「ヨハン・ゼバスティアン・バッハ」の版間の差分

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生前のバッハは作曲家というよりもオルガンの演奏家・専門家として、また国際的に活躍したその息子たちの父親として知られる存在にすぎず、その曲は次世代の[[古典派音楽|古典派]]からは古臭いものと見なされたこともあり、死後は急速に忘れ去られていった。それでも鍵盤楽器の曲を中心に息子たちや[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]、[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]、[[フェリックス・メンデルスゾーン|メンデルスゾーン]]、[[フレデリック・ショパン|ショパン]]、[[ロベルト・シューマン|シューマン]]、[[フランツ・リスト|リスト]]などといった音楽家たちによって細々と、しかし確実に受け継がれ、1829年の[[フェリックス・メンデルスゾーン|メンデルスゾーン]]による[[マタイ受難曲]]のベルリン公演をきっかけに一般にも高く再評価されるようになった。
 
== 息子家族 ==
バッハは生涯に2度結婚し、十一男九女の20人の子供をもうけたが、10人は夭逝し、成長したのは男子六人と女子四人の10人に過ぎなかった。
* [[ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ|ヴィルヘルム・フリーデマン]] (Wilhelm Friedemann、1710 - 1784) 長男。通称「ハレのバッハ」。
 
* [[カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ|カール・フィリップ・エマヌエル]] (Carl Philipp Emanuel または C.P.E.、1714 - 1788) 次男。通称「ベルリンのバッハ」、「ハンブルクのバッハ」。
最初の結婚は1707年にヴァイマルで[[マリア・バルバラ・バッハ|マリア・バルバラ]]と結婚したもので、1720年にマリア・バルバラが死去するまでの間にカタリーナ・ドロテーア、ヴィルヘルム・フリーデマン、マリーア・ゾフィア、ヨハン・クリストフ、カール・フィリップ・エマヌエル、ヨハン・ゴッドフリート・ハインリヒ、レオポルト・アウグストゥスの五男二女をもうけた。このうちマリーア・ゾフィア、ヨハン・クリストフ、レオポルト・アウグストゥスの3人は夭逝したものの、長男の[[ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ|ヴィルヘルム・フリーデマン]] (Wilhelm Friedemann、1710 - 1784、通称「ハレのバッハ」)と次男の[[カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ|カール・フィリップ・エマヌエル]] (Carl Philipp Emanuel または C.P.E.、1714 - 1788、通称「ベルリンのバッハ」、「ハンブルクのバッハ」) は音楽家として大成した。
* [[ゴットフリート・ハインリヒ・バッハ|ゴットフリート・ハインリヒ]] (Gottfried Heinrich、1724 - 1763) 四男。
 
* [[ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハ|ヨハン・クリストフ・フリードリヒ]] (Johann Christoph Friedrich、1732 - 1795) 五男。通称「ビュッケンブルクのバッハ」。
1720年にマリア・バルバラが死去すると、同年ケーテンで[[アンナ・マクダレーナ・バッハ|アンナ・マクダレーナ・ヴィルケ]]と結婚した。アンナ・マクダレーナとの間にはクリスティーナ・ゾフィア・ヘンリエッタ、[[ゴットフリート・ハインリヒ・バッハ|ゴットフリート・ハインリヒ]] (Gottfried Heinrich、1724 - 1763) 、クリスティアン・ゴットリープ、エリザベト・ユリアーナ・フレデリカ、エルネストゥス・アンドレアス、レジーナ・ヨハンナ、クリスティーナ・ベネディクタ・ルイーザ、クリスティーナ・ドロテーア、ヨハン・クリストフ・フリードリヒ、ヨハン・アウグスト・アブラハム、ヨハン・クリスティアン、ヨハンナ・カロリーナ、レジーナ・スザンナの六男七女をもうけた。このうちクリスティーナ・ゾフィア・ヘンリエッタ、クリスティアン・ゴットリープ、エルネストゥス・アンドレアス、レジーナ・ヨハンナ、クリスティーナ・ベネディクタ・ルイーザ、クリスティーナ・ドロテーア、ヨハン・アウグスト・アブラハムの7人は夭逝したが、[[ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハ|ヨハン・クリストフ・フリードリヒ]] (Johann Christoph Friedrich、1732 - 1795、通称「ビュッケンブルクのバッハ」)と、[[ヨハン・クリスティアン・バッハ|ヨハン・クリスティアン]] (Johann Christian、1735 - 1782、通称「ロンドンのバッハ」) は音楽家として大成した。
* [[ヨハン・クリスティアン・バッハ|ヨハン・クリスティアン]] (Johann Christian、1735 - 1782) 末子。通称「ロンドンのバッハ」。
 
また、架空の息子(?)も存在する。