「Wikipedia:コメント依頼/Seisato 20150510」の版間の差分

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Seisato (会話 | 投稿記録)
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しっかり議論を尽くすというのは、相手の意見と出典と方針文書を読んでそれに沿って行うものです。Seisatoさんの行動は議論を行うために当然の前提とされるこれらの軌範に沿ったものではありません。--[[利用者:Sube|Sube]]([[利用者‐会話:Sube|会話]]) 2015年6月12日 (金) 16:19 (UTC)(修正)--[[利用者:Sube|Sube]]([[利用者‐会話:Sube|会話]]) 2015年6月12日 (金) 16:19 (UTC)(再々修正)--[[利用者:Sube|Sube]]([[利用者‐会話:Sube|会話]]) 2015年6月12日 (金) 17:00 (UTC)
 
{{コメント}} ご無沙汰しています。HTTHです。最近、非常に実生活で多忙でした(忙しいことはいいことです)。しかしそれ以前からウィキペディアでの活動に、無力感、ありていに言えば投げやりな気分でした。
 
そんな中、[[利用者‐会話:HTTH#「共同提案」について]]をSeisatoさんからもらいました。私の発言が再三引用され、これの解釈を巡って、この場にいる人を不快にさせると思うのですが、悪い意味での「ウィキペディア的議論の応酬」が続いています。これを終わらせるためには、私本人が述べるしかない、と思ったのでまた来ました。私は自分の発言には、責任を持ちたいと思っています。
 
*「''『話し合いでドイツの第二次世界大戦後の戦後補償を合意の上出しましたという言葉は事実ではなく』という指摘です。私としては、この会話欄でのやりとりの上でのことですから共同提案としましたが''」Seisatoさんの発言
 
私は、Seisatoさんの言うような「共同提案」は、事実と異なる解釈だと思っています。
 
私はSeisatoさんが私の会話ページで提示した「ドイツの第二次世界大戦後の戦争賠償」と「ドイツの第二次世界大戦後の戦後補償」を見て、前者は絶対無理、後者ならいける、と思い、後者に同意する旨の意見を述べました。ですから「共同して提案」したと認識していませんでした。
 
率直に言えば私はSeisatoさんの提示を見た時に、彼に対し否定的な印象を持ちました。
 
その理由は、Subeさんが再三「戦争賠償」とした場合の問題点を指摘しているにもかかわらず、あいかわらず提示案に「戦争賠償」を入れたためです。「ドイツの戦後補償」に対して、Subeさんは「第二次世界大戦後にドイツが行った戦後補償」という意味が明確になるならば賛成です」と言っているのに、なんでまた「戦争賠償」に戻っていってしまうのか、と。
 
最後に言いたいことを言わせてもらえば、私はウィキペディアで、訂正する、加筆する、翻訳して立項するといった、記事に手を加える活動が好きでした。
そしてSubeさんは、自分の良く知っている分野で、執筆する、立項する、改名する、議論する人だと私は思っています。
 
そういう人が議論をするならいいのですが、しかし私の目からは、そうではない人々がいて、議論ばかりを果てしなく続けます。執筆はどうなっているのですか。ここは百科事典をつくる場ではないのですか。ウィキペディアがこういうことを是とする場所ならば、活動する意義のある場なのか、と自問しています。--[[利用者:HTTH|HTTH]]([[利用者‐会話:HTTH|会話]]) 2015年6月27日 (土) 19:04 (UTC)
 
=== 改名提案に求められる厳密さ ===