「クロフネ」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
|||
(3人の利用者による、間の5版が非表示) | |||
1行目:
{{競走馬
|名 = クロフネ
|英 = {{lang|en|Kurofune}}
|画 = [[ファイル:Kurofune_at_NHK_Mile_Cup.jpg|
|説 = クロフネ(2001年5月6日、東京競馬場)
|性 = [[牡馬|牡]]<ref name="jbis">{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000615577/ |title=クロフネ(USA) |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=2015-5-10}}</ref>
|色 = [[芦毛]]<ref name="jbis" />
|種 = [[サラブレッド]]<ref name="jbis" />
|生 = {{生年月日と馬齢|p=0|1998|3|31}}<ref name="jbis" />
|父 = [[フレンチデピュティ]]<ref name="jbis" />
|母 =
|母父 = Classic Go Go<ref name="jbis" />
|産 =
|国 = {{USA}}
|主 = [[金子真人]]<ref name="jbis" />
|調 = [[松田国英]]([[栗東トレーニングセンター|栗東]])<ref name="jbis" />
|績 = 10戦6勝<ref name="jbis" />
|鞍 =
|金 = 3億7023万5000円<ref name="jbis" />
}}
'''クロフネ'''([[1998年]][[3月31日]] - )は[[日本]]の[[競走馬]]
[[アメリカ合衆国]]生産され、日本で調教された[[外国産馬]]。[[2001年]]春に[[NHKマイルカップ]]に優勝、[[ダート]]路線に転じた秋には[[チャンピオンズカップ (中央競馬)|ジャパンカップダート]]を含む2戦をいずれも大差でレコード勝ちしたが、同年末に[[屈腱炎]]発症のため引退した。同年の[[JRA賞最優秀ダートホース]]。通算10戦6勝、うちレコード勝利4回。芝とダートの双方で活躍したが、特にダートでは日本競馬史上の最強馬と評される1頭である。
2002年より種牡馬。短距離[[競馬の競走格付け|GI競走]]で2勝を挙げた[[カレンチャン]]など6頭のGI優勝馬を輩出している。
=== 生い立ち ===
アメリカ合衆国ケンタッキー州のニコラス・M・ロッツによる生産。父[[フレンチデピュティ]]は競走馬時代に米G2・ジェロームハンデキャップなど4勝を挙げ、2年前にアメリカで種牡馬入りしたばかりだった<ref name="yushun0105">『優駿』2001年5月号、p.139</ref>。母ブルーアヴェニューは北米で5勝を挙げ、その姉には[[ヴァニティーステークス|ヴァニティー招待ハンデキャップ]]、ミレイディハンデキャップ(いずれもG1)など11勝を挙げたブロートツウマインドがいた<ref name="yushun0105" />。他方、[[母の父]]であるクラシックゴーゴーは[[テキサス州]]において無料に近い種付け料で種牡馬生活をしていた無名の存在であった<ref name="yushun0202">『優駿』2002年2月号、pp.22-25</ref>。
1歳時に[[ピンフッカー]](育成調教後に転売する業者)に7万ドルで購買<ref name="yushun0202" />された後、ナイルブレイン・ステーブルズで調教を積まれ<ref name="yushun0106">『優駿』2001年6月号、pp.138-139</ref>、2000年2月に[[ファシグ・ティプトン]]社主催のトレーニングセールに上場された<ref name="yushun0105" />。当時ナイルブレイン・ステーブルズで研修していた[[吉田俊介]](後の[[ノーザンファーム]]代表)によれば、同所で育成されていた後の[[ホープフルステークス (アメリカ合衆国)|ホープフルステークス(アメリカ)]]優勝馬・ヨナグスカに勝るとも劣らないという評判であったといい、吉田自身も「大物感というか、落ち着き払った感じで風格があった」と評している<ref name="yushun0106" />。ここで最初の購買時から6倍強の価格となる43万ドルで落札され<ref name="yushun0202" />、4月にはノーザンファームへ送られた<ref name="yushun0105" />。同場の育成担当者も「良い動きをするし、古馬のような雰囲気を感じる」と高く評価し、調教の進捗に連れてその評判はさらに高まっていった<ref name="yushun0105" />。翌年の2001年には[[東京優駿|東京優駿(日本ダービー)]]がはじめて[[外国産馬]]にも開放される予定となっており、馬主の[[金子真人]]は「開放初年度のダービーを勝って欲しい」という願いを込め、本馬を「クロフネ」と命名した<ref name="yushun0105" />。1853年に[[浦賀]]へ来港し日本に開国を迫った[[マシュー・ペリー]]率いるアメリカ艦隊の通称「[[黒船]]」に由来するものである<ref name="yushun1503">『優駿』2015年3月号、p.46</ref>。
=== 競走馬時代 ===
==== 2(3)歳時(2000年) ====
[[File:Kunihide-Matsuda20100306.jpg|thumb|松田国英(2010年)|170px]]
8月、管理調教師・[[松田国英]](栗東トレーニングセンター)のもとへ入厩<ref name="meiba">『名馬物語』pp.18-24</ref>。松田はトレーニングセールでの姿をビデオで観た際、その雄大な馬格から「歴戦の古馬のようだ」という印象を抱いていたが、当時は日本到着後の長い検疫明けだったこともあり、痩せた[[牝馬]]のようであったという<ref name="meiba" />。しかし松田はクロフネがこうした厳しい経験をしたことでさらなる成長が見込めると期待していた<ref name="meiba" />。
10月14日、[[京都競馬場|京都開催]]の新馬戦でデビュー。直前の調教でのタイムは水準級といったものであり<ref name="meiba" />、当日は3番人気であった。レースでは最後の直線で進路を失う場面もあり、エイシンスペンサーの2着と敗れる<ref name="meiba" />。しかし2戦目では、わずかに鞭を入れられたのみでレコードタイムでの初勝利を挙げた<ref>『優駿』2000年12月号、p.72</ref>。続くエリカ賞でも2000メートルで2戦連続のレコードを記録する<ref>『優駿』2001年2月号、p.72</ref>。2000メートルという中距離を連続して使われた背景には、2400メートルで行われる日本ダービーに向け、騎手の手綱に反して先へ行きたがる気性を矯正しておきたいという思惑もあった<ref name="meiba" />。
重賞初出走となった[[ホープフルステークス (中央競馬)|ラジオたんぱ賞3歳ステークス]]では、松田はクロフネが最も強いとみて余裕を残した仕上げで送り出し<ref name="meiba" />、当日の単勝オッズでも1.4倍の1番人気に支持された<ref name="yushun0102">『優駿』2001年2月号、p.69</ref>。しかし当年の日本ダービー優勝馬[[アグネスフライト]]の全弟・[[アグネスタキオン]]、[[札幌2歳ステークス|札幌3歳ステークス]]の優勝馬・[[ジャングルポケット]]に後れての3着と敗れた。松田は「エリカ賞と同じタイム(2分1秒2)で勝てる」とみていたが<ref name="meiba" />、アグネスタキオンのタイムはそれを0秒4上回るレコードであった<ref name="yushun0102" />。松田は「初めて味わう挫折」であったと述べている<ref name="meiba" />。当年はこれをもって終え、休養に入った<ref name="meiba" />。
==== 3歳時(2001年) ====
===== NHKマイルカップ、日本ダービー =====
3月24日、[[毎日杯]]から復帰したクロフネは、はじめて[[ブリンカー]]を着用して出走<ref name="yushun01051">『優駿』2001年5月号、p.126</ref>。単勝1.3倍の1番人気に支持されると、2着コイントスに5馬身、3着ダイタクバートラムにさらに5馬身という差をつけて重賞初勝利を挙げた<ref name="yushun01051" />。走破タイム1分58秒6は古馬のコースレコードに0秒3差という優秀なものだった<ref name="meiba" />。
日本ダービーを目指すに当たっては、GI・[[NHKマイルカップ]]で2着までに入るか、[[京都新聞杯]]または[[青葉賞]]に勝利するという条件を満たす必要があった。それまでの出走歴から、2000メートルの京都新聞杯か、ダービーと同じ2400メートルの青葉賞に向かうともみられていたが、松田は馬主の金子と相談のうえで<ref name="yushun0106" />、距離が1600メートルと短いNHKマイルカップを選択。東京競馬場のゆったりとしたコース形態と、GIの格を重視してのものだった<ref name="meiba" />。また、クラシック三冠初戦の[[皐月賞]]を無敗のまま制したアグネスタキオンを意識し、「GIのタイトルを持ってアグネスタキオンと対決すれば、よりダービーが盛り上がるだろうと決めた」と公言してもいたが<ref name="yushun0106">『優駿』2001年5月号、p.7</ref>、アグネスタキオンは皐月賞後に[[屈腱炎]]を発症し、戦線を離脱<ref>『優駿』2001年5月号、p.5</ref>。以後復帰することなく、9月に引退している。
5月6日に迎えたNHKマイルカップでは、単勝オッズ1.2倍の1番人気に支持される<ref name="yushun01062">『優駿』2001年6月号、pp.24-25</ref>。スタートが切られると行き脚がつかず、それまで好位からのレースを続けていたところから一転し、後方14番手から進むことになった<ref name="yushun01062" />。平均ペースで流れるなか、そのまま後方待機策をとると、最後の直線では馬群を縫うようにして抜け出していった<ref name="yushun01062" />。その時点では逃げるグラスエイコウオーと未だ大きな差があったが、鞍上の[[武豊]]が鞭を入れると一気に加速し、ゴール前で同馬を半馬身差し切っての優勝を果たした<ref name="yushun01062" />。クロフネに加え、松田にとってもこれが開業6年目でのGI初制覇となった<ref name="yushun0106" />。出走権獲得なったダービーへ向け、松田は「道中の位置取りに少しハラハラしました。後方から直線だけで差し切っての競馬でしたが、次のダービーにつながる内容だったと思います<ref name="yushun0106" />」と感想を述べ、また武は「ストライドが大きく、乗っていてあまりスピード感がない馬なので一瞬心配しましたが、きちんと差し切ってくれましたね。素晴らしい馬だと思います。間違いなくダービーの有力馬の1頭でしょう<ref name="yushun0106" />」と称えた。
日本ダービー(5月27日)ではアグネスタキオンこそ不在だったが、皐月賞2着の[[ダンツフレーム]]、同3着の[[ジャングルポケット]]が顔を揃え、クロフネに対する皐月賞上位馬の決戦という図式となった<ref>『優駿』2001年7月号、p.7</ref>。1番人気には皐月賞で大きな出遅れから3着まで追い上げたジャングルポケットが推されて2.3倍、クロフネが3倍でこれに続き、ダンツフレームが6倍という順となった<ref name="yushun0107">『優駿』2001年7月号、pp.10-13</ref>。スタートが切られるとテイエムサウスポーが大逃げを打ち、ダンツフレームが2番手集団の前方、ジャングルポケットが12番手、その直後にクロフネという隊列となった<ref name="yushun0107" />。[[馬場状態|重馬場]]にもかかわらず、1000メートル通過は58秒4とダービー史上最速のペースとなり、ダンツフレームが位置取りを下げて一時は上位人気3頭が並ぶように進む<ref name="yushun0107" />。第3コーナー過ぎからクロフネとダンツフレームが上位に進出していき最後の直線に入ったが、仕掛けを遅らせたジャングルポケットが抜け出しを図る両馬を一気にかわし、ダンツフレームに1馬身半差を付けて優勝<ref name="yushun0107" />。クロフネは伸びあぐねて5着と敗れた<ref name="yushun0107" />。松田によれば、ダービーに向けての「手加減した調整」が裏目に出たといい、「5着という着順は、成功したという感じはもちろんないし、かといって、大きく失敗したという感じもない。馬主さんも褒めもしないし、非難もしない。何となく中途半端なレースになってしまった」と振り返っている<ref name="meiba" />。
===== 天皇賞への蹉跌 =====
夏の休養を経ての秋シーズンは、これも当年より外国産馬に2頭の出走枠が設けられた天皇賞(秋)を目標に、9月の[[神戸新聞杯]]から復帰。鞍上は[[蛯名正義]]が務めた。ここではダービー2着のダンツフレームと再戦することになったが、当日の1番人気は[[札幌記念]]でジャングルポケットを破っていた外国産馬[[エアエミネム]]に譲った<ref name="yushun0111">『優駿』2001年11月号、p.121</ref>。レースではスタートで躓いて後手を踏み、道中もスローペースを堪えきれず蛯名との折り合いを欠いた<ref name="yushun0111" />。最後の直線では鋭く追い込んだものの、勝ったエアエミネム、さらに[[サンライズペガサス]]も捉えきれず3着と敗れた<ref name="yushun0111" />。松田は「馬が気負いすぎて出遅れてしまった。本当なら馬群の外目を先行するはずだったので、差す競馬は予定外だった。それでも終いの脚は良かったし、天皇賞に向けて収穫はあったと思う」と語った<ref>『優駿』2001年11月号、p.21</ref>。
その後は天皇賞出走を予定していたが、2頭の外国産馬枠に対して獲得賞金額でクロフネを上回る年長馬の[[メイショウドトウ]]と[[アグネスデジタル]]が優先権をもったことから、出走することができなくなった。2頭のうちアグネスデジタルは直前になって急遽出走を決めたもので、クロフネへの期待を摘まれた一部ファンからはアグネスデジタル陣営への非難の声が上げられた<ref>『優駿』2001年12月号、p.12</ref>。松田も「『まさか』が正直な気持ちだった」と振り返っているが、この時点で翌年の予定にダートGI競走・[[フェブラリーステークス]]が入っていたことから、これを機会に一度ダートを走らせようと、天皇賞前日に行われるGIII・[[武蔵野ステークス]]に出走することになった<ref name="meiba" />。
=====
当日は1番人気ながらオッズでは連勝中のエンゲルグレーゼと2倍台を分け合った。しかしレースでは第4コーナーで先頭に立つと、最後の直線では後続を引き離し、前年のNHKマイルカップ優勝馬・[[イーグルカフェ]]に9馬身差をつけて圧勝した<ref>『優駿』2001年12月号、p.126</ref>。走破タイム1分33秒3は、1992年に[[ナリタハヤブサ]]が記録した1分34秒5を1秒2更新するJRAレコードであり<ref>『優駿』2001年12月号、p.140</ref>、芝コースのタイムに匹敵するものだった<ref name="yushun0201">『優駿』2002年1月号、pp.27-30</ref>。騎乗した武は「3コーナーから一気に上がっていく競馬を、あえてしてみた。普通、直線が長くて最後に坂がある東京であんなレースをしたら、惨敗するのが当たり前だが、この馬は最後に突き放して勝ってくれた。他の馬とは次元が違うというか、レベルが違いすぎた」と振り返っている<ref name="meiba" />。なお、翌日に行われた天皇賞ではアグネスデジタルが優勝し、同馬の馬主である[[渡辺孝男 (馬主)|渡辺孝男]]は「周りから心ないことを色々言われたが、言った人たちは恥をかいたんじゃないか」と語った<ref>『優駿』2001年12月号、p.134</ref>。
[[ファイル:Kurofune_at_Japan_Cup_Dirt.jpg|thumb|クロフネ(2001年11月24日、東京競馬場)|250px]]
11月24日、ダートの国際招待競走・[[ジャパンカップダート]]へ出走。当年はアメリカから一線級の実績馬である[[リドパレス]]が出走したが、クロフネは同馬を抑えオッズ1.7倍の1番人気に支持された<ref name="yushun0201" />。スタートが切られるとクロフネはやや出遅れたものの、向正面から徐々に進出を開始、前走と同じく最終コーナーで先頭に立ち、直線で独走態勢となって前年度優勝馬[[ウイングアロー]]に7馬身差をつけての優勝を果たした<ref name="yushun0201" />。走破タイム2分5秒9は同馬が前年度に記録した2分7秒2を1秒3更新する、2戦連続のJRAレコードであった<ref name="yushun02012">『優駿』2002年1月号、pp.134-135</ref>。武は「今日のレースに限っていえば、こんなに強い馬は今までにいなかったと思う」と称え<ref name="yushun02012" />、8着と敗れたリドパレス騎乗の[[ジェリー・ベイリー]]は「言い訳はしない。勝った馬が強すぎた」と述べた<ref name="yushun0201" />。
===== 引退 =====
ジャパンカップダートの後は休養に入り、翌年にはダートで行われる世界最高賞金競走・[[ドバイワールドカップ]]を目標とすることが決定していた。しかし12月24日、右前脚に[[屈腱炎]]を発症し全治9カ月以上という速報が流れ、26日には競走登録の抹消と種牡馬入りが発表された<ref name="yushun0202" />。松田は後に、調教師としての立場からこの故障について次のように語っている<ref name="meiba" />。
{{Quotation|「人を殺したわけじゃないけど、私の中ではそれと同じくらい、『大変なことをしてしまった』という思いが強かった。毎日の調教を私が指示して、確認して。その繰り返しの中で起こった故障ですから。マツクニという人間は馬の世界しか知りません。そんな自分が自信を持ってやったことが、まるで否定されたかのようで……。クロフネはGIをふたつ勝ちました。レコードタイムも4度マークしました。けど、その勲章と、屈腱炎とを天秤にかけたら、はるかに屈腱炎の方が重いんです。たとえダービーを勝っていても、同じ気持ちになっていたと思います」}}
翌年1月、年度表彰・[[JRA賞]]が発表され、クロフネは[[JRA賞最優秀ダートホース|最優秀ダートホース]]に選出された<ref name="jra">『優駿』2002年2月号、p.64</ref>。また[[JPNサラブレッドランキング|JPNクラシフィケーション]]では、ダート2戦の内容が北米のハンディキャッパーからも高く評価され、アメリカの[[ケンタッキーダービー]]優勝馬[[モナーコス]]と並び、国内ダートでは史上最高評価となる125[[ポンド (質量)|ポンド]]を獲得、3歳のMコラム(1400メートル以上、1900メートル未満)では芝を含めても世界第1位となった<ref name="rating">『優駿』2002年2月号、pp.69-72</ref>。
=== 種牡馬時代 ===
2002年より[[社台スタリオンステーション]]で種牡馬となり、初年度から201頭の交配相手を集めた<ref name="meiba" />。初年度産駒は2005年にデビュー、[[フサイチリシャール]]が[[朝日杯フューチュリティステークス]]を制し順調なスタートを切る<ref name="yushun1412">『優駿』2014年12月号、pp.90-91</ref>。2007年以降はランキング10位以内に定着し、2010年には3位、2011年には2位を記録している<ref name="yushun1412" />。2015年には史上16頭目となる産駒のJRA通算1000勝を達成した<ref>{{Cite web |url=http://keiba.radionikkei.jp/keiba/post_5956.html |title=クロフネ産駒がJRA通算1000勝達成 |author= |publisher=ラジオNIKKEI |accessdate=2015年8月4日 |date=2015-5-10}}</ref>。芝、ダートの双方で重賞勝利馬を輩出しているが、特に牝馬の活躍が多い<ref name="yushun1412" />。なお、2001年に輸入された父・フレンチデピュティも数々の重賞勝利馬を輩出し、北米の主流血統であった[[デピュティミニスター系]]の日本への定着に父子で貢献した<ref name="yushun1412" />。
== 特徴・評価 ==
4戦で騎乗した武豊は、2003年に行われたインタビューの中で「今まで乗った馬で『凄さ』を感じたのは、[[オグリキャップ]]、[[サイレンススズカ]]、そしてクロフネぐらい」、「全く別の次元の競馬をして、能力の高さだけで押し切れる。そんな馬はそうそういない」と述べている<ref name="meiba" />。また、乗り味の良さは抜群のものであったといい、「これほど大きいストライドで走る馬は、なかなかいない」とも評している<ref name="meiba" />。評論家の[[吉沢譲治]]もストライドの大きさに言及し、「まるで1頭だけ、むかしの長距離戦を走っているようだった。そのふわりふわりと走るさまが、遊んでいるようにも、はなからやる気がないようにも見えた」と評している<ref name="yushun0202" />。
ダートでは日本競馬史上の最強馬とも評される。[[日本中央競馬会]]の広報誌『[[優駿]]』が2012年に読者へ行った「カテゴリー別最強馬」のアンケートでは、ダート部門で2位[[ホクトベガ]]に3倍以上の差を付ける532票を集め、第1位に据えられた<ref name="yushun1209">『優駿』2012年9月号、pp.36-39</ref>。生産者、騎手、調教師にもあわせてアンケートがとられ、回答者17人のうち松田国英、[[池江泰郎]]、[[池江泰寿]]、[[岡田繁幸]]、[[国枝栄]]、[[小島茂之 (競馬)|小島茂之]]、[[四位洋文]]、[[中舘英二]]、[[松永幹夫]]の9人がクロフネをダートの最強馬として挙げた<ref name="yushun12092">『優駿』2012年9月号、pp.47-49</ref>。岡田は「アメリカのダートでも勝負できたかもしれないと思わせるほど、能力が高かった」と添えている<ref name="yushun12092" />。松田は「普通、ダート馬は勝ち気で人の言うことをあまり聞かないようなタイプが多いが、クロフネは精神的に余裕があって、おっとりしていた。精神面だけでなく、肉体面も立派な馬だった。フレンチデピュティ産駒らしい顎の張った馬で、だから飼い葉食いも良く、筋肉の盛り上がった雄大な馬体をしていた。だからといって、決してパワータイプという感じではなかった。素晴らしいスピードがあって、芝でも通用するダート馬だったと思う」と評した<ref name="yushun1209" />。
『優駿』が2010年と2015年にそれぞれアンケートをとった「未来に語り継ぎたい名馬ベスト100」では、いずれも19位となっている<ref>『優駿』2010年8月号、p.40</ref><ref name="yushun1503" />。
== 競走成績 ==
{| style="font-size: 90%; text-align: center; border-collapse: collapse;"
|-
107 ⟶ 123行目:
|3
|1.3(1人)
|{{color|
|松永幹夫
|53
|芝2000m(良)
|style="text-align: right;"|{{color|
|style="text-align: right;"| -0.3
|style="white-space: nowrap;"|(マイネルエスケープ)
125 ⟶ 141行目:
|10
|1.3(1人)
|{{color|
|松永幹夫
|54
|芝2000m(良)
|style="text-align: right; white-space: nowrap;"|{{color|
|style="text-align: right; white-space: nowrap;"| -0.6
|(ダイイチダンヒル)
138 ⟶ 154行目:
|阪神
|style="white-space: nowrap;"|[[ホープフルステークス (中央競馬)|ラジオたんぱ杯3歳S]]
|12
|5
156 ⟶ 172行目:
|阪神
|[[毎日杯]]
|11
|2
|2
|1.3(1人)
|{{color|
|[[四位洋文]]
|55
174 ⟶ 190行目:
|[[東京競馬場|東京]]
|[[NHKマイルカップ|NHKマイルC]]
|GI
|18
|2
|4
|1.2(1人)
|{{color|
|[[武豊]]
|57
192 ⟶ 208行目:
|東京
|[[東京優駿]]
|GI
|18
|8
210 ⟶ 226行目:
|京都
|[[神戸新聞杯]]
|12
|6
228 ⟶ 244行目:
|東京
|[[武蔵野ステークス|武蔵野S]]
|15
|8
|15
|2.3(1人)
|{{color|
|武豊
|57
|ダ1600m(良)
|style="text-align: right;"|{{color|
|style="text-align: right;"| -1.4
|([[イーグルカフェ]])
246 ⟶ 262行目:
|東京
|[[チャンピオンズカップ (中央競馬)|ジャパンCダート]]
|GI
|16
|5
|9
|1.7(1人)
|{{color|
|武豊
|55
|ダ2100m(良)
|style="text-align: right;"|{{color|
|style="text-align: right;"| -1.1
|([[ウイングアロー]])
|}
*{{競走馬成績|netkeiba=1998110135|jbis=0000615577}}
*タイム欄の{{color|darkred|R}}はレコード勝ちを示す。
===
{| class="wikitable"
!年度!!表彰!!票数!!出典
|-
|2001年||JRA賞最優秀ダートホース||282/283||<ref name="jra" />
|}
=== レーティング ===
{| class="wikitable"
!年度!!馬齢!!馬場!!距離区分([[メートル|m]])!!値!!出典
|-
|rowspan="3"|2001年||rowspan="3"|3歳||ダート||M(1400-1899)||125||rowspan="3"|<ref name="rating" />
|-
||ダート||I(1900-2199)||125
|-
||芝||M(1400-1899)||113
|}
== 種牡馬成績 ==
=== 年度別成績 ===
{|class="wikitable" style="text-align:right"
!rowspan="2"|年!!colspan="2"|出走!!colspan="2"|勝利!!rowspan="2"|順位!!rowspan="2"|[[アーニングインデックス|AEI]]!!rowspan="2"|収得賞金
280 ⟶ 302行目:
!頭数!!回数!!頭数!!回数
|-
|2005年||47||116||13||19||76||1.55||
|-
|2006年||147||687||55||71||25||1.37||7億9785万6000円
|-
|2007年||218||
|-
|2008年||273||1814||137||211||5||1.91||20億7256万6000円
|-
|
|-
|
|-
|
|-
|
|-
|
|-
|
|}
#出典:JBISサーチ「クロフネ [http://www.jbis.or.jp/horse/0000615577/sire/record/ 種牡馬成績]、[http://www.jbis.or.jp/horse/0000615577/sire/generation/thorough_s/ 世代・年次別]」
#2014年終了時点。
===
==== GI級競走優勝馬 ====
''※括弧内は当該馬の優勝重賞競走。'''太字'''はGI、JpnIおよびJ・GI競走。''
[[ファイル:Fusaichi Richard.jpg|thumb|180px|フサイチリシャール]]
[[ファイル:Sleepless Night 20080817P1.jpg|thumb|180px|スリープレスナイト]]
[[ファイル:Curren-Chan20111002(1).jpg|thumb|180px|カレンチャン]]
[[File:Whale-Capture IMG 0267-2 20131110.JPG|thumb|180px|ホエールキャプチャ]]
[[ファイル:UptoDate-20150801.JPG|thumb|180px|アップトゥデイト]]
*2003年産
**[[フサイチリシャール]]
*2004年産
**[[スリープレスナイト]]
*2007年産
**[[カレンチャン]]
*2008年産
**[[ホエールキャプチャ]]
*2010年産
**[[アップトゥデイト]]
*2012年産
**[[クラリティスカイ]]
==== その他グレード制重賞優勝馬 ====
''※GII、JpnIIおよびJ・GII以下の重賞優勝馬。''
*2004年産
**[[ホワイトメロディー]]
*2005年産
**[[オディール]](2007年[[ファンタジーステークス]]<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000886112/ |title=オディール |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>)
**[[ユキチャン]](2008年関東オークス 2009年クイーン賞 2010年[[TCK女王盃]]<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000886869/ |title=ユキチャン |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>)
**ブラボーデイジー(2009年[[福島牝馬ステークス]] 2010年[[エンプレス杯]]<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000888882/ |title=ブラボーデイジー |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>)
*2007年産
**セイコーライコウ
*2008年産
**マルモセーラ
*2009年産
**アースソニック(2013年[[京阪杯]]<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001102557/ |title=アースソニック |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>)
*2010年産
**ストークアンドレイ
**[[クロフネサプライズ]]
**[[インパルスヒーロー]]
**マイネルクロップ
==== 地方重賞優勝馬 ====
''※[[地方競馬]]限定格付けの重賞勝利馬。''
*2004年産
**ディアーウィッシュ
**スターシップ
**ジョーモルデュー
*2005年産
**タートルベイ(2010年北國王冠・[[金沢競馬場|金沢]]、中日杯・金沢<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000888018/ |title=タートルベイ |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>)
**ジョーイロンデル(2010年[[しらさぎ賞]]・[[浦和競馬場|浦和]]<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000888236/ |title=ジョーイロンデル |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>)
**ビーボタンダッシュ
*2007年産
**ハイパーフォルテ(2010年[[兵庫ダービー]]・[[姫路競馬場|姫路]] 2012年[[楠賞]]・[[園田競馬場|園田]]<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001047411/ |title=ハイパーフォルテ |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>)
**スウィングダンス(2012年[[名古屋記念]]・[[名古屋競馬場|名古屋]]<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001044024/ |title=スウィングダンス |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>)
*2008年産
**ナターレ
**ミヤサンキューティ
*2009年産
**ドラゴンシップ
**ロクイチスマイル(2012年[[北斗盃]]・門別<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001105095/ |title=ロクイチスマイル |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>)
*2010年産
**カツゲキドラマ
**キョウワカイザー
*2011年産
**ホウライナデシコ
**サーモピレー(2014年[[東京湾カップ]]・船橋<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001135314/ |title=サーモピレー |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月4日 |date=}}</ref>)
*2012年産
**トーコーヴィーナス
=== ブルードメアサイアーとしての主な産駒 ===
375 ⟶ 404行目:
== 血統 ==
=== 血統背景 ===
父フレンチデピュティ、母ブルーアヴェニューは
=== 血統表 ===
{{競走馬血統表
|name = クロフネ
|f = *[[フレンチデピュティ]]<br />French Deputy<br />1992 [[栗毛]] アメリカ
|ff = [[デピュティミニスター|Deputy Minister]]<br />1979 [[黒鹿毛]]
|fff = [[ヴァイスリージェント|Vice Regent]]
|ffff = [[ノーザンダンサー|Northern Dancer]]
413 ⟶ 439行目:
|mmmf = [[ロベルト (競走馬)|Roberto]]
|mmmm = Catania [[ファミリーナンバー|F-No.]][[2号族|2-r]]
|ref1 = [http://www.jbis.or.jp/horse/0000615577/pedigree/ JBISサーチ クロフネ 5代血統表]2015年8月4日閲覧。
|mlin = [[デピュティミニスター系]]
|ref2 = [http://www.jbis.or.jp/horse/0000615577/pedigree/ netkeiba.com クロフネ 5代血統表]2015年8月4日閲覧。
|flin = [[2号族]]
|FN = 2-r
|ref3 = [http://www.jbis.or.jp/horse/0000615577/pedigree/ JBISサーチ クロフネ 5代血統表]2015年8月4日閲覧。
|inbr = [[ニアークティック|Nearctic]] 5×4、[[ナスルーラ|Nasrullah]] 5×5
|ref4 = [http://www.jbis.or.jp/horse/0000615577/pedigree/ JBISサーチ クロフネ 5代血統表]2015年8月4日閲覧。
|}}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist|2}}
== 参考文献 ==
*『名馬物語 - The best selection (3) 』(エンターブレイン、2004年)ISBN 978-4757720794
*『優駿』(日本中央競馬会)各号
== 外部リンク ==
|