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{{Infobox 作家
| name = 加藤 道夫<br />（かとう みちお）
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| pseudonym =
| birth_name =
| birth_date = [[1918年]][[10月17日]]
| birth_place = {{JPN}}・[[福岡県]][[遠賀郡]]戸畑町（現・[[北九州市]][[戸畑区]]）
| death_date = {{死亡年月日と没年齢|1918|10|17|1953|12|22}}
| death_place = {{JPN}}・[[東京都]][[世田谷区]][[若林 (世田谷区)|若林町]]
| resting_place = {{JPN}}・[[多磨霊園]]
| occupation = [[劇作家]]、[[演出家]]、[[翻訳家]]<br />[[英語]]教員
| language = [[日本語]]
| nationality = {{JPN}}
| education =
| alma_mater = [[慶応大学]][[英文学科]]
| period = [[1941年]] - [[1953年]]
| genre = [[戯曲]]、演劇[[評論]]、[[翻訳]]
| subject = 詩的要素の導入<br />演劇の芸術的自律性
| movement = 新劇研究会、麦の会、<br/>[[文学座]]、[[雲の会]]
| notable_works = 『なよたけ』（1946年）<br />『挿話』（1949年）<br />『[[思い出を売る男]]』（1951年）<br />『[[ジャン・ジロドゥ|ジャン・ジロゥドゥ]]の世界』（1953年）
| awards = 第1回[[水上滝太郎賞]]〈三田文学賞〉（1948年）
| debut_works = 『なよたけ』（1946年）
| spouse = [[加藤治子]]
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| relations = [[加藤武夫]]（父）、[[加藤幸子 (作家)|加藤幸子]]（姪）
| influences = [[ジャン・ジロドゥ|ジロドゥ]]、[[ライナー・マリア・リルケ|リルケ]]、[[ポール・ヴァレリー|ヴァレリー]]<br />[[ポール・クローデル|クローデル]]、[[アルベール・カミュ|カミュ]]、[[ジャン・アヌイ|アヌイ]]<br />[[能]]、[[折口信夫]]、[[芥川龍之介]]<br />[[アルチュール・ランボー|ランボー]]、[[ポール・ゴーギャン|ゴーギャン]]
| influenced = [[矢代静一]]、[[浅利慶太]]、[[日下武史]]
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| website =
}}
'''加藤 道夫'''（かとう みちお、[[1918年]]（[[大正]]7年）[[10月17日]] - [[1953年]]（[[昭和]]28年）[[12月22日]]）は、日本の[[劇作家]]。[[アルベール・カミュ|カミュ]]や[[アルフレッド・ド・ミュッセ|ミュッセ]]の翻訳、[[ジャン・ジロドゥ]]研究や演劇評論などでも知られ、[[芥川比呂志]]や[[三島由紀夫]]、[[矢代静一]]らと共に、[[岸田国士]]が発足した文学立体化運動「[[雲の会]]」の同人としても活躍したが、最後は自宅書斎で[[縊死]][[自殺]]した<ref name="jiten">平敷尚子「加藤道夫」（{{Harvnb|事典|2000-11|pp=474-475}}）</ref><ref name="yashi9">「第九章 その『雲の会』」（{{Harvnb|矢代|1985-02|pp=131-145}}）</ref>。妻は女優の[[加藤治子]]。[[姪]]は作家の[[加藤幸子 (作家)|加藤幸子]]<ref name="yashi4">「第四章 その雌伏時代」（{{Harvnb|矢代|1985-02|pp=51-65}}）</ref>。
== 生涯 ==
=== 生い立ち ===
[[1918年]]（大正7年）[[10月17日]]、[[福岡県]][[遠賀郡]]戸畑町（現・[[北九州市]][[戸畑区]]）に誕生。父は[[鉱床学者]]の[[加藤武夫]]。[[1921年]]（大正10年）、道夫が3歳の時に一家は[[東京府]][[世田谷区]][[若林 (世田谷区)|若林]]に移住した。道夫は[[1925年]]（大正14年）に[[駒沢]][[尋常高等小学校]]に入学し、卒業後[[1931年]]（昭和6年）に[[東京府立第五中学校]]（現・[[東京都立小石川中等教育学校]]）に入学した<ref name="nenpu">「[http://www.k3.dion.ne.jp/~scarabee/sukajin-ka-ka.htm 加藤道夫自筆年譜]」（『新文学全集 加藤道夫集』[[河出書房]]、1953年6月）</ref>。同級生には[[原田義人]]、[[菊池章一]]がいた<ref name="nenpu"/>。
[[1937年]]（昭和12年）、[[慶応義塾大学]][[大学予科|予科]]に入学。担任教授は[[奥野信太郎]]であった<ref name="nenpu"/>。[[文学]]に興味を覚えた道夫は、[[同人誌]]などに小品を書いた。校内誌の『予科会誌』に小説「銀杏の家」を投稿し、[[阿部知二]]に推薦されたこともあり、この頃に[[石坂洋次郎]]と知り合った<ref name="nenpu"/>。
予科時代は[[演劇]]にも関心を持ち始め、しばしば英語劇の舞台に立ち、同期生の[[芥川比呂志]]、[[梅田晴夫]]らと知り合った<ref name="nenpu"/>。また、この時期、[[中村真一郎]]、[[福永武彦]]、[[白井健三郎]]らとも交友関係を結び、友人数名と共に[[北軽井沢]]にいる[[岸田国士]]を訪問した<ref name="nenpu"/>。
=== 「新演劇研究会」結成 ===
[[1940年]]（昭和15年）、道夫は[[慶応義塾大学]][[英文科|英吉利文学科]]に入学した。同期には[[向井啓雄]]、[[掛川長平]]などがいた<ref name="nenpu"/>。同年には、[[仏文科|仏蘭西文学科]]の[[芥川比呂志]]の演出で[[シャルル・ヴィルドラック]]の『商船テナシティー』を原語で試演し、道夫はイドウを演じた<ref name="nenpu"/>。
在学中の[[1941年]]（昭和16年）、道夫は芥川比呂志、[[原田義人]]、鳴海弘（[[鳴海四郎]]）、[[鬼頭哲人]]らと研究劇団「'''新演劇研究会'''」を結成<ref name="yashi2">「第一章 その戦争」（{{Harvnb|矢代|1985-02|pp=20-35}}）</ref><ref name="nenpu"/>。劇作や戯曲[[翻訳]]の執筆を始め、「十一月の夜」「ばあや」などを試作した。この頃に[[堀田善衛]]、[[白井浩司]]と知り合った<ref name="nenpu"/>。
在学中は、学費を稼ぐため[[映画]]出版社で働いたこともあり、映画に関する評論を映画雑誌に書いた<ref name="nenpu"/>。大学の授業では[[エリザベス朝演劇]]を勉強。[[西脇順三郎]]教授、[[ジョン・モリス]]に研究上の指導を受け、[[内村直也]]とも知り合った<ref name="nenpu"/>。
[[1942年]]（昭和17年）に慶応義塾大学を卒業した道夫は[[大学院]]に進学し、おもに[[シェイクスピア]]、[[ベン・ジョンソン (詩人)|ベン・ジョンスン]]を研究した<ref name="nenpu"/>。その傍ら、[[神田区]][[三崎町 (千代田区)|神田三崎町]]（現・[[千代田区]]三崎町）の[[学校法人アテネ・フランセ|アテネ・フランセ]]にも通い、[[画家]]の[[山内穎吾]]と交友した<ref name="nenpu"/>。
[[1943年]]（昭和18年）には、[[高津赤繁]]から[[ギリシャ語]]を学んだ<ref name="nenpu"/>。この年から道夫は、最初の長編戯曲となる「なよたけ」を書き始めた（翌年春まで）<ref name="nenpu"/>。この頃、[[ポール・ヴァレリー|ヴァレリー]]、[[ライナー・マリア・リルケ|リルケ]]、[[ジャン・ジロドゥ]]、[[ポール・クローデル|クローデル]]などを愛読した<ref name="nenpu"/>。
道夫は[[能]]にも興味をもち、[[中村真一郎]]らと共によく観劇に行った<ref name="nenpu"/>。[[折口信夫]]の作品にも影響を受けた。また、この年には、[[陸軍省]][[通訳]]官の試験を受けて任官した<ref name="nenpu"/>。
=== 南方へ出征 ===
[[1944年]]（昭和19年）の春、加藤道夫は処女戯曲「なよたけ」（5幕9場）を脱稿。この頃、[[川口一郎]]と知り合った<ref name="nenpu"/><ref name="yashi2"/>。この年、陸軍省通訳官として南方へ出征。[[マニラ]]、[[ハルマヘラ島]]を経て、東部[[ニューギニア]]に赴任した<ref name="nenpu"/>。
[[ソロン県|ソロン]]という部落で終戦まで過ごすが、その地で[[マラリア]]と[[栄養失調]]により死線をさまよった加藤は、陰鬱な[[熱帯雨林|ジャングル]]の[[野戦病院]]の掘立小屋の片隅で、烈しい熱病に憔悴し身を横たえていた<ref name="nenpu"/><ref name="shini">加藤道夫「死について」（[[三田文学]] 1948年6月号）。{{Harvnb|矢代|1985-02|pp=20-21}}</ref>。
{{Quotation|死の誘いは既に間近にあった。死ぬなどと云うことは至極簡単なことの様に思われた。唯、ちょっと気をゆるめればいい。[[精神]]が[[生]]への意志を放棄しさえすれば、それだけで何の苦もなく死ねる、と云うことだけは僕は確信していた。事実、死ぬということ程造作のないことはなかった。毎日、何十人という人間達が、まるで自らすすんでそうするかのように、ころッころッと死んで行った。重病人達は寧ろそうなることを望んでいるのだ。……ああ、それに、あの雨、三ヶ月も四ヶ月も絶え間なく降りつづく雨、雨。<br />
……身も心も腐りきってしまう様なあのニューギニアの[[雨期]]。……唯肉体だけを生きると云うことは耐えられぬ倦怠以外の何物でもなかった。絶望と死の影があたりを蔽いつくしていた。僕は目前に死と向い合っていた。死に対する恐怖は殆んどなかった。此処では人々は人間社会の因習から遥かに遠く隔たっていた。肉親から、家庭から、あらゆる社会の羈絆から。|加藤道夫「死について」<ref name="shini"/>}}
[[1945年]]（昭和20年）8月の[[日本の降伏|終戦]]と共に、終戦事務・[[戦犯者|戦犯]]通訳の仕事に従事した加藤は、その間に徐々に体力を回復していった<ref name="nenpu"/>。
=== 帰国 ===
[[1946年]]（昭和21年）の夏、加藤は日本に帰国した<ref name="nenpu"/>。出征前に書き上げていた「なよたけ」は、雑誌『[[三田文学]]』に連載発表中（5月から10月まで）であった<ref name="nenpu"/>。加藤は帰国するとすぐに、親友の[[芥川比呂志]]らと[[アントン・チェーホフ|チェーホフ]]の『熊』を上演した<ref name="nenpu"/>。
同年、加藤は東京女子経済専門学校（現・[[新渡戸文化中学校・高等学校]]）に奉職した<ref name="nenpu"/>。また、[[太宰治]]の『[[新ハムレット]]』の脚色を試みた<ref name="nenpu"/><ref name="yashi3">「第三章 その出会い」（{{Harvnb|矢代|1985-02|pp=36-50}}）</ref>。その作に演出意欲をそそられた芥川が太宰治に上演許可をもらうため、[[疎開]]先の[[青森県]][[北津軽郡]][[金木町]]（現・[[五所川原市]]）を夏に訪問したが、加藤の脚色は未完となり上演されなかった<ref name="yashi3"/>。
10月には「新演劇研究会」のメンバーであった[[滝浪治子]]（女優の[[加藤治子]]）と結婚<ref name="nenpu"/>。[[仲人]]は芥川比呂志・[[芥川瑠璃子|瑠璃子]]夫妻が務めた<ref name="yashi4"/>。新婚の加藤は治子と共に[[世田谷区]][[上馬]]に一時住んだ後、近くの[[若林 (世田谷区)|若林町]]にある広い西洋館の実家に移り、加藤の親族と同居した<ref name="yashi4"/>。
[[1947年]]（昭和22年）は、[[マラリア]]が再発して病臥することが多く、貧窮して新聞・雑誌等に雑文を書いた<ref name="nenpu"/>。この年に「新演劇研究会」は、劇団「'''麦の会'''」と改称して、芥川比呂志、[[長岡輝子]]、[[荒木道子]]、島田安行らと共に再出発した<ref name="nenpu"/><ref name="yashi4"/>。この頃、島田を通じて[[俳優座]]の[[矢代静一]]（[[早稲田大学]][[仏文科|仏蘭西文学科]]生）と知り合い、以後親交を結んでいった<ref name="yashi4"/>。
同年には、東京女子経済専門学校の職を辞して、出身校の[[慶応義塾大学]][[大学予科|予科]]に奉職した<ref name="nenpu"/>。[[久保田万太郎]]、[[岩田豊雄]]、[[木下順二]]とも知り合い、評論「演劇の故郷」を雑誌『劇作』に発表した<ref name="nenpu"/>。
=== 新進劇作家へ ===
[[1948年]]（昭和23年）は、雑誌『三田文学』に、ニューギニアでの体験を綴った回想評論「死について」などを発表。雑誌『劇作』には評論「舞台幻想（一）（二）」を連載し、評論「[[ジャン・ジロドゥ|ジロゥドゥ]]の世界と[[ジャン・アヌイ|アヌイュ]]の世界（[[ウンディーネ|オンディーヌ]]と[[エウリュディケー|ユーリディス]]）」を雑誌『悲劇喜劇』（第4集）に発表。同誌第5集には、戯曲「挿話（エピソオド）」を発表した<ref name="nenpu"/>。
また同年には、評論「アメリカ戯曲の特徴（写実精神と詩）」を雑誌『日本演劇』に発表。[[新月社]]刊雑誌『フランス演劇』には、ジロゥドゥの『シャイヨの狂女』の抄訳を載せた<ref name="nenpu"/>。しかし同年秋に[[肋膜炎]]となり、次いで肺浸潤のため、[[桜町 (小金井市)|小金井桜町]]病院に入院した<ref name="nenpu"/>。
入院中の12月には、 [[岸田国士]]らにその格調ある詩劇様式を高く評価された『なよたけ』（1946年発表）により、[[原民喜]]の『[[夏の花]]』と共に第一回[[水上滝太郎賞]]（三田文学賞）を受賞し、新進劇作家として[[文壇]]に認められた<ref name="nenpu"/><ref>鈴木晴夫「加藤道夫」（{{Harvnb|旧事典|1976-01|p=88}}）</ref>。
=== 文学座と合流 ===
[[1949年]]（昭和24年）に桜町病院を退院した後は、自宅で療養生活を続けた。病床に伏しながら、[[ウィリアム・サローヤン]]の戯曲『君が人生の時』を翻訳し、ラジオ週評、時評などを『[[時事新報]]』に書いた<ref name="nenpu"/>。
同年3月には、前年発表の戯曲『挿話』が[[文学座]]により上演され、これが加藤の劇作の初上演作となった<ref name="yashi5">「第五章 その初上演」（{{Harvnb|矢代|1985-02|pp=66-81}}）</ref>。この『挿話』上演を機に「麦の会」は正月から文学座に合流し、加藤は文学座の座員となった<ref name="yashi4"/><ref name="yashi5"/>。
同年4月から文学座付属の「演劇研究所」が開校され、加藤と芥川は岸田国士から、[[俳優]]の教育を任された<ref name="yashi8">「第八章 その研究所」（{{Harvnb|矢代|1985-02|pp=115-130}}）</ref>。加藤らが入座した当初、文学座は柄の悪い連中が多かった<ref name="yashi8"/>。
加藤は研究生らに、[[シェイクスピア]]の朗読を英語で聴かせ、フランス文学者の[[内藤濯]]が[[中原中也]]や[[三好達治]]を題材にして耳から入る[[日本語]]の美しさについて講義し、己の裡に内的世界を持つ「新しい俳優」を育てようとした<ref name="yashi8"/>。加藤の演劇的理想に対する共鳴や、その人柄に惹かれた研究生たちは次第に活気を帯び、のちに「加藤道夫の神話」と言われるほど若い俳優に影響を与えていった<ref name="yashi8"/>。
{{Quotation|一、俳優が[[芸術家]]ならば、[[詩人]]が常に己れの内面に詩的世界を持っている様に俳優もまた己れの意識の裡に演劇の本質に基いた厳密な言葉とヴィジオンの内的世界を持っていなければならぬ。<br />
二、「[[描写]]」偏重を棄てよ。「描写」というものは[[実証主義|実証的]]な[[客観的]][[知性]]だけで出来るごくつまらぬものだ。<br />
三、「[[表現]]」せよ。「表現」となると強烈な[[主観的]]知性が働かなければ不可能である。新しい俳優の魅力を決定するものはこの主観的知性である。<br />
四、芸術家が[[共産党]]員であっても一向差支えないはずだが、外的な[[政治]]意識と内的な[[芸術]]意識とは悲劇的に相容れない関係にある。|加藤道夫「新劇への不信」<ref>加藤道夫「新劇への不信」。{{Harvnb|矢代|1985-02|p=125}}</ref>}}
同年6月、芥川比呂志の初のプロ[[演出]]作『アンチゴーヌ』（[[ジャン・アヌイ]]原作）が上演された[[毎日ホール]]のロビーで、加藤は矢代静一から、劇作をし始めた[[三島由紀夫]]を紹介され、以後親交を結んだ<ref name="yashi6">「第六章 その初演出」（{{Harvnb|矢代|1985-02|pp=82-98}}）</ref>。矢代もこの月に[[俳優座]]を辞めて文学座の研究生となった<ref name="yashi6"/>。年下の矢代や三島は加藤のことを「加藤さん」と呼び、芥川は「道ちゃん」と呼んでいたという<ref name="yashi6"/>。
同年9月、加藤は[[倉橋健]]と共訳したサローヤンの『我が心高原に』を文学座アトリエのために演出<ref name="nenpu"/>。この作品が初のプロ演出作となった<ref name="yashi6"/>。また、1幕物の「天邪鬼（あまんじゃく）」を雑誌『少年少女』に発表し、放送劇「誰も知らない歴史」を雑誌『日本演劇』に発表。評論「新劇の動向」を雑誌『再建評論』に発表した。この年には、出身校の[[慶応義塾大学]]の講師となった<ref name="nenpu"/>。
=== 「雲の会」同人へ ===
[[1950年]]（昭和25年）4月に、サローヤン『君が人生の時』の訳書が[[中央公論社]]より刊行された。雑誌『三田文学』には、[[NHK]]放送劇「こよなき歌（La Bonne Chanson）」を発表し、雑誌『[[人間 (雑誌)|人間]]』には、評論「アメリカ演劇の常識性」、[[ジャン＝ポール・サルトル|サルトル]]の戯曲『蝿』の翻訳を載せた他、『[[東京新聞]]』『[[毎日新聞]]』『[[テアトロ]]』などに「演劇時評」を執筆した<ref name="nenpu"/>。また、[[福田恆存]]作の戯曲『キティ颱風』の[[関西]]公演に俳優として協力出演した<ref name="nenpu"/>。
同年8月には、[[岸田国士]]が「文学立体化運動」を提唱して主宰した「[[雲の会]]」の結成に、[[芥川比呂志]]、[[三島由紀夫]]、[[矢代静一]]らと共に参加した<ref name="yashi9"/><ref name="nenpu"/>。この会の発足には他に、[[大岡昇平]]、[[小林秀雄 (批評家)|小林秀雄]]、福田恆存などもおり、総勢63名が名を連ねた<ref name="yashi9"/>{{refnest|group="注釈"|他の発足会員には、[[阿部知二]]、[[伊賀山昌三]]、[[石川淳]]、[[市原豊太]]、[[井伏鱒二]]、[[臼井吉見]]、[[内村直也]]、[[梅田晴夫]]、[[大木直太郎]]、[[岡鹿之助]]、[[加藤周一]]、[[河上徹太郎]]、[[川口一郎]]、[[河盛好蔵]]、[[木下恵介]]、[[木下順二]]、[[倉橋健]]、[[小山祐士]]、[[今日出海]]、[[坂口安吾]]、[[阪中正夫]]、[[佐藤敬]]、[[佐藤美子]]、[[清水崑]]、[[神西清]]、[[菅原卓]]、[[杉村春子]]、[[杉山誠]]、[[鈴木力衛]]、[[千田是也]]、[[高見澤潤子]]、[[高見順]]、[[武田泰淳]]、[[田中澄江]]、[[田中千禾夫]]、[[田村秋子]]、[[津村秀夫]]、[[戸板康二]]、[[永井龍男]]、[[長岡輝子]]、[[中島健蔵]]、[[中田耕治]]、[[中野好夫]]、[[中村真一郎]]、[[中村光夫]]、[[野上彰 (文学者)|野上彰]]、[[原千代海]]、[[久板栄二郎]]、[[堀江史朗]]、[[前田純敬]]、[[宮崎嶺雄]]、[[三好達治]]、[[山本健吉]]、[[山本修二]]、[[吉田健一 (英文学者)|吉田健一]]がいた<ref name="yashi9"/>。}}。
また夏には、信濃追分の地、[[長野県]][[北佐久郡]]西長倉村大字追分（現・北佐久郡[[軽井沢町]]大字追分）を訪れて[[堀辰雄]]と知り合った<ref name="nenpu"/>。加藤はこの年、再び健康にすぐれず自宅で病臥することが多かった<ref name="nenpu"/><ref name="yashi10">「第十章 その病い」（{{Harvnb|矢代|1985-02|pp=146-163}}）</ref>。この時期、矢代も[[結核]]を患い、同じく胸部疾患の再発をした芥川と2人共[[慶応病院]]に入院していた<ref name="yashi10"/>。
同年11月、加藤は[[気胸]]療法などを試み闘病しながらも、「'''青年劇場'''」という文学座から独立した新しい劇団の構想を抱き、芥川へ喚起の手紙を出した<ref name="hiro25">加藤道夫「[[芥川比呂志]]への書簡」（昭和25年11月30日付）。{{Harvnb|矢代|1985-02|p=147}}</ref>。
{{Quotation|研究生の一部は充分に新しいグループの中心たる資格あり、と思う。経済的に精神的に、一さい文学座プロパーから独立して、〈真の演劇〉の方向に向けて育て上げること。僕のやりたいこと、すべきことは之以外にない。之が許されないならば僕は止めてしまう。（中略）一切のオベッカを放棄してL’homme artiste になり給え。君が[[酒]]に理性を喪っている姿は見苦しい。某などと言うくだらぬ女とケンカしている君の姿はイタマしいと言うよりは、アサマしい。|加藤道夫「芥川比呂志への書簡」（昭和25年11月30日付）<ref name="hiro25"/>}}
[[1951年]]（昭和26年）、1幕物「まねし小僧」を雑誌『少年少女』の発表。「雲の会」の雑誌『演劇』（[[白水社]]）に[[アルベール・カミュ|カミュ]]の『[[誤解 (戯曲)|誤解]]』の翻訳を載せた<ref name="nenpu"/>。[[新潮社]]刊の『日本現代戯曲集V』に「挿話」が収録され、[[ユリイカ (雑誌)|書肆ユリイカ]]から『なよたけ』が限定出版された<ref name="nenpu"/>。
同年6月、『なよたけ』が、約3分の1にカットされ『なよたけ抄』として東京[[新橋演舞場]]で[[尾上菊五郎]]劇団、演出・[[岡倉士朗]]により縮小上演された<ref name="nenpu"/><ref name="yashi10"/>。大幅なカットに上演許可するかどうかを加藤は迷い、[[戸板康二]]に相談していた<ref name="yashi10"/>。三島は縮小上演に同情し、腹を立てていた<ref name="yashi10"/><ref name="henreki">「[[私の遍歴時代]]」（[[東京新聞]]夕刊 1963年1月10日 - 5月23日号）。{{Harvnb|32巻|2003-07|pp=271-323}}</ref>。
加藤が文学座に入座した動機の一つには、自身の演出による『なよたけ』の完全上演の夢があり、主人公の文麻呂に芥川比呂志、ヒロインのなよたけに[[加藤治子]]を配役し、演出助手に矢代静一が理想であった<ref name="yashi10"/>。しかし彼らは文学座においては、まだ新参者であり時期尚早であった<ref name="yashi10"/>。カット上演にしろ他劇団で上演すると、さらに文学座での来年上演の可能性はほぼなくなった<ref name="yashi10"/>。
この年は他に、評論「演劇の変貌」、「新しい芝居（一）・（二）」の連載、戯曲「[[思い出を売る男|思ひ出を売る男]]」を雑誌『演劇』に発表。NHKのため、[[シェイクスピア]]の『[[テンペスト (シェイクスピア)|テンペスト]]』を脚色した<ref name="nenpu"/>。
また、[[中村光夫]]、[[福田恆存]]、[[戸板康二]]と共に「[[雲の会]]」刊行の単行本『演劇講座』（[[河出書房]]より全5巻）の編集に携わり、評論「フランス演劇」「シェイクスピアとジョンスン」など執筆。河出書房刊行の『現代戯曲選集 第五巻』に「なよたけ」が収録された<ref name="nenpu"/>。10月は、[[アルベール・カミュ|カミュ]]の翻訳書『[[カリギュラ (戯曲)|カリギュラ]]・[[誤解 (戯曲)|誤解]]』を新潮社より刊行し、11月に文学座アトリエで『誤解』を演出した<ref name="nenpu"/>。
加藤は出身校である慶応義塾大学予科や、[[慶應義塾高等学校]]などで講師を務めながら、独自な文体による戯曲を発表していった。慶応高校での[[英語]]の教え子には[[浅利慶太]]などもいた<ref name="yashi8"/>。
[[1952年]]（昭和27年）には、[[堀辰雄]]作『曠野』を新日本放送のため脚色した。[[アルフォンス・ドーデ|ドーデ]]の戯曲『[[アルルの女]]』を[[角川書店]]（[[角川文庫]]）より翻訳出版。[[人文書院]]刊行の『サルトル全集』には加藤訳「蝿」が収録された。また、[[岸田国士]]著『新しき演劇のために』（[[創元社|創元文庫]]版）の「解説」を担当。サルトルの戯曲『[[悪魔と神|悪魔と神様]]』の抄訳を雑誌『[[芸術新潮]]』に載せて紹介し、雑誌『放送文化』には評論「詩劇に就いて」を発表した<ref name="nenpu"/>。
同年5月、文学座の求めに応じ、[[堀田善衛]]原作の『漢奸』『歯車』などより『祖国喪失』を脚色・演出した（[[三越劇場]]や関西で上演）<ref name="nenpu"/>。その後は、放送劇「街の子」を雑誌『悲劇喜劇』に発表。評論「戯曲の文体について」を雑誌『[[文學界]]』に発表し、[[ルイ・ジューヴェ|ジュヴェ]]評論集『聴き給へ君（エクツトモナミ）』の抄訳・紹介を『芸術新潮』に載せた<ref name="nenpu"/>。また、芥川比呂志演出の『恭々しき娼婦』の関西上演に俳優として協力出演。[[TBSラジオ&コミュニケーションズ|ラジオ東京]]のため『思ひ出を売る男』を放送劇化した<ref name="nenpu"/>。
=== 『襤褸と宝石』初日の一件 ===
劇作と演出に活躍する一方、加藤は[[ラジオドラマ]]や評論、翻訳を発表。西洋演劇の精神を現代日本の舞台に生かそうとした試みは高く評価されたが、[[1952年]]（昭和27年）10月1日に[[俳優座]]により初演された[[文部省芸術祭]]委嘱作品『襤褸と宝石』（演出・[[千田是也]]）への評価は、仲間内でもあまり芳しくなかった<ref name="yashi12">「第十二章 その傷心」（{{Harvnb|矢代|1985-02|pp=179-194}}）</ref><ref name="henreki"/>。
『襤褸と宝石』初演の観劇後、皆で[[有楽町]]の[[寿司屋]]横丁に行くことになったが、一軒の店に全員が入りきれず、路地を隔てた向い側のもう一軒の店と二手に分かれ、二階の[[座敷]]で窓を開け合っての宴となった<ref name="yashi12"/><ref name="henreki"/>。主賓の加藤のいる座敷には、親しい[[芥川比呂志]]、[[矢代静一]]、[[三島由紀夫]]ほか若い後輩の面々が入り、加藤のいない方の座敷は、[[福田恆存]]、[[中村光夫]]、[[堀田善衛]]、[[中村真一郎]]などの顔ぶれだった<ref name="yashi12"/>。最初はお互い交歓し合っていたが、祝杯が捧げられた後、向うの窓の賑わいが次第にヒソヒソ声になっていった<ref name="yashi12"/><ref name="henreki"/>。
やがて、向うの[[障子]]窓が閉められ、密かに戯曲の出来を批評しているのがありありとわかる雰囲気だった<ref name="yashi12"/><ref name="henreki"/>。加藤は青い顔になった<ref name="henreki"/>。気まずい空気を解きほぐそうと誰かが、「畜生、悪口を言おうと思って、障子を閉めやがったな」と言ったことが、かえって座を沈ませた<ref name="henreki"/>。冗談でおどけたりできない真面目な加藤は、眉間をぴくぴく震わせ俯いたきり、お寿司に全く手をつけず[[盃]]もふせたままだった<ref name="yashi12"/>。
矢代や芥川は親友なだけに、劇に感動したなどと空々しいことを言えず、お世辞は逆に不誠実だと思う歳頃でもあったため、戯曲の出来に触れない代わりに[[役者]]の演技を貶して元気づけようとしたが、座は盛り上がらなかった<ref name="yashi12"/>。三島は向う側の障子窓が閉められた時の気まずさを次のように語っている<ref name="henreki"/>。
{{Quotation|私はこんなことになるまでは、加藤氏に今夜の初日の素直な意見も言はうと思つてゐたのであるが、この瞬間から、言へなくなつてしまつた。不幸な初日の作者の心があまりにもありありとわかつたからである。そこまで氏自身がわかつてゐるものなら、誰がそれ以上、氏の[[傷口]]に手をつつこむやうな真似をする必要があるだらうか。|[[三島由紀夫]]「[[私の遍歴時代]]」<ref name="henreki"/>}}
三島は、「[[岸輝子]]さんの[[乞食]]婆さんの、半間を外した[[台詞|セリフ]]が面白かったね」と、戯曲の長所をいくつか拾い集めて加藤を励ましていたが、その後の[[渋谷]]の[[スナックバー (飲食店)|スナックバー]]「ボン」での合同二次会でも、加藤は懸命に自分を抑えようと努力しながらも浮かない表情を隠すことができなかった<ref name="henreki"/><ref name="yashi12"/>。
=== 傷心とカトリック ===
加藤が『襤褸と宝石』の不評をその後もかなり気にしていたことは、[[尾崎宏次]]宛ての手紙からもうかがえるが<ref name="yashi12"/>、その文面で、三島の感想（[[東野英治郎]]の役の台詞がお[[説教]]みたいだったという意見）だけには納得して肯いていた<ref name="yashi12"/>。
『襤褸と宝石』の一件のあった1952年（昭和27年）の暮から、加藤は[[カトリック]]に関心を持ちはじめ、[[神父]]のもとに通っていた<ref name="yashi12"/><ref name="yashi13">「第十三章 その神」（{{Harvnb|矢代|1985-02|pp=195-210}}）</ref>。加藤の実兄（[[加藤幸子 (作家)|加藤幸子]]の父）も加藤に勧められて信者となった<ref name="yashi13"/>。またこの年、故[[堀辰雄]]ゆかりの[[軽井沢町|信濃追分]]の地にある「油屋旅館」の隣に小さな山荘を建て、12月からはそこで、[[アルフレッド・ド・ミュッセ]]の『マリアンヌの気紛れ』の翻訳作業に取り組んだ<ref name="yashi12"/>。
同年には、自伝「演劇遍路」を雑誌『会館芸術』に発表。1幕物の「天国泥棒」を雑誌『[[文藝]]』に発表した。雑誌『[[群像]]』には、ビニール・ベソン『五日目』の翻訳を載せた<ref name="nenpu"/>。
[[1953年]]（昭和28年）11月には、『[[ジャン・ジロドゥ|ジャン・ジロゥドゥ]]の世界――人とその作品』を[[早川書房]]から刊行して高評価された<ref name="yashi13"/>。同月には戯曲『思ひ出を売る男』（1951年）が、やっと文学座アトリエで上演された<ref name="yashi13"/>。この戯曲は同年に河出書房刊行の『新撰現代戯曲 第五巻』にも収録された<ref name="nenpu"/>。
その後、ラジオ劇「奇妙な幕間狂言」（ラジオ東京放送）を『悲劇喜劇』に掲載。新潮社からは[[白井健三郎]]と共訳したカミュ『正義の人々』を刊行。[[長崎放送|NBC]]のための放送劇『泥棒と赤ん坊』を執筆し、ラジオ東京で『挿話』を放送劇化した。また、スタジオ・8・プロダクションのために『襤褸と宝石』の[[シナリオ]]を執筆した<ref name="nenpu"/>。
=== 突然の自殺 ===
同年1953年（昭和28年）の12月は、16日頃までは[[静岡県]][[田方郡]][[上狩野村]]（現・[[伊豆市]]）の嵯峨沢温泉で、ミュッセの翻訳『マリアンヌの気紛れ』を仕上げて清書し、9日には宿から妻の治子に手紙を出した<ref name="yashi14">「第十四章 その鎮魂」（{{Harvnb|矢代|1985-02|pp=211-228}}）</ref>。
{{Quotation|こんな贅沢な宿屋にいると毎日苦労している治坊のことを考えて心苦しい。でも、若林の家ではどうしても落着いて仕事も手につかないので、勘弁して下さい。岩波のミュッセだけはどうしても今月中に渡してしまわねばならないので。<br />
来年は必ず小さな家をみつけて引越すから、もうすこし我慢して下さい。来年は必ずいいことがあるように努力します。身体の調子はいいです。十六日の夜には帰ります。風邪をひかないように頑張って下さい。|加藤道夫「[[加藤治子]]への書簡」（昭和28年12月9日付）<ref name="yashi14"/>}}
しかし帰京した後の12月22日の夜、加藤は自宅書斎で、本棚の上段のパイプに寝巻の紐を括り付け、少し腰が床から浮いたような状態で[[縊死]]自殺した<ref name="yashi14"/>。同居していた[[姪]]の[[加藤幸子 (作家)|幸子]]によると、就寝前に加藤の部屋の前を通った時に、扉の下からオレンジ色の光が洩れていて静かだったという<ref name="yashi14"/>。その夜更け、帰宅した妻の治子が加藤の死を発見した<ref name="yashi14"/>。ベッドの枕元には[[食パン]]と[[歯磨き粉]]があった<ref name="yashi14"/>。
妻の治子と芥川宛ての[[遺書]]には、「僕は幼にして罪を犯され、その記憶が、いまに忌しく、[[地獄]]の苦しみ…」という言葉も書かれてあり、遠因には、幼時期に誰かから悪戯（[[わいせつ]]行為）をされた体験があったことがうかがわれた<ref name="yashi14"/><ref name="yashi1">「第一章 その死」（{{Harvnb|矢代|1985-02|pp=9-19}}）</ref>。加藤が自殺した日、[[中村真一郎]]、[[原田義人]]、[[矢内原伊作]]らが[[忘年会]]を催していたが、加藤は欠席して来なかった<ref name="yashi14"/>。
翌日の12月23日、訃報を聞いて三島由紀夫は加藤邸に駆けつけた。治子夫人によると、三島が心底から加藤の死を悼んでいるのが分ったという<ref name="yashi14"/>。他にも、大阪にいた芥川比呂志以外の、岸田国士や矢代静一、中村真一郎、[[木下順二]]、[[観世栄夫]]、[[北見治一]]、[[神山繁]]、[[仲谷昇]]、[[小池朝雄]]らが駆けつけ、この日に仮[[通夜]]があった<ref name="yashi14"/>。翌日12月24日に本通夜が行われ、[[告別式]]の12月25日は[[雪]]であった<ref name="yashi14"/>。
=== 死後・追悼 ===
友人だった加藤について三島は、「私は何の誇張もなしに云ふが、生れてから加藤氏ほど心のきれいな人を見たことがない」と述べ<ref name="mishima">「加藤道夫氏のこと」（毎日マンスリー 1955年9月号）。{{Harvnb|芸術断想|1995-08|pp=226-228}}、{{Harvnb|28巻|2003-03|pp=535-537}}</ref>、「心やさしい[[詩人]]は、『理想の劇場の存在する国』へと旅立つた」と哀悼している<ref>「楽屋で書かれた演劇論――理想の劇場は死んだ」（[[芸術新潮]] 1957年1月号）。{{Harvnb|芸術断想|1995-08|pp=229-233}}、{{Harvnb|29巻|2003-04|pp=417-420}}</ref>。
{{Quotation|ともあれ「なよたけ」を残して死んだ加藤道夫は、「モオヌの大将」を残して死んだ[[アラン＝フルニエ|アラン・フウルニエ]]を想起させる。共に完璧な[[青春]]の遺書であり、不朽の青春の証しである。しかしフウルニエは幸ひにして[[戦場]]に死んだが、加藤氏は[[戦後]]のおぞましい現実に立ち会ひ、第二幕で、子供たちの虫類虐待の[[懺悔|ざんげ]]をきいて放つなよたけの叫びのやうに、「まあ、むごたらしい！……そんなことをするから、後の世の人達が食べなくてもいいものまで食べるやうになつてしまふ」その「後の世」に立会ふといふ不幸を、閲しなければならなかつた。かくてこの[[カニバリズム|人肉嗜食]]の末世は、一人の心美しい[[詩人]]を、喰べてしまつたのである。|三島由紀夫「加藤道夫氏のこと」<ref name="mishima"/>}}
同じく友人で、加藤に勧められ、その後に[[カトリック]]に傾倒した[[矢代静一]]は、加藤が死の前に[[鬱病]]ぎみになっていたとする[[中村真一郎]]の仮説を鑑みながら、以下のように語っている<ref name="yashi13"/>。
{{Quotation|いまとなっては確かめるすべもないが、その病いが、彼を病的にリゴリスト（厳格主義者）に仕立てあげ、その結果として、自分には[[神]]の御許に行く資格なしと、自己判断を下してしまったのではないか。私が、加藤の死から十年ほどたって、神に向ってその目を挙げたのは、加藤がくれたあの「カトリック入門書」の中の一節が目にとまったからであった。<br />
「自殺は最大の罪悪である」 加藤は、この一節に、わざわざ定規をあてて朱線を引いていた。|[[矢代静一]]「旗手たちの青春――あの頃の加藤道夫・三島由紀夫・芥川比呂志」<ref name="yashi13"/>}}
[[福永武彦]]は、加藤の自殺に衝撃を受け、『夜の三部作』を執筆したと語っている<ref>[[福永武彦]]「序」（『福永武彦全集第3巻・小説3』新潮社、1987年10月）</ref>。
加藤の処女作であり代表作の『なよたけ』がノーカットで完全上演されたのは加藤の死後になったからのことで、[[1955年]]（昭和30年）9月に、加藤の念願であった文学座により、大阪毎日会館で芥川比呂志の演出で行われた<ref name="yashi10"/>。三島は、「彼の生前にこれを上演しなかつた劇壇といふところは、残酷なところだ」と批判しながら、もしも加藤の生前に『なよたけ』が完全上演されていれば、「彼を死から救つたかもしれない」としている<ref name="mishima"/>。
{{Quotation|芝居の仕事の悲劇は、この世でもつとも清純なけがれのない心が、一度芝居の[[理想]]へ向けられると、必ずひどい目に会ふのがオチだといふことである。（中略）<br />
（加藤）氏があれほど上演を待ちわびた代表作「なよたけ」さえ、文学座によつて完全上演されたのは氏の死後であり、生前の氏は、いつも[[不安]]と[[フラストレーション|不満]]におびやかされながら、[[ジャン・ジロドゥ|ジロオドオ]]への至純なあこがれと、[[宝石]]のやうな演劇の[[夢]]を、心に抱きつづけた[[青年]]であつた。|三島由紀夫「私の遍歴時代」<ref name="henreki"/>}}
加藤の死を痛惜していた[[岸田国士]]は、その2か月半後、演出作『[[どん底]]』（原作・[[マクシム・ゴーリキー]]）の舞台稽古中に[[脳軟化症]]を再発して倒れ、急逝した<ref name="yashi14"/>。岸田は加藤を追悼して次のような言葉を残していた<ref name="kishida">[[岸田国士]]「[http://www.aozora.gr.jp/cards/001154/card44858.html 加藤道夫の死]」（[[文藝]] 1954年2月号）。{{Harvnb|矢代|1985-02|pp=222-223}}</ref>。
{{Quotation|彼のやうな死に方をした作家の誰よりも、彼は、この世に残した仕事の量だけについていへば、おそらく非常に少いに違ひない。そのことはまた、一方からいへば、彼ぐらゐ[[未来]]への仕事を豊かに残して去つたものはないといへるのではあるまいか。こんなことを、私はたゞ気安めの繰り言として言つてゐるのではない。<br />
今迄、彼と一緒に芝居の仕事をしてゐた人々の心のなかに、新劇の[[楽屋]]や稽古場の一隅でぢつと腕組みをして立つてゐる彼の物言ひたげな姿は、おそらく、長い年月の間、生きつゞけることと、私は信じる。それはどこか、[[予言者]]めいた、配役の妙を思はせる姿ですらあつた。|[[岸田国士]]「加藤道夫の死」<ref name="kishida"/>}}
== おもな作品 ==
=== 戯曲・放送劇 ===
*なよたけ（[[三田文学]] 1946年5月-10月。執筆は1944年）
*挿話（悲劇喜劇 1948年10月）
*天邪鬼（少年少女 1949年）
*誰も知らない歴史（日本演劇 1949年）
*こよなき歌〈La Bonne Chanson〉（三田文学 1950年）
*まねし小僧（少年少女 1951年） - 子供[[狂言]]
*[[思い出を売る男|思ひ出を売る男]]（演劇 1951年10月）
*祖国喪失（1952年） - [[堀田善衛]]原作を脚色。
*街の子（悲劇喜劇 1952年）
*襤褸と宝石（1952年）
*天国泥棒（[[文藝]] 1952年） - 現代狂言
*奇妙な幕間狂言（悲劇喜劇 1953年）
*泥棒と赤ん坊（悲劇喜劇 1953年）
=== エッセイ・評論 ===
*演劇の故郷（劇作 1947年）
*死について（三田文学 1948年6月）
*舞台幻想（劇作 1948年）
*[[ジャン・ジロドゥ|ジロゥドゥ]]の世界と[[ジャン・アヌイ|アヌイュ]]の世界（悲劇喜劇 1948年）
*アメリカ戯曲の特徴（日本演劇 1948年）
*新劇の動向（再建評論 1949年11月）
*アメリカ演劇の常識性――The Madwoman of Chaillotを読みて（[[人間 (雑誌)|人間]] 1950年8月）
*ホイップル氏と[[ウィリアム・サローヤン|サローヤン]]（三田文学 1950年2月）
*二十世紀フランス演劇概観（演劇講座 1950年）
*作品展望ジャン・ジロゥドゥ（演劇講座 1950年）
*詩人と学者（演劇講座 1950年）
*自然主義悲劇の再反省――「[[ヨハン・アウグスト・ストリンドベリ|令嬢ユリエ]]」を観て（[[テアトロ]] 1951年2月）
*演劇の変貌（演劇 1951年7月）
*劇と詩の調和――新しい芝居・覚書2（演劇 1951年10月）
*フランス演劇（演劇講座 1951年）
*[[シェイクスピア]]と[[ベン・ジョンソン (詩人)|ジョンスン]]（演劇講座 1951年）
*詩劇に就いて（放送文化 1952年9月）
*戯曲の文体について（[[文學界]] 1952年6月）
*[[ルイ・ジューヴェ|ジュヴエ]]「聴き給へ君」（[[芸術新潮]] 1952年7月）
*演劇遍路（会館芸術 1952年）
*劇詩人の生成――ジャン・ジロウドウ序説（三田文学 1953年8月-9月）
*[[午年]]の作家の感想（1953年12月）
=== ナレーション ===
*映画『[[生きる (映画)|生きる]]』（1952年10月）の冒頭ナレーション
== 刊行本 ==
=== 自著 ===
*『なよたけ』（[[ユリイカ (雑誌)|書肆ユリイカ]]、1951年6月。[[未來社]]、1952年）
*『襤褸と寳石――芸術祭作品』（未來社、1952年10月）
*『祖国喪失』（未來社、1952年5月）
*『加藤道夫集』〈新文学全集〉（[[河出書房]]、1953年6月）
*『[[ジャン・ジロドゥ|ジャン・ジロゥドゥ]]の世界――人とその作品』（[[早川書房]]、1953年11月）
*『[[思い出を売る男]]』（未來社、1954年9月）
*『加藤道夫全集』（新潮社、1955年） - [[芥川比呂志]]、[[中村真一郎]]、[[原田義人]]編
*『挿話（エピソオド）』（未來社、1957年2月）
*『加藤道夫全集』全2巻（[[青土社]]、1983年5月）
=== 訳書 ===
*[[ウィリアム・サローヤン]]『君が人生の時』（[[中央公論社]]、1950年4月） - [[倉橋健]]との共訳。
*[[アルベール・カミュ]]『[[カリギュラ (戯曲)|カリギュラ]]・[[誤解 (戯曲)|誤解]]』（[[新潮社]]、1951年10月）
*[[アルフォンス・ドーデ|アルフォンス・ドオデ]]『[[アルルの女]]』（[[角川文庫]]、1952年）
*アルベール・カミュ『正義の人々』（新潮社、1953年3月） - [[白井健三郎]]との共訳。
*[[アルフレッド・ド・ミュッセ]]『マリアンヌの気紛れ』（[[岩波文庫]]、1954年6月。復刊1992年） - 遺作
== 伝記・追悼録 ==
*[[芥川比呂志]]『決められた以外のせりふ』（新潮社、1970年）
*大倉雄二『煉獄のハムレット――芥川比呂志と私』（[[文藝春秋]]、1991年8月） - 著者は学生期に演劇活動を共にした。
*[[加藤治子]]編『道を行く』（私家保存版、1983年9月）
*[[三島由紀夫]]『[[私の遍歴時代]]』（[[講談社]]、1964年4月）
*[[矢代静一]]『旗手たちの青春――あの頃の加藤道夫・三島由紀夫・芥川比呂志』（[[新潮社]]、1985年2月）
*『近代作家追悼文集成36――加藤道夫・[[岸田国士]]・[[坂口安吾]]・[[高浜虚子]]・[[永井荷風]]』（[[ゆまに書房]]、1997年2月）
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注釈"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
== 参考
*
*{{Citation|和書|date=2003-03|title=決定版 三島由紀夫全集28巻 評論3|publisher=[[新潮社]]|isbn=978-4106425684|ref={{Harvid|28巻|2003-03}}}}
*{{Citation|和書|date=2003-04|title=決定版 三島由紀夫全集29巻 評論4|publisher=新潮社|isbn=978-4106425691|ref={{Harvid|29巻|2003-04}}}}
*{{Citation|和書|date=2005-08|title=決定版 三島由紀夫全集42巻 年譜・書誌|publisher=新潮社|isbn=978-4106425820|ref={{Harvid|42巻|2005-08}}}}
*{{Citation|和書|author=三島由紀夫|date=1995-08|title=[[芸術断想]]|series=三島由紀夫のエッセイ4|publisher=[[ちくま文庫]]|isbn=978-4480030702|ref={{Harvid|芸術断想|1995-08}}}}
*{{Citation|和書|editor1=井上隆史|editor2=佐藤秀明|editor3=[[松本徹 (学者)|松本徹]]|date=2000-11|title=三島由紀夫事典|publisher=[[勉誠出版]]|isbn=978-4585060185|ref={{Harvid|事典|2000-11}}}}
*{{Citation|和書|editor1=[[長谷川泉]]|editor2=[[武田勝彦]]|date=1976-01|title=三島由紀夫事典|publisher=[[明治書院]]|id={{NCID|BN01686605}}|ref={{Harvid|旧事典|1976-01}}}}
*{{Citation|和書|author=[[矢代静一]]|date=1985-02|title=旗手たちの青春――あの頃の加藤道夫・三島由紀夫・[[芥川比呂志]]|publisher=新潮社|isbn=978-4103257042|ref={{Harvid|矢代|1985-02}}}}
==
*[[劇団四季]]
== 外部リンク ==
*{{青空文庫著作者|1240|加藤道夫}}
*{{青空文庫|001154|44858|新字旧仮名|岸田国士「加藤道夫の死」}}
*[http://www.k3.dion.ne.jp/~scarabee/sukajin-ka-ka.htm 「加藤道夫自筆年譜」（『新文学全集 加藤道夫集』河出書房、1953年6月）]
*[http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/PERSON/K/katou_mi.html 加藤道夫 歴史が眠る多磨霊園]
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:かとう みちお}}
[[Category:日本の劇作家]]
[[Category:日本の翻訳家]]
[[Category:慶應義塾大学出身の人物]]
[[Category:北九州市出身の人物]]
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[[Category:1918年生]]
[[Category:1953年没]]
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