|バイオレット]]」に搭載されていた直列4気筒DOHC LZ20B型(に[[エアリサーチ]]製T05Bターボチャージャー、および[[ルーカス]]製メカニカルインジェクションシステムを組合わせ、 570ps/7,600rpm、55kgm/6,400rpmとなった。[[トミー (企業)|トミー]]がメインスポンサーを務め、[[トミカ]]のバリエーションとしてモデル化もされた。
 
また日産自動車の意向により、同様のレーシングカーが「[[日産・シルビア|シルビア]](KS110型)」および「[[日産・ブルーバード|ブルーバード]](KY910型)」でも製作され、それぞれ星野一義、柳田春人がドライブした。「シルビア」のメインスポンサーは日本ラジエーター(現[[カルソニックカンセイ]])、「ブルーバード」のメインスポンサーは[[コカ・コーラ]]であった<ref>当初は、兄弟車のガゼールとして参戦していたが途中でカウル形状変更・コカコーラがメインスポンサーだったが、途中からオートバックスに変わった。</ref>。1984年度まで国内外のレースに参戦し、[[1983年]]シーズンではR30型のマイナーチェンジに伴い、フロントフェイスおよびテールランプが変更された。また、スプリント用とは別に1982年8月に耐久用マシン([[日産・スカイラインターボC]])も[[追浜ワークス]]で製作され、南アフリカのキャラミ9時間に参加した。翌年[[グループC]]規定にあわせマシンも改造され、[[全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権|全日本耐久選手権]]に参戦する<ref>キャラミに参戦した車両はグループC規定で製作したもの以後グループC規定に変更された国内戦でも使用。別冊ハイパーレブ・スカイラインチューニング3内参照。</ref>。
 
そのほか、[[1985年]]より国内選手権として開始された[[グループA]]規格による[[JTC]]にも参戦。翌[[1986年]]には[[鈴木亜久里]]/[[和田孝夫]]の手によってシリーズチャンピオンを獲得するも、[[1987年]]シーズンは[[フォード・シエラ|フォード・シエラRS500]]にタイトルを奪われることになる。開始年には市販車がすでにR31型へと移行していたにもかかわらず、R30型が投入された背景にはシリーズ開始がR31発表以前であったことが挙げられる。しかし旧型車両ということもありエボリューション車両が開発されず、終始苦しい戦いを強いられた。
 
<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0; width: 80%">
<div class="NavHead" style="text-align: center">JTCなどの戦績</div>
<div class="NavContent" style="text-align: left">
: 1982年8月 「RRC富士チャンピオンレース」優勝
: 1982年10月 「富士マスターズ250kmレース」優勝
 
: [[1983年]]5月 「RRC筑波チャンピオンレース」優勝
: 1983年5月 「レース・ド・ニッポン筑波」優勝
: 1983年8月 「RRC富士F2チャンピオンレース」優勝
: 1983年9月 「菅生チャレンジカップレース第4戦」優勝
: [[1984年]]9月 「菅生チャレンジカップレース第3戦」優勝
: 1984年10月 「スーパーカップレース」優勝
: 1984年12月 「筑波チャレンジカップレース最終戦」優勝
 
[[1985年]] [[全日本ツーリングカー選手権 (1985年-1993年)|全日本ツーリングカー選手権]](JTC)にグループA仕様「RSターボC」が[[ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル|ニスモ]]よりワークス参戦。
[[1986年]] 引き続きJTCに「RSターボC」が参戦。主な戦績は以下の通り。
: 3月 第1戦「西日本300kmレース」 総合優勝
: 11月 最終戦「鈴鹿300kmレース」 総合優勝
:: ※[[鈴木亜久里]]がドライバーズ・タイトル獲得、メイクス部門と二冠。
 
[[1987年]] 引き続きJTCに「RSターボC」が参戦。
</div></div>
 
=== 7代目(R31型) ===
1987年[[インターTEC]]にGTS-Rがデビュー。
 
1988年度全日本ツーリングカー選手権にGTS-Rが参戦。主な戦績は以下の通り。
: 1月 第1戦「新春NRC鈴鹿300km自動車レース」 優勝
: 3月 第3戦 「西日本300kmレース」優勝
 
[[1989年]]度全日本ツーリングカー選手権にGTS-Rが参戦。主な戦績は以下の通り。
: 5月 「89ハイランドグループA300kmレース」 優勝
: 8月 「89レース・ド・ニッポン」 優勝
: 9月 「SUGOグループA 300kmレース」 優勝
: 9月 「グレード20ドライバーズレース」 優勝
:: ※[[長谷見昌弘]]がドライバーズ・タイトル獲得
 
[[1995年]] [[全日本GT選手権]]GT2クラス(後のGT300クラス)に於いて[[石橋義三]]によりチャンピオン獲得
 
=== 9代目 (R33型) ===
1993年、JTCCに4ドアGTSがデビュー。
 
== DVD「スカイライン CMコレクション」 ==
[[2010年]][[4月7日]]には、過去の日産・スカイラインの[[テレビ]][[コマーシャルメッセージ|CM]]をまとめた[[DVD]]「'''スカイライン CMコレクション'''」(KIBF-731)が[[キングレコード]]より発売された<ref>[http://www.kingrecords.co.jp/cs/g/gKIBF-731/ KING RECORDS OFFICIAL SITE > スカイライン CMコレクション]</ref>。
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
 
== 関連項目 ==
{{commonscat|Nissan Skyline|<br />日産・スカイライン}}
* [[プリンス自動車工業]]
* [[日産・スカイラインGT-R]]
* [[日産・GT-R]]
* [[日産・ピンターラ]]
* [[R31ハウス]]
* [[プリンス・スカイウェイ]]
* [[日産・フェアレディZ]]
* [[日産・ローレル]]
* [[日産・ステージア]]
* [[日産・セフィーロ]]
* [[日産・ラングレー]]
* [[モータースポーツ]]
* [[全日本ツーリングカー選手権]] (JTC)
* [[ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル]] (nismo)
*[[中川良一]]
*[[田中次郎_(技術者)|田中次郎]]
* [[桜井眞一郎]]
* [[伊藤修令]]
*[[渡邉衡三]]
* [[水野和敏]]
* [[SKYLINE 50th ANNIVERSARY CD]]
* [[プリンス&スカイラインミュウジアム]]
 
== 外部リンク ==
* [http://www.nissan.co.jp/SKYLINE/ 日産 スカイライン セダン Webカタログ ホーム]
* [http://wwwwww2.nissan.co.jp/GT-RSKYLINE/R34V36/01050710/index.html 日産 スカイラインGT-R クーペ スポーツ&スペシャリティ/SUV Webカタログ ホーム](R34型)
* [http://www2.nissan.co.jp/SKYLINE/CROSSOVER/ 日産 スカイライン クロスオーバー スポーツ&スペシャリティ/SUV Webカタログ ホーム]
* [http://history.nissan.co.jp/SKYLINE/R34/0008/index.html WEBカタログバックナンバー(R34型)]
* [http://www.nissan.co.jp/AP-CONTENTS/POSTOFFICE/ANSWERS/752.html スカイライン CM情報]
 
=== 博物館 ===
* [http://mmj-car.com// 日本自動車博物館]
* [http://www.prince-skyline.com/ プリンス&スカイラインミュウジアム]
 
{{自動車}}
 
{{デフォルトソート:につさんすかいらいん}}
[[Category:日産の車種|すかいらいん]]
[[Category:セダン]]
[[Category:スポーツセダン]]
[[Category:クーペ]]
[[Category:ハッチバック]]
[[Category:ステーションワゴン]]
[[Category:オープンカー]]
[[Category:四輪駆動車]]
[[Category:グッドデザイン賞]]
 
{{NISSAN Timeline(初期)}}
{{1980-1999 NISSAN Timeline}}
{{NISSAN Timeline}}