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[[ファイル:Torpilleur 276.jpg|サムネイル|フランスの魚雷艇]]
[[ファイル:Le Redoutable (1889 Greyscale).jpg|サムネイル|仏巡洋艦ルドゥタブル]]
'''ジューヌ・エコール'''(仏語:'''Jeune École'''、新生学派または海軍新理論)は、[[19世紀]]半ばにフランスで提唱された[[海軍]]運用の為の[[戦略|戦略構]]である。[[大艦巨砲主義]]の対極に位置する海戦理論であり、[[巡洋艦]]や[[魚雷艇]]および[[潜水艦]]といった小型艦艇を艦隊戦力の中心に据えようとするものである。当時の新発明されていたである[[炸裂弾]]や[[魚雷]]などの強力な火器を備えれば小型艦でも大型艦を克服撃破出来るという発想を中心がその根底あった。また、軽快な小型艦を駆使して敵国の海上物流を阻害す[[通商破壊|通商破壊戦]]も重視された。当時のフランスはイギリスに次ぐ世界第二位の海軍力を有していたが、未だ[[イギリス海軍]]との差は圧倒的であった為に、自国の科学力を活かした新しい対抗手段を模索する中で誕生した。強力な武装を有して小回りの利く小型艦を主力とする事と、その小型艦を用いて敵国の海上物流を阻害する[[通商破壊|通商破壊戦]]の重視を特徴としている
 
この構想はある程度までは正しく、実際に小型の[[魚雷艇]]による集団突撃は[[戦艦|大型戦艦]]にとって致命的となったが、その小型艦([[魚雷艇]])に対抗する為の小型艦([[駆逐艦]])をお互いが持つようになると、結局は[[戦艦]]の優劣で勝敗が決まる現実が明らかとなり、その優位性は成り立たなくなった。また、巡洋艦の方は戦艦の重装甲化と艦砲射程および命中精度の向上によって、当初に構想されていた強力な火器を発揮出来る余地すら無くなっていた。
 
こうした中で20世紀を迎えた後の建艦技術の主流は従来の延長である大艦巨砲主義となった。その為、大型艦の建造を軽視していたフランス海軍は戦艦技術の面で立ち遅れてしまい、海軍力世界第二位の座をドイツに明け渡す事になった。一方で[[通商破壊戦]]の方は理に適った構想と見なされ、それとは選り分けて重要視された。なお、日本海軍も[[日清戦争]]開戦前1893年まではこの理論を採用しており、その後は大艦巨砲主義に転じた。
 
==戦艦に対抗する小型艦==