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'''サクラバクシンオー'''([[1989年]][[4月14日]] - [[2011年]][[4月30日]])は、[[日本]]の[[競走馬]]、[[種牡馬]]。
 
1992年に[[中央競馬]](JRA)でデビュー。[[小島太]]を鞍上に短距離戦線で頭角をあらわし、1993年、1994年に[[スプリンターズステークス]]を連覇。後者の年に[[JRA賞最優秀短距離馬]]に選出された。通算21戦11勝。うち1400メートル以下では12戦11勝という成績を残しており、中央競馬JRA史上最強のスプリンターとも評される<ref group="注">この成績はサクラバクシンオーの象徴的な成績として各種資料に触れられているが、公には当時の日本中央競馬会の距離区分ではサクラバクシンオーが勝てなかった1600メートルも「短距離」に当たり、また、当時から定められていた国際的な5つの距離区分では、1400メートル以上は「スプリント」の次の「マイル」という区分に入る。(『優駿』1995年2月号、pp.23-24)</ref>。種牡馬としても短距離を中心に活躍馬を輩出し、2010年には国産種牡馬として史上3頭目となる産駒JRA通算1000勝を達成した。GI競走優勝の産駒に[[高松宮記念 (競馬)|高松宮記念]]の優勝馬[[ショウナンカンプ]]、[[朝日杯フューチュリティステークス]]、[[NHKマイルカップ]]の優勝馬[[グランプリボス]]がいる。
 
''※競走馬時代の[[馬齢|年齢]]は2000年以前に使用された旧表記([[数え年]])で統一する。''
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== 経歴 ==
=== 生い立ち ===
1989年、北海道早来町の[[ノーザンファーム|社台ファーム早来]]に産まれる。父は1986年の天皇賞(秋)優勝馬[[サクラユタカオー]]、母は天皇賞と[[有馬記念]]に優勝した[[アンバーシャダイ]]の妹・サクラハゴロモ。母系からは数々の活躍馬が輩出され、その起点とされる祖母から「クリアアンバー系」と称される<ref name="hiraide" />。1歳上の従兄には後の[[阪神ジュベナイルフィリーズ|阪神3歳ステークス]]優勝馬・[[イブキマイカグラ]]もいた<ref name="hiraide" />
 
本馬の調教師となる[[境勝太郎]]は、かつてサクラハゴロモの購買を望んでいたが、将来的に社台ファームの基礎牝馬にしたいと考えていた同代表・[[吉田善哉]]は首を縦に振らず、代わりに3000万円で3年間、境に貸し出されることになった。サクラハゴロモはデビュー後、骨折による1年間の休養を経て2勝を挙げたが、境は無理をさせることを嫌ってサクラハゴロモを2年で社台ファームに返却する。その埋め合わせとして境に無償提供されたのがサクラハゴロモの初仔、後のサクラバクシンオーであった<ref>境(1997)pp.111-112</ref>。なお、父・ユタカオーもかつて境の管理下にあった馬である。境は幼駒のころの印象について、「柔らかみを感じさせる仔馬だったけど、正直、あんなに走るようになるとは思わなかった」と述べており<ref name="meiba" />、また悍性の強さを備えつつも人間に対しては素直でおとなしい性格について、「典型的なユタカオーの産駒」と評している<ref name="interview">『名馬列伝サクラバクシンオー』pp.92-98</ref>。
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=== 戦績 ===
==== 4歳(1992年) ====
4歳となった1992年1月12日、[[中山競馬場|中山開催]]の新馬戦・ダート1200メートルでデビュー。当日は2番人気だったが、スタートから先頭を奪うと、そのまま2着に5馬身差をつけて逃げきり、初戦での勝利を挙げた<ref name="shinba" />。2週間後には1600メートル戦の黒竹賞に出走。1番人気に支持されるが、スタートで後手を踏んで後方からのレース運びとなり、道中で先団へまくっていくも、直線で2番人気のマイネルコートに競り負けアタマ差の2着と敗れた<ref name="sakurasou">『名馬列伝サクラバクシンオー』p.19</ref>。距離が1200メートルに戻った3戦目では単勝オッズ1.3倍の1番人気に支持されると、2着に4馬身差をつけての逃げきりで勝利<ref name="sakurasou">『名馬列伝サクラバクシンオー』p.20</ref>。走破タイム1分8秒8は、同日に同条件で行われた古馬(5歳以上馬)900万下条件戦のタイムを0秒3上回るものだった<ref name="sakurasou" />。
 
この時点で、以後は短距離路線へ集中することも考えられていたが、境と馬主の[[さくらコマース|全演植]]が相談のうえで一度中距離以上を使ってみることで合意し<ref name="yushun199206" />、3月29日、[[中央競馬クラシック三冠|4歳クラシック]]初戦・[[皐月賞]]への[[トライアル競走]]である[[スプリングステークス]](1800メートル)へ出走した<ref name="spring">『名馬列伝サクラバクシンオー』pp.22-23</ref>。当日は[[ホープフルステークス (中央競馬)|ラジオたんぱ杯3歳ステークス]]の優勝馬[[ノーザンコンダクト]]、前年の3歳王者・[[ミホノブルボン]]に次ぐ3番人気に支持された。しかしレースでは重馬場を気にしてフォームが乱れ、逃げるミホノブルボンに競りかけることもできず失速していき、2着に7馬身差をつけ圧勝したミホノブルボンの後方で12着と大敗した<ref name="spring" />。境は戦前から「蹄の形から見ると滑る馬場は良くないかもしれない」と予想しており、鞍上・小島太の敗戦の弁も「滑る馬場で馬が夢中になり、息が入らなかった」というものであった<ref name="spring" />。
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12月19日、前年6着のスプリンターズステークスに出走。前年の2着馬で、当年マイル戦の[[安田記念]]、中距離戦の[[天皇賞|天皇賞(秋)]]を制し、「三階級制覇」がかかる[[ヤマニンゼファー]]が1番人気、サクラバクシンオーは前年度優勝馬のニシノフラワーを抑えての2番人気に推された<ref>『優駿』1994年2月号、p.32</ref>。スタートが切られるとサクラバクシンオーは先行する2頭を見ながらの3番手を進み、ヤマニンゼファーがその直後を追走。前半600メートルは33秒2と例年に比べれば緩いペースとなり、最後の直線で抜け出したサクラバクシンオーはヤマニンゼファーを突き放し、2馬身半差をつけてGI初制覇を果たした<ref name="yushun9402">『優駿』1994年2月号、pp.140-141</ref>。これはサクラユタカオー産駒のGI初制覇ともなった<ref name="meiba" />。
 
競走8日前、バクシンオーの馬主であり、小島が父とも慕っていた全演植が死去しており、小島は競走後のインタビューにおいて「寝ても覚めてもオヤジのことばかり考えていた。絶対に勝たなくちゃいけない、絶対に負けられないと思っていた。これまでの騎手人生で最高の仕事ができた。オヤジにありがとうと言いたい」と語った<ref name="yushun9402" />。またバクシンオーについては「一本調子の逃げしかできなかった馬が、前走では好位で折り合う、以前とは見違えるようなレースができた。脚元の弱かった馬がビシビシ調教をやれるようになったし、馬自身が本当に成長している」と述べ、また境も「まさに本格したといっても過言ではない」と述べた<ref name="yushun9402" />。
 
当年はこれでシーズンを終える。翌年1月に発表された年度表彰・[[JRA賞]]では、最優秀短距離馬部門で総数171票のうち77票を集めたが、87票を集めたヤマニンゼファーに及ばず次点となった<ref>『優駿』1994年2月号、p.19</ref>。
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=== 種牡馬時代 ===
引退後は社台ファーム系列の[[社台スタリオンステーション]]で種牡馬となった。当時同場に繋養される内国産馬は、いずれも殿堂入りした[[トウカイテイオー]]や[[メジロマックイーン]]などごく僅かで、評論家の[[須田鷹雄]]は「社台の生産とはいえ、この展開は読めなかった。競走馬としてのバクシンオーには注目していなかった人でも、種牡馬としてのバクシンオーには注目せざるを得ないだろう。社台に住むということは、ひとつのエリート宣言である」とこれを評した<ref>『名馬列伝サクラバクシンオー』p.107</ref>。ノーザンファーム(旧・社台ファーム早来)代表の[[吉田勝己]]は、「(社台スタリオンには)[[サンデーサイレンス]]や[[トニービン]]、[[ドクターデヴィアス]]など海外の大レースを勝った馬が多くいますが、バクシンオーだって世界的な名馬です。それに、こういう絶対的なスピードを誇るタイプの種牡馬は必要なんです」と導入の理由を述べている<ref name="yushun9502" />。
 
当時の生産界はサンデーサイレンスが不動のリーディングサイアーとして君臨し、また同馬と共に「御三家」と称されたトニービン、[[ブライアンズタイム]]がおり、内国産種牡馬は劣勢に立たされていた<ref name="yushun1108">『優駿』2011年8月号、pp.38-41</ref>。しかしバクシンオーは初年度から100頭以上の交配相手を集めると、その優れたスピードを産駒によく伝え、自身と同じく1400メートル以下を中心に数々の活躍馬を輩出していった<ref name="yushun1108" />。2000年には1400メートル以下に限ればサンデーサイレンスに次ぐ僅差の2位という成績を挙げ<ref name="yushun1108" />、2001年からは総合ランキングでもトップ10に顔を出すようになる。2002年には[[ショウナンカンプ]]が春の短距離GI・[[高松宮記念 (競馬)|高松宮記念]]を制覇。また2004年には[[ブランディス]]が4000メートル超で行われる障害のGI競走・[[中山グランドジャンプ]]と[[中山大障害]]を連覇、自身のイメージからすれば異色の産駒も出した<ref name="meiba" />。非サンデーサイレンス系種牡馬の旗手という存在となった<ref name="meiba" />バクシンオーは、生産者、馬主から厚い信頼を勝ち取り、初年度から16年連続で100頭を越える牝馬を集めた<ref name="yushun1108" />。
 
2010年7月には、史上12頭目・国産種牡馬としては3頭目となる産駒の中央競馬通算1000勝を達成<ref>{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20150916001635/http://www.keibabook.co.jp/homepage/topics/topicsinfo_new.aspx?subsystem=0&kind=0&category=00&filename=KON19854 |title=サクラバクシンオー産駒がJRA通算1000勝を達成 |author= |publisher=競馬ブック |accessdate=2015年9月16日 |date=2010-7-8}}</ref>。同年12月には[[グランプリボス]]が[[朝日杯フューチュリティステークス]]に優勝した。しかし産駒の活躍が続く最中の翌2011年4月30日、サクラバクシンオーは社台スタリオンステーションにおいて[[心不全]]で死亡した<ref>『優駿』2011年6月号、p.157</ref>。22歳没。それから8日後の5月8日にはグランプリボスが[[NHKマイルカップ]]に優勝している。その死後も残された産駒が活躍を続け、2015年9月には産駒の中央競馬勝利数で史上単独5位となる1380勝目を記録した<ref>{{Cite web |url=https://web.archive.org/web/20150917085349/https://www.keibabook.co.jp/homepage/topics/topicsinfo_new.aspx?subsystem=0&kind=0&category=09&filename=KON27918 |title=サクラバクシンオーがJRA通算1380勝、単独5位 |author= |publisher=競馬ブック |accessdate=2015年9月17日 |date=20152005-910-61}}</ref>。
 
== 評価 ==
=== スプリンターとしての評価 ===
「マイル」と「スプリント」が曖昧だった1990年代にあって、スプリンターとしてはじめて「超一流」との評価を得<ref>{{Cite web |url=http://www.jra.go.jp/topics/bn/mc_tm/tm05_1001.html |title= スペシャリストの先駆者(パイオニア)サクラバクシンオー |author= |publisher=日本中央競馬会 |accessdate=2015年12月3日 |date=2015-9-6}}</ref>、明確に「スプリントの王者」として現れた最初の馬であるとされる<ref name="yushun1409">『優駿』2014年9月号、pp.38-39</ref>。当時はまだ春の短距離GI・高松宮記念は存在せず、日本馬の国外への遠征が活発化していくのも時代が下ってからであり、ライターの谷川善久は「もう少し遅く生まれていれば、サクラバクシンオーはさらに多くの勲章を勝ち取っていたことだろう。速すぎた馬、そして早すぎた馬、といったところだろうか」と評している<ref name="yushun1207">『優駿』2012年7月号、pp.6-7</ref>。なお、バクシンオーの現役当時に唯一のスプリントGIであったスプリンターズステークスに限れば、これを連覇した馬は2012・13年の優勝馬[[ロードカナロア]]まで19年間現れなかった<ref name="yushun1409" />。
 
『優駿』が2012年に行った「距離別最強馬」アンケートでは、全6つのカテゴリーの中で唯一過半数の得票率を記録し、「1200メートル」でバクシンオーが1位となった<ref name="yushun1207" />。合わせてホースマンを対象行われたアンケートでは、17人のうち[[池江泰郎]]、[[池江泰寿]]、[[河内洋]]、[[国枝栄]]、小島太、[[四位洋文]]、[[鹿戸雄一]]、[[清水英克]]、[[田中勝春]]、[[中舘英二]]、[[松田国英]]、[[三浦皇成]]、[[矢作芳人]]の13名が1200メートルでバクシンオーを選定し、ほかアナウンサーの[[杉本清]]、評論家の[[井崎脩五郎]]が同様の投票をした<ref name="vote">『優駿』2012年7月号、pp.44-49</ref>。このうち三浦と矢作は産駒に占めるスプリンターの多さにも言及している<ref name="vote" />。産駒がデビューした1998年から、死の翌年である2012年7月までに産駒が中央競馬の1200メートル戦で挙げた勝利数は655に上り、同期間で2位の[[フジキセキ]](312勝)に2倍以上の差を付けている<ref name="yushun1207" />。
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=== サクラバクシンオーとノースフライト ===
5歳時に3度対戦したノースフライトはしばしばライバルとして語られる存在である<ref group="注">たとえば『優駿』2009年3月号の特集「至高のライバル対決」や、同誌の連載「不滅のライバル物語」(2014年9月号)で取り上げられている。</ref>。境勝太郎はノースフライトについて「あの馬が完調で出てきたら、たとえ1200メートルでもバクシンオーが勝てたかどうか」と評価し<ref>『忘れられない名馬100』pp.70-71</ref>、小島太は両者を「バクシンオーは日本一速い馬だが、ノースフライトは日本一切れる馬だ」と対比している<ref name="yushun1409yushun140984">『優駿』2014年9月号、p.84</ref>。なお、マイルチャンピオンシップのパドックにおいて、境がノースフライトを管理する[[加藤敬二 (競馬)|加藤敬二]]に「この2頭の産駒はどうですか」と水を向け、加藤も「いいですね」と応じたとされるが<ref>『優駿』1995年1月号、pp.142-143</ref>、この交配は実現しなかった。
 
== 競走成績 ==
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*[[2006年]]産
**サクラリボルバー(2011年[[吉野ヶ里記念]]・[[佐賀競馬場|佐賀]]<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000989492/ |title=サクラリボルバー |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月29日 |date=}}</ref>)
*2008年産
**ケージーヨシツネ(2015年高千穂賞・佐賀、九千部山賞・佐賀、水無月賞・佐賀、雷山賞・佐賀、周防灘賞・佐賀<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001093382/ |title=ケージーヨシツネ |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年12月3日 |date=}}</ref>)
*2010年産
**オールマイウェイ(2014年かきつばた賞・盛岡<ref>{{Cite web |url=http://www.jbis.or.jp/horse/0001119028/ |title=オールマイウェイ |author= |publisher=JBISサーチ |accessdate=2015年8月29日 |date=}}</ref>)
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== 血統 ==
=== 血統背景 ===
祖父テスコボーイは1968年に日高軽種馬農協が輸入して数々の名馬を輩出、安価な種付け料と相俟って日高の生産者から「お助けボーイ」と呼ばれた<ref name="yushun1108" />。父サクラユタカオーはその種牡馬生活後期の産駒であり、引退に際しては日高と本馬の生産者である社台ファームとの間で種牡馬としての争奪戦が起こり、境勝太郎の口利きで日高に繋養されたという経緯がある<ref name="yushun1108" />。一方、母方の祖母・クリアアンバーから連なる[[ファミリーライン|牝系]]は社台グループを代表するもののひとつである<ref name="hiraide">平出(2014)p.26</ref>。ライターの河村清明は、サクラバクシンオーが社台グループの手厚い管理のもとで順調な種牡馬生活を送ったことにも絡め、この血統を「オール馬産地の血脈」と称している<ref name="yushun1108" />。
 
=== 血統表 ===